「サマーチャール・パトゥル」28号2001年12月14日

 例年にない暑い夏です。脳が沸騰しそうな夏です。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 などと書いて放っているうちに、年の暮れになっちゃいました。9月に出そうと思っていたこの通信は、ずるずると遅れてついに師走。久代さんの52回目の生誕記念日と重なってしまいました。前回の通信は、2月なので、ほぼ10ヶ月ぶりの発行です。この間もいろいろありました。ということで字数が大幅に増えましたが、ま、適当に流し読みをして下さい。確信をもっていえますけど、ほとんどなんの役にも立ちません。

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住所変更のお知らせ★
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 わたしたちは、この4月に下記に引っ越しましたので、お手元の住所録の変更をお願いします。

 引っ越しの理由はいろいろです。公団の家賃が民間と比較して割高になってきた、階段に人や犬の糞が放置されたりで近年モラル低下が著しく環境が悪化した、日当たりが悪かった、近所のマンション価格がとても安くなった、冷やかしで見にいったら不動産屋の術中にはまってしまった、同じ場所に住むことに飽きてきた、などです。

 新旧の違いは、月々の住居費がほぼ1/4になった、管理が官僚的といえるほどしっかりしていて安心できる、西向きになりいやになるほど陽が当たる、家具が一気に増えた、畳の部屋がなくなった、寝室が広くなり従来のような夫婦二段ベッド体制をとらなくともよくなった、キッチンが一回り狭くなった、室内喫煙を止めた、などです。なによりも大きな違いは、賃貸から分譲になった、つまり、われわれは住居のオーナーになったことです。ローンはハナから無理なやくざ家業なので、かなりまとまったゼニが必要でしたが、公団家賃10年前払いと思えば合理的だと判断し、えいやっ、と買っちゃったわけです。友人達は、そんなゼニどこにあったのかといぶかるのでしたが、実はちゃんとあったのです。もちろん、わたしの稼ぎではどうにもならない。久代さんの勤務時代のタクワエが生きたというわけであります。おかげで、現在は相当のゼニ不足状況に陥っています。

 引っ越しが思いのほか、大変でした。当初は、近いところへの移動なので自分たちだけでなんとかなるだろうと高をくくっていました。しかし、大物だけを運んでもらおうと若い引っ越し屋青年に見積もりをしてもらったところ「全部の荷物を移動するとしたら、大小段ボール90個、4トン1台2トン1台のトラック、引っ越し人最低5名でまる1日かかる」という査定。大げさな査定だと思いましたが、彼の予言通り。公団に移ってきてほぼ10年、震災でだいぶ整理されたといえ、モノは確実に増えていたのでした。台車に積んで二人だけでも相当運びましたが、毎回その量にののしるほどなのでありました。

 大変だったもう一つの理由は、引っ越し先のすぐ近くに住んでいたカナダ人の友人リードが、中途半端な片づけのままカナダに移住してしまい、その後始末も重なったためです。おかげで、革張りのソファ、重厚本棚各種、イス、テーブル、ベッドなどが我が家にやってきました。それはそれで喜ばしいことですが、一気にモノが増え、居住空間を侵略しました。比較的新しい彼の巨大冷蔵庫は、作りつけの収納棚に収まらず、CAP HOUSEに安住の地を見いだしました。他に、洗濯機、テレビなどの大物も残っていました。これらは処分費用を払って退去してもらいました。

 こんなわけで、2軒分の引っ越しが同時進行したので、われわれのエネルギー消費も2倍となったのでした。その後、この友人のアパートは、アクト・コウベ・プロジェクト2001で、6月末に来日したフランス人たちの一部が1ヶ月間タダで借りて滞在しました。それにしても、貸してくれることが最初から分かっていたら、残った家具や備品を片づけなくともよかったなあ、とは後の祭り。

 近くにお越しの際はぜひお立ち寄り下さい。天井までの本の崩壊を恐れなければ居候も可です。

アメリカ旅行

 5月9日~6月2日、生まれて初めて夫婦でアメリカへいってきました。われわれは結婚して23年になるので、銀婚前旅行みたいなもんです。

 アクト・コウベ・プロジェクト2001(AK2001)の準備作業がピークに達する5月に3週間も旅行したのは、北大時代の友人、新井義郎医師(以下ドクトル新井)が余ったマイレージで二人分の航空券を提供してくれたからです。

 ピッツバーグ在住のドクトルからは、かねがね「新しい家を買ったけど見に来ない?」と誘いを受けていました。「旅費がなあ」「ほい、そいじゃあ、ぼくのマイレージが貯まってるからそれで来る?」。こんな願ってもない申し出を断る理由はありません。どうせなら去年イギリス公演を行った聲明バンド「七聲会」のプロモーションも兼ねようということで、ピッツバーグ、ニューヨーク、ロサンゼルス行となりました。おかげで、AK2001の準備は事務局長である下田展久さん一人に集中することになり、彼の恨みを買ったことはいうまでもありません。

 滞米中、約4万字ほどの記録を書きました。ここでは強く印象に残ったことだけを書きたいと思います。

ピッツバーガー

 最初に降り立ったデトロイト空港やピッツバーグの街で見かけた人々は、ほとんどが肥満体型でした。わたしの印象では、全住民の8割は肥満ではないか。というわけで、アメリカにおける肥満者をピッツバーガーと名づけました。

 まず、デトロイト空港の待合室で見た光景。太った若い女が、トランクを股にはさんで紙パック入りの大きなケーキを無心に食べ、それを見たネクタイ姿のビジネスマン風の肥満男がチョコバーをかじり始める。ぐるっと見回すと、たいていの人が口を動かしていて、そのほとんどが不健康そうなでっぷり腹肥満体型なのでした。アメリカ入国の最初の光景なので、この印象は強烈でした。

 この現象は空港だけではありません。高層ビルの立ち並ぶピッツバーグの閑散としたダウンタウンを歩く男女も、ほぼ例外なく肥満者です。
 ヒステリックな禁煙キャンペーンや、つぎつぎに登場する健康器具、健康食品など、アメリカの健康志向がけっこう目立ちます。しかし、こうした健康志向には、膨大な数のピッツバーガーの存在を逆に証明しているのかも知れません。

 この印象を友人のバール・フィリップス氏にいうと「太ったブタに革命はおこせない。政府は、政情安定策として人々を太らせる。簡単だよ。くだらないテレビ番組と油と肉を大量に消費させるだけでいいからね」といってました。

 ニューヨークやロサンゼルスは、肥満者率がそれほど高いようには見えませんでしたので、全米人がピッツバーガーというわけではないようです。デトロイトとピッツバーグだけが特別だったのでありましょうか。いずれにせよ、日本よりはずっと肥満者率が高いのは間違いないようです。

高エネルギー消費型社会

 比較的安全な地下鉄が縦横に走るニューヨークは別として、ピッツバーグとロサンゼルスを見た限りでは、やはりアメリカは高エネルギー消費型社会だと実感しました。なにせ、世界人口の5パーセントなのに、消費するエネルギーは世界の30パーセントという国です。

 車社会であるため、われわれのようなビンボー旅行者が重宝する公共交通機関があまり発達していない。

 ピッツバーグのドクトルの住宅は、非常に美しい緑に包まれた閑静な郊外地、マウント・レバノン地区にあります。ゆるやかな起伏のある曲がった道路沿いに、まばゆい緑の芝生とまばらな大木の絶妙のコンビネーションを見せる美しい前庭、ヨーロッパのあらゆる時代の建築様式が混ざった大きな邸宅が並んでいます。早朝に起きて、澄んだ空気の中で木々を飛び交う鳥たちの歌声を聞きながら散歩するには、理想的な環境といえます。実際、ドクトル宅の前庭でぼやっとタバコを吸っていると(ドクトルには敷地内禁煙と厳命された)、ときおり人品いやしからぬ人々が犬を連れて散歩する姿が見えました。

 このように、実に住環境のすばらしい場所でわれわれはほぼ2週間過ごしたわけです。日本でいえば邸宅といっていい、ゆったりとして清潔かつ機能的な彼の家の住み心地は素晴らしい。われわれは、広い一室とほぼ専用のバスルームを提供してもらいました。

 付近の地理の把握のためもあり、毎日、相当な距離を二人で散歩しました。われわれが起動する頃には、主であるドクトルはいません。彼は、朝5時に起き、自分で朝食を作り、付近の散歩を済ませて大学病院へ車で出勤するのです。

 問題は、このあたりが徒歩生活者を前提にしていないという点です。広い住宅敷地や巨大なショッピングセンターも、都心までの通勤も車が基本。したがって、車のないわれわれ臨時居候にはとても困る。

 ある日、近所の酒屋にビールを買いに行きました。もちろん徒歩なのでたどり着くのに20分ほどかかります。「ビール6缶パックほしいんですが」「うちはケースでしか売ってない。車はないのか」「ない。徒歩だ。もって帰るのが大変だ」「んなこといわれても。ケース単位だ」。われわれは、しかたがないのでギンギンに冷えた24缶入りのケースを抱えてさらに20分歩くことになりました。

 ちょっとした買い物はいうに及ばず、都心に出るにも、電車駅まで上り下りの道を30分は歩かなければならない。バスは通っていましたが、乗り方やルートが分かりません。2度ほどダウンタウンに自力で行きました。しかし基本は、ドクトルの車頼みの日々。外国に行くと街をうろうろするのがわれわれのスタイルなのに。

 だだっ広いロサンゼルスも似たような状況です。バスを使ってサンタモニカまで行きましたけど、あとはほとんど長距離徒歩です。

 人々の環境への認識が高まってきたとはいえ、化石燃料ジャブジャブ消費二酸化炭素出し放題の車社会であるアメリカが、京都議定書はパスするもんね、というブッシュの宣言にむべなるかなの思いなのであります。

人種の「おでん」

 よく、アメリカは人種のるつぼだのサラダボールだのといわれます。しかし、現実には司馬遼太郎のいう、おでん、が正しいように思います。おつゆに浸かってはいても、豆腐は豆腐、コンニャクはコンニャクと形があるからです。

 ニューヨークでも、ロサンゼルスでも、たしかに混血は進んではいるのでしょうが、中国、イタリア、日本、韓国、メキシコ、インドなどからの人たちがまだまだ固まって住んでいます。混血が進んで肌色の分布がグラデーションの様相を見せるブラジルなんかとそのあたりが違っているように思います。そういう意味ではやはり、「るつぼ」よりは「おでん」といったほうが正しいのかも知れません。おでんのおつゆがアメリカという国家観念とすれば、それぞれのコミュニティーが具。具におつゆはしみこんでいますが、煮くずれるほどにはなっていない。

 ところで、ロサンゼルスの日本人街、リトル・トーキョーには生気がありません。日本人旅行者やビジネスがらみの人々がめっきり減ったからということです。また、お土産屋や飲食店のオーナーが日本人から、韓国人や中国人に代わってしまったとも聞きました。メキシコ人街や中華街は、オリジナリティーを色濃く残し結束しているように見えたのに引き替え、淡々としていて、むしろ淋しい雰囲気でした。これは、この街周辺に固まって住んでいたかつての日系人たちが、拡散していきつつある証拠なのでしょうか。

七聲会プロモーション

 今回の旅行目的の一つは、聲明グループ「七聲会」のプロモーションでした。主催者になってくれそうな人に会い、アメリカでのコンサートツアーの可能性を探りました。

 ピッツバーグからグレイハウンドバスに10時間ゆられて行ったニューヨークで会ったのは、Asia Societyのレイチェル・クーパー女史、World Music Institueのロバート・ブラウニング氏、Japan Societyのポーラ・ローレンス女史の各氏。また、電話で話したのは、Asian Cultural Councilのラルフ・サミュエルソン氏でした。テロ事件のために将来の予測はつきませんが、レイチェルやポーラたちは、2003年に大きなイベントを計画していて、そこに潜り込めそうな感触を得ました。どうななることか、期待しないで待つことにします。

 お会いした人たちはすべて、ニューヨーク在住の即興サックス奏者、ネッド・ローゼンバーグや、バーンスリー奏者のスティーヴ・ゴーンの紹介でした。友人はありがたいものです。

 ブルックリンに住むネッドは、われわれが訪ねた次の日にヨーロッパへ発つことになっていましたが、自宅に近いブルックリン植物園のランチにつき合ってくれました。豪快な笑いのロイス夫人、偶然この日にニューヨークにやってきた英国人循環呼吸サックス奏者イーヴァン・パーカーと、息子が宝塚にいるという女友達キャロライン、ネッドそしてわれわれという組み合わせです。
 スティーヴ・ゴーンには、チェルシーにある彼の共同アパートの一室を提供してもらいました。値段の高いニューヨーク宿泊事情を考えれば大助かりでした。

 ロサンゼルスでは、和太鼓のケニー遠藤にいろんな人を紹介してもらいました。Japanese American Cultural and Community Center (JACCC)のブライアン・ヤマミ氏、Grand Performancesのマイケル・アレキサンダー氏とレイ=アン・ハーン女史、UCLAのジュディー・ミトマ教授、きんなら太鼓というグループを主宰するマサオ・コダニ氏、インド音楽公演をよく主催するハリハール・ラーオ氏などと会いました。七聲会の属する浄土宗のロス支部の河合了勝氏にも資料を持っていきましたが、そこで昔ジャズのドラマーだったという豊田晃芳氏にも出会いました。

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◎これまでの出来事◎
2001年1月31日(水)~200年12月2日(日)
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■1月31日(水)/丹後カニづくし

 雪の降る丹後に一人住む鈴木昭男さんことアキオさん宅への一泊旅行でした。

「アキオさんとこへいってカニ食おう。一緒に行く女の子を適当にみつくろってみるから」という真さんがみつくろってきたのが「朝の11時に起きて朝ご飯食べて、また寝て4時頃起き、それからぼーっとテレビを見て3時頃寝る」という20代のミミチャン。積極的意思表示はせず、質問されるとぼややんと答えが返ってくる。AIBO型と名付けた。そのミミチャンと三宮で待ち合わせ、阪急の長岡天神駅まで電車で行き、真さんと合流。そこから丹後へは約3時間の道のりです。

 5時前に、ダイエーカラーのトレーナー、グレイのチョッキ姿で路肩で待つアキオさんを拾い、まず峰山の温泉へ。しかし、目当ての温泉は定休日だったので、近所の魚屋で天然ハマチの刺身と野菜を購入。アーケードはあるものの、なんとも淋しく切ない商店街です。雪のところどころ残る田舎道を走り、いったん鈴木宅で鍋の下ごしらえをして、今度は定番の公共温泉「はしうど荘」で湯に浸かる3人組なのでありました。

 あらかじめアキオさんが連絡を取っていたカニ業者「佐七」へ行くと、とれたばかりのミズガニを塩ゆでし、身をむしり取っている最中でした。ストーブに当たりながら作業をみるわれわれに、中高年作業員は、「ほら、こうやって食べるとうまい」と器用に身をはがした足を差し出す。どんな食べ物でも、捕れたて湯がきたてほどおいしいものはありません。本当においしかった。ミズガニの殻は柔らかく、手でねじっただけで割れます。

 ここでゆでたカニ4ハイ、鍋用の生カニ1パイを購入し、「ここに酒入れて飲むと最高だ」というみそのついた甲羅、出しの利いた塩ゆで汁までもらったわれわれは、車内をカニ臭気で充満させつつ昭男さん宅へ向かうのでありました。

「寒いから出るのがおっくうでよく寝てる。風がビュンビュン吹くと、ほら、この障子紙がパタパタ音を出してすごくかっこいいんよ」などというアキオさんを慰める、という名目ではありますが、実はカニをとことん食べたいシンチャマスポンサーによる丹後訪問でありました。

■2月8日(木)/エンキ・ビラル講演会/神戸クリスタルビル

 エンキ・ビラルは、バルカン出身の有名なフランス人漫画家です。最近では映画監督もしているという。

 彼の制作にまつわる話も興味深いものがありましたが、なによりも感銘したのは通訳でした。ときにはややこしい言葉も入るスピーチを分厚いメモにつぎつぎに記録し、簡潔で正確な日本語に変換する様子に感動したのでありました。講演後、見事な通訳ぶりだった菊地歌子さんに、アクト・コウベの中島康治さんと一緒に接触を図りました。実は、7月のアクト・コウベ・プロジェクトの通訳問題をどうするか、ということで思案していたのです。神戸駅への道すがら、われわれの計画を説明し、ぜひ協力をお願いしたい旨をうったえたところ、彼女は「できる範囲で協力しましょう」といっていただきました。結局、この彼女の一言で強力な通訳体制を整えることができたのでした。なんでも、いってみるもんですね。

 

■2月15日(木)20:00~/HIROS一人ライブ+カレー/麓鳴舘、大阪心斎橋

■2月22日(木)/近眼鏡レンズ替え

 近視度と遠視度が同時に高まるという事態になり、レンズを変更しました。最近では、コンピュータをにらむとき遠視眼鏡、遠くを見るには近眼鏡、読書するのに裸眼というややこしい視力調整が必要なのです。それにしても、目は高くつきます。

 

■2月23日(金)/世界の民族楽器紹介ワークショップ4/ジーベックホール/講師/時勝矢一路:和太鼓

 100名以上の小学生が参加しました。一路さんは、今回もまた大量の楽器をもってきてくれたので子供達は大満足。このワークショップのためだけに作曲された「うに」と「あわび」の大合奏も迫力がありました。集中力をとぎれさせない教え方はさすが。

 

■2月26日(月)/出入国管理事務所/大阪

 戦後から現在まで、インド人芸能者がどれくらい来日したのかを調べるために、入管の記録を見てきました。事務所で主旨を申し述べると「あ、そうですか。じゃあ、これをお調べになって下さい」と渡されたのが、高さ1メートルを超える1961年から1999年までの『出入国管理統計年報』でした。

 記録にあったインド人来日芸能者は2275人。アジア全体の累計が約10万人ですから少ないとはいえ、そこそこのインド人が来日公演を行ったことが分かります。ピークは、1996年の221人。

 なぜこんなことを調べたのかというと、民博の研究会で話をする準備のためでした。

 

■3月2日(金)19:00~/七聲会公開録音・レクチャー/さやかホール、大阪狭山市

 さやかホールは、人口約5万人の大阪狭山市に燦然と屹立する公共ホールです。2000人収容規模の大ホール、500人ほどの中ホールがあります。

 和泉市のホールでわたしのソロ公演の際にお世話になった戸所さんや、市会議員の一村さんから「稼働率の悪いさやかホールの活性化をどうしたらよいか」と相談があったことから、公開録音につながりました。

 中ホールはとても音響のよいホールなので、ただでさえ予算の少ない自主公演はきっぱりとあきらめて公開録音専用にしてしまったらどうか、という提案をしました。録音を希望する音楽家たちが、ホールを録音用として使いかつ録音費用をまかなえる程度の出演料をもらい、市民には良質の音楽を安く楽しんでもらう、という案です。結果、去年のイギリスツアーで再三CDの問い合わせのあった七聲会の録音をすることになりました。

 観客のない状態と公開状態で2度録音しました。5月に発売したCDにはそのときの録音を採用しました。ジーベックでのインド音楽との和奏ライブ録音とあわせて73分のCDです。ご希望のかたはご連絡下さい。2,500円です。

 

■3月3日(土)/AKJ披露宴/CAP HOUSE

■3月4日(日)/「サド公爵夫人」/ピッコロシアター、尼ヶ崎

 久しぶりにパーカッショニストの高田みどりさんに会いました。

 相変わらず美しい高田さんは、音楽家としてばかりではなく、なんと女優として舞台に出ていたのでした。役柄は、サド公爵家に使える召使い。羨望、諦観、軽蔑、傲慢ないまぜの感情をうまく表現していたと思います。

 劇そのものはそれなりに楽しめました。ただ、全体に過剰な演技が目立ちました。いかにも三島由紀夫の世界ではありましたが、時代背景の共通性もあったためか、わたしには手の込んだベルバラ、みたいに感じました。そのことを後で、まだ化粧も落としていない高田さんにいうと、そうねえ、と笑っていました。

 

■3月8日(木)/劇団青い森公演「見えないネコ、声を出せない僕」/港島中学校

 台湾震災義援金の送り先を探す縁で知り合った細見圭さんの芝居が、近所の中学校であるというので見に行きました。震災と戦災が一人の老人と少女の現在と交錯する。転換もない簡潔な舞台ですが、飽きませんでした。老人を演じた役者の発声の明瞭さが印象に残っています。

 

■3月11日(日)/岩淵拓郎渡仏歓送会/CAP HOUSE

 AKJのメンバー、ブッチーこと岩淵君が、かねてから計画していたマルセイユ行きを実行するというので歓送会が催されました。フランス語徹底学習を宣言していましたが、真面目に勉強してるかしてないかは別として、楽しんでいることは間違いないようです。

 

■3月12日(月)/共同研究会「南アジア音楽・芸能研究の再検討」/国立民族学博物館/発表者:松岡環(見たいアジア、見せたいアジア-アジア映画紹介の現状と問題点)、旦匡子(日本におけるアジア映画配給事情-一本のインド映画が日本の映画館で上映されるまで)、星川京児(日本、あるいは世界マーケットにおけるインド音楽の位置)、中川博志(日本のインド音楽受容と今後)

 民博の寺田さんが発案で、南アジアの文化に現場で携わる人たちの現状を報告するという研究会でした。参加者は、全国の南アジア芸能の主だった研究者、10数名。田中多佳子、井上貴子のダブルタカコ、久しぶりの小日向さん、初めてまともにお会いした的場さんなど。

 松岡さんの、マサラ・ムービー・幕の内弁当論と「ムトゥ・踊るマハラジャ」ヒットの背景の話、旦匡子さんの、映画の買い付けから上映までの苦労話、星川さんの、機関銃のように小刻みに連射されるレコーディング裏話など、長時間でしたが全く飽きることなく聞くことができました。ともすれば詳細の迷宮に落ち込むアカデミズムの発表会とは異なり、現場の生々しい実例は実に面白いものです。

 

■3月15日(木)20:00~/HIROS一人ライブ+カレー/麓鳴舘、大阪心斎橋

■3月16日(金)/文化研修会「芸術と社会との関係」/愛知芸文センター12階アートスペースA/主催:愛知県県民生活部

 愛知県の文化行政に関わる担当者150名を相手の講演でした。国際交流基金への派遣職員として95年のAFOアジアツアーに同行した愛知県職員小柳津さんの、「中川さんのあやしげな生き方」への興味が依頼動機。ジーベックで行ってきた「アジアの音楽シリーズ」公演の企画意図や、インド音楽の演奏活動、アクト・コウベの活動紹介を通した文化行政との関わりを、演奏を交えつつ1時間半しゃべりました。

 文化行政の大きな役割は、エンタテインメントの提供ではなく、納税者の想像力の選択肢を広げることだ、などとぶったわけでありますが、参加者がどれだけ真摯に受け止めてくれたかは分かりません。文化行政担当者たちは、生身の文化・芸術に実際に触れることよりも、このような「研修会」や、管理業務に忙し過ぎます。彼らには、もっともっとコンサートや展覧会に足を運んでほしいものです。

 その日は、担当の水野朋子さんや小柳津さんたちと軽い打ち上げの後、愛知芸文センターの藤井明子さん、藤木さんご夫婦宅に泊めてもらいました。彼女はこの10月から産休に入っています。

 次の日、たまたま学会で名古屋にいた義弟の駒井幸雄さん、その娘で南山大学に通う亜矢子ちゃんと、駅地下にある食堂で「ひつまぶし」を食べました。

「ひつまぶし」とは、名古屋方面でのみ通用する「うな重」の特殊用語。短冊状の鰻の蒲焼きがごはんに乗っかったおひつから、茶碗に取り分けて食べます。食べ方には厳格な手順があります。わたしが普通のうな重のように食べ進めていると、隣に座った老夫婦に「ひつまぶしはそんな風に食べるものではありません」としかられました。つぎの順序が正しい食べ方なんだそうです。

 まず茶碗に一杯取りそのまま食べる。つぎに2杯目を取り、こんどはネギやワサビなどの薬味を加えてかき混ぜて食べる。最後に、薬味、うなぎ、ごはんの混然状態にお茶をかけてかき込む。

 こんな風に、見ず知らずの他人に「正しい」摂食手順を解説する人がいるから、名古屋の食事は油断がならないのです。

 昼食後、幸雄さんと新幹線へ。混んでいたのでやむを得ず禁煙車の通路に立っていると、窓際に立っていた、50代半ば、ぱりっとした紺の背広、オールバック風の、目つきにアウトロー的光をたたえたオッサンが、たばこを吸い始めました。吸うなら喫煙車で、と注意すると、明らかにクミカンケイシャ的視線を一瞬われわれに向け「なんやてえ、そんなんどうでもええやん。そんなこというとるから、日本はあかんようになるんや」とわけの分からない論理で反撃してきたのでありました。彼はそのうちどこかへ移動していきましたが、なかなかにスリリングなものでした。彼のような被注意瞬間逆上タイプというのは、どこにでもいて、困ったもんです。

 

■3月22日(木)/マンション購入契約/三井住友銀行

■3月24日(土)/非常勤講師顔合わせ会/神戸山手女子短大

 4月から神戸山手女子短大の非常勤講師ということになりました。この日は、常勤、非常勤含めた講師、教授たちの顔合わせ会でした。全体にあまりアカデミックな雰囲気ではなかったですね。

 

■3月25日(日)/HIROSライブ/村田公一宅、大阪日本橋/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、藤井千尋:タンブーラー、ハールモーニヤム

 ずっと以前、大阪市の湊町再開発プラン作りを一緒に行った音楽学者、村田さんの自宅でのコンサートでした。村田宅は、電気街で有名な日本橋にあります。5階建ての古いビルの最上階2階分が彼の自宅。実は村田さんはそのビル全体のオーナーで、階下をテナントに貸す不動産管理会社の社長でもあったわけであります。うらやましい人がいるものです。

 当日のお客さんは10名ほど。村田さんはこうしたホームコンサートをたまに主催するのだそうです。なかに、「佐藤允彦を聴く会」なるものを組織する大場十一さんもいました。

 村田さんは、われわれの公演の模様をその場でCDに録音しました。そのCDを後でもらいましたが、演奏内容は別として、ダイレクトなので雑音が少なく素晴らしい音質でした。

 公演後はみんなで歩いて心斎橋まで行き、「ライオン」で打ち上げでした。

 

■3月26日(月)/大光寺にて和田文剛氏の頭撮影

■3月31日(土)/生パスタ大会/中川家/参加者:江見洋一、杉山知子、マリ、ソウタ

 やはり、パスタは乾麺よりも生の方が数段おいしい。この日は、江見家全員が我が家にやってきて生パスタを作りました。子供達は製麺工程に興奮し家中粉だらけ。

 というわけで、本来の目的は生パスタを作って食べるというものでしたが、実は、もう一つ大きな目的がありました。それは、江見さんのデザイン事務所から格安で譲り受けたG3ボード搭載パワーマックのOS再インストール。譲り受けた当初、うわぁー、速い、速い、と喜んで使っていたのですが、次第にフリーズ頻度が大きくなり、お助けを頼んだというわけです。江見さんが、パワーマックのカバーをはずし、OSや新しいアプリケーションを再インストールしつつ「車1台軽く買えるだけのフォントも入ってたはずだけど。?えっ、捨てた?はあ?えっ、ことえりも捨ててもた?そおーんなあ。あかんやん、中川さん、いるもん捨ててもたら。だからシロートはあかんねん」とぶつぶついうのを聴きつつわれわれは生パスタやソース製造作業にいそしむのでありました。

 というわけで、我が家のマックは、94年LC630→95年パワーマック6300→パワーマックG3と、どすんどすんとバージョンアップしたのでありました。花柄iMacも数日前にやってきたので、我が家は最新マック2台体制です。

 江見さん、本当にご苦労をおかけしました。

 

■3月末/久代さん、神戸外大英米語学科卒業

 久代さんは、卒論も書き上げ、神戸外大英米語学科をつつがなく卒業しました。卒論のテーマはポール・オースターでした。現在は、ほとんど仕事もしないで、11.5的プータロー生活を楽しんでいます。11.5生活、というのは1日11時間睡眠、缶ビール5本という意味。脳天気度を測る目安として国際的に採用されている基準です。んなことないか。ちなみにわたしは、8.1生活です。

 

■4月4日(水)/石踊紘一展/大阪高島屋

 インドを題材に日本画を描き続ける石踊さんの久しぶりの大阪での個展でした。奥様の明美さんとも久しぶりにお会いしました。われわれもそうですが、二人ともしっかりと加齢を重ねています。ふと、彼らに最初にあったときのことを思い出しました。20年前のバナーラスのわれわれの下宿。オーナーのネギさんもまだ健在でした。

 石踊さんたちがインドで知り合ったという田中智之・志保夫妻と、わたしがライブをする近くの喫茶店「麓鳴舘」でおしゃべり。小説を書いているという30代の智之さんは、いまどき珍しい沈思黙考青年、志保さんは典型的京美人でした。

■4月6日金/焼き肉大会/佐藤千絵さん+HIROS+久代

 佐藤千絵さんは、久代さんのいわば同窓生です。神戸外大に同じ年に入学しましたが、彼女はまだ学生です。学生とはいえ、六甲アイランドにあるアメリカ系企業PGに勤める、ふくよかな明るい女性です。その彼女がとてもひいきにしているという青木駅そばの焼き肉屋に連れていってもらいました。彼女がおごる、ということになり、われわれは久しぶりに牛肉を腹一杯ごちそうになったのでありました。

 

■4月7日(土)/AKJ披露宴+焼きそば花見/CAP HOUSE

 この日の披露宴は、佐久間+ウィヤンタリによるジャワ舞踊のワークショップと花見。CAP HOUSE裏のスロープを覆う桜を眺めつつの花見では、その二人が宴会食も担当。お婆さんがいまでも現役でやっているというお好み焼き屋直伝の佐久間焼きそばがメインでした。

 披露宴進行中に、川崎さんがフランス人ヨメのフランソワーズと二人の制作になるソラをつれてCAP HOUSEに初登場。川崎さんは、どことなく不機嫌そうなフランソワーズの機嫌をとり、ソラのおしめ替えなどいそいそいと立ち働くのでありました。

 

■4月8日(日)/花祭り奉納演奏/仲源寺、京都四条

 毎年恒例の花祭り奉納演奏でした。七聲会の聲明に続いてわたしのソロ。別名目病み地蔵の仲源寺に入れ替わりやってくる参拝者をちらちらと眺めつつの演奏でした。大学の先輩である奥山さんが、「おっ」と現れました。

 七聲会のロンドン公演の時にお会いした赤城三歌さんが一時帰国していて、両親と一緒に現れました。彼女は、ロンドンの大学でカウンセリングの勉強をしているとのことです。

 

■4月10日(火)/蓮実家宴会

「飛鳥が韓国からの帰りに神戸によるので宴会しようかあ」という万葉さんのお誘いで蓮実家で宴会でした。飛鳥は、文字通り鳥のように世界を飛ぶバイオリニスト、作曲家です。万葉さんは彼女の妹で、共同通信社に勤める蓮実良一さんのヨメであり、4歳になる香凛の母親でもあります。香凛ちゃんは、とても人なつこく、ずっと久代さんの膝にのったままでした。飛鳥が韓国に行っている間、蓮実家に預けられていた息子のセイナも加わり、にぎやかな家族宴会でありました。万葉さんの料理は、和風の煮物が多くどれもやさしくおいしい。

 宴会後半から赤沢キリコさん+オミ+カヤも参入し、近所の住吉川で花火。キリコさんは、フランスに長く住んでいた女性で、7月のアクト・コウベのときには通訳として助けていただきました。

 

■4月16日(月)/マンション引き渡し契約/三井住友銀行

 われわれは、これまでで最も高価なものを購入したわけでありますが、それだけに、支払いも当然、ものものしくなります。

 この日、司法書士、不動産仲介業者、売り主、売り主の債権者、買い主であるわれわれが、銀行のコーナーに一堂に会し、種々の紙関係手続きおよびゼニの最終的移動が行われたのでありました。売り主の債権者が同席したのは、支払い不能に陥った売り主からできるだけすみやかに債権を回収するという目的です。

 背広姿の2名の不動産仲介業者は、土壇場の破談を警戒しながら、手慣れた感じで売買主に指示を出す。はい、ここにハンコ、はい、ここにもハンコ、こことここと割り印としてハンコを。袖口のカフスをキラリとひからせた頭の薄い痩せた中年司法書士が、それにうなずく。直接の関係者ではないことをつかず離れずポジションで示しつつ、われわれのやりとりを横目で見守る保証協会、マンション管理組合、神戸市中年女性職員の債権者たち。上空を旋回してライオンの食事の余り物を待つ禿げたかといった感じです。

 スキンヘッドに近い坊主頭に口ひげ、首周りのゆるんだTシャツにサンダル姿のタラーっとした中年男と、そばに座って新しい住宅のレイアウト構想に余念のない中年女であるわれわれ買い主。黙々と不動産業者に従う売り主は、水商売系を思わせる茶髪のアンニュイな中年女性。どうです。なんとなくあやしい集団でしょう。

 銀行の一角で、服装や表情のちくはぐな一団をもし見かけたらそれはおそらく住宅売買関係者たちです。

 

■5月連休/みどりの日/CAP HOUSE

■5月6日(日)/インド映画の奇跡/グル・ダットの全貌/「渇き」/神戸アートビレッジセンター/旦匡子/売れない詩人ヴィジャイの詩を気に入ってくれるのは娼婦のグラーブだけ。自暴自棄になったヴィジャイは、ふとしたことから鉄道事故で死亡したと誤解され、発売された遺稿詩集はベストセラーになるが・・・。

 

■5月9日~6月2日/ピッツバーグ、ニューヨーク、ロサンゼルス旅行

  9日~13日/ピッツバーグ(5日間)/ドクトル新井邸

 14日~20日/ニューヨーク(6日間)

  14日~17日/コスモポリタンホテル

  17日~20日/Steveのアパート

  20日/Howard Johnson Plaza Hotel

 21日~26日/ピッツバーグ(6日間)/ドクトル/新井邸

 27日~6月1日/ロサンゼルス(6日間) /MIYAKO INN

 

■6月3日(日)/アクト・コウベ事務所開設/CAP HOUSE

 アメリカから帰った次の日、CAP HOUSEではAK2001の会議が進行していたのでありました。わたしは、いやあ、ははははは、なかなかにアメリカは楽しかった、などとみんなにいうと「あっ、そう。よかったね」とつれない。それもそのはずです。わたしたちがるんるん滞米のあいだ、AKJメンバーたちは会議を重ねAK2001準備の詳細をつめていたのでした。

 ともあれ、やつれた下田さんから種々の雑務をバトンタッチし、CAP HOUSEに事務所を開設したのでありました。

 2ヶ月間、定休日の火曜日以外毎日通うことになる事務所です。2階のAKJ室に「社長室のような」ゴージャスな事務所が完成したのは、6日ころでありました。背もたれの高い可動式イスが、1.8×0.9メーターのテーブルと長机に囲まれた空間に安置されました。背面に窓があるため、訪問者は後光に輝くわたしと対面することになるのです。足りないのは、書類を管理したり電話の応対をする美人秘書だけです。電話は、カナダ人のリードが様々な家具とともにおいていったものを使いました。ようやく安定してきた我が家のG3、レーザープリンター、外付けハードディスク、MOディスクも揃えました。

 通勤は、電気自動車RAV4。これは、近所のレンタカー会社、神戸エコカーからタダで借りました。航続距離が150kmと市内を走ることしかできませんが、CAP HOUSEまでのツウキンには何の問題もありません。朝10時半に徒歩6分のエコカーへ行き、借りた車で走ること20分で事務所へ、そして勤務が終わると再び神戸エコカーへ戻り、充電して帰宅。駐車場いらず、燃料いらず、騒音知らずの三拍子そろった理想的な通勤手段でした。何もいわずにぽんと貸してくれた神戸エコカーには感謝です。

 今になってみれば、6月中はなにをやっていたのか記憶が薄れてしまいました。なぜ記憶が薄れているのかというと、AK2001の広報、イベント詳細の準備作業、来客など、あまりにたくさんの仕事があったこと、異常な蒸し暑さと膨大な血液を蚊に吸われたこと、慣れないツウキン生活の疲れのせいです。ツウキンというのがこれほど大変なことだとは知りませんでした。たった2ヶ月間の経験でこんなことをいうのは生意気ですが、世の通勤者には本当に心から同情します。最初は、会う人ごとにぶつぶつと文句をいいましたけど、その会う人たちの大半が通勤者だったことを思うと恥ずかしい。

 

■6月5日(火)/サントゥールコンサート2001/京都府立府民ホール アルティ/シヴクマール・シャルマー+ラフル・シャルマー:サントゥール、シャファート・アーマド・カーン:タブラー、小室真理:タンブーラー

 シヴクマール・シャルマーのライブを久しぶりに聴きました。シヴジーの弟子、宮下節雄さんが頑張って日本公演を実現させました。

 演奏内容は悪くはなかったのですが、もう一つ印象が薄い感じでした。インド音楽では必須のポルタメントのできない楽器だけに、リズムの変奏の面白さが彼の演奏の魅力です。その魅力を最大限に引き出したのがタブラーのザキールとの共演でした。シャファートも悪くはありませんが、やはりザキールとは比較できません。

 息子のラフルとのデュオは、親子だけあってよく呼吸が合っていました。わたしがラフルにあったのは、まだ彼がロンドンの学生のとき。もちろんまだ演奏もしていませんでした。とても音楽家になるとは思えない、ひょろっとした青年でしたが、ちゃんと練習していたのでありますね。

 会場には、ほぼすべての関西のインド音楽演奏愛好者たちが来ていました。

 

■7月/アクト・コウベ・プロジェクト2001/CAP HOUSE他

 

 ▲6月29日(金)/AKF第1陣10名来日

 神戸市役所西の江戸町車庫から、東野、中島、稲見、HIROS、下田、森、角、佐久間+ウィヤンタリが市バスで関空へ。佐久間+ウィヤンタリは前日、我が家に宿泊。

 この日やってきたのは、美術系の作家でした。クロード・アバド、イヴェット・ブスケ、アレキサンドル・ディオ、アラン・ディオ、マガリ・ラティ、オリヴィエ・ウーア、マキ、アラン・パパローン、ヤシャ+キャリ・アジンスキー夫妻、クローデット・マルランの11名。キャリ以外は、去年マルセイユで会っているので懐かしい再会でした。出迎えに行ったメンバーたちと、左右2回、互いに頬をつけあうプロヴァンス式のキスとハグの応酬でした。

 ひとまずCAP HOUSEへ行き、杉山さんと進藤さんが用意した歓迎ランチの後、それぞれが使うことになるアトリエに案内。ニースからアムステルダムと乗り継いで関空にきたので、かなりの長時間機内にいたことになりますが、みな元気そうな顔でした。

 彼らが泊まることになっていたのが3ヶ所。クロード、イヴェット、アレキサンドル、アラン・Dが、カナダ人の友人リードの住んでいたマンション(階下にダイエーがあるのでメゾン・ド・マルシェ=MMと命名)。マガリ、オリヴィエ、マキ、ヤシャ+キャリ・アジンスキー、クローデットが、灘区の坂を上りきったところにあるセント・キャサリン・カレッジ。そして、CAP HOUSEでカフェをやっている平田・山崎宅にアランPが宿泊することになりました。

 その晩は、これからの日々を予想させる中川家宴会第1号が、MM宿泊組であるクロード、イヴェット、アレキサンドル、アラン・Dを交えて敢行。

 ここで、来日第一陣の、わたしから見た彼らの人物像をここに紹介しておきます。

 

○クロード・アバド(画家、♂57)

 小児マヒのため両手が使えないので、口の機能をフルに活用している。しゃべる、食べる、筆をくわえて絵を描く、グラスをくわえて飲み物を飲む、細い棒をくわえてキーボードに入力する。どんな状況でも決して不満をいうことがなく、淡々と自分の場所を見つける。日本酒が大好き。英語力1センチ。しかし、わたしが「~へ行こう」とフランス語でいうと、なぜか「イエース」と答える。ジョーク係数3。

○イヴェット・ブスケ(写真、ビデオ、♀55?)

 クロードのパートナー。クロードは彼女の存在抜きには生活も難しい。背は高くなく、全体に丸い。パチリンコとした目と赤毛が特徴的。ハイテク機械の購入に旺盛な意欲を見せる。自宅ではiMac使用。英語力3センチ。比較的マイペース。ジョーク係数4。

○アレキサンドル・ディオ(DJ、♂26)

 短髪、眼鏡のひょろっとした好青年。常に楽天的笑顔だ。ただし、ときどきだだをこねるときもある。英語力5センチだが、強烈なフランス訛。日本にいること自体が歓び。かなりマイペース。ブランドものはおそらく似合わない。ジョーク係数4。

○アラン・ディオ(画家、♂56)

 短髪、大きな頭、つぶらな瞳、顔のほとんどを覆うヒゲが特徴。日本酒大好き。英語力0.1ミリ。議論好き。仏語読解能力0.05ミリのわたしに、まじめな顔してまじめな話をする。強烈な自尊心と独特の芸術思考を秘めている。ヤシャにいわせると「噴火手前の活火山」、「ダコー、ノープロブレーム」がときどき問題ありを匂わせるとか。通風もち。わりと体臭が強い。ジョーク係数2。

○マガリ・ラティ(造形作家、♀36)

 視線に落ち着きあり。ときどき視線を長く固定されるので、こっちがどきまぎすることも。他のメンバーの自分勝手な主張にうんざりしている。決して自ら歓談の輪に加わらず、一定の距離を保っている。自分のやるべきことをしっかりと認識し、黙々と実行する。この9月、AKFの代表に選任された。英語力25センチ。ジョーク係数1。

○オリヴィエ・ウーア(画家、♂32)

 頭頂部の単位あたり毛髪係数はゼロに近い。長身。俳優のタランティーノに似た三日月型の顔。剽軽なようでいて、根はきわめて真面目。家庭を愛する。英語力70センチ。ときおり孤独な表情を見せるが、充足したものを内包している。ジョーク係数2。

○マキ(音楽、写真記録、♂36)

 耳ピアス、濃い赤ら顔、きちんと整髪された黒髪、自分の居所を常に探し求めるように表情が変化する。ホモではないかと噂されたが、本人は自他共に認める女好き。相当マイペース。個人的利害について敏感。他人にもっともっと誉められたい。場を読めないときがある。ジョーク係数1.5、英語力67センチ。オレを認めないフランス人は嫌いだあ。

○アラン・パパローン(画家、CD-ROM制作、♂47)

 大柄でバランスのとれた体なのに大きく見えないのは、恥ずかしがりと愛の欠乏放射、視力問題からくる目の潤みなどからか。いつもは濃いサングラスをかけている。いまだ孤独に慣れきれない楽天的厭世主義者(オプティミスティックペシミスト)。したがって、究極の孤独を観念した人にはない、どこか憎めない人物像を形成している。彼の油絵の人物のリアルな描写と超現実的な背景には、現実に対する深い絶望と甘美な幻想が混然となっている。英語力88センチ、ジョーク係数3。

○ヤシャ・アジンスキー(映像作家、♂57)

 赤ら顔の、ちょっと知的な、愛すべきスケベオジサンという風情なので、二度もアカデミー賞候補にノミネートされた映画監督には見えない。フランスに住むアメリカ人だが、ソ連からアメリカにまで至った両親の物語は複雑。ドキュメンタリー制作現場で鍛えられた観察力で、冷静に場を読みとる。禅大好きなヒッピー。72年の暮れにわたしはアフガニスタンのカブールにいたが、まったく同時期に彼も住んでいた。英語力100センチ、ジョーク係数4。

○キャリ・アジンスキー(俳優、歌手、写真家、映画作家、♀56)

 ヤシャの配偶者で二児の母。かすかな白髪混じりの長い黒髪、細面にときどき老眼鏡。ニューヨーク育ちなのにカリフォルニア風の楽天性を見せるが、国籍はイタリア。滞在フランス人の生活関連お世話係り。スカートをたくし上げて扇風機に当たっている姿が記憶に残る。ヤシャとの会話は、まるで漫才師のように呼吸がよく合っているが、多少出過ぎの感があるためか、ときおりヤシャにたしなめられる。会期中、東北地方の秘境温泉地の研究に余念がなかった。英語力100センチ、ジョーク係数4。

○クローデット・マルラン(画家、♀57?)

 小柄な老眼鏡をかけた陽気な熟年るんるん少女。会話をすると顔が接近する。かなりマイペース。芸術創造的苦悩は伺えないが、実際は不明。英語力7センチ、ジョーク係数2。

 

 ▲6月30日(土)/歓迎宴会/CAP HOUSE/Day Dance Performance 'Lunch'/神戸アートビレッジセンター/マキノ・エミ、井口明子、岩佐麻子:ダンス、石上和也:音

 歓迎宴会は、今やその製法が確実に佐久間君に継承されたHIROSカレーなど。初出組を電気自動車に乗せてCAP HOUSEに通うという日々の幕開けでした。

 宴会の後、ほとんど全員で電車でアートビレッジセンターへいき、AKJメンバーであるマキノ・エミさんの公演を見に行きました。腸内で消化される食物の苦しみを表現しているなあ、などと思いつつ、心地よい眠りに身をゆだねるのでありました。

 

 ▲7月3日(火)/神戸電子専門学校講義/Alain Paparone

 たしかこのあたりで、MMに滞在していたアレキサンドルが「どうも、親父(アランD)と同じ部屋にいるのはヤダ」ということで、彼が平田・山崎宅へ、逆にそこに滞在していたアランPがMMに入居となりました。親子だから同室でいいだろうというという作戦は破綻。ま、わたしでも同じ状況になったらやはり拒否していたかも知れません。

 

 ▲7月4日(水)/モンガゾン女史、CAP HOUSEを訪問

 兵庫県担当者との打ち合わせで神戸を訪れたフランス大使館の文化アタッシェ、エマニュエル・ドゥ・モンガゾン女史が、大阪日仏センターのフレデリック・ダール氏や通訳女性たちとともにCAP HOUSEをあわただしく訪問。各部屋を見て回った女史は「トレビアン」を連発。杉山さん、アランD、HIROSは、来訪者一行と近くの「良友酒家」で昼食。貫禄のついたモンガゾン女史は、わたしが喫煙者の肩身の狭いアメリカ訪問の話をしたら、アメリカ製のマールボロをばかばか吸いながら「だからわたしもアメリカは嫌いだ」と申し述べるのでありました。

 

 ▲7月5日(木)/神戸山手女子短大特別講義

 特別講義というタイトルですが、マキのギター、稲見さんのコンピュータ、そしてわたしのバーンスリーの即興演奏をバックにアランがライブペインティングをするというもの。学生たちの不思議な朗読劇の後、アランは、壁面に張り付けられた縦2m、幅10mの画用紙に、朱の墨汁をたっぷり含ませた大きな筆で横一文字を書くところからスタートしました。

 ぺちゃくちゃとしゃべる約100名の学生たちは、アランの黙々としたペインティングとわれわれの音楽にしだいに引きずり込まれ、静かになったでした。この企画の窓口になった江崎哲教授は「僕の授業のときはあんなにうるさいのに、静かやなあ」と感想を申し述べる。

 AKFからは、ライブの模様を撮影するヤシャとキャリ、客席で見守るオリビエ、クローデットが参加しました。

 赤と黒の墨汁による線と滴りによるライブペインティングの後、舞台上でわたしがアランにインタビュー。通訳は、関西大学を中心とした通訳ボランティアLAI隊(Les Amis Interprets)の上成夏子さんと小門穂さんの二人。恋多きアレキサンドルは、早速、上成夏子さんを攻略ターゲットに決めたようでした。

 学生たちは、普段見慣れないライブペインティングをどう感じたのか、興味のあるところです。

 

 ▲7月7日(土)CAP主催AK歓迎七夕宴会/CAP HOUSE

 ▲7月8日(日)/Acte Kobe Exhibitionスタート、レセプション/CAP HOUSE

 CAP HOUSEの1、2階に展示された作品や写真の公式お披露目の開始日でした。昨年のマルセイユでの活動を紹介したヤシャのビデオ、アランDによるあいさつとメンバーの紹介などを、関係者、支援者、マスコミに行ったあと、懇親宴会へと突入。

 通訳は、エンキ・ビラルの講演でお会いした関西大の菊地歌子先生に来ていただきました。彼女のプロフェッショナルぶりは感動的ですらありました。

 

 ▲7月9日(月)/六甲アイランド高校フランス語授業

 この授業は、アランPと六甲アイランド高校の川勝先生の間で急遽決まったものです。すべての情報を知っておくべきわたしも、この日にフランス語の授業が行われることをアランPから聞いていませんでした。最終的にはつつがなく終わったものの、ちょっとしたスリルがありました。

 アランPが、川勝先生とCAP HOUSEで会う予定の約束時間に現れない。もちろん彼は、約束のことは認識していました。この日アランは、別のアランDの通風検査のため市民病院に同行し通訳をしていました。彼は途中で、約束のことを確認しようとわたしに電話しましたが、事情を知らないわたしは「今日はなんにもない」と返事。そこで彼は「あっ、ないのだ」と勘違いしてしまったのでした。いっぽう、なんの理由で川勝先生がCAP HOUSEにいるのかが不明のわたしは、事情を先に聞いた東野さんにどやされたのでありました。

「アランがきーへんかったら他のメンバーを派遣するとかせんとあかんやん」。この段階でもわたしには事情がつかめない。怒られているうちに事情が飲み込めてきたわたしは、ようやく事態の重大さが分かり、そういうことか、じゃあ、他のフランス人に頼んでみよう、と動き出した途端、当のアランが脳天気に「やあやあ」と現れました。ぎりぎりセーフ。んもー。

 

 ▲7月10日(火)/京都見物

 クロードとイヴェット、アランDが京都見物に行きたい、といったので休日のわたしが案内することになったのですが、これを聞きつけた他のメンバーも同行することになり、大観光旅行団になりました。参加は、ヤシャ、キャリ、マガリ、アランD、アランP、クロード、イヴェット、そして通訳を買って出た関大の金澤良美さん。アランPはしかし通風のために泣く泣く断念。

 まず、車高の高いカーナビ完備のRV車を貸してくれることになった南住職の大光寺を訪問。わたし、マガリ、クロード、イヴェットの金閣寺・竜安寺コース自動車移動組とヤシャ、キャリ、アランP、金澤さんの祇園・清水寺徒歩組に分かれました。

 再び大光寺で合流しお茶をいただいたわれわれは、夕闇の迫る賀茂川端の歩道を散策しつつ、京都観光を終えたのでありました。

 

 ▲7月11日(水)/六甲アイランド高校講義/アランP

 ▲7月14日(土)/イヴニング・アート・パーティー兼CAP主催宴会/発表者:藤浩史

 ▲7月16日(月)/神戸電子専門学校講義/ヤシャ・アジンスキー

 これも、神戸電子専門学校の河村先生の発案で急遽決まったものです。急な決定だったので通訳が手配できず、本来は事務所に張りついているべきわたしがやらざるを得なくなりました。講義そのものは、とても興味深いものでした。ビデオカメラの基本的な構え方、対象の観察と撮影のテクニック、彼のドキュメントに対する考え方、音楽家に迫った彼の作品の紹介など、映像表現を目指すものには有益な講義だったと思います。聞いていた学生たちは、なんとなくポカーンとしていましたが。

 

 ▲7月17日(火)/神戸日仏協会主催歓迎宴会

 神戸日仏協会の、比較的年齢層の高い、それなりに豊かそうなオバサマたちを中心とした歓迎宴会でした。日仏交流という形ではありますが、参加したオバサマたちは、フランス人を相手にフランス語を話す、という目的に特化していたようで、アクト・コウベについての会話はほとんど聞こえませんでした。というか、自分の話をフランス人たちに聴いてほしかった、というのが印象です。わたしは、彼らをルイ・ヴィトン・オバサマ、と命名しました。

 

 ▲7月18日(水)/ブルゴーニュ風牛肉煮込み

 本来ならば7月14日のフランス独立記念日であるパリ祭で敢行することにしていた特別料理会でした。クローデット、アランP、イヴェットが調理に大活躍。広報していなかったイベントのわりにはたくさんの参加者でした。

 

 ▲7月19日(木)20:00~/HIROS一人ライブ+カレー/麓鳴舘、大阪心斎橋

 CAP HOUSEの事務所で、「今日は定例のわたしのカレー+ライブがある。これで出かけるのだ」というと、ヤシャ、キャリ、クロード、イヴェット、アランDが一緒に行きたいと表明。大阪まで彼らを連れていきました。大阪駅まではたまたま原久子さんが同行しました。心斎橋へはJR大阪駅で地下鉄に乗り換えますが、ここでアランPが「どこかで展覧会に行きたい」というので、原さんが彼だけを連れてギャラリーへ。わたしは、残り4人を連れて麓鳴舘まで行きましたが、今度はクロード、イヴェットが「デジカメ買いたい。あれ買いたい、これ買いたい」というので彼らを近所のカメラのナニワに放牧して再びお店に戻り、ヤシャを調理助手としてナスとオクラとトリミンチのカレーを作りました。

 カレーのめどがたったころ、放牧中のクロード、イヴェットの様子を見にナニワへ行ってみましたが、店内はもちろん、商店街のどこを探してもいない。しばらくすると、なんと龍神さんと一緒にどこからともなく現れました。彼女はたまたま心斎橋に買い物に来ていて、放浪していたクロード、イヴェットを見て驚いて連れてきたというわけです。

 フランス人たちはわたしのライブに「よかった、よかった」と誉めてくれました。もちろん、カレーの味や、わたしの招待、という要素も誉め言葉にはたぶんに入っていたことでありましょうが。

 この日のお客は、フランス人の他に、ほぼ常連の池田さん、大場さんが見えました。

 というようなことが進行しているなか、ドラムス奏者マルグリット・リーベンがスイスから到着。

○マルグリット・リーベン(ドラムス、38♀)

 明るい茶のソバージュ風長髪、すらりとした体躯、その起居動作はアルプスのように涼しく素朴で、心なしか1ミリほど焦点がぼける。英語力68センチ、存在としてのジョーク係数4。

 

 ▲7月20日(金)/AKF第2陣10名来日

 AKF第2陣が11時過ぎにCAP HOUSEへ到着。わたしはこの日は空港までは行かずにCAP HOUSEで出迎え。やってきたのは下記の9名。これで、先発組と合わせて20名のフランス人が神戸にやってきたことになります。ミュージシャンがメインなので、CAP HOUSEはいよいよ華やかな雰囲気になるのでありました。

 ここで、前と同様に、来日第二陣の、わたしから見た彼らの人物像を紹介しておきます。

○アマンダ・ギャルドン(コントラバス、♀26)

 AKF来日者の最年少。はにかみ的美少女の面影を残す、わりと大柄で無口のミュージシャン。どういう訳かリハーサルの舞台で泣き出した彼女を、恋人のリオネルがなだめている姿が記憶に残る。英語力3センチ、ジョーク係数0.2。

○ジャン‐ ピエール・ジュリアン(打楽器、♂ 43)

 ちょっと小太り、灰色頭髪やや後退、どんなことでも対応できるもんねといった職人的自信を漂わせつつ、淡々と行動する。中島さん提供の打楽器を見つけて狂喜していた。英語力27センチ、ジョーク係数4。

○ジェヌヴィエーヴ・ソラン(ダンス、振り付け、♀51?)

 反応のよいバネのようなスリムな長身、ひっつめに束ねた銀髪が歩くたびに揺れる。普段は当たり障りのないことしかしゃべらないが、ダンスに関しては妥協を許さない芯の強さを感じさせる。アランDとの関係でAKFを脱会したギタリスト、レイモン・ボニの配偶者。アコーディオン奏者でもある。英語力42センチ、ジョーク係数2。

○シルヴィ・クニコウ(ダンス、♀49)

 小柄だががっしりとした体型と、ロシア出身の父から受け継いだ典型的なスラブ系の重々しい顔立ちが、たくましいロシアの農婦か、港湾労働者を思わせる。ちょっと鼻にかかった重めの声が意外にやさしい、のたうち系ダンサー。英語力23センチ、ジョーク係数2。

○シルヴィ・セネシャ(美術、♀38)

 病的なほど徹底して寡黙、アラブ系を思わすじゃっかん褐色系の肌、憂いを含んだ、ちょっと投げやりな表情。実際、彼女は鬱病の傾向があるのだという。メンバーがさまざまな活動や会話をしているのをよそに、ちょっと離れたところでゆっくりとタバコを吸いつつ、滞日をじっくり楽しんでいるように見える。完全マイペース。英語力0.3センチ、ジョーク係数0.9。

○バール・フィリップス(コントラバス、♂67)

 白く短い髪がわずかに残る頭、褐色と青の中間色の眼球がときに鋭い光を帯びる。ひょろりとした体はじゃっかん猫背気味。たいていおどけてはいるが、要所ではしまる。来日者の最高齢者だが、精神的には若い。舞台でコントラバスをもつ姿には、ペーソスと自信と脱力感とどことない滑稽さが漂う。サンフランシスコ生まれだが、現在はプロバンスに住む。AKF代表。英語力100センチ、ジョーク係数6。

○フランソワーズ・バスティネリ(会計、♀50)

 褐色短髪中背、じゃっかん中年女性のふくよかさはあるにせよ動きに無駄がなく、頭の中で常に数字の計算をしているかのようだ。現に彼女はCDレーベルを運営するAKFの会計担当。不合理なことには容赦しないという雰囲気だが、バカ騒ぎに自ら飛び込む陽気さをあわせもつ。英語力37センチ、ジョーク係数2。

○リオネル・ギャルサン(サキソフォン、♂29)

 ひょろりとして端正な体躯と、きょとんとした目が印象的。ミュージシャンとしては発展途上で、人格的にもまだ荒削りな印象だが、どこかふてぶてしい自信もうかがえる。恋人であるアマンダへの気配りを絶やさない。英語力9センチ、ジョーク係数2。

○リシャール・レアンドル(コントラバス、♂45?)

 痩せ形で長髪、ハンサムな顔といえる。しかし、ヒゲ剃り跡の濃さと自信なさそうなうつむき視線によって、裕福顔からほど遠い印象を人に与える。半袖のシャツは大量の汗でいつも濡れていた。相当マイペースだが、かなりナイーブな性格なのかも知れない。英語力0.1センチ、ジョーク係数7(存在として)。

 夜通し機内にいたわりには、元気そうな面々が加わり、暑気と湿気に満ちたCAP HOUSEは一気に賑やかさを加速させたのでした。

 バールは、前日に東京から送られてきた無料レンタルのコントラバスを早速念入りにチェック。弦を取り外して駒のあたりを調整していると、サウンド・ポストがコロンとはずれてしまった。素人では修理できないので、南京街にあるアルチザンハウスで治してもらいました。

 CAP HOUSEへ戻り、バールを除く第二陣をつれて近所の中華料理店「良友酒家」へいきました。この店は、味が絶品なのと、娘の潘愛莉さんが久代さんの神戸外大の同級生なので、ご贔屓なのです。

 

 ▲7月21日(土)/歓迎レセプション/神戸酒心館/神戸市国際課主催

 姉妹都市であるマルセイユからの来訪者歓迎ということもあり、神戸市に主催してもらいました。AKや通訳隊の学生の他、前野助役、楠国際部長など、神戸市のお歴々も参加しました。

 兵庫県関係者にも参加してほしいのですが、と神戸市国際課にいうと、神戸市主催の催しには県は招待されないのが慣例です、というなんともよく分からない返答。どうも、市と県というのは、お互いにそれほど愛し合っていないように見受けられます。

 

 ▲7月23日(月)/アート林間学校/CAP HOUSE

1.「邦楽鑑賞と体験演奏」/講師:北川真智子

2.映像表現レクチャー・プレゼンテーション/講師:アラン・P

3.「ダンサーのためのワークショップ 」/講師:G・ソラン

 アート林間学校というのは、CAPの主催するワークショップシリーズです。したがって、アクト・コウベ以外にも、CAP全体でさまざまなワークショップが敢行されました。

 すべてのワークショップ終了後、この日に44歳となった我がアクト・コウベの有能事務局長下田展久さんの誕生パーティー。バール、フランソワーズ、東野さんがかつぐ竹竿にぶら下げられた来日者からの大小とりどりのプレゼントをもらい、幸福そうな下田さんなのでありました。

 

 ▲7月24日(火)/アート林間学校/CAP HOUSE

1.「キッズ・ドローイング」/講師:M・ラティ

2.「即興音楽講座」/講師:B・フィリップス

3.「聴取が広げる地平~耳から鱗の音楽体験」/講師:L・ギャルサン

 わたしはバールの講座だけを聴きました。彼の音楽体験や即興音楽 に対する考え方などは、わたし自身も即興をやっているので興味がありました。フランス語通訳はLAI隊の久保田君が担当でしたが、バールがアメリカ人であること、内容が音楽に特化していることから、なかなかバールの解説が伝わらなかったため、途中から下田さんが英語からの通訳。

 

 ▲ステファノ来日/チェロ故障

 第二陣からちょっと遅れて、ステファノ・フォゲールが来日しました。

○ステファノ・フォゲール(チェロ、俳優、♂45)

 均整のとれた体躯全体が表現力と活力にあふれている。イタリア出身のためか、身振りや表情がいかにもラテンを思わせる明るさがあると同時に、沈着な知性も伺える。完全スキンヘッド。今回は、演奏家としてよりも、メインパフォーマンスでの照明や舞台進行などを担当した。英語力63センチ、ジョーク係数8。

 

 ▲7月27日(金)18:30~21:30/メインパフォーマンス/Sonic Hall(神戸電子専門学校ホール)

 七聲会による聲明に、バール、ステファノ、リシャールのバス軍団にジャン-ピエールのパーカッションとわたしが加わったプログラムでスタートしました。ノーギャラなのに、福岡や京都からはるばるやってきていただいた七聲会には大感謝です。この日のプログラムは、小編成のユニットが適度な密度で展開されたのでなかなかにレベルが高かったと思います。ただ、予想されたことではありますが、聴衆の数はわれわれ関係者とほぼ同数くらい。

 それにしても、それぞれが勝手に動くアーティストをまとめていくのは大変です。どうしてオレの出番が10分しかないのだと怒るアレックス、最勝手オレガオレガ唯我独尊マキは、バールが「音を出すなあ」といっても聞く耳をもたない。バール、小島剛、ジュヌヴィエーヴ、マキノのカルテットはなかなかよかった。また、以前から出演意欲を表明していた小鼓の久田さんも光っていました。浴衣姿のキャリの、舞台の転換キューとしてのお掃除オバサン役の登場には笑っちゃいました。

 ソニックホールの入口スペースでは、CAP HOUSEで展示されていたものを含め、美術系作家の展示やパフォーマンスも行われました。鈴木昭男さんのパフォーマンスはやはりいつ見てもすごい。

 

 ▲7月28日(土)17:00~21:00/メインパフォーマンス/Sonic Hall

 電気系の印象がぐっと強くなり、また一つ一つが長くなったためか、前日に比べてちょっとだれた感じでした。ウィヤンタリの意欲的なコミック舞踊はなかなかに面白かった。

 最後のプログラムは、日仏共同制作によるシアターピース。地震前、混沌、地震後という、ラフなテーマにそった3部構成。当初、リハーサルを入念にして完成度の高い一つの「作品」となるはずでしたが、全体にかなりぼやけたものになりました。「半年前から準備した」というドローン音をバールによってあっさりと却下されてしまったマキはふてくされてました。ま、このような「コンサート」の全体構成を作っていくのは大変で、時間の流れを客観化できる経験の豊富なバールがイニシアチブをとる形になりました。

 

 ▲7月29日(日)15:00/シンポジウム「芸術と社会--Fra-Cre-Sol」/CAP HOUSEリビングルーム

 シンポジウムの基調報告者は、バール、マガリ、杉山、そして進行は下田さん。報告者それぞれのアクト・コウベへの関わりが、自身の芸術活動との関係で表明されました。マガリの、「アーティストの活動は基本的に個人的でかつ孤独なものである。しかし、わたしはこのアクト・コウベによってさまざまなアーティストと知り合うことができ刺激も受けた。したがって、自分のアクト・コウベでの制作態度は、共働でしかできない作品を作ろうということだ」というのが印象的でした。また、報告者それぞれも、震災がきっかけで始まったわれわれの活動も、震災後6年を経た現在、新たな段階に入ってきているという認識を共有し、われわれの活動の方向もそのつど定義しなおす必要があると報告。アクト・コウベ運動も、新たな道を見つけだす必要があります。

 その後来日者全員が、今回のプロジェクトに参加した感想を申し述べてシンポジウムを締めくくりました。

 この日の通訳を務めたのは、例によって関大の菊地歌子先生と、同僚の女性のお二人。日仏英語が乱れ飛ぶこの種の会議は、どうしても超優秀な通訳抜きでは成り立ちません。本当に素晴らしい通訳ぶりでした。

 シンポジウムの後は、最後の大宴会でした。

 

 ▲7月30日(月)/AKF送り出し、CAP HOUSE、MMかたづけ

 ヤシャ、キャリ、バール、マルグリット以外のすべてのメンバーがこの日に帰国でした。神戸市提供のバスと、台湾組のお世話に使用した歳森さんのミニバスで一行は関空へ。見送りのAKJメンバーの集まっているタワーサイドホテルから帰国者とともに市バスに乗り込んだのは、稲見、HIROS、川崎。一方、下田、角も同乗した歳森車は、灘のセント・キャサリンズ・カレッジの滞在者をつれて関空へと向かうのでありました。

 関空では、搭乗手続きのときに、リシャール・レアンドルの航空券不携行が発覚。彼の航空券はどういう訳かバールが持っていて、それを航空会社までファックスしてもらい出発できましたが、なんとも不可解かつ深刻かつ傍観者としては喜ばしい出来事でした。

 以下は、わたしがAKJメーリングリストに書いた報告です。

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 市バスで関空に着いた先着AKFの面々は、膨大な荷物を引きずりつつ、KLMのあるDカウンターへ向かうのだった。まず、カウンターへ行く前に預け入れ荷物のX線検査。赤のこぶりのトランクを通過させたイヴェットが、係官に「開けてくれ」と要求された。しぶしぶ従った彼女には事情が飲み込めない。係官は、絵はがき、おもちゃ、食べ物、茶碗などの小物土産の詰まったトランクを掘り進めていく。X線がトランクの中にある花火セットを発見したのだ、と係官が説明する。最初は不信感を隠せなかったイヴェットが、「あー、ウィー、ダコー」と花火セットを引きずり出した。「なんでダメなんだ?」という顔をしつつ、書類にサインし、わだすに花火セットを手渡した。彼女は、搭乗機を爆破する計画だったようだ。

 リシャール・レアンドルの巨大なコントラバスも検査の対象になった。すでに首周りを汗でびっしょり濡らしたリシャールが、わだすが理解できないということを理解できないままフランス語でぶつくさと話しかける。おそらく、「これってちゃんとパックするのは大変なんだ。楽器なんだとちゃんといってるんだからなにも検査しなくともいいのに。ヒロス、なんかいってくれ」とつぶやいていたのであろう。わだすが、ジャン・ピェールの通訳で「コントラバスケースに機関銃を積み込む人もいるのだ」と説明すると、リシャールは「ウィー、ダコー」と観念した。

 こうしてカウンターまでたどり着いたAKFの人たちは、歳森・下田号のセント・キャサリン組到着を待たずにチェックインの手続きを始めた。事態は順調そうに見えたので、わだすはカウンターの外で立って待っている稲見さんのところへ行き、やれやれ、などとおしゃべりをしていた。と、手続きを進めるフランソワーズの周辺がざわつき始めた。川崎選手が、深刻かつ嬉しそうな顔で「リシャールが航空券をもっていないらしい」と報告に来た。「え っ」と思ったわだすは、やはり深刻かつ嬉しそうな顔でフランソワーズのところへ向 かった。

 フランソワーズがリシャールから聞いた話によると、たしかに彼は航空券をもっておらず、バールがもっている、ということだった。なぜそんなことになったのか、理由は分からない、とリシャールは腕を広げて説明する。ちっとも深刻そうな表情ではない。脳内断線的視線浮遊状態のフランソワーズは、「What to do?」とわだすに問いかけた。バールと連絡を取ってみよう、ということになり、川崎選手が携帯電話をかけたが、バッテリー切れで通話断念。稲見さんの携帯を借りて、タワーサイドホテ ルの人にバールの所在を尋ねた。部屋にはいない。朝食を取っているかも知れない、食堂はどうか。散歩に行っていたら最悪だ。緊迫した状況が続く。そうしたやりとりを見つめるリシャールの表情は無邪気なのであった。目を合わせると、ウィンクまでする。

 航空会社の女性職員に最悪のシナリオと対策を尋ねた。「チケットがないと搭乗できませんので、チケットがこちらに届くまで滞在することになります」「でも、この人達は団体だし、このフライトは始めから決まっているのでありますから、そんなこといわんと、なんとかでけへんのんでっかあ」「ダメなのです」「じゃあ、もし、ここに航空券をファクスしてもらったらどうなりますか」「それでしたらなんとかなります。仮の航空券を発行するという形になり、それには95ユーロほどの手数料がかかります」。ようやく視線の定まってきたフランソワーズはそれを聞いて「ウィー、ダ コー」とうなずく。すでに手続きを済ませたAKFの面々は、ンモー、という表情で周辺をうろうろする。

 バールとようやく電話がつながった。「という事情が発生してるけど、リシャールの航空券、本当にもってるの?」「はっ、はっ、はははははははは。そうなんだ、どういうわけか」「じゃあ、今からいう番号に急いでファクスで送ってくれる?」「そうする」。後で聞くと、バールもその状態に気がつき、久代さんやKLM事務所やAK事務所にいる森チャンにあせって電話をしまくっていたらしい。ちょうどKLM事務所への電話中に、わだすからの依頼でホテルの人が彼を捜し出したということだった。

 ともあれ、こうして、巨大楽器とトランクを抱えたゼニのないフランス人バス奏者が空港に放置される事態はなんとか避けられたのでありました。それにしても、リシャールの無邪気的脳天気さは、すごいとしかいいようがない。パスポートを提出し、必要書類にサインしなければならないときにも、彼はカウンターになど張りつかず、だれかとしゃべっていて、わだすは「おい、リシャール」と叫ばざるを得ないのでありました。

 そうこうしているうちに、後発組が合流し、彼らは無事、フランスへ帰っていきました。アラン・パパローンからメールが届いたので、われわれと同じようにやれやれ感に浸っていることでありましょう。ぎりぎりのところで、スリルを味会わせてくれ たAKFとリシャールに感謝しよう。

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 そんなこんなの顛末の後、ホテルに戻ると、バールがぽつねんとロビーに座っていました。リシャール顛末を報告すると笑ってはいましたが、やはり、彼がなぜリシャールの航空券を保持していたのか分からん、とのこと。ともあれ、東京へ向かうバールを新神戸で送り出し、事務所の片づけに戻りました。

 この日にセント・キャサリンズ・カレッジを退去することになったヤシャとキャリが、期間中「秘湯研究」に余念のなかった東北旅行へ向かうまでの間、我が家に居候となりました。彼らは、1日にLAI通訳隊長の金澤さんの実家のある富山方面へ旅立っていきました。

 

■8月2日(木)/AK付録ライブ/ZINK、深江/出演者/マルグリット・リーベン:Perc.、稲見淳:Gt、石上和也:Mac、北川真智子:箏、斉藤端子・栗棟一惠子・マキノエミ・若本佳子:ダンス

 鳥取大学の獣医学科にいる甥の仁史君が、なにやら進路に悩んで小生のアドバイスを乞うためか、いきなり訪ねてきたので、ライブに連れていきました。このライブは、AK居残り組になったスイス人マルグリットのために角さんが手配したものです。

 会場は、倉庫街の一角のビルの3階。何かの倉庫だったものをライブハウスに改造したものらしく、広いスペースはラフに間仕切りがなされ、奥の舞台の前には玉突き台が並んでいます。

 大きながらんとした会場には客がほんのわずか。かなりあやしげな雰囲気のなか、ほとんど顔見知りの出演者たちは、深刻表情をたたえつつひっそりとライブを敢行したのでありました。

 

■8月4日(土)/ビッグアップル・ライブ/ビッグアップル、神戸山本通/出演/マルグリット・リーベン:パーカッション、石上和也+小島剛+稲見淳:マック、HIROS:バーンスリー

 このライブも、マルグリットのために角さんによって企画されたもの。AKの関係者を中心として20名ほどの観客でした。このライブは、中心点が割と明確で面白かったと思います。マルグリットとは初めてデュオで共演しましたが、その敏感な反応を見直しました。

 

■8月9日(木)20:00~/HIROS一人ライブ+カレー/麓鳴舘、大阪心斎橋

 好例のめんこいライブ。お客さんはほぼ常連の大場さん、村田さん、池田さんの3人のみと、けっこうとほほ状態でした。

 

■8月13日(月)~15日(水)/ヤシャ&キャリ・アジンスキー滞在/14日カレー宴会

 12日、山形にいる彼らから「こっちは雨でなにもできない。予定よりも早いけどヒロスんちへ今から行っていいか」と電話。彼らは、フランス人たちが帰国した後、富山、弘前、岩手、山形と北陸、東北地方の「かくれた温泉」巡りをるんるんと敢行していたのです。

 例年の十津川盆踊り行きをキャンセルし、彼らと毎日よくおしゃべりをしました。カリフォルニア育ちの彼らのお気に入りの寿司も食べに行きました。

 ある日、かねがね気になっていたことをヤシャがポツリといいました。「フランス人のジュヌヴィエーヴのダンスは凛として軽やかに見えるのに、日本人のダンサーたちはどうしてあんなにつらい表情で踊るのか。あまりに深刻そうでいたたまれないときがある」。

 ダンサーは、ラジオ体操以上に肉体を使うので笑いながら踊ることはとても難しいとはいえ、彼の指摘のように、たいてい苦悩の表情を浮かべています。ヤシャが指摘するまでは、わたしはそんなことを考えないで見てきました。

 どうして日本人のダンサーは苦悩の表情で踊るのか。ヤシャといろいろ話し合った結果、次のようなことが考えられるのではないかという結論に達したのでありました。

�実際に苦しいから(肉体編)

 普段まったく運動などしたことのないわたしから見ると、ダンサーは過酷な運動を強いられます。少々の時間であれば息切れなどしないように訓練しているとはいえ、非日常的動きの連続なので、筋肉や骨が悲鳴をあげていることが考えられます。この場合はとても笑ってなどいられない。肉体のこうした苦しみは当然、表情にも出てくるでしょう。重量挙げやマラソンの選手の表情などを例に挙げるまでもありません。

�実際に苦しいから(精神編)

 AKJのダンサー、角正之氏はこういっています。「音と動きの全ての要素が風に揺らぐ葦のように大気と触れ合い、止むことのない協調(コーディネーション)を続けていく。あたかもそれは、皮膚自身の思考のように環境へアフォーダンス(Affordance)する。そして、環境は知覚の『持続・変化』のありのままをリンクする重力のインターフェース(境面)のようなものである」「私達の身体はその皮膚の拡がりに包まれて即時、宇宙の情報を索引、用意している見えない器であると考えよう」

 わたしのような、ダンスを見ながら食事の情報を索引、用意しているような、単にぼやーっと見ているだけのような観客にひきかえ、ダンサーたちがこんなややこしいことを常に考えながら動いているとしたら、その精神的苦悩は想像すらできません。食事情報の索引ではふと笑みもこぼれますが、彼らないし彼女らにとってはそれどころではない、存在の葛藤ともいうべきおそるべく精神的苦悩があるわけです。それが表情に出ないはずがありません。

�芸術とは苦悩である

 エンタテインメントは人を喜ばすものなので、エンタテイナーはたいてい喜ばしい表情をしています。しかし芸術というのは、一種のエンタテインメントとはいえ、人生にとってなにかしら重大な意味も含まれるため、いつも喜んでばかりはいられない、ということもあるかも知れません。いわゆるクラシックのソリストたちの演奏中の表情は、たいてい苦悩です。まるで、芸術それ自身に苦悩が内在しているかのようです。笑みを浮かべると軽薄な感じは免れず、大した芸術家ではないと人は思ってしまうかも知れません。したがって、自身のやっていることを芸術であると意識すればするほど、苦悩の表情はより強まることも考えられます。一般に芸術とはみなされない盆踊りや、いわゆる民俗舞踊の踊り手たちの歓喜の表情と対比して考えてみても、やはり、芸術とは苦悩である、というテーゼには真実に近いものがあるように思えます。

�一瞬ごとに自己嫌悪におちいるから

 とくにこれは、わたし自身がそうなので最も想像しやすい。本当はこう動きたいと意識しているのに、こう動けばより美しいと思っているのに、実際の動きがその意識とあまりに違っている場合。たいていの表現者は、理想的な、あるべき美しい表現を想像しそれに向かって一歩を踏み出すわけですが、踏み出した途端、イメージする理想の美的表現からのずれに直面し、なんて自分は表現者として未熟なんだ、と自身をなじることになります。ダンサーの場合は、自己の肉体の動きにほれぼれとするような美しさを感じると同時に、こうした未完成者としての自己を叱咤しなければならないという自己矛盾に陥るためにどうしても苦悩表情になってしまう、ということも考えられます。

�人を笑わすよりも簡単だから

 喜劇は悲劇よりも数倍難しい、とはよくいわれることです。一般に、苦痛や苦悩の記憶のほうが、喜ばしい記憶よりも持続するものです。さまざまな苦悩の記憶を詰め込んだ聴衆にとっては、表現の深刻さにより共感を得るということはありうることです。表現者の苦悩の表情は、歓喜の表情よりも、聴衆の共感を得やすいともいえます。舞台での歓喜の表情は、どことなく嘘っぽいということもありますよね。

 では、なぜフランス人のジュヌヴィエーヴのダンスはそうではないのか。ヤシャによれば、彼女はリラックスしているから、だそうです。逆に言えば、日本人ダンサーはリラックスしていないと。ふうむ、なかなかに難しい問題であります。

 14日は、AKのメンバーたちを呼んでカレー宴会でした。集まったのは、稲見さん、中島さん、東野さん、白井さん、あきゑさん、内田さん、藤田佳代さん(内田さんのお友達の美人)。ヤシャ+キャリそしてわれわれを入れて総勢11名の宴会でありました。中島さんはチキンがダメと判明。

 

■8月15日(水)/アジンスキー送り出し→高岡(富山)移動

 アジンスキー夫妻を関空へ送り出したわたしは、佐久間+ウィヤンタリの待つ池田駅へ向かうのでありました。彼らは、前日の十津川・武蔵部落の盆踊りを終えて、ほとんど寝ずに池田へ向かっているはずでした。2時頃、佐久間君と合流し、自宅で寝ているウィヤンタリをピックアップし、われわれは一路、高岡へと車を走らせました。

 なぜ高岡か。最終目的地である佐渡への中継地点なのです。

 実は、和太鼓グループ「鼓童」の「アースセレブレーション」関連イベントに参加するため佐渡へ渡ることになっていました。小木町商工会館での「インドの染色展」会場で「インドの生活とリズム」というタイトルでお話とバーンスリーの実演を頼まれたのです。この仕事は18日午前中でしたが、どうせ佐渡へ行くならアースセレブレーションのメインコンサートを聞き逃すわけには行きません。アースセレブレーションの始まる前日の16日には佐渡に到着していたい。そこで、15日に関西を出発し、東京から砂里さんの実家のある高岡に引っ越してきた歳森夫妻宅を中継地点として利用させてもらう魂胆。車でなら鼓童支給のわたしの交通費にじゃっかんプラスすれば格安で佐渡へ行けるということで誘った佐久間君たちは、アースセレブレーションのフリンジに出演させてもらうことになりました。

 8:30p.mに歳森宅に到着したわれわれは、砂里さん実家のしゃぶしゃぶ屋のはぎれ肉とごぼうの煮付け、刺身などで歓待を受けました。深夜3時ころまで飲んで、アクト・コウベや歳森さんの芸術的苦悩などについてしゃべりました。佐久間君たちは、上階にある歳森氏のお母さんの部屋で就寝。お母さんは、「息子の近くで暮らしたい」と岡山から引っ越してきたのだそうです。歳森さんと砂里さん夫婦は、AKJのメンバーです。

 

■8月16日/高岡から佐渡へ

 朝食のパンケーキなどを食べつつ昼前に歳森宅を出発。直江津港での乗船まで時間があったので、「上海分店」中華料理屋で、ねぎ1本分、というのに惹かれて焼き豚ねぎラーメンを摂食。店内は、雑多な装飾品で満ちていてなかなかに好ましく、味もなかなかでした。

 われわれは、偶然久しぶりに待合所で出会った篠原千加子さん、彼女がマネジメントしている小柄豊胸ヴォーカリストの河井英里さん、佐久間君たちと同行することになっていた盆踊りフリークの池田宏子さんらと佐渡へ渡りました。

 小木港に到着すると、この4月に大阪芸大音楽学博士となり鼓童に就職した秋元淳さん、宿泊所として本堂を提供していただくことになっていた宿根木の時宗称光寺林道夫住職が迎えにいらしてました。度の強い眼鏡をかけた林道夫住職は、ちょっと小太りの、なんとなく投げやり感のただよう40代前半の、とても僧職には見えないお坊さん。さっそく彼は、翌日われわれにパフォーマンスをしてほしいという洞窟へ案内してくれました。ここでは、いろんな人がパフォーマンスをやったということです。あたりはすっかり暗くなっていたので、観音菩薩の古い磨崖仏の鎮座する洞窟はかなり不気味な感じでした。

 思いのほか大きな称光寺本堂に荷を置いたわれわれは、鼓童のスタッフが泊まっているという「いちりき食堂」で住職にごちそうになりました。佐渡の魚の刺身や牡蠣など。

 なだらかな斜面に展開する稲田の先に夜の海が見えました。佐久間くんは、バリ島のウブドみたいだ、と感想を申し述べる。法具類ばかりでなくいろんなものか雑然と収容された広い本堂に戻ると、一緒に泊めて下さい、という池田宏子さんがきていました。

 

■8月17日(金)/観音講 洞窟パフォーマンス/アースセレブレーション/小木町、佐渡

 この日は、月に一回、近所の人たちによる観音講が行われます。9時過ぎにいってみると、20人ほどの老人たちが参道の坂に集まり、小さな祠の前で住職の話を聞いていました。参道を登り切ったところにある洞窟にもすでに何人か人々がきていました。「人が集まりだす10時ころから適当にやって下さい」と林住職にいわれていたので、まずわたしが洞窟の中で笛を吹きはじめ、それにあわせてきちんとコスチュームをつけた佐久間、ウィヤンタリ、池田宏子がゆるゆるとダンスを始めました。

 1時間弱のパフォーマンスを終えると、ウィヤンタリの好物であるスイカや、御神酒が振る舞われ、われわれは地元の人々と談笑。

 いったん寺に戻り、小木温泉かもめ荘で一風呂。お寺には風呂がないので、われわれはほとんど毎日この温泉に通いました。

 午後、わたしは城山公園メインステージのリハーサルを見に行きました。ここで、久しぶりにザキールやスルターン・カーンら、タール・アンサンブルの演奏家たちと会いました。

 ザキールは相変わらずサービス精神旺盛です。テント楽屋にいったわたしを見てすぐに「ヤーヤー、久しぶりだね。チャイ?コーヒー?」といってくれる。わたしの一つ年下のはずだが、白いものの混じる髪の毛の量がすごい。弟子の吉見征樹選手がザキールのいろいろお世話に東京から来ていました。彼は、なかなかにかいがいしい弟子です。

 背の高い若い女の子もいるなと思っていたらなんと彼の娘。それに奥さんのアントニアもいた。87年に京都を案内したときに、「アイスクリーム」とずっと叫んでいたあの女の子は今やUCLAの学生です。

 数年ぶりに会ったスルターン・カーンは、私を確認して抱きついてきました。顔が土色をしていて、ちょっと元気がなさそうでした。

 素焼きの壺の打楽器、ガタムの演奏家、小柄なヴナーヤクラムは白い腰巻き(ドーティー)姿がとてもかわいい。この人はちっとも年をとらないようです。その息子の、タンバリンのようなカンジーラの演奏家、セルヴァガネーシュは、筋骨たくましいいかにも南インドの青年といった感じ。

 リハーサルは、ザキール率いるタール・アンサンブルと鼓童とのセッション。本番が楽しみな緊迫しつつもなごやかなものでした。

 佐久間君とウィヤンタリは、木崎神社境内に設けられたフリンジ用特設ステージで踊りました。200人ほどの観客も楽しんでいました。フリンジ出演者たちのレベルもそれぞれ高い。アイヌのOKIの唄は初めてここで聴きました。トンコリという細長い撥弦楽器は、フィリピンのジョーイ・アヤラが弾いていた楽器に形も音もよく似ていますね。

 城山公園特設ステージでの初日は、鼓童でした。驚いたのは、ざっと見渡して2000人くらいの聴衆の1/4くらいが外国人であること。鼓童の演奏は迫力満点でしたし、彼らのステージ進行はいつ見てもよどみがなく舞台経験の多さを物語っています。モンゴルのオルティンドーに似た藤本容子さんの声は、不思議な雰囲気がありました。

 明石の歩道橋圧死事件の教訓からか、観客の誘導はゆっくりと慎重でしたがだれも不平をいわず、黙々と急な坂道を降りていくのでありました。

 

■8月18日(土)10:00~12:00/講演「インドの生活とリズム」/アースセレブレーション関連/佐渡、小木町商工会館2階(インド染色展会場)

 岩立広子さんのコレクションであるインドの布が展示された会場が、わたしの話とデモンストレーションの場所でした。朝が早いので集客を心配しましたが、30人ほど集まり、ちょうどよい規模でした。この催しの担当者は、鼓童の藤本容子さんと、元気な81歳のお婆さん、竹内絹さん。「わたしはスピーカーの大きな音はまるでだめ」という竹内さんの、きびきびした指図でマイクセット。元鼓童で篠笛の狩野泰一さんも見えていました。

 インド音楽のリズムとインド人の世界観という話題で、ターラの手拍子やバーンスリーの演奏などを交えて2時間しゃべりました。

 わたしの出番が終わったので、あとはコンサートまで何もすることがありません。われわれ3人は、かもめ荘で温泉に浸かったあと、ホテル・ニュー喜八屋にいるスルターン・カーンを訪ねました。

 わたしが、顔色が悪いんじゃないかというと、「去年はとても大変だった。妻が突然脳出血で倒れた。自分しか看病するものがいないので、つきっきりだったし、オレ自身も、高血圧、糖尿など時限爆弾をかかえいる。音楽的には充実していたけど。マドンナとも一緒に仕事したよ。知ってるだろう、マドンナって」。「リハーサルでは、あなたのソロの部分でタンブーラーがなかったけど、どうして」「まあね、これはザキールのバンドだから、仕方ないよ。タンブーラー奏者の代わりに娘や嫁がきているんだ」と、あきらめ顔でいうのでありました。

 夜のコンサートまでの時間がかなりあったので、いったんわれわれはお寺に戻り、宿根木の浜で泳いだり、海岸沿いのドライブを楽しみました。佐渡の海岸は本当に美しい。

 この夜のコンサートは、タール・アンサンブルの単独公演。

 始まる直前に楽屋へ行くと、吉見さんがザキールや他のメンバーに栄養ドリンクを飲ませていました。ザキールは「昨日、ホテルに来てただろう。声が聞こえてた。おれんとこにもよってくれたらよかったのに」という。彼はトニーと散歩に行っていると聞いていたのでよらなかったのです。話ができてたのに残念でした。一時、ザキールにインタビューする、という話もあったので質問票だけは作っていたのですが。

 聴衆の数は、ザキールが「人がくるかなあ。なにせ鼓童のファンが多いから、われわれのにも来てくれるかどうか」と心配したように前日よりも少なかった。

 演奏に関しては、わたしはかなり不満でした。タブラーによる擬音の紹介、「インドの誇る希代のサーランギー・マエストロ、スルターン・カーン」と紹介しながら、スルターンのソロはほとんどなく、むしろタブラーの伴奏者のようにしか見えなかったこと、もうオバサンに近い配偶者のアントニアの、どう見ても「西洋人による」カタックダンスを舞台に上げたこと、これ見よがしのスピード偏重などなど。この舞台からは、ザキールがいまだに聴衆の想像力を信頼していないことが見て取れたような気がします。もちろん、彼の技術や音楽性が素晴らしいことは疑いないのではありますが。ヴナーヤクラムのガタム、息子セルヴァガネーシュのカンジーラは、リズム変奏の迫力と特有のグルーヴ感があっただけに、残念でありました。まあ、わたしのように聞いている人は多くはないし、後で何人かの人に「ザキールはすんげえ」という感想を聞くと、公演に感動していた人たちも多かったはずではありますが。

 客席前方で歓声を上げていたグループのなかに、寺原太郎君たちもいたらしいというのを後になって知りました。また、会場では何人かの知り合いにも会いました。京都のギル・スティーヴンの奥さんのかずえさんの姿も。

 前日のように、急な坂道を下ると、木崎神社特設舞台では「ECシアター、ゆきあひ~ウトゥワスカラップ」の準備が進行中でしたので、見ていくことにしました。全体に非常に幻想的な舞台でした。残念だったのは、アフリカン・パーカッションの山北紀彦さんの歌がよくなかったこと。北大の後輩にあたる彼には、パーカッションだけに徹してもらいたいものです。

 

■8月19日(日)/アースセレブレーション最終日

 寺の寄り合いがあるというので早めに布団を片づけて、午前中は海岸沿いにドライブ。沢崎灯台、枕状溶岩、やたらと西洋人のキャンパーが目につく素浜海水浴場などをぐるっとまわりました。さらに、小さな小木町を散歩したり、民族雑貨・食堂のかたまるフリーマーケットをひやかしたり、温泉にいったりしてコンサートまでの時間を過ごしました。

 最後のコンサートは、鼓童とタール・アンサンブルのセッションで盛り上がりました。会場はびっしりの満員でした。3000人近くいたと思います。

 一番印象に残っているのは、鼓童メンバー最古参の藤本吉利さんの大太鼓ソロ。うなだれたように下にむく頭、引き締まった背中の上下の動き、渾身の力を込め全身をバネにして打ち込まれるバチ、優しさと激しさが波のようにうち寄せる大太鼓の音が、美しい悲壮感を漂わせ感動的でした。

 満足感に浸りつつ下界に降りると、地元の小木おけさ踊りが始まりました。地元の人々に混じって、ぺたぺたコットン系ファッションの、一見それと分かる島外からの来訪者たちもたくさん踊りに参加していました。佐久間+ウィヤンタリもすぐさまその輪に加わりました。

 

■8月20日(月)/佐渡~神戸

 熱狂のアースセレブレーションが終わり、われわれも、他の人たちのようにフェリーで佐渡に別れを告げました。

 なかなかにジーンときたのは、鼓童の人たちがフェリー横の岸壁に大漁旗や楽器を持ち込み、乗船客を見送る光景でした。これでは鼓童ファンと佐渡リピーターが増えるのも無理がありません。心憎い演出でした。それにしても、アースセレブレーションがここまで来るには、苦労もあったでしょう。鼓童の人たちのエネルギーを改めて感じた佐渡旅行でありました。

 

■8月25日(土)/音楽教師対象セミナー「雅楽」+アジアの音楽シリーズ第20回コンサート「雅楽の今昔」/ジーベックホール/天理大学雅楽部:雅楽+舞楽、まほら=出口煌玲:龍笛、狛笛、由利龍示:篳篥、志村哲男:笙、コムンゴ、高野正明:パーカッション、南澤靖浩:シタール/企画:天楽企画

 音楽教師向けセミナーは今回で3回目。今年のジーベックの「世界の民族楽器紹介シリーズ」は、来年度の学習指導要領を踏まえ、邦楽に焦点を当てました。とりあげるのは、尺八、能のお囃子、箏、筑前琵琶で、その第1回が今回の雅楽。

 雅楽はあまり一般的ではないので、まともに劇場で見聞きすることは希です。そこで、大学の愛好会活動の域をはるかに超えた天理大学雅楽部と、雅楽を基本に独自の演奏活動を行っている「まほら」に登場してもらい、雅楽の今昔を披露するというプログラムにしました。

 セミナーは、大阪芸大の志村哲男さんに解説してもらいました。楽器や楽曲の構成、由来など、実に分かりやすい解説でした。雅楽と一口にいっても、さまざまな形態があり、出し物によっても使われる楽器が異なることなど、興味が尽きません。代表的な「越殿樂」の口唱歌の楽譜は、インド音楽の現在の記譜法とよく似ています。参加者は、口唱歌を一緒に唱えたので、かなり理解が深まったと思います。公演だけの約束だった天理大の学生たちに、セミナーでも演奏してもらいました。佐藤浩司教授には、われわれのわがままを受け入れていただき、大変お世話になりました。

 公演は、2部構成。第1部が、古典雅楽、第2部が「まほら」による新雅楽。

 舞台をできるだけ雅楽舞台に近い形に作りました。当初は少人数の予定でしたが、佐藤先生の計らいで天理大学の総勢20数名の学生たちによるフル編成。演奏レベルはとても高かった。

 第2部は、龍笛、狛笛、篳篥、笙、コムンゴ、パーカッション、シタールという面白い編成。PAのバランスをとるのが難しい。音量は小さいけど、志村さんのコムンゴが効果的でした。この志村さんに加え、リーダーの出口煌玲さんと由利龍示さんは、ずっと以前にジーベックでインド音楽と一緒にやっていただいことがあります。

 関係ありませんが、志村さんに、チラシ用に撮影した打楽器は、雅楽器ではないといわれてしまいました。実は、デザイナーの和田さんと一緒に生田神社に行って楽器を撮影させてもらい、なかなかに格好のよいチラシになったと喜んでいたのでした。無知とは恐ろしいものであります。

 

■8月28日、29日、30日/神戸山手女子短大集中講義

 神戸山手女子短大での初めての講義。学生は10名ほど。茶髪の学生に「センセー、何するん?わたし、どこ、座るん?」(神戸弁のアクセントで)といきなり聞かれたときはショックでした。講義をしていて、女子短大の存在意義とか、学生にとってのこの講義の意義などについて考えさせられました。

 

■9月2日(日)/吟醸日本酒を作る会最終宴会/大明石会館

「吟醸日本酒を作る会」というのは、三宮にあった「苫屋近安」という飲み屋に集まる酒好きたちが、理想の酒を醸造元に依頼して作る目的の会。店主だった楠さんが中心でしたが、健康を害して店をたたんでしまい、会だけが存続していたのです。毎年醸造元である福井の久保田酒造から「相聞」という、実にうまい酒が届いていました。しかし、この会も今回で終了ということになり、集まりも最後となりました。ただ、「相聞」ブランドは引き続き存続するということなので、まだ飲めそうです。

 

■9月8日(土)/庭火祭/八雲村、島根/賈鵬芳:二胡、ジョウ・ルー:楊琴、佐藤通弘キャンセルのため村富満世:津軽三味線、HIROS:バーンスリー

 好例の庭火祭。今回はわたしが全体を企画しました。中国音楽、津軽三味線、わたしのバーンスリーという趣向です。特に津軽三味線は、実行委員会の強い要望で企画に加えられました。前回の木下伸市さんの印象が強かったのです。しかし、シンチャンの都合が悪く、代わって佐藤通弘さんにお願いしていました。ところが、本番の1週間前、その佐藤さんから「手が動かない。医者には演奏するなと止められた」との電話。急遽、彼の弟子仲間の村富満世さんにお願いすることになりました。

 前日の7日、岡山で落ち合った村富さんと松江へいきました。コロンとした弾丸のような村富さんは、30代前半の女性です。車中ではいろいろ話を聞きました。お父さんは、映画配給元につとめていて、当初、彼女が三味線をやると言い出したときは大反対だったそうです。インドが大好きで、聞けば、エアインディアの末永さんとも知り合いだということ。

 聞けば、三味線弾きになるのはなかなかに大変です。弘前の山田師匠の店にいるときは、毎日10時間以上も練習に明け暮れたそうです。楽器も高い。彼女の使っているのは200万円ほどするし、たびたび破れる皮の張り替えに5万円、他に張り替える絹糸や、象牙製のバチなどなど、50円のバーンスリーとは比較にならないほど高価なのです。

 例年のように、宿泊場所である山頂のスターパークに着くと、二胡の賈鵬芳さん、楊琴の周さんもちょっと遅れて到着。わたしはてっきり男性だと思っていた周さんは、まだ若い、ちょっとぷくっとした、目鼻立ちのくっきりした快活女性でした。最近、料理人の夫と共に来日したとのこと。日本語がまだちょっと不自然です。

 スターパークでは、実行委員会の馴染みの人たちが歓迎宴会の準備をしていました。康雄さん、喜代栄さん、三千恵ちゃん、真奈美ちゃんの瀬古家をはじめ、委員長の土谷昭治さん、蕎麦屋をやるといいつつ水道配管業が忙しくなってきた三好修一さん、米田裕幸さん、天狗の会の藤原さん、安達さん、岩崎さん、赤浦さん、坂本さん、かつての瀬古さんの学生の小倉さん、ガムラン指導にたまたま来ているハリヤントなどなど。焼き肉、サーモンの刺身などをたらふく食べました。

 わたしは、賈さんと同じ部屋でその日は就寝。窓からは、松江の街の灯りが下の方でうっすらと輝いているのでありました。

 次の日、たっぷりのシジミ汁、目玉焼き、サラダの朝食を食べたわれわれは、石倉さんの車で下界の熊野大社へ。社務所の一室で、最後のセッションの部分をリハーサルしました。二胡、楊琴、津軽三味線とバーンスリーでなにができるか。われわれはあれこれ話し合いながら、構成を決めました。

 サウンド・チェックを済ませたころ、折からの台風の影響からか、ポツリポツリと雨が降ってきました。しかし、本番ではわずかにぱらついたものの公演には支障はありませんでした。聴衆はほぼ満員の1000人くらい。東京から、亀岡さんと賈さんの弟子の女性も見えていました。

 八雲楽と巫女舞のあと、わたしの「庭火の笛」。今年はちょっと長めにやりました。いつものことながら、熊野大社本殿や大木が篝火に映える会場の雰囲気は特別のものがあります。演奏する方も、なにかしら、神聖さに背中を押されるような緊張と心地よさが感じられるのです。

 佐藤さんの代役ということで、本人はかなり緊張していたようですが、村富さんの演奏もなかなかでした。足を広げ楽器を抱えて演奏する彼女を見た実行委員会のある人は、津軽三味線の天童よしみ、と評していました。

 賈さんと周さんの演奏も、とてもよかった。彼らの演奏を聞きながら、中国音楽は、二胡はずるい、と思うのでありました。美しいメロディーによる適度の長さの曲、ときおり挿入する「花」や「蘇州夜曲」などの馴染みの曲など、聴衆をうっとりさせてしまう。賈さんも、庭火祭の雰囲気はとてもいいね、と喜んでいました。

 打ち上げは、田圃の真ん中にある近所の公民館でした。周りは真っ暗でした。田舎に来るとこうした暗闇に懐かしさを感じます。

 一通り飲み食いした出演者はタクシーで山上のスターパークへ。賈さんと遅くまでおしゃべりでした。

 次の日の10日は、快晴。賈さんと周さんを送り出した後、村富さんと一緒に、瀬古さん自慢のガムランセットの置いてある民家へ行きました。瀬古一家、有理さん、ハリヤントが同行。谷間を見下ろす古い民家は、瀬古さんがガムランの練習場用に購入したということです。わたしは、そこでカリンガの楽器を作り、みんなで一緒に練習しました。山岳民族になったような気分でした。

 しばらくガムラン練習場で遊び、畑からとってきた茗荷などをお土産にいただいたわれわれは、松江市内の「神代そば」で昼食。名物のわりごそばはいつも素晴らしい。

 こうして、「庭火祭」八雲村訪問は、例年のごとくつつがなく終了したのでありました。

 

■9月11日(火)/国際貿易センター崩壊とアメリカの軍事行動

 住所変更も兼ねたこの通信を8月中には書かかなきゃと思っていたのに、例によってずるずると時間がたち、気がつけば世界貿易センターが2本ともまるで映画のシーンのように崩れ落ちる映像を何度も見る羽目になってしまいました。

 われわれは、5月14日~17日のあいだ、あのタワーから目と鼻の先にある95 West Broadwayのコスモポリタンホテルに宿泊し、毎日タワーを見上げていたのです。お上りさんとして一度登っておくべきでした。エンパイア・ステートビルには、係員に急かされつつてっぺんまでいったのですが。もう無くなってしまったなんてとても信じられません。

 あの映像は本当に強烈でした。あんなに簡単にプスリと飛行機が突き刺さり、まるで計画的爆破のようにあんなに簡単にてっぺんから崩れ落ちるとは。これを計画した人間にとっても想像を超えていたのではないかと思います。不敬かもしれませんが、あの映像は美しいともいえます。

 一瞬のうちに犠牲になった数千人の犠牲者には本当に気の毒です。ハイジャックした航空機をワシントンの議事堂に突っ込ませるという『合衆国崩壊』を書いたトム・クランシーも、まさか本当にやってしまうとは、とたまげたに違いありません。小説では突っ込んだのは日本人でしたけど。それにしても、その効果は恐るべきでした。誰の企画かは不明ですが、とんでもないことを考え実行したものです。わたしには、あの光景はアクト・コウベのキーワードの一つであるフラジリテ(壊れやすさ)の象徴として映りました。盤石に見えるタワーも、世界最強を誇ってきたアメリカというシステムも実はとても壊れやすいのだということをまざまざと見せつけられたように思います。

 ところで、アメリカ政府やマスコミのその後の対応が、世界中になんとも不気味な雰囲気を漂わせています。星条旗バカ売れ、ほとんどの人が報復賛成、戦争だ戦争だと叫ぶブッシュ大統領の人気上昇、決定的証拠などお構いなしに首謀者を特定し(多分、証拠はあるんでしょうが)、その首謀者をかくまう国も敵だと各国を恫喝し、情緒的な高揚に支えられた矢継ぎ早の戦闘準備など、激怒するガキ大将ブッシュにおとなしく従いこそすれ「冷静になれ」と的確にアドバイスする勇敢な人も国もいない。

 実行者に決死の覚悟をさせたほどの憎しみとは何だったのか。アメリカ人であればだれでも殺せというのも相当に狂っているけど、悪魔の仕業に報復するわれわれに神は祝福する、というのも同じようにまともとはいえない。

 それにしても、攻撃対象とされるアフガニスタンも哀れだし、どっちに向いてもほめて貰えないムシャラフ大統領も気の毒ですね。大国の怒りやメンツの犠牲といってもいい。

 5月に会ったニューヨークの人たちのほとんどは無事でした。ブルックリンのネッド・ローゼンバーグは「ワシントンのカウボーイたちが何をしでかすか心配だ」とメールを送ってきました。

 と、ここまで書いて中断している内に、アフガン北部同盟がカブールに入ったとか、タリバン崩壊後の政権をどうするだの、自衛艦をインド洋に派遣だのと事態はますます怪しくなってきています。さらに、ニューヨークの飛行機事故も発生し、世界はいったいどうなっていくのでありましょうか。

 

■9月16日(日)/居留地映画館/屋上de Cafeライブ

 居留地映画館というのは、CAPが神戸市から委託された事業です。CAPは、もともと神戸市の旧居留地全域を美術館にしてしまおうというというコンセプトで発足したもので、そういう意味では、街中を映画館にするという今回のプロジェクトはぴったりの企画でした。この企画のためにCAPは、CAP HOUSEを中心に相当の準備をしてきました。内容は以下。

 Big Smile 2001→市立博物館の北側とさくらケーシーエス東側の壁面に2001人の巨大な笑顔写真を映す。歩道をふと見上げると、つぎつぎに巨大な顔が現れるのは愉快でした。

 テアトル56→三井住友銀行前に特設スクリーンを設営し、新旧の映像作品を上映する。3D眼鏡着用映画や、活弁つきサイレント・ムービーなど。

 スリット・ショー→作家たちが光や映像を使ったインスタレーション作品を、ビルの隙間に仕掛ける。

 錦影絵→江戸時代のカラーアニメ、と銘打った米朝一門による絵解き話。日本真珠会館で。

 光と影のお話→それぞれの会場で、椎名誠、中島らも、木下直之、大森一樹らによるトークセッション。

 他に、巨大縦長アニメのBUILD、子供たち制作アニメのMADE by KIDS、内外アニメーション作品を見せるビデオカフェキャビン、日光写真などを参加者が試みるワークショップ、そして、わたしも関わったokujo de cafe。

 okujo de cafeというのは、参加者の足休めのために、神港ビル屋上に臨時にもうけられたカフェ。CAP HOUSEでカフェを運営している神戸大院生の平田さんと漫画家の山崎さんが担当でした。初日の15日は、あいにく雨で中止となりましたが、16日は予定通り開店できました。

 わたしの役割は、ほの暗くなってきたころから、どこからともなく怪しげなインドの笛を吹く、というもの。5階建ての古い神港ビル屋上は、まるでこのカフェのためにあるようなレトロで開放的な場所ですが、なにせ吹きさらしなのでわたしのバーンスリーの音は風にもっていかれます。そこで、急遽、マイクとスピーカーを用意してもらいました。準備が整うまでの間、各テーブルをまわって出前演奏などもやりました。ギター伴奏の歌手がテーブルをまわって歌うのはありますが、バーンスリーというのは世界でも初めてでしょうね。

 居留地映画館にはたくさんの人たちが関わっていますが、なかでも中心となった杉山知子、下田展久、藤本由起夫各氏をはじめ、CAP HOUSEにうごめく若い作家たちには本当にご苦労様といいたい。

■9月18日(火)/中川真宿泊

 この4月から大阪市立大学大学院の教授になり、NHK教育テレビなどにもたびたび顔を見せるようになったシンチャマが、甲南大学の集中講義に便利だからと我が家に宿泊でした。彼の利便性ももちろんありましたが、わたしにとって大変喜ばしかったのは、わたしの短大講義ネタを提供してもらったことです。

 この4月から、わたしは一応、神戸山手女子短大非常勤講師なのでありますが、どういう訳か、サウンド・アート、アート・マネジメントなどという、ほとんど専門とは関係のないことを教えなければならないことになりました。真さんにいわせると「門外漢の僕がインド音楽を教えるようなもの」を教えるわけで、考えてみるととんでもないことなのです。もちろん、断ればよいわけでありますが、学校側が「問題ない。あなたの好きなようにやってほしい」という申し出と、定期収入のことを考えて受け入れてしまったのでした。講義のたびに勉強したり準備をする苦しみを味わっている今となって、ちょっと後悔しています。ま、新しいことを勉強せざるを得ないので、わたしにとってはプラスですが、そういう人間から教わる学生たちにはちょっと気の毒です。

 ともあれ、これを読んで参考にせよ、とシンチャマが貸してくれたのは、彼の分厚い博士論文でした。サウンドスケープとサウンドアートが広範囲に扱われていて読み応えのある論文でした。

 こうした支援もあり、現在はかなりよたよたですが、なんとか講義を続けています。でも、毎回なにしようかと試行錯誤の連続です。

 

■9月19日(水)/Madhu-Pryaダンスパフォーマンス/道厨房、神戸鈴蘭台

 Madhu-Pryaというのは、ミュンヘン在住の日本人女性インド舞踊家の名前です。直接お会いする前からメールのやりとりでオトモダチになっていました。その彼女から、神戸で舞踊を披露する、と連絡が入ったので、鈴蘭台の小さな無国籍料理屋「道厨房」へ見に行きました。ここの若いマスターは、以前、アミット・ロイからシタールを習っていた本山尚義さん。

 Madhu-Pryaは、本名を海老沢千春さんといい、若くて美しく聡明で控えめな女性でした。彼女を紹介する新聞記事には、東大大学院博士課程を途中で休みウィーンへ行き、リヨンの大学でフランス近代美術史の修士論文を書き、現在ミュンヘン大学でサンスクリットを研究している、と紹介されています。ウィーン時代に、インド古典舞踊のバラタナーティヤムに出会い舞踊家を目指したのだそうです。インド舞踊家にとって東大卒というのはなんのキャリアにもなりませんけど、プロフィールを読む人にはけっこうインパクトを与えます。

 彼女の踊りはまだまだ発展途上という印象をもちましたが、話していると舞踊にかける熱意が伝わってきて将来が楽しみです。その彼女は、現在、マドラスで修行中で、来年の4月には東京に戻り、インド哲学と舞踊をさらに勉強するということです。

 

■9月20日(木)20:00~/HIROS一人ライブ+カレー/麓鳴舘、大阪心斎橋

 前日にお会いしたMadhu-Pryaさんが我が家に泊まっていただくことになり、彼女の荷物を置いた後、一緒に心斎橋に行きました。彼女にも手伝ってもらってカレーを作り、お客さんを待ちましたが、結局、中年の女性が一人だけでした。まあ、でも、若く美しい女性といろいろおしゃべりができ幸せな一日ではありましたが、もうちょっと観客がいればねえ。

 

■9月24日(月)/アクト・コウベ会議/報告書内容検討/CAP HOUSE

 7月のプロジェクトの報告書作成のための準備会議でした。今年中にできればと願望していますけど、どうなることやら。

 

■9月29日(土)/「ガムランによって何が可能なのか」コンサート/碧水ホール、滋賀水口町/マルガ・サリ:ガムラン、アグス・スセノ: ガムラン+声、野村誠:作曲、佐久間新+ウィヤンタリ:ジャワ舞踊

 中川真さんのガムラン・グループ、マルガ・サリの公演が碧水ホールでありました。

 この公演は、真さんが公演地を探しているときに、わたしが碧水ホールではどうかとアドバイスしたことがきっかけで実現しました。とはいえ、わたしもあまり真さんに偉そうにはいえない。館長の中村道男さんを知ったのが、わたしが水口町と関わりをもつきっかけなのですが、10年以上前に中村さんが、ナカガワ間違いでわたしに電話してきたことがスタートなのです。当時、中村さんはもともと中川真さんに連絡を取ろうとしていたのです。しかし、どういう訳かわたしが間違われて連絡を受けてしまったのでした。以来、水口では数多くの公演を企画させてもらいました。

 なかなか面白いコンサートでした。ジャワの伝統音楽を扱った1部、2部の演奏では、マルガ・サリというグループが着実に実力をつけていることを感じさせました。ジャワから先生のアグス・スセノさんを呼んで、猛烈に練習した成果といえます。これは作曲の野村さんもいっていたことですが、前よりはずっとうまくなっています。ウィヤンタリの堅実な舞踊は見ていてとても安心感があり、佐久間さんのトペン(仮面)は、プログラムに記載されていたように、クールで洗練されていました。

 第3部の楽舞劇『桃太郎』より~第一幕第一場「桃太郎の誕生」は、今年から京都へ移住してきた野村誠さんの作曲・構成に、メンバーたちのセリフのある芝居やモダンな振り付けのダンスが加わり、意欲的なプログラムでした。ちょっと腰の引けた真さんのお爺さん役を見ておもわずわたしは笑ってしまいましたが。今後この『桃太郎』は、場面が加わり、最終的には完結した楽舞劇にしたい、ということです。完成が待たれます。

 ところで、碧水ホールの中村館長は、なんとガムランのフルセットの購入を企画し、町の予算をとってしまったということです。

 

■9月30日(日)/「居留地映画館」打ち上げ/CAP HOUSE

 CAP HOUSEでもっともゴージャスな、というか高価な宴会でした。なんと一人当たり5000円もするフランス料理。フォアグラやトリュフなど、生まれて初めて食べた、というビンボーアーティストが多かったのではないか。

■10月1日(月)/神戸山手女子短大後期講義開始

 後期の2月まで、毎月曜日、講義のため学校へ通っています。

 

■10月8日(月)/仙波清彦氏と心斎橋で飲む

「今、佐世保にいますが、これから大阪へいきまあす。大阪で飲みましょう」という仙波さんとマネージャーの吉尾さんのお誘いで大阪へ行き、飲みました。彼は、次の日に奈良で、今や人気者の津軽三味線の木下伸市さんの参加するコンサートに出演する事になっていたのです。まず、わたしがいつも定例ライブをやっている心斎橋の「麓鳴舘」で助走をつけ、近くの沖縄料理店で泡盛ボトル1本を消費しつつ終電まで飲みました。仙波さんとは、11月のエイジアン・ファンタジー・オーケストラ2001で再び会うことになります。吉尾さんとい女性はけっこうラディカルですね。

 

■10月11日(木)/大谷大学近代化100周年記念イベント/大谷大学サンクンガーデン特設ステージ/出演:りんけんバンド/天楽企画:企画・コーディネイト・制作/りんけんバンド、賈鵬芳と天華アンサンブル、モンゴル国立民族歌舞団

 この企画は、今年の1月から進めてきたものでした。数年前に、やはり天楽企画でりんけんさんたちに大谷大学でやってもらったことがあります。そのときのライブが大学関係者に強い印象を与え、今回のライブの実現となりました。担当は、学生課のスポーツ青年風職員高藤さん、まだ女子大生のような伊東みさきさん。学生にもボランティアを組織してもらいお手伝いをお願いしました。

 7月のアクト・コウベがあったので公演準備がなかなか大変でした。しかし、当初の予想通り、素晴らしいライブになりました。わたしの担当は当初、りんけんバンドだけでしたが、予算などの関係で講堂内プログラムの音響照明・舞台監督業務も滝本二郎さんと担当することになり、思いがけず賈さんたちの舞台もみることになりました。

 前日、沖縄から飛んできたバンドを関空で出迎え京都へ。りんけんさんや知子さんにお会いするのは久しぶりでした。わたしの知っているバンドのメンバーは、桑江良美さん以外は入れ替わっていましたが、南の国の楽天性は変わりません。京都までの道中は、車内マイクを使った冗談大会の様相でした。標準語の沖縄なまりは、イントネーションが面白い。りんけんさんは、デジカメ狂いでした。彼の顔は、ちょっと見ると割りとアウトローっぽいところがあります。

 その日は、授業の合間を縫ってリハーサルだけを行いました。宿泊は、駅前の新阪急ホテル。

 本番の日は、肌寒くはありましたが雨も少なく一安心でした。最悪暴風雨の場合は体育館で、という想定もしていたのです。ライブは予定通り午後1時半からスタートしました。なぜ1時半かというと、授業を終えた学生たちが講堂で行われる式典までに帰ってしまうのを防ぐ、という理由です。

 大谷大学のキャンパスはわりとこぢんまりとしていますが、特設ステージ正面の階段や通路周辺に700人くらいは集まったと思います。わたしは舞台袖にいたので、ライブそのものをじっくりと聞くことはできませんでした。舞台の様子を見ていて、ふと初めてこのバンドを知るようになった89年のことを思い出していました。最初に聞いたときは、本当に感動したのです。ああ、もう10年以上もたってしまったのであります。というのに、メインボーカルの知子さんはちっとも変わらず、神々しい女神ぶり。

 りんけんバンドが終わると直ちに講堂で記念式典、賈鵬芳さんたちやモンゴル音楽のコンサートが始まるので、スタッフは二手に分かれて準備。講堂のお手伝いに、ジーベックの森さんにも来てもらいました。

 賈鵬芳さんのグループは、古箏の姜小青、楊琴の張薇薇、パーカッションの馬平、チェロの四家卯大、ピアノの西本梨江という構成。四家さんと西本さん以外はみなおなじみの演奏家たちです。小青も相変わらずほっそりと美しい。9月に八雲村で共演したり、AFOでも一緒の賈さんは、ジョークマインドたっぷりで、いつお会いしても楽しい。

 モンゴル国立民族歌舞団は、ハスバートル(ホーミー他)、シャルフーヒン(オルティンドー)、アマルバヤル(馬頭琴)、ボルド(アルトホーチル)、オユンエルデネ(琴)、エンフバット(横笛)という構成。やはり、シャルフーヒンのオルティンドーが出色でした。歌手オユンナのプロダクション、イースト・ウィングの社長である鼻ヒゲ久野昭治さんが、歌舞団を引き連れてきました。

 打ち上げは、下鴨の住宅街にあるイタリアレストランSa・Ka・Mi。学内の関係者と出演者だけの参加かなと思っていたら、なんと学長まで参加する「公式」に近いパーティーでした。わたしと担当の高藤さんは、他の参加者がいまかいまかと待つりんけんバンド一行の遅れにやきもきなのでありました。

 

■10月12日(金)/エリカ京都案内

 大津商業高校へ向かうりんけんバンドと一緒に行動しようと思っていましたが、前夜にエリカが京都見物したいという連絡が入り、断念しました。一行に別れを告げて間もなく、そのエリカとホテルで合流しました。

 パリの住民であるエリカは、アクト・コウベ・フランスのメンバーだった映画監督、故ロバート・クレーマーの奥さんです。山形国際ドキュメンタリー映画祭で、生前に映画祭の審査員だったロバートを回顧するプログラムのために招待されました。同じように招待されたバールによれば、「とても自立した女性なので、気を使わなくてよい」とのことでしたが、せっかくわたしが京都にいたので案内することにしました。

 この日は、御所が公開だったので、まず御所へ。すごい人でした。ほとんどが年輩の人々で、ほぼ例外なくカメラを持っていました。建物は大きく敷地も広大でさすがにゴージャスな雰囲気でした。ただ、ときどき平安時代の衣服をつけた人形が屋敷に安置されているのは興ざめです。

 御所を出てふと道路向かいにあるアルティーを見ると、「鼓童」と書いたトラックがありました。公演があるのかな、だれか知り合いがいるかな、と楽屋を訪ねてみると、金子竜太郎さんと馬頭琴とホーミーの嵯峨さんがいました。彼らとは、夏のアースセレブレーションの時に会っています。なんという偶然。一緒についてきたエリカも彼らに会って喜んでいました。その日は、彼らとEPOとのセッションコンサートでした。

 アルティーを出て、近くのイノシシを祀る神社に参拝し、七聲会代表の南忠信さんの大光寺で抹茶をいただき、八坂神社から知恩院を見てまわり、神戸に一緒に帰りました。50代後半の、どこかヒッピーを想わすエリカは、道中ずっとしゃべっりっぱなし。

 

■10月14日(土)/ブーシャン宅パーティー/魚崎

 タブラー奏者のクル・ブーシャン・バールガヴァ一家が、いつの間にか広いマンションを購入して引っ越していました。奥さんの千尋さんのお母さんが買ってくれたとのこと。持つべきものはこうしたお母さんであります。いいなあ。

 というわけで、新宅お披露目のパーティーがありました。わたしは、久代さん、エリカと、谷崎潤一郎が一時住んだ倚松庵のすぐ山側にあるマンションを訪ねました。阪神魚崎駅を降りたところで、名古屋の山本弘之さんとばったり。彼も招待されていたのです。

 我が家よりもずっと広いマンションに着くと、なんと今度はスイスにいるはずのピーター、ヒロコさんも、彼らの友人のスイス人ベアートと一緒にいるではないか。そうこうしているうちに、名古屋からアミット・ロイ、裕美さん、娘のサラ、弟子の志水君、寺原太郎君と百合子さんも合流し、大宴会の様相を呈してきたのでありました。会えなかったけど、シタールの井上憲司君もきたということで、なんだか、インド音楽の同窓会みたいな感じでした。

 ホストのブーシャンは、前日から準備したというカレー3品と、カシミーリープラウ、サラダを用意していました。どれもみなおいしかった。

 エリカが温泉に行きたいというので、ピーター、ベアートとわたしで有馬温泉へ。有馬グランドホテルで温泉に浸かりました。入浴料は一人4000円もしましたが、ベアートのおごりでした。彼はベルン駅構内に繁盛しているピザ屋をもっている金持ちだということ。ありがたいことです。みんな並んでマッサージチェアーに座りご機嫌でした。

 再びブーシャン宅に戻り、さらに宴会は続くのでした。

 ピーターたちは、インド移住計画を変更してしばらくスイスにいるようです。ある若いソフトウェアー会社の社長と知り合い、ピーターはその社長の贅沢な自宅の工事に雇われ、ヒロコさんはその会社で日本語用ソフトの翻訳をして稼いでいるということです。

 

■10月15日(月)/AKJ宴会

 山形国際ドキュメンタリー映画祭のロバート・クレーマー追悼プログラムのために招待されたバール・フィリップスが、彼を追っかけてドキュメンタリーを撮っているという映画青年アリエル君と我が家にやってきたので、AKJのメンバーも集って宴会を行いました。集まったのは、下田、森、角、中西すみ子、あきゑ、稲見、進藤、白井、龍神。日本人はわれわれを入れて12名、外国人がエリカを含めて3名、合計15名の宴会。おそらくこのあたりが我が家の接客収容限界人数です。料理は、6種ナムルなど。NHK今日の料理で紹介されたきゅうりのナムルはとても簡単でおいしいのでレシピを紹介します。

 キュウリ5、6本の皮をむき、縦に二分した後、斜め切りにする。これをごま油で軽く炒める。すり下ろしニンニク、醤油、トウガラシを加える。なんとなく炒まったら、ひたひたに水を投入し、しばらく煮る。これだけです。本当においしいですよ。

 その日は、次の日に関空から帰国するエリカ、広島へ向かうバールとアリエルの3人の外国人が我が家に宿泊でした。

 

■10月18日(木)20:00~/HIROS一人ライブ+カレー/麓鳴舘、大阪心斎橋

■10月21日(日)/アクト・コウベ会議/CAP HOUSE

 今後のアクト・コウベ活動をどうするか、7月の反省もあわせて芋煮食べつつ長時間討論を決行しましたが、ま、なんとなく続けようということに。

 

■11月/エイジアン・ファンタジー・オーケストラ(AFO)2001日本公演ツアー/宮崎、大阪、名古屋、東京/出演者/仙波清彦:per, 鼓、金子飛鳥:Vn, Vo、梅津和時:Sax、久米大作:Key、今藤郁子:唄、三味線、竹井誠:尺八、笛、望月圭:太鼓、山田貴之:太鼓、賈鵬芳:二胡、姜小青:古箏、HIROS:バーンスリー、アニーシュ・プラダーン:タブラー、三好功郎:Gt、坂井紅介:Bass、中原信雄:Bass、新井田耕造:Ds、高橋香織:Vn、大久保祐子:Vn、志賀恵子:Va、笠原あやの:Vc、グレース・ノノ:Vo

 これまでは2回の海外公演以外、このプロジェクトは東京だけで行われてきました。今年は初めての日本ツアーでした。じゃっかんのミュージシャン入れ替えもありました。昨年は27人でしたが、今年は6人減って21人になり、海外からはアニーシュとグレースだけでした。

 

 ▲10月25日~30日 リハーサル/東京

 外国人2名とわたしの宿泊先は、歌舞伎町のアヤシイ桃色地帯が目前の新宿プリンスホテル。日本で最もゴチャゴチャした歓楽街から、大久保のオンエアー・スタジオまで毎日徒歩で通いました。

 今回は、仙波さんが中心となって歌舞伎音楽が取り上げられました。これがなかなかに面白く、今後の方向性の一つを示しているように思います。今藤さんの艶やかな長唄、三味線、仙波さんの小鼓、望月さんの大鼓、太鼓、竹井さんの能管、篠笛といった歌舞伎音楽隊に、飛鳥さんや久米さんが絶妙なハーモニーをアレンジし、それに中国隊の賈さんと小青がからんだり、われわれインド隊が加わったり、ヘビーメタルバージョンになったり、大正歌謡風になったりと、AFOでしかできないプログラムでした。

 長時間待機状態はあるものの、午後から夜8時くらいまではずっとスタジオにこもりきりだし、ガイジン二人の生活関係保護者のような存在なので、ほとんど遊ぶヒマもありません。

 そんななかで、一人が焼死した29日の雑居ビル火災、去年のAFOに参加していたヴィオラ奏者スズコこと高橋淑子さんとの飲み会、オフの31日のホテル滞在組高尾山ハイキング、1日の友人の映像作家カマチャンこと鎌仲ひとみさんとのデートなど、仕事とは関係のない出来事もありましたが。

 火事のあったビルは、ホテルの斜め向かいです。早朝のサイレンに起こされて外を見ると煙がくすぶり、消防車やマスコミが集まっていました。歌舞伎町の雑居ビルの混沌ぶりは凄まじく、この手の火事はまた起きるでしょうね。

 秋田出身スズコとは、ホテル近くの地下の小さな居酒屋で飲みました。彼女は、ある音を聞いたとき、その音と同時にそれより半音ほどずれた音が少し遅れて聞こえるという奇病にかかった、などといってました。音がにじんで聞こえる、らしい。今は問題ないそうですが。ミュージシャンにとってはけっこう恐ろしい病ではあります。原因は何だったのかなあ。

 高尾山。喧噪の新宿から電車で1時間でこんなに豊かな自然に接することができるのは、ある意味で驚きです。グレース、アニーシュも喜んでいました。彼らは、ほぼ毎年日本に来ているものの、東京の雑踏以外ほとんど見ていないので彼らには新鮮だったに違いありません。頂上にある寺社の紅葉は美しかった。驚いたのは、どこにもゴミ箱がないこと。新宿に戻ると、グレースは、その値段とバリエーションに完全に魅了されたユニクロへ、アニーシュは、いち早く発見した10分45円のインターネットカフェへ直行でした。

 1日のカマチャンとのデートは、まずグレースを連れて隋園の中華料理の後、ユニクロ想念の詰まった彼女と別れて中野BOXへいき、映画。タイトルは忘れましたが、いい映画でした。スイス人口琴奏者アントン氏が、スイスからシベリアのサハ共和国、日本へと旅をしていく様子を、まったくのセリフなしで淡々と追いかけていくドキュメンタリーです。ときおり挿入される口琴の音が効果的で、90分間ほとんど退屈しません。この映画の上映をプロデュースしたのが、以前AFでも一緒になったことのある巻上こういち氏でした。当日は氏自身も含め、映画の主役である長身のアントン氏、映画にも登場していた口琴協会の唯川氏が会場に来ていました。

 中野から新宿に戻り、ホテルでアニーシュと歓談した後、二人でビールでもいこか、ということになりカマチャンとキリンシティーへ行ったら、なんとベナレスの学生時代に同じ下宿だった福永君に会いました。これだから世の中は油断がならない。

 

 ▲11月2日(金)/宮崎市民文化センター/宮崎市

 この日は、移動と本番です。小雨のなか、7:30amに迎えにきた小林絵美さんとタクシーで羽田へ。早朝なのでみな半覚醒状態でした。イスに座るグレースは口を開けて寝ていました。

 小雨の降る宮崎空港から宮崎市民文化センターに入り、直ちにサウンドチェックとリハーサルでした。会場は2000人収容程度でかなり大きい。

 今回のプログラムは、前半が長唄などの邦楽を中心としたセッション、後半がグレースの新しい曲やAFO定番曲でした。最初のセッションは東京でのリハーサルで集中してやったので、みんなかなりリラックスして演奏できたように思います。600人ほどの聴衆で、満員、という感じではなかったですが、打ち上げに参加した地元の関谷さん夫妻や道本さんは、メンバーがとても楽しそうに演奏していて、それが観客にも伝わりとても感動したといってました。関谷さんというのは、サンチャンの宮崎大学ジャズ研の先輩で現在は市役所に勤めています。また、元銀行員の道本さんは、ギターの先生。

 打ち上げは「鉄人」。キムチの入ったエイジアン鍋、地鶏、カレイのフライ一匹まんまなど、たらふく食べて、焼酎を飲んだのでありました。宮崎名物の地鶏はこりこりとして最高です。惜しむらくは、タクシーの運転手がいっていた冷や汁を体験できなかったのが残念。

 商店街に近いホテル・メリージュに戻り、夫婦別々となった香織さんの部屋で、ストリングス隊のマミーこと大久保祐子さん、仙台出身の志賀恵子さん、名古屋チェロ笠原あやのさん、そして仙波さんと3時過ぎまで、おしゃべり。眠たかったのと、会話のあまりのめまぐるしいトピックの変化がオバサンぽいので、それについて申し述べると、女性陣はかなり気にしたようでありました。それにしても、仙波さんの忍耐力には敬服するばかりであります。

 次の日は、完全な寝不足のまま、雨の中を散歩しました。通りには人の姿があまりなく、淋しい宮崎の中心街なのでした。

 前日夜行バスで福岡に出発した望月圭さん、沖縄に向かった梅津さん、福岡へ向かう賈さん以外はいったん東京へ戻りましたが、わたしは一人で伊丹に飛び、久しぶりに帰宅してベッドへ直行でありました。

 

 ▲11月5日(月)/大阪国際交流センター/大阪、上本町

 小雨。宮崎と同じようにサウンド・チェックとリハーサルは順調。前日に大阪公演のことを電話した徳山謙二朗さんが楽屋に見え、「ほう、ベニさん、飛鳥もいるんか。で、打ち上げは決まっとるんか。特別ないって?よっしゃ。ほなら面倒みたるさかい」と、あっという間に打ち上げスポンサーを表明するのでした。ちょっと淋しい数の観客を前に1部を終えると、再び徳山さんが楽屋に現れ、「あのな、この近くの焼鳥屋、予約したから。ミュージシャンは21人やったな。場所は今案内するから、中川君、ちょ、ちょっと一緒にきーへんか」とおっしゃるので、休憩の合間に件の焼鳥屋を見に行き、あわてて楽屋に戻りました。途中のロビーでは、7人もお客さんを連れてきてくれた池田さんとそのオトモダチと会いました。AKJの東野さん、白井廣美、尺八奏者の石川さんも来ていたはずですが、見えませんでした。

 2部が終わり楽器や荷物を抱えたメンバーが、小雨のなか件の焼鳥屋に行くと、予約確定してないのでと入店を断られ、みんなえっ、となりました。しかし、幸い隣の焼き肉屋に落ち着くことができました。後で、プロデューサーの本村鐐之輔氏やスタッフと一緒に、公演後に目を真っ赤にしていた国際交流基金の島田さんも合流し、焼き肉をたらふくごちそうになりました。徳山さん、ありがとうございました。

 この日の宿は、チサンホテル心斎橋。ベッドに潜ってさあ寝よう、と思っていると、仙波さんから電話。「あのさあ、今、15人くらいで、近くの贔屓屋っつうとこにきてるんだけど、こないい?」。行くと、ダイチャンを中心に盛り上がっているのでした。わたしは途中で帰りましたが、彼らの一部はさらにラーメン屋にも行ったらしい。

 

 ▲11月6日(火)/名古屋市民会館中ホール

 新幹線で名古屋へ。駅からタクシーで比較的古い名古屋市民会館へ直行し、ただちにリハーサルでした。楽屋でサンチャンがアニーシュに将棋を教える間もなく本番。この日は、二胡の賈さんがいないので、楽器構成がじゃっかん変わりました。舞台から客席を見ると、前方の席にすこし固まりのある聴衆がいるのみでした。多分、多くて300といったところか。名古屋公演は難しいというのが定評だそうですが、それにしてもちょっと悲しい。わがAFOメンバーには名古屋出身者もいるのになあ。

 なんとなく気分的に盛り上がらないまま、われわれは駅前の第一富士ホテルに投宿しました。飛鳥さん、望月圭さん、アニーシュ、グレース、竹井さんと一緒に近くの台湾料理屋でラーメンを食べてその日は就寝。聞けば、他のメンバーたちは梅津さんのマネージャー多田さんのライブの流れと合流し、朝まで飲んだということです。

 

 ▲7日(水)、新幹線でちょっと寒くなってきた東京に移動し、わたしと外国人二人は、麹町の都市センターホテルにチェックイン。この日は、何もない日なので、グレースの買い物につき合いました。

「何を買いたいの」「お皿、茶碗など」「どこで?」「カッパバシ」「それ、どこ?」「ウエイト」とメモを見て「アサクサ」。彼女は実は、宮崎から帰京した次の日、カマチャンや、去年わたしが招聘して来日しつつも期限以内に帰国せずそのまま浦和に住み着いてしまったE青年と一緒に、合羽橋の道具屋街へ行き、しこたま陶器類を購入していたのです。

 彼女の買い物につき合うのはけっこう大変です。まず、歩くのが速い。つぎつぎに店を見て、ひっくり返したりしてお皿を吟味し、わたしの感想を確かめ、さあ、買うのかなと思っていると「タカイ」とまた次の店へすごいスピードで移動する。結局、6セット、つまり12枚の重いお皿をぶら下げて帰りました。ふう、くたびれたあ。重量オーバー料金や自分の腕の本数を計算に入れない買い物ぶりとエネルギーにはたまげました。

 この日は、ホテルから近い銀座方面で、AKJの川崎さんの関係するコンサートがあったらしいのですが、わたしはグレース介護係なので行けませんでした。

 

 ▲11月8日(木) 国際フォーラムセンター

 会場の国際フォーラムセンターは、有楽町駅に隣接する巨大なホール・コンプレックスです。東京都のバブル的巨大ハコもの行政の象徴だという人もいます。それだけあって、なかは凝った構造でゴージャスです。楽屋への入口がなかなか分からないほど。AFOは、A、B、Cと三つあるうちのCホールで行われました。

 東京最終公演はほぼ満員だったので、大阪、名古屋で感じたような淋しさ感はありませんでした。やはりお客さんは多いほうが張り切ります。最終公演ということもあり、演奏も一番良かったと思います。終演後の楽屋には、高橋淑子さん、松澤緑さん、永山真美さん、大阪でお世話になった徳山謙二朗さん、久しぶりのアリオンの飯田さん、金さん、せんべいを差し入れてくれたハンガリー語通訳横井夫妻、カマチャン、エドガー、祝田民子さんなどが会いに来てくれました。

 スタッフも含めた全員の打ち上げは、赤坂の「魚民」で3時過ぎまで。梅津さんが帰宅不能状態になったので、じゃあ朝までつきあおう、という人たちで向かいの店になだれ込み、結局解散したのは早朝5時半。最後までいたのは、久米大作、笠原あやの、望月圭、志賀恵子、梅津和時の各氏。ダイチャンは、ミュージシャンとプロデューサーのあるべき関係について、ばっさばっさの鋭い断定口調も混じえ絶好調の咆吼でした。

 ホテルに戻り、そのまま寝ずに7時に帰国するグレースを見送り、さらに荷造りとチェックアウトを済ませた後、アニーシュの真珠購入行動のために朦朧としたままパレスホテルまで同行しハグハグして別れ、意識の失う一歩手前状況で新幹線に飛び乗り、自宅にたどり着いたのは夕方の5時でした。

 

■11月15日(木)20:00~/HIROS一人ライブ+カレー/麓鳴舘

 ほぼ常連と化した大場さん、池田さん、おいでいただいて、本当にありがとうございました。

 

■11月18日(日)/現代を生きる古典シリーズ~中村明一/HEP HALL、大阪梅田/中村明一:尺八、八木美知依+磯貝真紀:箏

 かねてから「是非、来て下さい」といわれていた伴野久美子さんプロデュースのコンサートへ行って来ました。次の日のジーベックのワークショップのこともあり、勉強がてらといったところです。会場には、「ついに来年1月8日に高橋アキさんのハイパービートルズをやってもらうことになりました」という加賀の新後さんも見えていました。

 前半の虚無僧尺八は素晴らしかった。いわゆる古典本曲ではありますが、聴いたことのない曲ばかりでした。3尺1寸という、とんでもなく長い尺八のずしんとくる低音は魅力的でした。それにしても、循環呼吸を駆使した彼のテクニックはすごいものがあります。

 後半の「尺八と箏によるロックバンド」と銘打ったKokooの音楽では、サングラスをかけた中村さんの意外な背の低さや、ミニスカート+ヘッドセットの箏奏者たちに目を奪われてしまいました。尺八と箏という組み合わせの音楽はともすればおとなしい響きになってしまいますが、このバンドの音はかなりヘビー。ロックを自称するだけのことはあります。

 

■11月19日(月)/世界の民族楽器ワークショップ/尺八/講師:石川利光:尺八、素川欣也(尺八製管師)/ジーベック

 受講したのは、枚方市立菅原小学校4年生103名。このワークショップのために、石川さんには人数分+αの105本の塩ビ尺八を作ってもらいました。塩ビといってもバカにできません。音質はじゃっかん違いますが、楽器としてはダメな本物尺八よりはずっと完成度が高い。石川さんと素川さんは、この塩ビ尺八で本曲を吹いてくれましたが、本物と遜色ありません。材料費200円くらいでできるそうなので、みなさんもトライしてみてはどうでしょうか。作り方は、素川さんのホームページ(http://www.fides.dti.ne.jp/~sogawa/)に掲載されています。彼は、尺八の演奏家と同時に製管師でもあるのです。かつて日本音楽集団に所属していた関係で、AFOで一緒になる竹井誠さんのこともよく知っていました。

 尺八という楽器は、最初に触ってすぐ音を出せる人は希ですね。小学生のなかには音を出せた子供が数人いましたが。わたしも、塩ビ尺八でちょっと練習してみようと思っています。

 

■11月21日(水)/ケニヤ人、トルコ人来訪

 義弟の駒井さんが「ポートアイランドの学会に参加している。今晩、ケニア人とロシア人を連れていっていいか」といきなり電話。実際やってきたのは、ダニエルという背の高いケニヤ人と、ムスタファという冗談の好きな菜食トルコ人。できるだけ普通じゃない料理を、ということで自家製キムチ鍋を用意していましたが、二人とも恐れて口にしませんでした。というわけで、日本人のわれわれはたらふく鍋を食べたのでありました。ウクライナの大学教授の月給は60ドル、トルコ地震では5万人が亡くなった、ケニアでもエイズは大問題だなど、世界情勢などを交えたおしゃべりはなかなかでした。

 

■11月23日(金)/藤本由起夫展 sound picnic/西宮大谷美術館、西宮市

 今年、ベネチア・ビエンナーレで日本代表作家として作品を展示した藤本さんの、たった一日の展覧会。比較的大きな大谷美術館のほとんどのスペースに、彼独特の音の出るオブジェなどが展示され、なかなかに楽しい展覧会でした。

 神戸山手女子短大の学生たちにもレポート提出を義務づけていってもらいましたが、そのレポート内容は、まるで小学生が書いたと見まがうほど稚拙です。困ったもんです。

 

■11月25日(日)/「笛吹たちの饗宴」/みつなかホール、川西市/あしゅんライブ/あしゅん、三宮/HIROS:バーンスリー、田中理子:タブラー

 ヒマなわたしの久しぶりのあしゃんライブなのですが、どういう訳かこういうときに限って他の仕事が重なるものです。

「笛吹たちの饗宴」というコンサートを聴いて報告書を書いてほしいという依頼が、主催者の兵庫県芸術文化協会の白石さんからありました。出演者は、中国笛の王明君、篠笛、能管の藤舎名生、尺八のクリストファー遙盟、テーグムの洪鍾鎮、カリンガの鼻笛トンガリのグラディス・ブガヨンと京都芸大出身のフルーティスト4名、企画と最後のセッション作品の作曲者、松下功の各氏でした。午前11時のリハーサルからつきあい、コンサートの終わる午後4時までホールの客席に座り、すぐさま電車に飛び乗り三宮へ移動しライブをしました。

 あしゅんには、菅田さんと女友達、京都芸大の江戸君(なんと彼は川西の「笛吹たちの饗宴」を聞いた後にわたしのライブに駆けつけてくれました)、ブーシャンにタブラーを習っている佐野君、シタールの中山さん、名前を知らない青年などなど。ま、あしゅんにしてはまずまずの観客数です。田中理子さんとの久しぶりの演奏は気持ちよかった。

 

■11月26日(月)/楠瀬誠志郎ライブ/チキンジョージ、神戸/野口明彦:ドラムス、須藤満:ベース、久米大作:キーボード、三好功郎:ギター

 短大の授業を終えて三宮のパチンコ屋にいると、久代さんがやってきて、今からチキンジョージへ行こう、という。三好功郎ことサンチャンと久米大作ことダイチャンが、神戸に来てるからと電話してくれたのでした。

 チキンジョージも久しぶりでした。サンチャンとダイチャンは、楠瀬誠志郎というヴォーカリストのバンドマンなのでした。彼は、若気に見えてそれなりに年、高音多用歌いあげ派、空に涙があれば虹がどうのみたいな非現実的歌詞の、ロック風でありながらどことなく演歌っぽい歌手でした。誠志郎さんがCDにサインしているあたりでダイチャンとしゃべっていたら、小太り青年が「いやあ、特徴のあるドラムですよね」といいつつ、ペンとCDを私に突きつけようとするので、「いやいや、わたしは違います」と退散しました。彼は、坊主頭ドラムスの野口さんとわたしを取り違えていたのです。T-SQUAREでも活躍している須藤さんが山形出身だと知り、なんとなく親近感が沸きました。彼の山形語は本物です。

 ライブが終わりどこかで食べようということになり、近くの「天竺園」へメンバーやスタッフを案内しました。

 ダイチャン、サンチャン、野口さん、須藤さんらとAFOなどの話で盛り上がり、放置されたような状態になった今夜の主役の誠志郎さんは淋しそうでした。久代さんは後で、誠志郎さんのことを「舞台で小さく見える歌手は少ない」とポツリ。

 

■11月28日(水)/三田広陵ライオンズクラブ例会/マイカルボーレ三田

 ずっと昔からの知り合いなのに20数年も会っていない画家、国広節夫さんの依頼で、ライオンズクラブ例会でちょこっと演奏しました。会場は、郊外型住宅地にそびえる、イタリア人設計のモダンな建物にあるレストラン。ホテル、スポーツクラブ、研修施設などのある複合的なビルは、人の気配があまり感じられず、今後経営はどうなるのだろうかと不安になるほどです。国広さんによれば「まさにバブルの象徴」だそうです。

 ライオンズクラブは、地元の事業主などの親睦団体です。例会進行の儀式は、君が代やみんなで手をつないで歌うライオンズ歌など、われわれのようなフリーランスの眼にはちょっと違和感があります。比較的年輩の参加者たちは、本当に楽しいのかなあ。

 会員の一人のレストラン・オーナーの女性、上田さんに、私の店でもやって下さい、と依頼を受けたり、もっていったCDが全部売れました。うれしい。

 それにしても、三田はけっこう遠い。電車を乗り継いで家からは90分かかりました。

 

■11月29日(木)/ジョージ・ハリソン死去/享年58歳

 彼の死はちょっと感慨深いものがあります。なにしろ、わたしがインド音楽に興味を持ったきっかけは、彼のシタールの音でした。「ノルウェーの森」を初めて聴いたとき、使われていた不思議な音はありゃいったい何だ、というのが現在のわたしに至っているのですから。アップルレコードの最初のレコードが、わたしの好きなハリソンの「Wonder Wall」でありました。それにしても、ジョン・レノンといい、若い死です。

 

■12月2日(日)/Wave Table Work Shop/CAP HOUSE/プレゼンター:稲見淳

 CAP HOUSE314号室いっぱいに展開されたシンセサイザー。AKJの稲見さんはミュージシャンですが、有数のシンセサイザー・コレクターで、自宅には古今のマシンが山と積まれているらしい。

 音を合成する原理から現在までの発展の解説は丁寧で分かりやすかった。それにしても、目の前のマシンを擬人化して「こいつは、・・・」という言い方や、これまでのシンセのメーカーや型番まですらすらと出てくるのには、半端ではない思い入れと愛情が感じられます。日本のメーカーは、中味が薄いのにごてごてと化粧ばかりで好きではない、と断言するあたりがすごい。

 この日は、アクト・コウベの打ち合わせも兼ねていました。12月22日に総会、1月20日にヤシャ・アジンスキーの新着ビデオ上映会をすることなどが決まりました。

 

◎これからの予定◎
 

■12月12日(水)10:00~12:00/世界の民族楽器ワークショップ/能の囃子/講師:久田舜一郎(小鼓)+野口亮(能管)、久田陽春子+高橋奈王子:お手伝い/ジーベック

■12月15日(土)、16日(日)/上田益氏CD作品レコーディング/フラミンゴスタジオ、東京

■12月22日(土)/CAP HOUSE大掃除、AKJ総会

■12月19日(水)/ぬなわやサロンライブ/三田

■12月20日(木)/めんこいライブ/麓鳴舘、大阪

■2002年1月8日(火)/ダヤ・トミコ・ダンス公演/アルティ、京都/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、七聲会:聲明、HIROS:バーンスリー

■1月20日(日)/AKJ披露宴/ヤシャ作品上映会/「Full Circle」「Wine From The Heart」

■1月24日(木)10:00~12:00/世界の民族楽器ワークショップ/箏/講師:榊記弥栄/ジーベック/問い合わせ:ジーベック電話303-5602 森

■ギャラリー島田「火曜サロン」/神戸、北野町/毎月第1、3火曜日18:30~/2月5日初回予定/日程・内容などの問い合わせ:ギャラリー島田 078-262-8058

■2月16日(土)18:30~/枚方市民劇場/枚方市立さだ公民館/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、藤井千尋:タンブーラー、ハールモーニウム、HIROS:バーンスリー/問い合わせ:072-831-5337(担当:野田充有氏)

■2月19日(火)10:00~12:00/世界の民族楽器ワークショップ/筑前琵琶/講師:片山旭星/ジーベック/問い合わせ:ジーベック電話303-5602 森

 

◎サマーチャール・パトゥルについて◎

サマーチャールはニュース、パトゥルは手紙というヒンディー語。個人メディアとして不定期に発行しています。