「サマーチャール・パトゥル」29号2002年12月31日

 気温も世の中の雰囲気も寒い感じが漂っていますが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 前回の通信(2001年12月14日号)からまる1年たちました。ますますパワーアップしてきた忘却力、怠慢力、収入減退力にともない、この通信も年1回発行という傾向になってきました。

 2002年は、中川家にとって特別な事件もなく実に淡々とした年でした。親族・家族の大きな変化も、海外渡航も、もうけ話も、画期的な業績もなく、いつものように昼近くに起き出し、ベランダでタバコ2本消費し、コーヒーをがぶ飲みし、ぴくんとやってくる直腸排泄指令にしたがい所定の場所へ移動し、開放の喜悦を味わいつつ日経新聞を詳細に検分し、裏面の「私の履歴書」読了と同時に退出し、シャワーを浴び、コンピュータのスイッチを入れ、メールを送受信し、再びベランダで3本目のタバコをくゆらしつつその日なにをしようかとぼんやり考え、電気タンブーラーのスイッチを入れて2時間ほど笛を練習し、脳が比較的正常に稼働し始める11時ころに起き出した配偶者と昼食摂食計画を検討し、階下のダイエーに買い物に行き、「ザ・ワイド」を見つつゆるゆるとブランチをとり、配偶者はここで第1本目の発泡酒をプシュッと開け、「この人嫌い」とか「なにいってるのかわからん」とか「なんなんだこのCMは」とかテレビに向かっていうのを聞いているうちに睡魔がしのびより、カウチに横になり本を読みかけるうちにふと意識が遠のき、気がつくとあたりは暗くなっていて、夕食摂食計画会議を行い、今日はあるもんで済まそう、というようになんとなく決まり、配偶者は再び3本目の発泡酒をプシュッと開け、ずるずると摂食しつつテレビチャンネルを矢継ぎ早に代え、そうしている間に配偶者は4本目をプシュッとし、9:54の「ニュース・ステーション」を鑑賞し、さらに10:55の「ニュース23」でさらにニュースを消費し、そうこうしている間に配偶者の5回目か6回目のプシュッを聞きつつ、きみー、飲み過ぎなんだよお、と力弱く不満を申し述べ、襲いつつある睡魔に敗れ、12時ころベッドに入り、文庫本を数ページ読んだところで意識を失い、気が付くと、また朝になっており、と、ほとんど同じ手順で時間が進み、日が進み、月が進んでいき、ふと気がつくと1年が過ぎていた、というような、もちろん途中には多少の変化はあるとはいえ、基本的にはこんな風な1年なのでありました。「ひまなふりして忙しいHIROS」という人もいますが、本当にヒマだったんです。この通信を読んで、わたしが忙しいと思っている人たちは、それぞれの日々の出来事と出来事の間だの、なあーんもない日々をお考えになっていないからなのであります。

 ま、少なくともその日だけを考えれば、まるで極楽生活です。1年先、2年先、10年先、20年先と、将来の生活予測の時間範囲をのばせばのばすほど不安も比例するので、今日だけしか考えないということにすれば、どんな人でも、まあまあ極楽生活なんじゃないですかねえ。

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◎これまでの出来事◎
2001年12月8日~2002年12月23日
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■12月8日(土)/バジパイ首相歓迎レセプション/ホテル・ニューオータニ大阪

 インドのバジパイ首相来日歓迎レセプションの招待状をインド領事館からいただいたので行きました。
 ホテルの広い宴会場には数百人が招待されていました。「首相にご挨拶したい人は列を作って下さい」というアナウンス。招待客はずらっと並んでつぎつぎに壇上に向かい、首相と数秒間会話し握手をする。ヒンドゥー寺院のお参り、ダルシャンをふと思い出しました。わたしは、列の長さと空腹のバランスを考慮した結果、迷わず食品コーナーへと歩を進めました。

 会場には、シタールの井上憲司さん、田中峰彦+りこさん、舞踊の桜井暁美さん、野中ミキさん、トラベル・ミトラの大麻さん、ミティラー美術館の長谷川時夫さんなど、知り合いも来ていました。

 神戸に用事があるという長谷川さんと、三宮まで帰りました。長谷川さんは相変わらず幅広い人脈を駆使して日印交流の活動に奔走されているようでした。

■12月12日(水)/世界の民族楽器ワークショップ/能の囃子/講師:久田舜一郎(小鼓)+野口亮(能管)、大村滋二(大鼓)、久田陽春子+高橋奈王子(小鼓+お手伝い)/ジーベック/参加者/宝塚市立美座小学校5年生60名、6年生60名

 ジーベックが小中学生を対象に行っているワークショップ・シリーズの第12回目。当初は久田さんの小鼓と能管奏者だけを講師としてお願いしていましたが、サービス精神旺盛な久田さんは「大鼓の方もお願いしました」ということで、能のお囃子フル編成になりました。

 久田さんの解説は分かりやすく、ステージに上がってお囃子の楽器に触ることができた子どもたちは喜んでいました。最後は、結婚式などでよく歌われる「高砂」を、ヨーッ、ホーッ、ポンなどの口唱歌の伴奏で演奏しました。

■12月15日(土)、16日(日)/上田益氏CD作品レコーディング/フラミンゴスタジオ、東京・中野坂上

 前の年、つまり2000年の屋外極寒クリスマスライブ以来のおつきあいである作曲家、上田益さんの新しいCDのためのレコーディングでした。上田さんは、神戸の「ルミナリエ」や、最近ではテレビドラマの音楽も担当するなど大活躍の作曲家です。

 前もって送られてきた楽譜は、5連符やら9連符があってややこしい。キーボードを弾いそのままを譜面にするとどうしてもそうなるようです。

 当日フラミンゴ・スタジオに集まったのは、上田氏、マネージャーの栃木出身須藤氏、チャプター・ワンの吉岡氏、録音技術者の佐藤氏とわたし。録音は、上田さんが持ち込んだカラオケ録音をヘッドフォンで聴きながら演奏しました。「あっ、そこらへんは適当にやって下さい」的部分があったり、数小節の部分録音などということもあり、思ったより短時間で録音は終わりました。

 録音が無事終了したころ、「コンサートがあったけど、ナカガワサンに会いたいから」と古箏奏者の姜小青がスタジオに現れ、オッサンだけの空間がぱっと明るくなりました。彼女は、チャプター・ワンから何枚かCDを出しているのです。その彼女も一緒に近所の居酒屋で打ち上げでした。

 上田さんのCDは、この(2002年)5月に発売されています。興味のある方は聞いてみて下さい。わたしが参加しているのは全12曲のうち、7曲です。この間、ワイドショーを眺めていたら、イラク紹介の場面でBGMとしてチラッと流れていました。

 CDタイトル:Nadi
 商品番号:CHCB10038 (PMR-0038)
 発売元:(株)チャプター・ワン
 販売元:日本コロンビア(株)
 定価:2800円

■12月19日(水)/ぬなわやサロンライブ/三田

 ぬなわ、というのはジュンサイのことです。三田市内の竹林に囲まれた料理屋「ぬなわや」での一人ライブでした。古くからの友人の国広節夫さんの紹介で行ったライオンズクラブでの演奏がきっかけでした。

 集まったのは比較的年配の女性たち。女将さんの上田さんらが中心となり、いろいろな人を招き文化サロンのような集まりを作っているとのこと。国広さんの奥様も見えていました。ジュンサイを中心とした日本料理はとてもおいしかった。お土産に、瓶詰めのジュンサイをもらって帰りました。

■12月20日(木)島根からカニ届く

 庭火祭でいつもお世話になる八雲村のシュウちゃんこと三好修一さんから、われわれだけでは食べきれないほどの大量のカニが届きました。そこで、カニの好きな明石の両親に来てもらって腹一杯カニを食べたのでありました。堪能しました。ひひひひひ。

 4人でしこたま食べましたが、それでも余ったので近所に住む高野和子さんに同日消費のお手伝いをお願いしました。もっとも、彼女に残されていたのは細い足の部分だけでしたが。和子さんの「折り紙でクリスマスツリーを作ろう」という提案で、われわれ中年男女3名は、カニの足をしゃぶりつつ、色紙を折り込む深夜の作業に没頭するのでありました。

■12月22日(土)/CAP HOUSE大掃除、AKJ総会

 アクト・コウベ・ジャパンの総会。7月に行ったプロジェクト2001の報告書に関する会議のあと、例によって宴会。

■12月23日(日)/中西勝宅麻雀

■12月28日(金)宝地院大学忘年会

 年々に平均年齢が上がっていく参加者による恒例行事。「ちゅうとはんぱやなあー」で知られる漫才師チャランポランと、神戸大学のちんどん屋が会をにぎわせました。二次会は、「神戸っ子」のミコさん、建築の武田則明さんらと、近くの飲み屋へ。

■12月29日(土)リハーサル/京都

■12月31日~1月2日/明石実家/そば

 鶴岡の絶品蕎麦屋「大松庵」の漆山さんからそば粉とだし汁がセットで届いていました。二人で食べるにはもったいないので、恒例帰省の明石でそばを打ち、不揃いだけどしっかりとしたそばの風味を堪能しつつ年を越しました。

■2002年1月3日(木)植松奎二家麻雀

 これも恒例になりつつある植松家正月麻雀会。榎忠さん、額縁製作の宮垣さんが参加しました。讃岐出身のチューさんが打ったうどんは本当においしかった。1年前には糖尿病とC型肝炎のダブル病でげっそり痩せていたチューさんも、かなり回復して元気になっていました。

■1月8日(火)/スタジオオープン10周年記念ダヤ・トミコ&サキ インド舞踊公演/アルティ、京都/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、七聲会:聲明、HIROS:バーンスリー

 ダヤさんの振り付けによる第2部新作小品集に、聲明の七聲会、タブラーのブーシャン、そしてわたしの音楽で参加しました。

 それにしても、プログラムに書かれたダヤ・トミコさんの10年間の活動には、頭が下がります。奈良・シルクロード博覧会イベント(1987)で彼女に踊っていただいて以来のつきあいですが、そのエネルギーと持続力は、怠惰なわたしをいつも勇気づけてくれます。

■1月19日(土)/ADSL開通

 ついに我が家はブロードバンド環境になりました。

 最も安いという理由でYahooBBにしましたが、申し込んでからモデム到着までが一悶着ありました。手順は、申し込み→モデム到着→NTT局内工事依頼、工事終了→モデムとコンピュータの接続となるのですが、NTTから「工事いつしましょ」と電話があるにもかかわらず、到着すべきモデムがなかなかやってこない。どうなっているのかとサポートセンターに電話すると延々と話し中、ようやくつながるとまったく要領を得ない返答の連続というようなすったもんだの末、ようやく開通しました。

 これまでのISDNがウソのような快速感でした。プロバイダが代わったので、ほぼ一ヶ月かけてホームページも一新しました。新アドレスは最終ページに。

 また、つい最近(2002年11月10日)、BBフォンにも加入しました。月額基本料380円、国内一律3分7.5円、BBフォン加入者同士は通話無料、アメリカへも3分7.5円、なんだそうです。YahooBBフォンの人、どなたかいらっしゃいますか?いらっしゃったら、電話代がタダということなのでいくらでも話せますよ。

■1月20日(日)/AKJ披露宴/ヤシャ作品上映会/「Full Circle」「WINE FROM THE HERAT」

 AKプロジェクト2001参加のために来日した映画監督、ヤシャ・アジンスキーのドキュメンタリー作品、「Full Circle」と「Wine From The Heart」を鑑賞。

「Full Circle」はなかなかに印象深い作品です。ヤシャの妻キャリが、死期の近い老母を介護する様子が淡々と描かれます。ロシアからアメリカへ移住してきたユダヤ人の母。終の棲家となったカリフォルニアの砂漠にある家で、さまざまな物語の刻まれた老母の体を拭き、マッサージをし、語りかけ、呼びかけに応え、そして最後に遺灰を砂漠に撒くキャリ。ヤシャはそれを冷静に録画していきます。ビデオを見ていて思わず山形の両親に電話をしました。

「WINE FROM THE HERAT」は、フランスの小さなワイン醸造家を1年間取材した作品。ブドウの収穫からワインの仕込み、ブレンド、瓶詰め、販売、そしてまた新しいブドウの収穫までの周期を一家族で支えていく。最後の方で、天候不順のせいで廃棄せざるをえないブドウの房を手にもち、「あーあ、これもダメか。今年は厳しくなる」と主人が淋しそうにつぶやくのが印象的でした。ワインだ、ワインだ、とがぶ飲みする前に、ふと思い出してしまいそうな映画でした。

■1月24日(木)/世界の民族楽器ワークショップ/箏/講師:榊記弥栄/ジーベック/参加者/枚方市立菅原小学校4年生104名

 前日、つまりわたしの52回目の誕生日に榊さんと石丸さんが広島から来宅。ジーベックでの「文化琴」調整後、宴会でした。

 複数の知人を通してお名前を伺っていた榊さんにこの日初めて会いました。わたしよりもちょっと年配の元気な演奏家です。ケーナやフルートといった吹きものを演奏する石丸さんの本職は、舞台美術。わたしと同世代です。人生目的永久探求者である彼は、ヨーロッパを放浪した末、スペインに長く住んでいたということです。わたしの経験と似ています。

 次の日、早朝9時ジーベック集合でした。ずらっと並んだ文化琴の再調弦を全音の牧野雅博氏と行いました。この文化琴は、学校教材用に全音が開発したミニ箏です。子どもたちに触ってもらうため30数台を無料で全音からお借りしました。邦楽器は高価なのでこうした安価な楽器の開発は必要だと思います。わたしのD管バーンスリーはたったの27円なのになあ。

 ワークショップでは、榊さんの軽妙なおしゃべり、古典曲、アバンギャルド風即興演奏があり、子どもたちにも好評でした。

■2月5日(火)/第29回火曜サロン「アジア音楽面白講座」/ギャラリー島田、神戸・北野町/「日本音楽とインドの音楽/最上川舟唄とベンガルの舟唄」

 島田誠さんから、なんかやってよ、といわれて組み立てたのが今回の5回シリーズの講座でした。講座内容の大枠は、いちおう専門であるインドの音楽と日本のそれとの比較でした。しかし、わたしは単なる笛吹きであってアカデミズムとはほど遠い。というわけで、恣意的に選んだ音資料に恣意的な解釈を加えつつ、ときどき笛も吹く、というええ加減スタイルになりました。

 第1回目は、山形の民謡などを紹介しました。

 山形民謡のなかでも、最上川舟唄は名曲です。リズムのはっきりした八木節系とフリーリズムの追分系が絶妙に組み合わされた構成になっていて、他の民謡とはちょっと違って独特です。最近はHIROSのテーマ曲としてインド音楽の前にたいてい演奏しています。

 歌詞についてはそのとき詳しく触れませんでしたが、下記に紹介すると同時に、わたしのどうでもいい註釈というか解説をしてみました。

 

<最上川舟唄考>

【掛声】

 ヨーイサノ マッガーショ エーンヤコラマーガセ
 エエンヤア エーエヤア エーエ エーエヤア エード

 ヨーイサノ マッガーショ エーンヤコラマー ガセ

・・・船頭が櫓を漕ぐときの掛け声。この部分は、日本音楽特有の「揉み手二拍子」で歌われます。つまりちゃんとしたリズムがあります。リズムに乗って船を漕いでいる情景描写。

【舟唄】酒田さ行(え)ぐさげ達者(まめ)でろちゃ ヨイト コラーサノセー

 はやり風邪(かじぇ)など ひがねよに

・・・オレはこれから酒田に行くのでしばらく留守にする。留守中は達者でいてくれよ。風邪なんかひかないようにな。

 ここで、掛け声の二拍子が崩れ、朗々とした歌唱に変わります。歌いあげる感じですね。馬子歌や追分、モンゴルのオルティン・ドー、ペルシアのアーヴァーズなどと共通する、フリーリズムの歌唱。民謡界では、こうしたフリーリズム系の民謡を「竹モノ」というそうです。

 さてこのメインの部分。ふと漕ぐ手を休めてしばらく流れにまかせて心情を歌ったのか、あるいは川岸で手を振る相手に歌いかけているのか。ここでリズムがあると淡々となるところを、息の続くかぎり音を引っ張ることで強い哀惜感を吐露しています。はやり風邪をひくな、といっていることから、寒い季節が背景であらふ。雪がチラチラ降っている冬かも知れません。

 主語が省かれているのでなんともいえませんが、この歌の主人公は、内陸部の産物を日本海の酒田港まで最上川を下って運ぶ船の船頭と思われます。今でいえば、長距離トラックの運転手みたいなもんですね。

 達者でいろよ、と呼びかける相手は、後段から推測すると、婚約者なのか、新婚ほやほやの妻なのか、あるいは自分の娘なのか。その相手によってずいぶん状況が変わってきます。ともあれ、主人公と呼びかけ相手の推測は後段に譲ります。

【掛声】

 エエンヤア エーエヤア エーエ エーエヤア エード

 ヨーイサノ マッガーショ エーンヤコラマーガセ

・・・舟唄の部分で気持ちよく歌いあげていたら舳先が傾いたので、あわててまた櫓を漕ぎ始めたのか、あるいは、見送っていた娘(こ)の姿が見えなくなって本来の仕事に戻ったのか。あるいは、荷物と一緒に乗り合わせた客が、しっかり漕げよと囃したてたのか。乗客がいると想像すると、それはどんな乗客なのか。単なる旅人か、副船頭か、女衒か、商人か、役人か。乗客の有無、種類によっては、長大な物語にまで発展しそうだ。困った。

【囃子】

 股(まっかん)大根(だいご)の塩汁煮(しょっしるに)

 塩(ししょ)しょぱくて食(くら)わんにゃエちゃ

・・・ここも掛け声に続いて二拍子です。普通、囃子というのは歌い手以外の第三者がかけるものです。ということはやっぱり、船頭の他に、彼の船には乗客がいるということなのだろうか。

 それにしても、なぜこの段で大根の煮物がしょっぱいので食べられないと囃すのか。この船頭は、いつ、どこで大根煮を食べたのか。塩辛い味の好きな山形の男ですら食えないほどの煮物とは。また、股大根とは何か。うーむ、分からない。二股大根というのは昔よくありました。二股大根を女性の下半身と見立てれば、なんとなく意味深な響きにもなってきます。歌の主要テーマが男女の愛なのだとしたら、酒田の女はしょっぱいので食えない、つまり、酒田に行っても浮気なんかしないから安心せよという解釈も成り立ちます。風邪をひくなよと語りかけた娘(こ)が、船頭の出航前に朝食で出した大根煮があまりにしょっぱかったので不満を表明したのか。いや、達者でいろよ、と愛情込めて歌うくらいなのだから、そんなことを途中で囃したてるのは不自然。舟唄にいきなり大根の煮物を登場させるのは、山形人特有のレトリックなのか。なにか避けがたい必然性が背後にあるのか、山形人であるわたしにも不明です。

【掛声】

 エエンヤア エーエヤア エーエ エーエヤア エード

 ヨーイサノ マッガーショ エーンヤコラマーガセ

・・・再びここで掛け声。しみじみと別離の情に浸っていると、いきなり第三者が大根煮がしょっぱい、などと関係のないことを囃したてるのでそれを無視しようと櫓を漕ぐのに専念しようとしたのか。

【舟唄】

 碁点はやぶさ ヤレ三ケ(みか)の瀬も まめで下ったと頼むぞえ

 あの娘(こ)がえねげりゃ 小鵜飼乗(ぬ)りなどすねがったちゃ

・・・「碁点はやぶさ三ケ(みか)の瀬」というのは、現在の村山市あたりにある川下りの難所。最初の段落は、「難所を無事に越えた安堵の便りを家郷に頼む船人らしい心情を叙す」(岩波文庫)のだそうです。船頭本人は酒田までずっと操船していくわけですから、携帯電話でもないかぎり家人に無事通過を伝える手段がありません。ということは、便りを頼む人が必要です。彼は誰に便りを託すのか。難所越えをしたらすぐに下船する乗客なのか、たまたま難所付近で遡航する舟の船頭なのか、あるいは、詩的に、船上をたわむれる水鳥のたぐいになのか、風になのか。無事通過の報告が必要なほどの難所なんでしょうね。

 後段で、達者でいろよと声をかける相手が初めて判明します。あの娘(こ)だったんですね。ここで船頭は、あの娘(こ)さえいなかったら、オレはこんなつらい船乗りなんかしていなかったのになあ、とぼやいているともとれるし、こんなつらい仕事はいとわないほどあの娘(こ)が好きだという宣言にもとれます。職業の選択肢はあれこれあったのに、あの娘(こ)の存在によって船乗りをせざるを得なかった、と。これはどういうシチュエーションなんでしょうか。最初の文句を読んで「婚約者なのか、新婚ほやほやの妻なのか、あるいは自分の娘なのか」と書きましたが、なんとなくぐちっぽい響きからすると、もうちょっと複雑な事情がありそうです。

 あの娘(こ)というのはいったい誰なんでしょうね。

(1)婚約者

 結婚を約束した好きな娘がいる。娘もオレを好いている。しかし娘は、オレがあまり貧乏なので、そこそこのゼニが貯まったら結婚しようね、なんていう。仕方がないので、まとまったゼニになる船頭をしぶしぶやることになった。

(2)新妻

 最近、ある娘と結婚した。みんなに祝福はされたものの、所帯を維持するにはあまりに貧乏だ。一日たりとも離れて暮らすのはつらいけど、ゼニのために仕方なく船頭の仕事を引き受けた。

(3)実の娘

 あまりに貧乏で、娘には正月の振り袖はもとより、まともな食べ物すら食べさせてやれない。このままだと女衒に売ることになるかも知れない。ここは一つ、辛い仕事だが船頭をしてゼニを稼ごう。

 というように、話はどんどん底辺生活的暗黒方面へ向かってしまいます。困った。どっちにしても、この船頭はウキウキと酒田へ向かうわけではなさそうです。つらいなあ。

 ところで、「小鵜飼乗り」は『日本民謡全集後編』(ミカド天風編、シンフォニー楽器店)では「航海乗り」となっています。 

【舟唄】

 山背風だよ あきらめしゃんせ

 おれをうらむな 風うらめ

・・・山背風というのは順風のことです。逆風であれば、別れぎわもぐずぐずして名残りを惜しむことができるけど、あいにく舟はビュンビュン進んでしまう。だから、お前の前から早々と去ってしまうけどそれはオレの本意ではなく風のせいだ。だから風を恨めと。

 この歌詞からは、あの娘はオレを相当に慕っているはずだという過信とすらいえるほど自信が伺えます。

 

【囃子】

 あの娘(こ)のためだ なんぼ取っても タランコタンだ

・・・「あの娘のためだ」は分かるとして、次の「取っても」の直接目的語が不明です。何を誰から取るのか。タランコタンというのは意味のない掛け声ともとれますが、取っても、につながるので、いくら取っても足りない、という意味なんでしょうね。とすると「取る」のはゼニということになりそうです。こんな辛い賃仕事をしても稼ぎはわずかなんだ、と嘆いているのか。あるいは、恋に狂った船頭が、運んでいる荷物を途中で誰かに売り飛ばし多額の現金を得ようと企んでいて、その企画を「あの娘のためだ」と自己正当化しようとしいるのか。あるいは、実際は船頭本人が自己を他者化して自身を励ましているのかも知れません。それにしても、ここまでの船頭は、お前を好きだ、という一方的な心情を表明しているわけですが、相手のあの娘も同じようにこの船頭を好きであってほしいと願わずにはおれません。

 第三者のお囃子文句だとすれば、前の文句で、おれをうらむな、風うらめ、などと格好つけたのを聞いた乗客が、そうだそうだ、辛いだろうけど、すべてあの娘(こ)のためなんだろう、やーい、いいんだあ、などと揶揄しているともいえます。 

【掛声】

 エエンヤア エーエヤア エーエ エーエヤア エード

 ヨーイサノ マッガーショ エーンヤコラマーガセ

・・・といったような様々な事情や関係をはらみつつ、船頭は再びこの掛け声でリズムをとって櫓を操り、舟はゆっくりと最上川を下っていくのでありました。酒田に着いて荷を降ろしたらまっすぐ帰るのでありましょうか、この船頭は。

 歌詞は、『日本民謡集』(岩波文庫)から引用。他の民謡集やCDには、「碁点はやぶさ ヤレ三ケ(みか)の瀬も・・・」の歌詞のないものがあります。

 この唄の由来については、「昭和11年頃、左沢町の渡辺国俊・後藤岩太郎氏らが中心となって、原曲を復活・編曲したもの、徳川末期から明治の中頃まで酒田港に流行した『酒田追分』の前唄を船歌としそれに船頭達の掛け声を組み合わせたものである」(『日本民謡集』)、「昔からあった唄のように思われているが、昭和11年に作られた新民謡です。左沢町の船頭だった後藤作太郎、民謡家の後藤岩太郎、郷土史家の渡辺国俊の三人が最上川に舟を浮かべ、『松前くずし』とロシア民謡の『ボルガの舟唄』を櫓を操りながら歌って、不自然な個所を修正しながら作り上げたものです」(CD「日本民謡百選【二】」)と違った説があります。いずれにせよ、いろんな唄を混合して作られたようです。あの娘(こ)と船頭の関係とか、いきなり股大根の塩汁煮なんかが出てくるのはそのせいなのかもしれません。

 講座終了後、近所に住むヨーガの先生三浦寛子さん、佐藤允彦追っかけサラリーマン大場十一さんと、インド人のやっている家庭料理屋で夕食でした。このレストランは、普通の古いマンションの3階にあり、表に看板もないので嗅覚でしか探索できません。1000円ちょっとでベジタリアン料理をおかわり自由で食べることができます。

 

■2月16日(土)18:30~/枚方市民劇場/枚方市立さだ公民館/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、藤井千尋:タンブーラー、ハールモーニウム、マイちゃん:付き添い、HIROS:バーンスリー

 さだ公民館の野田充有氏からの依頼でした。野田さんは、お役所の人とは思えない軽快さと柔軟さをお持ちの青年でした。ジーベックには何度も行きましたと語っていたように、この野田さんはじめ他の公民館のスタッフたちも、面白い催しには自ら足を運ぶという積極性は好感がもてます。こういうお役人が少ないのです、残念なことに。

 会場は、会議室を大きくしたようなフラットな空間。平台で作った舞台の前に桟敷席がもうけられていました。

 ブーシャンのタブラーソロの後、一人の男性が質問しました。舞台に向かって照明が当たっているのでその人がどんな顔をしているのか分かりません。また、どういう質問を受けたのかもう忘れてしまいましたが、とてもしぶとく、ときには攻撃的な感じの質問でした。あんまり執拗だったので他のお客さんからは不満の声が出始め、野田さんはその男性を退出させたのでした。後で伺うと、酔っぱらったオッサンだったそうです。きっと、世界全体に不満をもっているオッサンだったんでしょうね。

 このときの演奏は、録音機材一式をもってかけつけてくれた村田公一さんが録音し、あとでCDにしていただきました。

 

■2月17日(日)明石両親、駒井家と夕食

■2月19日(火)10:00~12:00/世界の民族楽器ワークショップ/筑前琵琶/講師:片山旭星/ジーベック/参加者/宝塚市立宝塚小学校6年生116名

 片山さんは昔からの知り合いですが、今や八面六臂的大活躍のお酒好き筑前琵琶奏者です。

 まず「那須与一」の演奏。琵琶は語りの旋律をなぞるばかりでなく効果音としても使われるのですね。

 一口に琵琶といって、さまざまな種類があることをビデオで紹介。雅楽に使われる楽琵琶、奈良朝直前に唐から九州各地に渡来したといわれる盲僧琵琶、平家琵琶、殿様の個人的趣味から武士階級の音楽になった薩摩琵琶、三味線音楽に影響されて薩摩琵琶の流れから生まれた筑前琵琶は、錦心流琵琶や錦琵琶とともに江戸時代以降に盛んになりました。

 琵琶の親戚にはアラビアやペルシャのウード、それから改良されたギターなどがあり、器楽の楽器として活躍していますが、日本では語り物の伴奏楽器以上には発展しなかったようです。考えてみれば、日本では楽器が主役になる音楽というのはあまりありません。最近ブームの津軽三味線がそこらへんを突破していくのでありましょうか。

 片山さんは、終わってからしばらく我が家で酒を飲み、首を真っ赤にして京都まで帰っていきました。

■2月22日(金)『カンダハール』/朝日会館

 イランのモフセン・マフマルバフ監督の作品でした。1972年11月、わたしは22歳のときカンダハールにしばらく滞在したことがあったので期待して見に行ったのでした。しかし目当てのカンダハール町並の描写はなく、さまざまな障害というか過程を経てカンダハールに単身向かう女性ジャーナリストの道中をドキュメンタリー風に追いかけていくというものでした。カナダに亡命したという元アフガニスタン女性ジャーナリスト役も、途中の風景も美しい。

 じゃっかん狂気をはらんだ目のブッシュ大統領が、悪の枢軸だ、すべての準備は整った、イラクよ覚悟せよ、戦争だあ、と今はイラクが話題になっていますが、貴重な遺跡であろうが誤爆が出ようが関係なしにバカスカと空爆されたアフガンは今どうなっているのでしょうか。

 

■3月3日(日)佐藤允彦ソロ/スタジオ73、高槻

 佐藤允彦さんの熱狂的追っかけ3人組の主催コンサートでした。3人組とは、わたしのめんこいライブにもしぶとく通ってくれた大場十一さん、スタジオ73のオーナー兼プロデューサーの川中洋子さん、アクティブ・KEIの伊藤めぐみさんです。佐藤さんの即興音楽ワークショップ「ランドゥーガ」の動向、コンサートスケジュールや公演評などをメールで配信もしています。録音は村田公一氏。彼は本当に熱心です。

 ピアノの響きがとてもよく、コンサートはとても楽しめました。佐藤さんのソロピアノを聞いていて、70年代に旭川で聞いてマル・ウォルドロンのコンサートを思い出しました。そのウォルドロンも最近亡くなっちゃいましたね。

 佐藤さんの音楽は、ジャズ、クラシック、フリーインプロビゼーション、いわゆる現代音楽などのテリトリーを越えて独自の世界を作っていますね。もう60歳あたりなのに、いまだに坊ちゃん的雰囲気を漂わせていて、まだまだもてそうです。

 主催者、周辺者、ファンとの打ち上げにも参加しました。佐藤さんの落語家の話が面白かったのでわたしもジョークを披露。宴会は次第にジョーク大会の様相を呈し始めたのでありました。

■3月5日(火)/第30回火曜サロン「アジア音楽面白講座」/ギャラリー島田、神戸・北野町/「日本音楽とインドの音楽/美空ひばり」

 前回の最上川舟唄に続いて、インド音楽の音階論から美空ひばりへジャンプした2回目の講座。

「ひーとり、酒場でえー・・・」なんていうCDをがんがんならしつつ、講座のために美空ひばり関係の本を図書館から借りてきて手当たり次第に読むと、美空ひばり(1937-1989)という人はつくづくすごい歌手だったんだなあと感心してしまいました。

 まず、驚くべき記憶力。オリジナルが700曲、他人の歌も含めると1500曲。これは、彼女が52歳(なんと現在のわたしと同じ年齢)で亡くなるまでに歌った曲数です。彼女はそのほとんどを記憶していたらしい。1、2度ピアノ伴奏で新曲を歌って聞かせるとほとんど練習なしですぐに歌えたことに驚いた、というのはたしか船村徹の「わたしの履歴書」で読みました。他にも、数歳のころには百人一首をすべて暗記していたとか、レコーディングもほとんどワンテイクでOKだった、などなど逸話に事欠きません。

 つぎに、当然のことですが歌唱力と表現力。彼女はいちおう演歌歌手ということになっています。しかし、いわゆる演歌ばかりではなく、ジャズ、ブギウギ、ブルースなど他のジャンルの歌も軽々と歌いこなしました。正確な音程で裏声と地声をコントロールするのも絶妙でした。音楽評論家の中村とうようさんは、どんなジャンルにも貪欲に取り組んだ10代のころの姿勢がずっと続いていればおそらく世界的に認知される大歌手になっていただろう、演歌という一ジャンルに押し込められてしまったことが惜しい、とどこかで書いています。

 美空ひばりの生い立ち、家族、ステージママとの葛藤、山口組との関係、彼女を支えた戦後日本社会の変化、「正統」音楽界からの無視や蔑視などなど、調べれば調べるほど興味深いことが多い。

 歌謡曲あるいは演歌というのはつくづく日本的精神性というものを表していると感じます。折口信夫は、日本芸能の特殊性を「悲哀から道に入らせる」と表現していますが、言い得て妙です。演歌は、自己の悲劇性の美化、自己ヒーロー化といった、悲劇的自己をいとおしむ精神的傾向を多分にもっています。これって、歌舞伎や能にも共通していますよね。この非合理的、情緒的、甘えの構造的精神性を、自身も同質の精神性を内部に抱え込む西洋近代合理主義信奉者、西洋音楽=芸術音楽信奉者たちが、攻撃的とすらいえる嫌悪感を持つのはよく分かります。おなじ男女の愛を歌っているのに、演歌は唾棄すべき対象となり、ドイツ語やイタリア語であればOKといういびつな雰囲気は、しかし今でも少し続いているようにも思えます。

 講座では、インドと日本ということなので、美空ひばりとの対抗上、インドの国民的大歌手ラター・マンゲーシュカル(1929~)も取り上げました。1942年のデビュー以来、2000以上の映画の吹き替え歌として吹き込んだ歌30,000曲(ギネスブックにも載っています)というとんでもない歌手です。わたしは、AFOへの出演依頼がらみで一度直接彼女と電話したことがあります。彼女について調べ始めると、あまりのスケールに頭がくらくらするほどです。いつかどこかで機会をいただければ彼女のことを紹介したいと思っています。この講座では美空ひばりにのめり込みすぎてラターのことをちょっとしか触れることができませんでした。

 

■3月9日(土)/トヨタ自販ライブ/兵庫トヨペット展示場、神戸市灘区/金子飛鳥:ヴァイオリン、レザパネ:ピアノ、吉野弘志:ダブルベース/企画:プラネットアーツ

 飛鳥さんから「神戸に行くよ~、本村さん、絵美ちゃんも一緒だよ~」という連絡を受けた絶対ヒマ状況のわたしは、会場である灘の兵庫トヨペットへと向かうのでありました。本番まで時間があったので近くのイタメシ屋で飛鳥さんと二人でランチ。ちょうど注文を終えた頃、本村さん、絵美ちゃんも現れ、デート的雰囲気は一気に崩壊しました。残念。でも、本村さんにおごってもらったから、ま、いいか。

 開演時間に再び会場へ行くと、普段は新車が並ぶスペースにイスがびっしりと並べられ、すでに会場は満員でした。わりと年配の、ビンボーには見えない人々が客層でした。PAのバランスを取りにくい会場だったせいか、わんわんと響きすぎていたのはちょっと残念でしたが、なかなかに楽しいコンサートでした。淡々として熱のあるレザパネさんのピアノ、ふてぶて内包どっしり吉野さんのベースも良かった。

 終わった後は、宿舎である新神戸オリエンタルホテル経由でわたしの推薦定番打ち上げ店「天竺園」で打ち上げでした。深夜2時まで開いている、そこそこに安い、水餃子がうまい、という理由でわたしはいつもここを推薦するのです。

 もうちょっと飲もうか、ということで飛鳥さんと近くのジャズ飲み屋「木馬」へいくと、楽インターナショナルの島浦素子さん、最近は林英哲さんのサポートで忙しい和太鼓「松村組」の上田秀一郎さんなどなどと会いました。

 

■3月11日(月)/NHK『インド・心の大地』テーマ音楽録音/ジーベック

「日本とインドの生中継番組らしいんだけど、そのテーマ音楽の部分にバーンスリーがほしいんだけど」という作曲担当の上田益さんの依頼で録音に参加しました。場所は徒歩5分のジーベック。時間にすると2、3分のテーマメロディーの演奏です。番組は、4月28日、29日にBSと衛星第二放送で放映されました。番組それ自体は、ゲストがやたらと関係のないことをしゃべったりして、あっそう、てな感じでした。

■3月19日(火)第31回火曜サロン「アジア音楽面白講座」/ギャラリー島田、神戸・北野町/「日本音楽とインドの音楽/聲明とヴェーダ詠唱」

 民謡、美空ひばりに続いて、聲明とヴェーダ詠唱を取り上げました。この講座が始まって以来、ギャラリー島田は、民謡と演歌とお経が流れる空間となってしまいました。安藤忠雄設計の洒落たビルの地下にあるコンクリート打ちっ放し展示空間にはいつもはバロック音楽などの静かな西洋音楽が流れているのです。

 回を重ねるにしたがってちょっとお客さんは減ってきましたが、熱心な方が多くするどい質問が飛ばされるのでなかなかに緊張しました。

 終了後、島田さん、彼の知り合いの詩人、画家、つぶら目ギャラリー秘書のかわいい法橋さんとで三ノ宮駅前の居酒屋で打ち上げでした。 

■3月22日(金)、23日(土)/ハウステンボス

 タダの申し出があり、かつとてもヒマという条件がなければ、おそらく一生行くことはなかったであろうハウステンボスへ配偶者と二人でいってきました。古くからの友人で「月刊オール関西」編集長中村雅子さんから「ね、ね、ハウステンボス行かない?プレス関係者招待が来たんだけど、わたしは忙しくて行けないし、中川チャンだったら二人して行けるかなと思って。久代さんが我が社の記者、ヒロシさんがカメラマンということにすればいいから」

 というわけで、前日にプリンターで作ったにわか名刺と、カメラマンに見えるようにと重々しい一眼レフカメラを雅子さんから渡されたわれわれは、雑誌記者とカメラマンになりすまし、伊丹空港から長崎に飛び立ったのでありました。同行したのは、必ずしもギョーカイ系ばかりとは思えない格好の人も含め20名ほどでした。

 小雨の長崎空港に着き、すぐさま小雨の港へ移動し、間もなく小雨の諫早湾を小さな船で横切り、ちょっと肌寒い小雨のハウステンボスの港に到着し、笑顔の係員に「バタビア・カフェ」という大きなレストランに案内され、全国から集まった100人くらいのプレス関係者の一群に埋没したわれわれにわか記者にわかカメラマンは、マレーシアの屋台団地のような食品コーナーで和洋中食品類をトレーに山盛りにし、味はもう一つだなどとコメントを申し述べつつ、その夜の宿泊先であるホテル・ヨーロッパに荷物をほどく間もなく、「町」の中心である巨大な時計塔のある建物の3階にある広い集会室に案内され、このテーマパークの各種説明を笑顔の職員に説明を受け、広報刊行物や取材対象内容、無料食券、スケジュール、胸ワッペンの入った資料類一式を手渡され、石畳のヨーロッパ風建物群に囲まれたやたらと文字の多い大小の通りを散策し、同じようなワッペンをつけたプレス関係者や職員関係者を見るや重い一眼レフカメラのレンズをのぞくふりをしつつ、雑誌に使えるようなきれいな写真はあとでもらえば問題ないかとつぶやいてオランダ風跳ね上げ橋から客を乗せて遊覧する回遊船を眺め、赤や黄色のチューリップ畑や風車の「典型的」オランダ風景と「典型的」日本人観光客との対比のなんとなくちくはぐな感じを観察し、そう値段の安くない各種飲食店や露店を冷やかしつつ、壮大な偽物空間をふらふらとさまようのでありました。それにしても、通りに行き交う、少なくない観光客は何を求めてここに来るのであろうか、などと考えていると次の集合時間がやってきて、1000人も入れるほどの大きな体育館のようなホールに集合し、ラスベガスからやって来たという歯並びのいい白人マジシャン青年とレオタード姿の金髪アシスタントによるイリュージョン・ショーを見、ちょとお腹がすいたかなと思ったころ今度は港に停泊してある双胴船に案内され、社長の歓迎挨拶をうやうやしく拝聴する間もなく、一流レストラン立食パーティー的食品やシャンパンを笑顔職員の名刺配り攻勢(実に20枚以上)の合間に摂取し、ふう、食った食ったとお腹をさすり終わる頃、双胴船は再び静かに港に入り、ホテル・ヨーロッパのゴージャスな部屋に戻ってシャワーを浴びスケジュールリストを検討してみると、間もなく港周辺でレーザー光線と花火が入り乱れるショーが始まることを知り、観光客でにぎわう港へ行くと、富田勲風シンセサイザー音楽が天空から厳かに流れ出し、連発花火や青と赤と緑のちかちかするレーザー光線がその音楽に連れて踊り出すショーを寒さに震えながら鑑賞し、さらに本格的に降り出した雨の中を宮殿風の美術館に案内され、やれやれ、雨さえなければね、などと同じワッペンをつけた取材関係者と語り合いつつ、第一日目のすべてのスケジュールをこなしたのでありました。タダで行くのもなかなかにくたびれるものです。

 会社側は次の日のスケジュールも当然用意していましたが、中年にせ記者にせカメラマンのわれわれは独自行動をとりました。この施設は相当に広大なので、そのすべてを見たり体験するには一日二日ではとても足りません。したがって、取材関係者に課せられたハードスケジュールもやむを得ない面もありました。しかし、にわかにせ記者にせカメラマンは、職員のこぼれんばかりの笑顔と息もつかせぬスケジュール攻勢からなんとか逃れたかったのです。とはいうものの、この日は前日の雨がウソのような快晴で、「桜を見ながら諫早湾クルージングはいかが」のお誘いを拒めず参加し、久しぶりの旅気分を味わいました。

 会社の説明によれば、お客さんはコンスタントに増え、韓国や中国からも観光客が来ているそうです。ニセモノとはいえヨーロッパ風の町を一から全部作り上げ、採算のとれるように運営するエネルギーはすごい。でも、もう一度タダで招待するよ、といわれても今度は辞退するでしょうね。で、いちおう、配偶者はそれなりにチャンとした記事も書いたようですし、わたしの下手な写真のいくつかは使われたようなので、ハウステンボスとしてはまったくの無駄な投資ではなかったと思いたいところです。もっとも、掲載されたはずの雑誌が発行されたとはまだ聞いていません。

■3月30日(土)天藤事務所花見

 例年よりも1週間早い花見でした。世界的におかしな天候が続いているのですね。

■4月2日(火)第32回火曜サロン「アジア音楽面白講座」/ギャラリー島田、神戸・北野町/「日本音楽とアジアの音楽」

 ほとんどしゃべらず、ひたすらさまざまなアジアの音楽のレコードをかけまくりました。

■4月5日(金)、6日(土)/ドクトル・新井来宅

 ピッツバーグ在住のドクトル・新井が学会のために来日し我が家に滞在しました。別の学会で偶然関西に来ていた同窓生の上田氏とともに、元町のフランス料理店「コム・シノワ」で贅沢ディナーでした。上田氏はわれわれと同年で現在大学院農学研究科の教授です。勘定はドクトル担当となり、ありがたいことです。ドクトルの喫煙者に対する非寛容度がますます増大しつつありました。上田氏とは初めてお会いしましたが、とても落ち着いて知的貫禄に満ちていました。

■4月7日(日)/あしゅんライブ/田中りこ:タブラー

 田中りこさんと久しぶりに演奏しました。シタール旦那の峰彦さんはインド音楽ギョーカイでは異例の忙しさのようで、タブラー奏者であるりこさんもとても忙しい。なかなか一緒に演奏する機会がなかったのですが、ようやく実現しました。最近は、数えるほどしかいない関西のタブラー人口が減少しつつあるなかで貴重な存在です。東京方面には湯沢啓紀さんとか瀬川さんなど若手が、どんどん、とはいうもののやっぱり数える程度なんですが、出てきているらしく、わが極小ギョーカイにも変化が見られます。関西の若手がもっと育ってきてもらわないと、わたしとしては困ります。りこさん、また一緒にやりましょうね。あしゅんにしてはまあまあの入りで、8名の聴衆。

■4月8日(月)/花祭りライブ/目病み地蔵、京都

 恒例の奉納演奏です。目病み地蔵(仲源寺)は、四条通の南側に面したお寺で、七聲会代表の南忠信さんが兼務住職をしている関係で、七聲会の聲明とわたしの演奏がほぼ恒例化しています。今回は、今までにない演奏家が登場しました。コンピュータでフリーインプロビゼーションをやっている近藤忠青年。南さんがある飲み屋で知り合ったということです。コンピュータと七聲会の聲明のセッションはなかなか面白かった。

■4月16日(火)/第33回火曜サロン「アジア音楽面白講座」/ギャラリー島田、神戸・北野町/「インド古典音楽」/田中りこ:タブラー、酒井翔:タンブーラー

 火曜サロンの最後は、わたしの演奏でした。りこさんのタブラー、そのころバーンスリーを習いに来ていたじゃっかん19歳の酒井翔青年のタンブーラーの伴奏でした。島田さん、法橋さん、ご協力ありがとうございました。 

■4月18日(木)/インド領事館訪問

 聲明グループ、七聲会のとりあえずの最終目標は、お釈迦様の生まれたインドで公演をすることです。これはわたしも前々から頭にありましたが、なんといっても情報が足りません。そこで、主催候補者、団体、スポンサーなどなど、手がかりになる情報がひょっとしたらあるかも知れない、インド政府も助けてくれるかも知れない、という期待でヨーゲーシュワル・ヴァルマー在大阪インド領事に会いに行きました。

 結果は、「あなたは相談すべき相手を間違っている。インド政府はなにもできない。インドには民間の主催者やスポンサーになるべき人々がたくさんいる。そういう人たちにアプローチすべき。まして、仏教の聲明である。政府が特定の宗教団体の手助けをすることは、できないであろう」ということでした。まあ、予測できたことではあります。マスコミや企業家など、領事館で分かる範囲の候補者リストはいただきましたが。

 現在の総領事にお会いするのは初めてでした。気むずかしいのか、ノリのいい人なのか、気さくな人なのか判定のしにくい40代前半の長身の人でした。ジョーク攻勢をかけてみましたが、けっこうマトモに解釈してノリはもう一つ。外交官なんですね。

 総領事館を辞しエア・インディアの事務所を訪問しましたが、末永さん、横田さん、福井さんなど知り合いは一人もいませんでした。仕方がないので地下鉄に向かって歩いていると、テキスタイルデザイナーのマキチャンこと杉岡真紀子さんと偶然会いました。大阪を歩くのも油断がならない。

■5月の何日か/大村医師来宅

 まったく知らない男性から「あなたの笛には癒しの響きがある。なにか録音したものがありますか。あれば直接いただきにあがりたい」という電話があり、彼が来宅しました。比較的長身痩躯、薄い綿のシャツ、ズボン、髭ぼうぼう、長髪後ろ束ねの男性は、大村雄一さんというお医者さんでした。力のある声の響き、顔の色つやは、とても58歳とは思えない。

 彼は、ダヤ・トミコさんの公演でわたしの笛を聞いたのだそうです。彼は、大学で西洋医学を学んで医師の資格を取得した後、西洋医学の限界を感じ別の大学で東洋医学を勉強し直したあと、病気は精神にも関係するのだと今度は高野山大学に入って僧侶の資格をとり、現在は、堺でクリニックを開きつつ全国各地でダンスと講演と「孔雀湯」という煎じ薬の販売をしているのです。

 彼のいうダンスとは、いわば内臓活性化運動です。決まった形式はありません。音楽を聴きながら、遠心力で臓器を動かす。内臓のどこかに問題があると、その部分が痛くなる。その痛みをどこまでも感受する。1時間もすると次第に痛みがなくなる。痛みが消えるということは、そこが活性化して癒されたことになる。というのが大村先生の理論です。

 熊本のご自分の栽培地や、全国各地の山野を巡り歩き薬草を集めて乾燥させた彼のオリジナルの煎じ薬「孔雀湯」もまた独特です。これを山形の母親に送って飲んでもらったところ、彼女の血糖値が著しく下がったらしい。

■5月15日(水)/SURPRISE!ライブ/ブルース・アレー、目黒・東京/三好"3吉"功郎:ギター、バガボン鈴木:エレキベース、小野塚晃:キーボード、鶴谷智生:ドラムス、仙波清彦:パーカッション

 東京と仙台方面でライブを行うために上京するのだ、とギターのサンチャンこと三好功郎さんに電話したところ、「15日にライブだけど、遊びにくる?楽器もってきてよ」ということになり、彼のライブに乱入しました。顔ぶれからして大音響超絶技巧ヘビー級のバンドです。サンチャンや仙波さん、バガボンに会うのも久しぶりでした。黒のレザーパンツ、長髪黒めがねのサンチャンは相変わらずニヒルっぽくてかっこいいし、常に駄洒落やジョーク混じりで真面目なことも話すほにゃらら仙波さんも健在。

 わたしは、第2部最初の「Praise」という曲で参加しました。この曲は大分にいるときに自然に頭に浮かんだそうで、短いですがとても美しい曲です。

 楽屋に、細くて小柄な外国人少年が訪ねてきました。話してみると、エノニエル・ソメというフランス人の女性サクソフォン奏者なのでした。彼女にもらったCDはなかなか良かった。

 その夜は、南浦和の鎌仲宅泊。カマチャンはアメリカ出張中なので留守宅に上がり込んだのでありました。桜が開花したころはやたらと暑かったのに、5月になってにわかに冷え込んだので、寒さに震えながら寝ました。 

■5月16日(木)/映画『ミモラ』/有楽町スバル座

 江戸でぽっかりと一日あいたのでインド舞踊家のマドゥプリアとデートでした。いひひひひ。彼女は去年までミュンヘンに住んでいたバラタナーティアムの若く魅力的なダンサーです。新宿や渋谷ではなく有楽町で映画という、トラッドな感じのデートでありました。いひひひひ。

 見たのは、『ミモラ』という典型的マサラムービー。劇場が暗転し、いきなり本編が始まったかと思いきや、日印国交樹立50周年の宣伝映像が流れ、そこになんとタブラーの吉見征樹選手とガタム奏者のヴィナーヤクラムが登場。二人は見つめ合いながら太鼓を演奏している。これにはたまげた。

 さて、映画です。ものすごい豪邸に住む有名な古典声楽家(ありえないけど、ま、いいか)の美人娘ナンディニと、イタリアから声楽を学ぶためにやってきたハンサムなインド人青年サミルが互いに恋をする。しかし、ナンディニは、両親の命令で弁護士との結婚を余儀なくされる。ナンディニの結婚を知ったサミルは失意のままイタリアに帰る。結婚したナンディニはしかしサミルを慕い続け、夫に「彼に会いに行きたい」という。夫は「一人で行けない。それほどいうなら自分も一緒に行く」ということで、二人でローマへ飛び、手探りで青年の所在を探す。偶然によってサミルと出会う。しかし、そのころには、悩みながらも一途に協力する夫にナンディニは次第に惹かれていく。結局、サミルをあきらめ、夫と帰国する。というのがざっとしたあらすじです。とにかくゴージャスさ満喫場面の連続でした。3時間に及ぶ映画が終わったとき、ヨーロッパ生活の長いマドゥプリアが「ローマで青年探しをしているはずだったけど、実際の舞台はブダペストみたい」といってました。

 ところで、『ミモラ』というタイトルの意味が分かりません。ヒロインの名前でもないし、ヒンディー語でもない。チラシには、カタカナで大きく「ミモラ」とあり、そのすぐ下に英語で、Straight From The Heartと書かれ、この英字の下線に引っかかるように「心のままに」と日本語があり、さらにその下にヒンディー文字でinMbu@ケ;(ニンブラー、小さなライムの意味)と書かれてあります。さらに下には、ヒンディー語のローマナイズ表記で原題が示されています。Hum Dil De Cheke Sanam。文字通り訳せば、わたしはあなたに心を与えてしまった、となります。どうにもヒンディー文字「ニンブラー」挿入の意図が分からない。で、すっきりしないのでインド映画の大権威である松岡環さんに聞いてみました。

 来客があるので掃除をしていたという環さんは「あっ、あれね。あの映画はインドセンターが買ったんですが、配給は別の会社だった。試写を見た配給会社の職員は、ニンブラーという挿入歌に強い印象を受けた。その職員はニンブラーがミモラに聞こえた。タイトルはこれがいい、ミモラにしようとなった。配給元がそのタイトルをインドセンターに連絡すると、意味も発音も違うのでそれはないと抗議した。しかし、そのまま流通しちゃった」ということなんだそうです。ふう、これでようやく胸のつっかえがとれました。それにしても、ええ加減なもんです。

 デートの仕上げは、有楽町のあんみつ屋「おかめ」で蔵王あんみつでした。あんみつ屋なんて入ったのは生まれて初めてでした。というわけで、なかなかに甘い一日なのでありました。いひひひひ。

 

■5月17日(金)/音や金時ライブ/音や金時、荻窪・東京/久本政則:タブラー、張林:楊琴(乱入ゲスト)、HIROS:バーンスリー

 今やインド音楽専用ライブハウスと化してしまった感のある「音や金時」で演奏するのは二回目でした。

 当初は久本さんと二人で古典音楽を演奏する予定でしたが、たまたま来日していた張林が「わだしもなにがやりだい」と、激しい雨の中をおしてやって来て、にわか即興セッションをやりました。琵琶の陶敬頴さんと結婚して子どももいる張林は、AFOでずっと一緒だった素晴らしい楊琴奏者。現在はトロントに住むカナダ人です。

 久しぶりにあった久本さんとは初めて共演しました。彼の堅実な伴奏は気持ちの良いものでした。同行した息子のたかまさ君はシタールを習っていて、将来が楽しみです。

 雨の中をわざわざおいでいただいたのは、「チケット・あや」なる不思議な個人通信を出しているふるうちあやさん、ジェフリー、セイナ、飛鳥の一家とそのお友達、企業メセナ協議会の戸澤さんとお友達、取手市から寺田徳子さんとそのお友達、シタールを演奏する大学院生、新井剛君、演奏が終わった頃CDをもってやってきた祝田民子さんなどなど。

■5月18日(土)HIROS一人ライブ/ワディ・ハルファ、仙台

 鎌仲家の2匹の白猫に餌を与えたあと、大宮から新幹線で仙台へ。さらに旧知の仙台市民文化事業団に勤めるケーナおよび尺八奏者の高橋泰祐さんと仙台駅で落ち合い二人で塩釜へ。仙台と塩釜のライブを主催していただいた佐々木剛さん、渡邊摩里さんご夫婦宅でHIROSカレー仕込みのディレクションをするためにまず塩釜へということになったのです。

 車中、高橋さんとおしゃべり。彼は、文化庁の派遣でボリビアに1年間滞在し、ケーナなどの南米の楽器と音楽を勉強してきたとのこと、97年に結婚してほどなく離婚したことなどを申し述べるのでありました。

 塩釜の佐々木宅では、摩里さん、日本的美人の三浦周子さん、ネパール大好き先生佐野優子さんがカレー製作に没頭していました。三浦さん、佐野さんは、1999年ライブのときにもお世話になっています。神戸からすでに送っていた各種スパイス類と、わたしのホームページのレシピによって、HIROSカレーはパーフェクトに仕上がっていました。カレーのいい匂いが漂う中、高橋さんとにわかセッションのリハーサル。

 カレーも仕上がったので仙台へ移動。青葉通りのワディ・ハルファでは、中田マスターはじめスタッフがライブ会場作りに大忙しでした。

 会場は、50人ほどのお客さんで満員。最上川舟唄の後、高橋さんのケーナとセッションしました。高橋さんはあまり馴れない即興なのでおとなしめでありました。今度、ゆっくり練習しましょうね。

 前回に知り合った人たちも見えていました。何日か前に電話で「仙台さ行ぐがらよ」といっていた山形の叔父神保秀雄アンチャ(母親の弟)、奥さんの富美子さんそして息子の寡黙ダンプ運転手青年光秀君が花束をもって来てくれました。叔父は演奏終わった後「カレーは、まあず辛いげんど、んめな。音楽わよ、つっど難しぇな。んでも、ひろすも大したもんだな」などと感想を申し述べていました。

 ライブが終わった後もけっこう人が残っていて、深夜まで盛り上がりました。ホームページに半ば冗談で掲載しているHIROSカレースパイスセット、なんと200セットもの大量注文をもらいました。仙台は、人も街もいいなあ。中田マスター配偶者の尚子さんが妊娠中ということで、今回は中田宅ではなく法華クラブに宿泊でした。

■5月19日(日)HIROS一人ライブ/蕎麦すずき、塩釜

 塩釜ライブの会場は、蕎麦すずきの座敷でした。背面に齊藤文春さんの壁面全面を覆う大きな抽象的点描墨画、生け花小原流塩釜支部長年配夫人の活けた花が横に配された、しっとりとした空間で演奏しました。

 聴衆は、高校教師である佐々木さんの同僚など35名ほど。終演後は、店自慢の蕎麦をメインとした会席料理。おいしかったなあ。

 渡邊摩里さんをはじめ、佐々木さん、三浦さん、佐野さんなど、今回のライブを作っていただいたスタッフに大感謝です。

■5月20日(月)山形→赤湯

 仙台を早めに出たのでお昼には山形に到着。お昼に山形にいる、ということは叔母のやっているラーメン屋に寄らないわけには行きません。小雨の中、「月美八」に行くと叔母が客用のイスに腰掛けテレビを見ていました。「おっ、なんだ、ひろすが?いぎなりだごど」が第一声。

 筑前煮とラーメンを食べ、久しぶりに会った叔母(母親の妹)の話を聞きました。自分の家族のことで知らないことが多いのに驚きました。

 赤湯の実家に帰り、母親と夕食。父親は老人会慰安黒四ダム旅行にいっていて留守でした。

■5月21日(火)/赤湯

 糖尿病という持病を抱える77歳の母と、家内の仕事に比較的無関心な78歳の父が住む2階建ての実家は、モノがでたらめに蓄積し、すごいありさまでした。しかも母親は、高価な健康補助薬品、器具、ちょっと便利グッズの購買勧誘攻撃に抵抗できない性格。当座必要なモノ、まれにしか使用しないモノが不要なモノの上に重なり層状となす。茶の間のコタツテーブルの上には、茶飲みセット、爪切り、折り込み広告、耳掻き、はさみ、各種の薬、ふきん、チラシの裏面を綴じて住所と電話番号を書いたよれよれのデータベース、醤油、昆布の佃煮などががやがやひしめき、観光名所の提灯が鴨居にずらりと並び、老人会の感謝状や額入りの虎の絵の刺繍、記念写真をプリントした絵皿などなどがほこりをまといつつ肩を寄せ合っています。こうしたカオス的状況は、茶の間以外にも広がっているのでした。

 帰省するたびにこうした状況が気になっていたのですが、今回の帰省では少なくとも台所を整理しようと決意し、別便で合流した久代さんと決行しました。

 台所のカオス度は茶の間以上でした。特に食品が混在しているのでなかなかに凄まじい。1週間前の煮物、賞味期限が1世紀も過ぎた刺身、数年貯蔵されているとおぼしき冷凍食品類、干からびたするめ、表面にかびの生えた漬け物、数百年前のソーセージ、たくわんが一切れしか入っていない大皿、崩壊寸前の大根などなど、ぎっしり詰まった大型冷蔵庫から開始です。われわれは、イスに座って不安そうに作業を見守る母親にいちいち確認しつつ、どんどんと不要物をゴミ袋に放り込んでいきます。

「これ、捨てるよ。賞味期限が1996年になっている」と海苔の佃煮を示すと、「それは、だれだれさんに最近もらったもので、まだ食えるし、何ともない」と抵抗する。数万円もする健康補助食品を躊躇なく購入するのに、人からもらったつまらないモノは捨てられない。冷蔵庫整理完了後、調味料、茶碗、丼、箸、瓶詰め、缶詰、鍋、フライパンなどの乗ったテーブル周辺、食器戸棚、水屋、流し台の収納、天袋の順序でどしどしと整理しました。ほうぼうの抽斗にしまい込まれた新旧の割り箸が200本以上、食器洗い洗剤が数10本、アルミフォイル、サランラップもそれぞれ数10本、醤油が一升瓶で数本、まっさらの鍋、ボール、ステンレスのざる、タッパーもごろごろ出てきました。しまい込んでいるのを忘れて新たに購入したり、人からもらったりしているうちに膨大なコレクションになったと思われます。古い黄ばんだ割り箸を捨てようとすると、母親は、まだ使える、と頑強に抵抗しましたが、ほらここにもある、こっちにもあると指摘され、ふうっ、とため息をもらす。母親にとっては、一つ一つにそれなりの思い入れがあるので、第三者がそうしたものをどんどん捨てるのは、まあ、人格の一部をはぎ取られるような心境だったのかも知れません。

 ともあれ、こうして実家の台所は一新しました。ピッカピカとはいえないまでも、少なくとも腐敗したり賞味期限の切れた食品や、重複する道具類はなくなり、すっきりしました。

 台所がすっきりしてくると、廊下、風呂場、洗面所、階段室、本来居室であった物置、押入などのカオス度が気になってきました。しかし、手をつけ始めると何日かかるか分かりません。それに、休み無く働くわれわれも、監督する母もくたびれ果てました。

■5月22日(水)/叔父宅/中山町

 台所片づけを一通り終わった後、久代さんとわたしは中山町の叔父の家に行きました。仙台のライブに来ていた叔父です。われわれは、ごちそう責めにあいました。味噌をつけた行者ニンニクはおいしかった。

 叔父はダンプカー2台を所有して砂利運搬業を営んでいます。われわれの従兄弟にあたる息子の光秀君はその運転手。車好きの彼は、500万もしたというクラウンが自慢。素朴で口べたな彼が女性に持てない原因はどこにあるのか、というようなことを幼稚園の保母をしている妹の美江ちゃんも交えて激論をするのでした。焼酎をがんがん飲んだ光秀君は、洗面所で吐き、そこでダウン。

■5月23日(木)/山形→東京

 午前中も実家の台所片づけをして、昼すぎに新幹線で東京へ。

 車中、われわれの忘却力がいかに強くなったかを再認識しました。ふと、ハリウッド映画の有名女優のことをいおうとしたら名前が出てこない。「ほら、あのさ、お茶かなんかの宣伝に出てた女優。名前何だっけ」「あーあ、いるねえ。なんとかハンクスとメールで仲良くなったとかの映画に出てた」「トム・ハンクス。そうそう、その女優」「あれっ、わたしも名前が出てこない、誰だっけ」「うーん、何だっけ」「マーなんとかでもないし」「いや、ラーなんとかだったはずだ」「えっ、そうだっけ」などという会話が終わった後も、わたしは頭の中で必死に思い出そうとしていました。こういう場合の常として、あ行から順繰りに組み合わせてみました。ああ、あい、あう、などと、東北と北関東の田畑や山々や町を眺めつつ組み合わせを繰り返す。わん、でまた元に戻ったりしてなかなか思い出せない。そうこうしているうちに、脳の奥深い部分でかすかに記憶の断片が繋がり始めた感触があり、いきなりカチッという感じで出てきました。「メグ・ライアン!!」。別の想念に浸っていた配偶者は「えっ、あっ、そうそう、そうだった。エライ!!」などという。最近多いです、こういうのが。

 東京駅内の中華料理屋に久代さんを待機させたわたしは、大森駅まで行き、9月のわたしのライブをお手づたいしてもらうことになっていた亀岡さんと合流し、会場予定の山王オーディアムを見に行きました。落ち着いた高級住宅街に忽然とコンクリート打ちっぱなしのスタジオがありました。オーナーの武藤さんに挨拶した後、東京駅で待っている配偶者と合流し、再び新幹線で神戸に帰りました。こうして、東北・江戸ライブ兼筋肉痛的帰省の旅が無事終了しました。

■6月6日(木)/木下伸市コンサートwithロビー・ラカトシュ/サンケイホール、大阪/木下伸市:津軽三味線、仙波清彦:パーカッション、安カ川大樹:ベース、ロビー・ラカトシュ:ヴァイオリン、カールマーン・チェーキ:ピアノ

「大阪へ行くよ~。シンチャンのコンサートで」。この仙波さんのお誘いもあり、配偶者と二人でコンサートに出かけました。

 サンケイホールは比較的年配のお客さんで満員でした。今や津軽三味線は一種のブームです。なかでも、シンチャンこと木下伸市さんは、チャンピオンのなかのチャンピオン。いわゆる邦楽で、しかも器楽だけの公演でこれだけの人を集めるのはすごいことです。

 前半の彼のソロ演奏は、安定感とカリスマ性があり貫禄十分でした。聴衆は1曲終わる毎に熱狂的な拍手です。前半の最後にゲストのラカトシュが登場。黒マントでぱんぱんに膨れた身を包んだラカトシュは、不動の姿勢をとりつつ恐るべきスピードと正確さでヴァイオリンを操る

 後半は、二人による超絶技巧セッションでした。チラシに書かれた「百年に一度の天才といわれる木下伸市、ジプシーヴァイオリンの鬼才ロビー・ラカトシュ。超絶技巧、情熱、そして矜持。漂白の放浪芸をルーツとする名人芸の出会いが生む、白熱のバトル」そのものでした。

 公演終了後に楽屋へ行き、仙波さんとちょっと会話をした後、ラカトシュと記念撮影をしました。笑うと、ダリのような、口の両端でくるくるっと巻いた細い髭が上下に動く。楽屋のテーブルでは、カンバセーション社長の芳賀さんや福島さんと久しぶりにお会いしました。

■6月16日(日)/曽我、幸田氏来宅麻雀

 山崎町在住の陶芸家曽我了二さんと、神戸で建築設計事務所をやっている幸田庄二さんと、香港で買ったデカ牌で麻雀。デカ牌は大きくて見やすいけど、肩が凝ります。

■6月22日(土)藤本由起夫展/大谷美術館

 藤本さんの展覧会はいつも楽しい。今回は、音源の特定を混乱させる和室、大きな室内に敷き詰めた枯れ葉、「モネ」の話が印象的でした。最近彼は「話す」ことに興味がわいているということです。印象派のモネというと、ああ、あの睡蓮ね、となんとなく知っていますが、絵に奥行きと立体感をもたらすためにさまざま実験を行っていたというのは新たな発見でした。会場には、知り合いも多数来ていました。CAP HOUSEでよく会う大野裕子さんはばっちりのドレスでお茶屋さんをやってました。

■6月29日(土)HIROS居酒屋/CAP HOUSE、神戸

 CAP HOUSEは、今年から神戸市がCAPに運営委託することになりました。公式には神戸移民資料センターの管理ですが、従来のようにアーティストたちの創造的な空間としても活用されます。わたしは、アクト・コウベとの関わりもあり、ときどき出向いて若いアーティストたちと遊ぶことにしています。CAPの杉山知子さんや下田さんに「ねえ、HIROSもなにかやってよ。たとえば居酒屋とか」ということで、一日居酒屋を開店しました。三宮の道具屋でプロ用の提灯も買い求めました。おかず関係はわたし、アルコール関係は大野裕子さんのママズバー。

 当日のメニューは、ツナマーボー豆腐、カツオのたたきコリアン風 、キューリのナムル、ゴーヤ・チャンプルー、タコと焼きナスのサラダ、長唐辛子のじゃこ煮、半田そうめん、雪割り納豆おろし添え、ワカメのナムルでした。どれもみな好評でした。しかも数千円の利益でした。居酒屋のオヤジというのもなかなかよいものです。

■7月4日(木)、5日(金)ドクトル・新井来宅

 アメリカ在住のドクトル来宅。近所の市営プールで一緒に泳いだり、お寿司を食べにいったりと、いつもながらだらーっとした居候でした。ドクトルから帰国後「楽しい滞在でした」とメールが来ました。しかし、いつも自分のことやアメリカや日本の医学界や禁煙せよという話ばかり。そこで「我が家に居候するのはノープロブレムだが、次回来宅する場合は、少しは家主のわれわれが楽しくなるようなことを考えてほしい」と返事を書きました。以来、彼からはなんの連絡もありません。どうしているのかなあ。来なくなるとちょっと淋しい、というような男なんです、彼は。

■7月5日(金)/単なる昼食

「オランダからゴーデアムス財団の人がジーベックに視察に来て、今から森チャンとランチに行くけどこない?」と下田さんから電話があり、ほいほいと出かけました。ゴーデアムス財団は、フリー・インプロビゼーションや現代音楽を積極的に取り上げて支援しているオランダの団体です。来日したのは副館長アーサー・ヴァン・デル・ドリフト氏。顔がつるんとしたまだ若い長身の男性です。彼と一緒にジーベックを訪れたのは、オランダ在住のピアニストの向井山朋子さんとその娘。われわれは近所の「やらく」で歓談しつつ昼食でした。

■7月6日(土)/リハーサル/スペース天

「巫女・尼僧・白拍子・遊女」コンサートのためマルガ・サリの練習場であるスペース天でリハーサル。東京からの桜井さんと笙の高原聰子さん、お話とパーカッション担当の中川真さん、そしてわたしという顔ぶれ。前回の打ち合わせや、譜面とテープをもらった時点でも全容があまり把握できていなかったのですが、このリハーサルでようやく頭に入りました。この日初めてお会いした高原聰子さんは、プロの雅楽奏者で、芸大でも教えている小柄でわりとぷくっとした若い女性です。 

■7月7日(日)/日韓音楽祭2002/林英哲meets金徳洙/神戸国際会館/林英哲:太鼓、上田秀一郎:太鼓、小泉謙一:太鼓、金徳洙:チャンゴ、張玄鎮:プク、申燦善:チャンゴ、崔賛均:ケンガリ、李東柱:チン、元宗哲:テグム、朴鐘鎬:唄、金利恵:舞踊、仙波清彦:鼓+囃子、竹井誠:尺八+笛、望月圭:大鼓、小山貢:津軽三味線

  5月31日-6月30日に行われたサッカーのワールドカップは、日本や韓国の意外な活躍もあり盛り上がりました。普段サッカーなど見ないわたしもテレビを見て興奮しました。このワールドカップのためか、日韓文化交流も各地で盛んだったようです。しかし、文化交流といっても変な感じのものもありました。開会式がそうでした。韓国のミュージシャンと日本のポップ歌手ケミストリーが、アメリカ風ポップスを黒人っぽくものすごく上手に歌っている図式は、たしかに交流ではありますが、変でした。

 それに比べれば、この日韓音楽祭2002というコンサートは、ずっと真面目な日韓交流といえます。なにしろ、両国のスター打楽器奏者の組み合わせです。また、二人を支える音楽家たちも豪華でした。

 公演直前にまず楽屋の仙波さん、竹井さん、望月さんを訪問しました。入院したと噂で聞いた竹井さんは、ソウルでのリハーサルや本番からツアーが続いているのでちょっと疲れ気味に見えましたが、まあ、元気でありました。とはいえ、そのときにもまだ彼は自宅には戻れないといってましたが。仙波さんは、竹井さんはこういうコンサートにどんどん出てくれば大丈夫よ、と元気づけていました。同じ楽屋には、かねがねCDなどでお名前は伺っていた津軽三味線の小山貢さんにも会いました。「第1部は長いよおー、ここにいたら?」と仙波さんがいってましたが、折角なので客席に戻りました。

 たしかに1部は打楽器だけなので、英哲さんと金徳洙をじっくり聞けたとはいえ、少し長く感じました。

 第2部は、歌舞伎のお囃子も加わっているため、かなり不思議な音楽空間でした。第1部の体育会系的雰囲気から一変し、なんとなく歌謡ショーを思わせました。最後の「A・HE・HO」という曲は、ワールドカップの韓国応援団長だった金徳洙氏が作ったということです。

 コンサート終了後、ハーバーランドに近い焼き肉屋の打ち上げになんとなく参加しました。酒の進んだ金徳洙氏は、本当に意味のある日韓交流というのはこういう公演だ、公演をプロデュースした本村氏は偉い、もう欧米ミュージシャンはいらない、白人はいらない、と大演説。白人はいらない、と叫んだところで本村氏は、「お客さんがいなくなるからそれはダメ」などとたしなめるのでありました。

 出演者、本村氏、小林絵美さん他スタッフの方々、ご苦労様でした。いいコンサートでした。

■7月14日(日)あしゅん一人ライブ

 関西タブラー人材不足のため一人ライブでした。

■7月16日(火)、17日(水)/ホセイン・アリーザーデ氏と交流

 アリオン音楽財団の飯田さんから電話。

「別に用事ではないんですけど、今、神戸に来ています。19日に松方ホールで演奏するイランのホセイン・アリーザーデさんとホマー・ニークナームと一緒です」と、なんとなくつき合ってほしいという響きが感じられたので、一緒に夕食を食べに行くことにしました。

 三宮駅近くの中華料理屋で夕食でした。豊かな黒い髪と頬髭におおわれたアリーザーデ氏は、わたしと同年輩で、イラン古典音楽の大巨匠らしい自信に満ちた落ち着きと静かな語り口が印象的でした。パリ在住の歌手ホマー・ニークナームさんは、非常におとなしいしっとりした美人です。

 次の日、バーンスリーをもってホテル・ニューオータニのアリーザーデ氏を訪ねました。前夜に約束していたのです。彼は楽器を用意して待っていました。以前にインド人サロード奏者と共演したというので、じゃあなにか即興でやろうということになり、二人でちょこっとセッションをしました。ま、セッションになったかどうかは別として、初めて聴いた彼のセタールの響きは素晴らしかった。同席していた飯田さんも、こんなに身近でタールを聞けて得したなあ、ご満悦。途中で、ホマーさんもアーヴァーズを歌い出し、飯田さんとわたしは、ほんの1メートルも離れていないところで繰り広げられるイランの音楽に聴き惚れるのでありました。

 ホテル室内にわかパフォーマンスの後、彼らを馴染みの焼鳥屋に連れていきました。正解でした。二人とも大満足でした。しかし、支払いはわたしがする羽目になりました。飯田さんが、昨日は僕だったから今日はヒロスさんです、などという。昨日のはツアーの経費なんだろう、というのは止めて支払いました。昨日に比べてビールもたくさん飲んだのになあ。ま、いいかあ。 

■7月18日(木)/東京移動

 20日のコンサートのために、中川真さんと車で上京しました。真さんがゴングなどのパーカッションを運ぶ必要があったため車で一緒に行くことになったのです。東名の御殿場付近で渋滞はあったものの、7時間ほどで渋谷に到着しました。しかし、順調だったのはそこまで。

 真さんは、葛飾で知人の作曲家の作品が演奏されるというので、「電車で行くのであとは頼む」と下車してしまった。渋谷到着時点で燃料ゼロの警告ランプ点灯、都内運転未経験に加え、南浦和の鎌仲宅まで全く知らない道を走らなければならない、というなかなかに困難な状況に陥ったのでした。なにはともあれ、給油です。ところが、混み合う渋谷の街をうろうろしてもなかなかガソリンスタンドが見つからない。路上でガス欠はあまりに悲惨。ようやく一軒見つけて心底ほっとしました。

 カーナビにカマチャン宅の住所を入力し、指示に従って運転。ところが、このカーナビがあんまりかしこくない。道路は当然くねくねしているわけで、指示通りの道を走っているのにいちいち計算し直してルート修正を迫る。しかし、東京と埼玉の境界である戸田橋を越えるところまではすんなり行きました。ところが、地図上では10キロくらいしか離れていないはずなのに、南浦和になかなか到達できない。カーナビでは目的地に到達しているはずなのに、目につくのはラブホテルばかり。

 コンビニからカマチャンに電話すると、どうもカーナビに入力した住所が違っていたことが判明。同じ浦和に住む井上貴子さんの住所を入力していたのでした。これではいつまでたっても着けないはずです。それまでは真さんのカーナビを罵っていたのですが、スミマセンと謝るしかありません。で、結局、9時過ぎにカマチャン宅に到着しました。渋谷から実に4時間も過ぎていたのでした。

 葛飾から電車で南浦和駅に着いた真さんから「迎えにこい」という電話があったとき、わたし心底くたびれ果てていたので、カマチャンに迎えに行ってもらいました。

■7月19日(金)/リハーサル/延命寺、浦和

 お昼前に延命寺でリハーサル。さまざまな催しの案内をもらっていたにもかかわらず一度も訪れたことがなかった延命寺は、インド帰り仲間の河野亮仙氏が住職を務める天台宗のお寺です。何年か前に新築された本堂は、予想したよりも堂々として立派でした。相変わらず顔色はそんなに良くないけど前と比べてすっかりスリムになった河野さんに案内され、われわれは本堂で楽器を広げ、本番の流れをおさらいしました。その日、公演があるという高原さんの関係でお昼過ぎにリハーサル終了。

 都内の弟の家に泊まるという真さん、公演先に向かった高原さんと別れたわたしと桜井さんは、浦和駅近くへのうどん屋で昼食。駅への道すがら、桜井さんが「あのお、ランチはマックでもいいですか」と聞く。「ええっ?ハンバーガー?そりゃあないべ」「わたし、現金が2千円しかないんです。これで給料日まで食いつなごうと思ったら、1回の食事に200円以上かけられない」などとぼそっというのでした。彼女には悪かったけど、うどん屋の定食につき合ってもらいました。あの後彼女は夕食を抜いたのであろうか。

 夕方は、延命寺にいるときにお誘い電話のあった井上貴子さん、荒井俊也さん夫妻宅でタイ式カレーのディナーでした。現在、大東文化大助教授の貴子さんは同じインド帰り仲間で南インド音楽の専門家、コンピュータ会社に勤める荒井さんはかつてタブラーを演奏していて共演したこともあるという関係です。数年前に新築したお宅に初めて伺いました。

 台所で料理する二人のおしゃべりや昔話を聞きながら、枝豆をつまんでビールを飲みつつメインディッシュのカレーを待つのでありました。夕方の南浦和駅で合流してから材料の買い出しにいったので割りと遅めのディナーでありました。

 

■7月20日(土)「巫女・尼僧・白拍子・遊女」公演/東京ウィメンズプラザ・ホール、渋谷/桜井真樹子:声、中川真:パーカッション、高原聰子:笙、HIROS:バーンスリー

「桜井真樹子のパフォーマンスとレクチャーシリーズ、甦る日本の女たちの声」と題する4回シリーズ公演の第2回目でした。桜井さんは、日本でも唯一といえる女性の聲明師で、以前にもジーベックで演奏をお願いしたことがあります。会場はわりとこぢんまりした天井の高い矩形の空間でした。

 公演は、第1部が中川真さんの講演。源氏物語や枕草子に現れる平安京の音世界の話でした。ついで、聲明や彼女の作曲による作品。聲明、笙、パーカッション(ガムラン系)、バーンスリーという組み合わせは面白いものですが、結果はどうだったか。桜井さんの、赤い袴と白い着物の巫女衣装がなかなかにアヤシイ雰囲気ではありましたが。会場には、サウンドスケープ協会の関係で武庫川女子大の平松さんや鳥越けいこさん、宿を提供してくれたカマチャン、釣り用ベストを着た坂田明さん、ふらっと現れる星川京児さんなどが見えていました。久しぶりに、しかも東京で会った平松さんに「中川さんは、笛上手だね」とお褒めの言葉をいただいてしまいました。

 公演が終わって、すぐ近くのイタリアン・バーで打ち上げでした。森田伸子さんはじめスタッフや、二人のドイツ人男女、お客さんなど20人ほど。わたしの周辺には、平凡社の関口秀紀さん、邦楽ジャーナルの田坂州代さん、カマチャンなどがいて、ビールをぐびぐびとあおる。てっきり主催者のおごりと思っていたら割り勘でした。真さんは、途中で京都へ向けて出発していきました。

 カマチャンが、恵比寿のどこかで祝田民子さんが企画したライブがある、タダ飯も食える、というので打ち上げの後二人で出かけました。駅から相当の距離にある東南アジア家具雑貨店に着いたときは、かなりよれよれ状態でした。公演の後であり、カマチャンがやたら早足だし、蒸し暑いし、それに空腹が重なっていたのです。

 やっていたのは、小編成のバリ舞踊と音楽。クンダン奏者として名前は知っていた和田啓さんや、南洋音工作室の石谷嵩史氏と初めて会いました。小柄メガネの石谷嵩史氏は、上田益さんのCD「Nadi」のライナーノートを書いた人です。

 肝心のタダ飯はあらかた無くなっていので、帰りにカマチャンとパスタを食べ南浦和に着いたのは1時近かった。本当にくたびれた一日でありました。 

■7月21日(日)/東京の夏音楽祭「現代に息づくイラン古典音楽」/浜離宮朝日ホール、東京/ホセイン・アリーザーデ:タール、セタール、マジード・ハラジ:トンバック、ダーイレ、ホマー・ニークナーム:歌

 招待券を二人分もらったので、家主のカマチャンと出かけました。

 素晴らしいコンサートでした。舞台からなんともいえないいい香りが静かに立ちのぼってくるような、繊細な音の美が粛々と紡ぎだされる舞台でした。神戸のホテルで、アリーザーデ氏とニークナーム氏の音楽のさわりだけを味わいましたが、きちんとした舞台で聞くとまた格別です。また、完成されたミュージシャンという雰囲気を漂わす端正な表情のハラジ氏の精妙なトンバックも素晴らしかった。イラン古典音楽は、音階型を元にした即興演奏という意味でインド古典音楽と共通している部分もありますが、独特の繊細な時間感覚はイランならではです。

「東京の夏音楽祭」のプログラムだったせいか、どことなく上品な感じの聴衆が多いように見えました。ただ、わたしの隣に座っていた中年スーツ男が問題ありでした。演奏を聞きながら見えない指揮棒を振るのです。舞台に集中しようとすると、視界の角に彼の動きが目に入りイライラする。あまりにひどいので、わたしは途中で彼の腕をつかんで膝に置いたところ、その後はおとなしくなりました。

 会場では、キングレコードの井上剛さん、星川京児氏、ティム・ホフマン、高橋悠治さんなどの見知った顔も見えました。休憩のときに久しぶりにお会いした井上さんから「中川さんも年取ったねえ」などとしみじみいわれてしまいました。そういう当人も白髪が目立っていました。

 演奏を終えたミュージシャンたちが、入口でCDのサインをしていました。サインを待つ人々の列がとても長い。わたしは必死にペンを動かしているアリーザーデ氏とニークナーム氏に、またね、と言いつつ握手を交わして別れました。

 カマチャンが、今日はバーベキューパーティーなのよと、帰宅の道すがら申し述べる。帰宅してすぐ庭で準備。炭を熾していると、カマチャンの仕事仲間である3人の女性がやってきました。どっしりと頼もし中年カメラウーマン、西宮出身の若い女性ともう一人。忘却力増進につきお名前は失念しました。

■7月22日(月)/秋葉原、宮本

 カマチャンは昨夜の中年カメラウーマンと山登りに出かけ、起きたときは無人でした。

 お昼に秋葉原で宮本久義さんと待ち合わせ。宮本さんのマックの調子が悪いので、バックアップ用の外付けハードディスク、CD-RWドライブ、ノートン・ディスクユーティリティーを購入することにしていたのです。

 市川の自宅の書斎の机の上には、マックG4キューブと液晶ディスプレイが燦然と輝いていました。友人の使い古しのパワーマック8500と大きなブラウン管ディスプレイを使っているわたしとしては、なんともうらやましい姿です。で、起動してみると、宮本さんがうったえるように、G4らしからぬ低速とたびたびの電源切断があり、たしかに問題があるようでした。まず購入してきたものの接続と動作チェック。それが終わったら、外付けハードディスクにすべてのデータをバックアップしたのち、本体ハードディスクを初期化し、システムを再インストールしました。時間のかかる作業です。全て終わるまで深夜までかかりました。

 これで最初の頃の問題はかなり解消しましたが、問題は宮本さん自身がコンピュータ問題に対して学習しないことと、わたしのようにハングリーじゃないこと。かなり以前にやはり一緒に秋葉原に行ってパワーブックを購入し、インターネット接続一歩手前までお手伝いしたことがあります。その後彼は何年かそのまま未接続のまま放置していました。そのパワーブックは現在、息子の道人君専用になっていました。あれだってすごいマシンなのになあ。

 その日は道人君の部屋に泊まりました。ピアニストの麻理夫人はダンナのコンピュータにはほとんど関心なし。いつも忙しそうです。

■7月26日(金)/竹楽器トゥンガトゥン製作・演奏ワークショップ/CAP HOUSEアート林間学校講座/CAP HOUSE、神戸

 昨年も行ったCAP HOUSEのアート林間学校。わたしが担当したのは以前にもやった竹楽器トゥンガトゥン製作・演奏ワークショップと、インド音楽鑑賞講座でした。トゥンガトゥン製作・演奏ワークショップには、小学生から76歳の石上さんまで、年齢構成が広い12名が参加しました。楽器は、竹筒の一方の節を残したまま鋸で切るだけなのでとても簡単です。小学生の女の子が意外にすぐ把握した以外、やはり演奏にはみんな手こずっていました。

■7月27日(土)/インド音楽鑑賞講座/CAP HOUSEアート林間学校講座/CAP HOUSE、神戸

 参加者は10名ほど。冷房の効いた赤絨毯の旧台長室にオーディオ装置を持ち込んで、インド古典音楽の演奏例や、インド音楽に影響を受けた世界の音楽などを聞いてもらいました。

■7月28日(日)/発表会/アート林間学校

 アート林間学校講座の成果の発表会。単なる木製の箱である南米のパーカッション、カホンを作ったグループと合同演奏も敢行しました。

■7月30日(火)リハーサル/HIROS宅

 韓国料理店「ファサン」でのライブのため、田中峰彦さん、りこさんに我が家までおいでいただいてリハーサル。田中さんと演奏するのも久しぶりでした。インド音楽とは関係のないにわかセッションはなかなか面白かった。

■8月12日~16日十津川→那智勝浦

 恒例の十津川盆踊り、那智勝浦巡りでした。前年はアクト・コウベのためパスしたので2年ぶりでした。

 12日は、豊野町の佐久間宅泊。その次の13日、比較的早く出発したのでしたが、池田駅手前で佐久間君が忘れ物をしたため2時間のロス。

 同行は、佐久間+ウィヤンタリ夫妻とパニョト氏。ちょっと小柄でちょっとコロンとしたパニョトは、ガムラングループ、マルガ・サリの演奏指導のためにジョグジャカルタ芸術大学からやって来た先生です。彼は、車中で日本語インドネシア語交互学習をやっているうちに急速にわたしになつきました。わたしが間違っていつもサマサマといっていたので、いつの間にかニックネームもサマサマになっていました。

 4時ころ武蔵青年会館に到着し、まず近くの温泉へ。温泉では遅れてやって来たマッチャンこと松宮組と合流しました。

 わたしや佐久間君の十津川行が期待される主な理由は、二人とも料理ができるからです。その期待にそって、その日の夕食、チキンカレーを作りました。道具や材料の点で相当制約のある条件下にしてはおいしいカレーができ、真さんや20人くらいの武蔵青年会館滞在組も満足していたようです。若い女性を中心としたマルガ・サリのメンバー、すでに社会人になった真さんの教え子などに混じって、自転車で5時間かけてきたという河内長野ラブリーホールの宮地君など。

 13日の盆踊りは、大野部落組と小原部落組に分かれました。わたしはずっと大野に通っていますが、今回は小原へ行きました。小原は、急峻な大野とは違い、わりと開けた平地の小学校グランドが盆踊り会場。それだけに、人々との接触が薄い感じです。踊りのステップは大野や武蔵よりもずっと複雑です。大踊りのとき、村人が竹飾りをもって走り回るのですが、生首人形をぶら下げていたのにはちょっとびっくりしました。あれはどういう意味があったのだろうか。

 14日は武蔵部落の本番です。その日は雨が降ったり止んだりの不安定な天気。青年会館を宿泊所として使わせてもらっている関係もあり、われわれアウトサイダー約30人も、地元のタクシ青年の指示に従い盆踊りの飾り付けを朝から手伝いました。わたしと佐久間君は賄い係なので朝から台所でした。昼はジャージャンそうめん、佐久間作ナシゴレン、カレーのあまり、夜はツナ雑炊。

 今年の武蔵盆踊りはひと味違っていました。まず、盆踊り見学ツアー団体がやってきたこと。比較的年配の男女約30人の団体です。こんなことは初めてです。つぎに、奈良テレビの取材がきたこと。テレビ取材となると張り切ってしまうのか、集まった村人の表情が例年になく輝いているのでありました。

 テレビ取材のレポーターがけっこううるさかった。奈良テレビから後で送ってもらったビデオを見ると、元漫才師のレポーター青年ははしゃいでよくしゃべる。この取材は、ディレクターの出村氏がインターネットで検索していてなんとわたしのホームページを見つけた連絡してきたことがきっかけでした。しかも中川違い。真さんとわたしはよく間違えられる。

 踊りが終わったのは深夜の2時でした。その日の収穫は、そっくりかえって踊る姿勢が実にかっこいい若い女の子の名前が判明したこと。平瀬マリさんでした。かねがね気になっていていつか名前を聞こうと思っていたのです。以前、高校生くらいだろうと思っていたら、赤ちゃんを抱いていたので結婚したようです。

 15日の朝、ジャガイモきんぴら、山芋短冊、カボチャ味噌汁の朝食後、お昼頃まで後かたづけ。

 那智勝浦行組は当初よりも人数が増え、3台の車に分乗することになりました。真車に、マルガ・サリの田淵ひかりさんとわたし。田淵さんは、アゼルバイジャン風顔立ち痩身のイラストレーターです。片桐車に坪内優子さん。小柄な女子大生の片桐さんは大阪市大院生の23歳。19歳のボーイフレンドがいるとのこと。坪内優子さんことユーユは、京芸版画科の学生で、マルガ・サリのメンバー。往路、自転車でやってきた宮地君は、また自転車で帰るのはつらい、那智にも行きたい、ということで、石川さんと三木学車に乗り込む。

 予定よりもずっと早く那智勝浦に着いたので、那智の滝を見物したあと那智駅温泉につかってから、芝先家にどやどやとなだれ込みました。今年の芝先家宴会は、バーベキューではなく、地元でとれた新鮮な魚介類の刺身がメイン。おいしかったなあ。

 高校教師を退職したての奥様は、ずっと体調を崩されていたということです。彼女の病気というのが実に不思議です。活字を見ると気持ちが悪くなるのです。ひどいときには、カレンダーの文字を見てもだめだったらしい。われわれが押しかけたときにはかなり良くなっていたのですが、聞くほどに不思議な病気です。バリ舞踊をやっている娘さんのけいちゃんは相変わらず元気でした。

 芝先家の便所が新しくなっていました。扉を開けると便座が自動的にあがる高技術便座になっていました。以前、消防署に務める当主が買ったメルセデスにもびっくりしましたが、高技術便座もすごい。

 宴会で一番盛り上がった話題は、地元勝浦にしかない巨大なスイカゴオリ。かき氷をちょっとかためにして割り箸をつけたものです。夏になったら出会いたい、なんていう惹句で売り出したら売れそうだ、などといいつつ宴会は進んでいくのでありました。

 

■8月17日(土)リバーオリエンタル・ライブ/レストラン・リバーオリエンタル、京都

 リバーオリエンタルというのは、京都賀茂川沿いにある高級レストランです。内部はアジアの骨董家具などが配置され、現地好み植民者邸宅のおもむき。座席案内を待つ客を退屈させない趣向ですが、客からも店員からもほとんど無視されつつ、6時から10時までの4時間、安い演奏料で30分ずつ5回演奏する、というのはなかなかにタフな仕事です。

 もともとこの企画は、お店の代理店である「神戸アートクラブ」を通してマルガ・サリに依頼されたものでした。一回のギャラは安いけど1年間ほぼ毎日演奏するという条件は、たとえ家具としての音楽とはいえ定収入の確保という意味では悪くありません。手配を担当した佐久間君も当初は張り切っていたのでした。ところが、「利益ゼロで受けている」という代理店が実はかなりの中間搾取をしていたことが分かり、この企画はその後凍結状態になっています。

■8月18日(日)内田宅カレー

 近所に住む内田はるみさんからカレーパーティーのお誘いがあり、たまたまその日我が家に遊びに来た森川稚菜と訪問。その日参加したのは、家具デザイナー、設計士、内装業者など主に内田さんの仕事関係者。ほぼ無職の音楽家と自己紹介したら、真剣にわたしの収入改善策を考えてくれる男性もいました。3種類のカレーは東南アジア風で、わたしが作るインド風とは趣が違い、それぞれにおいしかった。

■8月21日(水)タンブーラー帰宅

 我が家で一番大きな弦楽器、タンブーラーが無事帰宅しました。東京の夏音楽祭のプログラムの一つ、<ゲーリー・スナイダー「終わりなき山河」>のためにアリオン音楽財団に貸していたのです。この楽器は図体が大きい上に専用ケースがないためほとんど使われることなく、我が家の玄関先に安置されていました。お返しにゲーリー・シュナイダーの日本語混じり直筆サイン入りのプログラムをもらいました。ビートニクの有名な詩人に触ってもらったタンブーラーはどことなくうれしそうに見えます。

■8月25日(日)12時~13時/インド音楽~即興の芸術/韓国料理店ファサン、大阪/田中峰彦:シタール、田中りこ:タブラー、HIROS:バーンスリー●3時~5時/北インド古典音楽ラーガコンサート/白鷹禄水苑、西宮/チェタン・ジョシ:バーンスリー、ヴィノード・レレ:タブラー

 谷町3丁目にある韓国料理店でのライブでした。以前、徳山謙二朗氏、『戦争の忘れもの 在日コリアンの叫び』などの著書があるフォトジャーナリストの山本將文氏とこのレストランで夕食を共にしたとき、オーナーの趙洋子さんに、一度やって下さいといわれていたのです。

 大きなビルの地下にある「ファサン」は、フランス料理店と見まがう内装と料理が特徴です。また、韓国を中心とした民族音楽コンサートもたびたび開かれています。

 ランチとセットのライブということで、異例の12時スタートでした。お客さんは約30名。「いつもは、たいてい50人はいらっしゃるんですが、インド音楽はちょっと勝手が違って宣伝も行き届かなくて」とはオーナーの弁。健康法としてのバーンスリーを始めた三木さんとお友達、額縁製作の宮垣さんと前に讃岐うどんツアーに同行した友人たち、「ゼニ不足なのでライブだけ」の池田哲朗さん、村田公一さんなど顔見知りの人たちも見えました。

 演奏後は、ビュッフェ形式のランチ。5種類のナムル、鯛のフェ、一口焼き肉のちしゃ葉巻きなど、どれも素晴らしい味でした。

 その日は、西宮の白鷹禄水苑でインド人のバーンスリー奏者の演奏会があるというので、ファサンでの食事後、田中夫妻、三木さんとお友達とで行きました。

 場所は、灘の酒「白鷹」酒蔵跡2階の木造スペース。聴衆は、敷物を敷いた床に直に座って聞きます。階段を登り切ったところの入口まで客でいっぱいでした。70人ほどか。

 われわれが着いたときには演奏が既に始まっていました。30代後半とおぼしきチェタン・ジョシのバーンスリーは、ハリジーのような強烈なインパクトには欠けるものの、インド人の香りのする演奏でした。ヴィノード・レレのタブラーは、典型的なバナーラス派の音色。こぢんまりとしていましたがなかなかよいコンサートだったと思います。

 演奏後、二人のインド人と話しました。ヒンディー語が通じることが分かった二人はよくしゃべる。同じバーンスリー奏者なので、われわれはそれぞれの楽器を見せあったり音を出したりしました。いかにもバナーラスアンチャンに見えるヴィノードが、わたしが在籍していたバナーラス・ヒンドゥー大学芸術学部のタブラー教授をしていると知り、当時の先生たちや演奏家の消息などを聞きました。われわれが所属していた楽理科は、われわれが大学を離れて程なく閉鎖されたらしいが、来年あたり復活するかも知れないといってました。当時先生になりたてだったリトウィック・サンニャルは学科長としてまだいるとのことですが、主任教授のプレームラター・シャルマー女史やアイヤンガル女史は既に亡くなっています。20年というのは長い時間ですね。

 このコンサートを作ったのは三田で保母さんをしている藤本みどりさん。わたしに連絡取ろうとしていたらしく、突然顔を見せたのでびっくりしていました。

■8月27日~29日/神戸山手女子短大集中講義

■8月30日(金)/ジーベック教師向けセミナー/ジーベックホール、神戸/講師:岩井正浩(神戸大学発達科学部教授)

 これまでの教師向けセミナーでは、実演者を中心にしてきました。しかし今回は、文部科学省が今年4月から施行された新学習指導要領の関係もあり、いわゆる民族音楽を学校教育に導入するに当たっての考え方を、神戸大学の岩井先生に包括的に概説してもらいました。

 今年4月から施行された新学習指導要領のうち、わたしの活動もちょっと関係してくるいわゆる民族音楽や邦楽に関する部分は以下のようになります。

 

▲小学3、4年生の鑑賞教材・・・劇の音楽,管弦楽の音楽、郷土の音楽、人々に長く親しまれている音楽など、いろいろな種類の楽曲。

▲小学5、6年生の鑑賞教材・・・「歌曲,室内楽の音楽、箏や尺八を含めた我が国の音楽、諸外国に伝わる音楽など、いろいろな種類の楽曲。

▲小学5、6年生の表現教材・・・「旋律楽器は、既習の楽器を含めて、電子楽器、我が国や諸外国に伝わる楽器などの中から児童の実態に応じて選択すること。

▲中1の表現教材・・・我が国及び世界の古典から現代までの作品、郷土の民謡など我が国及び世界の民謡のうち、平易で親しみのもてるものであること。

▲中学の鑑賞教材・・・我が国及び世界の古典から現代までの作品、郷土の伝統音楽及び世界の諸民族の音楽を取り扱う。

▲中学の教材の取り扱い・・・器楽指導については、指導上の必要に応じて弦楽器、管楽器、打楽器、鍵盤楽器、電子楽器及び世界の諸民族の楽器を適宜用いること。また、和楽器については、3学年間を通じて1種類以上の楽器を用いること。

 このように、新学習指導要領には小学校3年生くらいから、日本の音楽やいわゆる民族音楽というものに触れさせることを目指しています。このこと自身は、インドの音楽をやっているわたしとしても好ましいことだとは思います。しかし、一方で従来のように五線譜、音符、休符記号などの西洋音楽理論の基礎も並行して教えることが述べられています。

 邦楽やいわゆる民族音楽は、五線譜ではその美しさや味わいを表現できません。邦楽や民族音楽は、それぞれが独立した一つの音楽の体系です。その体系は固有の言葉で説明され演奏されます。どんな音楽も西洋音楽の「言葉」によってある程度は説明したり再現できるとはいえ、本質的な部分は伝えられません。バイリンガルならぬバイミュージカリティーを獲得した先生がいれば問題は少ないでしょうが、音大や教育学部出身の、西洋音楽中心の教育を受けてきた音楽の先生たちはどうやって異なった体系をもつ音楽を教えていくのだろうか。彼らの悩みは大きいと思います。

 「郷土の音楽」とか「郷土の民謡」というのも具体性がなくよく分かりませんね。神戸の先生たちは、何を教えるんだろうか。現代の神戸の「郷土の音楽」や「郷土の民謡」といってもねえ。

 岩井先生には、今ある世界の音楽それぞれを固有の価値のあるものとして相対的にとらえること、バイミュージカリティーの重要性、音楽の背後にある文化人類学的側面、音環境(サウンドスケープ)、芸術音楽と民俗音楽の関係などを指摘した上で、映像や音源を使い、概説してもらいました。

 このワークショップでなにか手っ取り早いネタを仕入れようとしていた先生たちもいたかも知れません。しかし、おいしいネタはなかった代わりに、教える側にしっかりとした世界観がなければなかなかうまくいかないことの認識を迫られたのではないか。そうした先生が少しでも生まれれば、今回のワークショップの目的はある程度達成できたことになりますが。 

■9月14日(土)/「千の産屋ーイザナギとイザナミの物語」インドネシア芸術大学+マルガサリ合同公演/滋賀県水口町立碧水ホール

 島根県八雲村の庭火祭のために来日したインドネシア芸術大学の先生たちとマルガ・サリの公演でした。

 神戸から電車で乗り継ぎ、貴生川駅でさらに小さな電車に乗り込んだら、どこかで見たような好ましい中年男女が乗り合わせました。十津川で一緒だった坪井ゆうゆさんとよく似ていたので尋ねると、やはり彼女の両親でありました。

 碧水ホールはこれまで何度もお世話になったホールです。現在の中村道夫館長になってからもユニークな企画が増えているようです。驚いたのは、ガムランのフルセットを購入して町民に演奏をさせるという試みです。「スタンウェイを買うよりはずっと安いですからね」とは中村さんの話。

 マルガ・サリの演奏は、ジョグジャカルタからの先生たちが加わっていたせいかとても引き締まっていて大満足でした。今回は器楽演奏だけではなく、ジャワ舞踊やワヤンまで含まれる物語性のある舞台でした。なかなかに良くできていた舞台だったと思います。とくに、創作部分の音楽はかなり気に入りました。猛烈な練習に励むマルガ・サリも進化しているようです。

 聴衆は200弱。会場には、多くの知り合いが来ていました。結婚したての夫を連れてきた本間妙圭さんはじめ、マルガ・サリの引退者たち、公演が終わったらすぐに信州に向かうという、島根からの瀬古さん一家も見えていました。

 帰りは、ダルマ・ブダヤの河原美佳さんの車に乗せてもらって帰宅。同乗したのは、美佳さんの一人息子の知世君、久しぶりの林公子さんとダルマ・ブダヤの若い女性メンバー。

 

■9月15日(日)ぎょうざ宴会/河原美佳宅

 前日会った美佳さんからいきなりぎょうざ宴会に誘われました。参加したのはダルマ・ブダヤのメンバー、女性3名(一人は鈴木さん、他のお名前失念)と阪大院生の東谷君。西宮のマンションに着くと、参加者がせっせとぎょうざ製作にかかっていました。才気煥発東谷君は雑学知識の豊富さを連発するが、自己愛の方が勝っているためか女性たちの強い関心を集めるにはいたらず、という青年でした。

 ここで、カスピ海ヨーグルト、という聞き慣れないものを食べました。鈴木さんによれば、このヨーグルトは密かなブームを呼んでいて、どんどん増殖しているのだそうです。彼女が送ってくれたメールには、以下のような説明がありました。

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 このヨーグルトは,京都大学の家森教授(当時は島根医大教授・病理学)が、かつてカスピ海沿岸の長寿村を調査された際に、同地から持ちかえったものです。それを京都大学の小西教授(専攻・解剖学)が譲り受け、さらに小西教授から甲田氏が分けてもらったものだということです。その特徴は、1.市販のものに比べて株が強力で、繰り返し更新しても悪くなったり薄くなったりしない。2.酸味が少なく、粘りっ気が強い。味というものをそれほど感じさせないのに、料理にいれるとたちまち濃厚な味に早変わりする。 3.腸のなかでの活性が高く人によっては「すぐその時から腸がグルグルと言い出した」という人もいる。

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 というわけで、我が家にも株を分けてもらいました。我が家で増殖した株も他家に嫁いでいます。

 

■9月23日(月)/モンゴルの長唄、日本の長唄/アジアの音楽シリーズ第21回コンサート/ジーベックホール、神戸/出演/シャルフーヒン(オルティン・ドー)、ハスバートル(ホーミー)、アマルバヤル(馬頭琴)、エンフバット(笛)、今藤郁子、今藤美佐緒、今藤文子、今藤長一郎

 アジアの音楽シリーズも21回目。89年が第1回ですから、このシリーズを13年もやっていることになります。ずっと続けたいとは思っていますが、この不況下、将来はどうなることか。

 ともあれ、今回は、日本の長唄とモンゴルの音楽を取り上げました。この企画の経緯は、プログラムにも下記のように紹介しました。

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日本の長唄、モンゴルの長唄

 1989年に始まった「アジアの音楽シリーズ」コンサートも今回で21回を数える。

 今回は、モンゴルのオルティン・ドーと日本の長唄である。

 この両者をとりあげた理由は、単に長い歌という連想からである。かたや馬や羊などをともなって美しい草原を移動する遊牧民の生活から生まれた民謡、一方は江戸時代の町民に人気のあった、三味線を伴奏とした室内楽。同じ歌とはいいながら両者の音楽様式はずいぶん違う。なぜこの組み合わせになったのか。

 わたしはまず日本の長唄をじっくり聴いてみたかった。長唄の今藤郁子さんは、わたしとは、エイジアン・ファンタジー・オーケストラの演奏家仲間である。これまで二度同じ舞台に立ち、長唄のもつ粋(イキ)な魅力にとても惹かれた。いつか彼女の長唄をきちんと聴いてみたいとずっと思っていた。そこへモンゴル国立歌舞団が来日公演を予定していることを知った。モンゴルにも長い歌というジャンルがある。せっかくだから、同じ長い歌ということで両方を聴いてみよう、これが、今回の企画が実現した経緯だ。

 モンゴルのオルティン・ドーは、文字通り長い(オルティン)歌(ドー)である。一息を長くのばして歌いあげることからこの名前がある。チメグレルという独特のコブシの入るゆったりとした旋律線は、モンゴルの広大な草原を滑空するようだ。使われている音階やコブシのせいで、われわれ日本人にはどこか懐かしさを感じる響きをもっている。

 オルティン・ドーのような拍節のない歌い方は、モンゴルだけではなく韓国、イラン、トルコ、ウズベキスタン、ハンガリーなどにもある。日本では、追分や馬子唄がそうである。追分や馬子唄がオルティン・ドーにとてもよく似ているので、これらは馬とともにモンゴルからきたという説もあるほどだ。

 いっぽうの長唄は歌舞伎の伴奏音楽として江戸時代に花開いた。日本の長唄の呼び名は、古今集の長歌(ちょうか)に由来していて、必ずしも長い歌を指すわけではないが、時計のような間隔の一定したリズムではなく、曲の途中で伸縮するリズムで演奏される。

 長い歌の連想で企画された今回のコンサートだが、ともに伸縮するリズムをもつということに注目して聴いてみることもできるだろう。

 現代のわれわれは、西洋的なテンポ感のはっきりした音楽に慣れ、歌うことを忘れつつある。長い時間をかけて特有の音楽美を作り上げてきた日本の長唄と、モンゴルの草原で育まれた両者のゆったりとした「唄」の流れは、こうしたわれわれの耳にはとても新鮮に聞こえるだろう。

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 当初は、予算の制約もあり、長唄組2人程度、オルティン・ドー組2人程度の音楽家をお呼びしようと思っていました。しかし、今藤さんは「わたしの母、京都の美佐緒さん、若手の長一郎君も連れていきます」といっていただいたり、また、シャルフーヒンを招聘しているイースト・ウィングの久野昭治社長にも3名の演奏家を加えていただき、豪華な布陣になりました。

 当日は、ほぼ満員。一頃に比べるとあまり活気のなかったジーベックは久しぶりに多くの人で埋まりました。長唄の関係もあり、和服をきりっと着た芸姑風の女性も見えていました。

 もちろん、舞台は予想通り素晴らしかった。金屏風、緋毛氈の舞台での長唄もよかったし、日本語の上手なハスバートル青年の進行解説もよかった。というように、よかった、よかったのコンサートなのでありました。

■9月25日(水)HIROS江戸ライブ/ノベンバーイレブンス、赤坂・東京/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、HIROS:バーンスリー/ゲスト/三好功郎:ギター、仙波清彦:パーカッション

 この江戸ライブは、中国音楽のコンサートを作っている亀岡紀子さんにお世話になりました。彼女はAFOでもスタッフとして参加しています。

 初日は、赤坂にあるライブ・レストランでした。ここは、宇崎竜道氏の経営するフランス料理店です。店はそれほど大きくはないのですが、真ん中にちゃんとしたライブ用の舞台設備が整えられています。

 4時に店に着くと、今日のゲストをお願いしていたサンチャンが助手の山下選手と到着。お店の赤崎氏とマイクや楽器配置を相談していると、やあやあ、と仙波さんがマネージャーの郡司選手と現れました。

 3階にある楽屋で本番を待つ間、サンチャンや仙波さんたちとおしゃべり。あるギター弾きの話はなかなかに面白かった。彼は、ある有名なロック歌手のバンドでツアーをしていた。そのロック歌手は、どういうわけか次々とバンドのミュージシャンをクビしてしまう。いつ自分が切られるかと気が気でないミュージシャンたちは、歌手の信頼厚いギター弾きになにげなく相談する。などなど。ミュージシャンの話はなかなかに下らなく面白く、ときには切ないのであります。

 第1部でゲストに乱入してもらいました。曲は、サンチャンの美しいバラードPraiseとラーガ・キルヴァーニーをベースとした非インド音楽的即興セッション。サンチャンのギター、仙波さんの机上展開小物パーカッションは天下一品、一緒にやらせていただいてとても光栄でありました。しかも彼らはノーギャラ。本当に申し訳ありません。サンチャン、仙波さん、ゴメンネ。いつになるか分からないけど、次はちゃんと払います。

 知り合いのお客さんも見えていました。バイオリンの飛鳥さん(けっこうマメにわたしのライブに来てくれてうれしい)とプラネット・アーツの小林絵美さん、プロの俳優の演技トレーニング「安井塾」を主催する安井ひろみさんとそのお友達、仙波さんのマネージャーの吉尾さん、秋田出身豊胸おばこの遠藤桂子さんとお友達、Waitomo CafeのWaitomoさんと多分奥様などなど。とはいえ、安井さんとWaitomoさんがいらしたということは後になって知りまして、実はこのお二人にはまだ一度もお会いしていないのです。安井さんは、わたしのことを大林監督に似ている、と日記に書いていました。インド映画狂の松岡環さんは、忙しいのでライブは失礼しますが、とジョニ黒の差し入れ。彼女はとても律儀な人で、なかには「荷物になるようでしたら、宅急便でおくって下さい」というメモとともに、宅急便の用紙と1000円分の商品券まで入っているのでした。

 終了後、徒歩10分のところをタクシーで20分かけてその日の宿舎へ。亀岡さんが用意してくれたのは、ツインタワーに近いチェリオ赤坂というマンション。これがとてもゴージャスでした。なにしろ世界の黒川紀章の設計、かつそのご本人と奥様の若尾文子も住んでいるという。亀岡さんの知り合いの会社が、外国からの賓客や出張社員のために確保してある一軒で、バブルのころは7億円もしたらしい。

 その夜は、ずっと研究しているという胡弓の話や、プロしかいない中国人音楽家、北京留学の苦労などを亀岡さんから聞き、寝たのは2時過ぎでした。

■9月26日(木)HIROS江戸ライブ/山王オーディアム、大森・東京

 朝、ブーシャンが「東京に弟子がいる。今から呼ぶ」と申し述べた磯部陽子さんとアジアセンターで待ち合わせ、三人で近所の蕎麦屋の昼食。以前にタブラーを習っていた磯部さんは元気でたくましい感じの若い女性で、最近、関西から東京に引っ越してきたということ。本職はマッサージ師。彼女のマッサージは絶品でした。二人それぞれ1時間ずつやってもららい体がとろけました。いい弟子をもっているなあ、ブーシャンは。

 3時過ぎに楽器を持って、溜池山王→銀座線→新橋→JR→大森と移動。大森駅で亀岡さんと合流しタクシーで山王オーディアムへ行きました。着くと、なんとハムザ・エルディーンのマネジメントをしていた山口千鶴子さんがおかきの差し入れをもって待っていました。彼女に会うのは久しぶりでした。

 会場はコンクリート打ちっ放しの空間なので音響は不要かと思われましたが、演奏してみると音量バランスがうまくとれない。そこで、急遽、寺門氏にPAを設営してもらいました。彼はこのスタジオで録音をやっている人なのでした。おかげで、ちょっと寒かったけど、気持ちよく演奏できました。

 お客さんは約20名ほど。長唄の今藤郁子さん、松澤緑さん、ヴィオラ奏者のスズコこと高橋淑子さん、徒歩二三分のところに住むというインド通信の臼田さん、磯部さんなど。絶対行きます、と連絡のあった、小島卓さんやアニマレコードの安井さんは結局見えませんでした。

 関係ないけど、小島卓さんは、最近インドから帰国したジャーナリストで朝日選書『やがてインドの時代が始まる』という本を出しています。また、アニマレコードは、ボンベイでわたしと一緒にハリジーにレッスンを受けていたラケーシュ・チャウラースィアのCDを出したレコード会社です。ラケーシュのCD、「Vira」は、最近もっとも気に入っています。彼は、ひょっとするとハリジーを越えるかも知れません。

 終演後、オーディアムの武藤オーナー夫人、長唄の今藤流長唄名取りだという娘さん、息子さんのお嫁さん、亀岡さん、ブーシャンとで、大森駅近くの焼鳥屋で打ち上げでした。

■9月29日(日)林清納展「インド音楽と舞踊の夕べ」/砺波市立美術館、富山/ダヤ・トミコ:バラタナーティアム、クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、杉本伸夫:シタール、HIROS:バーンスリー

 林清納さんは、インドの女性をモチーフにした油絵を描く地元の画家です。その林さんの個展周辺企画の一つが今回のコンサート。林さんの個展で演奏するのは実は今回で2回目です。前回は、99年10月に福野町のヘリオス劇場でした。

 京都方面からのダヤさん、ブーシャン、わたしの三人は、高岡駅で出迎えた背広姿の若い学芸員末永氏の車で、田舎風景の中に忽然と立つ陰気な印象の近代建築の美術館に到着。ほどなくして、名古屋方面から杉本君も到着。

 大作の並ぶ展覧会場に設置された舞台を囲むように座る聴衆は200人ほど。シタール20分、舞踊25分、シタール+バーンスリー15分という構成でしたが、最初の杉本君のシタール演奏がちょっと長引いたので、終演時間を15分ほど超過してしまいました。まともにやれば2時間でも足りないほどなので、仕方がありません。公演の模様は、次の日の北日本新聞に写真入りで紹介されていました。

 高岡から歳森勲さんと林口砂里さん夫妻が来ていました。終演後、彼らと一緒に、その日にわれわれが泊まるニチマ倶楽部に近いパスタ屋「ボルカノ」でピザやスパゲティの打ち上げ。天井が高く広い店内の客はわれわれだけでした。BGMががんがん響いているのがなんとなくさびしい。

 元紡績工場女子寮をホテルにしたニチマ倶楽部の部屋はとてもゴージャスでした。昔、ヘリオス劇場に来たとき配偶者と泊まったことがあります。 

■10月9日(水)/CAP HOUSEライブ/ピーター・スポエッカー:ディジュリドゥー、ヨシダダイキチ:シタール/CAP HOUSE

 カリフォルニア出身白髪全面髭痩身菜食主義者のピーター・スポエッカーの演奏する自作のディジュリドゥーの音色は、下痢とおならの音にリズムと倍音を加えた感じ。サイコ・ババというバンドで活躍するヨシダダイキチさんの、エフェクターを使ったシタールもかなりぶっ飛んでいました。インド生まれのシタールという楽器も、かすかにインドを漂わせつつひたすらアヴァン・ギャルドに向かうのです。面白いなあ。もう一人、口琴なんかを演奏していた青年がいたのですが、お名前を失念。 

■10月11日(金)佐久間+W、坪井ゆうゆ来宅宿泊/18日打ち合わせ

 奈良・明日香村の岡本寺で一緒に即興セッションをやることになった佐久間君とウィヤンタリが、マルガ・サリの坪井ゆうゆと一緒に来宅し宿泊。セッションの打ち合わせはあっという間に終えて、宴会になだれ込んだことはいうまでもありません。

■10月12日(土)曽我宅訪問

 山崎町の曽我さんから麻雀の誘いがあり、幸田さんの車で初めて彼の家に行きました。

 曽我宅のあたりは、田畑や山々の織りなす実に美しい田舎風景でした。もちろん空気も全然違います。

 伝えてあった芋煮用の大量の材料と炉が庭に準備されていました。なんと松茸までありました。三人でゆっくり豪華芋煮を作って酒を飲みました。予定よりかなり遅れて息子の弾君が到着してメンツがそろったので、曽我さんが自力で建てたという離れで麻雀を開始。ほどなく、曽我さんの知り合いの大前さんという大工さんも参加しました。60歳とはとても思えぬ大前さんが実に面白い。「そんなに気を使わんと」「木を使うのがわしらの仕事だからなあ」なんていう奇想天外な駄洒落が機関銃のように発射されるのです。その日は午前2時近くまでやりました。

 次の日、離れで寝ていた幸田さんとわたしは、いそいそと朝食を準備する曽我さんにたたき起こされ、今からやるんや、と朝食後再び麻雀です。結果的にはわたしの一人勝ちでありました。昼食に行った得々うどんの代金は当然わたしが持つことになりました。

 夕方帰宅し、すぐにCAP HOUSEへ。TOAを退社してCAP HOUSEの活動に専念する下田展久館長の歓迎宴会でした。参加者は20人ほど。キムチ、水炊き、みぞれという三種鍋に愛チャンのナムル、大山崎山荘美術館学芸員落合さんの特製サラダなどを肴によく飲みました。宴会場の白鳥の飾り付け、座卓配置など、なんとなく中小企業社員温泉旅行宴会のような趣でありました。

 

■10月15日(火)拉致被害生存者北朝鮮より帰日

■10月18日(金)/十三夜の宴/岡本寺/佐久間新+ウィヤンタリ:ジャワ舞踊、HIROS:バーンスリー、久田舜一郎:小鼓(飛び入り参加)

 岡本寺は、奈良時代がそのまま凍結されたような山里にあります。

 98年11月にこの宴で演奏しましたので、今回が2度目でした。ここでは、鈴木昭男さんやベーシストの齊藤哲さん、小鼓の久田さんなどもパフォーマンスをしています。柏井快英住職の娘さん、貴里子さんのネットワークはますます広がっているようです。

 楽屋にあたる2階で準備をしていると、ひょいと久田さんが顔を見せましたので、「ひょっとして楽器をお持ちですか」と聞くと「京都公演の帰りなのであるにはありますが」というお答え。「食事後に、わたしと佐久間君、ウィヤンタリのにわか即興パフォーマンスがあるのですが、チラッと参加するなどというのは可能でしょう」。「えっ、まあ、もしそういうことであれば喜んで」と、はにかむようにおっしゃる。

 全国紙に紹介されたためか、50人以上の人たち来ました。本堂での護摩の後、わたしのインド音楽のソロ演奏に続き、佐久間君とウィヤンタリがその演奏に即興で絡んできました。佐久間君のジャワ舞踊の弟子、石田敦子さんはゴングを叩いて参加。ここでひとまず休憩し、参加者に夕食が振る舞われました。

 食後パフォーマンスの時間が来て2階に行くと、久田さんが紋付き袴に着替えていました。久田さんは、ちょっと下を向いて「どういうわけか、紋付きもちゃんとあったので」と恥ずかしそうにいう。「でも、草履がない」。

 篝火が照らす庭でパフォーマンス。もちろん、「どういうわけか」楽器も衣装も万全の久田さんも加わりました。当初は雨も心配されましたが、雲間から夜空が見え始めていました。わたしは、笛を吹きつつ空を見上げ、念じたのでありました。「十三夜の月よ、出よ、出よ」。すると、ゆっくりと動く雲間から月が現れ、その光を静かにわれわれ注いだのでありました。ついにわたしの笛は奇跡を呼べるほどになったのだ。んなことないか。

 パフォーマンスの後、庭の隅に設営したテーブルで月を眺めながら食事。こういう雰囲気では酒ががんがん進みます。布団にもぐったのは深夜2時ころでありました。同席していたのは、貴里子さん、久しぶりにお会いした広田夫妻、これまたとんでもなく久しぶりの雨森夫妻(実に10年以上)、酒ぐいぐいの石田敦子さん、北海道森町生まれ山形支局勤務経験のある共同通信の女性記者林さんなど。

 次の日、二日酔い気味で起きたら、貴里子さんはすでにわれわれの朝食を用意していました。情緒不安定気味の石田敦子さんは、二日酔いのためかブルーな感じでした。大量コーヒー、所定の仕事、お風呂、余った料理を使ったスパゲティー摂食後、佐久間君、ウィヤンタリとで岡寺見物、広田夫妻の車でポートアイランドまで送ってもらいました。

 

■10月26日(土)/植松奎二展→中川宅麻雀/ノマルエディション、大阪

 曽我さんから再び「麻雀するぞ。でもその前に大阪でやっているケイチャンの個展見に行くねん」と誘われたので、幸田さんの車で大阪へ行き、久しぶりに植松奎二さんの作品を見に行きました。

 ノマルエディションは、城東区のいわゆる下町にある波スレートで囲われた2階建ての工場風の建物です。そこで植松さんらしい作品が展示されていました。新しいのは、一本の木を屋内に移植しその周辺に螺旋状に蛍光灯を配置したもの、二つの壁面いっぱいに映し出される上下行する滝の流れ、小さな鉄板の切れ目にはさまれたグラスや蛍光灯など。もはや確固としたスタイルを持つ作家で手堅い作品でした。しいて願望すれば、初期に感じられたオドロキがほしいと感じました。

 その日は、後で弾君も加わり、深夜まで卓を囲みました。そのころの曽我さんは「点数計算は自分でしなければだめだ」と麻雀ルール理論方面の研究にエネルギーを注いでいたのでありました。

■11月1日(金)/丹後、鈴木昭男宅引っ越し手伝い

 マルガ・サリのメンバー松宮さんことマッチャンの「解禁になっているはずのカニ食べにいきましょう」の勧誘と、アッシー佐久間君も行くというので、丹後の鈴木昭男さん宅に行きました。しかし待っていたのは、肝心のカニではなく、いつ果てるとも知れない引っ越しの手伝いなのでした。カニの解禁は、実は7日でした。どうも、だまされたようです。

 ずっと住んでいた古い家を11月中に引き払わなければならない昭男さんは、網野町の湖畔にある自作の家の製作と、引っ越し荷物の整理ですでにぎっくり腰状態。彼は、12月にはオーストリアへ行き、来年の春まで帰国できないので焦っていました。

「もおう、昭男さんはなあーんにもしてないんだから」とあきれつつ作業していたのは、和田淳子さん。昭男さんの前の、そしてベルリンに住むサウンドアーティスト、ハンスペーター・クーンツの現在の配偶者です。彼女はハンスペーターと来日し、湖畔新宅離れのドイツハウスの仕上げをしていましたが、彼が帰国した後も留まって引っ越し手伝いをしていたのです。

 湖畔の館は、それ自身が昭男さんの作品といえるもので、かなり以前からゆるゆるとすすめられて来ましたが、完成はいつになるか分からない。したがって、荷物はひとまず網野町中の古い民家に運び込みました。それにしても、ものすごい荷物の量でした。しかも未梱包が圧倒的に多い。

 空いた一升瓶の入った段ボール箱を抱えて「これは捨てていいですよね」と昭男さんに聞くと「あっ、それは、うーん、やっぱりダメ。作品だから」「でも、単なる空き瓶ですよ」「うーん、でも、ダメ」。昭男さんは、ステラレナイ人なのです。

 こうして、運んでも運んでも進捗状況の見えない引っ越しが続くのでありました。わたしは、軽乗用バンの運転手として、片道40分ほどかかる網野町の民家と丹後の家を、ときおり降る雨の中を往復するのでありました。

 夕闇迫る頃、網野町の井杖屋で刺身を購入後、昭男さん、淳子さん、佐久間君、ウィヤンタリ、マッチャン、わだすの全員で温泉に行きました。象設計集団設計というモダンな作りの温泉は最高でした。暴風雨の吹きすさぶなかの露天風呂というのもなかなかです。もっとも、佐久間君はあまりの風でコンタクトレンズを吹き飛ばされたとのこと。風呂上がりに試した足マッサージ器で200円をだまし取られたり、鍋用の白菜、ポン酢、毛糸の帽子を購入しつつ、まだ雑然とする鈴木宅へ戻り、刺身とキモ鍋でその日の疲れを癒すのでありました。マッチャンはその日に篠山の自宅に戻っていきました。

 次の日は、12時から作業開始。大阪芸大の能美君、彼の女友だちの上西さん、昭男さんの弟子という山崎青年、いったん篠山へ帰宅したマッチャンが連れてきたマルガ・サリの西真奈美さんたちが合流したので、人手と車が一気に増えました。マッチャンと満腹亭でラーメンの昼食後、みんなで湖畔の館へ。

 湖畔の館には、それぞれが小さい3棟の建物が並んでいます。白い壁に柱や斜交いが露出している通称ドイツハウスはほぼ完成し、この間までは淳子さんとハンスペーターが寝泊まりをしていました。開口部の多い建物はとても洒落ていて、その名の通りドイツっぽい。いっぽう、昭男さんの居室兼スタジオになる予定の建物はまだ床も壁も仕上がっていません。その「母屋」からちょっと離れたところに、モンドリアンと呼ぶ物置が建っていてそこは完成でした。実際、物置なのですが、一部に狭いベッドと机が作られています。『方丈記』の方丈のおもむきです。

 薄暗くなった頃、山崎青年差し入れの松阪牛の誘惑を振り切ってマッチャン、佐久間君、ウィヤンタリ、西さん、わだすが帰ることになりました。途中、吉野屋牛丼ディナーを済ませたわれわれは、篠山のマッチャン宅で佐久間車に乗り換え豊野町まで帰還。わたしは池田駅まで送ってもらい、帰宅したのは12時近くでした。2、3日筋肉痛が続いたことはいうまでもありません。だれだあ、カニなんていったのはあ。

 

■11月4日(月)/Welcome to CAP HOUSE- 2002秋/鍵盤ハーモニカコンサート/CAP HOUSE/野村誠、片岡祐介、片岡由紀、林加奈

 CAP HOUSE恒例の催しは今年も盛りだくさんの内容でした。参加メンバーの作品展示を中心としたCAP アートフェア、小石原剛個展「青空茶室」、「CAP HOUSEからの散歩展-うつりかわる街」、アート&サイエンスプログラム「土を知る、土を楽しむ#0」、「職人講座ガイダンスー建築職人の仕事―」、辻本貴則監督作品『よろしく5人』、「animation soup 2002 in CAP HOUSE」、CAP 寄席 (桂吉朝、他)などなど。アクト・コウベも展示で参加しました。

 野村誠さんは、今は京都の大学の先生になりましたけど、東京中心にどんなリクエストでも演奏できるという鍵盤ハーモニカ路上演奏をこれまで続けてきたユニークな作曲家です。この日は、定番のサザエサン、どうしても正座になってしまうという武満徹、バッハ、ベートーベン、ジョン・ケージなどを1階で演奏した後、2階で『体育館の音楽』のビデオを見、さらに即興的会話的パフォーマンスといつ果てるとも知れないノリで客を引っ張っていきました。いつもながら彼はすごい。野村さんの『路上演奏日記』(ペヨトル工房、1999)を購入して後で読みました。これも実に面白い。どうしていつもサザエサンなのか、よく分かりました。この小さな本はお薦めです。

 このコンサートの後、3階のC.U.Eで白井廣美さんのパフォーマンス、北川真智子さんの箏、3人の女性アーティストトークがありのぞきました。

 3階から1階に戻り、加納バーでしばらく飲み、たまたま来館していたフォーク歌手のあがたもりお氏とちょっとおしゃべり。

■11月5日(火)/アイフォニック地球音楽シリーズ#89「ミャンマー人形芝居」/伊丹アイフォニックホール/マンダレー人形劇場

 アイフォニックホールのこのシリーズは、集客こそ一頃よりも落ちてきているとはいえ、本当によく続いています。

 今回は、珍しいミャンマーの人形芝居でした。人形遣い6人、歌手2人、楽器演奏5人という編成。40センチくらいの人形はたくさんの操りひもで動かします。

 伴奏音楽はインドに似ています。楽器こそチー・ワイン、マウン・サインといった東南アジア特有のゴング類などの打楽器が加わっていますが、音楽文化的にはインドに近いのではないか。19~21連のピッチの違った太鼓を円弧状に並べたパッ・サインという楽器は、まるでタブラータラングです。

 会場で、現代人形劇センターの塚田千恵美さん、ベンガルの巻き絵紙芝居ポトゥワの東野さん、白井廣美さんに会いました。チャンネル・アジアの旦匡子さんも見たように思いましたが、確認できず。終演後、エネルギッシュに世界の人形劇を紹介する元気な塚田千恵美さんにチラッと挨拶しました。

■11月6日(水)/駒井家宴会/カニ鍋

 名古屋に住む姪の亜矢子ちゃんの帰省にかこつけた、駒井家主催カニ宴会でした。かつては3人の子どもでにぎやかだった駒井家も、今や夫婦二人です。長男の仁史君は鳥取大学、次男の和彬君は山口大学の学生です。時間のたつのは速いものです。

■11月7日(木)/日高氏来宅

 岡山の日高さんが、盲目のカリンバ奏者、アチラの案内役として神戸にやってきました。漆黒に近い顔、ちょっとお腹の出た小柄なアチラは、ひょうきんなウガンダ出身カナダ人。セント・ミカエル学校とカナディアン・アカデミーで演奏するための来神でした。

 受け入れ先であるセント・マイケル学校のメリッサにアチラを引き渡せば日高さんの仕事は終わり、我が家に一泊して帰るはずでした。ところが、メリッサにアチラをうまく引き渡したのはいいのですが、それからがてんやわんやでした。

 翌日演奏することになっている3階講堂に行ってみたら、講演用の単純な音響設備しかない。アチラは「PAのないところではできない」と言い出す。音楽用PAは学校にはない、業者も知らない、予算がない、まあ、どうしよう、キャンニューヘルプアス、とメリッサはすがるようにわたしを見る。若い美人にせがまれると拒めないオッサンは、いろいろ考えた末、CAP HOUSEの簡単なPAを貸してもらおうと提案。言った手前、そこで放るわけにもいかない。結局、館長の下田さんに事情を話して同意をとる、CAP HOUSEへ歩いていって機材を確認する、タクシーに積んで学校の講堂まで運ぶ、適正な場所にマイク、ミキサー、スピーカーを配置する、音量や音質のバランスをとる、といった一連の仕事をやらざるを得なくなってしまったのでありました。

 そんなこんなで終わったのは夕方。じゃあいっしょに食事にということになり、学校の先生仲間であるエリカ、ランボー(タンザニア出身カナダ人、巨人)、日高さん、アチラ、メリッサとスリランカ料理の「セントラル・コート」で夕食をしました。おいしかったけど、ちょっと高い。

 セント・ミカエル学校の先生たちと別れたわたしと日高さんは、やれやれ、といいつつ我が家に戻って深夜3時まで飲みました。

■11月8日(金)/実験Duoライブ/ジーベック/鈴木昭男、灰野敬二

 前日CAP HOUSEから借りたPAはメリッサが直接返すということになっていましたが、仲介の責任上わたしも同行することにしました。ところが、返却するという時間に学校へ行くと肝心のメリッサはいず、携帯も不通という状況でした。結局、園長の車に積み込んでエリカと返しに行くということに。またまた、3階の講堂から運びおろすのも、車に積み込むのもわたしという因果なことになってしまいました。

 CAP HOUSEに無事運び入れて30分ほどすると、返却すべきマイクをもったメリッサが薄手のアフリカ衣装でやって来てあやまる。寒さに震えながらの説明を聞くと彼女も大変だったらしい。アチラが糖尿病のせいで昨晩は一睡もせず、よれよれで学校でワークショップとパフォーマンスをし、今、宿舎に彼を送り届けてきたところだという。ぺらぺらの衣装は寒いし動きにくいし、アチラは不平ばかりでこちらの事情を理解しようとしないし、やってられない、あーあ、とのこと。でも少しはわたすのことも気にしてほしかったものであります。

 帰宅してほどなくジーベックのコンサートへ行きました。鈴木昭男さんと灰野敬二さんの即興セッションでした。どちらも人気も実力もある人なので、ジーベックには知人も含め多くの人が詰めかけていました。主催は、最近、昭男さんのイベントを作っている「ねこのてくらぶ」。

 観客が階段や2階から見下ろすなか、行われたパフォーマンスはなかなかに面白く、2時間があっという間でした。二人とも、楽器の選択とパフォーマンス時間の配分の感覚がとてもよい。この種の即興パフォーマンスは、時間が長くなるとだれてきたり繰り返しが目について退屈になりがちですが、さすがです。

■11月9日(土)/森川稚菜+潘愛莉来宅

 久代さんの神戸外大同窓生二人組が来宅。わたしは稚菜の風邪を完全に移されてしまい、以降、2週間もんもんとした日々を送る羽目になりました。今後、風邪の人は直してからおいでください。

■11月10日(日)あしゅんライブ/あしゅん、神戸三宮/ゲスト/吉田大吉:シタール

 タブラー不足、というか低料金でもやりたいというタブラー演奏者不足で、またまた一人で演奏することになっていましたが、シタールの吉田大吉さんが和歌山から駆けつけてくれたので、にわかセッションを楽しむことができました。吉田さんインド音楽とは違う独自の即興スタイルでシタールを演奏しますが、これがなかなかに面白い。

 お客さんは、久しぶりの橋本健治夫妻、三木さん、三木友人とハワイ在住イギリス人男性、常連の近藤さん、吉田さんの友人のまるちゃんなど。

■11月16日(土)/エバーグリーン給排水管取り替え工事特別委員会

 去年の5月に入居したマンションが給排水管をすべて取り替えるという大がかりな工事をすることになりました。わたしは、建築士の資格をもっていると書いてしまったために、住民による検討委員会の委員に指名されてしまったのでした。

 ここは、全700戸弱の大規模なマンションです。築20年という古い建物なので、給排水管が塩ビでなく鉄管です。その鉄管の腐食が進行していて、何もしなければ漏水という深刻な事態になると。そこで、選抜された住民が工法や実際の工事におけるさまざまな対策を協議して、発注者代表である管理組合に助言をする、というのが委員会の役目。なにしろ、総工費4億円という大工事です。委員会に出席してみると、こうした工事に対処できるプロもけっこう住んでいることがわかりました。建築士の資格を持っているとはいえ、もはや単なるヒマな笛吹きのわたしには、ほとんど発言の余地もないほど充実した委員会でした。

■11月19日(火)/民族楽器紹介ワークショップ#16/トゥバの喉歌/講師:等々力政彦/東浦小学校5年6年

 今年度最初の小中学生向けワークショップも16回目です。今回は、南シベリアのトゥバ共和国の芸能を等々力さんに紹介してもらいました。彼は、トゥバに植物を見るため通ううちに、その芸能に魅せられてハマッてしまった青年です。今ではプロの音楽家として大活躍中です。

 喉歌を初めて聴く人はたいていびっくりします。参加した子どもたちも、等々力さんの演奏が始まると、あれっ、とか、えっ、とつぶやく。なんだこれは、と思っていたんでしょうね。これだけでも、子どもたちには十分なインパクトを与えたと思います。

 トゥバの喉歌、フーメイは、叙事詩を語り歌う際の装飾技法の一部であり、独立した特殊芸能ではないこと、モンゴルのそれとやり方がちょっと違うことが彼の説明で分かりました。わたしがたまにやっているのはモンゴル方式だったようです。

■11月24日(日)AKJ芋煮会/CAP HOUSE/参加者/川崎義博、白井廣美、角正之、東野健一、中島康治、北川真智子、杉山知子、中西すみ子、稲見淳、龍神悦子、下田展久、あきゑ、HIROS

 去年のアクト・コウベ・プロジェクト2001でエネルギーを使い果たしたせいか、わがアクト・コウベは以来、停滞期に突入しています。このまま組織を存続するべきか、会費を徴収すべきか、今後どのような活動をするべきか、というような話題を、芋煮を食べつつ話し合いました。台湾やフランスとの関係もあるのでこのままずるずると存続する、という結論になりました。わたしが、代表を誰かと交替したい、と申し述べましたが、あっさりと即座に却下されてしまいました。ま、ほとんど何にもしていないので別に問題はないのですが。芋煮とカレーをこれからも料理せよ、ということでありましょうか。

 当日は、東野さんと川崎さんに芋むきなどを手伝ったもらい、ばっちりうまい芋煮ができました。

■12月1日(日)/弦がつなぐAsian Music/京都会館第二ホール/アミット・ロイ:シタール、クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、HIROS:タンブーラー、新田昌弘:津軽三味線、蒋亭:琵琶、賈鵬芳:二胡/解説:久保田敏子/主催:京都市

 この出演は、アクティブKEIの伊藤めぐみさんからの依頼でした。

 バッチューの久しぶりの演奏を聞き、AFO仲間の賈鵬芳さんにも会えました。無料でかつ豪華な出演者のせいか、当日は900人収容の会場がぎっしり満員。

 本番直前、京都市の担当者が、国際交流がどうの、異文化交流がこーの、と挨拶したのがいかにも役所主催のコンサートらしい。

 念入りのサウンドチェックにもかかわらず、本番ではタブラーが聞こえにくかったらしい。アミットは、秋のラーガであるへーマントを演奏。彼のシタールはいつ聴いても美しい。

 賈さんの演奏も安定していてよかったし、初めてお会いした美人の中国女性蒋亭の琵琶も、すごいテクニック。中国人のプロ演奏家のレベルは本当に高い。

 若干18歳の美青年、新田昌弘さんは、札幌在住新進津軽三味線奏者。父親の弘志さんについて4歳から三味線を弾いているということで、ハイテクニシャン。ただ、親子で出ていたときのおしゃべりがどうも演歌ショーのおもむきだったので、聴衆の評判はあまりよくありませんでした。アカデミックすぎる司会進行とのバランスもよくありませんでした。

 伊藤さんから多数の整理券をいただいていたので、知り合いもたくさん来ていました。バッチューの弟子たちの寺原太郎+林百合子夫妻や南野佳英さん、顔のまん丸い杉本君などの他、当日はお会いしなかったダヤさん、北大先輩の奥山さん、池田哲朗さん、南忠信さんなどなど。

 同じ日に第1ホールでスピッツのコンサートが会った関係からか、警備が過剰なほど厳重だったらしい。河原町で打ち上げがあると聞いていましたが、バッチューはすぐ帰るというし、酒の飲めないブーシャンと娘のマイチャンがいるのでわたしも千尋さん運転の車で神戸に帰りました。

■12月4日(水)/ジーベック・小中学生のための世界の民族楽器紹介ワークショップ#17 義太夫三味線/講師:田中悠美子

 今回の受講者は、諏訪先生率いる宝塚市高司小学校6年生35名でした。

 田中さんの実演、ビデオを見せながらの解説、義太夫節のワークショップは、発した途端になんとなくなごんでしまう高音の声や、キャラクターのせいもあり子どもたちは楽しそうでした。

 やたらと発言する子どもも目立っていました。「この子はとてもユニークなんです」と諏訪先生にその子を紹介されたのですが、「ぼくは料理も得意なんです」などと物怖じしないでどんどんしゃべる。将来はどんな大人になっていくのだろうか。

 フーメイのワークショップをやってもらった等々力政彦さんも見学に来ていました。

 田中さんは、最近、兵庫教育大学の助教授になったそうです。

■12月8日(日)/オープン2周年記念プログラム/タンマイ・ナティヤアラヤスタジオ、京都/ダヤ・トミコ+タンマイ・ナティヤアラヤ:バラタナーティアム、野呂昶:お話と自作詩の朗読、クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、HIROS:バーンスリー

 京都の町屋を改造したダヤさんのスタジオを初めて訪問しました。奥に細長い町屋独特の空間をうまく使ったスタジオです。

 1時半と4時からの2回公演でした。ダヤさんと弟子たちの舞踊が中心の前半、詩人の野呂昶さんのお話と朗読、われわれの古典音楽の後半という組み立て。ダヤさんの弟子の中には、インド生まれオーストラリア育ち日本留学中というインド人女性もいました。縄文遺跡にたたずんでいるときにできたという「銀の矢ふれふれ」という野呂さんの詩の朗読のとき、わたしは土笛を吹きました。

 2回とも満員。1回目のときは大谷大学のヒンディー語の肥塚先生、2回目では岡本寺の貴里子さん、サワコさん姉妹も見えていました。その日来たお客さんたちは、彼女の舞踊に対する真摯な姿勢に共感する熱心なファンです。

 打ち上げは、河原町アショカのテイクアウトを中心とした持ち寄りカレー大会。30名ほどの参加者一人ずつの挨拶のとき、人品卑しからぬ整った顔の白髪老紳士が、ダヤのつれあいです、と自己紹介。ダヤさんが結婚したことは知っていましたが、ここで初めてその配偶者に会えたわけです。10年以上ぶりにお会いた嵯峨野阿弥陀寺の長沢普天住職、龍谷大学の人類学者青木恵理子さん、アロマセラピーの仕事で公演に来れなかったギル佳津江さんなども見えていました。長沢普天さんは全体が球形に近く、コアラでらを自称するのも頷けます。違うカレーが時間差攻撃で現れたので苦しいほどカレーを食べました。ダイエット中のブーシャンは、最初から全部出してくれてたらこんなに苦しむことはないのに、とその日の配膳計画を呪うのでありました。

■12月14日(土)夜/HIROSホームライブ/日高泰文氏宅(岡山市)/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、HIROS:バーンスリー

 頭蓋骨をぴったりとおおう紺色の毛糸の帽子をかぶったメガネの日高さんが岡山駅まで迎えに来ていました。外で待っていたナンバさんと合流し、まず駅前の蕎麦屋へ。前々日にインドから帰ったばかりだというナンバさんは、チベットの黄色い布袋を肩から下げ、ボンベイは35度でした、ダライ・ラマとも会いましたよ、と申し述べる。蕎麦屋を出てナンバ車で西大寺へ。道路が混んでいたため、西大寺にある日高宅まで要した時間は、神戸・岡山新幹線所要時間よりも多いのでした。

 岡山で演奏するのは、96年の秋以来です。そのときにもお世話になった日高さんの、4年前に新築したという自宅でのコンサートでした。木材をふんだんに使ったこだわりの2階建。居間の角に薪ストーブがあるところなどが、いかにも日高さんらしい。

 1階のLDKと続きの間を開け放って作られた会場には、サリーなどのインド布で飾り付けされた一段高い舞台、前日から準備したという本格的なPA設備が整っていました。

 コンサートは、まず日高さんの朗読から始まりました。読んだのは、彼が初めてインドへ行ったときの旅行記。真っ暗な2階の控え室でそれを聞いていると、カルカッタやバナーラスの様子などが、まざまざと思い浮かびました。劇団「シェークスピアシアター」で俳優として舞台に立ったり、倉本聰の富良野塾にもいたほどなので、訓練された声はよく通ります。

 朗読の後の2時間がわれわれの出番でした。休憩をはさんだとはいえ2時間ぶっ通しの演奏はなかなかにつらい。ブーシャンには長めにソロをやってもらいました。会場にぎっしりと座る50人ほどの聴衆が熱心に聞いてくれたのでこちらも力が入りました。

 例によって打ち上げは盛り上がりました。その日、宮崎のお姉さんから届いたというサバずし、ジャコテンおろし添え、手羽先フライ、サラダなどと日本酒。96年の西大寺公演でお世話になった森屋さんや、日高さんの中年応援団などとよく飲み食べました。みんなが帰った後は、東京からやってきた井上青年、日高さんとストーブの残り火に当たりつつ、4時頃までおしゃべりでした。

  

■12月17日(火)/祈りのコンサート/大阪厚生年金会館/おおたか静流、古謝美佐子、ホームズ・ブラザーズ

 おおたかさんからメールでお誘いを受けたので、大阪まで配偶者とコンサートを見に行きました。

 おおたかさんの「イムジン河」にはぐっと来ました。古謝美佐子さんの沖縄民謡コブシのきいた歌唱も、ネーネーズ時代よりもずっと深みが増して魅力的でした。ニューヨークから来たホームズ・ブラザーズは、座席の関係で大スピーカーから近く、ベースの猛烈な音圧が脳を揺さぶり、歌もギターもピアノも吹き飛んでしまったため評価不能です。

 お客さんは1000人くらいだったと思います。聴衆の数のわりに、それぞれの舞台は最小編成に近いので、音源の少なさを音量でカバーしたといった印象でありました。

 当日の主催者HIPの森本さんに案内されて、楽屋のおおたかさんに5秒ほど面会しました。

■12月19日/鶴岡から新蕎麦到着

 鶴岡で蕎麦屋をやっている漆山永吉さんから、例年のように新蕎麦が届き、配偶者とわたしは狂喜しました。漆山さん、毎年ありがとうございます。その漆山さんは、椎間板ヘルニアだそうです。お大事にして下さい。大阪芸大1年生の長男、大吉君が1月12日の「フィガロの結婚」公演でフィガロ役をやるそうです。すごいなあ。

■12月21日/麻雀/曽我+幸田

■12月22日/岡本寺宴会/

 広田夫妻、佐久間夫妻、沢井、景山、高木などなど。話題拡散宴会でしたね。

 

◎これからの予定◎
 

■12月28日(土)/宝地院大学忘年会

■1月3日/植松奎二家麻雀

■1月6日(月)神戸山手女子短大後期講義

■1月18日(土)11:00~/阪神淡路大震災メモリアル・コンファレンス/海洋科学博物館、神戸

■1月20日(月)神戸山手女子短大後期講義

■1月25日(土)HIROS居酒屋/CAP HOUSE

■1月27日(月)神戸山手女子短大後期講義

■2月14日(金)18:30~20:30/第7回音楽セミナー「アジアの音楽」/雅楽とインド音楽、雅なるその拍子とリズム/西宮市プレラホール、西宮市/企画制作:天楽企画/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、藤井千尋:ハールモーニアム、HIROS:タンブーラー、天理大学雅楽部:雅楽、中川博志+佐藤浩司(天理大教授):解説、進行/問い合わせ:(財)西宮市文化振興財団 0798-33-3111

■2月21日(金)/世界の民族楽器紹介ワークショップ#18 狂言/講師:善竹隆司、善竹隆平/問い合わせ:ジーベック078-303-5600 担当:森信子

■3月29日(土)午後/法楽寺落慶法要/法楽寺、枚方

■9月6日(土)/庭火祭/八雲村熊野大社、島根/アミット・ロイ:シタール、クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、藤井千尋:ハールモーニアム、HIROS:バーンスリー他

■11月/七聲会イギリス・ツアー/時期・詳細未定