めんこい通信2010年3月25日号

 この冬はほとんど冬眠でした。だいたい3ヶ月に1回の送信を目標にしていましたが、1月23日をもってパルフェクトのロクジュッサイになってしまったせいか、思考行動いちいち減速傾向におちいり、ふと気がつくとすでに4ヶ月が過ぎ去り、もうぼちぼち花見なんじゃないのお、という季節になっているではありませんか。ま、この種の通信は締め切りがあるわけではないのでいくら怠けてもいいという点で気が楽なのではありますが、まれに、あの通信はいつ出るんですか、などと、暗に催促ニュアンスのある質問を受けることもあるので、じゃあ、ぼちぼちと書き始めました。
 さて、前号(2009年12月27日)から本日までのほぼ4ヶ月間の最大の話題はワダスのインド旅行です。これまでは「よれよれ日記」でディテールに淫した報告をホームページに掲載し、それを皆さんにお知らせするというスタイルでした。ところが、先の思考行動いちいち減速傾向がスピードアップし、完成は123年後という感じになりつつあります。もっとも、お読みいただいているかどうかは分かりませんけどね。

■インド小旅行
 5年ぶりのインドでした。前回はビハールやバナーラスなど田舎方面もあったので比較的長期間でしたが、今回は16日間。訪れた都市は、ムンバイ、プネー、ボーパール、デリーでした。
 主な目的は、プネーで行われた音楽祭「Baajaa Gaajaa」への参加でした。主催者はかつてエイジアン・ファンタジー・オーケストラ(AFO)の仲間だったタブラー奏者のアニーシュ・プラダーンと、彼の配偶者で人気歌手のシュバー・ムドガル。「航空券、国内移動費、宿泊費、日当いっさいなしだけど、ぜひ招待したい」というので出かけましたが、こういうのは招待というのだろうか。ま、久しぶりにグルや知人たちに会いたい。しゃあないか、ジバラで行こか、ということになったのです。
「音楽の多様性」をテーマとしたこの音楽祭では、インド古典音楽だけではなく、フュージョン系バンドやインドの地方の民俗音楽なども紹介されました。ワダスは、古典音楽と最上川舟唄を演奏して約45分間のステージをこなし、「これからのインド音楽教育」といったテーマのセミナーで発言してきました。ワダスのプレゼンスは現地の人びとにそれなりの印象を与えたようで、新聞各紙で取り上げられました。その一つが以下です。
http://www.indianexpress.com/news/music-of-the-earth/576664/0
 5年前に訪ねたビハールの田舎は別として、経済成長著しいインドの大都市を見ると、神秘、瞑想、宗教、哲学、貧困、不衛生といったキーワードで語られがちだったかつての姿とはかなり違って来ています。ムンバイ、デリー、プネーの街を眺めるかぎり、神秘性などはどこにも感じることができません。ものすごい量の自動車、排気ガス、デザイン過剰ともいえる超モダン建築、道路工事、渋滞の渦に身を置くと、とてもカミサマやテツガクの居場所があるとは思えません。大地そのものは「悠久」だとしても、そこにうごめく十数億人のインド人の短期的な欲望を満たす活動が恐ろしい勢いで進んでいるという印象です。歴史の長さからいえばインドに冠される「悠久」という形容詞はまだ有効かもしれませんが、ちょっと外れかかってきたという感じです。この誰にも止められない欲望の勢いというのがセーチョーということなんでしょうね。なりふり構わず猪突猛進はかつてのわれわれの姿でもありました。
 その意味ではわが日本はどうだろうか。もっと欲望を、とかけ声をかけても反応が鈍い。これ以上なにを消費しろというのだ、という声すらある。
 ともあれ、今のインドは、停滞気味の日本と違い、すごいスピードで変化しつつあることは間違いないようです。インドがアメリカのような強大な覇権国になることはまだまだ想像しにくいですが、仮にそうなった場合、笛をもったクリシュナ神や猿神のハヌマンや象頭のガネーシャの図像が日本のあちこちに溢れることもありえますね。あるいは、男性小便器や洋式トイレの位置が高くなったり、便器の横には必ず蛇口が設置されるなんてことも。あるいはRの強いインディングリッシュが標準言語になるかもしれない。んでも、ネバラ・マインドだべ。

これまでの出来事

■1月17日(日)19:00~22:00/アクト・コウベ15年目のParty with Online/CAP CLUB Q2、神戸/
 先進国フランスとはいえ田舎のネット環境はまだまだのようです。提案者であるコントラバス奏者バール・フィリップスがネットにつなげないので、ネットでしか世界とつながらなくなった画家アラン・パパローンのぶつぶつつぶやく姿を眺めつつ、久しぶりのアクト・コウベ・パーティーを行いました。

■1月23日(土)/HIROS生誕60年記念日
 なんやかんやしているうちに、ちょっと先を越されていた久代さんに追いつきワダスもロクジュッサイとなりました。ただちに二人で年金事務所に出かけてネンキンを受け取るべく手続きをすませました。まともに年金を支払ったこともないので、当然支給額は極小です。とはいえ、労働といえる労働はてんでしていないわけなので収入逓減化状況下のわれわれには、たとえ些少でもネンキンはとても貴重です。
 その2日後、カンレキ祝い宴会が極小規模で行われました。主催者は、ワダスからバーンスリーを習うために札幌から移り住んできた25歳の石尾真穂さん。参加者は、国本青年と声楽を習う森すみれさん。現在インドはボーパールで音楽修行中の井上想君の高校同級生でもある国本さんは、送信範囲数キロのミニFM局「FMわいわい」に最近勤め始めた青年です。垂水駅で待っていると二人がやってきて「じゃあ、行きましょうか」と一緒に歩き始めたのはいいが、しだいに上り勾配を増す未舗装の細い道を歩かされ気がつくと標高253mの旗振山のてっぺんでした。再び下山して秋田が実家の真穂嬢のきりたんぽなどをごちそうになったわけでありますが、この予期しない登攀運動は、足腰の筋肉の強烈なきしみをもたらし、その影響はインド出発の27日までしぶとく残りました。

■1月27日~2月13日インド
 予定では27日正午のフライトでした。ところが、デリー空港の霧のせいで着いているべき飛行機が飛んでこず、乗客は関空近くのホテルで待機を余儀なくされたのでありました。離陸したのは翌日早朝5時半でした。 
 先に触れたようにこの小旅行についてはいずれ「よれよれ日記」としてウェブに掲載する予定です。日程と簡単な行動は以下です。

・1月28日~2月1日 ムンバイ
  滞在先はバーワンズ・カレッジのゲストハウス。友人のサーランギー奏者ドゥルバ・ゴーシュの元で修行する中川祐児青年にお世話になりました。まっさきにしたことは携帯電話の購入。機械本体2500円、1000円分のプリペイド式携帯電話は実に役立ちました。知人訪問、ハリジーのレッスン参加、タブラーの湯沢君やサントゥールの新井君たちとの宴会、同じ弟子仲間(グルバイ)のルーパク・クルカルニの早朝コンサートを聴いたりとなかなかに忙しい日々でありました。

・2月2日~2月9日 プネー
 滞在先は、高級住宅街アウンドにある知人のマンション。双子の息子の部屋を専有し実に快適な滞在でした。音楽祭会場の奇抜なデザインのショッピングモール「イシャニア」には彼の自家用車で送迎してもらいました。イシャニアでさまざまなミュージシャンに会ったり、演奏したり、セミナーに参加したりとなかなかに多忙な日々。音楽祭関連以外では、神戸大学に留学していたドゥルバ青年と婚約者のマドゥ、ポートアイランドに20年住んでいたというマニーシャ夫人と会ったり、居候先知人宅でのホームコンサートなどもありました。

・2月9日~2月12日 ボーパール
 インド音楽修行中の井上想君を訪ねるため、初めてボーパールへ。かつてワダスにバーンスリーを習っていた彼は、現在、国際的人気の声楽家グンデーチャー兄弟の運営する音楽道場で古典声楽を修行中なのです。インド人、欧米人の弟子たちの中で井上君の学習意欲と修行態度は群を抜いて突出していました。彼と一緒に近くを散歩していると、遠くから彼を認めた村の子供たちが「ソー、ソー」と声をかけ、すごい人気者になってました。市街地からかなり離れた郊外の道場と宿坊は、ムンバイやプネーの浮き足立った雰囲気とかけ離れたまさに修行の場です。グンデーチャーの家族とも2003年「東京の夏音楽祭」以来の再会でした。兄のウマーカーントが喉の不調で発声できないという、歌手としてはつらい状況でありましたが、他はみな元気そうでした。ちょっと印象的だったのは、ご自宅の居間に燦然と輝く超大型薄型テレビ。

・2月12日 デリーから帰国
 ボーパールからデリー空港に着くと、友人のスニール・シャルダの運転手がワダスを待ってました。シャルダは30年来の友人です。帰国フライトの午後11時まで十分な時間があるというので、ワダスに会うためだけの目的で田舎から出てきたのでした。シャルダ家はデリーから北東へ車で数時間のカルゴダムにあります。5年前の旅行のときは彼らのデリーにあるアパートに居候しましたが今回はお互いに顔を見るだけです。今回スニールは、奥様のアルカー、モデルに勧誘されたほど美しくなった娘のチャンドリカーを連れてきていました。こういう友人というのは本当にありがたいものであります。

■2月20日(土)/短足友の会高野山合宿宴会/参加者:植松奎二+渡辺信子、岡田淳、幸田庄二、曽我了二、橋本健治、中川博志+久代
 二日続けて高野山の第1日目。結婚いらいの神戸の仲間たちの合宿宴会でした。関西にいながら高野山は初めてという人もいました。どういうわけか、ケーブルカーの最大傾斜角度はどれくらいか、などということで変に盛り上がったのでありました。翌日は、例によって奥の院と伽藍を見物し、濱田屋のごま豆腐を購入。それにしても、高野山の宿坊は、寒い。

■2月21日(日)/第2回厳冬サマサマ/宿坊「成福院」、高野山/参加者/青木恵理子、小林江美、佐久間新、諏訪晃 一、中川真、林紕さ子、HIROS
 ガムランを救えプロジェクトの2回目の厳冬サマサマでした。昨夜の仲間たちを送り出したあとしばらくして別のグループを迎えたわけで、ワダスはまるで旅館の営業マンの趣でありました。

■3月13日(土)/生涯学習音楽指導員養成講習会「民族楽器演習」/大阪音楽大学/主催:財団法人 音楽文化創造/
 昨年も行ったフィリピンのカリンガ族の楽器製作と音楽指導でした。受講者10名全員女性でした。

この間に読んだ本

 横になったり狭小個室でだらだらと読んだ本は以下。あいかわらずラインナップにはまったく統一がありません。
『寺社勢力の中世』(伊藤正敏/ちくま新書、2008)、『第三帝国のオーケストラ ベルリン・フィルとナチスの影』(ミーシャ・アスター/松永美穂・佐藤英訳/早川書房、2009)、『藤沢周平 父の周辺』(遠藤展子/文春文庫、2010)、『隣人祭り』(アタナーズ・ペリファン 南谷桂子/ソトコト新書、2008)、『後藤正治ノンフィクション集第5巻 スカウト 奪われぬもの』(後藤正治/ブレーンセンター、2010)、『法然と秦氏』(山田繁夫/学研、2009)、『ならずもの国家 アメリカ』(クライド・プレストウィッツ/村上博美監訳/鈴木主税訳/講談社、2003)、『科学の終焉』(ジョン・ホーガン/竹内薫訳/徳間文庫、2000)、『すべての民族の子(下)』(プラムディア・アナンタ・トゥール/押川典昭訳、めこん、1988)、『足跡』(プラムディア・アナンタ・トゥール/押川典昭訳、めこん、1988)、『インドの時代』(中島岳志/新潮社、2006)、『性的なことば』(井上章一他編/講談社現代新書、2010)、『ユング心理学と仏教』(河合隼雄/岩波書店、1995)、『おへそはなぜ一生消えないか』(武村政春/新潮新書、2010)、『NAD Understanding Raga Music』(Sandeep Bagchee/eESHWAR, 1998)、『はるかな記憶』(上下/カール・セーガン+アン・ドルーヤン/柏原精一+佐々木敏裕+三浦賢一訳、朝日新聞社、1994)

これからの出来事(2010年4月1日~)

 毎週月曜日、火曜日のガッコウのジュギョーの他は特に大きな仕事もないので、ほぼジョブレス低収入ミュージシャンのポジションは盤石です。去年は4月に七聲会のツアーでヨーロッパへ出かけていましたが、今年はお休みです。

■「ウドゥロッ・ウドゥロッ」
 まだ先のはなしですが、10月後半にけっこう大変な制作があります。フィリピンの作曲家・故ホセ・マセダの「ウドゥロッ・ウドゥロッ」の演奏です。作曲家がわざわざ「30人から数千人にいたる演奏者のための音楽」と付記したように、この作品は大多数の演奏者を念頭に作曲されたものです。
 ワダスも参加した91年の京都・仁和寺公演は、それまでのワダスの音楽概念を変えるきっかけになりました。
「万博公園でなにか大人数がかかわれる企画はありませんかねえ」と千里文化財団から相談を受けたとき、ふとこの「ウドゥロッ・ウドゥロッ」のことが念頭に浮かびました。でとっさの思いつきで「・・・というのがあるんですけどね」というと担当者は「ええっ、それはおもろそうですね。いいですね。ぜひやりましょう」と盛り上がり、現在はその具体化の準備を始めたところです。演奏者動員目標は1000人です。演奏はどんな人でもできる簡単なものです。しかし、それが1000人集まるとどうなるか。すごいことになるんです。どうですか? 参加してみたいと思われた方はぜひご連絡下さい。場所は大阪・千里の万博公園の「太陽の塔」のあたりを予定しています。詳細はいずれお知らせする予定ですが、おっ、と思われた方は心の準備をしておいてけろなっす。