めんこい通信2016年5月27日号

 星川京児さん逝く
 蕁麻疹時代 
 これまでの出来事
 この間に読んだ本
 これからの出来事


 阪神大震災の揺れをしのぐ熊本震災、パナマ文書、オリンピック疑惑、舛添の訳のわからない会見、沖縄の元米兵による強姦殺人死体遺棄事件、アベおよび与党の相変わらずの子供じみた政治、シャープ・東芝・三菱自動車など大企業のゴタゴタ、じわじわと扱いが減ってきた原発関連ニュースや米軍辺野古移設問題などなど、世界を取り巻く出来事は相変わらずでありますが、ワダスと配偶者の生活は確実に淡々と大きな破綻もなく年を重ねつつ進行しています。皆さまはいかがお過ごしですか。

◉星川京児さん

 5月16日、星川京児さんの訃報メールが届きました。かなり以前から肝臓ガンを患っていることは本人の口から聞いていたとはいうものの、いざ現実に訃報に接すると、ほぼ同時代にいわゆるワールドミュージックを紹介してきた同志の喪失に感慨を覚えます。もっとも、勝手にこちらが同志と思っているだけで、メジャーストリームで活躍し、いわゆるワールドミュージックブームの推進役だった彼はそうは思っていなかったかもしれませんが。
 無国籍バンドを結成してシタールを弾き、ワールドミュージックの当時唯一の情報発信媒体だった雑誌「包(パオ)」の創刊と編集、キング・ワールド・ミュージック・ライブラリーシリーズのCDプロデユーサーとして世界中のすぐれたミュージシャンを紹介し(ワダスもインド編として何枚かのアルバム制作に声をかけてもらった)、またその関係から関連する映画、テレビ、活字メディアなど多方面で活躍してきた彼の社会に与えた影響は少なくないと思います。
 星川さんと初めてお会いしたのは、たしか下北沢にかつてあった茶店「あしゅん」でした。インド留学から帰ってきて数年後のことです。お会いした途端、こちらが防弾チョッキを用意する間もなくいきなり、高音の博覧的知識の機関銃掃射を受け卒倒しそうになったのでした。
 その後も何度かキングレコードの仕事、対談、座談、彼の店での単なる飲み会(彼は晩年、谷中で紹興酒の樽を並べた飲み屋をやっていた)や、録音現場の話をしてもらうために神戸にお呼びしたときの我が家などで、やはり機関銃掃射を受けました。とにかくダダダダダダダダと話の隙間を高速掃射で短くして打ち込んでくるのでこちらはほとんど聞き役にならざるを得ない。そして、高速回転で打ち込まれる話がやたらおもしろかった。
 インド遊学中に、こと音楽に関してあまりに「気分は西洋人」であることの無自覚と、アジアや非西洋世界はもとより自分の生まれ育った日本の伝統音楽についての無知を思い知らされたことが、帰国後のワダスの活動の主要な動機なのですが、星川さんはどうだったんだろうとふと思います。
 ワールドミュージックという、音楽のメンイストリームからは距離を置いたニッチなマーケットをエネルギッシュに切り開こうとした動機が何であったのかとも。もちろんそうした活動から生活の糧を得るということもあったでしょうが、西洋クラシックこそ芸術みたいな雰囲気の当時の「知的」日本人音楽聴取者に、こおーんなところにもこおーんなすごい、とんでもない音楽があり、とんでもないミュージシャンがいるんだぜ、世界は広いんだぜみたいなところから、人間の音楽活動の多様性とそれぞれの価値をもっと知れば、より精神的に豊かになれるんだよと言い続けてきたのだとすれば、ワダスの動機ともかなり重なってくるわけで、いわば同志だったといっても許されるだろうか。そうであるなら、ワダスは同志(それも実に頭脳高速回転的であった)を一人失ったことになります。
 もし現生に戻ってこられることがあれば、
「天国ってさ、意外と退屈な音楽しかないんだよね。このあいだたまたま地獄に行く機会があって、行ってみたらけっこう面白い音楽がいっぱいあった。聞くんだったらやっぱり地獄だね。とんでもないミュージシャンがごろごろいる。機会があれば録るんだけどなあ」
 などと言いそうだなあ。
 讃岐うどんにはまっていた頃、星川さんとの電話で忘れられないやりとりがあります。
「琴南町にある『谷川米穀店』というとこにも行こうと思ってるんだけど」とわたしがいうと即座に返答がきました。
「すさまじい。うどんというものを超えている。絶対お勧め。あと、近くにある『山越』もすさまじい。でも、なんといっても『谷川米穀店』! 毎日食べても飽きない安定感は他では無理」
 単なるうどんに人類共通の普遍的価値と異常とも言える愛情を注ぐ讃岐郷土愛がひょっとして彼の活動の原点だったのかもしれないなどと思うのでした。

蕁麻疹時代

 というようなことを京都のガッコへ向かう電車内で書き、ガッコから帰宅する車中でも書き続けていたら、脇の下あたりにチクッとかゆみを覚えました。そのうちにチクッがチクチクと頻度と範囲を増す。ダニに噛まれたのかなと思ったが、ひょいと肘のあたりを見ると赤い点々。それが徐々に融合し、その面積が拡張している。さらに首筋、背中、股間、膝周辺が猛烈にかゆくなってきました。
 うわーっ、なんだなんだ。
 まだら状の赤い疱疹は全身に及びその晩は一睡もできない。
 まだ顔面は大丈夫だったので翌日そのまま瀬田のガッコでジュギョーをしたものの、またしても帰宅の電車内で顔面、頭皮、両手のかゆみが猛烈になり、乗客たちの視線を感じつつごりごりと頭や顔や手を掻いたのでした。三宮駅についた時はピークで、たまらず駅近くの皮膚科に駆け込んで医者に診てもらうと、
「はあい。蕁麻疹時代の始まりです。原因は何百とあるので、特定できません。完治するには数年かかります。私もなったし、この看護師さんもなりました」と後ろに控える看護師に振り向くのでした。その痩せた中年女性の看護師は「わたしもなったんです。つらいですよね」とマスク越しにいうのでした。
「とりあえずかゆみと発疹を抑える薬で様子をみてください」と処方してもらったアレロックを寝る前に飲んだ翌朝、あれほど暴れていたかゆみも発疹もすっかりなくなっていました。薬が効いたのは好ましいのですが、効き方があまりに劇的なのでちょっと不安にもなります。
 星川さんの訃報に偶然重なって起きた異常事なのでした。

===これまでの出来事===2016年3月1日~5月26日

◉3月1日(火)/Kousuke meets Aska/山村サロン、芦屋/金谷こうすけ:ピアノ、金子飛鳥:ヴァイオリン、YU-MA:ヴァイオリン、中嶋明彦:コントラバス
 本人からのお誘いを受けて久しぶりにヴァイオリン奏者の金子飛鳥さんのライブに行きました。場所はJR芦屋駅近くの山村サロン。
 能舞台での、マイク・スピーカーなしの演奏はとても良かった。特に飛鳥さんの、低く強い音とはかなく弱い繊細な音のバランス、ぐいぐいと引き込まれるフレージングと確かなテクニックが印象的でした。舞台上の飛鳥さんは実に堂々として大御所の貫禄でした。
 それがスタイルなのか、サステイン・ペダルを踏んだままの残響効果をうまく使った金谷さんのピアノもなかなかに魅力的ですが、ちょっと響きすぎのようにも感じました。驚いたのは若手YU-MAのヴァイオリン。関西にこんなしっかりしたジャズ・ヴァイオリンを弾く人がいたのかと驚きました。
 飛鳥さんとはゆっくり話もしたかったけど、比較的高年齢層の聴衆にとり囲まれて忙しそうだったので、手土産の須賀敦子の文庫本を手渡し、挨拶だけして帰宅したのでした。翌日は福島での演奏のため移動と聞いていたこともあります。
 後で、セントルイスに住む夫のジェフリーと息子のセイナはバーニー・サンダースの選挙運動に忙しくしていることや、もらった本はとてもよかった、とのメールをもらいました。
 彼女は秋にまた関西に来るということです。
 
◉3月9日(水)/エバーグリーン麻雀
 平均年齢70歳くらいのエバーグリーン寿会麻雀同好会もわれわれ生活の一部になりつつあります。初心者、手練れの混ざったメンバーのなかで、ツモるのにものすごく時間のかかるご老人の佇まいがなんともいえません。

◉3月11日(金)/ジェニファー+モニカ+ラナ来日歓迎宴会/亀すし、大阪
 昨年2月、新年に台北の自宅を訪ねたジェニファー、ラナ、アメリカ在住のモニカの三姉妹が観光で関西にやってきたので大阪で歓迎宴会をしました。
 来日前、モニカから「奈良、京都、大阪を回るつもりだが、どこがいいか。食べるところも知りたい」というメールをもらったのですが、こういうのは難しい。観光といっても主体の興味によって観に行くところも随分違ってくるし、食べ物にしても好き嫌いもあるし、よほど付き合いの古い人でも考えてしまう。ましてモニカは会ったことがない人です。ということで返信は「勝手に探してけろ」。
 宴会は彼らの帰国前日。奈良に3泊、京都に5泊して有名なお寺を歩き回り、大阪に3泊し化粧品なんかを買いまくり、と忙しい旅行だったようです。ジェニファーは途中で風邪をひいたらしい。
 当日ワダスと配偶者は、彼らのホテルに約束の時間に訪ねましたが、不在。30分遅れでやってきて、モニカは「むっちゃ買い物しちゃったあ」と悪びれもせず申し述べる。

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左から久代、HIROS、ジェニファー、ラナ、モニカ


 宴会は、彼らのホテルに近い梅田新御堂の「亀すし」でした。バリ音楽の小林江美さんに紹介された店です。
 かなり大きな店で1階、2階の客席は満員。われわれは3階に案内され、3姉妹とも口をそろえて「だあいすき」だという寿司をつまんで旅行話を聞くのでした。
 いまいち英語に自信がないのかジェニファーは比較的おとなしいのですが、モニカはよくしゃべる。

◉3月14日(月)/下田家宴会/下田家、神戸/参加者/大野裕子、落合治子、下田展久+雅子、高橋聡子、築山有城、中西すみこ、HIROS
 通常であれば下田雅子さんとワダスの誕生日である1月23日に生誕記念宴会を行う習わしなんですが、都合でのびのびになり、結局「誰も誕生日でない」宴会を行うことに。例によって昼過ぎから夜までだらだらと飲み食いでした。

◉3月19日(土)/短足麻雀
◉3月29日(火)/井上峰久四十九日法要

◉4月3日(日)/辺見庸講演会/阿倍野区民センター
 配偶者が絶望的にヒマだったせいか予約をしてしまったので、めったに行くことのない講演会なるものに出かけました。
 講演者は、きっと今回が最後になると言われていた辺見庸。この「最後」というのに配偶者は惹かれたのかもしれません。彼の本はこれまで何冊か読んでいたのでどんな内容になるかはなんとなく予想はしていたのですが。
 黒い帽子を目深にかぶった辺見氏の話はなかなかに面白かった。
 この日の内容のキーワードは、怒りと絶望はどのように表現すべきか、暴力とは何か、マスメディアは正気か、言葉はまだ有効かもう無効か、憲法、国体と玉体、一億総懺悔、本人を証明する文書が本人よりも重要という皮肉、死後は知ったこっちゃないとならないのは人間の尊厳、などなど。
 例によってほとんど忘れちゃったのですが、記憶に残っていて印象的だったのは憲法のこと。
 第一条 に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるのですが、辺見は「国民の総意」という部分に疑問を投げかける。天皇を象徴にするかしないかの国民投票があったわけでもないのに、どのようにして総意を確かめたのか。まるで天から降ってきたようなこの条文をきちんと議論しないままにしてきたために、憲法論も含めた多くの議論が「なんちゃって」的になってしまったと。けっこう説得力がありますね。
 また、これまでまったく気にもしなく知らなかったことですが、学徒動員の際に演奏された「抜刀隊」という曲が未だに自衛隊や消防団の儀式の時に演奏されていることを知り驚きました。一昔前の戦争加担や集団帰属強化を担った音楽が未だ似たような趣旨で演奏されているなんて考えてみたこともありませんでした。われわれ日本人は反省ということをしないようです。
 独特の語り口で、歴史や現在進行中の怪しい動きをあぶり出していく辺見さんの語り口はなかなかに魅力的でした。
 講演会というものをちょっと見直したなあ、と、帰りに串カツおかずにビールを飲みつつ配偶者と語り合うのでありました。

◉4月3日(日)~4月9日(土)/Sunil SHARDA来日お世話
 インド留学時代からお世話になり、インドへ行くたびに居候するインド人スニール・シャルダー、奥さんのアルカーが、三女のチャンドリカーを伴って4年ぶりに来日したので、ほぼ1週間、彼らと付き合いました。
 今回の来日目的は、前回同様、飛騨高山にある取引先の製薬会社を訪ねることでした。スニールがぼちぼち引退するためチャンドリカーを後継者として紹介するということもあったようです。20代のまるでモデルのような美形の彼女は、デリー大学でMBAを取得した才媛です。

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左からAlka、Sunil、Chandrika


 神戸に着いた彼らをまず案内したのは、三宮駅前の「サイゼリア」。安いことと、ベジタリアンでも選べるメニューが揃っているという理由です。
 翌日、翌々日の飛騨高山から再び神戸に戻って来た彼らのホテルは、我が家から徒歩5分。夫妻がホテル、チャンドリカーが我が家宿泊でした。
 6日は京都案内。清水寺、円山公園、八坂神社の桜満開というゴールデンコース。どこも外国人観光客であふれかえっていました。恐るべき数です。かなりの距離を歩いてその日の宿泊先である和順会館にチェックイン。
 ワダスはかなりくたびれていたのですが、特に女性二人の観光欲と自撮り欲に衰えは見えず、次に向かったのが二条城。着いたのが4時5分。ところが、二条城拝観券は4時までしか販売しておらず、疲れがたまっていたアルカーは「どうしてくれるのよ」という感じで不機嫌になる。二条城周辺には他に歩いて行ける観光スポットはなく途方にくれたのでしたが、ふと嵐山というアイデアが浮かぶ。ぶつぶつ言うアルカーをいなしつつ地下鉄で「太秦天神川」へ、そこで嵐電に乗り換えて嵐山に行ったのでした。
 嵐山も外国人観光客、特に中国人がいっぱいでした。とはいえ、涼しくなってきた大堰川沿いを満開の桜を眺めつつのぶらぶら歩きに、彼らも、特に自撮りマニアのインド女性たちは満足したようでした。
 この日はアルカーの誕生日ということで、予約していた京都市役所裏のレストラン「フォーチュン・ガーデン」でディナーでした。アルカーは、コース最後に出てきたネーム入りのケーキにご満悦。予約した時に密かにバースデーケーキの注文をしていたのです。
 和順会館に宿泊した翌日の7日は、金閣寺、龍安寺方面観光を予定していましたが、彼らには残念ですが、ワダスにはありがたいことに土砂降りの雨なので大阪へ。ショッピング欲、自撮り欲に燃える母娘を心斎橋筋商店街に放置したワダスとスニールは、千日前の道具屋筋あたりを散歩。この辺りに来るのは久しぶりでした。
 翌日の8日は「くたびれただろうから今日はあなたを休ませてあげる。3人で神戸見物します」というわけでワダスはゆっくり休みました。その晩、我が家で最後のディナーを終え、彼らは早朝東京へ向かったのでした。スニールからのメールによると「東京は人だらけでおもろない。神戸が良かった」らしい。

◉4月11日(月)/大谷大学講義-前1/京都/中尾幸介宅泊
 コウスケ君と練習後、チキンカレーと白菜サラダを作りました。

◉4月16日(土)/佐藤高来宅
 去年、奥さんの寛子さんをガンで亡くして以来付き合いが復活した佐藤高がシャンペンを3本持って訪ねてきました。
 彼は、主催する5月21日のコンサートで、電気じゃなくて生のタンブーラーでやってほしいというのでタンブーラーの練習を兼ねるという目的もありましたが、ま、だらだら飲み食う宴会になったことは言うまでもありません。
 タンブーラーを弾いてみた彼は「えっ、こんな感じで1時間もやるの? ちょっと無理だわ」ということで、当日は電気でもいいということになりました。

◉4月18日(月)/大谷大学講義-前2/京都/野中宅泊
 久々の野中家居候でした。久行さん、ミキさんとの落ち着いた夕食やおしゃべり、新緑の八瀬の散歩は最高でありました。

◉4月25日(月)/大谷大学講義-前3/京都/佐藤高宅泊
 16日に我が家にやってきた佐藤高の宇治市伊勢田の家に一泊でした。ワダスが作ったのは麻婆豆腐+キャベツナムル。

◉5月7日(土)東野健一〔大型連休 絵展〕「ニホン×インド×アフリカ」ふしわらのじこ×ひがしのけんいち二人語り/Gallery Vie、神戸
 昨年12月に医者から半年の余命と告げられた東野さんの展覧会に関連するトークイベントに行ってきました。対談相手がふしはらさんだったこともあって早々と予約していたのです。
 ばっちり大島紬に身を包んだ東野さんは、声の力強さも変わらず意外に元気そうでした。トークの進め方、話の中身は、その口調や声質と相まって完成形に近い。宮沢賢治、京都、インドでのうんこの仕上がりなど、話はみんなおもろかった。
「着物で来いといわれたので京都からこれできたんですよ」と対談相手のふしはらさんは、演奏会を何度かやらせてもらったりで、ワダスもかなり以前から知っている堺町画廊のオーナーです。
「娘と息子が通っていた幼稚園の写真です。黒人以外は二人だけ。まっすぐな髪が珍しいらしくて、娘はよく髪を触られていた。市場で買った肉が温かいというのは新鮮な経験だった。戦争はいきなり始まる。黄色と黒の毛虫はけっこうおいしいんです」 などなど、一時住んでいたアフリカの話は知らないことばかりでこれもおもしろかった。
 途中の休憩の後、岡山からこのためにやってきたというパーカッションの象君、最前列に座っていたワダスにも何かやってもらおう、と東野さんが無茶振りをかけてきた。いきなりでしたが、象君はなぜか鞄に入っていたドラムスティックで椅子を叩き、ワダスは秋田長持唄を歌ったのでした。

◉5月9日(月)/大谷大学講義-前1/京都/中尾幸介宅泊、宇治
 5月21日(土)の安曇川ライブで一緒に演奏することになっているタブラーのコースケ君、アイコ(愛姫)さんちにリハーサルがてら1泊させてもらいました。
「アイコが、胃が痛いといって寝てるんですよ」
 開口一番、コースケがいう。この日はワダスが麻婆豆腐を作る約束をしていました。八角、鶏がらスープの素、豆板醤、豆鼓など調味料と半田そうめんを持参し、すぐにも調理しようと思っていたところでした。
 2時間ほど彼と練習してキッチンに戻ると「もう大丈夫みたい。麻婆豆腐食べたい」とアイコさんが起きてきました。で早速調理を開始し15分ほどで夕食ができ一緒に食べたのでした。
 彼らはその日、役所に行って婚姻届を出し法的な夫婦になったという。なぜその日なのかを聞くとこれがなかなかにおもしろい。
 占いに凝っているというアイコさんの父上が日にちと時間を指定したというのが理由。この日来ることになっているワダスに保証人のハンコをもらって二三日後に役所に届けようと思っていたらしいが、実の父親の発言力は強い。
「オッチャンはなあ・・」とコースケ君に話しかけるというそのお父上の話がおもしろかったのでした。「いくつ」と聞くと、ワダスより一回りほど年下でした。

◉5月16日(月)/大谷大学
 ぼちぼち京都へ出かける準備をしていると、奥様から「星川京児が逝きました」というメール。

◉5月20日(金)/リハーサル/中尾幸介宅
 翌日の演奏のためのリハーサルでした。
 玄関引戸を開けると、赤ん坊を抱えた若い女性が奥に向かって「こうちゃん」と呼ぶ。Mちゃんという32歳になる女性でした。コースケが掃除機を手に持って現れ「すんまへん。掃除してるんですよ」といいつつまた姿を消す。
 Mちゃんとしばらく話しました。
 定住できない性格だという彼女の話を聞いていると、彼女のショーライをちと心配すると同時に、こんな生き方もあるのかと驚く。
 ゴアに住んでいる時出会ったインド人青年と言葉もわからないまま恋に落ち、連絡先としてカタカナで書かれた次に向かう都市名のメモを彼に手渡して出国し、ネパールで絵を売ってためたお金でいきなりモロッコに飛び、スペイン、イタリア、トルコ、アルメニア、グルジア、イラン、パキスタンなどなどを放浪した後ゴアに戻ったらくだんの青年に再会、妊娠していることが判明し結婚しようということになり青年の実家のあるマニプール州まで行ったが、しだいにその青年とは「アワナイ」と気が付いて途中で別れ、パトナで生まれた息子とともにインド再入国手続きのために日本に帰ってきた、というような話。
 徹底して無計画な放浪ぶりにきっぱり感があってむしろ感嘆するのでありました。
 掃除を終えたコースケとしばらく練習した後、遅めに帰宅したアイコちゃんとチキンカレーのディナー。焼酎飲みつつのおしゃべり後、12時半ころに就寝。

◉5月21日(土)/立石宅インド音楽コンサート/滋賀県安曇川町/金子哲也:パカーワジ、金子ユキ:ヴァイオリン、鈴木なお:声楽、中尾コウスケ:タブラー、山中智恵:シタール、HIROS:バーンスリー
 8時前に起きた後、萬福寺境内を散策。この日は煎茶全国大会みたいな催しがあるらしく、門前や境内に茶器関係の屋台が並んでいました。境内にも関係者が忙しく動き回っていました。ぼんやりと歩くワダスに向かって頭をさげる人も。坊主頭のワダスを坊さんと間違えているのです。
 この日は、11時にコースケの借りた車で安曇川へ行くことになっていました。早く朝食とってンコして準備しないと、と思っていたのですが、家主の中尾夫婦の起動がゆっくりしている。
 予定よりも30分遅れで出発。コースケの運転する真っ赤なBMWに同乗したのは、子連れのMちゃん、アイコちゃん、そしてワダス。
 琵琶湖を右手に見つつ北上。「このナビ、ばかなんです」のナビとアイコちゃんのiPhneナビで会場を目指したのでしたが、渋滞もあったりで目的地の古民家を改造した立石宅に着いたのは1時半ころでした。1時から予定されていた鈴木なおさんの声のワークショップは始まっているはずでしたが、当人は立石家の縁側で日向ぼっこ。
 前に立石宅で演奏したのは80年代後半なので、ここを訪ねるのは実に30年ぶりに近い。久しぶりに再会した陶芸家の立石善規さん、奥様の啓子さんは、ワダスとほぼ同世代で当然ながら60代なわけで、今や紛れもないロージン的たたずまいでありました。
 立石家とはなにか縁があるようです。最近まで鼓童のメンバーだった長男の雷君は、神戸夙川学院大学のワダスの講義を聞いた後に「父が友達だっていってました」と名乗り出、大谷大学でもやはり同じセリフで名乗り出た女子学生が長女のアスカだったりと、子供たちを使ってワダスの仕事ぶりをチェックしていたのでした。というのは嘘で、まったくの偶然なんですが。篠笛、和太鼓奏者の雷君は今や立派なミュージシャンで、来月からスペインへ演奏旅行に行くといってました。

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立石さん、佐藤高さん 立石宅
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雷クン 立石、清水、アイコ、鈴木なお
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左 シェルパ青年 安曇川コンサート


 十数人のお客さんが集まったところでコンサート開始。
 まずシタールの中山智絵さん。30代前半の若手女性奏者です。ぐいぐいと引っ張るようなパワーはありませんが、音程がしっかりしていて、とても繊細な音でした。これからが楽しみです。タブラーは中山さんと初めて共演したコウスケ君。
 2番手はドゥルパド声楽の鈴木なおさんとパカーワジの金子哲也さん。曲はラーガ・ビーンパラースィー。ワダスの理解する音の動きや音程とちょっと違っていたので、こんな歌い方もあるのかと思ったのでした。毎年バナーラスのグルに習いに行っている若手女性奏者です。ちなみに彼女のグルは、ワダスがバナーラスで初めて声楽を習ったリトウィック・サーンニャールです。
 3番手は、ヴァイオリンの金子ゆきさんと哲也さん。この二人は夫婦ということもあっていつもやり慣れているせいか、息もピッタリ合ってました。ゆきさんのスタイルは南北インド古典音楽両者の特徴を混合させた独特のもの。我が日本極小インド音楽界にもこういう人が出てきているんですね。
 最後がワダスとコウスケ君の演奏でした。主催者の高には5時半に演奏会は終了と聞いていましたが、ワダスらが始めたのは6時過ぎでした。最上川舟唄、ラーガ・チャンドラナンダン、バティヤーリー、バイラヴィを演奏しました。
 長い演奏会の後は、近くにある「風結い」という建物で打ち上げ。この建物は、田舎暮らし体験宿舎として使われているそうです。
 カレー、シェルパ族のパサン青年特製イノシシの煮物、刺身などなど大ご馳走でした。ワダスの向かいに座っていたのが、木曾から来たという元女子高校の先生で現在浄土真宗僧侶の清水さん。よく喋る人でありました。
 金子夫妻、佐藤高、ワダス、清水さんがその晩「風結い」泊まりでした。
 翌日は立石家で朝食。かつて家畜小屋だった部分をキッチンと食堂に改装したということです。天窓から差し込む光と、周辺の杉林が見える素晴らしい環境です。ふと、フランスのヤシャ・アジンスキーの別荘へ行ったときのことを思い出しました。
 佐藤高の車で、立石さんの長女アスカと一緒に山科まで乗せてもらい電車で帰宅しました。久しぶりの小旅行という感じでありました。

===この間に読んだ本===*印はオススメ

『証言拒否』*上下(マイクル・コナリー/古沢嘉通訳、講談社文庫、2016)
『DNAは知っていた』*(サマンサ・ワインバーグ/戸根由紀恵訳、文春文庫、2004)
『インフェルノ』*上中下(ダン・ブラウン/越前敏弥訳、角川文庫、2016)
『脳ミソを哲学する』(筒井康隆、講談社、1995)
『正義の見方』(宮崎哲弥、洋泉社、1996)
『社会脳からみた認知症』(伊古田俊夫、講談社ブルーバックス、2014)
『遠方では時計が遅れる』再読(稲垣足穂、潮出版社、1975)
『やわらかな遺伝子』*(マット・リドレー/中村桂子・斉藤隆央訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2014)
『破壊する創造者 ウィルスがヒトを進化させた』*(フランク・ライアン/夏目大訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2014)
『印刷という革命』*(アンドルー・ペティグリー/桑木野幸司訳、白水社、2015)
『群れのルール』(ピター・ミラー/土方奈美訳、東洋経済新報社、2010)
『チェルノブイリの祈り』*(スベトラーナ・アレクシェービッチ/松本妙子訳、岩波現代文庫、2011)
『ハウス・オブ・デット』(アティフ・ミアン+アミール・サフィ/岩本千晴訳、東洋経済新報社、2015)
『創られた「日本の心」神話』再再読(輪島裕介、光文社新書、2010)
『「演歌」のススメ』(藍川由美、文春新書、2002)
『科学の本100冊』(村上陽一郎、河出書房新社、2015)
『赤い楯』上下未読了(広瀬隆、集英社、1991)
『フランク・ゲーリー 建築の話をしよう』*(バーバラ・アイゼンバーグ/岡本由香子訳、エクスナレッジ、2015)
『天皇家の経済学』(吉田佑二、洋泉社、2016)
『考えない人』*(宮沢章夫、新潮文庫、2012) 
『聖人・托鉢修道士・吟遊詩人』(永井彰子、海鳥社、2015)

===これからの出来事===

 月火のガッコ以外はこれといって予定はありません。アソボっていわれたらいつでも応じますよ。
 かなり先の話ですが、下記のようなイベントがあります。

◉10月15日(土)/聲明とインド音楽公演/三田市総合文化センター郷の音ホール、三田市/七聲会:聲明、南沢靖浩:シタール、グレン・ニービス:タブラー、HIROS:バーンスリー