めんこい通信2016年11月25日号

 もくじ
 トランプ現象
 CD大好評発売中
 これまでの出来事
 この間に読んだ本
 これからの出来事


 寒くなってきましたが、皆様いかがお過ごしですか。

◉トランプ現象
 トランプ現象で世間は騒がしいですね。ワダスもそれなりに気になり、開票日の11月8日はずっとCNNの開票速報を見ていました。
 時間が経つにつれ「えっ、えっ」状況に変化していく。そしてついにトランプ当選が判明したとき、スティーヴはどうするんだろうとふと思いました。我が家に3日ほど居候したサンフランシスコ郊外に住む日系カナダ人サロード奏者スティーヴ・オダが「トランプになったらアメリカを出る」と言っていたのを思い出したのです。
 最近のメディアは、トランプの発言の切れ端から「選挙のときの発言と実際は違う」とか「意外と頭は悪くない」とか「ビジネスマンだから損得で考えるだろう」とか、アベチャンなんかはまだ現職のオバマを無視して中国企業傘下のメーカーのゴルフクラブなんかを手土産に尻尾を振りつつ自宅に押しかけて「信頼できる人だと確信した」などと申し述べ、トランプの公約でもはや死に体のTPP法案を強行採決し「彼は理解してくれるに違いない」などと願望のみを吐露して自己合理化したりとか、選挙中のトランプの核保有許容発言で「おっ、これで俺の出番が来る」と軍備増強オタクはきっと思い込んだかもしれない、とかとかとか。メルケルの冷静さだけが世界の希望なんてことになりつつあるのか、まったくもって未来が読めない時代になったように思えるのでした。ま、テーシューニューの日本在住インド笛吹きにとっては、トランプだろうがヒラリーだろうが、「盛り土」がいつなくなったのかとか、福岡の道路が陥没したとか、オリンピックがどうのとか、韓国政界がぐじゃぐじゃになっているとか、中川家の生活にそれほどの影響を与えないとはいえ、愉快とはいえない未来になるのであろうかとちと愉快とは言えない気分になるのでした。

◉CD大好評発売中
 先号で新しいCDを作ったことをお知らせしましたが、予定通り9月中頃にどさっと500枚届きました。お世話になった人に聞いてもらいました。
インドのバーンスリー界トップの一人、ルーパク・クルカルニーはこんなうれしいコメントを寄せてくれました。
「Very nicely played, very difficult raga but you gave full justice」
 テーシューニュー中川家としてはけっこうな投資をしたので早く回収したいと願っているのですが、なかなか時間がかかりそうです。
 というわけで、ま、それなりに好評のようなワダスのCDの購入をみなさまにお願いしたいなあ、と強い願望を持っているわけでありますが、もちろんそう願われる人々にもさまざまな事情があり音楽の好みがあり、必ずしも中川家の生活向上にはご関心があるわけではないということも理解してはいるのですが。はい。とはいえ、残りはわずか417枚です。ぼやぼやしていると、ひょっとしたら生前のHIROSを偲ぶ唯一の音源が売り切れになるかもしれませんよ。んなことないか。
http://sound.jp/tengaku/CD/ragamusic.html
 1枚2000円で販売しています。ふと思いついたらメールでご連絡ください。

===これまでの出来事===

◉9月17日(土)/インド芸術祭2016/京都市国際交流会館
 前日、主催者の野中ミキさんから電話。インド領事の挨拶の通訳をやってほしいといきなりの依頼でした。主催団体の関係者であること、出来上がったばかりのCDの販売ができたらと気軽な気持ちで行くことにしていましたが、にわかに責任を帯びた京都行きになりました。
 楽屋で出演者の南沢さん、グレン、バラタナーティアム舞踊の金沢さんとおしゃべりをしていると、サリーを着たミキさんが「来はりました」というので最前列客席に座るワイバワ・タンダレ領事に挨拶に行きました。

consul
インド領事通訳
indiartsfes
インド芸術祭2016関係者

「2年間の東京勤務のあいだ日本語を習っていたので、最初は日本語で話します。あとのややこしい部分は英語にしますのでよろしく」とよどみのない日本語で自己紹介をするではないか。博士号をもつバリバリの外交官ですが、よくありがちな上から目線ではなく、とても誠実そうなほっそりとした青年なのでした。かたわらの小柄な奥様と男の子も屈託がなく控えめで好ましい。
「もう立派な日本語ですよ。最後まで日本語で挨拶をなさったらいかがですか」
「いや、聞き取りや簡単な会話でしたら自信はあるのですが。短くしますので英語部分の通訳をお願いします」
 ミキさんの開演挨拶後、ワダスは舞台中央に進んだ領事の斜め後ろに控えて挨拶を聞くのでした。
「日本とインドは、昔から友好的な関係を築いてきました。奈良時代にやってきた菩提僊那はじめ・・・」
 こんな調子で日本語の挨拶がけっこう長々と続く。かたわらのワダスはぼんやり立って彼の横顔を見てるいるしかありません。途中から英語に変わったのでホッとしましたが、話が長くなって最初の内容は忘れてしまい、ものすごく端折って訳しました。ワダスが訳している間、領事はまるで通訳能力を点検するような視線でこちらを見る。通訳のプロではないワダスに頼む方もそれを受けるワダスも実にええ加減なもんです。
 というようなことのあったインド芸術祭2016は、200人以上のほぼ満員状態で、大成功だったと言えます。金沢さんの安定したバラタナーティヤム、沖縄在住だという直原さんのものすごく柔らかい肩の動きが印象的だったオリッスィー、南沢さんの美しいラーガ・ヤマンを絶妙にサポートしたグレンのタブラーもとても良かった。
 なんといっても印象的だったのがクーリヤッタム。南インドの地方に伝わる舞踊劇です。ずっと前に、来日舞踊団のものを見たことはありましたが、こんな、かなり地味なジャンルにも取り組み修行を積んだ日本人がいることに驚きました。ダンサーの入野智江ターラさんはこの分野では日本人唯一とのこと。
 今回で3回目となるこのインド芸術祭は、ほとんど野中さんの頑張りに依っていて、今後も続くかどうかはなんとも言えませんが、長続きしてほしいものです。
 公演後のノン・アルコール・ビールでの簡単な打ち上げのあと、去年と同じようにヨーガの三浦さん、大阪のお友達の本田厚美さん、そして名古屋に帰るという野中さんの生徒の田村さんと山科のミンミンで食事をして神戸に帰りました。
 
◉9月19日(月)〜20日(火)/後期授業開始/ボケ1
 長い夏休みが終わり、後期最初のジュギョーのため京都に出かけました。大谷大のジュギョーのあと、翌日の午前中にジュギョーがあるはずの佛教大学に近いゲストハウス「桜こまち」に宿泊。この日は、ポルトガル人の若い夫婦が泊まっていて、彼らの日本旅行やポルトガルのことなどの話を聞きました。
 翌日、激しい雨の中、15分ほど歩いて佛大の講師控え室に行くと職員がいるだけでいつもの活気がない。わけを聞くと「授業は来週からですよ」とそっけない返答です。帰宅してから予定表を見るとたしかに佛大出講とは書いてない。なぜあると思い込んでしまったのかはわかりません。ものすごい勘違いでした。これではボケ老人ではないか。
 バスで北大路バスターミナルまで行き、丸亀製麺でうどんを食べて時間を潰し、地下鉄で「くいな橋」へ。駅を出ると雨風はますます強くなり、それに逆らうように20分ほど歩いて龍谷大学の講師控え室前にたどり着きました。やれやれと控え室に入ろうとしてドアの張り紙に気がつきました。「本日、台風のため休講」。なんということだ。結果的には前夜ゲストハウス宿泊は必要なかったのではないか。
 再び強い風雨のなか地下鉄「くいな橋」駅に戻り、ホームのベンチに座って電車を待ちつつ、ほとんど雨中の移動に明け暮れた徒労感で集中力が途切れたのか、電車に乗り込んでからベンチに傘を置き忘れたことに気がつきました。京都駅でJRに乗り換え新快速で三宮に。徒労感および疲労感で読書をする気にもならず、雨に煙る風景が流れていくのをぼんやりと眺めるだけなのでした。さらに三宮でポートライナーに乗り換え「みなとじま」で降りたときもまだ雨が続いていました。でも、傘がない。というわけで雨に濡れて帰宅しました。こんなことって皆さんにもありませんか。 

◉9月22日(木)/ハニーFMちょっこっと出演、会場下見/三田

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 10月15日「郷の音ホール」で予定されていた「聲明とインド音楽」公演の打ち合わせと宣伝のため三田に行きました。
「郷の音ホール」で出迎えていただいたのは、以前、灘の「酒心館」のイベント企画をやっていた岡本さん。「酒心館」では何度か彼女にお会いしたことがありましたが、なにしろ随分昔のことでお顔もおぼろげにしか覚えていません。
 まず会館からお借りした車を運転して地元のFMラジオ局「ハニーFM」へ。隣に座る岡本さんの指示で走ったのですが、当の岡本さんが道を覚えてないらしく、車はどんどん街から遠ざかる。
 ようやくたどり着いたラジオ局は巨大なイオンモールの中にありました。それほど広くない事務室と隣接したスタジオだけの小さな放送局です。30分ほど、聲明やインド音楽の話をしました。聞き手は、おそらく放送局唯一のアナウンサー兼DJの30代の男性でした。彼にとって何を聞いたらいいのかは難しかったに違いありません。岡本さんも参加してコンサートの宣伝をしました。FaceBook投稿
 FM局からホールに戻り、照明や音響など舞台関係者と打ち合わせをしました。 

◉9月27日(火)
 龍谷大学のジュギョー後、グレンの車でやってきたスティーヴ・オダさんを京都駅で拾いました。グレンの顔面がまるで強烈なパンチを浴びたように痣だらけで、左目も血走っていました。車を停車できないのですぐに別れ、スティーヴと京都駅へ。
 スティーヴに会うのは初めてでした。まるで芋虫のような段々腹のあるホイール付きの長い楽器ケースと中型のスーツケース、ジーンズではないちっょと皺の寄ったズボン、小さなウエストバッグ、布製の肩下げ袋。わずかに黒の混じった白髪が耳周辺と後頭部に残すのみで、額から頭頂部は完全なスキンヘッド、白い口ひげの小柄なスティーヴは、東北の田舎から上京してきた小柄なオッサンという感じの佇まいです。
 スティーヴは、サントゥール奏者のジミー・宮下さんの主催する岐阜・洞戸のインド芸能祭「サンギート・メーラ」(24日)参加に合わせて来日し、前日まで向日町のグレン宅に泊まっていたのです。この日から30日まで我が家宿泊でした。

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 実は彼と会うのを楽しみにしていました。同じインド音楽の演奏者であること、ワダスが招聘して日本公演ツアーをやったことのあるサロード奏者のアーシシ・カーンが彼の最初のグルであること、そのアーシシの父親であるアリー・アクバル・カーンの音楽カレッジの事務局長を務めたこともあることなど、共通の話題が多いというのがその理由です。
 早速、電車内でアーシシ・カーンやその弟のプラネーシュ・カーンの話を聞きました。
「グルであるアリー・アクバル・カーンから音楽カレッジの事務局長をやれといわれたんだ。で、その最初の仕事が当時の事務局長プラネーシュに馘を言い渡すことだったんだよ」
 プラネーシュもアーシシもアリー・アクバル・カーンの息子たちです。
「こっちは別にプラネーシュと仲が悪いなんていうことはなかったのに、以来、彼は僕とあっても口も聞かなくなっちゃって」
 帰宅して酒を飲みながらさらにいろいろな話を聞きました。
 スティーヴは日系カナダ人三世です。祖父母が愛媛県の小さな島の出身。少年時代はトロントで育つ。両親同士は日本語だったそうですが、彼自身は日本語はほとんどしゃべりません。大戦中はカナダでも敵性外国人ということでご両親も含む日系人は強制キャンプに入れられていたとのこと。
 翌日、スカイプでサンフランシスコ郊外に住む奥さんのプシュパと話をしたと言う。
「泣いてるんだよね。どうしたのと聞くと、ドアにぶつかったかなんかで野鳥が怪我をしていたらしい。で医者に見せたらいいかっていうんだ。彼女、エモーショナルなんだよなあ。けっこう泣くんだよ」
「高校生のときジャズが好きになってニューヨークに行って聞いてたなあ。ギターもやってたし」
 などなど、練習や食事の合間や散歩中に彼の話を聞いたのでした。
 29日は、プシュパに土産物を買いたい、というので三宮へ。
「なにかちっちゃくて日本的なもの。浮世絵とか」
 デパートやいろんな店にいったが、結局買ったのは和の小皿のセットとマスクでした。奥さんが花粉症なので日本製のマスクだと喜ぶだろうとのこと。なかなかに奥さん思いの人でした。
 
◉9月30日(金)スティーヴ・オダ来日関西ツアー2016 /国境を超えたラーガ音楽4/KOBE STUDIO Y3、神戸/スティーヴ・オダ:サロード、グレン・ニービス:タブラー、HIROS:バーンスリー

 3日連続ライブの初日は神戸でした。場所は、昨年12月以来の、CAPのあるSTUDIO Y3の5階講堂。
 リハーサルを終えて本番までの待ち時間、百合子さんと一緒に倉敷からやってきた林幸子さんと久しぶりに会いました。
「あらーっ、わたしのボーイフレンド大集合ね」とグレン、スティーヴ、下田さん、ワダス、次々に抱擁を交わすほどにお元気でした。
「昔みたいに動くのは遅くなっちゃったけど、おいしいもんを食べにいろんなとこ行ってるのよ」幸子さんは百合子さんのお母さん、つまり寺原太郎君の義母です。FaceBook寺原百合子さん投稿
 お客さんの数は多くはありませんでしたが、ハーブ園の本位田園長や伴野さん、レジデンスとしてCAPに滞在していたドイツ人作家ダグマーの姿も見えました。
 初めて生で聞いたスティーヴの演奏は素晴らしかった。
 ワダスがCDに録音したChandranandanというラーガを演奏すると言うと「うーむ、それは重いラーガだから」とKirvaniを演奏。美しいKirvaniでした。彼のサロードの音色は、インド人演奏家のようなストロークの強いピッキングでないせいか、とても繊細に響きます。グレンの伴奏もなかなかでした。
 交互の長いソロ演奏の後、3人でBhairaviを演奏。このラーガはインドではコンサートの最後に演奏されるのです。ワダスは彼のサロードに合わせてCのバーンスリーに持ち替えました。
 コンサート終了後タクシーで我が家へ。グレンも中川家泊でした。 
 グレンから岐阜でのサンギート・メーラ後の出来事を聞きました。
「いろいろあった。南沢さんの車で出かけようとしたが、故障していて急遽、ノリナのお母さんのBMWで出かけた。コンサートはとても良かったけど。来日していたドゥルパド歌手リトウィックの京都コンサートに間に合うように急いで高速を走り速度超過で捕まっちゃったりして」
 
◉10月1日(土)/スティーヴ・オダ来日関西ツアー2016 国境を超えたラーガ音楽/インドまるごと総合学校、高槻市
 インドまるごと総合学校というのは、オリッスィー舞踊の村上幸子さんが主宰している20人も入ればいっぱいになる小さなスペースのことです。舞踊スタジオとしてばかりではなく、インド文化に関連した催しをときどき行うのでこの名前をつけたようです。阪急「総持寺」駅から歩いて10分ほどの住宅街にありました。


 小さな会場なのでマイク、スピーカーなしでの演奏でした。
 ワダスは、新しいCDの発売を意識して前日と同じラーガを演奏しました。スティーヴは、聴衆として来ていた佐藤高さんが、亡妻寛子さんがよく演奏していたラーガについて質問したせいか、そのMisra Mandを演奏。軽めのラーガですが、とてもソフトで魅力的な演奏でした。最後は前日と同じようにBhairaviで締めました。
 お客さんは、会場の規模と同じように超限定でした。バーンスリーの池田君の他、なんと四天王寺のイベントでワダスの演奏を初めて聞いてファンになったという女性もいてびっくりでした。四天王寺うんぬんとは1984年のことで、なんと今から30年以上も前のことです。
 ご両親が亡くなり割と大きな実家を相続した村上さんの苦労話などを聞きつつカレーを食べ終えたワダスは神戸に戻りました。スティーヴはその日から再び、向日町のグレン宅泊でした。FaceBookグレン投稿
 
◉10月2日(日)/スティーヴ・オダ来日関西ツアー2016 国境を超えたラーガ音楽/誓願寺、京都
 初めて訪れた誓願寺は、京都の繁華街のほぼど真ん中にある浄土宗西山深草派の総本山です。ゆったりとしたスペースで手頃な値段でお借りできるので、インド音楽のコンサートもときどき行われているお寺です。
 この日はスティーヴのワークショップがありました。またしてもにわか通訳はワダスでした。10人ほどの参加でした。
 ラーガやターラの簡単な説明のあと、インド音楽に馴染みのない人には難しいだろうなと思うタラーナーをみんなで歌う。タラーナーというのはアリー・アクバル・カレッジで初心者が最初に習う曲ということです。ラーガは、午後のラーガであるBhimpalasiでした。ワダスはそういうものを習った経験がなかったのでとても新鮮でしたが、参加者はどうだったでしょうか。
 ワダスはMadhuvantiを演奏。スティーヴはワダスが演奏するラーガを知らされたせいか、重めのShriを演奏。この日が命日であるアメリカ人の友人シタール奏者に届けたいと、演奏前にアナウンス。難しいラーガです。
 この日のお客さんは20人ほどか。亀岡に引っ越したせいでなかなか会う機会のなかったタブラーの松本こうすけ君、やはりタブラーの中尾こうすけ君のタブルこうすけ、サロードを演奏する藤林サーガル君、居候でいつもお世話になっている野中久行さん、この日別の場所で演奏していたという南沢さん、ビートルズのコピーバンドをやっているヤザワさんなどが見えていました。
 PAは藤沢ばやん君。コンサートの主催者がグレンだったので、奥様のノリナさん、息子の海君も最後まで片付けなどを手伝うのでした。
「荷物は全部、お宅まで積んでいきますよ」というばやん君の願ってもない申し出もあり、ほぼ手ぶらのグレン一家とスティーヴ、南沢さんのシタールの生徒である中山智絵さんおよびワダスは、小雨の降る中、電車で向日町へ。
 われわれが向日町のグレン宅に着いて間もなくばやん君がやってきて楽器などを降ろして帰って行きました。近所のピザ屋でとグレンは申し出ていたのですが、冷蔵庫にあるものを適当に使ってここで打ち上げしようということになりました。ところがその日のグレン宅の食品備蓄はジャガイモのみなので、ワダスがジャガイモのキンピラを調理し食べてもらいました。
 スティーヴとワダスはその日はグレン宅泊。
 翌日、購入した帽子のサイズが合わないので返品したいというスティーヴと一緒に河原町にあるユニクロへ。レシートがないと返品できないと言われたスティーヴは、肩掛けカバンやウェストバッグをひっくり返してみたが見当たらず、結局また持ち帰ることになったのでした。
 明日関空から帰国するスティーヴと四条河原町で別れたワダスは、三日間のミニツアーとアテンドのくたびれ感を抱きつつ、その日ジュギョーのある大谷大学へ向かうのでした。 

◉10月15日(土)/聲明とインド音楽公演/三田市総合文化センター郷の音ホール、三田市/七聲会(池上良生、池上良賢、河合真人、清水秀浩、橋本知之、八尾敬俊、和田文剛):聲明、南沢靖浩:シタール、グレン・ニービス:タブラー、HIROS:バーンスリー
 久しぶりの七聲会のしかも大ホールでの公演でした。当日は1000人ほど入るホールに約700人の入場者。もっとも、今回の担当者の岡本さんによれば大半がシニアカレッジ参加者のロージンだということではありましたが。
 テキパキとした音響スタッフは実に優秀で、われわれの要求はほぼすてべ整えてもらいましたので、客席の音響も良かったはずです。また、後で会場から撮ってもらった写真を見ると、照明も素晴らしかったようです。きっちりした設備とスタッフはありがたいものです。FaceBook神田裕子さんのページ FaceBookグレンのページ
 七聲会の公演は、2013年5月の佛教大学宗教ミュージアム公演以来なので3年ぶりです。ガッコでワークショップをお願いしている河合さんや百万遍で何度かお会いした池上良賢さん、池上良生さん以外のメンバーとも久しぶりでした。
 当日は電車のワダス以外はみな車で会場入りでした。グレン、南沢さん、ノリナさん、海君はBMWで京都から。それぞれの車でやってきた七聲会は、渋滞や七聲会的のんびり性もあって11時集合予定が30分ほど遅れました。なので舞台の準備、リハーサルは大急ぎでした。
 当日のリハーサルで初めて七聲会とのセッションをするグレンと南沢さんにはちょっと不安はあったのかもしれませんが、本番では予想以上の素晴らしい演奏になりました。
 公演は、1部がインド音楽、休憩を挟んで2部が聲明、最後が聲明とインド音楽のセッション。
 まず南沢さんとグレンのパフォーマンス。南沢さんのYamanはしっとりとして美しい。グレンのタブラー伴奏もなかなかでした。ついでワダスが登場して簡単なインド音楽や楽器の解説と演奏。ラーガは、Kirvani。速いティーンタールまで展開する時間がなかったので10ビートのジャプタールだけにしました。なにしろ、南沢さんとワダスの持ち時間が解説を入れて40分なので、じっくりと演奏する時間が少ないのです。客席最前列に、佐藤高さんが指を折ってターラを勘定しているのが見えました。
 休憩後、七聲会のメンバーを2階のホワイエまで誘導し、後部ドアで待機。ワダスのゴーサインでいつものように後部ドアから入場しました。
「笏念仏入道」でゆっくりと客席通路を経て舞台へ。音取り、笙の伴奏で「甲念仏」「日中礼賛」「散華」「回向文(次第取り)」相変わらず美しい聲明でした。
 舞台にインド音楽隊の平台が準備されるとただちに第3部の「聲明とインド音楽」のセッション。七聲会の「阿弥陀経」のテンポの加速に合わせてインド隊も次第に華やかに盛り上がり、全体が終了。大きな拍手でした。
 CD売り子で手伝ったもらったノリナさんは「インド古典音楽をあのような大ホールで聴くことができる日が来るとは、と未だに感激しております。最高の音響環境と視覚効果の中での皆さんの演奏は素晴らしく夢心地でした。最後の七聲会の皆さんとの演奏は、圧巻でした。800人超の観客の皆さんも感激してられましたよ〜」とフェイスブックにコメントを寄せてくれました。岡本さんによれば、やはり最後のセッションがよかったというのが多くの聴衆の感想だったようです。
 七聲会のメンバーたちは「これから有馬やねん。南先生が待ってはるし」と言いつつ去っていき、定員オーバーのBMWに乗せてもらったワダスを三田駅で降ろしたグレン隊が帰っていくのでした。

◉10月14日(月)/中尾幸介宅練習兼宿泊
 最近やってきたという子猫が可愛い。名前なんだっけ。けっこう涼しい宇治の家では「まだ出てくるから」とでっかい蚊帳の中で寝ました。

◉10月31日(月)/藤澤ばやん宅練習兼宿泊
 ほぼ1年ぶりでばやん君ちでの居候でした。御陵の実家でしばらくお母さんと会話しました。ばやん君の、とっても小柄なお母さんはワダスと同い年です。
 しばらくして帰宅したばやん君とスーパーでカレー材料を購入し、大津の独り住いのマンションへ。さっそくカレー調理開始。煮込んでいる間に練習しました。
 タバコを吸いに広いベランダに出ると、眼下に競艇場、琵琶湖、対岸には琵琶湖ホールが望めます。

◉11月13日(日)/橋本健治個展「尺八本曲による網戸絵」/ギャラリー雛、岡本/打ち上げ兼短足友の会宴会/トラットリアオーツィ/参加者:植松奎二+渡辺信子、岡田淳、小川和夫、幸田庄二・杉岡真紀子、瀬口、曽我了二・弘子、塚脇淳、中川博志・久代、西村房子、橋本健治+例子、東仲一矩・田村珠紀、溝延洋子

 建築家、橋本健治(健さん)さんの網戸絵の展覧会にかこつけた短足友の会の宴会でした。
 住宅に使用する網戸に絵を描くというのは意表をついたアイデア。さらに、それぞれの絵には、手向、産安、山越、虚空といった、健さんがここ数年習っている尺八の古典本曲の曲名と楽譜が添えられているのでした。短足麻雀で月に一回遊んでいる幸田さんのなかなかにかっこいい大きな絵が3点と、杉岡真紀子さんの透明なポリプロピレンの両側に描かれた作品と枯れ枝に色付けしたオブジェも友情出展。大きくない会場はほとんど同窓会のような雰囲気でした。
 会場の片付けの後、近くのイタリア料理店で宴会。イタリア式フルコースのなかなかに充実した料理でありました。
 例によって健さんの本曲、例子さんの音色の良くなったフルス、いきなりの指名で急遽渡辺信子さんの靴を借りて踊った東仲さんのフラメンコ、なんとワダスの聲明などという出し物つきの大宴会でした。対面には相変わらず国外を飛び回る植松夫妻の話や「賞金なし。賞状だけ」兵庫文化賞を最近もらった児童文学の岡田淳さんの話題などで盛り上がったのでした。

◉11月19日(土)/工藤家宴会/近江舞子/参加者:川崎義博、工藤聡史+悦子、下田展久、HIROS、森信子

 8月のCDマスタリングでお世話になった、紅葉の美しい林に囲まれた工藤家での宴会と居候でした。参加したのはよく見知った人のみ。三宮で仕込んだ食材で芋煮を作り、だらだらとした飲み食いになったことは言うまでもありません。芋煮は山形周辺の牛・醤油バージョン。最後にカレー・ルーを投入し、カレーうどんの締めでした。んまかったなあ。FaceBookえっちゃんのページ
 午後3時頃に始まったのに気がつけば深夜1時過ぎでした。われわれ客人は母屋の隣のスタジオで宿泊。
 翌日(20日)、ワダスが、下田さんと聡史さんがすでに出勤した後に起きたころ、ヨスヒロ(川崎)と森チャンが母屋で談笑していました。
「川崎さんが味噌汁作ったよお。食べる?」
 というわけで、家主がまだ寝ているダイニングで贅沢納豆朝食。そのうちにエッチャンが起きてきて、最近やはりここに居候した知り合いのフランス人Nosfellの加わった名古屋のダンス公演のビデオを見たりしてだらだらと過ごす。周囲を眺めると色とりどりの紅葉の木々が輝いているのでした。
 ワダスはスタジオに戻って練習。そのうちヨスヒロが「おふくろと昼食をすることになっている」といって京都へ出かけ、森ちゃんとエッチャンは「あははは、ガールズ・トーク」に忙しい。
 周辺を1時間ほど散歩しました。この辺りは別荘地。樹木の間になかなかに洒落た家が散在しています。ただ、あまり人が住んでいる気配がありません。エッチャンによれば、20軒ほどあるうち現在住んでいる家は4軒くらい。高速道路越しに琵琶湖の見える場所まで下がると、森の奥へと誘う道がありました。神使が狛犬ではなく蛇という不思議な結界の奥に神社がありました。急な坂道を登ったり降りたりしたのですでに足がガクガクでした。
 工藤家に戻ってもまだガールズ・トークは続いていました。スタジオで練習したりこの通信を書いているうちに夕方。ほうれん草、モヤシのナムル、麻婆豆腐を作って夕食を済ませてしばらくして森ちゃんが帰って行きました。ワダスはスタジオにリタイヤし、聡史さんの帰宅した10時過ぎにはすでに意識を失っていたようです。
 翌日(21日)は9時頃起床。工藤夫妻が起き出した10時前に朝食をいただき、11時半ころ聡史さんに駅まで送ってもらってこの日ジュギョーのある京都の大谷大学へ。

◉11月21日(月)/野中宅泊/ボケ2
 よれよれのジュギョーを終えてこの日の居候先の野中家に向かう。
 野中家ではミキさんがすでに芋煮の準備をして待っていました。久行さんの希望で、味噌・ブタの置賜地方の芋煮を作りました。

 翌日(22日)、昨晩の芋煮にお餅を入れた朝食をいただき、佛教大学へ。北大路バスターミナルに「佛教大学行きバス」というサインボードを持った若い人たちがいました。「何かあるのか」と思いつつガッコのあるバス停に降りるとやはり青年たちがサインボードを持って立っています。講師控え室に行くといつもは開いているドアが閉まっていて照明がなく暗い。控え室が移動したのか、あるいは休講なのか。電話で聞くと「今日は入試なので休講です」と返ってきました。ぎょえっ。あわてて手持ちの講義日程を見たのでした。たしかに休講でした。今年のボケ第2弾でした。本当にやばいかもしれません。皆さんはこういうことはありませんか。

===この間に読んだ本===

*読んで損はない、**けっこういけてる、***とてもよい
『稲垣足穂さん』(松岡正剛、立東舎文庫、2016)
『永遠の不服従のために』再読(辺見庸、毎日新聞社、2002)
『死と滅亡のパンセ』**(辺見庸、毎日新聞社、2012)
『戦争と一人の作家』未読了(佐々木中、河出書房新社、2016)
『変形する身体』(アルフォンソ・リンギス/小林徹訳、水声社、2015)
『ミヒァエル・ハネケの映画術』(ミシェル・スィユタ+フィリップ・ルイエ/福島勲訳、水声社、2015)
『「人文学」という思考法』*(真野俊和、社会評論社、2015)
『ビックバン宇宙論/上』***(サイモン・シン/青木薫訳、新潮社、2006)
『ビックバン宇宙論/下』***(サイモン・シン/青木薫訳、新潮社、2006)
『永遠の始まり1』(ケン・フォレット/戸田裕之訳、SB文庫、2016)
『永遠の始まり2』(ケン・フォレット/戸田裕之訳、SB文庫、2016)
『永遠の始まり4』(ケン・フォレット/戸田裕之訳、SB文庫、2016)
『下流志向』*(内田樹、講談社、2007)
『国を救った数学少女』***(ヨナス・ヨナソン/中村久里子訳、西村書店、2015)
『音楽論』*(白石美雪編、武蔵野美術大学出版局、2016)
『コード トゥ ゼロ』**(ケン・フォレット/戸田裕之訳、小学館、2002)
『窓から逃げた100歳の老人』***(ヨナス・ヨナソン/柳瀬尚紀訳、西村書店、2014)
『体感する宇宙』(竹内薫、KADOKAWA、2014)
『べつの言葉で』**(ジュンパ・ラヒリ/中嶋浩郎訳、新潮社、2015)
『ピュタゴラスの復讐』*(アルトゥーロ・サンガッリ/冨永星訳、日本評論社、2010)
『アオキ』(神尾和寿、編集工房ノア、2016)
『鉄の骨』(池井戸潤、講談社、2009)
『雪』***(オルハン・パムク/和久井路子訳、藤原書店、2006)
『時のかけらたち』***(須賀敦子、青土社、1998)
『天使』**(佐藤亜紀、文藝春秋、2002)
『トルコ音楽の700年』(関口義人、ディスクユニオン、2016)
『図書館の殺人』未読了(青崎有吾、東京創元社、2016)
『わたしの名は紅』***未読了(オルハン・パムク/和久井路子訳、藤原書店、2004)

===これからの出来事===

 週二日のジュギョーの他は淡々となにもしない日々ですが、年明けに下記のような催しがあります。三田公演とほぼ同じ内容です。チケット受付は12月14日からです。
◉1月14日(土)/七聲会公演/佛教大学宗教ミュージアム、京都/七聲会:聲明、南沢靖浩:シタール、グレン・ニービス:タブラー、HIROS:バーンスリー、レクチャー/問い合わせなどは佛教大学宗教ミュージアムへ。