めんこい通信2017年8月18日号

 もくじ

 もりかけゴールドトランプ
 ドゥルバ・ゴーシュ逝去
 しぶとくしぶとくCD販売促進
 これまでの出来事
 この間に読んだ本
 これからの出来事

もりかけゴールドトランプ
 夏ですから当然暑いわけですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 記録がない、記憶にない、認識していないなどという答弁に明け暮れた加計学園問題や防衛省日報問題の論議を見ていると、政権を担う政治家や官僚という人たちが救い難く不誠実なのか(どう見てもそういう印象をもってしまう)、ほとんどは誠実で真面目なのに誰かの大嘘をかばうために全員が嘘をつく羽目になってしまっているのかと思ってしまう。後者であれば、誰か以外の人たちは自己の権益との天秤を計りつつ誠実そうな顔で嘘をつかなければならないわけで、本音ではうんざりしているのかもしれない。国民の2/3以上の議席をもらってるんだから俺たちは何をやったって許されると思い込んでしまったということもあるかもしれませんが、こういう状況にあること自体、この国のシステムが救い難いことになっているということなのか。
 そうこうしているうちに金さんが「グアムにミサイル落とすというのをやってみっかな」などと言うもんだから、ある意味正直だがちと知恵の不足を感じるトランプはんが「んなことしたら容赦せえへんで」といきり立ち、世界にちょっとざわざわ感が漂うのでした。「あなたはどこの国の総理大臣ですか」と被爆者に言われたアベが核兵器禁止条約の議論に参加しないと決めた理由がよく分からないのは、こうしたゴールドトランプ口論が現実化したときに、核兵器をもっともどっさりもっているアメリカに嫌われたら日本はやばいと思ってのことなのよね。保有国と非保有国の断絶を拡張する、条約そのものが非現実的だというのも理由のようですが、被爆国である日本が堂々と理想を掲げて条約を批准するとただちにアメリカの核の傘から外れるとか安全保障上丸裸になるなんということはないと思います、と無責任にしか言えませんが。ほぼジョブレス・熟年笛吹きには直接関係ないとはいえ、こうしたつぶやきが、カオス理論のバタフライ効果のように世界に伝わればいいなと思うのでした。

ドゥルバ・ゴーシュ逝去

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07年福岡/ニキル・パータク、中川ユージ

 居候がてら退院間もないバヤン君のマンションで練習する前にFaceBookをのぞくと、いきなりアニーシュ・プラダーンの書き込みが飛び込んできました。
「ドゥルバ・ゴーシュが逝った」
 最初は目を疑いもう一度読み直してみたが、信じられませんでした。しばらくすると、知り合いのインド人や欧米のミュージシャンからも書き込みが続き、どうやら本当らしい。まだ50代のドゥルバが死んだって。ワダスは呆然となったのでした。
 おりから、エイジアン・ファンタジー・オーケストラ(以下AFO)のプロデューサー本村鐐之輔氏が「整理したついでにいっぱい載せちゃった」と2003AFOアジアツアーの写真を大量にFaceBookに掲載したため、かつての仲間の間で盛り上がっていた矢先でした。
 ドゥルバと最初に出会ったのは『インド音楽序説』の翻訳を始めたころの1992年。25年前も前になります。南インド語の読みを教えてもらいにムンバイの音楽学校「サンギート・マハーバーラティー」へ行った時のことでした。
「サンギート・マハーバーラティー」で『インド音楽事典』を編集していたピライ博士が嫌な顔もせずワダスの用語リストにある単語を一つ一つ読み上げていると突然、停電になりました。しばらくして、メガネをかけた細身の男がにこにこしながらろうそくを持って奥から現れました。
「ドゥルバ・ゴーシュだ。サーランギーをやってる」。
 そのとき彼の演奏を何度か聴きました。とても繊細で美しい演奏でしたが、何よりも惹かれたのは彼のユーモアのセンスと謙虚で柔軟な思考法でした。ワダスの知っているたいていのインド人は自身に特化した話題を相手構わず喋りまくるタイプが多かったが、ドゥルバは違っていました。 
 本村さんからインド人ミュージシャンの紹介を依頼されたとき躊躇なく名前を挙げたのがドゥルバでした。
 以来、ドゥルバはAFOの主要ミュージシャンの1人として、93年東京(シアター・コクーン)、95年アジアツアー(シンガポール、マレーシア、ジャカルタ)、96年東京(シアターコクーン)、98年アジアツアー(デリー、ムンバイ、ハノイ、マニラ、東京)、2000年東京(赤坂ブリッツ)、2001年日本ツアー(宮崎、大阪、名古屋、東京)に参加し、AFOにはなくてはならない存在になりました。また、AFO関係以外でもちょくちょく来日して演奏しています。ワダスの招聘で、99年には神戸、水口、河内長野で、2007年には福岡アジア美術館と民博で演奏してもらいました。AFOの長いリハーサル期間中にラーメンにすっかりはまってしまい、日本でワダスに会うたびに「ラーメン、ラーメン、タンタンメン」と呪文のように繰り返したのを思い出します。

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在りし日の夫妻(Facebookより)

 こうした公演以外でもワダスはたびたびドゥルバと会っています。2004年にはベルギー人の奥さんロザリン(2015年11月逝去)と住むムンバイの自宅に2週間ほど居候をしたり、グラミー賞を受賞したアルバムの録音や公演のために来日した時にも会いました。
 音楽家としてのドゥルバは、ラヴィ・シャンカルやわたしのグルのハリジーのような華々しい国際的スターとは言えませんが、ベルギーでしばらく生活していた関係もあり、インド国内よりもむしろ国外でよく知られていました。有名なタブラー奏者であったニキル・ゴーシュを父に、バーンスリー演奏の草分けであったパンナラール・ゴーシュを叔父にもつ音楽家系で幼少から英才教育を受けたので、タブラー、サーランギー、声楽の演奏技術もさることながらヒンドゥスターニー音楽の流派の違いも含め知識も豊富で、ワダスもずいぶんいろんなことを教わりました。
 98年のAFOインドツアーのとき「インドであなたがこれを演奏すると絶対ウケるよ」とドゥルバがワダスのために作ってくれた曲があります。バティヤーリーといいますが、その後なんどもなんども演奏してワダスの欠かせないレパートリーになりました。この曲には歌詞もついています。ドゥルバ自身が歌うのを何度も聞きました。彼に要約してもらった歌詞を以下に書いておきます。もう彼岸に逝ってしまったということはきっと正しいグルを見つけたということでしょうか。

 わたしは人生という河の此岸に座っている
 わたしを彼岸へ連れて行ってくれるのは誰だろう
 わたしには兄弟も友人もいない
 ただわたしのグルだけがわたしを救ってくれる
 わたしを彼岸へと導いてくれる
 わたしには彼岸へ渡る舟も櫂もない
 船頭が彼岸にいるのが見える
 しかし、わたしは彼の名前も知らない
 何と言って呼びかけたらいいのだろう
 ただわたしのグルだけがわたしを救ってくれる

しぶとくしぶとくCD販売促進

 去年作ったワダスのソロCDは、おかげさまで残りわずかになりましたがまだ在庫はあります。というわけで、ワダスの願望をしぶとく繰り返したいと思うのでした。
「ま、それなりに好評のようなワダスのCDの購入をみなさまにお願いしたいなあ、と強い願望を持っているわけでありますが、もちろんそう願われる人々にもさまざまな事情があり音楽の好みがあり、必ずしも中川家の生活向上にはご関心があるわけではないということも理解してはいるのですが。はい。とはいえ、残りはわずかです。ぼやぼやしていると、ひょっとしたら生前のHIROSを偲ぶ唯一の音源が売り切れになるかもしれませんよ」。んなことないか。
http://sound.jp/tengaku/CD/ragamusic.html
 1枚2000円で販売しています。ふと思いついたらメールでご連絡ください」
 というわけで、中川家で一定の面積を占めているCDの速やかな退去にご協力ください。

===これまでの出来事===

◉5月29日(月)/大谷大学講義-前8/京都/Gil宅泊
 1月の佛大宗教ミュージアム七聲会公演のとき久しぶりにお会いしたスティーヴン・ギル、佳津江夫妻のお宅に居候してご馳走になりました。佳津江さんのバラタナーティアムの師匠であるダヤ・トミコさんもディナーに参加しました。ワダスとほぼ同い年のダヤさんはインドでも大活躍のダンサーです。
「ほら、前のマンションが建っちゃうと隠れちゃうのよね」とスティーブンが残念そうに言ってましたが、嵐山が正面に見えるギル宅の屋上庭園からの眺めは素晴らしい。イギリス生まれのスティーブは京大とかで英語を教え、佳津江さんはアロマセラピーの専門家です。インド、イギリス、京都の話などで楽しかったなあ。いろいろ聞いていると、ワダスはお坊さんバンドツアーで彼の生家に近いところをかすったこともわかりました。

◉6月12日(月)/アナログ・シンセ??プログレ祭り/チキンジョージ、神戸/久米大作+グレコリー鈴木+イワノフ:Key、仙波清彦:Per、高橋香織:Vn、菅沼孝三:Dr、鬼怒無月:Gt、メッケン:Bass、季子+ゴンザレス棚村:Vo

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チキンジョージオーナー、スタッフ、仙波
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左から久米、仙波、ワダス、タケカオ

 冒頭で触れたAFOメンバーの3人が神戸でライブをするというので久しぶりにチキンジョージへ行きました。
 手練れのミュージシャンたちによるプログレの名曲は、70年代の響きたっぷりでした。その響きのために使われた楽器がすごかった。当時使われていたアナログシンセの名器を10何個揃えたというから半端じゃない。値段にするとン千万らしい。とはいえ、そうした楽器にあまり興味のないワダスにはそれぞれの違いもわからないが、プログレそのものはなかなかに楽しかった。
 久米さんとはほぼ8年ぶり、仙波さんやタケカオ(高橋香織、旧姓武内なのでみなタカカオと呼んでいた)と最後にあったのは2005年の佐藤一憲追悼ライブだから12年ぶりということになります。長い時間会っていないのに、顔を合わせた瞬間、つい昨日別れたような感じになるのは、AFOのリハーサルやツアーでの密度の濃いつきあいのせいか。彼らが相変わらずミュージシャンとして大活躍なのがうれしい。
「今年還暦なんよ。ピットインで還暦記念ライブやるよ」と長髪の久米さん。仙波さんもそうだけど、みな立派な大御所です。

◉6月17日(土)/義母米寿記念宴会/木曽路、明石

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◉6月18日(日)/エバーグリーン管理組合理事会
 管理組合の理事ということになった初めての理事会でした。約700世帯の我がマンションの管理はなかなかに大変です。ほとんどの住民が無関心な中、手を上げなければなにもせずに済むのにこれまでずっと維持管理してこられた先輩たちには頭が下がります。

◉6月26日(月)/大谷大学講義-前12/京都/佐藤高宅泊

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 高さん特製のこだわり野菜カレーをごちそうになりつつ、サントゥールを調弦しました。

 

 

◉7月3日(月)/大谷大学講義-前13/京都/藤澤ばやん宅泊
 膵炎なる病気で入院していたバヤン君のマンションで練習を兼ねた居候でした。
「いきなり腹が猛烈に痛くなって身動きできなくなった。救急車に来てもらったがまともに返事もできなかった」とバヤン君。近くの大津市の病院に入院し絶食。痩せたやろと聞くと「それがかえって増えたんです。ずっと点滴でしたからね」
 この病気は、膵臓で作られる消化酵素が自分の膵臓まで消化しようとして炎症を起こすというもの。怖いですね。
「脂肪分の多いもの、刺激の強いものなどはしばらく食べられない」バヤン君はレトルトおかゆをすするのでした。

◉7月10日(月)/Dhruba Ghosh死去(1957年10月25日-2017年7月10日-59歳)
 この日の早朝、心臓麻痺だったようです。

◉7月10日(月)/大谷大学講義-前14/京都/藤澤ばやん宅泊
 8月の島原市でのコンサートが決まったのでバヤン君と2週続けて練習でした。
 1週間前よりはずっと元気を取り戻したバヤン君との練習では、直前に知ったドゥルバの訃報を受けバティヤーリーを長めにやりました。演奏しているとドゥルバと過ごしたあれこれがとめどなく思い出されるのでした。

◉7月22日(土)/サンギート・ミシュラ来日ライブ/キトゥン・カンパニー、京都/サンギート・ミシュラ:サーランギー、グレン・ニービス:タブラー、HIROS:バーンスリー

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 サンギート・ミシュラはバナーラス出身で現在ムンバイ在住のサーランギー奏者です。2004年に初来日したときは、タブラーのチントゥーと一緒に我が家にやってきて「初めてです」というカレーを作ってもらったり、同じ年にバナーラスの彼の家で一緒に練習をしたりしたことがあります。ミシュラ家は祖父、父、兄もサーランギー奏者です。
 当時は初々しい20歳でしたが、今や二人の子供を持つ父親です。以前よりもずっとふっくらしていました。今回は、奥さんのアルチャナ、長男のアルチト(4?歳)、長女のアムリタ(1歳)を引き連れ、日本各地での演奏と家族旅行も兼ねる来日だということでした。まだ子供っぽい表情の残る奥さんのアルチャナさんはバナーラス・ヒンドゥー大学(BHU)で哲学の学位をとったということなので、ワダスとは同窓ということになります。
「せっかく来日するので、何か一緒にやりませんか」というグレンさんの誘いで京都でライブということになったのでした。
 居候先の土山からやってくるミシュラ一家と三ノ宮駅の新快速車内で合流し京都駅で待つグレン一家の車で会場へという段取りでしたが、車内には彼らは見当たらなかったので一人で京都へ。まず、のりなさん、海君、グレンさん、シタールの中山智絵さんと会場につきました。ミシュラ一家は20分ほど遅れて到着。
 会場は地下鉄五条駅に近い「キトゥン・カンパニー」。細長いビルの3階の、普段は能面工房が演奏会場です。1階がベジタリアン・カフェ、2階が公文教室。
 バヤン君や中山さんが会場設営するのを眺めながら、ミシュラ一家とおしゃべり。ムンバイに移り住んでから約1000万円のアパートを現金で買った、子供の遊び相手を探すのが難しい人間関係の希薄なムンバイは好きじゃない、アルチトはサーランギーよりもタブラーに興味があるみたい、などなど。
 当日演奏したのは、ラーガ・マールー・ビハーグ、バナーラスの子守唄、バティヤーリー、バイラヴィ。すべて、サーランギーとバーンスリーのデュオでした。サンギートのサーランギーの音色は繊細でかつとてもダイナミックでした。これから歳を重ねていくともっともっと良くなる予感がします。グレンのタブラーも相変わらず安定していて気持ちの良い音でした。
 聴衆の中には「数年前からどういうわけかビーガンになった」という佛教大学の小野田教授、最近車を買ったというバーンスリーのグミ君とTicoちゃん、サントゥール調弦がてらときどき居候させてもらう佐藤高さんなどの顔も見えました。
 京都駅からミシュラ一家とともに新快速に乗り帰宅。約1ヶ月という日本旅行に飽きて来たらしいアルチトは「帰りたい」とぐずるのでした。 

◉7月30日(日)/広がる彫刻 熱き男たちによるドローイング/鼎談:植松奎二、榎忠、JUN TAMBA(塚脇淳)/BBプラザ、神戸
 3人の彫刻家のドローイング作品を1ヶ月ごとに展示する展覧会で、一人目の植松奎二さんの最終日でした。
 4階ホールで行われた鼎談会場には「短足友の会」含めけっこうな年齢の人たちが100人ほど参加。植松さんの長男の琢磨君、ギャラリー島田の島田さん、写真の高嶋さん、元町に美術系図書館を作ったという森下明彦さん、イラストのWAKKUNなど知り合いの顔も見えました。
 鼎談は、ドローイングや美術に対するそれぞれの考え方が述べられ、なかなかに興味深いものでした。これから作ろうとする作品のアイデアのためにドローイングをたくさん書くという植松さん、鉄と向き合い曲げたり叩いていることがドローイングだという塚脇さん、人と喋ったり生活することそのものがドローイングだという榎さん。きちんと楽譜を書いてから演奏する、その場で出てきた音から即興していく、舞台に立ってから何を演奏するか決める、というそれぞれスタイルの異なったミュージシャンの話のようでした。
 3人とも「短足友の会」の友人で、ついでに宴会にしようということになっていたので、当日はメンバーがほとんど集まりました。忠さんの奥様とも実に久しぶりでした。

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 会場は阪神岩屋駅に近い居酒屋「たまいち」。主催者BBプラザの打ち上げに合流という形だったので「短足」メンバーがばらけてしまい、いつもの親密な雰囲気とは言えなかったのが残念です。
 たまたま同席だったのが榎忠さん、東仲さん+田村珠紀さん、岡田淳+由紀子夫妻、曽我了二+弘子夫妻、大谷美術館館長でした。ときどき植松さん、塚脇さんなんかもやってきたのでそれなりに短足でしたが、最後まで消化不良的宴会だったのは返す返すも残念でありました。

◉8月5日(土)/広がる彫刻 熱き男たちによるドローイング/「From The Earth Project あの巨大ドローイングは今…!」/JUN TAMBA(塚脇淳)/BBプラザ美術館、神戸

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 8月はJUN TAMBAさんの展覧会でした。この日は、大谷美術館で10数年前に行った巨大なドローイングのある帆布を広げるというパフォーマンス。
 4階ホールの床面いっぱいに10数年ぶりに展開された22×19m、220㎏の折りたたまれた帆布のドローイングは圧巻でした。また、描かれたドローイングの1本をその場でハサミで切り取るというパフォーマンスに、参加した子供たちも大興奮なのでした。会場には、30日も参加していた幸田・杉岡マキチャン+孫二人、アビヨーンの大川マスターとフーチャンこと西村房子さん、映像記録の山口さんなどの顔も見えました。

===この間に読んだ本===
 *読んで損はない、**けっこういけてる、***とてもよい
#1『音楽を考える人のための基本文献34』**(椎名亮輔編著、アルテスパブリッシンク、2017)
『一茶』**(藤沢周平、文春文庫、2009)
『たとえ世界が終わっても』(橋本治、集英社新書、2017)
『ファインマンさんの流儀』再再読***(ローレンス・M・クラウス/吉田三千世訳、ハヤカワ文庫NF、2015)
『コンヴィヴィアリティのための道具』*(イヴァン・イリイチ/渡辺京二+渡辺梨佐訳、ちくま学芸文庫、2015)
『日本の犬猫は幸せか』(エリザベス・オリバー、集英社新書、2015)
『生物はなぜ誕生したのか』**(ピーター・ウォード+ジョセフ・カーシュヴィンク/梶山あゆみ訳、河出書房新社、2016)
『数学者たちの楽園』**(サイモン・シン/青木薫訳、新潮社、2016)
『科学の終焉』再読*(ジョン・ホーガン/竹内薫訳/徳間文庫、2000)
『バーニング・ワイヤー』**(ジェフリー・ディーヴァー/池田真紀子訳、文藝春秋、2014)
『限界点』**(ジェフリー・ディーヴァー/土屋晃訳、文藝春秋、2015)
『一緒にいてもスマホ』未読了(シェリー・タークル/日暮雅通訳、青土社、2017)
『ヌメロ・ゼロ』**(ウンベルト・エーコ/中山エツコ訳、河出書房新社、2016)
#2『武満徹・音楽創造への旅』***(立花隆、文藝春秋、2016)
『哲学的な何か、あと科学とか』(飲茶、二見文庫、2017)
『科学は未来をひらく』(光学園+ちくまプリマー新書編集部編、ちくまマプリマー新書、2015)
#3『PC遠隔操作事件』***(神保哲生、光文社、2017)
『実録「実録映画」大全』(映画秘宝編集部編、洋泉社、2016)
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#1.古代ギリシアから現代までのさまざまに音楽に関する言説が時系列に沿って紹介されているので参照には便利な本。もっとも、出版社の販売戦略だろうが、取り上げられているのが主に西洋の「芸術」音楽に限定しているので、「音楽を考える・・・」というタイトルや、帯の「全音楽人必携!」は誤解を招きやすい。今日のように多様な音楽ジャンルが並存している状況で、読者対象として意識しているのが未だに「気分は西洋人」的日本人であることに驚いてしまう。
 通読した全体の印象は、音楽という不思議な体験を言語化しようとした人たちの言明が色々あるということが分かるが、そうした記述を通した編者の音楽観が書かれていればより充実した読書体験になったはずなので残念。

#2.上下二段組約800ページのヘビー級大著。まるで夏休みの課題のように読みました。武満さんの名前は当然知ってはいましたが、生い立ちから作曲家として独り立ちするまでのプロセス、西洋音楽と日本音楽、音楽的アイデンティティ、音楽とは何か、などなど考えさせられることの多い本でした。文中に出てくる武満作品他いろんな現代音楽をその都度YouTubeで聞きながらの読書はなかなかに楽しい。

#3.力作です。事件を通して見えてくる日本の司法制度、相変わらずの推定無罪の原則の無視、無責任に捜査当局のリーク情報を垂れ流す記者クラブメディア、インターネット犯罪の立証の難しさ、デジタル技術に追いつかないのに判断を迫られる裁判官、自白を偏重しいったん思い込んだら何が何でも犯人に仕立てようとする捜査当局などなど、今の制度のままで「共謀罪」の捜査が行われれば、とんでもない悲劇と茶番が生まれる予感がしてきました。

===これからの出来事===

◉8月20日(日)/HIROSライブ/自由空間きた田、島原市/藤澤ばやん:タブラー、HIROS:バーンスリー
◉8月21日(月)/HIROSライブ/島原護国寺、島原市/藤澤ばやん:タブラー、HIROS:バーンスリー
 この時期は毎年なあーんもせずにだらだらの夏休みというのが通例なんですが、後半からいきなり忙しくなります。
 まず長崎県島原市で二つコンサートがあります。2003年にシタールのヨシダダイキチさん、ギターのヨシタケexpeさんと一緒にライブをしたことがある「自由空間きた田」で20日に、島原護国寺で21日。今回のコンサートをお世話していただいた北田貴子さんにお会いするのも実に14年ぶりです。まったく、時間の経つのは速いものです。
 21日、22日はフリーで、吉野ヶ里町に住む知人、小島卓+寺田秀子夫妻に会う予定。小島夫妻と会うのは、彼らが当時バンガロールに住んでいた1997年12月にインドのゴアで会ったきりなので実に久しぶりで楽しみにしています。

◉9月1日(金)/HIROSコンサート/National Theater, Kathmandu, Nepal/Rabin Lal Shrestha :タブラー、HIROS:バーンスリー
◉9月8日(金)/HIROS+Nagendraデュオコンサート/Alliance Française, Kathmandu, Nepal/Nagendra Rai:バーンスリー、Milesh Tandukar:タブラー、HIROS:バーンスリー
 7月9日の起きがけに海外から電話が入りました。
「センセー、おはようございます。ネパールの井上です」
 大きな声が受話器からびんびん響くのでした。
「今日はグル・プルニマーなので電話しました。で、先生にぜひネパールにいらしていただいて演奏してほしいんですが、ご都合はいかがですか。飛行機代はもちろん出します」
 まだ頭は半覚醒状態なのでもごもごと「へええ。うれしいけど」と返事しました。とはいえ、彼の連絡先がわからないので返事のしようがないのでした。その後10日ほどしてもなんの連絡もないので、これはひょっとしてなにかのジョークなのではと思い始めた頃、彼と一緒に音楽活動をしているヴィシャール君とFaceBookでつながり、ジョークではなかったことが判明したというわけです。
 というわけで、8月29日から9月13日までネパールへ行くことになりました。
 ネパール入国にはビザが必要だというので、ネットで検索してオンラインビザ申請というのを試みました。必要な情報をいくら入力しても最終的な申請まで到達しないのです。ワダスは匙を投げましたが、配偶者がいろいろ試みて成功。配偶者はしぶといのです。
「住所とか、みんな2字くらいに縮めたらうまくいったのだ」
 それにしても、ネパールの入国管理はかなりええ加減に見えます。ネパール大使館のホームページにはオンライン申請のことはまったく触れていないというのも不思議です。
 最後にネパールへ行ったのはインド留学前の1981年なので、実に36年ぶりということになります。
 帰国してから滞在記をまとめようと思っていますので、期待しないでお待ち下さい。

◉9月23日(土)/Autumn Equinox 〜Kenny Endoと仲間たち〜公演/西宮市プレラホール/大町たけし:チェロ、久保比呂志:津軽三味線、ケイコ・フジイ:ダンス、ケニー・遠藤:和太鼓、HIROS:バーンスリー
 以前2回ほど東京のソロ公演に参加したことがあるアメリカ人和太鼓奏者ケニー遠藤さんから「西宮でコンサートがあるけど、HIROSにも参加してほしい」とメールが届いたのは去年の11月。まだまだ先だなあとぼやぼやしているともう来月なのでした。

◉9月25日(月)/大谷大学後期講義
◉9月26日(火)/龍谷大学、佛教大学後期講義
 例年のように来年1月まで週二日の京都通いです。