めんこい通信2017年11月30日号付録 島原ミニツアーよれよれ日記

 8月、9月の長い夏休みをどう過ごすか考えていて、ふと、九州にでも行ってみようかと思いついた。年明けに「作曲家の野村誠さんの住所教えて」と久しぶりに便りをもらった島原の北田さんに連絡すると、検討しましょうという暖かいお返事だった。しばらくしてコンサートをしようということになった。ついでに吉野ヶ里町に住む知人の小島卓・秀子さんに連絡すると、食堂をやっている久留米市の知人を紹介され、久留米でもということになった。久留米でのコンサートは結局キャンセルになったが、島原市で2回、公演をすることになった。
 一緒に行ったのが藤澤バヤンさん。自前の簡単な舞台設備、音響機器を自前の車に積み込んで移動できる頼もしいタブラー奏者だ。

8月19日(土)薄曇り
 六甲アイランド・フェリー
 誘導員の指示で列に並ぶ。乗船の段階で「切符持ってないって。あそこで手続きしろ」と言われて事務所へ。カードキーをもらう。

 予定通り7時50分出港。外の見えない船室がぎっしり並んでいる。我々の部屋は6806。カプセルホテル式で2段ベッドの下だった。本を読んでいるうちに10時前に寝てしまったようだ。

8月20日(日)快晴
 5時40分の目覚ましで起きて朝食バイキングへ。
 7時20分大分港着。大分自動車道から九州自動車道、南関でおりて長洲の有明フェリーに乗り、島原半島沿いに走り12時10分「海産物センター きた田」に到着。店内に入るとワダスの前のCDからのBGMが流れていた。今回呼んでくれた北田貴子さんとは14年ぶりの再会だった。前回はシタールのヨシダダイキチさん、ギターのヨシタケexpeさんとのライブだった。

 バヤンくんの車に積んである簡易舞台用の折りたたみプラスチック椅子、PAセットなどをとりあえず2階へ運び込んだ。地元の海産物を販売する店の2階が会場の「自由空間きた田」だった。
 北田さんの車でお昼ご飯へ出かけた。途中で松原さんという青年を拾った。確か前回来訪の時も案内された食堂「姫松屋本店」で貝雑煮定食を食べた。油、糖分制限のあるバヤン君はそば定食。西宮出身の松原正武さんは田舎暮らしに憧れて島原に移住してきたという。現在彼は、大名屋敷の2階に一人で暮らし、島原市役所職員として映像制作、情報誌など情報発信の仕事をしている。

 食後、すぐ目の前にある島原城へ。不自然に末広がりに屹立するコンクリート造6階建のお城が快晴の空で眩しく光っていた。売店横の建物で開催されていた版画展を見学。長崎在住の画家、小崎侃(おざきかん)さんのダイナミックな作品だった。
 3時頃戻り、きた田でセッティング。今回は松原さん制作の映像にその場で音楽を作ると言うプログラムが予定されていた。バヤンくんの楽器hapiドラムとタブラーで映像に音楽をつけることにした。あれこれ試して理想的なプロジェクター設置が決まったのだが、それがなんと舞台のワダスの座る位置の背後。スイッチを入れるとまるでストーブのようにワダスの背中を熱する。照明の手伝いは内嶋善之助氏(ヨーガ講師)。
 5時ころ民話の金子加代子さんが現れた。聞けば、ワダスの故郷である宮内の「夕鶴の里」で民話を習いに行ったことがあるという。ワダスは昔そこでコンサートをしたことがある。金子さんは元小学校教師だ。ひと通りリハーサルを終え、店に隣接する北田家で待機。
 お茶をいただきながらぼんやりしていたら、貴子さんのお母さんがやってきていろいろ話をしてくれた。幸流の先生を神戸から呼んで小鼓をならっている。最近いい出物が出たので思わず買ってしまったと奥から楽器を見せてくれた。これがなんと江戸初期に作られた美しい小鼓で高価なもの。能の話の他にも、ご家族のこと、商売のこと、ご主人の骨董趣味、長女の貴子さんには早く婿がほしいけどねえ、などなど。
 7時、コンサート開始。ラーガ・キールヴァーニー(Kirvani)でアーラープ、ジャプ・タール(Jhaptal、10拍子)、ティーン・タール(Tintal、16拍子)のガットで約45分。
 10分休憩のあと、松原さんの10分間の映像にわれわれ二人が音をつけた。映像は実際の花火の映像を加工して作られた抽象的作品。背中のプロジェクターが暑かった。ついで、最上川舟唄、バーンスリーによる即興で金子さんの語る山形民話「ヘラヘラのヘラ」、ワダスの定番レパートリーであるバティヤーリー、アンコールとしてラーガ・バイラヴィ(Bhairavi)のドゥーンと続いた。
 演奏は好評だったようで、CDは9枚も売れた。うれしいなあ。

上が岩永和尚、下左が北田さん、右が金子さん


 打ち上げは島原のアーケード商店街を抜けた「居酒屋パクリ屋」。北田、松原、金子、岩永和尚、バヤン、ワダスの6人。生ビール、鶏のたたき、刺身、ソーセージ、揚げそうめんなどなど。岩永和尚は、明日のコンサート会場である島原護国寺のご住職。1947年生まれというからワダスとは3つ違いのほぼ同世代の人だった。人口4万の島原市の中で檀家が800軒というから堂々たる大寺院だ。中村八大、永六輔、立川談志らと交流があったという。12時すぎに解散。

8月21日(月)雨
 6時20分起床。ホテルの露天風呂へ入る。バヤンくんもすでに風呂に浸かっていた。湯に浸かりながら有明海の夜明けを望む極楽。
 9時30分、北田へ。機材を撤収しホテルへ戻って北田さんを待った。
 雨の中、松原青年と北田さんが到着したので全員で平成新山へ向かった。

 まず行ったのが素麺流しの「山の寺 邑居(ゆうきょ)」。坂道を登り鬱蒼とした林を抜けたところに店があった。ガラス窓越しに薄暗い木々を眺めながらの素麺流しをいただく。直径1mほどの円形の外周を水が流れるようになっていて、そこにそうめんを流す仕掛け。注文したのはそうめん、そば、唐揚げ、南京豆豆腐、天ぷら。どれも量が多い。客席は3割ほど埋まっていた。
 そうめんを食べながら松原青年の話を聞いた。かねがね田舎暮らしを考えていた彼は、総務省の進める地域おこし協力隊に応募した。運転免許所持、地方の都市部に住むことが条件だった。申請が通り、3年間という期限付きだが島原市の非常勤職員になった。

 満腹のわれわれは山道を登ってネイチャーセンターへ。ここには以前もやはり北田さんに案内されてきたことがある。駐車場にはわれわれの車が1台だけだった。見上げると、たなびく雲に覆われた平成新山の頂上が迫ってくる。薄い雲が左から右に動き、徐々に頂上が現れた。なかなに神々しい光景だった。ネイチャーセンターの中に入ってしばし見学した後、島原市内に戻った。まだ雨が降り続いていた。

 市内の狭い路地を通って浜の川湧水へ。石でできた平たい池からは冷たい水が絶え間なく湧き出てくる。かつては生活用水として使われていたという。この湧水で冷やした白玉「かんざらし」を売る店が「銀水」。大正時代に始まったこの店を市役所が買い取って改装し営業しているという。若い店員は地域おこし協力隊のメンバーとのこと。
 いったんホテルに戻ってから護国寺へ行った。門構えの堂々とした大きな寺だ。本堂にはいすが並べられていた。御本尊の両側の大きなJBLスピーカーからインド映画の騒々しい音楽が鳴り響いていた。朝からの雨はまだ止まず、蒸し暑い。
 直ちに内陣の舞台設営を行う。PAはお寺備えつきのものを使うことになった。本堂内はじっとしているだけで汗が噴き出す。控え室には96歳で亡くなって四十九日になるという住職の母の祭壇があった。


 PAと舞台の準備ができたのでリハーサルを始めた。最初に法華経とのセッションだ。Dドローンを流してお経を唱えてもらうことにした。開始音をバーンスリーで指示することにしたが、ほとんどのお坊さんたちは自分のキーで唱え始める。ま、なるようにしかならないと思うしかない。汗だくでリハーサルを終了した。
 7時、60人ほどの客席が埋まった。まず住職が挨拶し南無妙法蓮華経の唱和。そしていきなり住職が読経を始めた。聴衆も経本を見て唱和していた。ドローンなんか関係なかったなあと思いつつ、われわれも唱和に参加した。音の一体感がすごかった。
 ついでわれわれの演奏。この日はラーガ・チャンドラナンダンを演奏した。アーラープの後、ジャプ・タール、ティーン・タールのガット。ついでワダスのソロで秋田長持唄、タゴールソング、アンコールでバイラヴィのドゥーンというメニュー。指が楽器に湿気でねばりつき快適とは言えなかったがコンサートは無事終了した。
 売れたCDは6枚だった。バヤンくんの周りにはタブラーに興味持つ女の子たちが群がっていた。昨日のお客も見えた。南島原でバラタナーティアムを教えているという女性もいた。

 演奏を終えてから護国寺に伝わるという三十番神を見せていただいた。住職がリモコンのスイッチを押すとカーテンが開き、壁面いっぱいに全国の主要な神社の神々の坐像が30体がびっしりと飾られていた。坐像の背景には金箔が貼られているので神々が光を発しているように見えた。
 本格的な雨の中、大急ぎで舞台を片付け打ち上げ会場へ向かった。
 打ち上げは万町の「まどか」。参加したのは、岩永和尚、和尚の弟の陶芸家の息子、もう一人のメガネの若いお坊さん、北田貴子さん、松原さん、バヤンくんとワダス。
 岩永和尚の話になった。学生時代は東京で過ごした。69年の10.21国際反戦デーのとき新宿にいたと聞いてとても親近感を持った。ワダスもそこにいたからだ。ワダスは要領が悪かったので逮捕されたが、彼は逮捕されていない。お寺を継ぐつもりはなかった。ところが学生の時に父が他界したのでいきなり坊さんになることになった。お寺の運営も何もわからないところから始まったという。日本仏教は崩壊の危機にあるのにほとんどの坊主はそれを認めたがらないという言葉にはワダスも同感だった。
 打ち上げは12時半ころ終了しホテルに戻った。

8月22日(火)晴れ
 朝風呂を浴びて朝食。10時ころ、海産物センター きた田へ行った。そうめん、海苔、お茶などの土産を買った。貴子さんからあごだしなどの一袋ぶんの土産を手渡された。ワダスが1週間後にネパールへ行くと知ったお母さんが「外国に行くんだったらこれいいよ。ちょっと舐めるだけだけどすごく効くのよ」と梅エキスの瓶を頂戴した。


 10時半頃、吉野ヶ里に向けて出発。多比良港で有明フェリーに乗り長洲港に12時ころ到着した。船内のテレビでは甲子園の広陵高校と天理高校の準決勝の試合が放映されていた。長洲港から九州自動車道に入り吉野ヶ里へ向かう。途中、渋滞していたので予定よりも時間がかかってしまった。
 吉野ヶ里の小島家に着くと1時40分になっていた。

 かつて神戸でよく遊んだ小島卓・秀子夫妻は彼らが結婚する前から知っていた。二人とも立命館の同級生で現在54歳。彼らがバンガロールでインド生活をしているころ、久代さんと行ったゴアで合流したこともある。卓くんは新潟出身だが、今は秀子さんの実家の近くに住んでいる。
 小島家は鬱蒼とした生垣の奥に建つ平屋の古い家だった。広い庭に雑草が生い茂っていた。白い犬、ハクが吠えて出迎えた。
「ゴア以来かなあ」とワダスが申し述べると卓くんがすかさず言った。
「何を言ってるんですか。2008年に我々が神戸に行った時、お宅に行きましたよ。千依は4歳だった。写真の時Vサインしてたら、そんなことするな、といったじゃないですか」

 当時の写真を見せてくれた。確かに娘の知衣ちゃんと一緒に写っていた。しかもVサインしているのはワダスではないか。
 卓くんは鹿砦社の「No Nuke」という雑誌フリーの編集長。
「今日は締め切りであせってるんです」という彼を残して、秀子さん運転の軽自動車で近くの温泉に行くことにした。中学3年になる娘の知衣ちゃんも一緒だ。
「佐賀の嵐山よ」と秀子さんのいう嘉瀬川のほとりの與止日女(よしひめ)神社でしばし休憩後、近くに住む秀子さんの知人である山口氏を訪ねた。50代の独身男性で、カイロプラクティックや整体などをやっているという。熊本が発祥だという虚鐸(きょたく)を吹くというので見せてもらった。3尺もある長いものだった。山口氏にはこの日小島家でやるつもりのホームコンサートに誘った。
 次に秀子さんに連れられて行ったのは筑紫野温泉amandi。amandiは、大浴場、旅館、レストラン、宴会場などがある鉄筋コンクリート3階建の複合施設だった。インドネシア語で風呂を意味するmandiに関係あるのかなと思ったて名前の由来をみたらまさにそうだった。チリチリっとする超ぬるい炭酸泉が気持ち良い。

 8時前に帰宅。秀子さんは即座に夕餉の支度を始めた。誘いを受けた山口氏が来宅し、なんとなくホームコンサートを始めた。この日演奏したのはラーガ・ジョーグ。
 演奏後、だらだらと焼酎を飲みつつ宴会状態に突入した。もっとも、酒を飲むのはワダスと卓くんだけだった。山口氏は数年前に酒をやめたというし、バヤンくんは病み上がりで飲めない。

8月23日(水)
 7時ころ起床。バヤンくんは6時に起きて周辺を回ってきたという。佐賀市内の公立の中高一貫校に通う千依ちゃんはすでに出かけていた。
 朝食後、介護士として働く秀子さんが出かけた後、卓くんと鹿砦社や雑誌などの話を聞いた。
 われわれは9時45分に小島家を後にした。しばらく運転中のバヤンくんが「あれっ、iPodがない」と申し述べる。するとすぐに神戸にいる久代さんから「今、小島君から電話あり。忘れ物って」。やっぱり置き忘れていたのだ。即座に卓に「すぐ戻る」と電話し無事回収した。

 大分自動車道を通り別府市内に入った。ラーメンを食べようということになり、「大砲ラーメン」で豚骨ラーメンほ食べた。外は強い日差しでかなり蒸し暑かった。フェリーの出航まで時間があったので「別府タワーとかに行ってみっか」と向かったが閉館だった。じぁあ明礬温泉だとナビに従って走っていると、スッキリした形の塔が見えてきた。てっぺんの方にガラス張りの展望室が見えたので登ることにした。グローバルタワー大分というのが塔の名前だった。隣の大きな施設ビーコンプラザとともに設計は大分出身の磯崎新だった。
 300円支払って地上125メーターの展望室へ登った。オーバーハングのガラス張りの展望室から別府市内を見下ろした。床下に支えのない構造なのでちょっと足がすくむ。


 そして温泉。曲がりくねった狭い道を登った明礬温泉湯の里で、白濁したぬるい湯の露天風呂(600円)に浸かった。
 3時半過ぎ、大分港へ向かう。途中の道でバヤンくんが「海たまご」の看板に反応し立ち寄った。「海たまご」とは水族館のことだった。入場料が2200円もするのでパス。隣接する高崎山モンキーセンターは閉館時間が迫っていたのでこれもパス。
 4時10分ころにフェリー乗り場に到着し6時に乗船した。翌日朝、無事神戸に到着して九州ミニツアーが終わった。