めんこい通信2020年8月16日号

 新型コロナウイルスが全人類到達に向かってますます繁栄しつつあるように見える日々ですが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

◉韓流ドラマ
 ほとんどのみなさんと同じように(と推測)、我々もこの3月以来、散歩外出以外ほぼ引きこもり状態です。そのせいで例年のような季節の変化を感じられぬまま、気がつけば8月になっているのでした。
 あまりにヒマなので、ひと昔前に評判になった韓流ドラマを見てしまったのでした。大流行りの時は、けっ、と無視していたのですが、もはや卒業したパチンコでしか知らなかった二大ドラマを見ました。 
 一つは「チャングムの誓い」。1話1時間ほどで、なんと50話以上の大作。1話ごとの波乱&解決の組み合わせが推進力になって、けっ、と言いつつ結局最後まで見てしまった。同じセットの場面が多く、予算の少なさを思わせていますが、続けて見たいという欲求を実にうまく誘導するように作られている。ちょっと吉永小百合に似た主人公チャングム役になったイ・ヨンエの美しさが魅力的でした。
 次に見たのが、軽さ充満の『うほほいシネマクラブ』(内田樹、文春新書、2011)に著者がなんども涙したと書いていた「冬のソナタ」。これもやめられない。何しろチェ・ジウの涙顔が美しく可憐。物語の推進力では「チャングム」に劣りますが、ま、よくできている。とはいえ、チェ・ジウ始め何かといえばすぐに涙を浮かべる場面が多かったものの、内田樹さんがなんども涙したとはにわかに信じられない。2作とも、こんなことしていていいのかなあ、時間のローヒだなあ、と思いつつだらしなく画面に釘付けになっていたのでした。コロナがなかったら見ていなかった。

◉絶望の政治
 ほとんどリタイヤ生活なので、日本の社会がこれからどうなっていくかなどということへの関心が希薄になりつつあるとはいえ、社会を気持ちよく住みやすい環境にするために民が給料を払って雇っているはずの政治家や役人たちの、給料にまったく見合わない発言や愚かな施策の数々には呆れ、絶望的になります。特にジミントーの政治家たちは、自分のもらう給料の意味を理解しているとは思えない。我々が彼らに支払っているのは、個人ではできないことをやってもらうためです。
 自宅に引きこもるとか、他者と距離をとったりマスクをつけたり手を洗ったりするとか、気をつけて旅行するとかいうのは全て個人でできることです。しかし、我々の雇っている人たちが、こうした個人でできることをひたすら叫ぶだけだとしたら、彼らを雇う必要はない。残念ながら、彼らを辞めさせることが出来るのは選挙の時だけという仕組みなので、それまで我慢するしかないのか。また役人に至っては辞めさせる方法がない。さらに、何が事実なのかがどんどんわかりにくくなっているマスメディアの報道のあり方も絶望的に見えるのでした。我々に出来ることは、こうやってブツブツと、バーロ、ええ加減にせい、とボヤく以外ないのか。
 ともあれ、新型コロナの勢いは世界的にとどまることなく、収束はまだまだ先のように思えます。我々が一時住んだことのあるインドやメキシコも大変なことになっているようです。最近は死者数が減ってきているように見えるのがちょっと救いではありますが。
 ヒトがどんな対策をしたとしても、RNAだけの、自己複製できない超微小なウイルスそのものが地上から消失することはないわけで、何かしら共生の方法を探るしかないのかもしれません。生産活動の停滞や移動の制限によってエネルギー消費はぐっと減り、それにつれて環境汚染の勢いも弱まってきていることを考えると、新型コロナも地球環境のバランスのために一定の役割を果たしているともいえます。隔離を余儀なくされた感染者や不運にも亡くなる人たち、収入が途絶えて生活に困窮する人々には大厄災ではありますが、とりあえず明日の食べ物には困っていず、まだ新型コロナに感染もしていないナカガワケとしては、従来通り引きこもりつつダラダラとした生活を続けているのでした。
 
◉『インド音楽序説』電子版


 3月からほぼ2ヶ月間の自宅こもりの退屈しのぎに『インド音楽序説』電子版を作りAmazonで売り始めたことは前回の通信で触れました。何しろ退屈しのぎなのでこれをもって生活向上を目指したわけではありませんが、予想通り、これまでに売れたのはわずかです。表紙デザイン料すらカバーできていないのでした。一般の人にはほとんど関心のない内容なので当然ではありますが。ともあれ、これをお読みになっている方でインド音楽に関心のありそうな人がいたら「こんなのが出てる」と宣伝していただければ幸いです。

===これまでの出来事===

 基本は自宅ダラダラ生活とはいえ、Zoomのおかげでそれなりになんやかんやとやっています。

◉5月3日(日)
 ラマダン中の佐久間新・ウィヤンタリ夫妻がいきなり来宅。インドネシア製のバウムクーヘンをいただきました。

◉5月9日(土)18:00~/ラーガ講座#11「ラーガとラサ」/アーツ・コミュニケーション・ラボ、神戸/Zoomによるテレ・ワークショップ

◉5月10日(日)
 鶴岡の友人、漆山永吉さんからムッチャ美味しい大松庵の蕎麦が送られてきました。こういうのは嬉しいねえ。コロナ禍で蕎麦屋も大変そうです。

◉5月29日(金)
 カナダ在住の林佐起子さんが来宅。神戸の実家に帰省していたのですが、コロナのせいで予約便が飛ばなくなったとのこと。6月13日に「帰宅した時は停電だったけど」ようやく無事たどり着いたとのメールが届きました。

◉6月13日(土)/18:00~/ラーガ基礎講座#12〜絵で味わうラーガ 〜 /アーツ・コミュニケーション・ラボ、神戸/ HIROS: プレゼンター
 オンラインだけであれば自宅で喋ればよかったのですが、オフラインの参加者もいるとのことで花隈の森すみれさんの事務所まで出向きました。オンとオフが混在する講座というのはなかなかに面倒。森さんの事務所に新しく備えられたプロジェクターを使って多くのラーガ・マーラー絵画を紹介しました。
 ラーガ・マーラー絵画についてちょこっと勉強したのでメモがわりに書いておきます。
 楽譜に定着された再現可能な音楽「作品」ではなく、即興的メロディーを紡ぐ基礎となる音階型、ラーガを画像化したものが、主に北インドで16世紀から18世紀にかけて起こった「ラーガマーラー絵画」と呼ばれるもので、'The Oxford Encyclopedia of the Music of India'(2011)のRagamala Paintingsには次のように記載されています。
「17世紀、18世紀のラージャスタンの伝統であるラージプトミニアチュアからラーガ・ラーギニーの絵画化が始まった。最初期の絵画は16世紀半ばで、そのほぼ1世紀前から始められたと言われている。Bundi-Kota、Mewar、Malwa、Marwan、Amber、Jaipurを含む10以上の流派がある。

Raga Bhairavi


 様々な音楽書で展開されたラーガに関する詩句が基礎となって描かれた。図像詩と時には呼ばれる。ラーガが人格化した神々や恋する美女になぞらえられている。間接的には『サンギータ・ラトナーカラ』(9世紀)などのサンスクリット語で書かれた書籍からの影響である」
 それぞれにある雰囲気、ムードを持ったラーガを演奏する際、音楽家たちが旋律の動きや、旋律の積み上げによって頭の中にある種の「物語」を想像することは、実際に演奏する者としてある程度は理解できます。しかしほとんどの演奏家はくっきりとした輪郭のある画像ではなく、ぼんやりとしたイメージを抱くに過ぎない。とはいえ、輪郭のある画像をあらかじめ見た上で演奏をすると、演奏家の頭の中の「物語」をより鮮明に旋律に転嫁しやすいとか、旋律の方向性に影響を与えるのかもしれない。ラーガを視覚化するこのラーガマーラー絵画がなぜ数多く描かれたのか。インド人の音楽観、芸術観とどう関係しているのか。古代から近世までのラーガに関する記述を追ってみると、ラーガの絵画化に至る考え方がある程度伺えるのです。
 古代インドではすでに現在のラーガのような考え方が現れていて、基準になる音階を元に様々な音階を作り出し、それぞれに名前をつけ、性格を与えています。例えば旋律が上へ向かうのが男性的、英雄的であるとか、逆に下へ向かえば女性的で愛やユーモアを表すとか、音階が偶像化され、それに従い分類され、それぞれが感情概念であるラサと結び付けられていったようです。さらに、音階型を基本とするラーガ概念が登場しそれぞれに名前がつけられます。当初は音名だったラーガの名称は、ラーガがその数を増やすに従い、地名、季節、ヒンドゥーの神々、花や鳥の名前、人名などが加わっていった。また、ヒンドゥー教の偶像崇拝を好む傾向が影響し、男性形のラーガ、女性形のラーギニーというように分類されるようになっていったようです。性別の分類はさらに家族関係を生み、親のラーガから妻、息子、息子の嫁のラーガなどというように音楽の実際とは離れつつどんどん複雑になり、こうした傾向がラーガの視覚化へ向かったと。また、現代のようなスタイルの音楽の萌芽がムガル朝のアクバル皇帝時代に確立し、それに伴い音楽家養成の教材としてラーガの画像が使われたこともあったらしい。ともあれ、音階型の画像化というのはインドならではのユニークな文化といえます。

◉6月23日(火)/駒井家と久しぶりに宴会/よもぎ、西明石

◉6月26日(金)/CAP句会/オンライン
 4月から句会に参加するようになり「この頃は常に頭が五七五」状態になったことは前回の通信で書きました。句会というのは退屈しのぎとしてはなかなかであること、散歩中などに浮かんだ自作の句を読むにつけ、自分の作句の才能欠落ぶりを思い知らされるのでした。今回送った句が以下。選に選ばれると嬉しい。

 迷子石巨大氷河の夢の跡
 間氷期咲けよ花々束の間に
 デパ地下や食欲まなこのマスク顔

◉6月25日(木)/大塚さんから大量の野菜いただく

◉7月3日(金)20:00-21:30/アート林間学校@home 2020・オンライン音楽講座 日本の音楽#1「盲人と音楽について」/HIROS:プレゼンター
 いちおうワダスもメンバーであるCAPの、例年のアート林間学校でオンライン音楽講座をやろうということになり、ワダスが上のタイトルでしゃべりました。CAP代表の下田さんから「なんかやって」と言われたとき、こんなのはどうかと大学講義のシラバスタイトルを送ったのでした。そこでまず決まったのがこのテーマでした。ということで、バッハが生まれた年(1685年)に亡くなった八橋検校のことなどを中心に喋ったのでした。16人の参加者たちは面白かったのかなあ。
 この講座のためにマイクと一体になったUSB接続ヘッドセットを3000円で購入しました。音質、音量ともコンピュータ内蔵のマイクよりがずっとましなので、Zoom流行りの昨今では売れているかもしれない。

◉7月5日(日)/グル・プルニマ
 ネパールにいるはずの井上想君からいきなり「グル・プルニマなので」と電話をもらいました。聞けばネパールへ帰る予定がコロナのせいで不可能となり、ずっと東京の実家にいるとのこと。
 そういえば、現在ブータンに在住する知人のメキシコ女性アナイも、本来なら7月に日本に立ち寄り我が家にしばらく滞在することになっていたのですが、やはり予定便がキャンセルとなり、8月になってもまだブータンにいるようです。こんな感じでいきなり身動きの取れなくなった人は多そうです。

◉7月10日(金)20:00-21:30/アート林間学校@home 2020・オンライン音楽講座 日本の音楽#2「日本民謡の追分節と長い歌」/HIROS:プレゼンター
 3日のシリーズの続きで、この回のテーマは日本民謡。じっくりと聞くと日本民謡はなかなかいいものです。追分系民謡という手拍子の取れない民謡のあり方がユーラシア全域に広がっていると民族音楽学者の小泉文夫が指摘したのは随分昔の話でしたが、今回の話は彼の指摘に基づいています。その小泉先生のかつての教え子である村上圭子さんも参加されていたので結構緊張したのでした。参加者は18名。

◉7月11日(土)/18:00~/ラーガ基礎講座#13 ~ 日本とインドの5音音階~ /アーツ・コミュニケーション・ラボ、神戸/ HIROS: プレゼンター
 ほぼ月に1回の講座ですが、ネタも尽きかかってきたのでペンタトニック(5音音階)のラーガに絞ってしゃべりました。

◉7月17日(金)20:00-21:30/アート林間学校@home 2020・オンライン音楽講座 日本の音楽#3「演歌などの日本の大衆音楽~昭和の歌姫、美空ひばりの歌を中心に」/HIROS:プレゼンター
 シリーズ3回目は演歌。参加者はちと減って10名。

◉7月22日(水)20:00-21:30/アート林間学校@home 2020・オンライン音楽講座「ロック1」/下田展久:プレゼンター
 参加者として下田さんのロック講座を聞きました。下田さんは同志社女子大でロックについて講義していると聞いたのでワダスが開講を勧めたのでした。アメリカ黒人のブルースがロックの萌芽になり、その後労働者として南部から移住した黒人たちによるシカゴブルースへ、という話はなかなか面白かった。

◉7月25日(土)/CAP句会/神戸市立海外移住と文化の交流センター、神戸
 4月から参加した句会はずっとメールでのやり取りでしたが、この回で初めて本物の句会。指導者の野口裕さんを始め参加メンバーにお会いしました。参加したのは、CAP代表の下田さん、元町で花屋をしているという加川さん、30代と思しき若夫婦の宗友知里さんと良樹さん、指導者であり句集も出されている野口さんと70代夫婦である我々。小柄で落ち着いた野口さんはなんと素粒子物理学が専門の先生とのこと。
 句会の進行はこんな感じです。まずそれぞれが持ち寄った3句をその場で無記名で短冊に書いて提出。それらをメンバーが別の紙に清書したものをプリントして全員に配る。それを見ながら自分の気に入った句を5句選び、選句の多い順に選者と指導者が感想を述べ、最後に作句者が発表され自作について話す。句会は他者の物の見方や発想を知る機会にもなりとても面白いし、また自分の句が選ばれるのはなかなか嬉しいものです。この回で出したワダスの句が以下。

 初夏の朝油炒めの爆ぜる音
 梅の雨時を食らいつ今朝も降る
 夏の夢1000億個の蛍火か

 3つとも選んでもらいましたが、3つ目の句について野口さんには「蛍と夏の季重ね」と指摘されちゃいました。
 この日最も選の多かったものは、加川さんの「猫ビクン夜の冷蔵庫のブーン」でした。一瞬の観察を句にしたのが素晴らしい。
 句会の後は「とり好」。夫婦で焼き鳥とビールでした。

◉7月29日(水)20:00-21:30/アート林間学校@home 2020・オンライン音楽講座「ロック2」/下田展久:プレゼンター
 60年代のイギリスを中心としたロック開花の話でした。ビートルズもたっぷり聞きました。アメリカ黒人のブルースが、その発生状況とは異なり純粋なカッコいい音楽としてイギリスで好んで聞かれ始め、その影響から色々なバンドがイギリスで生まれ、それがアメリカに逆輸入されたという事情がよくわかりました。ロックの発展はブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)がきっかけだったと。

◉7月31日(金)/アート林間学校@home 2020・オンライン音楽講座「サウンドスケープ1」/中川真:プレゼンター
 タマゴこと真さんのサウンドスケープとは何かについての講座。現代人は遠くの音を聞かなくなった、という話が印象的でした。参加者は、下田、ワダスの他に、東京、藤沢、大阪からなど、Zoomによるテレ講座らしく色々な場所の音に関する仕事をしている人たち10名ほど。
 聞こえてくる音を地図上にマッピングしたサウンドマップか小説の音に関する記述を書き出すという宿題が出たので、ワダスは以下を提出しました。ちょっと長いですが、それぞれに味わい深い文章です。

●「遠いよ」と云った人の車と、「遠いぜ」と云った人の車と、顫えている余の車は長き轅を長く連ねて、狭く細い路を北へ北へと行く。静かな夜を、聞かざるかと輪を鳴らして行く。鳴る音は狭き路を左右に遮られて、高く空に響く。かんかららん、かんかららん、と云う。石に逢えばかかん、かからんと云う。
●真夜中頃に、枕頭の違棚に据えてある、四角の紫檀製の枠に嵌め込まれた十八世紀の置時計が、チーンと銀椀を象牙の箸で打つような音を立てて鳴った。夢のうちにこの響きを聞いて、はっと目を醒ましたら、時計はとくに鳴りやんだが、頭のなかはまだ鳴っている。しかもその鳴りかたが、しだいに細く、しだいに濃かに。耳から、耳の奥へ、耳の奥から、脳の中へ、脳のなかから、心の底へ浸み渡って、心の底から、心のつながるところで、しかも心の尾(つ)いて行く事のできぬ、遐かなる国へ抜け出して行くように思われた。
●暁は高い欅の梢に鳴く烏で再度の夢を破られた。この烏はかあとは鳴かぬ。きゃけえ、くうと曲折して鳴く。
----『京に着ける夕』(夏目漱石)

●おいらはいま、池のほとりにすわって、カエルどもが出てくるのを待っているんだ。きのう、夕飯を食べているときに、やつらの騒ぎがはじまった。大騒ぎは明け方までつづいた。おばさんは頭にきてるんだ。カエルどもの鳴き声で夕べは眠れなかったんだって。それでいま昼寝してるとこなんだ。で、おいらは、こうやって手に板切れを持って、池のそばでカエルどもが出てくるのを待ちかまえているってわけなんだ。やつらが出てきたら、これでパシッとやっつけるように、おばさんに言われたんだ。
----『マカリオ』(フアン・ルルフォ)

●角笛が聞こえたのはまだ夜の明けきらぬうちで、おれたちは牛の乳を搾っていた。かなり遠く、平原の方から聞こえた。しばらくして、もう一度角笛が鳴った。雄牛のうなり声みたいにはじめは甲高く、つぎに太く、それからいっぺん甲高くひびいた。あちこちに反響して引きのばされ、こっちに伝わってきてようやく川の音にかき消された。
----『燃える平原』(フアン・ルルフォ)

●しゃべっていた男は口をつぐみ、窓の外を眺めた。
 川の音が二人の耳にとどいた。水嵩を増した流れがカミチーネスの枝をそよがせているはずであった。巴旦杏の葉叢をかすかに揺らす風のざわめきも聞こえた。店から漏れ出る小さな明かりの中で夢中に遊んでいる子供たちの歓声も飛びかった。
----『ルビーナ』(フアン・ルルフォ)

●俺が二人を訪ねることはめったになかった。人から聞いて知ったんだが、親父が酔いつぶれてぐうぐう寝てるときに息子はハーモニカを吹いたりしたそうだ。二人は互いに口もきかなけりゃ、相手の顔もみなかった。そして日がとっぷり暮れてからもコラソン・デ・マリアじゅうに息子のハーモニカの音が聞こえたってことだ。ときには夜中をだいぶまわってからもハーモニカが鳴りつづけることがあったらしい。
・・・まわりはしいんと静まりかえり、連中がひっそり通ったもんだから、カイツムリやコオロギの鳴き声さえ聞こえてたそうだ。もっともそんなかでひときわ音高くひびいていたのが、例のハーモニカだったのさ。そして連中はエウレミオ親子の家の前を通ったわけだが、そんときに、ハーモニカの音もしだいに奴らといっしょに遠ざかっていって、やがて消えちまったっていうんだ。
----『マティルデ・アルカンヘルの息子』(フアン・ルルフォ)

●濾過器にひとつまたひとつと水滴がしたたる。石から滲み出た清らかな水が、水がめにポタリと落ちる。その音が聞こえる。耳を澄ます。ざわざわした物音が聞こえる。地面をこする音。歩きまわり、行ったり来たりする足音。水滴は絶え間なくしたたり落ちる。やがて水がめから水があふれ、濡れた地面にこぼれる。
●目がさめると、あたりはしんとしていた。蛾の落ちる音や、静けさの染み入る音だけが聞こえた。叫び声のあとに訪れた静寂は、想像を絶するほど深かった。地上の空気がすっかり抜き取られてしまったような感じがした。物音ひとつしなかった。呼吸の音も、心臓の鼓動も聞こえなかった。意識のざわめきまでも止まってしまったようだった。だが気持ちが静まったところで、また叫び声がした。今度は長くつづいた。
●明け方になって、人々は鐘の音に起こされた。十二月八日の朝だった。どんよりと曇っていた。寒くはなかったが、空は雲に覆われていた。まず教会の大鐘が鳴った。ほかのがそれに続いた。荘厳ミサを知らせる鐘だろうと人々は思った。ドアを開けて顔を出す者もいたが、とっくに起きている連中だった。そう多くはいなかった。連中はいつもいつも早くから目を覚まし、夜明けの鐘が夜の終わりを告げるのを待った。だが、その朝の鐘はいつもよりも長く鳴りつづいた。もはや中央教会の鐘だけではなかった。サングレ・デ・クリストや、クルス・ベルデや、もしかしたらサントゥアリオの鐘も鳴っていたかもしれない。昼になっても鳴り止まなかった。夜が訪れた。そして昼も夜も、同じ調子で、しだいに音高くなりながら、えんえんと鳴りつづけた。しまいにはそれは、ざわざわした嘆きの音に変わっていった。
----『ペドロ・パラモ』(フアン・ルルフォ)

●ある日、夫人はラーガとかいう音楽のテープをかけた。たとえばヴァイオリンの弦を、ごくゆっくり、それからごく早く。はじいて鳴らすように聞こえた。これは夕方近くの、日が沈むころだけに聞くべき音楽なのだと夫人は言った。音楽は一時間ほども流れていたが、夫人はソファに座ったきり目を閉じていた。そのうち口を開いて、「ベートーベンなんかより悲しいわよね」
●またある日には、大勢の人がインドの言葉でしゃべっているカセットをかけた。家族がお別れの記念にくれたのだそうだ。入れ替わり立ち替わり、一言ずつ笑って言うたびに、これは誰々であると夫人が解説した。「三番目の叔父、いとこ、父、祖父・・・」歌う人がいれば、詩の朗読をする人もいた。最後に登場した声は、夫人の母だった。ほかの人より穏やかで真面目な口調になっていた。一つの文が終わるごとに小休止があった。
----『セン夫人の家』(ジュンパ・ラヒリ)

●泊まった部屋には簡単なベッドがあり、机があり、一方の壁に小さい木の十字架があった。ドアの張り紙に、炊事厳禁と書いてあった。カーテンのない窓からマサチューセッツ・アヴェニューが見おろせた。にぎやかな往来である。きつく長く引いたクラクションが立てつづけに鳴った。くるくる光ってサイレンが響けば、またどこかで緊急事態ということだ。次から次へとバスが重いうなりをあげて、ドアを開け閉めする強い空気音が夜通し聞こえていた。
 そういう音が気になって仕方なかった。息苦しくさえあった。・・・
----『三番目で最後の大陸』(ジュンパ・ラヒリ)

◉8月5日(水)/アート林間学校@home 2020・オンライン音楽講座「ロック3」/下田展久:プレゼンター
 イギリスのプログレッシブ・ロックの登場でロックの拡散が始まり、パンクロックの登場でロックが終わるという話。

◉8月7日(金)/アート林間学校@home 2020・オンライン音楽講座「サウンドスケープ2」/中川真:プレゼンター
 それぞれ参加者が持ち寄った宿題を中心とした講座になりました。

◉8月12日(水)/アート林間学校@home 2020・オンライン音楽講座「インド音楽演奏の枠組み~ラーガ」/HIROS:プレゼンター
 参加者は8名ほどでしたが、椎名亮輔さんとか志村晢さんといった音楽の専門家もいらっしゃったのでちと緊張したのでした。また、江戸神楽の笛作りにはまっているというベルギー在住の宇田川君の顔も久しぶりでした。この種の講座やワークショップはこれまで何度もやってきましたが、インド音楽の演奏を実際にやったことがない人にラーガの概念を簡単に説明するのは難しいものです。
 今回でCAPアート林間学校オンライン音楽講座のワダスの担当は終了です。

===この間に読んだ本===

(*読んで損はない、**けっこういけてる、***とてもよい)

『RĀGA & RĀGINĪS』(O.C. Gangly, Munshiram Manoharlal Publishers,1935)
**『Chasing the Rag Dream』(Aneesh Pradhan,HarperCollins Publishers, 2019)
**『ミラーニューロンの発見』再読(マルコ・イアコボーニ/塩原通緒訳、ハヤカワ文庫、2011)
***『脳のなかの幽霊』再読(V.S.ラマチャンドラン+サンドラ・ブレイクスリー/山下篤子訳、角川文庫、2011)
***『脳のなかの幽霊、ふたたび』再読(V.S.ラマチャンドラン/山下篤子訳、角川文庫、2011)
***『脳のなかの天使』再読(V.S.ラマチャンドラン/山下篤子訳、角川書店、2013)
***『第6の絶滅は起こるのか』(ピーター・ブラネン/西田美緒子訳、築地書館、2019)
**『からだの中の下界 腸の不思議』(上野川修一、講談社、2013)
**『津軽三味線の誕生』再再読(大條和雄、新曜社、1995)
***『サルは大西洋を渡った』(アラン・デケイロス/柴田裕之・林美佐子訳、みすず書房、2017)
**『津軽三味線ひとり旅』再読(高橋竹山、新書館、1997)
『音楽家の食卓』(野田浩資、誠文堂新光社、2020)
*『すごい物理学講義』(C・ロヴェッリ/栗原俊秀訳、河出文庫、2019)
**『ホット・ゾーン』(リチャード・プレストン/高見浩訳、早川書房、2020)
**『低地』(ジュンパ・ラヒリ/小川高義訳、新潮社、2014)
『うほほいシネマクラブ』(内田樹、文春新書、2011)
『極楽の日本語』(足立紀尚、河出書房新社、2007)
『ウイルス大感染時代』(NHKスペシャル取材班、KADOKAWA、2017)
**『4%の宇宙』(リチャード・パネク/谷口義明訳、ソフトバンククリエイティブ、2011)

===これからの出来事===

 コロナ期間中につきほとんど予定なしというのは前回と変わりません。何かしなきゃとは考えているんですが。

◉8月22日(土)18:00~20:00/ラーガ基礎講座#14「ラーガ演奏の構成」/アーツ・コミュニケーション・ラボ、神戸/ HIROS: プレゼンター

◉9月1日(火)20:00~21:30/オンライン特別講座「神戸、1990年代のジーベックホール」/語り手:下田展久(C.A.P.代表)/聞き手:中川真(音楽学者、本講座企画)、HIROS