めんこい通信2021年11月23日号

◉脱力感
 
前回の8月24日号からあっという間に3ヶ月たってしまいました。全くこの頃の時間速度は恐るべしです。
「あんたの顔では選挙に勝てない」というプレッシャーからスガがほぼ1年で政権を放り出し、ジミントーが総裁選でマスコミジャックに成功しているうちに「聞く力がある」とかいうキシダが総裁になり、過去にアベ・スガが何をやったのかをほとんど忘れてしまったコクミンがまたまたジミントーに投票して政権を維持することになるというこの頃のあり様は、ただでさえ加齢によって知力も筋力も減退しつつある我々に一層の脱力感を提供してくれ、そうこうしている内になんとなく新型コロナがなりをひそめ、いっけんウイルス感染の心配が減少してきた今日この頃ですが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

◉「キモスル」症候群
 最近、本を読んでいて「あれっ、これ一度前に読んだことがあるようなキモスル」とか、録画した映画やドキュメンタリーを見ていて物語が進行している途中で(あるいは結末近くまできて)「あれっ、これって前に見たようなキモスル」みたいに、「キモスル」という言葉の使用頻度が多くなったような気がします。皆さんはどうですか。
 原因ははっきりしています。単に忘却力が増したのです。借りたり買ったりする本や録画しようとする映像のタイトルや中身の一部を忘れている。完全に忘れていればそもそも一から体験できるわけで、それはそれで有益ともいえます。タイトルは忘れていてしかし内容の記憶が断片的にでも残っていると、ある箇所に来てぼんやりとした記憶が蘇り「キモスル」現象が発生するわけです。今や社会との接点が極細状態の我々にとって、この「キモスル」症状が多くなっても日々の生活に深刻な影響を与えることも、今のところは他人に大迷惑をかけることもあまりなく、しかし何かしらの対策を立てれば減少するということはないので、今後もますます多くなることは明白です。となると、世界の輪郭が次第にぼんやりし、その境界が曖昧化していくんでしょうね。この症候群の究極の症状というのはどんな感じになるのだろうか。怖いキモスルし、楽しいようなキモスル。「ん? ワダスの名前ですか? たしかHIROSのようなキモスル」とか「納豆は好きですかって? そんなようなキモスル」とか「今朝んこしましたかって? そんなようなキモスル」とか「インドに行ったことはありますかって? そんなようなキモスル」とかいう段階になるんでしょうか。で、さらに進むと、生きているのか死んでいるのかもはっきりしなくなり、最後はキモスルということそのものが消滅すると。

◉『インド音楽序説』電子版

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===これまでの出来事===

◉9月4日(土)18:00-/ラーガ基礎講座#21 ~バイラヴ・タートのラーガ~ /Musehouse、神戸/ HIROS: プレゼンター

◉9月22日(水)/芋煮会/中川家/木村夫妻
 木村夫妻というのは同じマンションに住むご夫婦です。月1回、夫婦の日と勝手に決めた22日前後に交互の家で麻雀卓を囲んでいます。9月は我が家の番で、せっかくなので山形名物芋煮会とはどんなものかを体験してもらうことにしました。お二人とも熊本出身で、残念ながら、世界的に有名な山形芋煮会(こう考えているのは山形県人だけだすが)の存在を知らずに生きてこられたのでした。

◉10月24日(日)/高橋怜子+ヨシキ来宅/ピエンロー鍋、キムチ
 今年結婚したCAP事務局スタッフの高橋怜子(さとこ)とダンナのヨシキご夫妻が特大の白菜を抱えて我が家を訪れ、ピエンロー鍋宴会を敢行しました。30前後の若者の来訪は嬉しいものです。HIROSのキムチを食べたい、と申し述べていたヨシキさんに今年最初に漬けたキムチの一部を持っていってもらうということで、当初は宴会の予定はなかったのですが、せっかくなので久しぶりにピエンロー鍋でもてなすことにしたのでした。ワダスは結構な量のワインを飲んだせいか「年寄りっぽく御託を並べ過ぎだ」と後で配偶者にごしゃがれだんだっす。
 彼らが持参した特大白菜は「これをキムチにしてまたもらいたい」という表明のようなので早速キムチを漬けたのでした。ぼやぼやしているとすべて自家消費に回りますよ。

◉11月3日(水)19:00~/秋の夜長のインド古典音楽ライブ/中尾幸介:タブラー、HIROS:バーンスリー/Musehouse、神戸
 久しぶりのライブでした。タブラー伴奏は、滋賀から新米やら手作り味噌やらリンゴやらの土産を携えてやってきた中尾幸介さん。こういう人は無条件にいい人です。
 我が家でちょこっとリハーサルをしてからその日の会場である森すみれさんの事務所へ。
 この日は久しくお会いしていなかった人に再会し旧交を温めました。サックスでジャズを演奏している池上純子さん、ひと頃、岡本寺でよく遊んでいただいた廣田守伸・順子ご夫妻。そしてオンラインWSに参加していただいたしのぶさんや大阪府大の松田先生など。
 下火になりつつあるとはいえ、このコロナ禍にワダスの演奏をわざわざ聞きにいらしていただき大感謝です。演奏後にご馳走になった森さん手製のカレーはとても美味しかった。
 
◉11月8日(月)/有馬温泉
 散歩コースの限られた人工島に引きこもっているのに飽きてきたので遠出を試みました。遠出といっても市内、六甲山の裏側にある有馬温泉です。有馬温泉は道後、白浜と並び日本三古泉の一つ、秀吉も好んだというなかなかに由緒のある温泉ですが、あまりに近くにあるため余程のことがなければ出かけることはありません。かつて天藤建築設計事務所の1泊忘年会ご招待でよく行ったりしていましたが、最近はほぼご無沙汰でした。
 市内の公共交通機関は高齢者割引の半額なのでポートアイランドからはポートライナーで一人120円、三宮からは神姫バスで一人350円、往復二人で1880円。三宮11時40分発のローカルバスは約50分で有馬温泉に到着したのでした。
 他の温泉街もそうかもしれませんが、街としてまるで統一感のない建物が坂道に沿って立ち並んでいます。客数の最大化を目指した四角く面白みのない立方体が林立し、その隙間を埋めるように土産物屋や軽食堂、炭酸煎餅、カフェなどのある通りが坂なりに密着して並んでいます。一つ一つはそれなりに工夫のあるデザインのように見えます。しかし、温泉街として全体を見渡すとむしろ醜く、目に楽しくない。日本における公共性の不在あるいは無視ということが多くの社会学者や思想家によって指摘されているように、これは街全体の美的快さよりも個人や私企業の利害を優先する結果なんでしょうね。背後の裏六甲の秋の山並みが快いだけにとても残念。
 平日でしたが、街をぶらついているのは我々のような老人よりも若者たちが多かった。我々は地図にある瑞宝寺公園を目指して結構な距離を歩きましたが、どこで間違ったのか結局外縁を撫でたに終わり、公園には到達できずでした。
 適度にくたびれた我々が入ったのは立派な温泉旅館ではなく公衆浴場「銀の湯」。大人一人550円。風呂は露天ではなく普通の銭湯のようなつくりです。さっと体を洗い、湯船に浸かりながら持参したKindleで「徒然草」を読む。実はワダスはこれをしたかったのです。Amazonのセールで防水仕様のKindleを購入していたので使う機会を伺っていたのです。さいわい他の入浴客はオッサンと青年の二人だけでワダスのKindle入浴には無関心か無関心風でした。混雑していたら「気取りやがってバーロ」目線にさらされていたはずです。
 温泉熱を適度に保持したまま三宮に戻り、さんちかの大起水産で寿司を購入して帰宅。いつもよりグッと非日常感のある温泉行に満足でした。

◉11月13日(土)18:00-/ラーガ基礎講座#22 ~バイラヴィー・タートのラーガ~ /Musehouse、神戸/ HIROS: プレゼンター
 この日はオンラインで自宅からでした。

===この間に読んだ本===

(*読んで損はない、**けっこういけてる、***とてもよい)

◉『インドを旅する55章』***(宮本久義・小西公大編著、明石書店、2021)
--インド遊学時代からの友人、宮本さんが編集と執筆に関わった本。読書とは物理的異動を伴わない旅行であると実感させられる。有名な都市や地域、世界遺産などの紹介も、一般の旅行案内書と異なり、単なる物見遊山的情報より深掘りされていて興味深い。様々な乗り物、ホテル、食、生活習慣、伝統、娯楽などの他に土産物まで掲載されている。またヒンドゥー教だけでなく多様な宗教の解説もありがたい。読書の旅を楽しくする情報満載である。一つの国を網羅的に紹介し、そこへ行ってみたくなるような項目を設定し、それに見合った筆者と掲載順序を選び、インド特有の多言語の用語を整理しつつ読みやすいように全体を整える作業は大変だったに違いないが、楽しい作業でもあったであろう。インドに関心のある人だけではなく、読書で旅をしたい人にもおすすめです。

◉『ある家族の会話』***(ナタリア・ギンズブルグ/須賀敦子訳、白水社、1992)
--須賀敦子の文体というか語り口に大きな影響を与えたといわれる不思議な小説。翻訳した彼女は次のようにこの小説について書いている。「家族の人たちが様々な機会に取り交わした言葉の歴史をたどることによって構築された家族の肖像画のギャラリー」。「会話」とあるように、情景描写はほとんどないのに、登場人物の語りによって、ファシズム、第二次大戦と徐々に変化する社会の中での一人一人の人物像がくっきり浮かび上がってくる。

◉『モンテ・フェルモの丘の家』***(ナタリア・ギンズブルグ/須賀敦子訳、筑摩書房、1991)
--物語としての大きなうねりやドラマチックな展開があるわけでなく、最初から最後まで手紙のやり取りだけで綴られている。背景の説明もないままにアメリカとイタリアの送信人と受信人が数人登場し、それぞれの関係性を気にせずに読み進めているうちにじわじわといろいろな感情が文面から表出してきて、かなり充実した読後感だった。

◉『寝室の文化史』(パスカル・ディビ/松波三知世訳、青土社、1990)
--個人あるいは夫婦の寝室というものが出現したのは歴史的に比較的新しく、例えばヨーッロパ中世の領主の館では個人の寝室は特になく雑魚寝だったらしい。などという事はわかったが、翻訳のせいかとても読みにくかった。

◉『徒然草』(吉田兼好、電子版)
--教科書に必ず出てくるのでほとんどの日本人は知っている本だが、ワダスは今までまともに読んだことがなかった。Kindle版で無料と出ていたので早速読んでみると、今から800年前頃に生きた著者の、現代にも通じる世の中のあれこれを脱力して観察する文章がなかなか良い。若い人には退屈かもしれないが、我々くらいの年齢になってみると共感できる部分が多いことに気がつく。著者の最晩年は山の中に3m四方くらいの(つまり方丈の)家に住んだということだが、これはほぼ200年前に書かれた『方丈記』を彷彿とさせる。80過ぎても油ぎったアソーとかニカイなどに読んで欲しいものです。彼が強調していることは、人間はいつか必ず死ぬということ。重要ですね。

◉『名もなき受刑者たち』**(本間龍、宝島社、2010)
--我々はyoutubeの「一月万冊」をよく見るというか夜寝るときに聞くのだが、それに登場するレギュラーコメンテーターの一人、本間龍さんの刑務所体験記。出所しても受け入れる場所のない精神障害者や介護の必要な老齢服役者をどうするかといった問題があるにもかかわらず、行政はもとより社会全体がそうした実態に目をつぶり無視しているなど、これまで考えたことがない実態に驚いた。

◉『転落の記』**(本間龍、飛鳥新社、2012)
--友人知人から多額のお金を騙し取ったと訴えられた著者が刑務所で服役することになった顛末記。得意先の売掛金の回収が期日までにできず自腹で支払うことにして始まった友人知人への裏切りと、強欲なサラ金からの取り立てにあくせくする様は、根っからの悪人ではないだけに、痛々しい。

◉『地球が燃えている』***(ナオミ・クライン/中野真紀子+関房枝訳、大月書店、2020)
--ぶ厚く重いので読み通すまでにかなりの日数を費やした。以前にも同じ著者による『ショック・ドクトリン』や気候変動と資本主義の問題について書かれた『これがすべてを変える』を読み、うーむ、世界はいよいよひどいことになっておるなあと思ったが、現在進行中の気候変動が人類の生存にとってさらに深刻になりつつある感を深くした。気候変動問題の解決の方向や既存の利害に執着する勢力との確執といった問題が炙り出されていて、考えさせられる。どうやら人類は茹でガエルのようにじわじわと絶滅へ向かっていくのではないかと絶望的になる。現生からの離脱に近づいている我々が絶滅を目撃するようなことはないだろうが、若者たちには深刻な話である。

◉『獄窓記』**(山本譲司、ポプラ社、2003)
◉『続獄窓記』**(山本譲司、ポプラ社、2008)
--『名もなき受刑者たち』では刑務所の精神障害服役者の存在とその対応について驚かされたが、この2冊の本でより詳しく知ることができる。刑務所の機能は懲罰と社会復帰である。なので、監視したり教育したりする刑務官は当然いるものの、要介護高齢者や精神障害者を専門にケアする職員はいない。しかし誰かがそうしたことをやらないと問題が起きる。で、どうやって刑務所は対応しているかというと、同じ受刑者にやらせるのだという。かつて国会議員だった著者は架空の秘書の給与を事務所経費に流用した(実は当時は誰でもやっていたらしい)として有罪になり刑務所に服役することでそうした実態に触れ、出所後もその改善のために活動しているという。

◉『ブルシットジョブ クソどうでもいい仕事の理論』***(デヴィッド・グレーバー/酒井隆史+芳賀達彦+森田和樹、岩波書店、2020)
--この本も分厚く重くかつ読みにくかったため読了するのに時間がかかったが、現代資本主義社会や労働の意味について考えさせられた。世界中で話題になった本らしく、今話題の斉藤幸平の『人新生の資本論』でも取り上げられている。そういう人たちがいなくなれば都市機能がたちどころに麻痺してしまうようなエッセンシャル・ワーカー、つまり街の清掃人や介護士、水道、電気などの現場作業員などよりも、企業弁護士や会計士の給料がずっと良いのはなぜか、教育と研究が主な目的であるはずの大学で事務職員が増加しているのはなぜか、などなど。自分のやっている仕事が他の人間にも置き換えられる無益なものなのではないかと思っている人がいかに多いか。考えてみれば、ワダスがガッコでやっていた授業もクソどうでもいい仕事だっのではなかったかと思ってしまうのでした。

◉『コロナ時代の僕ら』(パオロ・ジョルダーノ/飯田亮介訳、早川書房、2020)

◉『地磁気の逆転』***(アランナ・ミッチェル/熊谷玲美訳、光文社、2019)
--地球は大きな磁石である。地球上どこにいようが磁石の針がNを指す方向が北である。で、なんとなくN極は北極点に、S極が南極点にあると思いがちだが、そうではない。地球は北極点と南極点を貫く軸に沿って自転しているが、磁石としての軸は微妙にずれていて、日々刻々その場所は変化しているらしい。そしてそのNとSは地球史上これまで何度も逆転してきたということが、地層に残された岩石の分析によってわかったという。さらには現在の地球は磁極逆転の途上にあるらしい。逆転する途中では、太陽などからやってくる有害な紫外線や放射線を守っている地球磁場が今よりもずっと薄くなるため、人工の電磁力ネットワークが壊滅的打撃を受けるかもしれない、とはかなり恐ろしい話。とはいえ、そういう事態に遭遇したいという気分がないではない。

◉『なぜあの人のジョークは面白いのか?』(ジョナサン・シルバータウン/水谷淳訳、東洋経済新報社、2021)

◉『竹内薫の「科学の名著」』*(竹内薫、徳間書店、2020)
--ワダスの好きな科学の本が数多く紹介されている。紹介された本の3割ほどは既に読んだことがある。未読の(キガスル?)ものはこれから図書館で借りて読もうと思います。

◉『マヤの古代都市を探せ』**上下(クライブ・カッスラー/棚橋志行訳、扶桑社ミステリー、2015)

◉『世界を変えた50人の女性科学者たち』**(レイチェル・イグノトフスキー/野中モモ訳、創元社、2018)
--前述の『竹内薫の「科学の名著」』で紹介されていた1冊。50人の女性科学者が、一人見開き2ページのイラスト付きで簡単に紹介されている。登場する科学者たちは皆すごい仕事をした人であるが、知らない名前も多かった。小中高生向けにはいい本だと思います。

◉『ヘンデルが駆け抜けた時代』*(三ヶ尻正、春秋社、2018)
--音楽の母と呼ばれる作曲家ヘンデルの活躍していた17世紀のヨーロッパやイギリスの社会情勢を取り上げつつ、偉大な芸術家とされる作曲家たちが必ずしも純粋な音楽芸術だけを作曲していたのではなく、したたかなビジネスマインドも持ち合わせていた、という話。

◉『西洋音楽の正体』(伊藤友計、講談社選書メチエ、2021)
◉『徒然草』(吉田兼好/佐藤春夫訳、響林社文庫Kindle版、2015)

◉『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!』**(小林朋道、築地書館、2007)
◉『先生、シマリスがヘビの頭をかじっています!』**(小林朋道、築地書館、2008)
◉『先生、子リスたちがイタチを攻撃しています!』**(小林朋道、築地書館、2009)
◉『先生、頭突き中のヤギが笑っています!』**(小林朋道、築地書館、2021)
--これらも『竹内薫の「科学の名著」』で紹介されていたもの。この『先生、〇〇!』というのはシリーズになっていて現在まで15冊出ているとのこと。軽いタッチのユーモアあふれる文章でとても読みやすい。中身は著者の務める鳥取環境大学周辺に生息する大小の身近な動物を中心に、それに触れたり観察したりする本人や学生たちも含めた行動を進化論的アプローチで書かれていて、とても好感のもてるシリーズです。おすすめです。

◉『素数に憑かれた人たち』**(ジョン・ダービーシャー/松浦俊輔訳、日経BP社、2004)
 数学の難問「リーマン予想」をめぐる数学者たちの取り組み。偶数章の数学者たちのプロフィールや生活などについては面白く読めたが、ゼータ関数についての奇数章は、微積分、対数、行列など、今となってはてんで訳がわからない数式が多くほとんど読み飛ばしてしまった。ちなみに、リーマン予想とは「ゼータ関数の自明でない零点の実数部はすべて1/2である」だ。この予想が証明されれば、与えられた数よりも小さな素数の個数を数える場合の法則が明らかになる、らしい。
 ワダスは実は数学は高校までは得意な科目だった。ところが、大学に入っていきなり訳のわからない授業を受けて以来無縁なものになってしまった。とはいえ、生活向上にはほとんど寄与しない数学に生涯を費やした人々には興味があるので、これまで『数学をつくった人びと』(E.T.ベル)、『数学者たちの楽園』『フェルマーの最終定理』(ともにサイモン・シン)『天才の栄光と挫折』(藤原正彦)なんかはとても面白く読んだのでした。

==これからの出来事==

 我々の絶対ヒマ状況は、コロナとは無関係に維持されそうです。

12月11日(土)18:00~/ラーガ基礎講座#23 ~カリヤーン・タートのラーガ~ /Musehouse、神戸/ HIROS: プレゼンター