めんこい通信2023年2月28日号

◉敵基地攻撃能力? 原発再稼働? ん? ん?
 キシダが唐突に防衛力増強、原発再稼働・新増設などを閣議決定し、世の中ざわざわした感じになってきています。キシダおよびジミントーのセンセたちは、もともとオロカだと思ってはきたけれど、オロカも度が過ぎると我々の生活に直接被害を及ぼしかねない。
 今回の防衛三文書では、これまでの専守防衛から、攻撃の兆候を察知したらこっちから先に攻撃すると謳われています。そのために今の武力では不十分なので防衛費を倍増し、アメリカから高い武器をガンガン買うと。攻撃しそうな相手として中国、北朝鮮、ロシアなどを考えているようですが、彼らとは金輪際仲良くなれないということか。仲良くなる方法を考えるのが外交ですが、今の政権はそういうことは考えないように見えます。
 このオロカで危険な政策はアメリカからの要求に沿ったものと言われています。日本政府は常にアメリカ政府の意向に沿うように物事を考えるのが基本のように見えます。安保条約とか、日米地位協定とかが統治行為論として憲法を超越して存在しているという状況は、どうみても自立した独立国家とはいえず、情けないほどにアメリカに尻尾を振ることしかできないようです。
 なぜか。おそらく日本の政府関係者はアメリカ政府がものすごく怖いのかもしれない。
 何しろ首都東京には六本木をはじめ米軍基地が7つ、居住する軍関係者が8千人以上、さらに神奈川県には米軍基地が12、軍関係居住者が2万2千人もいるのです。軍事基地ですから当然、人を殺す武器とそれをいつでも使用できる兵士が十分にいるわけです。さらに東京のほとんどの空は横田空域ということになっていて、日本の航空機が自由に飛ぶことが禁じられている一方で、米軍やアメリカ政府関係者は出入国に何の手続きも登録もなく飛来できる。つまり、いつ、誰が、何人出入国したのか、入管を経ないので、日本政府は把握できない。
 こうした状況は、たとえばイラク、アフガニスタン、ニカラグアなんかの例があるように、アメリカに好ましくない政権ができると米軍がやってきて力で押し潰すのかと考えると、実に恐ろしい。まして首都やその近郊にこれだけの軍事基地と人員が揃っている日本の場合は、アメリカ本土からわざわざ軍を動かす必要もない。つまり存在だけで恫喝できる。日本政府関係者にとっては気が気ではないだろう。ま、勝手な想像ですが、かつて民主党の鳩山首相が普天間基地移設問題で「最低でも県外」と言った後に「あれは間違いでした」と訂正したのはこの「存在の恫喝」だったのかもしれません。こんなふうに考えると、日本では誰が、あるいはどの党が政権をとっても「存在の恫喝」に怖気づき、在庫一掃みたいにあまり役に立ちそうにもないトマホーク400発2113億円を「はい、買います」と言っちゃうのではないかなどと考えてしまうのでした。
 というわけで、防衛力の増強や政策の転換は恐怖がそうさせたと考えれば、必ずしもキシダが単なるオロカとはいえないのかもしれません。しかし、原発再稼働とか新増設とか言い出すに至ると、アベ国葬でもそう思いましたが、この人はほんまもんのオロカではないかと確信に近い思いをしたのでした。採掘に恐ろしく環境を破壊するウランは輸入に頼らざるを得ないし、何よりも稼働している原発の溜まっていくばかりの核廃棄物の処分方法も場所も決まっていないというのに、今ある原発の稼働年数を増やすとか、さらに新しく造るとかという発想は、どう見てもまともではありません。それに、仮に北朝鮮が日本海側にずらっと並んでいる原発のどれかにミサイルを打ち込んだらどうなるんでしょうね。
 ともあれ、キシダ内閣ができてから実にオロカな発言で何人もの閣僚や「LGBT気持ち悪い」秘書官が辞任し、統一教会に関係するセンセたちの解明も対策も取られないまま、支持率は下落し、かつ上に書いたようなとんでもない戦前回帰のような政策を国会での議論や「丁寧な」説明なしに進めているというのに、マスコミもあまり触れないので大きな反対運動も起きず、地方選挙では相変わらずジミントーが勝っている、みたいな状況をぼんやりと眺めていると、襲撃された宮台真司さんの言う、日本人の劣等性というのは本当なのかもしれないと思うのでした。
 あーあ、こんなぶつぶつをこんなほぼ無職のロージンが書いても無力感が募るだけです。ひょっとして彼らはこんなロージンたちの退屈しのぎのネタを提供することがセージカの役割だと思っているのかもしれません。単なるネタであることを願うばかりなのでした。

◉いつまでやるのか、ウクライナ戦争
 今回のウクライナ戦争が今後どうなるのかまったく読めない状況が続いているように見えます。テレビ、特にBSの番組などでは、ほとんど毎日、ドンバスがどうのバフムトがどうのワグネルがどうのレオパルト2がどうのと、今や顔馴染みになった軍事評論家が嬉しい内心を隠しつつ深刻そうな表情で解説するのを見ます。
 しかし、攻撃を受けている側に比べ、攻撃をしている側の情報はほとんど類推だらけなので、この戦争全体の実相がまったく分からず、ただただ垂れ流される情報を消費するしかない。攻撃を受けて悲惨な状況にあるウクライナの人々には同情しますが、仕掛けているロシアの人々の中にも、物凄い数の兵士の死はもとより悲惨な状況にある人がいるはずで、そこら辺がよく分からない。ともあれ、地球温暖化対策なんてのはすっ飛んで双方が莫大なエネルギーと人命を日々消費するこうした戦争によってものすごい利益を得ている軍事産業にとってはウハウハなんでしょうね。ボーナスも出ているらしい。
 で、こんな戦争報道に日々接しているわけですが、大量破壊兵器があるからやっつけるのだ、とアメリカが圧倒的な兵力で攻め込んだかつてのイラク戦争との対比をふと考えてしまいます。大量破壊兵器などなかったイラク側からすれば、いきなり外国から攻められたという意味では今のウクライナと変わらないはずですが、当時われわれが受ける戦争報道はほとんどが攻撃側であるアメリカ発のものばかりでした。今のウクライナ戦争でいえば、われわれが受け取っていたのは、現在のロシア国民のように「ウクライナの善良な住民をネオナチから解放する」だの「ウクライナ政府は西側に騙されている」といった感じの情報が圧倒的に多かったといえます。こうした情報の偏りはそれを受ける当事国以外の第三者にも偏ったバイアスをかけているはずです。ま、もともと普遍的、公正、中立なんていう報道はあり得ないのですが。
 古代から人類は戦争に明け暮れ、その度に学習してはすぐに忘れるということを繰り返すしかないんですかね。生命連鎖の頂点にいると自負する人類よりも植物や昆虫や細菌やウイルスの方がずっと地球環境に適応して生き延びていくような気がします。
 いずれにせよ、互いに無益で害の多い戦争は早く終わってほしいと願うばかりです。  そうこうしている内にトルコとシリアで大地震が発生し多くの犠牲者が出ているようです。トルコ人の友人もいるワダスとしても人ごとではなく、どうしたら支援できるのか悩ましいところです。

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===これまでの出来事===

◉12月1日(木)/ひろ辛
  2時間ほど歩く長距離散歩の大安亭市場コースへ。業務スーパーでコーヒー豆、冷凍食品、醤油、ごま油、韓国食材の店で生の唐辛子を仕入れたのでした。  ものすごく辛い韓国唐辛子はフードプロセッサーにかけて細かくし「ひろ辛」を作ります。  小さな鍋に醤油、みりん、日本酒を入れて沸騰させ、そこに削り粉、ニンニク、あれば乾燥小海老を投入したところへ粉砕した唐辛子を入れ弱火で20から30分煮込み、汁気がほぼ無くなったら完成です。ワダスはこの「ひろ辛」を湯豆腐、煮魚、餃子など、ほぼ何にでもつけて食べているのでした。辛いものの好きな方は作ってみてはいかがですか。スーパーなどには瓶詰めした各種辛味調味料が売られていますが、食品添加物だらけなので最近はなるべく避けるようにしているのでした。

◉12月5日(月)/キッチン蛇口交換
 水圧が減少し、蛇口の根元からじんわりと水が漏れ出してきたので、蛇口を取り換えることにしました。これがバカにならない費用でした。
 先住者が取り付けた蛇口は「特注のもので、しかもメーカーがすでに存在していない」と、交換にきた誠実そうな業者の中年おっさんが申し述べる。また費用は「作業費、出張費入れて6万円なにがし」という。取り替え用蛇口のメーカーと型番を聞いてネットで調べるとモノだけだと2万円とか出てくるので、作業を見守る配偶者に話す。彼の誠実さに敗北しつつある配偶者は「いいじゃないの」と彼の言うがままでいこうという態度です。最終的に、ネットで云々、ということを不機嫌表情的にワダスが彼に申し述べると、ちょっと負けてくれたのでした。蛇口交換というのも安くはないということが判明した1日なのでした。
 
◉12月8日(木)/ワクチン/同窓生大塚氏より野菜差し入れ
◉12月14日(水)/久代生誕記念宴会/もりもり寿司/駒井夫妻と/
◉12月15日(木)/短足麻雀/中川家/植松奎二+塚脇淳両名人

◉12月18日(土)/HIROSライブ「師走の夜に朝のラーガを聴く」/Musehouse、神戸/ グレン・ニービス:タブラー、HIROS:バーンスリー
 コロナ以来顔を合わせていなかったグレンと久しぶりに演奏し、気持ちの良い時間を過ごしました。彼のタブラーは心地よい響きで楽しい。

◉12月19日(月)/木村・中川家月一対抗麻雀

◉12月29日(木)/山形のそば+初茄子
 鶴岡の友人、漆山永吉さんから生そばと庄内地方の銘菓、初茄子が送られてきたのでした。年越しにはちと早いけど、すぐさま摂食。さすが大松庵のそばは香りもよく大満足でした。山形特産の小さな丸い茄子を砂糖漬けにした初茄子も珍しく、風流でした。小茄子の漬物は子供時代よく食べたものですが、和菓子になっているとは知りませんでした。また、「めづらしや山を出羽(いでは)の初茄子(なすび)」(芭蕉)なんていう句もあることを、生産証明書付き包装の中のミニチラシで初めて知ったのでした。

2023年
◉11月1日(日)/駒井家正月/駒井仁史一家
◉1月3日(火)/植松家麻雀

◉11月6日(金)/同窓生大塚氏より野菜差し入れ

◉1月8日(日)/中村亜矢子一家
朝の定例作業中、姪の亜矢子ちゃんから「IKEAに行くんだけどまだ空いてないし、そっちに行っていい?」といきなり電話があり、旦那の正史くん、葉月、衣都、紗千の又姪三姉妹、中村家全員が訪問。普段は2人だけの中川家がにわかに賑やかになったのでした。

◉1月14日(土)じっくりとラーガを歌ってみる#6 /Musehouse、神戸/ HIROS: プレゼンター/ラーガ・マールワー  

◉1月17日(火)/AK新年宴会/良友酒家/参加者:伊東久美子、岩淵拓郎、川崎義博、下田展久、杉山知子、角正之、中川真、HIROS、森信子各氏

◉1月19日(木)/JCOMチューナー交換

◉1月26日(木)/短足麻雀//中川家
 定例メンバーの塚脇さんが豪雪で出られず、急遽、フラメンコの東仲さんに「明日どう?」と参加要請電話をすると「おうっ、やる」という元気な返事をもらったのですが、それから程なく同居人の田村珠紀さんから「おとーちゃん、骨折した。膝の皿が割れ、今入院待ち。転んだ人が多くて手術できる病院を探している」との連絡が入ったのでした。現在は退院してリハビリ中とのこと。まったく、人生、何が起きるかわかりません。というわけで、お正月も対戦した島末さんにきてもらったのでした。

◉1月29日(日)/西アジアの音楽打ち合わせ/神戸市立海外移住と文化の交流センター/参加:川辺ゆか、アポ、下田、マスダマキコ、谷正人各氏
 演奏家を招聘してトルコ音楽コンサートをやりたいという川辺ゆかさん、かつて阪大でトルコ語を教え現在は長崎大学のセンセのアポ、神戸大准教授のペルシアン・サントゥール奏者谷さん、川辺さんの高校の先生だったというマスダさん、CAPの下田さんとで、実現する方策をあれこれ相談しました。今年実現するかどうか、まだなんともいえません。

 

◉11月30日(月)/クルド音楽への誘い」/神戸大学/レクチャーと音楽:セルダル・ジャーナン
 前日のCAPでの打ち合わせでこの日の公演を知り、神戸大学まで出かけました。主催は日本学術振興会。谷さんの授業の一環としても急遽開催されたようです。会場の教室には谷さんの学生の他、前日に引き続きアポ、川辺ゆか、下田、他に森信子、箕面市国際交流協会の岩城あすかさんなどの顔も見えていました。精悍だが知的で優しそうな表情のジャーナン氏のクルドの語り部デングベジュの話や実演、様々な素朴な民謡はなかなかに感動的でした。ジャーナン氏の生まれはイラン、シリアの国境にちかいトルコのハッキャリ地方。この1週間後の大震災ではそれほどの被害はなさそうでちょっと安心でした。

◉2月1日(水)/平千佳訃報メール
 トラベル・ミトラの大魔王こと大麻さんからのメールで平さんのことを知りました。平千佳さんは山形県立長井高校の後輩で、銀座にあるインド政府観光局に長く勤めていた女性です。江戸にいった時は時々飲みに行ったりし、互いの純粋山形語の会話を楽しんだものでした。ワダスよりもずっと若かったので結構ショックでした。

◉2月6日(月)/トルコ・シリア大地震

◉2月13日(月)/下田雅子+HIROS生誕記念ダラダラ宴会下田家/参加:大野裕子、下田展久+雅子、築山有城、中西すみこ、HIROS、森信子各氏
 改装してピッカピカになった下田宅での毎年恒例ダラダラ宴会でした。ひたすら飲んで食ってしゃべっていると時間の経つのが実に速い。ワダスは東京インテリアで買い求めたしりしり器を雅子さんにプレゼントし、それでニンジンしりしり、だしジャコキンピラ炒めを新しくなったキッチンで調理したのでした。

◉2月15日(水)/漆山永吉氏来神
 年末に本格的な生そばを送っていただいた鶴岡・大松庵の漆山さんが伊丹に住む娘さんを訪ねるというので、ランチを一緒にしようということに。ワダスと配偶者は、新潟から神戸空港に飛来した彼を迎えに行き、そのままポートライナーで三宮まで行き、時折雪がちらつく寒い街を歩いて良友酒家まで出かけ、ランチを堪能したのでした。ランチの後は海外移住と文化の交流センターにあるCAP見学。

◉2月16日(木)/短足麻雀/植松家、箕面/参加者:植松奎二、Jun TAMBA、中川博志・久代

◉2月23日(木)/「フィリピン・カンカナイ族の 民話と子どもたちの絵」おはなし会」/バイソンギャラリー、神戸
 昨年の11月から12月にかけてフィリピンのルソン島山岳部の小学校で高濱浩子さんたちが行ったワークショップの報告会でした。これは現地のバギオを根拠地として「コーディリエラ・グリーン・ネットワーク」というNGO組織を立ち上げた反町真理子さんたちの環境教育プロジェクト「民話プロジェクト」の一環とのこと。プロジェクターに映し出された現地の子供達の絵を描く姿が印象的でした。高濱さんはCAP時代からの知り合いだし、反町さんも、20年以上前にワダスがバギオまで行ってカリンガ族の楽器製作や演奏を習った時にお世話になった人なので、久しぶりにお会いできて喜ばしかったのでした。当日は23歳になったという反町さんの娘キカも母親と同行してきました。関係ありませんが、当時のバギオ訪問のことを書いたものがこちら
 会場に行き着くのにちと手間取りました。五宮神社に近い崖っぷちに並んだ古い家屋の1棟が会場でした。周辺の古い家屋がほとんど空き家状態だったところ、ある建築家が中心になって改装し、そこへ若い人たちが集うようになった区域の一角が会場でした。それほど広くないスペースに2、30人くらいの人たちが参加していました。古い住宅なので寒く、特に足元のコンクリートたたきの冷気が足に直に伝わり、ワダスは震えながら話を聞きました。ワダスの隣に座っていたのはCAPの雑誌「キャプスル」の編集を担当している有吉結子さん。
 報告が終わった後、参加者差し入れのワインを片付け後の会場でいただき、その後、反町さん、キカ、高濱さん、高濱さん友人(まりさん?)、映像プロデューサー女性(名前失念、中川真さんの番組がどうのという話をしました)という、女性4人と男がワダスだけという、とても喜ばしい組み合わせで天竺園打ち上げ宴会でした。

◉2月26日(日)/動態即興「愚者の秤/ぐしゃのはかり」シリーズ/風の舞塾(TonPlacer) 、神戸/パフォーマンス:角正之+3名:ダンス、川辺ゆか+HIROS:ヴォイス他
 角さんのスタジオでのダンスと音楽の遊びでした。ワダスはバーンスリーではなく声によるアーラープや、口琴、サガイポ、川辺ゆかさんが声で参加しました。「ダンサーは頭で勝手に物語を作って動くのではなく、完全な愚者となって音の入力に反応しつつ自発的な動きに委ねる」というような角語の解説は面白い。愚者になるという説明に大量の言葉を使う角さんが愚者になりうるのか、などと角さんの話を聞きながら思うのでした。次回は4月16日(日)にあります。コンテンポラリー・ダンスに興味のある人には有意義な企画だと思います。

===この間に読んだ本===
(*読んで損はない、**けっこういけてる、***とてもよい)

◉『人生を変える音楽』(又吉直樹他26人、河出書房新社、2013)
 短時間で読める、軽い音楽紹介本。有名人たちの「聴いて人生が変わった」という音楽はそれなりにそれぞれに面白いが、ヘェ~、で読み終わってしまう。

◉『神話と日本人』*(河合隼雄、岩波書店、2003)
『古事記』や『日本書紀』をまともに読んだ人がどれほどいるのかと思いますが、アマテラスやらスサノオやらオオクニヌシやらといった神話に登場する神々やストーリーの一部はなんとなく覚えている。この本はそうした日本神話に出てくる登場人物の行動などを通して、古代から一貫して流れている「かもしれない」「日本人」の世界観を、精神分析的手法を使って読み解いていこうというもの。神話の内容については、へえーっ、そうだったのかという発見がかなりあった。古代の権力者がこの土地の統一性を筋道の通ったストーリーに仕立て、彼らの権力の根拠を記録するという作業が神話だったとすれば、少し疑問に思うのは、地球市民的意識のある現代の我々にも、当時と共通した「日本的心」が果たして流れているものなのかということ。

◉『平成日本の音楽の教科書』**(大谷能生、新曜社、2019)
小学校から高校までの音楽の教科書の中身を紹介した本書を読み、教育にとって音楽がどんな意味があるのか考えさせられた。ワダスも大学でいわゆる民族音楽っぽい講義をしていたが、それにどんな意味があったんだろうかと考えてしまった。
 音楽教育の目的の一つは<我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図る>(文科省)ということらしいが、教科書に掲載される日本の音楽のほとんどは「グローバル化を終えた音楽だけが残され」、また、いまだに「<豊かな情操を養う>ための最大の題材がベートーベンの交響曲」であり、「義務教育によって勉強することができるのは、商品として売り買いすることができない価値について、なのです」という矛盾。そして音楽を楽しむための基礎的な知識や技術は現在の教科書からでも十分に得ることはできるはずだが、どこかつまらないと思ってしまうのは「学校で教えられている音楽が現実の社会とは切り離された、ある種の<どこでもない場所=ユートピア>で鳴らされているものだ、と、中学生の頃には感じていたからなのだと思います」などなど、著者の指摘には頷くことが多い。

◉『「死」とは何か』*(シェリー・ケーガン/柴田裕之訳、文響社、2018)
「イェール大学で23年連続の人気講座」という惹句に惹かれ読んだ。内容も重量も結構重い(700g)のでベッドで寝っ転がって読むのにはしんどい。とはいえ「死」というものをまともに考える上でなかなか読み応えがある。生が善で死は悪なのか。悪だとしたら死なないことが善になる。しかし、永遠の不死は良いことなのか。高齢の死と若年の死は何が違うのか。よく、若くして亡くなった人に「残念だ。生きていればもっと良いことがあったのに」と言われるが、本当にそう言えるのかどうか。亡くならずに生きていたらもっと苦しかったということもありうる。自殺が正当化される場合だってあるのではないか。などなど、死に関する考察や疑問が延々と展開され、重いはずのテーマがなんだか頭の体操のようにも思えた読書体験だった。

◉『ある男』**(平野啓一郎、文春文庫、2021)
 事故死した結婚相手が戸籍上の名前とは異なる別人だったという、あり得そうでなさそうなストーリーが面白く、一気に読んでしまった。弔いに訪れ、仏壇の遺影を見た夫の兄から「これは弟ではない」と聞いたとき、愛する夫を亡くした妻はその事態をどう受け止めるのか。相談を受けた弁護士は、自身の在日という出自や現在の結婚生活の危うさへの自覚から真相解明を引き受ける。そして最終的に、夫であった別人が実は凶悪殺人犯で死刑になった男の息子であったことが明かされる。戸籍を交換し別人になるという設定が意表をついている。

◉『世界はなぜ「ある」のか』**(ジム・ホルト/寺町朋子訳、ハヤカワ文庫、2016)
 ハイデッガーの『形而上学入門』(ワダスは未読)にある「なぜまったく何もないのではなく、何かがあるのか?」という言葉をきっかけに、古今の哲学書や科学哲学書を渉猟し、存命の著名な哲学者、物理学者、神学者に聞いて回る旅という仕立てで、一般の哲学書にはない気軽さと読みやすさがあった。この問いは「非常に深遠なので形而上学者の頭にしか浮かばないが、それでいて非常に単純なので子どもの頭にしか浮かばない」。たしかにワダスも子どもの時に、なぜ宇宙はあるのか、みたいなことを思ったことがあったけど、いつしか日常にかまけてすぐにやめてしまった。ともあれ、こうした問いにまともに取り組もうとした著者の知的探究心の維持とエネルギーはすごい。もっとも、著者が尋ね歩いた学者がすべて欧米人であることには何かしらアンフェアな感じがする。
 最後の方の15章の頭に引用されたショーペンハウアーの言葉が印象的なので書いておきます。 「人は何千年もの存在していなかった期間を経て、自分が突然存在していることに、大いなる驚きをもって気づく。そして束の間生きたのち、ふたたび、同じくらい長い、もはや自分が存在しない期間に至る。心はそれに反抗し、それは真実であるはずがないと思う」(「存在の虚無性について」)。

◉『資本主義と戦った男 宇沢弘文と経済学の世界』**Kindle版(佐々木実、講談社、2019)
 2014年に86歳で亡くなった経済学者、宇沢弘文の生き方を通して、彼が接したその時々の経済学の考え(まま理解できない部分がありましたが)と彼自身の取り組みがコンパクトにまとめられている。  シカゴ大学教授として宇沢が活躍していたのは、アメリカでミルトン・フリードマンに代表される新自由主義経済学が台頭しつつある時代だった。数学を使うことで「科学的に」見えるものの、非人間的な志向をもち、そうした経済学が国の政策決定に大きな影響を与える状況にあった。そんな経済学に批判的だった宇沢が帰国後、水俣病などの公害や成田空港反対運動などに関わり、より視野の広い社会的共通資本という「思想」に至った過程がよくわかる。
 社会的共通資本(彼によれば、水、空気、エネルギーといった地球環境だけでなく、教育や文化なども含む)を、金銭で取引可能な経済活動とみる考え方に疑問を呈した宇沢弘文の生き方はもっと知られていいように思う。ノーベル経済学賞に最も近かった人、とあったが、ミルトン・フリードマンとかポール・サミュエルソンとか、これまでの受賞者のラインナップを見ていると、賞の評価基準というのはどうなっているのかと考えてしまう。ともあれ、今の状況を見ると、宇沢が批判してきたあらゆるものを金銭で取引可能な対象とみる思想に最も毒されている国が日本ではないかと思えてくる。政府が「少子化対策」というとき、労働力、生産手段としての人間の数が減るから困る、というような発想にしか思えない。

◉『「安全な食事」の教科書』**(ジル・エリック・セラリーニ+ジェローム・ドゥーズレ/田中裕子訳、ユサブル、2021)
 分子生物学者と料理人の対話という形で、現代の我々の食生活に混入される有害物質やGM作物(遺伝子を操作した作物)の問題を語り合う本。単なる消費者である我々には現実に確認することはできないが、モンサントなど、遺伝子操作による種子や特定の害虫を殺す肥料(ラウンドアップなど)の製造販売会社と、彼らから研究費を得て企業に都合の良い「研究」を行いデータを改竄する「科学者」が存在し、そうした「科学者」が客観的であるべき科学雑誌にまで影響を与え、告発する科学者へ陰湿な攻撃を加える、といった状況が世界中で起きていることを知るとなかなかに恐ろしいものがある。ともあれ、食べるという行為、料理するという行為、摂取する我々の味覚や大脳の反応、食べた後どうなるのか、などなどが生物学的視点で述べられ、普段何も考えず行っている食ということについて改めて考えさせられる。と同時に、本当にピュアな自然食品なんてよほどのエネルギーとコストを費やさないと入手できないし、添加物だらけの食品を日常的に摂取していながら特に大きな不具合の自覚もないし、かつこれから何十年も生きるわけでもないので、著者たちのいう状況をほんのわずか自覚することしかできないなあ、と思うのでした。

◉『サピエンスの未来』**(立花隆、講談社現代新書、2021)
「伝説の東大講義」というサブタイトルにあるように、1996年に著者が行った講義を拡張した内容。  古代ギリシアから始まる西洋哲学、キリスト教、宇宙論、量子物理学、文学、脳科学、サル学、進化論などなど、広い範囲にわたってサピエンスの過去と未来が語られる。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』はサピエンスが登場してから今日までの歴史だったが、本書はそれを宇宙にまで拡大し、さらにはるか未来まで考えてみようという壮大な内容で頭がくらくらしてくる。
 立花隆の本は結構読んできたけど、彼の世界観の根っこがこういうことにあったのかと考えると、また別な読み方ができるかもしれない。
 キリスト教イエズス会神父であり古生物学者であったティヤール・ド・シャルダン(1881-1955)の思想についての解説が後半のほとんどを占める。「すべてを進化の相の下に見る」という視点に拠り、進化という考え方は生物に特化したものではなく、全ての物質、つまり宇宙そのものにも当てはまると彼は考えた。放散(ダイヴァージェンス)と収斂(コンヴァージェンス)の交互作用(=進化の弁証法)で一定の方向性を持つ、つまり複雑化から意識の獲得、精神圏(ヌースフィア)、超人間、超進化、究極のポイントであるオメガ点へと到達するのだと。明日何を食べるか、なんてことで我々は毎日を過ごしているけど、たまにこんな途方もなく壮大なことを考えてみるのも悪くないなあと読後に思うのでした。

◉『空の拳』**上下(角田光代、文春文庫、2015)
 女性作家によるボクシングにまつわる小説。寝るのを惜しむほどの面白さではないが、箸休め的にそれなりに楽しめた。彼女自身も輪島功一ジムでボクシングを習っていることを巻末の沢木耕太郎との対談で知った。

◉『実力も運のうち-能力主義は正義か?』(マイケル・サンデル/鬼澤忍訳、早川書房、2021)
 これまで深く考えることも、そんなに疑うこともなかった「能力主義」。それがいつどのようにはびこり始めたのかを知り、能力主義がいかに新たな不平等を生み出すか考えさせられた。以下は印象に残った箇所。
「アメリカは神に授けられた使命を世界の中で持っている、大陸を征服する、あるいは世界を民主主義にとって安全な場所にするという自明の運命を持っているという信念だ。だが、神の命令という感覚が薄らいでいるにもかかわらず、政治家は、われわれの偉大さは善良さに由来するという主張を繰り返し口にする」(例えば、イラク戦争を擁護し空母艦上で行ったチェイニーの演説の一部「われわれの大義は必要であり、われわれの大義は正義である。そしてわれわれは歴史の正しい側にいるのだ」)
「個人の責任を拡張する考え方は、能力主義的な想定が働いているという手がかりになる。自分の運命への自己責任が徹底されればされるほど、自分の人生の成り行きに関して称賛されたり非難されたりするのがますます当然のこととなる」
「(オバマとクリントンは)援助を受ける資格のある貧困者とそうでない貧困者を暗黙のうちに区別した」 「学歴偏重主義の台頭に伴い、労働者階級出身の議員は急減した」
「事実をよりよく理解している者が仲間の市民に代わって決定を下したり、あるいは、少なくとも彼らを啓発すべく、市民自身が賢明な決定を下すために知るべきことを教えてやったりすればいいのだ」(オバマの統治ビジョン)
「エリートに対する怒りは、出世できない人びとが能力主義のせいで抱える自己不信のためにさらに大きくなった」 「私たちの社会がもし存続できるなら、いずれ、清掃作業員に敬意を払うようになるでしょう。考えてみれば、私たちが出すゴミを集める人は、医者と同じくらい大切です。なぜなら、彼が仕事をしなければ、病気が蔓延するからです。どんな労働にも尊厳があります」(マーティン・ルーサー・キング)
 こうした能力主義を克服する提案が巻末でなされていて、こういう本を政治家たちに読んでほしい、というのがワダスの願望です。

◉『読書脳』(立花隆、文藝春秋、2013)
 この本が出たのが今から10年前なので情報としてはちょっと古いけど、著者の読書範囲の広さ、深さに改めて感心。とはいえ本の紹介だけなので立花隆の本としてはかなり軽い感じだ。読んで見たい本が何冊かあったのでメモした。図書館で借りよう。

==これからの出来事==

 相変わらずヒマですが、たまにちょこっちょこっと何かがあります。

◉3月11日(土)/神と音楽/Musehouse、神戸

◉4月16日(日)//動態即興「愚者の秤/ぐしゃのはかり」シリーズ風の舞塾(TonPlacer) 、神戸/パフォーマンス:角正之:ダンス、川辺ゆか+HIROS:ヴォイス他

◉5月28日(日)15:00~/Sunday Evening Concert/神戸市立海外移住と文化の交流センター1F/中尾幸介:タブラー、HIROS:バーンスリー