めんこい通信2023年5月29日号

◉相変わらずのウクライナ戦争やら、支持率上昇らしいキシダ政権のあれこれやら、入管法改悪やらLGBT理解増進法やら、エンノスケやら、ジャニーズ事務所やら、マスメディアの劣化やら、世の中のざわざわがあまりに多くややこしくそのほとんどが救いようがないように見えるこの頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。我々は相変わらず暇を持て余しつつそこそこ元気で生き延びています。

◉働かない働きアリ
 BSのプライムニュースを見ていたら、長袖Tシャツの上に半袖シャツを重ね着したラフな格好で、薄めの長髪を後ろで束ねたゲストが「人口減少はこれまでの社会の考え方を変えない限り止まらない。高齢者が子供保育をしてちょっとした収入を得る、というようなのがいいんじゃないですか」などと発言していた。そのゲストが北大准教授の長谷川英佑さんでした。ま、ワダスの母校のセンセという贔屓目もちょっとあって最後まで見てしまったのでした。
 ひと昔前に、働かない働きアリが話題になりましたが、この人の研究だったということが分かりました。61年生まれなの62歳と、とっくに教授になっていておかしくないのに准教授というのも不思議な感じです。ともあれ、司会者が日本の人口減少問題をなんとか社会的、政治的話題の方向に持っていきたいのに、進化生物学者の長谷川氏は身も蓋もなく「今のままだと日本は滅びますね」などと平然と答えているのが清々しくとても好ましい人物に見えたのでした。というわけで早速彼の著作『働かないアリに意義がある』を借りてきて読みました。これが実に面白い。本の紹介に要約として以下が挙げられています。
「働きアリのうち、よく働く2割のアリがコロニーの8割の食料を集めてくる。よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の割合になる。よく働いているアリだけを集めても、一部がサボり始め、やはり2:6:2に分かれる。サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる」。働く、働かないを決めているのはそれぞれの個体の「反応閾値」=「仕事に対する腰の軽さの個体差」が異なっているからだ、とか「年寄り」の個体が主に餌探しに働く(餌探しは生存上のリスクがあるかららしい)、というような話も面白い。
 こうした働かないのやタダ乗りがコロニーに存在しても存続しているアリやハチの生態を進化論的にどう解釈して説明できるのか、できないならばこれまでの進化論の考え方をどう進化させていけばいいのか、というようなことが書かれています。しかし、この本が当時話題になったのは「働かない者がいても社会は成り立つ」というような文脈でだったような気がします。ほとんど働いていないワダスからすれば、これでいいんだ、こうしていても人類の進化に貢献しているのだ、などと妙に正当化する理由を見つけたような気に当時なったわけです。同じように思った人もたくさんいたんじゃないですかね。

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===これまでの出来事===

◉3月11日(土)/神と音楽 /Musehouse、神戸
 しぶとく続いてきたラーガ講座ですが、今回からなんと「神様と音楽」という大胆なテーマになりました。即興演奏の元になる音階であるラーガにはそれぞれ名前が付けられていますが、ヒンドゥー教の神様に因むものが少なくない。ワダスには、ある特定の高さの音の組み合わせが特定の神様を想起させるとはとても思えないけど、インドのある時期、ある場所で、そんな風に思った人が名付けたはずなので、何かしら必然性があったのかもしれません。
 で、神様あるいは神様に因む名前を持つラーガが一体どれだけあるんだろうかと調べてみると、ワダスの調べられる範囲では80個以上ありました。で、初回はラーガ・サラスヴァティーを取り上げました。サラスヴァティーとは芸術・芸能の神様として弦楽器ヴィーナーを抱えた姿でよく描かれている女神で、神話によれば創造神ブラフマーの配偶神です。この神様は日本にも伝わり、弁財天として知られています。

◉3月16日(木)/短足麻雀@中川家/参加者:植松奎二、東仲一矩

◉3月21日(火)/大魔王宴会
 インド専門の旅行会社「トラベル・ミトラ」の大麻さんこと大魔王から「中川さんに借りがある。神戸に行くので宴会して返したい」とお電話をいただきました。そういう喜ばしい申し出には何を置いても応じないわけにはいきません。
 待ち合わせ場所は神戸市立博物館。この日は「インド近代絵画の精華」展の最終日でした。展示された絵画はワダスには「あっそ」レベルでした。
 一通り眺めた後、小雨の降る中、大魔王と連れ立ってまず中山手の「良友酒家」に向かいましたがあいにく休店、仕方なく同じ並びの「鴻華園」へ、なんとここも休店、仕方ないので三宮駅高架下の居酒屋「おうみや」で宴会でした。大魔王にお会いするのは久しぶりで、結構な量のアルコールやおかずを消費しつつ長いおしゃべりでした。ヨーガに詳しい大魔王はリタイヤしたら「田辺さんみたいにオリッサかどこかのアーシュラムでヨーガ三昧」みたいなことを申し述べる。で後でその田辺さん、つまり田辺明生氏のことを調べると、なかなかに興味深い人物でした。東京大学の人類学の教授でしたが、定年退職を待たずにオリッサのアーシュラムで修行に励みつつ、スピリチュアリティーとは何かを探求することにした、という。その退職記念セミナーはYouTubeでみることができます。
 大魔王とのおしゃべりはとても楽しかったので、今度は貸し借り抜きで宴会したいものです。

◉3月23日(金)/淡路島バス旅行/参加:Alaxander Böll、Angi、市川智也、Uwe Teichmann、加川純子、河合桂、Christian Heinz、黒田、Suanne Katharina Willand、Swan、高島美乃、たねいえりえこ、築山有城+可依、HIROS、Norbert Bauer、Franziska von den Driesch、マスダマキコ、Marion Bösen、宮本聡太、森信子、安川エリナ、Johannes Ellmer
 CAPのプロジェクトの一つ「See Saw Seeds」の一環でドイツのブレーメンから来日した一行と淡路島バス旅行でした。メンバーはドイツ人10名と13名のCAPメンバー+アルファ。ブレーメンのグループには若い人はおらず、40代後半から60代、全体に溌剌とは言いにくい、ま、落ち着いた雰囲気ですが、日本側は築山君の息子の可依君の興奮おしゃべりとか最高齢となったしまったワダスは別としてもドイツ人たちに比べれば若い人が多かった。
 この日のコースは、CAPのある海外移住と文化の交流センターを出発し、本福寺、「吹き戻しの里」、育波、伊弉諾神社。なかなかのコースでしたが、徹底的な土砂降りがほぼ一日中続き、弁当はバスの中、移動は傘で小走りという散々なツアーになったのでした。ずっとバスの中にいたせいか、お隣の加川純子さんとはいろいろお喋りができて、それはそれでなかなかに楽しかった。花屋を営む加川さんは、我々がとっくにリタイヤしたCAP句会の常連さんです。
 蓮池を屋根とした安藤忠雄設計の本福寺はワダスには二度目の見学でしたが、ドイツ人たちは初めて。設計がアンドーだ、と説明してもドイツ人たちは誰もピンときていなかったので、日本では世界的建築家とか言われているけど、案外知られていないのかもしれません。ともあれ、傘をさしつつ円形の蓮池の半径を表す直線のような階段を降りた本堂空間は流石に美しい。御本尊の薬師如来像を目にしたドイツ人たちに「ここは何を祀っているのか。あれはなんの像か」などと質問され、答えるのになかなかに苦労するのでした。
「吹き戻しの里」では、参加者全員が工場の一角に並べられたテーブルにつき、吹き戻しを作る。用意されていたのは、ごく細い鋼線を色のついた薄紙で挟んで袋状にしたものと、そこから息を吹き込む、つまりマウスピースになる銀色のボール紙の筒。まず薄紙を透かして微かに見える鋼線を丸い棒にあて何回かしごく。片一方をしごかれた鋼線は一気に丸まろうとする。マウスピースをテープでつないで息を吹き込むと、袋状になった薄紙に空気が入り鋼線の丸まろうとする力に打ち勝って直線になる。口を離すと途端にまた縮まる、という実に単純素朴な子供用のおもちゃで、制作工程も実にシンプル。最初は「なんなん」みたいな表情だったドイツ人オッサン・オバハンたちが次第に真剣になって取り組む様子がなかなかに好ましい。子供の頃、富山の薬売りが入れ替えの薬のおまけとしてこの吹き戻しを置いていったことを思い出しました。
 我々を待っていたJun Tambaこと塚脇淳さんが先導して育波へ。旧い鉄工場を借り受けたスタジオや近所の海岸をぶらぶらした後、伊弉諾神社へ。ドイツ人たちはおみくじを買ったりなどして結構楽しんでいたようです。

◉4月1日(土)/CAP花見
 CAPのある海外移住と文化の交流センターから西にちょっと行った所薫子さんのご自宅周辺をお借りした花見でした。淡路バスツアーに参加したドイツ人たち、最近来日したフィンランド人にCAPやその周辺の人々の参加で賑わいました。始まりも中間も終わりもダラダラとした宴会。ほとんど無口のように思えたブレーメン庭師のウヴェのおしゃべり攻撃とか、三線を弾く女性とか、木版画の浮世絵を制作する女性が焼きそばを焼きとか、CAPでは馴染みの料理人である足立さんの料理とか、お世話掛のマスダさん、森ちゃん、中村さんとか、なかなかに多様な面々の混沌状態は花見にふさわしい。所さんには2階の一室すべてが堀尾貞治さんの作品という部屋に案内してもらいました。

◉4月9日(月)/抗原検査
 数日前から鼻水と咳が止まらず、ひょっとしたらコロナかも、ということで近所の薬局で検査キット2000円を購入し調べると陰性でした。咳というのは困ったもんです。夜、ベッドに横になって寝始めると咳の発作が頻発するのでほとんど寝ることができない。これが数日続き、ついにはまったく声が出なくなったのでした。ここ数十年ほとんど風邪になることもなかったのに、初めての経験でした。

◉4月16日(日)/動態即興「愚者の秤/ぐしゃのはかり」シリーズ/風の舞塾(TonPlacer) 、神戸/パフォーマンス:角正之:ダンス、川辺ゆか+HIROS:ヴォイス他
 なんとか声が出るようになったので、角さん企画のパフォーマンスに参加しました。とはいえ、声帯が万全ではなかったせいか、ピッチの安定には不安が残る出来でした。
 角さんの言葉、つまりスミッシュを理解するのはなかなかに難しい。以下は角さんとワダスのメッセンジャーでのやりとりです。
--- 「ヒロスさん、お付き合いありがとうでした。今日はなんだか正体が掴めず、ボオ〜とした感じ、この脱力感を思えば、いつもは自ら枠組みを想像してやっているのだと、実感! 動きは創造でもなんでもない、本来、無音さえ最強の拘束だと思う、、、カラダ動きの自由とは、今日の動きじゃないように感じてる、(が)、愚者とはどんな自由を受け取ることなんだろう? 沢山の疑問が見えてきました。ヒロスさんは、どんな音の自由さを選択しているのかな!、、、少しづつ提案して行きます!」
HIROS「ダンスをしようと思いながら体を動かすこと自体、無意識で動く、つまり『自由』とは離れてしまうんじゃないすかねえ。音の自由さですか。それはないですね。自由の定義にもよりますが」
「産んだなあ! 思うこと自体にカラダは強張っている、だから古典芸能者たちは、形あるカタチの無形象に向かう志を『空』性といい、訓練を重ねて、心を捨てて、意味を乾かす作業に邁進することを、よしとする禅坊主に似ているのか? この場合、意味とは『生きる欲望あるいはその我執ににたもの』
ただ、「無意識で動く」ことへの参入方法は、瞑想しながら、からだの息を点てるようにする、、息を点てるとは、動きは一息の中でしか生きれない程度で良いだろう、(と)、する! どんなイメージも用意しないで、動きの始まりに付き合わされる、用の無い(無用)のカラダそのものが、ダンスの領域に触れていく? そんな説明で、カラダと心の不調和、不満足が脱イメージ(記憶作用)を自然な動きへ参入させるように考えていますが、、、、ほとんど、自由かと!」

◉4月19日(水)/リハーサル/中尾幸介/竹の子
 神戸に来る用事があって、ということで我が家で練習。息子はる君の世話に忙しくてなかなか練習できないと言ってましたが、5月28日のCAPでの本番には彼の素晴らしいタブラーの演奏が聞けるのが楽しみだす。何より喜ばしかったのは、家の周りで採れたという大きな竹の子でした。すでに湯がいてあく取りが済んだもので、我々は早速、煮物とバター焼きで旬の筍を堪能したのでした。

◉4月20日(木)/駒池宴会
 我々の結婚記念日は駒井家での宴会でした。結婚式はせずに灘区役所に婚姻届を提出したのが1978年4月20日で、いちおうこの日を結婚記念日としているのです。

◉4月22日(土)/神と音楽 /Musehouse、神戸

◉4月28日(金)/マンゴー
 インド総領事館のカードが添えられたマンゴーが突然インドから届いてちとたまげました。去年の広島市での演奏後にもいただいたのですが、それで終わりではなかったようです。これからも季節になったら永遠に続くはず、だといいなあ。

◉5月1日(月)/大塚野菜差し入れ
 バンコクに住む長男を迎えにいったついでということで例によって大学の同級生の大塚さんから、玉ねぎ、じゃがいも、ニンニクの芽、スナップエンドウ、さやえんどうを届けてもらったのでした。いつもながら喜ばしい差し入れなのでした。

◉5月3日(水)/スパイス大学カレーゼミ/神戸市立海外移住と文化の交流センター1F/講師:堀江斉(やさい食堂堀江座)、桑原嗣佳(ヒンホイ)、佐野坂修一(みみみ堂)
 CAPのある神戸市立海外移住と文化の交流センターの1階にカフェ兼イベントスペースsumicoが開設され、その第1回目のイベントでした。カレー、インドという連想からか、下田さんに「28日の宣伝も兼ねてちょこっと吹いてけろ」とのリクエストで20分ほど演奏しました。
 30人ほどの参加者を前に、まず3軒のカレー屋店主によるスパイスと料理の話、たまたま帰国中のバックパッカー、リュウサイ氏の旅話など。それぞれに楽しい話でした。この3軒のカレー屋は、本格的カレー専門店とは異なり、カレーや料理を通じて独特のネットワークを作っているようです。

◉5月9日(火)/六甲山上
 暑くも寒くもなく雲ひとつない快晴かつあまりにヒマなので、六甲山上まで行ってみることにしました。車があるころは山菜とかキノコ採り、外国の友人の案内などでよく登っていたのですが、ここ十年以上、六甲山はただ眺めるだけの存在でした。
 まず六甲ケーブルで山上駅まで。ケーブルカーに乗り込む時、階段になったプラットホームが微妙に傾斜しているせいか世界が揺らぎ地震かと思ってしまいましたが、乗務員によるとよくあることだそうで、ワダスのように平衡感覚が狂う人もいるらしい。
 眩しいほどの木々の緑、藤の花や馬酔木の白い花など、急な斜面からの眺めはなかなかです。まず山上駅の屋上から久しぶりに神戸市街、大阪湾など下界を眺めましたが、天狗岩からの眺めの方がゆったりしているのでそちらに向かうことにして歩き始める。背の高い木々の茂る緩い坂道の両側はほとんど会社の保養所になっていて歩く楽しみは少ない。時折り登山姿の老人たちや山上路線バスにすれ違う他は、聞こえてくるのは鳥の鳴き声くらいでひっそりとしています。天狗岩はこの辺りだろうと見当をつけて歩きましたがそれらしい雰囲気がなく、両サイドがただただプライベートの敷地に挟まれた道なので山上駅まで戻り地図を見ると、天狗岩は逆方向にあったことが判明。というわけで六甲山上滞在は1時間半くらいでした。うまくするとタラノメとかワラビが取れるかなと期待していたのですが、時期が過ぎていたようで断念したのでした。

◉5月13日(土)/神と音楽 /Musehouse、神戸
 初めて参加したという人だけだったので、ラーガを説明するのはとても大変。オクターヴとか音階の話などにほとんどの時間を費やしたのでした。参加されたのは東京からの青木麻奈さんと、神戸市内の杉山千春さん。終わった後、青木さんのスコットランドにあるフィンドホーンのコミュニティーについてや杉山さんの香りの話などを聞きつつ、近所のカレー屋「のらまる食堂」でカレー打ち上げでした。

 

◉5月14日(日)/capsule一周年記念パーティー/神戸市立海外移住と文化の交流センター1F
 capsuleというのはCAPが始めた冊子です。現在第4号まで発行されていて、第3号ではワダスの自宅も紹介されています。「引退したらまたバンドやりたい」という下田さんとのおしゃべりをはじめ、藤本由紀夫さんに久しぶりにお会いしたり、編集を担当している有吉結子さんと本の話をしたりしながらワインを飲み続けたので最後は結構酔っ払ったのでした。

◉5月18日(木)/短足麻雀@中川家/参加者:植松奎二、東仲一矩
 麻雀とは関係ありませんが、カフェになっている東仲さんの実家がNHKドラマの番組に登場し、なんとそこで踊るということです。
 放映は、NHKEテレ/6月29日(木)22:30~22:54です。

◉5月27日(土)/[舞打楽暦第十六番]/神戸酒心館ホール/出演:久田舜一郎(小鼓)、リチャード・エマート(能管)、中川裕貴(チェロノイズ)、角正之(動態ダンス)、今村源(オブジェ)、川崎義博(ノイズ音響)
 チェロの中川裕貴氏を除けば多くがほぼ80歳近いという出演者の年齢を感じさせない舞台でした。天井から吊るされたティッシュのような白と、舞台に置かれた緑の針金の人体オブジェ、「あははは、もう80なのよね」という黒髪ふさふさの小鼓の久田のますます艶っぽい掛け声と鼓、日本語も完璧に近い能研究者エマート氏の能管や英語謡に、時折り入るノイズ生成器と化したチェロ、そしてスピーカーから流れる電子的なノイズ音響、動きの少ない角さんのダンスは、終始ピンと張った弦のような緊張感を作り出し、最近少なくなっていたゲージュツに触れた気分になったのでした。とはいえ、昨夜の睡眠不足のせいか、抗いがたい強力な睡魔がたびたび襲いかかかる。このような舞台は進化論的にはどう解釈できるのか、などと睡魔と戦いながらぼんやり考えていたのでした。見知った顔も多い50人くらいの観客の年齢層もそれなりに高い。それにしても、最初の出だしで角さんがつけていたVRゴーグルには、おやっ、何が始まるんだろうと、意表を突かれました。
 1時間ほどの公演後、チェロ奏者を紹介したというタマゴこと中川真さん、なんと島原から駆けつけた北田貴子さんと野島泉里さん、久田さんや娘さんの陽春子さん、久しぶりの廣田夫妻、北村千絵さん、ハイディなどなどとチラッとおしゃべりし、「送りますよ」という廣田夫妻に甘えて自宅まで送ったもらったのでした。

◉5月28日(日)15:00~/Sunday Evening Concert/神戸市立海外移住と文化の交流センター1Fsumico/中尾幸介:タブラー、HIROS:バーンスリー
 久しぶりのライブ。会場にふさわしい適度な規模の聴衆でした。タブラーの幸介くんは、息子はる君の子育てであまり練習できていないという割にはしっかりとした素晴らしい演奏で、こちらもなかなかに気持ちよく演奏することができました。
 終わった後のおしゃべりも楽しかった。昨日に引き続きお会いした廣田夫妻をはじめ、下田雅子さん、大野裕子さん、中西すさん、川辺ゆかさんと神戸芸工大に通う姪、途中からは本当に久しぶりの原久子さん、所薫子さんなどなど、カレーを食べながらの談笑は心地よい雰囲気でありました。下田さんによれば、このような会を今後も続けていきたいとのことで、楽しみです。

===この間に読んだ本===
(*読んで損はない、**けっこういけてる、***とてもよい)

◉DVD『大震災・町の変貌全記録』**(喜多章)
 古くからの知人の写真家、喜多さんから「震災の時の写真を整理してDVDを作ってみたんやけど、HIROSさんのバーンスリーの音がぴったりだったので使うてもええ?」という電話をもらって快諾すると送られてきたのでした。阪神淡路大震災の当日から1年間撮り続けたスチール写真がワダスの演奏を背景に次々と現れ、あの時の記憶が鮮明に蘇ってきました。で、このDVDは「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」(〒651-0073 兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通1丁目5−2 東館)に寄贈されたとのことです。興味のある方は見てみてください。後日、喜多さんからはさらに『大爆発 日本の祭り』『Water 水 H2O』『村野藤吾×仕事痕跡』のDVDもいただきました。どれも皆貴重で素晴らしい写真です。ものすごい数の写真を取捨選択して音楽つきでこういうものを作るのは大変だろうなあ。これって販売しているんですかねえ。

◉『骨董病は治りません』*(武田良彦、神戸新聞総合出版センター、2022)
ある日この本が送られてきたのでした。著者が思い出せなく誰だろうと思って開いてみると、表紙の裏に「めんこい通信いつもありがとうございます」という紙片がパラリと落ちてきてきました。とりあえず前書きを読んでみると、著者は山形出身であることが判明し、思い出しました。神戸新聞社に勤めていた山形出身の方でした。お会いしたのは2度ほどしかなく、ほんの短い会話をしただけなのでお顔のイメージも浮かばない。ともあれありがたくいただき読んでみました。新聞に連載されていたエッセイをまとめたもので、読みやすい。骨董に特に興味はないのですが、骨董品にまつわる歴史や失敗談が面白く、あっという間に読んでしまったのでした。

◉『「社会」のない国、日本』**(菊谷和宏、講談社選書メチエ、2015)
 フランスと日本で起きた免罪事件に対するそれぞれの社会の対応の仕方を考察したもの。軍事スパイの疑いがかけられ、軍のトップがでっち上げた証拠や証言に基づいて有罪となったユダヤ系青年将校ドレフュスの事件、これも証言や証拠をほとんど無視し天皇暗殺計画という理由で幸徳秋水はじめ12人が処刑された大逆事件。この二つの事件に対する二人の文学者、エミール・ゾラと永井荷風の対応の比較から、日本には社会=コンヴィヴィアリテがないと著者は主張し、国家と社会の関係を考察していく。
「国家は社会ではない。人が駒ないし部品として扱われる国家とは、いわば一つの機械、正確に言えば一つの制度、道具である。国家とは公の権威をまとうことで社会のふりをした制度に過ぎない」「国家権力にとって人間社会は必要ではない」「その維持のために社会という人間の共生を犠牲にするのは本末転倒」などなど、著者の主張には頷くことが多いが、読みにくい引用の多さにはちと辟易したのでした。

◉『カメのきた道』(平山廉、NHKBOOKS、2007)
 これまでほとんど考えたことはなかったカメという動物についての話。骨格と一体になった甲羅を含めた体の構造、歯はなくその代わりに角質を進化させてきたとか、引っ込める首の骨の構造とか、カメはなかなかに面白い不思議な動物であることはなんとなく分かったのですが、文章があまりに学者的というか、我々の生活に引きつけた表現が不在なので読書の喜びを感じることができなかったのでした。パラパラと飛ばし読みをしたので読了までの所要時間は2時間ほどでした。

◉『プルーストとイカ』***(メアリアン・ウルフ/小松淳子訳、インターシフト、2008)
 読書という行為が実に精妙な脳の働きによって成り立っていることが、脳科学、認知科学、心理学などを駆使して解説されている。人類が記憶の補助として使い始めた記号は初めは数字や象形などの単純なものであったが、その記号を音声と対応させることで記録量が飛躍的に増加する。音声記号の発見は人類にとってその後のとてつもない発展に繋がり、今ではAIにまで至る。
   読書というのは、目から入力された記号をまず視覚情報として視領域で感知し、その組み合わせが指しているパターンをそれまでの時間や空間、様々な経験などの記憶と照合して意味を汲み取り総合する行為です。これは考えてみればとんでもなくすごいことです。この本には脳の中のいろんな複雑な神経回路の接続で初めて成立することが書かれている。
 全体としてもとても刺激的な本ですが、印象に残ったのは、ソクラテスとディスレクシアの話。ソクラテスは考えを文字で表すことを拒んだらしい。なぜか。一旦文字にすればそれ以上考えなくなる、書かれたものには面と向かって反論できないという理由だったとか。そこから著者は2000年以上たった今日のインターネット経由の文字だらけの状況に、ソクラテスの危惧が現実化していることを指摘する。文字は記憶を外部化してしまうので脳の負担は軽くなるが思考するという意味では逆効果になる。今やあらゆる情報であふれるインターネットの存在によって、人は記憶すべきことを外部化しアルファベットを作り出したような古代人の想像力と創造力が損なわれつつあるのではないか。  読字障害というディスクレシアの話も面白い。音声と記号を対応させることができないという病気が実際にあり、アインシュタイン、エジソン、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ロダン、ピカソ、ガウディ、トム・クルーズ、キアヌ・リーヴス、スピルバーグといった有名人がディスレクシアだとは驚きです。
 それにしてもこのタイトルはどうなんだろう。

◉『レジリエンス人類史』*未読了(稲村哲也+山際寿一+清水展+阿部健一他、京都大学出版会、2022)
 最近目にするレジリエンスという言葉は「危機を生き抜く知」という意味だと紹介されている。紙質の関係か、とても重く(650g)、人類学をはじめとした多くの学者の専門的論考が集められた、寝っ転がって読むにはややくたびれる専門書。写真や図版が多いので全体をパラパラと眺め、まともに読んだのは山際さんの部分のみでした。読書用としてよりも資料として手元にあればいいかもしれない。

◉『ペストの夜』***上下(オルハン・パムク/宮下遼訳、早川書房、2022)
トルコ人ノーベル賞作家の最新作。この人の作品はこれまで6冊読んでいますが、本作を含めどれも読みやすいというわけではない。しかし、その独特の雰囲気に浸り切った後の読後感はなかなかに良く、長編映画をたっぷり見たような気分になったのでした。おすすめです。
 19世紀後半、東地中海にあるオスマントルコ領の架空の島で発生したペストの蔓延の様子、西洋で訓練された医師が皇帝から派遣され防疫対策を取ろうとするが、イスラーム地域とギリシャ正教地域に分かれる島民の対立や行政府の対応などでうまくいかないことなど、時代設定、舞台となった場所の違いはあるものの現在のコロナ禍の状況とも共通する。また強大な版図と力を誇ったオスマン帝国が崩壊していくプロセスもなんとなく想像できる。オルハン・パムクは、カズオ・イシグロや村上春樹のように、今やボーン・トランスレイト、つまり発表されたると直ちに各国語に翻訳される作家の一人らしい。

◉『黒いアテナ』上下/未読了(マーティン・バナール/金井和子訳、藤原書店、2004)
 全体にパラパラと眺めてみたけど、結局読みきれず諦めたのでした。それに寝転んで読むには分厚くて重い。550ページ、850gもある。
 古代ギリシアの文明を築いた人々は「黒いアテナ」であったというのが全体の主旨。古代ギリシアが作り上げたとされる民主主義、科学、哲学の延長上にヨーロッパ文明があるみたいな、なんとなくの理解が覆され、欧米人にもショックを与えた本らしい。こうしたイメージは18世紀の主にドイツで捏造されたイメージだったと。大理石のギリシア彫刻のイメージからすると、古代ギリシア人は今の欧米白人のようだったように思い込んでいたけど、どうもそうではないらしい。
 まともに読んだのは上巻の序前の小田実の「『黒いアテナ』のすすめ」でした。小田の文章はとても分かりやすい。

◉『お金とアート』(山本豊津+田中靖浩、KADOKAWA、2020)
 タイトルにちょっと惹かれて読んでみたけど、画廊経営者と会計士の対談で、ほとんど学習できる内容ではなかった。

◉『ものがたり西洋音楽史』**(近藤譲、岩波ジュニア新書、2019)
 中世から現代までの西洋音楽の流れがよくわかる。著者が冒頭で述べているように、これは一つの物語である。全体の流れは一般的に受け入れられているものに近いが、様々な資料の解釈によって異なった歴史の物語もありうると思う。ともあれ、いわゆる西洋クラシック音楽をざっと見渡すにはいい入門書だと思います。

◉『現代音楽史』**(沼野雄司、中公新書、2021)
 西洋古典音楽の調性のくびきからの解放を目指した音楽家たちの試みをたどる現代音楽史の概観。12音技法、セリー、トーンクラスター、非楽音の使用、メタ音楽、偶然性の音楽などなど、創造性に掻き立てられて試みられた芸術「音楽」が次第に聴衆からどんどん離れていった様子がよくわかる。『ものがたり西洋音楽史』と合わせて読んでみると、いわゆる西洋クラシックの大まかな流れが俯瞰できる。非予定調和的音楽のジャンルが広がり、それがクラシックの延長なのかフリージャズなのかポップスなのかの区別がつきにくくなっている感じですが、楽譜があるかないかで区別されるという指摘で納得。

◉『彼は早稲田で死んだ』(樋田毅、文藝春秋、2021)
 早大生、川口大三郎が革マル派によって殺された1972年当時の早稲田大学内で起きていた状況を、反暴力を掲げた学生自治会委員長だった著者が克明に描写した記録。全く同じ時期に山形の田舎から学生として札幌にやってきていきなり学生運動のうねりに巻き込まれることになったワダスの体験とオーバーラップするので今日深く読みました。今から考えると、当時は本当に何もわからないのに全てがわかったような全能感で突き動かされていたことを思い出した。

◉『隠し剣秋風抄』*(藤沢周平、文春文庫、2004)
 箸休めの短編集。高級な和食コースに出てくる小鉢を続けて食べているような感じです。

◉『トルコから世界を見る』**(内藤正典、筑摩書房、2022)
 新書版であっという間に読めますが、内容はきちんとしていて参考になります。ヨーロッパとアジアの結節点にあるトルコから見ると世界はかなり違って見える。日本にいるとトルコの情報は(世界情勢全般についても言えますが)、欧米バイアスがかかっているのです。

◉『気流のなる音』*(真木悠介、ちくま文庫、1986)
 ワダスと配偶者がインドに関心を持っていた頃にちょっと流行ったカルロス・カスタネダの名前を久しぶりに思い出した。メキシコ北部に住むインディオの呪術師ドン・ファンとカスタネダの対話を通して、西洋哲学や近代合理主義の枠を超えた自然や自分を取り巻く世界の新しい解釈を試み、人間解放の拠点を探る、というような内容が主になっている。本自体は古いが、いよいよ混沌状態になりつつある現在の世界の状況を見ると、きちんと読んでみても良い本だと思える。「自分がもうすぐ死ぬということではなくて、私たちすべて、やがて死すべき者として、ここに今出会っているということのふしぎさ、いとおしさ」という文章に、確かにそうだなあと頷いてしまうのでした。

◉『創造とアナーキー』(ジョルジュ・アガンベン/岡田温子+中村魁訳、月曜社、2022)
 著者はイタリアの哲学者。哲学書の場合、訳あるいは訳語の選択のせいなのか、読み進めてもまったく理解できない場合が多いけど、この本もその一つでした。「こうして西洋の哲学が観想的生と無為に割り当てていた本質的な役割が了解される。つまり、真に人間的な実践とは、人間という生きものに固有のものである諸々の働きや機能を働かなくさせることによって、それらをいわば空転させ、可能性へと開いてやることなのだ」なんていう部分は、何となくわかるような、それでいてまったくスッと頭に入ってこない。年齢のせいですかね。

◉『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』*(オードリー・タン、プレジデント社、2020)
 近年話題の台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンの、日本の編集者との長時間インタビュー記録。コンピュータ・プログラムを8歳の時から始めたとか、10代でシリコンバレーで起業したとか、祖父母や両親の話とか・・。トランスジェンダーとかの個人的なことはそれほど触れられていないが、彼の「少数の人が高度な科学的知識を持っているよりも、大多数の人が基本的な知識を持っている方が重要である」というデジタル社会に対する基本姿勢から発想される政策調整の考え方は日本も学ぶべきだなあと思うのでありました。

◉『働かないアリに意義がある』***(長谷川英佑、PHP研究所、2015)
 冒頭にも書きましたが、本当に面白い内容なのでおすすめです。

◉『面白くて眠れなくなる進化論』***(長谷川英佑、メディアファクトリー新書、2010)
 『働かないアリに意義がある』に続いて読んだ長谷川英佑氏の本。進化論の大まかな流れや、これまでの理論では説明できない例が見つかっているというようなことが実に読みやすく書かれていて、タイトル通り「面白くて眠れなくなる」本でした。ワダスも進化論や生物学に関連した本は、ドーキンスや福岡伸一など、結構読んできているのですが、多分、最もわかりやすく気軽に読める本だと思います。

◉『科学の罠』***(長谷川英佑、青志社、2014)
 長谷川英佑氏著作の連続です。科学という「思想」について実にわかりやすく解説しています。つまり、(解釈の幅が広い人文科学以外の)科学というのは、この事象はこう仮定すればうまく説明できるのではないかという仮説を立て、その仮説に基づいて事象を観測し、誰が見てもそうだと納得せざるを得ない結果を得て、その仮説が成立していることを表明すると。
 とはいえ、いかに厳密に観測しても必ず誤差は生じるので科学に絶対はない。原発事故で明らかになったように「絶対安全」という学者は科学の信頼性を大きく損なってしまったことなども述べられています。またどんな結果であれそこには人間の価値観は入り込まない。その発見の過程はアートのような喜びを得る行為であると。途中の「分類」については少し冗長な文章が続きますが、これも生物分類学を科学と取り違えている人がいることをはじめ、科学という思想をきちんと理解していない「科学者」が多いことを指摘したいためかもしれません。というわけでこの本もおすすめですが、以前に読んだファインマンの『科学は不確かだ!』(岩波書店、1998)と合わせて読むとより理解が深まると思うのでした。

==これからの出来事==

 相変わらずヒマですが、たまにちょこっちょこっと何かがあります。

◉6月11日(土)/神と音楽/Musehouse、神戸/Musehouse、神戸

◉6月18日(日)//動態即興「愚者の秤/ぐしゃのはかり」シリーズ風の舞塾(TonPlacer) 、神戸/パフォーマンス:角正之:ダンス、川辺ゆか+HIROS:ヴォイス他