めんこい通信2023年8月29日号

◉生活向上とは
 この通信の冒頭で毎回「皆さまの生活向上にまったく寄与しない」と書いていますが、ふとこの「生活向上」とはどういう意味なのかが気になったのでした。ま、皆様が生命維持のための最低限の衣食住を確保できているということを前提とした上で「向上」するとはどういうことか。
 それまで願望しても叶わなかったより広く快適な居住空間を得る、よりうまく健康に良いものをより多く食えるようになる、衣服や靴やら身にまとうものの色やら形やらの選択肢がより増える、単に体を動かすよりも移動がより簡単で速くなる、よりよく生き延びるための情報をより速く詳しく得ることができるようになる、何かしらの道具を導入して体を動かさなくともよいようになる、非生産的退屈しのぎ系のものに今より多くより安く接することができるようになる、今よりも他者からいい人だと思われるようになる、とかとか、ま、つまるところは現在よりもベターな生活ということですかね。欲を言えばキリがないけど、ある程度の衣食住の条件を満たし、平均寿命に近づいているわれわれロージンにとっては、あんまり生活が「向上」していくイメージが湧きにくいのよね。
 というわけで、ワダスのこの個人通信は間違いなく「皆さまの生活向上にまったく寄与しない」ことは確信していますが、ふと生活向上とはどういうものなのかと考えたのでした。ともあれ、このような毒にも薬にもならない個人通信は、少なくともワダスの非生産的退屈しのぎ系には寄与しているかもしれません。それなのに、毎回これを書くたびに思うのですが、最近はとみに面倒な気分になるのでした。やっぱ、年ですかねえ。

◉汚染(アルプス処理)水放出
 ダム決壊やら、反転大攻勢やら、クラスター弾やら、モスクワドローン攻撃やら、ワグネルの反乱やら、プリゴジン謀殺やらいろいろな情報がダラダラと流され、相変わらずウクライナ=善、ロシア=悪のような構図に終始するメディア環境の中、ウクライナ戦争はまだまだ当分続きそうだし、キシダ初めジミントーや万博やるもんねとひた走るイシンやらの無能無策無責任ぶりには開いた口が塞がらず、まだこんな暑さが続くのかなどとぼやいている最中に、福島原発事故後に溜まった汚染水を海に流すという、もはや救い難い「決断」がなされてしまった。
「勝手にそういうことはしませんので」という漁協への約束をあっさりと覆し、今回の放出は廃炉に向けて必要なのでと東電や政府は申し述べているけど、どういう状態になれば廃炉と言えるのかという定義もはっきりせず、その廃炉が本当にできるのかさえよく分からず、トリチウムは他所の原発(メルトダウンした原発ではない)でも海に流しているから問題ないとか、トリチウム以外の他の放射線核種も含まれている(どんなものがどれだけあるのかは発表されていない)けど微量だからいいのだとか、ちっとも「科学的」とはいえないにもかかわらず、日本産魚介類輸入禁止措置をとった中国政府に「非科学的」だと抗議するとかで、今回の決定のあまりのデタラメさには、憤りを通り越して無常感する感じるこの頃なのでした。大量のエネルギーと生命を消費する戦争もだけど、既得権益最優先のその場限りの行動をしていると、この地球における人類の生存環境はますます悪化していくことは間違いない。
 社会変革にはほぼ無力なロージンであるわれわれは、こうやって愚痴をこぼしてそれなりにやり過ごし、そのうちふとこの世から消滅していくので、ここで何を申し述べようが大した影響も与えることはなく、「今だけ、ここだけ、自分だけ」的であっても問題はないかもしれないけど、われわれに代わって社会をベターな方向にするということを委託したセージ家や官僚たちが、われわれと同じように「今だけ、ここだけ、自分だけ」的思考になってしまっているようでは、ベターな社会は望みようがないではないか。あーあ。
 というわけで選挙の時には「今だけ、ここだけ、自分だけ」的セージ家を選ばないことを望むしかない。もっとも、「今だけ、ここだけ、自分だけ」に徹しているように見える他の生物同様に、所詮われわれも人類も生物の一種だということですかね。

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===これまでの出来事===


 ますます家にいることが多くなるにしたがい、「出来事」が減少しつつあり、ということは書くことも少なくなり、かつ3ヶ月間とはいえ過去を振り返って文にするのも面倒なので、かなり簡略化しています。

◉6月1日(木)/龍野小旅行
 ぼんやりテレビを見ていたら「揖保乃糸資料館 そうめんの里」というのが紹介されていたので、ふと行ってみようかとなったのでした。深い理由も動機もなく単に暇つぶしの小旅行です。もはや文章にする気力がないので以下はメモです。
 10時家を出る。姫路まで新快速。姫路から姫新線1両のディーゼル汽車で東觜崎駅下車。昼食には間がある11時ころ、案内板に出ていた「磨崖仏」見物のため歩く。1時間くらいの間に見かけた人間は二人。歩行者保護とは全く無縁の田舎道でやたら交通量が多い。ガードレールと路肩の幅が狭く、大型トラックが通ると危険を感じる。揖保川。案内板に従って階段を上って小さな神社へ。ハイキングコースなるものは見当たらず、くたびれた祠の前庭横を登る。配偶者がつまずいて膝をすりむく。足をガクガクさせつつ降りて揖保川沿の道を歩く。磨崖仏があった。縦1.5Mほどの小さなもの。室町時代に彫られたらしい。「揖保乃糸資料館 そうめんの里」へ向かう。小雨。客は我々含め数人。1階お土産屋、そうめん試食。300円で2回の資料館へ。人形を使った古い素麺製造工程。写真、パネル、プロジェクター。1階の併設食堂「宴」で生ビール、本日のおすすめ定食(そうめん、ご飯、棒棒鶏)、唐揚げそうめん。しめて3100円。市街地へ向かう。揖保川沿いの道を歩く。市街地までは遠い。堤防の草花。NTTのアンテナを目指す。市街地に入り、本竜野駅へ。歩行距離13キロほど。姫路駅、駅前の山陽百貨店地下。ゴボウ天。三宮からポロとライナーで帰宅。5時。

◉6月10日(土)/神と音楽WS/Musehouse、神戸

◉6月17日(土)/マレー飛鳥×北村聡 /100BANホール、神戸居留地
 ヴァイオリニストの飛鳥さんの久しぶりのライブが神戸であり、居留地の古い高砂ビルの100BANホールに出かけました。二人ともとんでもなくすごいミュージシャンなのに、この日の聴衆は20人足らずで、なんとももったいない。
 飛鳥さんの演奏がやはりとても良かった。ものすごく速くややこしいパッセージでも一つ一つの音が驚くべき正確さで繰り出され、その音色にはどこかまろやかな円熟味が増しているようでありました。さまざまな作曲家の作品でしたが、それぞれが演奏家に超絶技巧を求めるものでした。全く、すごい演奏家です。
 この日初めて聞いたバンドネオンの北村聡さんもとても良かった。まともにバンドネオンの演奏を聞いたのは初めてでした。アルゼンチン・タンゴなんかで聴く機会が多かったのでてっきり楽器の発祥もそこら辺かなと思っていましたが、ドイツ発とのこと。アコーディオンのように利き手の側にキーボード、逆側に和音のボタンというようにはなっていなく、両側に大量のボタンが並んでいます。これらのボタンを間違わずにものすごいスピードで押すというのには大変な訓練が必要です。さらに驚いたのは同じボタンを押していても蛇腹の押し引きで音程が半音変わる構造になっているらしい。こんなややこしい楽器を苦もなく操り、ややこしい現代曲を楽しそうに演奏する北村さんには頭が下がるだけでした。
 ライブ後、三宮のビル地下にある居酒屋でミニ打ち上げでした。参加したのは演奏家二人、主催者の安田さんとワダス。ちょこっと飲み食いし、安田さん、北村さんと別れた後、我が家に泊まることになっている飛鳥さんとワダスは帰宅し、セントルイスにいるダンナのジェフリーとネット経由で話したり、互いの生活のことなどをダラダラとおしゃべりしました。彼女は今回の北村さんとのツアー後はイタリアツアーだという。後でFacebookを見ると、ローマのコロセウムの前で演奏している写真がありました。

◉6月18日(日)/動態即興「愚者の秤/ぐしゃのはかり」シリーズ/風の舞塾(TonPlacer) 、神戸/パフォーマンス:角正之:ダンス、川辺ゆか+HIROS:ヴォイス他

◉6月19日(月)/矢作氏歓迎宴会/つつい商店、上沢/参加者/佐久間華、中山玲佳、戸矢崎、谷口保文、田口史樹、坂本太郎夫妻、アレハンドラ、三島一能、下田展久、平林沙也加
 メキシコ在住の矢作さんが再来日して神戸芸工大で講義が行われ、その後の打ち上げに参加したのでした。「つつい商店」という居酒屋はなかなかいい感じでした。何を聞いたのか、何を喋ったのかはほとんど忘れてしまい、参加人数が多かったのでそれぞれの人とおしゃべりするのは難しかったのですが、料理と酒を十分に堪能。唯一のメキシコ女性のアレハンドラはどこかで見たような気がしたので聞いてみると、なんとハラパで大学に向かう時に車で案内してくれた女性でした。全く、最近は記憶に自信がなくなりつつあるのでした。
 2次会は谷口保文さん、田口さんと「アビョーン」へ。なんだかその辺の街でたむろしているアンチャン風の田口さんは大変なジュエリーデザイナーなのだと知りました。うーむ、人は見かけによらない。

◉6月21日(水)/野菜差し入れ
 北海道旅行の帰りにいつものように同窓生の大塚保則さんからじゃがいも、ニンニク、玉ねぎをもらったのでした。1週間前に彼から「朝6時は起きている? 野菜届けるけど」との連絡。その時間のわれわれは夢の中だと返答したところ「車は駐車場に1週間置きっぱなし。野菜は車に積んであるが1週間はもつであろう」というわけで、炎天下自動車内で保存されていたにもかかわらずとても元気な野菜をいただいたのでした。

◉7月11日(火)/短足麻雀@中川家
 東仲一矩さんと植松奎二さんとわれわれ夫婦で月に一回の割でやっている短足麻雀ですが、この回以降はしばらく休み。というのは、まず東仲さんが翌々日からほぼ1ヶ月の入院、植松さんはドイツでの本拠地デュッセルドルフのアトリエを引き上げるということもあり9月まではヨーロッパという事情なのでした。彼らに比べるとわれわれの生活は変化に乏しい。

◉7月17日(月)禁煙
 1ヶ月で挫折。1日1-2本の減煙続行中。

◉7月30日(日)/動態即興「愚者の秤/ぐしゃのはかり」シリーズ/風の舞塾(TonPlacer) 、神戸/パフォーマンス:角正之:ダンス、川辺ゆか+北村千絵+HIROS:ヴォイス他
 ほぼ月に一回、角さんのスタジオで行っている実験に、常に意表を突く声の魔術師北村千絵さんが加わり、ワダスのドゥルパド声楽、川辺ゆかさんの軽やかな声が重なり、これまでにない音響空間が出現したのでした。われわれの出す声に角さんをはじめとしたダンサーの反応も徐々に変化してきたように見えたのでした。

◉8月9日(水)/タカンバロ組おしゃべり /CAP事務所、海外移住と文化の交流センター/参加:淺野夕紀(美術家、ベルリン在住)、下田展久(CAP元代表)、角正之(舞踊家)、Hiros、平林沙也加(美術家)、森田優希子(美術家)
 2019年に訪問したメキシコのタカンバロのプロデューサー、マリナから「カナダ人と結婚したのよね。でも夫はタカンバロ生活には慣れないようで、そのうち引っ越す予定。その前にまたCAPメンバーと一緒に何かやりましょう」とのメールが団長の下田さん宛に届き、前回渡航したメンバーが集まって「ぜひまた行きたいねえ」ということになり、ま、同窓会みたいなおしゃべり会を行ったのでした。でその後どうなったかというと、下田さんが「こちらは再訪の強い意志あり。そちらの受け入れ体制が整えば、われわれは渡航助成申請を直ちに行う」と返信したが、その後はマリナからの返答がなく宙ぶらりん状態となったのでした。「結婚したのよ、わあーい」というだけのメールだったのかなんともいえませんが、われわれの渡航願望意欲はにわかに収縮してしまったのでした。

◉8月19日(土)野菜差し入れ/ミニトマト、イチジク、オクラ、ゴーヤ、ピーマン
 タイから帰国する息子さんの出迎えのついでに、例によって大塚さんから野菜関係差し入れでした。いつもいつもありがたい。

◉8月20日(日)/動態即興「愚者の秤/ぐしゃのはかり」シリーズ/風の舞塾(TonPlacer) 、神戸/パフォーマンス:角正之:ダンス、川辺ゆか+北村千絵+HIROS:ヴォイス他
 この日は驚いたことに渡辺桃子さん、桜井類君が参加しました。渡辺桃子さんは、以前「ゼロ円生活」という意表をついた実験を自らに課して1年間過ごしてみたという報告をCAPで行なった、まだあどけなさの残る若い女性。その時いただいた彼女の記録ブックレットがなかなかに面白かった。現在はアルバイトをしながら京都に住んでゼロ円とは無縁な生活を送っているとのこと。その彼女がまさか角さんのプロジェクトに参加してくるとは想像しなかった。同じようにCAPメンバーで普段は美術活動をしている桜井類君の参加もちょっとびっくりしたのでした。彼は以前よりもぐっとしまった顔つきで舞踊家のような表情でした。

◉8月22日(火)/インド音楽鑑賞講座「バイラヴィーというラーガと音楽を画像化しようとしたインド」/sumico、海外移住と文化の交流センター/HIROS:講師
 インド音楽についてほとんど知らない人々に、ラーガを理解してもらうのはいつも難しくて、案の定、まとまりのない話になってしまい反省しきりなのでした。参加者にはヒンドゥスターニー音楽でもっとも演奏されるバイラヴィーというラーガのメロディーの例を実際に声に出して歌ってもらいました。それでラーガを理解してもらったかどうかはなんともいえませんが、どうだったんだろう。
 打ち上げは、階上で作品を展示していた押し絵作家の平林沙也加と旦那の健ちゃん夫妻、下田展久・雅子夫妻、ワダスといったメンバーで、下田さんが最近発掘したという中華の「豊味園」へ。空芯菜や蒸し鶏がなかなかの味でした。

◉8月25日(金)/華の湯
 ある事情で避難を余儀なくされ、妙法寺に近い温泉施設「華の湯」で一日時間潰しなのでした。
 事情というのは、上階の部屋の改修工事です。前日、朝の定例手続きが終わり、さあ、練習でもしよか、と思った時、天井から突然大音響が響きはじめ、なんだなんだと上の部屋の改修工事現場を見にいくと、数人の職人たちが床上のモルタルを引き剥がす作業をしていたのでした。我が家の天井つまり上の階の床面を直にはつるのでその音量はただ事ではない。スマホの騒音計は最大105デシベルを指している。会話ができないのはもとより、ネットで調べると聴覚障害の原因にもなるというレベルでした。工事業者に連絡すると「明日道具を増やして削り作業をする。1日で終えるのでその後はない」とのことで、この日5時まで家を出ることにしたのでした。レンタカーを借りて出石まで蕎麦を食べに行こか、とも思いましたが運転は疲れそうだし銭もかかるしというわけで、向かったのが「華の湯」。
 ポートライナー、地下鉄、市バスを乗り継ぎ1時間半でラジウム温泉「華の湯」に到着。起伏のある斜面に立ち並ぶ住宅が途切れそうな藪の中(バス停の名前は「藪中」、地名は「須磨区妙法寺字藪の中」)に立つ特徴のないビルでした。特別料金のサウナとか岩盤浴を選ばなければ入浴料は市内の銭湯と同じ450円です。安い。
 屋内と屋外に分かれた浴場にはワダスと年の変わらない数人のおっさんが形の違う湯船に浸かったり、軒下のコンクリートに寝っ転がっていたりしている。ワダスは屋外の露天状態の浅くて広い湯船に浸かって、持参した防水仕様のキンドルで須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』を読み始めたのでした。これまで何度か読みましたがほとんど忘れているので新鮮です。あらためて須賀敦子の文章の味わい深さを堪能したのでした。
 浴槽から上がり予約していたマッサージ45分コース(3100円)ですっかりふにゃふにゃになったワダスは、ビールを飲んで待っていた久代さんと合流し、館内のレストランで、実は温泉よりこっちの方が知られているらしい麺自慢のラーメンを食べたのでした。某ネットで調べると「兵庫で人気のラーメン」ランキングTOP10の第1位とのこと。順位の基準はよくわかりませんがGoogle調べではどうもそうらしい。
 というような、なんとも普通で地味な時間潰しをして帰宅したのが、工事が終わった5時過ぎでした。ま、たまにはいいか。

◉8月26日(土)/HIROSライブ~ラーガ音楽即興の世界 /花隈よしの、神戸/中尾幸介:タブラー、HIROS:バーンスリー
 久しぶりのライブでした。滋賀に住む幸介君のタブラー伴奏でラーガ・マドゥヴァンティーを演奏しました。演奏後、超厳選聴衆の一人の挨拶を受けびっくりでした。なんと、昔アミット・ロイたちとの大分演奏旅行でお世話になった元毎日新聞記者の田畑知之さんでした。田畑さんは毎日新聞を2年前に退職され、現在は姫路文化コンベンションセンター「アクリアひめじ」のマネージャーをされているそうです。
 打ち上げは、主催者の森すみれさん、幸介君とで近くの焼き鳥屋「とり好」でした。カウンター後ろのテーブル席に座っていた親子連れの青年からタバコをいただいたのをきっかけに、にわかに賑やかなおしゃべり大会になったのでした。

 

◉8月27日(日)/Sunday Evening Concert インドの擦弦楽器/神戸市立海外移住と文化の交流センター、神戸/中川・ユージ:サーランギー、グレン・ニービス:タブラー、HIROS:進行
 22日の講座で紹介したラーガ・バイラヴィーのフル演奏を聴くということで、Yuji君とグレンさんをお呼びしてたっぷり演奏してもらいました。バイラヴィーのフル演奏というのはインドでも滅多にないせいか「すごいプレッシャーです」というYuji君の演奏は素晴らしく聞き惚れてしまったのでした。「英語でギター」みたいな教室を主宰し大忙しのグレンのタブラーも相変わらず素晴らしかった。
 聴衆には、講座から続く下田雅子さん、平林沙也加と健ちゃん、中西すさんの他、高橋怜子さんと旦那のヨシキさん、来日中のサントゥール奏者アライ・タカヒロさんと奥様のユウコさん、京都から渡部愛さん、ものすごく久しぶりに顔を見たシタールの中山智絵さんや南野佳英さんの姿も。
 片付けの後、ポートアイランドの実家に寄るという南野佳英さんの車で送ってもらい、楽チンでした。

===この間に読んだ本===
(*読んで損はない、**けっこういけてる、***とてもよい)

◉『保守の遺言』*(西部邁、平凡社新書、2018)
 2018年1月に79歳で自殺した著者の、オレ以外の日本人はバカだ、というようなことを全編言い続けた最後の著作。外国語まじりの難解な言葉と文脈に、下賤な罵り言葉が混入した不思議な文章が延々と続く。「巷間に溢れているのはカネやモノやクスリに関する言葉だけ」とか、首相であったアベを実際主義者と呼びその特徴を「現在に関する視界が狭い」「未来に関する視野が短い」とバッサリと言い切り、マス(大衆)は「現在の一瞬あるいはごく短期の近未来にしか関心を持たぬまま生き延びて、気が付いたら死んでいる人々」であり「おのれらの生息する社会が公共基準を必要としているということに対する配慮、それがマスにあってはきわめて少ない」といった言葉にスッキリするが、こんな断定できるほど自分自身がマスの一部ではなかったと言えるのだろうか。

◉『四角形の歴史』(赤瀬川原平、ちくま文庫、2022)
 薄く軽く文章が少なく絵入りなので10分で読了。1冊を読み切った最短時間。とはいえ、それぞれの文章や絵は味わい深い。

◉『インタビューズ』**(クリストファー・シルヴェスター編/新庄哲夫ほか訳、文藝春秋、1998)
 分厚く重い(800g)。スターリン、フィッツジェラルド、ツヴァイク、ピカソ、ガーンディー、フルシチョフ、ヒッチコック、ヘミングウェイ、ケネディ、マリリン・モンロー、ナボコフ、ジョン・レノン、サッチャー、毛沢東など、歴史上よく知られた人物38名へのインタビューはなかなかに面白かった。インタビューを受ける人々の口から話されると、書かれたものとは違ったビビッドな人物像が浮かび上がる。しかし何よりも読み応えがあり印象に残ったことは、聞き手の想像力と表現力の豊さでした。

◉『ぼくらはそれでも肉を食う』**(ハロルド・ハーツォグ/山形浩生+守岡桜+森本正史訳、柏書房、2011)
 人間と動物の関係を考える人間動物学という学問分野があることを初めて知りました。世の中には、特にアメリカに多いらしいけど、動物にも人間と同等の権利があり、その権利を犯すような接し方、つまり実験に使ったり、残酷な殺し方をしたりすることに反対する人々がいる。極端な例では、動物実験を行っている研究者を襲うなどとテロリストのようになる人もいるらしい。そこまで過激ではないが周りにもビーガン、つまり純粋菜食主義者が何人かいる。我々はこれまでずっと肉食主義できて、そのことになんの問題も感じてこなかったし、そもそも人間は古来肉でも魚でもなんでも食べ、それらの動物の骨やら筋肉やら羽やら毛皮やら内臓やらを加工して衣類や生活道具を作り利用してきて今日まで生き延びてきた。
 しかし、鴨南蛮そばを食いながら、矢が刺さった鴨のニュースに「なんてひどいことを」とか思ってしまう。台所に現れるゴキブリやネズミと、飼い犬や猫、知的とされるイルカやチンパンジーのように、殺していい動物とそうではない動物の境界線はどこにあるのか、なんてことを真剣に考える始めると、人間がとても偽善的な生き物であることが浮かび上がってくるという。というわけで、今までほとんど考えたことがなかっただけに新鮮な読書でした。

◉『人口で語る世界史』**(ポール・モーランド/渡会圭子訳、文藝春秋、2019)
  自然な状態では、生活資源は算術級数的に増加し、人口は幾何級数的に増加する。なので、人口制限をしなければいずれ生活資源は枯渇し貧困化は免れない、と18世紀後半にマルサスが述べたとされる。しかし、19世紀に入り、まずイギリスで人口が大幅に増え、それが次々と他の世界に広がり、その結果、その後の歴史は重大な影響を受けた、という著者の見方に納得した。歴史はもちろん人口動態だけで変化するわけではないが、人口動態は戦争など国際関係にも大きな影響を及ぼしていると。人口増加の原動力は、乳幼児死亡率の低下、出生率、移民だという。産業革命、植民地によって富が増大したイギリスは、北米などに大量に人が移動してもなお本国の人口は増加し、それが大英帝国の繁栄に寄与したと。しかし、近代化、都市化が進むと、女性の教育、雇用、避妊具の発達などによって一人が産む子供の数は減っていき、やがて人口は減少へ向かう。極端な人口抑制政策をとった中国やインドの例もあるが、近代化によって減少し、政治による人口動態のコントロールはあまり成功しない。アメリカ、ヨーロッパはそうした減少を他の地域からの流入によってある程度の均衡を保っているが、流入が極端に少なく、婚外子への嫌悪、女性の教育水準の高さと自立、結婚やセックスに興味のない草食系男子の増加などによって日本では人口減少は止まらないだろうと著者は予測する。「異次元の少子高齢化対策」に実効性があるとはとても思えないなあ、と思ってしまうのでした。ともあれ、現在の世界を理解するにはこうした視点は欠かせないと思う。

◉『コロナ後の世界』**(大野和基編、文春新書、2020)
 ジャレド・ダイヤモンド、ポール・クルーグマン、リンダ・グラットンなど、「世界の知性」のインタビューをまとめたもの。なんだか、こうすれば売れそう、という感じで出されたようにも見えます。それぞれの「知性」にはそれぞれ深い洞察と思考があるけど、新書なのでどうしても通りいっぺんの記事になってしまった点が残念。印象に残ったのは、スティーブン・ピンカーのポジティブな指摘。「多くのジャーナリストは現状に満足することを防ぐために、ネガティブな内容を報道して、人々に行動を起こさせることが義務だと思っています」というのはとてもうなづけるのでした。

◉『偉い人ほどすぐ逃げる』*(武田砂鉄、文藝春秋、2021)
 著者の、社会の観察者としての感覚はまっとうとも思えるが、「偉い人」たちの矛盾に満ちたおかしさと人々の忘れやすさを利用した責任逃れの醜さを延々と綴られても、どうしてそうなるのかとか、こうすればいいんじゃね、というようなことをもっともっと深く掘り下げていけば、単なる軽い読み物以上になったものをと残念に思うのでした。それにしても、日本の「偉い」人たちの、町内会的ノリで物事を決めていくあり方には、それがあまりに広範囲に浸透しているので絶望的な気分になる。

◉『帝国の落日』上下***(ジャン・モリス/椋田直子訳、講談社、2010)
 いろんな本は読んで、ああこの本に出会えて幸福だった、という感覚になることは滅多にないけど、このそこそこに厚い上下本には久々に幸福感を味わうことができたのでした。内容は1897年のビクトリア女王即位60周年記念式典から1965年のチャーチルの死去までの大英帝国盛衰記です。とにかく面白い。どんな本かは、上巻冒頭の序文でうまくまとめられているので引用します。「帝国という理念が輝きを失い、国民の関心が薄れるとともに、帝国の美も色褪せたのは否定できない。さわやかな美しさばかりだったとはいえないが、壮麗さと生命力に溢れていたのは事実である。そして、大英帝国が傲慢なまでの確信と、神意による徳行の意識を失ったとき、帝国の形は見事さを減じ、輪郭は明確さを減じた。したがって本書が綴るのは、惜しがる気持ちを伴わない哀しさである」。先の『人口で語る世界史』に続けて読み、現在翻訳しているインド音楽の歴史とも関係しているせいか、壮大でその没落が物悲しいイギリスという島国になんとなくシンパシーを感じ、わが日本も似たような道を辿っているのかと思えてくる。

◉『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』(山岸俊男、集英社インターナショナル、2008)
「社会心理学から見た現代日本の問題点」(副題)を指摘しようとした本ということになっている。「横並び意識」「集団主義的」などなど、これまでよく世間で言われてきた「日本人性」は、基本的に他者を信じることができないということから来ているという。日本人が利己主義的であるということは我が身を振り返れば納得できるが、議論がちと大雑把に感じられる。著者は、人間には心の道具箱があり、一つは「信頼性検知能力」であり、もう一つが「関係性検知能力」なのだという。他者を信じられないので「信頼性検知能力」は育まれず、いわゆる空気を読む、つまり「関係性検知能力」にたけていると。なるほどと思いますが、ワダスにどうしろというのか。

◉『面白くて眠れなくなる数学』(桜井進、PHP文庫、2017)
 タイトルに惹かれて読んでみたが、あまりにつまらなくて眠くなったのでした。数学周辺の話は面白くて、これまでもいろんな本を読みましたが、面白いかどうかは著者の想像力の幅によることが、この本を読んで諒解したのでした。同じシリーズの『面白くて眠れなくなる進化論』(長谷川英佑、PHP研究所、2015)はとても面白かったのに、残念。

◉『隠れナチを探し出せ』***(アンドリュー・ナゴルスキ/島村浩子訳、亜紀書房、2018)
 ちょっと時代遅れで、もういいんじゃないのという気分もなくはない気が滅入る話題だが、あまりに面白くて一気に読んでしまったのでした。本書の「はじめに」に「ナチ戦犯のほとんどはヒトラーの後を追う気などなかった。低い位の者は隠れようとすらせず、新生ヨーロッパで人生を立て直そうとする何百万もの人々の中に素早く紛れ込んだ。もう少し危機感の強い者は大陸を離れた。どちらもカメラーデンと呼ばれるナチ残党のネットワークや忠実な家族の助けを借りて、長いあいだ戦犯としての責任を逃れることに成功した」とある。本書は、こうした隠れナチを誰がどのようにして探し出したのか、狩る側と狩られる側双方の背景、その結果と社会的意味などを、客観的、普遍的視線で描いていく。狩る側の執念が復讐から社会教育へと変化し、それが現在のドイツ人たちの贖罪心理へと導いたというあたりは、日本が同じようなプロセスを経ずに今日まで至っていることと比べると考えてしまう。

◉『2052 今後40年のグローバル予測』*(ヨルゲン・ランダース/野中香方子訳、日経BP社、2013)
 2052年に世界はどうなっているのかを予測したとても分厚い本。数字を中心にしているので現実感は薄い。人間は、長期的視点に立って未来に予想される危機に一丸となって対処するという思考をとることがなく、各地域で対策はそれなりに取られ改善される物事はあるにせよ短期的・利己的にしか動かないという前提が著者の予測の視点で、今から30年後、つまり我々がこの世にはいない2052年はあまり明るいとは言えなさそうです。

◉『世界を救う100歳老人』**(ヨナス・ヨナソン/中村久里子訳、西村書店、2019)
 能天気で超楽天的な101歳のスエーデン老人の主人公のその場限りの思惑や行動が、実名で登場する金正恩、プーチン、トランプ、メルケルやらの「国際政治」的判断を混乱させ困惑させ、最後はほっこりさせるドタバタ活劇。『窓から逃げた100歳の老人』の続編です。『国を救った数学少女』『天国に行きたかったヒットマン』『窓から逃げた100歳の老人』とこの著者のものは以前に読んでゲラゲラ笑ったものでしたが、今回もなかなかに楽しめたのでした。

◉『空白を満たしなさい』(平野敬一郎、講談社、2012)
 自殺したとされる男が生き返り「実は殺されたのだ」と主張し殺した犯人を探し出す、というなんとも不可思議なお話ですが、途中で挫折しました。

◉『コルシア書店の仲間たち』***(須賀敦子、Kindle版)
 温泉の湯船に浸かって読み、幸せな気分になりました。何度読み直しても須賀敦子の文章は素晴らしい。

==これからの出来事==


 

 相変わらずヒマですが、たまにちょこっちょこっと何かがあります。

◉9月24日(日)/動態即興「愚者の秤/ぐしゃのはかり」シリーズ/風の舞塾(TonPlacer) 、神戸/パフォーマンス:角正之:ダンス、川辺ゆか+HIROS:ヴォイス他

◉10月28日(土)/ラーガ講座/Musehouse、神戸

◉11月9日(木)/浄土宗兵庫教区大会/和田山/グレン・ニービス:タブラー、HIROS:バーンスリー