めんこい通信2023年11月29日号

◉オプティミスティックペシミスト
 ぼんやりと時間だけが経っていく我々の生活ですが、テレビやネットを通して様々なニュースが入り込んできます。一般的なニュースはほとんどが喜ばしくないザワザワですが、そうしたザワザワがなければメディアも商売できない。ま、退屈しのぎという面もあるけど、我々は毎日ザワザワに付き合わされるわけでありますね。
 さて、ウクライナでザワザワしていたと思ったら今度はガザでザワザワしだした。地球環境的にみて最大のやばいザワザワは温暖化問題のはずなのに、戦車やら軍用車両やらが大量の二酸化炭素を吐き出し、ミサイルやら自爆ドローンやら爆弾やらがバカスカ爆発し、地球沸騰化へと向かう状況が続き、こっちはいいけどあっちはダメみたいな権力者たちの話を聞き、どうやって愚かで無駄な殺し合いを止めたら良いかわからず嘆き悲しみオロオロしている人間の姿を見ると、人間以外の生物の「今だけここだけ自分だけ」的生き方を少しは「良い」方向に変えてきたかと思われた人道だの理性だの倫理だの民主主義だの正義だのといった「人類共通の正しい」理念なんてものはもともと幻想だったように思えてくる。まるで人類全体が本格的に狂い出し滅亡への道に向かっているように感じられるのでした。 「欲を捨てれば苦しみはない」と説いたお釈迦さんの時代にもほとんどの人間が目の前の「欲」を制御できなかった結果こうした「教え」が登場してきたわけだし、2500年以上経った現在でもあらゆる混乱や困難や悲劇の原因が、中身は多様化したとはいえ相変わらず「欲」が原因だとすればこれからもずっとそうだろうし、それが地球レベルになれば人類は滅亡するしかないのではないか。
 ま、地球上の人間が種の生存可能人数を超え、それを遺伝子が感知し始めたというサインなのかもしれない。男性の精子の数が減ってきたなんて話を聞けば、進化生物学的レベルで種としての変化が起きつつあるのではないかとも思えてくるのでした。
 というように実際に滅亡へ向かっているのだとしたら、我々は稀有な現象の始まりを目撃しつつあるのかもしれない。爆弾もミサイルも強盗も詐欺も火事も今のところ大地震も親族の不幸もなく、ザワザワがほぼゼロのワダス周辺では、社会的交渉もほぼなくなり、淡々と時間だけが過ぎていく今、ひょっとしたら最高の観客席に座って壮大な出来事を眺めている最後の存在なのかもしれないと、ふと思うのでした。こういう考え方って、楽観的悲観主義者(オプティミスティックペシミスト)とでも呼ぶんですかね。あるいは、悲観的楽観主義者(ペシミスティックオプティミスト)?
 ところで、「人類は滅亡へ向かっているという考え方をどう思いますか」という質問を今流行のChatGPTに聞いたところ、以下のような回答でした。
「人類が滅亡へ向かっているという考え方は、様々な観点から検討されるテーマです。まず第一に、環境問題、資源の枯渇、気候変動など、地球環境に対する人間の影響が深刻な問題となっています。これらの問題が解決されない場合、将来的には人類に大きな影響を与える可能性があります。また、戦争や紛争、核兵器の使用など、人間の行動による脅威も考えられます。社会や国際関係の不安定さが、人類の未来に暗い影を投げかけることがあります。しかし一方で、科学技術の進歩や国際協力の取り組みなど、人類は過去にもさまざまな困難を乗り越えてきました。持続可能な開発や環境保護、平和の構築など、解決策を見つけるための取り組みも進んでいます。結論として、人類が滅亡へ向かっているという考え方は懸念すべき点がありますが、同時に問題に対処するための機会も存在します。持続可能な未来を築くためには、個人や社会、国際社会全体が協力して取り組むことが必要です」
 うーむ、何かしら言っているようで何も言ってなく、一見それらしい回答をそれなりに文法にかなった言い方で反応させていますが、こうしたことにとんでもなく大量のエネルギーを消費しているというのはどうなんだろう。

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===これまでの出来事===


 ますます家にいることが多くなるにしたがい、「出来事」が減少しつつあり、ということは書くことも少なくなり、かつ3ヶ月間とはいえ過去を振り返って文にするのも面倒なので、かなり簡略化しています。


◉9月22日(金)/ミニ同窓会/アサヒスーパードライ梅田、大阪/参加者:安藤朝広、HIROS、湊隆、矢尾真
 前回のミニ同窓会は2022年3月24日(木)でしたので約一年半ぶり。体調を崩したという奥山さんを除くメンバーが梅チカのアサヒスーパードライ梅田でランチ宴会でした。昔話と、じわじわと年寄りになっている姿を確認する会のようなものでした。
 夕方に新幹線で埼玉に帰宅するという矢尾の提案で湊、ワダスの3人連れで神戸元町のジャズ喫茶「JamJam」へ。壁際の1対のでかいスピーカーから猛烈な音量のジャズが流れ会話は不能。学生時代にあったジャズ喫茶のスタイルがまだ残っているんですね。

◉9月24日(日)/動態即興「愚者の秤/ぐしゃのはかり」シリーズ/風の舞塾(TonPlacer) 、神戸/パフォーマンス:角正之:ダンス、北村千絵+川辺ゆか+HIROS:ヴォイス
 このシリーズは今年の2月から月に一回の割で角さんのスタジオで行われてきましたが、この回から声による変幻自在な表現を駆使する北村千絵さんがほぼ定例で加わることになったのでした。透明な歌声の川辺さん、そして常に意表を突く北村さんの声音響効果とワダスのなんちゃってドゥルパド声楽という不思議な組み合わせが、角さんのいう「愚者、つまりエゴを超えた」ダンスにどう結びついていくのか、角さんの実験はまだまだ続きそうです。

◉10月9日(月)/午前6時/野菜差し入れ
「種子島へ行くので神戸空港へ向かう。朝の6時だけど起きてるかな」と例によって格安チケット入手名人の同窓生の大塚さんが、ナス、ピーマン、ゴーヤ、サツマイモ、玉ねぎなど大量の野菜を持ってきてくれました。いつもいつもありがたい大塚さんの飛行機の旅なのでした。

◉10月12日(木)/マレー飛鳥・林正樹DUO/100番ホール、神戸
 6月に同じホールでコンサートをしたヴァイオリニストの飛鳥さんが予告通り神戸再訪。ライブを見に行ったのでした。今回の共演者は林正樹さん。この人もなかなかのピアニストでした。ホール中二階のソファに座って見下ろしながらそれぞれややこしい技術を駆使した音楽を堪能しました。オリジナル曲の多い二人の音楽を簡単に他者に伝えるのは難しい。いわゆる現代音楽ともクラシックとも違うし、けっこう複雑なのでミニマル音楽とは真逆のように見えるし、ジャズ、フリー・ジャズ、ポップスとも違い、独自のジャンルとしかいいようのない。そのせいもあるのか、聴衆の数は前回同様やはりかなり限定的でした。
 体調があまりよくないという主催者の安井さんとは会場で別れ、林さんはそのまま翌日の公演先である広島へ向かい、飛鳥さんは例によって我が家宿泊でした。翌日、三宮の「えびす寿司」でランチ後、飛鳥さんは新幹線で広島へ向かったのでした。

◉10月14日(土)/駒井家宴会/芋煮会
  たまに開かれる家族的宴会で、今回は芋煮、あきあじ、金目鯛の焼いたの、幸雄さんのインドネシアの調査旅行土産のカリマンタン酒などでダラダラと過ごしたのでした。

◉10月18日(水)/Zoom会議

◉10月19日(火)/短足麻雀@中川家

◉10月29日(日)/動態即興「愚者の秤/ぐしゃのはかり」シリーズ/風の舞塾(TonPlacer) 、神戸/パフォーマンス:角正之:ダンス、北村千絵+川辺ゆか+HIROS:ヴォイス
 このシリーズは次第にダンスと音楽にある種の関係が生まれつつあるようです。それにしても、かなり難解なスミッシュを駆使して参加者に解説する角さんのエネルギーにはいつもながら感心します。なにしろ角さんはワダスよりも3つ年上なのよね。

◉11月5日(日)/ポートアイランド ・リユース市場
  もうこれから読みそうにない本を供出し、代わりに住民たち提供の本の山を物色し、数冊入手しました。こういう物々交換会は、地縁のない人口島では貴重な集まりです。

◉11月9日(木)/兵庫ダーナの会/和田山ジュピターホール 、朝来/グレン・ニービス:タブラー、HIROS:バーンスリー
 2019年3月にフラメンコの東仲さんのパートナー田村珠紀さんの実家の圓龍寺で演奏したことがありました。その時、珠紀さんの弟で住職の田村善隆さんから、来年の檀信徒大会でまた演奏して欲しいとの依頼がありました。コロナ禍で延期となっていたのですが、ようやく実現となりました。
 三ノ宮駅で待ち合わせ、珠紀さんと8時13分発「はまかぜ1号」に乗り和田山へ出発。姫路、生野銀山を経て和田山へ至る2時間弱、珠紀さんにいろいろ話を聞きました。お寺に生まれた少女時代、電車で通った生野高校時代、たまたま歯を診てもらいに行った神戸の歯科医にスカウトされそのまま現在まで務めているとか、その歯科医のクリニックには外交官を含めた外国人や有名な外国人野球選手がいたとか、東仲さんとどうやって知り合ったのかとか、なかなかに面白い話を聞いているうちに2時間はあっという間に過ぎ、和田山駅に10時3分に到着でした。
 駅前ロータリーで植松さんの作品「浮くかたちー宙」を見つつ待っていると善隆さんが迎えにいらしてワダスはそのまま会場のジュピターホールへ。1000人ほど入る大ホールのある立派な会場です。控え室に落ち着いてしばらくしてグレンとのりなが車で到着し、ほどなく舞台でリハーサル兼音響チェック。控え室に入るところでお坊さんが親しそうに話しかけてきました。なんと、彼が中学生の頃に家庭教師で教えていたナリクンこと中川正業さんで、現在49歳で、須磨の西極楽寺の住職、息子が今年北大工学部に入ったのだという。まったく年月の経つのは速いものだと思い知らされる。英語はダントツだけど数学がてんでダメで、とグレンの息子の海くんの話などを聞きつつ散歩しながら本番までの時間を過ごしたのち、およそ500人ほどの聴衆を見つつ演奏したのでした。その日演奏したのは、最上川舟唄、ラーガ・ブーパーリー、秋田長持唄。
 グレンとのりなを見送った後、珠紀さんと圓龍寺にいったん寄り、和田山から福知山駅まで列車、そこからバスに乗り換え三宮に着いたのは8時半頃でした。
 翌日は、お土産にいただいた丹波牛のしゃぶしゃぶを堪能したのでした。うまかったなあ。

◉11月14日(火)/河合早苗スタジオ/御影
知り合いの河合早苗さんがプロデュースしたドキュメンタリー映画「フィシスの波紋」が公開されることになったというので、彼女の事務所で昼過ぎミニ飲み会に誘われました。タイトルの「フィシス」という言葉は中沢新一氏のアイデアだとか。神戸では元町映画館で来年5月に公開とのことです。サンフランシスコのスタジオで、音楽を依頼したフレッド・フリスが映像を見ながらその場で様々な音を作り出し、その編集されたものが映像にぴったりだったとか、これまでアムステルダム映画祭、東京ドキュメンタリー映画祭、サンダンス国際映画祭、トリノ国際映画祭など様々な映画祭へ応募されたとか、ドキュメンタリー映画の元を取るのはなかなかに大変だと河合さん。
 ご一緒したのは絵本作家の鈴木コージ氏とイクノ夫人でした。ワダスよりも2つ年上のコージさんの、ワダスも名前だけは知っている有名人が次々に登場するやや自慢の入る昔話がなかなかに面白い。ワダスよりもずっと若いイクノ夫人が、ワダスの父親の実家である高畠町二井宿に近い七ヶ宿の生まれだとは驚きでした。

◉11月19日(日)/動態即興「愚者の秤/ぐしゃのはかり」シリーズ/風の舞塾(TonPlacer) 、神戸/パフォーマンス:角正之:ダンス、川辺ゆか+HIROS:ヴォイス他
 今回は北村さんが不参加で、川辺さんとワダスで音楽を担当したのでした。ワークショップは回を重ねるごとに角さんのアイデアが形を成してきつつあるようで、翌日次のようなメッセージをいただきました。
「ヒロスさん、段々か大きなラーガ声音(聖音?)になり、空間場に届いています、動きも揺れ出してきました。これからが私の出番です、egoの超越が始まります。スーパーegoを導引できれば、カラダはカオスに入ります。そして、対象を透過することが可能な動きのUnityが場所にあらわれるだろう、これはわたしの推理ですか」

◉11月26日(日)/動態即興「愚者の秤/ぐしゃのはかり」シリーズ/風の舞塾(TonPlacer) 、神戸/パフォーマンス:角正之:ダンス、川辺ゆか+HIROS:ヴォイス他
 本番前の打ち合わせの議論がなかなかに楽しい。エゴを離れたダンスと音楽はどうあるべきかみたいな話題に、スミッシュを駆使する角さんが加わると、当初の話題が次第に難解な別方向へ向かうのですが、冷静な北村さんのおかげかこの日は比較的あるまとまりができたように思えるのでした。

===この間に読んだ本===
(*読んで損はない、**けっこういけてる、***とてもよい)

◉アトラスの使徒』*上下(サム・ボーン/加賀山卓朗訳、ヴィレッジブックス、2008)
 なりたてのニューヨーク・タイムズ記者の妻の誘拐が発端になり、世界各地で不可思議な殺人事件が起きる。それがユダヤ教の古代説話を現代に蘇らせようとする極端なキリスト教教団の盲信によるものであることが次第に明らかになっていく。まあまあ面白いけど、似たような作品のあるダン・ブラウンと比べると小説世界の規模がひと回り小さい。

◉『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』*(湯澤規子、ちくま新書、2020)
 副題は「人糞地理学ことはじめ」となっている。本文でも触れられている、お尻を何で拭くのかの地域調査とか、世界各地の糞尿排泄事情とかはなかなかに面白い。地理学とも結びつくとのことだが、人糞地理学という用語はちょっとピンとこない。ともあれ、近年までつまり第二次大戦までは日本では肥料としての認識でもあったウンコが、生野菜をサラダで食べるアメリカ占領軍の習慣が入ったことで処理すべき汚物となった。今や現代の我々には、ウンコが生産循環の一部を担うことはなくなった。なのでウンコは水洗便所と屎尿処理施設の整備で臭く無用な物質に成り下がってしまったという。統計データを多用し学術論文的表現なのでタイトルに期待したものとはちょっと違っていたが、知る価値のある話題だと思ったのでした。

◉『チョムスキーが語る戦争のからくり』**(ノーム・チョムスキー+アンドレ・ヴルチェク/本橋哲也訳、平凡社、2015)
 欧米支配層による世界支配、搾取、強奪、不正などを鋭く批判してきたチョムスキーと、彼の指摘するひどい現実の場所に住んだり歩いたりしてドキュメントや文章を発表してきたジャーナリスとの対談。彼らが指摘する救いがたいありようにはある種の爽快感すら覚えるけど、こんなふうに世界をひとまとめに解釈できてしまえるものなのか、ちょっと疑問も湧いてしまう。チョムスキーが本文の最後の方に引用していたエマ・ゴールドマン(ほぼ100年前にアナキストとして活動した女性で、自伝がなかなかに面白かった)の言葉が気になったので書いておきます。「もし選挙が何かを変えるとすれば支配者たちは選挙を違法とするだろう」。

◉『超圧縮地球生物全史』(ヘンリー・ジー/竹内薫訳、ダイヤモンド社、2022)
 40億年前の発生から今日まで、まさに超圧縮の生物史。それぞれの時代の生物が擬人化して説明され、恐ろしいスピードで進化の歴史が進む。訳がよくこなれていて読みやすいものの、人間が出てくる前が当然ながらとても長く、しかも見慣れぬ名前だらけの生物が次々に登場しあっという間に去っていくので読み物としてよりも大雑把な資料として眺めるのがいいかもしれない。

◉『クロード・モネ』**(ロス・キング/長井那智子訳、亜紀書房、2018)
 印象派の巨匠、代表作の睡蓮、くらいしか知らなかった画家の比較的晩年の様子が描かれている。若い頃から光の移ろいの全てを描きこもうと試みたが、うまくいかなければカンバスを打ち壊すほど怒り狂い、後年、失明寸前になって手術や高価なメガネレンズなどでなんとか視力を回復しようとするもかなわず、フランス第一の画家と称されるようになった晩年には大規模絵画の展示場建設のために政府や建築家と交渉してもときに約束を裏切り、最終的にそれらがオランジュリー美術館に納められたのが死後であった、などなど、モネとその周辺の人間模様が描かれている。モネと交流のあった政治家クレマンソーが歌麿や北斎などの浮世絵の大コレクターであったとか、モネ家の食堂には浮世絵が並び、睡蓮のある池には日本庭園風の橋がかかっていたとか、モネの作品に高額の小切手を躊躇なく切った松方幸次郎とかのエピソードも興味深い。

◉『大国の興亡』**再読(ポール・ケネディ/鈴木主悦訳、草思社、1988)
これを読むと、近代のヨーロッパが、富や民族構成や宗教のほんのちょっとしたバランスの崩れで、第二次大戦まで休むことなく戦争をし続けてきたこと、そして現在のウクライナ戦争、ガザの悲劇のように同じことが形を変えていまだに続いていることに驚いてしまう。結局、人類は何も学んでいない。印象に残った文を引用しておく。「相対的に衰退している大国はおのずと『防衛』費を増やして抵抗しようとする。その結果、潜在的な資源を『投資』には向けず、長期にわたるジレンマをいっそう大きくするのだ」。なんか、今の日本政府の進めようとする方向そのままのような気がしてくる。

◉『アポロ18号の殺人』上下(クリス・ハドフイールド/中原尚哉訳、ハヤカワ文庫SF、2022)
 実際には存在しなかったアポロ18号が打ち上げられる。米ソ対立下でその目標が国家的威信から軍事的なものに変わり、双方の軍人である宇宙飛行士が交錯する。ま、国際軍事謀略小説ともいえますが、作者が実際に宇宙飛行士だったことから、打ち上げから帰還までの詳細や心理がリアルに感じられる。箸休めの読書としてはなかなかでした。

◉『Nの回廊』***(保坂正康、講談社、2023)
 Nというのは2018年に79歳で自殺した元東大教授西部邁のこと。著者は昭和史を中心に多くの著作のあるノンフィクション作家。この本を読むまで全く知らなかったけど、二人は札幌の中学に同じ汽車で通学し密度の濃い交わりがあった。西部邁については、唯一読んだ彼の最後の著作『保守の遺言』にあった「マス(大衆)は現在の一瞬あるいはごく短期の近未来にしか関心を持たぬまま生き延びて、気が付いたら死んでいる人々」であり「おのれらの生息する社会が公共基準を必要としているということに対する配慮、それがマスにあってはきわめて少ない」といった本質をついた痛烈な言葉や「自裁死」が印象に残っている。こうした言動の背景に何があったのかを、人付き合いが苦手で読書少年であった著者は、中学通学途上や、それぞれが後に有名になってからの交流の断片を通して浮かび上がらせる。主な交流の場が札幌であることや、名前だけは知っていた唐牛健太郎(元北大教養部学生自治会委員長、後に全学連委員長)のこと、学生運動など、一世代遅れとはいえワダスには馴染みの風景や人物が登場するので読んでいて懐かしさを覚える。ワダスの学生時代と比べても、中学や高校時代にこんな密度の濃い交流があり、一定の距離を取りつつ最後まで友人同士という関係が羨ましく、それを綴る著者の誠実さや共有していた孤独感がじわじわ伝わってくる。

◉『ル・コルビュジエ モダンを背負った男』**(アンソニー・フリント/渡邉泰彦訳、鹿島出版会、2023)
 近代建築のアイコン、ル・コルビュジエの生涯と作品を辿った本。有名な作品の解説とともに、彼の考える建築物や都市計画を実現しようとする意志、あるいは多数の「いいね」を求めるために、時にはナチスの傀儡政権であったヴィシー政権にも近づいていったことなども紹介されている。印象に残ったのは、代表作とされるサヴォア邸や集合住宅がその「美しさ」とは裏腹に実際は欠陥だらけでものすごく住みにくい建物であったこと、自身の建築思想のためには依頼主の意見すら聞き入れず傲慢に進めたこと、アメリカではほとんど評価されなかったので傷ついていたこと、賛否あるものの彼の進めた近代都市建築の発想が現代にも生かされていてその先見性がいまだに生きていること、ロマ出身の妻があったにもかかわらず、長期の海外出張の度に別の女性と関係を持ち、セックス依存症とも思える私生活などなど。ワダスはインドで生活していた頃、アフマダーバードにある彼の設計した建物を見に行ったことがあったけど、都市をまるごと設計したチャンディーガルにも行けば良かったとちと残念。著者の彼の評価の例えが何となくわかりやすい。「仮にフランク・ロイド・ライトをビル・ゲイツだとするなら、ル・コルビュジエはスティーヴ・ジョブズ、サヴォワ邸はさしずめiPhoneだ」

◉『将棋の日本史』*(永井晋、山川出版社、2023)
 将棋の八冠を達成した天才、藤井聡太さんが騒がれているのでふと手にとった一冊。古文書の解説が主の歴史書なので面白い読み物とは言えないが、将棋というゲームがインドや中国を経てどんな風に日本に定着したのかがわかる。平安時代の文献にも現れているが、将棋は当初はゲームというより兵法の学習用であったらしい。駒数も時代によって変化した。少年時代にはちょっと遊んだけど、あまりに弱いのですっかり遠のいてしまったゲームですが、その歴史はなかなかに奥深いものであることがわかる。

◉『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』*(小野寺拓也+田野大輔、岩波ブックレット、2023)
 ワダスは見たことはないけど「ナチスは良いこともした」という言説がネットで飛び交っているという。自然保護、動物保護、アウトバーン、タバコやアルコールの消費抑制をはじめとした健康増進、健全な家族の育成、労働政策、多産の母親の顕彰などなど、当時のナチスの個々の政策を表面的に見ればいっけん「良いこと」のように見えるかもしれないが、その人種主義的背景や全てが戦争準備のためであったことを検証し、指摘し、否定する、というものでした。

◉『人間晩年図巻 1990-94年』(関川夏央、岩波書店、2016)

◉『人間晩年図巻 1995-99年』(関川夏央、岩波書店、2016)
 箸休めに借りた軽めの読み物でした。有名人、たまにワダスの知らない人、たまに外国人の略歴、晩年、死去年、死因などが短い文で紹介されている。掲載された多くの人々の享年が今のワダスの年齢よりも若いのを知ると、いつこの世から消滅してもおかしくない年齢になっていることを改めて思い知るのでした。

◉『ダーウィン・ヤング 悪の起源』**(パク・チリ/コン・テユ訳、幻冬舎、2023)
 居住区が階級ごとに異なる土地の最上級区に住み、高級官僚の父をもつ少年が主人公。その父親や祖父の忌まわしい過去に触れたことで揺れ動く少年の思考や行動が描かれる。世界のどこでもないまったくの架空の社会を舞台に、30歳で亡くなったという作者がこれだけ綿密で想像力溢れる小説を書いたことに驚く。
 この作品は著者の最後の作品で、後に韓国でミュージカルになり日本版もあるらしい。知らなかったなあ。文中に「植物が太陽の光を受けて成長するように、人間は他人の視線を受けて成長する」というような表現がちょっと印象に残ったのでした。

◉『ファーブル昆虫記 誰も知らなかった楽しみ方』(伊地知英信、草思社、2023)
『ファーブル昆虫記』は有名な本なので学校の図書室にあり、子供向けの要約みたいなものを眺めたかもしれないが、実際に読んだという記憶はない。海野和男氏の写真が半分入った重い上質紙のこの本でようやくファーブルがどんなことを書いていたのかを知った。今から二百年前に生まれたファーブルの生い立ちや家族(すごい子沢山だった)、生活、環境などが要約されている。また全10巻になるオリジナル『昆虫記』の興味深い抜粋が紹介されている。
「(狩バチが)獲物に針を刺す一点はハチの刺しやすさではなく麻酔がよく効く一点である。そこは獲物の神経節が集まった狭い一点なのだ」
「では、(セミの)雄が鳴く理由は何か。メスを呼ぶためとよく言われるが本当か。鳴くセミの近くで大砲を撃つ。しかしセミは知らん顔で泣いていた。セミは生きる喜びのために鳴いているのではないか」
「星はとてつもない距離や質量の大きさで我々を驚嘆させるが、小さな生きた虫は、興味深さの点でそれを遥かに凌駕している」

◉『漢字と日本人』***(高島俊男、文春新書、2001)
 中国語が専門の著者による、日本語の奇妙さについて書かれた本。著者は、日本語は混乱と矛盾を抱えつつそのまま安定して今日の形になったという。つまり、まずは、大和ことばという文字を持たない言語に文字一つ一つに特有の発音と意味のある中国文字が持ち込まれる。その後、時代や場所によって発音が変化した漢字(漢音と呉音)が仏教を通じてさらに流入する。しかし、漢字だけでは具合が悪いので表音文字としたカナを作り、漢字と混ぜて文章を綴るようになる。明治になるとさらなる大変化が起き、欧米人になるのよねと欧米語を学んだインテリが欧米の概念を普及させるために新しい漢字を大量に作りだす。敗戦後は、間違いだらけだった過去は捨てるのよねと漢字の数を大幅に減らそうとし、またしても矛盾や混乱が拡大した。こうした時々に生じた混乱と矛盾が整理されることなく今日まできてしまい、日本語の奇妙な側面はもはや後戻りのできない状況になっている。日本語がどれほど奇妙かは本書を読んでいただくしかないが、英語の表現や漢字の使い方の例を出してわかりやすく解説されていて、実に面白く納得できた。印象に残った文章を紹介しておきます。
「西洋人はたしかに、体力も地力も強く、芸術的感性にもすぐれ、なにごとにも積極的な性質を持った優秀な人種である。しかしまた彼らは、自分たちが石の家に住んでいるから泥の家や木の家より石の家のほうが『進んでいる』と思い、自分たちが教会と集会所を持っているから教会と集会所を持つ者が『進んでいる』と思い、自分たちがキリスト教を信じているからキリスト教を信じる者が『進んでいる』と考える、いたって簡単な精神の持主なのである。だから、人類の歴史を一本道のようにしかとらえられないのである」
 明治時代に文部大臣だった森有礼は、日本語は捨てて日本の国語を英語にしようと唱えた。さらには「森はまた、言語だけでなく人種も変えるべきであるととなえ、日本の優秀な青年たちはアメリカへ行って、アメリカ女性と結婚してつれ帰り、体質・頭脳共に優秀な後代を生ませよ、とすすめた」。おいおい、まじかよ、と言いたくなる。

◉『ビジュアル 日本音楽の歴史 近代-現代』(塚原康子、ゆまに書房、2023)
 明治から今日までの日本の音楽の歴史がコンパクトに解説されているが、いかにも教科書的。上質紙の写真付きということもあり、薄いわりに重く、寝っ転がって読むにはちとしんどかった。

==これからの出来事==


 相変わらずヒマですが、たまにちょこっちょこっと何かがあります。

◉12月8日(金)/CAP STUDY「芸術鑑賞のための講座の実験」シリーズ・音楽/神戸市立海外移住と文化の交流センター、神戸/下田展久+HIROS:対談

◉12月9日(土)/じっくりとラーガを歌ってみる#7/Musehouse、神戸

2024年


◉1月2日(金)/CAP STUDY「芸術鑑賞のための講座の実験」シリーズ・音楽/神戸市立海外移住と文化の交流センター、神戸/下田展久+HIROS:対談

◉2月9日(金)/CAP STUDY「芸術鑑賞のための講座の実験」シリーズ・音楽/神戸市立海外移住と文化の交流センター、神戸/下田展久+HIROS:対談

◉2月17日(土)/HIROSライブ/草志舎、西宮/藤澤バヤン:タブラー、HIROS:バーンスリー/主催: アメニティ2000協会