その1/HMVSという病気

----感官の対象[への執着]を本質とする者が感官の対象に耽れば耽るほど、彼らはそれらに対して堪能になる---『マヌ法典』12.73
 第1回目は、HMVSという病気が存在し、わたしが重度の患者であることが判明したある日の出来事です。といっても、これはフィクションに限りなく近いノンフィクションであり、したがって登場する人物も、現実に存在する人もあれば存在しない人もある。
 インド遊学以来、よく下痢をしたり、首筋が痛かったり、肩こりがひどかったりするものだから、慢性の疾患なのではないかと思い、近所の株大根内科(かぶだいこんないか)にいった。口髭をつけ、目鼻立ちの整った40代前半の株大根医師は、ぽっちゃりとした手で面倒そうにわたしの首や肩や腹部を触診した。彼は、触るたびにじゃっかん首をかしげ、「やっぱり」というような、妙に自信ありげな表情でカルテになにやら書き込む。わたしは、彼の口髭に付着した食べかすのかけらと、やっぱり表情を見てちょっと不安になった。
「いつからですか」
「ええと、はっきり覚えていないんですけど、多分81年くらいからだと思います。」
「それはまたずいぶん前からですね。そのころ、なにかなさってたんですか」
「インドのバナーラスというところで、インド音楽を習いはじめたんですけど」
 かすかな喜びの光とやっぱり感をたたえた目で医師が大きくうなずく。
「ふうん。やはりそうでしたか」
「えっ。どういうことですか」
「実はね、これはHMVSではないかと思うんです。といってもお分かりではないと思います。実はこの病気は最近になって問題になってきたんです。HMVSというのは、Hindusatni Music Vagolability Syndromeの略でしてね、インド音楽を始められた人に特有の病気なんです。これまで症例があまりにも少ないので社会的には問題視されていませんでしたが、この地域にもおられたんですね」
 医師がこのような説明を始めたとき、机の上の電話がなった。
 ちょっと失礼、といって医師は受話器を取り上げた。
「はい、あー、その件ですか。今、診察中なのでちょっと後にして下さい」
 受話器を置いた医師は「株取引のセールス。彼らは人の都合も考えないで電話してくる」とぶつぶつ小声でいいつつ、疾患の説明を続けた。
「で、このHMVSというのは、一種の迷走神経不安定症とされているんですが、実際は精神的というか社会不適応症といったほうが正しいんですけどね。ま、下痢や肩こりは副次的症状でして、ほとんどの患者は肉体的にはなんの問題もないんです」
 2回目の「えっ」をもらしたあと、わたしは彼に尋ねた。
「その、バゴなんとか、つまり迷走神経不安定症というのは、どんな病気なんですか。第一、迷走神経というのは何なんですか」
 わたしの注視に気づいたのか、口髭のかすを手でむしりった医師は続けた。満面に笑みをたたえた表情には、医学知識を無知な人間にひけらかすことに無上の喜びを感じる医師説明症候群の片鱗がうかがえた。
「迷走神経というのはですね、ひひっ、延髄のオリーブ後方から起こり、頚静脈孔を通って頚部および胸部・腹部にまで広く分布する脳神経の第10対。運動・知覚・副交感神経繊維を含む混合神経で、喉頭諸筋の運動や、咽頭・口頭の知覚、および気管支・食道・心臓・胃・腸などの運動・分泌を支配する、ひひっ」とうれしそうに一気に説明した。あとで広辞苑を調べたら一字一句そっくりであった。
「で、いちおう、その迷走神経の不安定によって起こる症状を全体を称して、Vagolability Syndromeというんですが、特にインド音楽にはまってしまった人に特有に起きるのをHindusatni Music Vagolability Syndrome、つまりHMVSといってるわけなんです。もっとも、わたしにはヒンドゥスターニー音楽というのがどういうものかは知りませんがね。あなたの方がずっとご存じですよね」
「はあ」
「この病気は、ずっと以前は同じHMVSですがHis Master's Voice Syndromeと呼ばれていたんです。ご存じでしょう。ほら、犬が蓄音機のラッパに小首をかしげて音を聴いている図柄。あれからきていたんです。ひひひっ。しかし、ビクターから猛烈な抗議があってから、HとMの部分がHindusatni Musicと変わったらしいですね」
「はあ。そんな病気があったんですか。知りませんでした」
 医師は、
「まあ、この病気はちょっとやそっとでは治りません。ある種のウィルスが原因ではないかともいわれています。あなたが今でもインド音楽に関係しておられるんでしたら相当重い症状です。おそらく不治の病といっていいでしょう。つきあっていくんですな、病気と。ま、いちおう、痛み止めと下痢止めのクスリを出しておきます。わたしにはそれくらいしかできないんです。なにせこの病気の専門家はまだ日本にはいないんでね」
 といいつつ机に向かい、診察が終わったことを示した。
 わたしは、インド音楽とは病気の一種だったのか、と思いながら医師に謝意を述べ、診察室をでた。受け付けで診察料を支払っているとき、株大根医師が診察室で電話している声がくぐもって聞こえた。「ですから、ソニーの株はなりゆきで買って下さい。それと、・・・」

 外に出ると、昨夜からのじくじくした雨があがり、蒸し暑い熱気がポートアイランドの高層ビル群をつつみ始めていた。帰宅したわたしは、無意識のうちにバーンスリーをもち、練習を始めていた。
(つづく) 次へ