メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

4月14日(日)  前日  翌日
 かつてアステカ帝国の心臓部だったソカロの大広場には路上の物売りや、太鼓に合わせて踊る先住民の装束を着けた大道芸人たち、客引きなどがたむろする。朝早くタバコを吸いにホステルの外に出ると、制服を着た人たちが箒とちりとりを持って道路の掃除をしていた。石畳の道路は彼らのおかげかゴミが落ちていない。日本だとゴミ掃除車のやることをここでは掃除人たちが毎朝している。メキシコシティが観光地という理由もあるかもしれないが、人力を使っているのは失業者対策の意味もあるかもしれない。


 ようやく慣れてきたメトロバスに乗り込むと、カードにチャージされた金額が足りない、という意味らしいことを早口のスペイン語で運転手に言われた。金額は足りているはずなので、どうしたらいいかわからずに入り口で立ち止まっていたので、乗り込んでくる乗客の邪魔になる。見かねた女性が我々に「自分のカードを使いなさい」と渡してくれたので中に進んだ。運転手が何か言ったが「彼女に12ペソ払いなさい」という意味らしい。グラシアス! と彼女に12ペソ渡すとうなづいて受け取った。


 最初の目的は、オレンジ色のドーム屋根が印象的な豪華な公共ホールのベジャス・アルテスを見学することだったが、バス停を見逃したらしく、終点のブエナビスタ駅まで来てしまった。ここで今日の午後、訪ねることになっている恵光寺へ向かうバス停の位置を確認し、来た道を戻ることにして再びバスに乗った。ベジャス・アルテスはここから停留所2つほどで行けるはずだった。ところが、乗り込んだバスは違った道を走り出した。路線図を見るとベジャス・アルテスに行くには行くが、逆回りルートだったらしく、最後の方になっていた。仕方がないのでそのまま循環ルートを一周しブエナビスタ駅に戻った。ベジャス・アルテスに行くには時間がないので、恵光寺方面に向かう7系統のバスに乗りこみ、無事に目的のバス停Napolesに着いた。
 約束の時間には余裕があったので住所を頼りに自力で恵光寺を探そうとしたが、所番地が不規則なため現地の人もわからないらしく断念した。
 スペイン語がほとんどできずに現地の人に道を尋ねるのはなかなかに難しい。現地の人たちはこちらがスペイン語が理解できないのにおかまいなく、早口でまくし立ててくるのだ。会話はこんな感じになる。
「あのう(日本語)、ドンデ(どこ) eugenia?(スペイン語)」
「ああ、それならここの通りの2番目の交差点を右折してなになに通りと交差するところを左折すればいいよ。といっても私はこの辺の住所そんなに詳しくは知らないんだけどね。ややこしいからねえ、この辺は。息子たちもいつも迷ってるよ。今、オアハカに住んでるんだけどね。どこへ行きたいの。ああ、それなら近くでもう一回誰かに尋ねたらいいかもね」(スペイン語)。
 けっこう長い返答のスペイン語の部分はもちろん我々は理解できないので類推するとこんな感じで返答しているはずだ。で、われわれはなんとなく彼ないし彼女の視線と方向を指す手の動きを見て「グラシアス」と言いつつ動き出す。
 約束のバス駅で待っていると横尾さんの姿が見えた。
 横尾さんの案内で恵光寺へ。

戸高住職、横尾咲子さんと


 戸高住職に恵光寺の来歴や活動内容をうかがったり、かつて幼稚園だったという建物の本堂などを案内してもらった。このお寺は仏教伝道協会という公益法人が運営している。74歳だという住職はアメリカとメキシコで日本企業の現地法人に長く勤めていた人で、根っからのお坊さんらしくなく、気さくな人だった。趣味が昆虫採集だという。
 戸高さんは大きな車を自ら運転し、我々と横尾さんをミュージシャンたちで賑わうガリバルディ広場に連れて行ってくれた。


 ホステルまで送っていただいた後、ソカロを見下ろすグランドホテルのバルコニーでビールを飲む。ホテルの内装が豪華だった。大きな吹き抜けを囲む各階の通路、エレベーター、天井に手の込んだアール・ヌーボー風の装飾が施されている。特に小さな色ガラスの組み合わさった天井のステンドグラスが壮観。

 

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