七聲会高松公演2006

高松行

 10月16日と17日、久しぶりの高松小旅行。小旅行とはいえ高松道ができたので今や神戸から2時間で行くことができるので、奈良や京都へ行くのとそう変わらない。
 高松方面はほとんどがうどんがらみで出かけることが多かったが、今回は聲明グループ「七聲会」の面々との演奏旅行だった。今回の参加メンバーは、良慶、良賢、良生の池上三兄弟こと雅楽武道派上人、酒匂上人こと伊藤真浄さん、最年少マッピー上人こと河合真人さん、八女から飛んできたなんばしとっとるとね上人こと佐野眞弘さん、数学大食独身上人こと宍戸崇真さん、温泉上人こと清水秀浩さん、南仏骨折上人こと八尾敬俊さん、松阪紫作務衣上人こと和田文剛さんにワダスの11名。今回はホールでの公演ではなく、高松市内の法然寺で行われた中四国地区檀信徒大会という催しのなかでの演奏だった。もちろん、うどんも食べた。

法然寺

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 法然寺は四国で一番大きいとされるお寺。仏生山という高松市内を見下ろす小高い山全体が境内になっている。本堂をはじめとしたお堂や書院など10棟以上立ち並ぶ大伽藍だ。江戸時代に高松を治めた松平家の菩提寺だったことがその規模からも伺える。左手に前池を臨んだ参道から境内に入るが、本堂に至るまでに総門、黒門、仁王門、本堂門と門だけで四つもあった。このお寺のウリはなんといっても膨大な数の木造彫刻だろう。涅槃堂という建物には、5メーターほどの釈迦涅槃像が鎮座し、その周囲をおびただしい人間、動物の彫刻が取り巻いている。さらに周辺の廊下に等間隔で配置された高僧たちの座像群が釈迦涅槃像を見守る。ちょっと不気味なのは、本堂から涅槃堂へ入る廊下に配置された白っぽい灰色の仏像だ。聞けば、お骨の灰を固めて作られているという。

竜雲うどん

 12時過ぎ、担当の上野上人が法然寺の控え室でだらだらとおしゃべりしていたわれわれに申し述べた。「まず、うどんですよね。境内に竜雲うどんがありますからそこで食べてください。この辺ではかなり評価の高いうどん店です」
takamatsuphotos みな「そうやそうや、うどんや」と竜雲うどんへ向かった。道中、といってもほんの数分だが、うどんにうるさいと思われているワダスにメンバーが尋ねる。「ひやひやとか、あつひやとかあるんですよね。どっちがいいですか」などと質問してくるので、「そうですね、好みとしてはひやあつですかね」などと知ったかぶりして応えた。
 法然寺経営の知的障害者施設「竜雲学園」の入園者が運営している竜雲うどんは境内の広い駐車場の角にあった。天井が透明アクリルの明るい部分と普通の食堂の体裁をしている母屋部分に分かれている。「ん、なんか、いわゆる讃岐うどんの店とは違う」と思ったのは、母屋入り口付近の自動券売機と調理場との結界カウンター上の短冊メニュー。かけうどん(温・冷)250円、きつねうどん(温・冷)300円、わかめうどん(温・冷)300円、冷やしうどん300円、湯だめうどん300円、肉うどん(温・冷)350円、カレーうどん350円、冷やしぶっかけ250円、和風中華そば300円、冷やし中華(夏季限定)400円、かけそば250円。1玉100円とかいうのに慣れたワダスにはちょっと値段が高い。醤油をぶっかけただけのうどんに慣れたワダスにはバラエティーの多さが気になる。また、お土産うどん、お土産だし汁、お土産菓子などのコーナーもあり、観光客向け販売促進に力を入れているところも一般的讃岐うどん店とは異なる。

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 ワダスが頼んだわかめうどんがやってきた。どんぶりの形、サイズ、琥珀色の半透明なおつゆにたたずむ比較的太めのうどん、どれもごく普通の姿形だ。おつゆをすする。雑節系の香のするおつゆだが塩の味がけっこう強く主張している。「うーむ」とうなって麺をすする。もちもちっとした太めの麺の表面がなんとなくぼやっとしていて唇および口腔内への通過感に讃岐特有のきりり感が薄い。どうしても讃岐に来なければ味わえないうどんとは違う。こういう感じのうどんなら神戸でも大阪でもよくある。多種多様な参拝客の平均的なうどん感を標準に作られた感じだった。讃岐うどん熱愛者としてはもう一つ感動に欠ける摂食体験だった。わさわさと食べているお坊さんたちから熱烈な賞賛もなく、こんなもんか感が漂いなんとなく悲しい。

散歩後本番 

takamatsuphotos 本番まで時間があったので周辺を散歩した。前池の島のように展開する仏生山公園、讃岐特有の灌漑用貯水池の平池、乙女像、山全体の広がる墓地、ちきり神社など。ほほう、高松クレーターでありますか、ほほう、「いわざらこざら」というそうことでありましたか、ちきりてっなんだろう、などと思いながら40分ほど歩いた。この季節にしてはかなり暑く日差しも強いので汗ばむ散歩だった。
 七聲会の公演は3時すぎから。かなり広い本堂にはぎっしりと参加者で埋まっていた。池上良慶さんの短いお話の後、内陣を舞台にして七聲会の聲明が響き渡った。この日の演目は、笏念仏入道、甲念仏(次第取り楽付き)、散華、三尊礼、六字詰念仏、HIROSソロ、仏説阿弥陀経+HIROS。10人のお坊さんによる聲明はさすがに迫力があり、堂内を満たす倍音がとても美しい。
 朗々とした聲明が鳴り響くなか、舞台から左2列目くらいに座っていた66歳くらいの頭髪僅少眼鏡男性が隣の67歳くらいの男性になにか話しかけている。その話し声が聲明の切れま切れまに漏れ聞こえる。二人は「この法要が終わったら中村うどんへいこか」「いやあ、中村よりも山内だ」などと話していたのかもしれない。いずれにせよ、七聲会の聲明を聴くことよりも優先することが二人にはあったのだ。どうせなら別の機会に話し合ってほしいものだ。
 六字詰念仏で七聲会が念仏を唱えつつ退出するとワダスの出番だった。アンプにiPodをつなぎドローンを流す。中央の円座に向かうと、二人の女性がそうとう熱心に華を拾い集めていた。七聲会が散華のときに撒いた紙製の華である。最後まで拾い集めていた女性が円座に覆いかぶさるようにして周辺を探索していて、すぐそばで楽器を持つワダスに気がつかない。周辺に一枚もないことを確認した女性は中腰のまま2列目に帰還していったが、ワダスが待っていたことは着座するまで気がついていなかっただろう。
 全体がざわざわしていたが演奏を始めた。笛の音が聞こえてくればざわざわは収まるかと期待したが、多くの聴衆は笛の演奏を聴くことよりも隣同士の会話を優先したようだ。ざわざわに対抗するようにできるだけ小さな音で吹いた。10分ほどしてようやくざわつきは収まった。いつものように自分の音にだけ集中して演奏したが、外部環境は否応なくワダスの脳に忍び込む。即興の音楽だけに微妙に影響を与える。「演奏を始めると、聴衆と自分の間にある存在が現れる。その存在に向かって、その存在が喜ぶようにと自分は演奏する」といっていたグルの言葉を思い出し、つくづく自分の未熟さを思い知らされるのでした。ときどき目を開けると、白いものが客席から飛んできたが、おひねりだった。ワダスの演奏が終わると再び七聲会が入場し、一緒に仏説阿弥陀経を「演奏」した。全部が終了したのは、計算通りぴったり4時20分だった。

マツノイパレス

 着替えをすませたわれわれは、今夜の宿泊先「マツノイパレス」へ。小高い丘の上に立つ堂々とした白亜のビルでした。温泉宿というよりはシティーホテルというたたずまい。事前に温泉宿だと聞いていたので、ひなびた山奥の旅館、川かなんかを見下ろす小ぶりの露天風呂、とイメージしていたが期待は外れた。大きな建物だがあまりひとけがない。何度も増築を繰り返された結果なのか、われわれの4階にある部屋はフロントから相当に距離があった。大阪空港の山形発着25番ゲートに向かっているような長い通路だ。その廊下には巨大な壷や皿がずらっと並んでいた。部屋には6組の布団が隙間なく並列に敷かれていた。ということは、今夜はほぼ合宿状態だということだ。ふと、正しい睡眠ができるのか、と不安がよぎる。まず浴衣に着替えてとりあえず2階の大浴場へいった。
「陶芸の湯」の案内板に誘われるまま中に入ると脱衣場の照明は点灯していず、薄暗がりのなかなぜか天井に取り付けられたテレビだけがついていた。かなり不気味だ。奥に見える浴槽には水色のスタイロフォームのふたがかぶせられ、やはり薄暗がりのなかで二人の男が浴槽につかっていた。自分たちの入る部分のふただけを取り外して入浴していたのだ。これがマツノイパレス流の温泉特殊入浴法なのか。廊下の電話でフロントに現状を報告しているとき、奥から47歳ほどの男がてんでホテルマンとは見えないラフなシャツ姿でひょいと現れた。彼は「ボイラーの調子が悪いのでふたをしてたんですよ。でももう治りましたから、どうぞどうぞ」などとよくわからない説明をしたのち脱衣場の照明をつけ、20枚ほどある浴槽のふたを片付けた。奥にサウナがあったので入った。和田さんが座って「ふう」という。そこへ、風呂係の男が入ってきた一通り全体を見渡し「ええと」といいつつ最上段に敷かれたバスタオルを縁を直して出て行った。良慶さんが、サウナに入ってくるなり「壁、えらいこげとるなあ。燃えたんちゃうかあ」と申し述べる。よく見れば天井板は波打ち、ガラスの隔壁にはひびも入っていた。温泉宿にきたのだ感はあまりなかったものの、上がってもぬくもりが長持ちしていたので、いい湯質なのかもしれない。
 温泉付き打ち上げ宴会のみにやってきた苦悩上人こと南忠信さんが合流し、近所の居酒屋で宴会だった。祭り囃子のBGMの音量を下げてほしい、と申し述べると店主らしいあんちゃんが天井の丸いスピーカーをガムテープで覆った。総勢12名となったわが七聲会は、大量の食物とアルコールを休みなく摂取し、浄土宗関係社内的会話に興じた。清水秀浩さんは「ベツバラだから」とチョコレートパフェで仕上げた。
 歩いてホテルに戻り、だらだらと1時半くらいまで飲んでおしゃべり。酒匂上人こと伊藤さんの「ありんこは踏みつぶしてもええんや。あいつらはそういう戦略やから」などという話を聞きつつワダスは寝てしまった。聞けば伊藤さんはその後部屋を出てどこかで種類を調達し飲んでいたそうだ。
 どういうわけか皆早起きで、7時過ぎには朝食を取っていた。ワダスはコーヒーを4はい飲んで所定の作業を読書しつつ行い朝風呂につかった。風呂から帰ると、わざわざ高松まで来て宴会と温泉を満喫した南忠信さんはすでに出かけていた。

「谷川米穀店」

 琴南町の「谷川米穀店」は情報誌では11時開店である。朝食も朝風呂もパスして出発直前まで無意識状態だった伊藤さんとその日大阪でお参りのある池上良生さんと分かれた谷川うどん摂食隊は、3台の車に分乗して9時45分に宿を出発。カーナビに電話番号を入力したなんばしとっとるとね佐野レンタカー車が先頭。ワダスは池上良賢さんの車で、同乗者は清水秀浩温泉上人と八尾敬俊南仏骨折上人。車中、温泉上人が「これまで食ったうどんで最高はやっぱり水沢うどんである」と申し述べ、南仏骨折上人は「秋田に御前様といったときは毎日稲庭うどんだった。んまかった」などと、うどん想念を膨らませつつ申し述べるのであった。
takamatsuphotos 10時35分、谷川米穀店到着。11時開店だというのに、坂なりの道にすでに40メーターほどの列ができていた。うどん屋であることを示す看板もなく、いっけん普通の家のように見える平屋の建物の入り口に向かって人々が幸福そうな表情で待っている。すぐ後ろに立っていた若者のカップルに聞くと徳島からだという。列の先端からときおり人が逆流してくるところを見ると、すでにお店は営業しているようだ。さまざまな言動からワダスをただならない讃岐うどん識者と認識している数学大食上人こと宍戸崇真さんが、出入り口に近づいたとき尋ねた。
「もう一回確認しますけど、やっぱりひやあつですか。それと大と小があります。大2つだと多いですかね」
「ワダスは谷川米穀店の営業方針については詳細は知らない。大2つが適正量であるかどうかは摂食者の条件にもよるであろう。まず大2つを頼んで食して後、追加するかどうかを考えたらどうか」
「分かりました」
 こんな会話をしているうちにわれわれは列から押し出されるように店内へ入っていった。店内はうどん摂食者であふれていた。若い女性も多い。みな猛烈な勢いでうどんをすすっている。もちろんBGMはない。聞こえてくるのは、うどんすすり音、おしゃべり、注文応答音声、うどん製作音のみ。壁に映画「UDON」のポスター。そういえば昨日の「竜雲うどん」にもあったなあ。小さな紙に殴り書きされたお品書きには、小105円、大210円、タマゴ30円、としか書いていない。この実質感がいい。驚いたことに、1998年に最初にここを訪ねたときと値段がほとんど変わっていない。当時は小100円だった。8年間でたった5円しか値上げしていない。この辺が讃岐うどんの恐るべきところであろう。
 うどん製作現場内陣に立つおばさんに冷たい大1つ注文して、出入り口に近い席に座って待つ。テーブル上には、醤油、酢、一味、激辛薬味青唐辛子つくだ煮風、ネギ皿が比較的整然と並べられている。向かいに座っていた母娘らしい二人が、食後の感想などを申し述べていた。居住地を聞くと県内の地元の人たちだった。七聲会のメンバーも続々と入店し自分の場所を確保した。ほぼ同時に摂食を開始。みな無言だ。温泉上人は「うむ」といいつすする。takamatsuphotos
 うどんはとてもおいしかった。しかし、1998年にこの店を最初に訪れたときに覚えた感動はない。日常を感じさせるやさしさがあった。とはいえ最初の1杯はややぼやけた感じだった。最近は自分でうどんを打ち、ときには讃岐を超える品質と自慢できるようになっているが、この谷川うどんのやさしさがなかなか出せない。ワダスのは足踏みが多すぎるのだろうか、などと考えつつあっという間に食べ終えた。やはり、足りない。ワダスは小1つ、宍戸さんと清水さんは大1つを追加した。壁際ベンチで摂食していたマッピー上人は、あついのタマゴ入りを追加していた。
 追加後にやってきたうどんは、最初のときよりもきりり感が増していてとても好ましかった。宍戸さんと清水さんもワダスの感想に同意していた。
 醤油を注ぎ足しにきたおばさんに「ここは11時開店だと聞いているけど、その前に開いているんだね」と話しかけた。面倒そうに彼女が応えた。
「夏だけね。冬は11時から」
「じゃあ、夏は10時ころ開くの」
「10時半とかかね」
 17分ほど店内に滞在してわれわれは表に出た。ちょうど11時だった。われわれが待っていたときよりもずっと長い列ができていた。
 絶対の自信をもってお坊さんたちに勧めた谷川米穀店だった。ほとんどの人は「んまがった」と同意した。ところが、温泉上人だけは帰路の車中でこう申し述べるのであった。「うーん、やっぱ、水沢のうどんが勝ちやなあ」。ふと彼の味覚に1ミクロンほどの疑念を抱くとともに、水沢のうどんとはどんなものなんだろうかと思った。麺類探求者としてはこの「水沢うどん」が妙に心に引っかかるのであった。
 ともあれ、ほぼでんぷん100パーセントの昼食をすませたわが七聲会は、どういうわけか自動販売機の前に固まり、すっきりした秋空を見上げつつうどん余韻を楽しむのであった。ここで九州へ帰るなんばしとっとるとね上人佐野さんと分かれた。こうして2台ワゴン車編成七聲会関西方面小隊は途中何度もサービスエリアで買い物などをして帰路についたのであった。