2004年 1 2 月 1 日 (水) --関空~インド

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 7月にフランス、10月にイギリスに行ったので関空は今年3回目だ。

 インド航空に乗るのはずいぶん久しぶりだった。噂には聞いていたが、やはり機体は相当古い。座席の前後間隔がとても狭い。座席ポケットのカバー布の端はほつれている。機内誌も入っていない。前の人が座席を倒すと本を読むスペースすらとれなくなる。緊急脱出説明書の角は歪んでひん曲がっている。床の絨毯にもところどころシミがある。湾曲した壁面には、修正液を無造作にたらしたような修理の後が何カ所か目につく。赤丸斜めバッテンの禁煙サインはいかにも素人が描いたように太さが一定ではなく、色も変だ。ヘッドフォン差し込み口は、未だに聴診器方式の二口エアチューブである。使うのを楽しみにして持ち込んだノイズ・キャンセリングのヘッドフォンは、プラグが違うので使えない。これは悔しい。このヘッドフォンは、騒音に同期する低周波の音を逆位相で供給しジェット・ノイズを軽減するという優れもの。イギリス行の JALやフランス行のオーストリア航空の長いフライトではずいぶん役に立った。

香港長時間機内待機

 ともあれ、よれよれのインド航空機はほぼ満員の乗客を乗せて順調に飛び続け、 3時間半後に最初の寄港地、香港に着いた。香港の空港は最近新しく作られまっさらのはずだが、座席の関係で外が見えない。香港で降りる客が立ち去った後、広東語で騒々しくしゃべりながら掃除人たちが機内に入ってきて掃除を始めた。空席に散らかるゴミを集め、紙製のヘッド・カバーを取り替え、丸くて大きな業務用掃除機を転がす。使用済みの毛布は取り替えずにそのまま畳み直して座席に置く。それが終わると警備関係者が入ってきて手荷物の確認作業。この作業もおざなりだった。頭上の手荷物収納ボックスを乱暴に開けて「これはあなたのものか」と所有者に確認し、終わると接着力の弱い丸いシールを貼付けていく。それが終わると、香港からの乗客がどやどやと入ってきた。

 香港での待機時間は 1時間のはずだった。しかし時間が来ても機は動く気配がない。前方のビジネスクラスの乗客がスチュワーデスに案内されて座席から立ち上がった。トランジットの待合所へ行くのに違いない。エコノミークラスの乗客の1人がそれを眺めつつ

「いったいどうなっているんだ。 1時間はとうに過ぎてる」とぼやく。

 しばらくしてアナウンスがあった。トランジットで機外に出た 3名がまだ戻らない、今その人たちの荷物を確認している、というものだった。さっきつぶやいたインド人乗客が訛の強い英語で同僚らしい隣席のサルダールジーに説明していた。「ハイジャックとか爆弾の可能性もあるんだ」物騒な解説だ。

 そうこうしているうちエンジン音が大きくなったので、いよいよ離陸か思った。ところが、逞しかったエンジン音が急に小さくなった。間もなく、エンジントラブルのためしばらく待てとアナウンスが入った。結局わがインド航空機は、香港で 3時間半も乗客を足止めした後、デリーに向かって離陸した。

デリー空港到着

 インド時間 9時着の予定のところ、10時40分にデリー空港に着いた。タバコを吸いに外に出た。思ったよりも寒かった。

 次の日の早朝にサハラ航空便でコルカタへ飛ぶことになっていたので、国内空港行き連絡バス待ち合い所へ移動した。待ち合い所には真っ赤なソファが並んでいて、ホテルのラウンジのようだった。

 がらんとした待ち合い所に、 2人ともメガネをかけた背の低いインド人老夫婦がいた。2人は70代の半ばくらいか。わたしと同じようにサハラ航空でコルカタへ行くという。連絡バスの時間はだいぶ先なので、2人とおしゃべりをして時間をつぶした。頭の底辺部にわずかに白髪を残した夫 がスィターンシュ・ムカルジー 。ショーバナーさんという名前の妻は、見たところ普通の老人だが眼鏡の奥の目が知的に光る。

  2人とも引退した元大学教授で、物理学を教えていたという。ショーバナーさんは、80年代にスタンフォード大学で研究していた。2人ともとても人なつこくいっぺんに親しくなった。2人は、一人息子の病気見舞いのためトロントに5ヶ月ほどいてその帰りだという。トロントからロンドンまで7時間、ロンドンでインド航空機に乗り換えデリーまで9時間、さらにコルカタまで2時間のフライトである。トロントを30日に出発したというから、まるまる2日もかかる長旅だ。しかし、2人とも元気そうに見えた。大きなスーツケースを4個ももっていた。

 午前 1時にバスに乗りこんだ。外観はちょっとモダンなバスだったが、椅子に座って細部を見ると鉄板剥き出し的粗雑さだったので、インドに来た実感が湧いた。乗客はわたしと老夫婦だけだった。

  10分ほどで国内空港に着いた。デリーの国内空港にはベッドのあるリタイヤリングルームがあり、当初はそこを利用しようと考えていた。しかしこの時間からだと2時間くらいしか使えない。老夫婦とロビーで待つことにした。ロビーにはかなりの人々が疲れた表情で座っていた。

 老夫婦とだらだらと話しているうちに 4時になった。国内航空ジェット・エアーのチェックインが始まったので人の動きが出てきた。われわれの乗る予定のサハラ・エアーのカウンターが受付を始めたのは5時だった。

予約番号がない?

 チェックインのときちょっとした問題が発生した。受付の若い女性が、わたしのチケットを見てツツッと舌打ちした。

「あなたの名前は登録されていない。つまり、あなたのエージェントがキャンセルした」

「そんなことはないはずだ。なにしろこうやって予約してチケットもあるのだ。仮にそうだとしてもわたしのミスではない」

 と抗議すると、サハラ・エアーの事務所に連れていかれた。中にいた男性職員は、

「あなたのエージェントはたしかに予約はしたが予約番号を知らせていないのでこちらはキャンセルとみなした。したがって、あなたが乗るためにはキャンセル待ちを期待するしかない」

 と告げた。結局キャンセルが出てボーディングパスが発行されたのでほっとした。帰ったら旅行代理店に抗議しなきゃ。 (で、帰国後に尋ねると、予約番号もすべてインド航空を通して伝わっているはずだから彼らのミスだろうという返事だった)。

「ジーンズのポケットに 1個、この中に3個、ライターがある。全部出せ」

 セキュリティー・チェックのとき、リュックの奥深くしまい込んでいた 100円ライターを全部没収されてしまった。四角いプラスチックのトレイに山積みになったライターは後でどうなるんだろう。国際便では少なくとも1個は持ち込めた。どうも国内便は厳しいようだ。ともあれ、これで無ライター状況になってしまった。

 待合室で今回の旅行のために入手した携帯電話の通話エリア設定を変更し、コルカタのタブラー奏者、ビシュワジートに電話した。今回のインド・ツアーを一緒にやる予定のチェータン・ジョーシーから、ビシュワジートが空港まで迎えにくるとメールをもらっていたのだ。

「空港まで迎えに来てくれるときいたが」

 朝の 5時半なのに彼はすっきりした声で答えた。

「えっ、それはチェータンには聞いていない。彼に尋ねてみてくれ」

 チェータンに電話すると

「ごめん。連絡が遅れてしまって。空港にはコルカタの主催者側が出迎えることになっているんだ。多分、出口にだれか行っているはず」

 という返答。うーむ、携帯電話というのはこういうときには便利だなあ。

 サハラ・エアーは予定どおり 6:20に離陸した。小さな飛行機だが、機体が真新しく清潔だった。暖かい機内食の味もなかなかだ。チキンがおいしい。2時間ほどのフライトで、コルカタには8時20分に到着した。我が家を出てから26時間だ。この間ほとんど寝ていないのでよれよれ状態だった。

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