2004年 1 2 月 2 日 (木) -コルカタ1日目

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  7年ぶりのコルカタも意外と涼しかった。

 空港の到着ゲートを通り出迎えの人々の中に、背の高い男がわたしの名前を書いた紙を掲げて手招きした。服装は地味だが、派手なマフラーで頬かぶりをしている。名前は、 プラビール・バッターチャールヤ 氏。彼の案内でタクシーに乗り込み市内に向かった。

プラビールとのぎこちない会話

  30代後半とおぼしき寡黙なプラビールは、車内でポツポツと質問をしてきた。

「コルカタへくるのは何度目か」

「数えられない」

「そうか・・・。インドをどう思うか」

「難しいなあ。インドは広いしね」

「・・・・。明日はストライキで、コルカタ中の交通機関が麻痺する」

「あ、そうですか」

「今晩からあなたが泊まることになっているのは ヴィマル・ラート さんだ。彼は有名な演出家だ・・・」

 彼は英語があまり得意ではなさそうで、どうも会話の流れがつかめない。彼にいろいろと質問して、だいたい次のようなことが判明した。プラビールは、演劇をやっている。主に俳優として演じているが脚本も書く。本職はオール・インディア・ラジオ局のニュース・レポーターである。わたしとチェータンの 4日のコンサートの主催者は 、サンスカール・バーラティー という芸術振興団体である。全国に支部があり、本部はアーグラーにある。演劇、舞踊、音楽などの部門に分かれている。ヴィマル・ラートさんは演劇部門のボスである。

ヴィマル・ラート 氏のアパート

 ごちゃごちゃとしたコルカタ市内に入り、 10時すぎに ヴィマル・ラート 氏のアパートに着いた。場所は、市の中心部の南、動物園に近い アリポール・ロード 。工事で掘り返された未舗装の歩道に小さな屋台商店や山のようなゴミが占拠しているので人々は車道を歩いていた。ゴミを仕分けする女達が怒鳴り合っている一角に奥の住宅へ通じるゲートがあった。塀に囲まれた細い私道の奥に十数階建てのアパートが建っていた。薄汚れた制服を着た守衛に「5階のヴィマル・ラート宅へ行くのだ」というと、興味なさそうにあごを傾けた。「あっそう、勝手に行け」というサインだ。1階部分はすべて駐車場になっており、中央のエレベーターを5階まで上がるとラート氏の家である。

 ラート氏夫妻と女優のような美人嫁のシルパーが迎えてくれた。

 ラート家のアパートはとても広い。日本式にいえば 4LDKだが、広い居間と食堂、それぞれの寝室に専用バスルームがある。後でラート氏に聞くと、240平方メートルあるという。ここに、ラート氏と奥さんのヴィムラーさん夫妻、息子のアンシュマーンと嫁のシルパー、彼らの双子の息子アディラージとアドヴァイト、使用人2人、全部で8人住んでいる。使用人は、ラート家に50年仕えるという ムムターズ・アリー と女性の マンガラー で、彼らは広いバルコニーで寝ていた。LathHouse

 50代後半のラート氏は、わたしと同じくらいの背丈で、同程度の年齢、裕福度のインド人には珍しくすっきりした体型の紳士だった。冗談度よりも真面目度の方が2割ほど勝っている。対話者との視線固定時間が短くちょっと気難しい感じだったが、話し方はとても温かかった。

 チャーイ (ミルク・ティー)を飲み終えたプラビールは、ラート氏に挨拶して帰って行った。

居候の部屋

LathBed  3日間居候することになるわたしには、大きなベッドのある西側の部屋があてがわれた。スーツケースから荷物を取り出していると、ラート氏が部屋をさっと見回し「何か必要なことがあればいつでもシルパーかマンガラーにいってくれ」といいおき、本職である運送業エージェントの事務所へ戻って行った。

 シャワーを浴び終えベッドでまどろんでいると、リュックの中の携帯電話が大きな呼び出し音を発した。あわてて携帯を取り出そうとしてスーツケースの角につま先をぶつけた。叫びたいほどの痛さをこらえて電話に出た。配偶者からの電話だった。この時間、この状況で呼び出しをすれば確実に何かにつま先をぶつけるだろうと計算したようなタイミングだった。

 再び事務所から戻ったラート氏、父親の手伝いをしている息子のアンシュマーンも合流したランチの後、猛烈な睡魔に襲われて昼寝をした。 3時間ほど熟睡。

 昼寝から目覚めてもまだ頭に霧がかかっていた。すっきりしようと近所を散歩した。デコボコの狭い歩道はゴミだらけで埃っぽく、肩がぶつかるほど人通りが多いので散歩には向かない地域だった。近所にインドには珍しいスーパー・マーケットがあった。商品の種類や並べ方は日本と変らない。違うのは武器を持った守衛の数がやたら多いことだ。

 帰宅して 3時間ほど練習。練習の最中、チェータンから電話があった。

「ラート宅の居心地はどう ?ちょっと風邪をひいてしまったらしく体調はあまりよくないけど、明日の夜の電車でそっちに着く予定だ。会うのを楽しみにしている」

 タブラーの ビシュワジート にも電話した。

「昨日は朝早く起こしてごめん。今、 アリポール・ロード のラート氏宅にいる。練習できる時間はとれないかなあ」

「おお、ヒロシか。今、日本人のカタックダンサーと練習しているところだ。朝早いのはノープロブレム。練習しよう。明日、 11時にはそっちに行けると思う。家も近いし」。

  10時すぎにスープつきの遅い夕食をいただき、ベッドに横になった瞬間に意識を失った。


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