その3/笛男との遭遇2

 その笛男は、40歳前後に見えた。しかし本当のところは分からない。インド人の年齢を推測するのは難しい。何度も洗濯して本来の白色が薄い灰色に変色したクルター、パジャマ。足が何本か入りそうな太いそのパジャマのすその下に、素足をおおう黄土色のくたびれた成型ビニール靴をのぞかせていた。わたしと同じくらいの身長の彼は、細いからだつきではあったが、単に痩せているというより、絶え間ない移動によってむしろ引き締まっていた。左の頬にはかすかな痘痕があった。縦長の彫りの深い顔だちは、まわりの男たちのまがまがしい表情と違い、おだやかな表情をたたえていた。たったいま水で濡らしてきたような黒光りのする短い髪が無造作に耳にかかり、その先端から汗のしずくがたれている。首にかけた赤白タータンチェックのよじれた布切れの両端は、手や首筋を何度も拭いたためか、本来の模様がわずかに残っているだけだった。
・・・などと書いているが、いま思い出すことのできる笛男の姿はもっと曖昧でぼやけている。なにせ、25年も前に列車で出会った一人の男である。
「ウォ・キャー・ヘ。バジャーテ・ヘ」
 笛男にそういわれたが、意味が分からない。わたしは向かいのハゲスーツ多汗男に視線を移し、笛男がなんといったのか英語で尋ねた。彼は、わたしの笛の入った布袋をあごで示し、Rのきつい英語でこういった。
「ワット・イズ・ザット(What is that)?アル・ユー・ア・フルートプレーヤル (Are you a flute player)?」
「<わたし、コレ、デリーで買った。笛好きだ。でも、プレーヤーではない。あなた、笛上手。わたし、もっと聞きたい>といってくれ」
 ハゲスーツ多汗男は、頭頂部の汗をひとぬぐいしつつ、おおきくうなづき、笛男にヒンディー語でわたしの言葉を伝えた。
「クチュ・バジャーオ」笛男が笛を構えるしぐさをしていった。単調な移動に退屈していた乗客たちは、かっこうな退屈しのぎがみつかったとでもいったふうに、笛男、ハゲスーツ多汗男、わたしと視線を動かした。それまで泣き叫んでいた幼女もじっとわたしを見ている。わたしの目の前に足をぶら下げていた2段席の男がすっと足を引っ込め、笛男の言葉をくり返した。「クチュ・バジャーオ」
 ハゲスーツ多汗男は、もうすっかり通訳に喜びを見いだしているようだった。彼は、英語ができるということで他の乗客たちの尊敬を集めていたのだ。
「アー、ヒー・セイ、プレイ・サムシング、ユーノー( Ah, he says, play something, you know.)」
 周辺の乗客がみなわたしを注視した。わたしは、ま、いいか、どうせヒマだし、と日本語でつぶやきつつ、ジョーラーから笛を一本とりだして、「さくらさくら」を吹いた。
 終わると、「ワーワー」とか「キャーバー」とかいって皆がはやし立てた。笛男もなにかいっている。もっとやれっていっているのかと思ったわたしは、今度は「イエスタデイ」をやった。するとまた「ワーワー」とか「キャーバー」が飛んでくる。もうすっかり調子に乗ったわたしは、知っている限りの曲を次から次に吹きまくった。「ミシェル」「最上川舟歌」「花笠音頭」「夕焼けこやけ」「花嫁衣装」・・・
 となりの凶眼が、もっとやれという感じで腕を押しつけてきたが、ネタがなくなってきた。わたしは、いったん笛をおいた。じっと聴いていた笛男は、「アッチャーヘ。アッチャーへ」といいつつ、なにかをつかむように開いた右手を上にあげくるっと回すジェスチャーをした。そしてこういった。
「イスコ・ムジェ・デーナー」
 出番の少なかったハゲスーツ多汗男は、にわかに生き生きとして通訳した。
「アー、ヒー・セイ、キブミー・ユアル・フルート(Ah, he says, "give me your flute".)」
 わたしは今吹いていた笛を彼に差し出した。彼は、歌口のところを手の甲でちょっとふき、すっと口にもっていき、吹き始めた。
 たぶん、民謡を演奏していたのだと思う。乗客のなかにはいっしょに口ずさむものもいた。笛男は、忙しく上下に回転するメロディーを繰り出す。そしてピタッと止める。にわか聴衆である乗客たちの顔を見回し、再び吹き出す。そのとき聴衆は、「ハーハーハー」「ワーワー」「キャーバートヘ」と感嘆の声をあげる。
 1曲を終えた笛男は、どうだ、という目でわたしを見、そして、あごを動かし、交代だというジェスチャーを示しながら笛を差し出した。わたしは、簡単な曲ではとても太刀打ちでないと考えて、ムチャクチャ即興ジャズ風コルトレーンまがいで対抗しようとしたが、所詮、笛男との実力差はおおいようもない。最初に吹いたときは熱心に聞いていた乗客たちは、明らかに興味を失い、それでいて、しゃあない、つきあってやるか、という表情をしている。
 このようなやりとりがしばらく続いた。最後に笛男は、わたしの笛を指さしこういった。「チャンジ(change)?」
 通訳の喜びを待っていたハゲスーツ多汗男は、笛男が英語でいったのであきらかに失望の色を隠せない。
 デリーの街角で1ルピー(当時は30円ほど)で買ったわたしの笛は、笛男のジョーラーに収まり、かわりに彼の年季の入った笛がわたしのものになった。その瞬間、免疫のないわたしのからだに初めて「インド音楽迷走神経不安定症」ウイルスが侵入したのかも知れない。便意のきざしが不意にやってきたからだ。
 笛男との列車内遭遇というこの出来事のあと、わたしは便意をこらえきれずガヤで列車を降り、駅のトイレでウンコした。そして、リキシャを雇ってブッダガヤへ向かった。

(つづく) 前へ 次へ