その6/カトマンドゥーへ

 峠の頂上にあるみすぼらしいチャイ屋で、やたら甘くて味のないチャイをすすりながら、わたしはこの世のものとは思えない景色に圧倒されていた。雲一つない濃い紺色の空は、地上のあらゆるものをくっきりと照らしていた。1月とはいえ、真上からの陽光はかなり強く、じっとしていると汗ばむほどだった。しかし、ときおり頬をなでる冷たい風は、季節と標高の高さを感じさせた。
 急峻な山が、はるか遠くまで見渡せた。山々は頂上まで耕され、菜の花畑の黄と緑の帯を作っていた。段々畑の等高線を描く山々は、遠くになるにしたがい、薄い絹布をかぶせたかのように、輪郭を曖昧にさせて延々と連なっていた。風に揺れる黄色の菜の花は、ときおり郷愁をうずかせる匂いを運んできた。
 峠から展開する光景は、熱した平たい鉄板のようなインド平原をよたよたと移動してきたわたしには、新鮮だった。大地の色に似た薄い茶色の膜がおおうインド平原が遙か下にぼんやりと見えた。目を北方に転じると、峠とほぼ水平に遠くまで広がる山々の輪郭を縁取る薄紫のもやから上に、とんでもなく高い山脈が視界いっぱいに帯状に広がっていた。それは陽光に照らされて白く光り輝く神々の座、ヒマーラヤだった。なんという高さ。なんという量。なんという清浄。それを眺める人間のなんという小ささ。神々である彼らは、単なる大地の最高地点としての存在を越え、遙かな高みから音楽を奏でていた。わたしは彼らが奏でる壮大な交響曲を耳を澄まして聴きいった。そして、ここに至るまでの道程を脈絡なく思い返すのだった。

 ガヤー駅公衆便所での苦悶と開放、「予約は」ときいて慇懃に宿泊を拒絶したボードガヤー日本寺の若い日本人僧の履いていた真新しい雪駄、無関心と寛容がない交ぜになったチベット寺僧侶の垢だらけの顔、4本の支柱に縄の網を張ったベッド、ダールとチャパティだけの粗末な食事、笛男の旋律とときおりやってくる下痢、ベッドを表に引っぱり出しひなたぼっこをしていると必ずやってくる数珠売りの青年、マハーボディ寺院の静謐な蓮池、その下でシャカが悟りを開いたという菩提樹の幹を囲む祭壇。急激な脱水症状によって弱った体力は、チベット寺での、のんびりとして規則正しい生活で少しづつ快復した。笛男旋律と下痢のワンセットが完全に消え去ったとき、わたしは再び移動を開始した。
 まず、リキシャでガヤー駅まで戻ったわたしは、夜行列車でパトナーへ向かい、まだ薄暗い早朝にパトナー駅に着いた。そして路上に人間や牛の糞の散乱するパトナーのバス駅からバスに乗った。
 バスは、木枠にブリキを張り付けただけで、ボンネットカバーはとれ、ラジエーターがむき出しになっていて、皮膚病を病んだ老犬のように見えた。バスには、たくさんの荷物を抱えた乗客たちが屋上まであふれていた。車内は、穀物の入ったジュート袋、表を布でカバーしたスーツケース、ぐるぐる巻きの布団セット、安手のビニール紐を編んだかご、新聞紙にくるんだたまねぎなどのさまざまな荷物や、それら荷物の隙間にかろうじて足場を確保した乗客たちでいっぱいだった。荷物や人にぶつかり強引に窓際の席を確保した私は、ガラスのない窓から猛然と吹き込む熱風とほこりにむせびながら、ネパールとの国境の町、ラクソールにたどり着いたのだった。
 バスを降り、丸く膨れ上がったリュックを背負い、シタールの入った寝袋を脇に抱え、笛や小物の入ったジョーラーを肩からぶらさげたわたしは、国境までふらつきながら歩いた。小さな橋の手前に平屋の建物があった。荷物のチェックをするカスタムだった。ところどころつぎの当たった制服の係官は、面倒そうにわたしの荷物にチョークでチェック印をつける。カスタムからちょっと歩くと、左手にイミグレーションの小屋が見え、そこから国境を示す竹のバーが道路をふさいでいた。ペンキで塗られた竹のバーの脇には、銃を担いだ国境警備兵が退屈そうに立っていた。ときおり、猛烈な土埃をまき散らしてトラックが通過していった。
 出国手続きは簡単なものだった。パスポートに出国スタンプを押してもらったわたしは、早くいけ、という係官の顎命令でイミグレーションを抜けた。小川にかかる小さな橋を渡るとネパール領だった。右端にはトロッコ用の線路が道路と平行して敷設され、雑草の合間からときおり光を反射させた。橋を越えるとすぐ右手にネパール側のイミグレーション、しばらくして右にネパール銀行、そしてまたしばらく行くと左手にカスタムがあった。入国手続きをすませたわたしは、カスタムのところに群がっていたリキシャの一台をつかまえ、ビルガンジの町に入っていった。町のたたずまいはほとんどインドのそれと変わらない。しかし、ペタペタコットン長髪スタイルのヒッピーや、細いまた引きをはき黒いネパール帽をつけた男たちの姿が、ネパール領に入ったことを示していた。
 ほこりと汗にまみれたわたしは、とりあえず一服したいと思い、町に一軒しかない冷房つきレストランに入った。生ぬるいコーラを飲み終えてタバコを吸っていると、後ろから誰かがわたしの肩をたたいた。振り向くと、テヘランからデリーまで一緒に旅をした北村氏だった。
「いやあ、この辺で会うと思ってたよ。カトマンズに行くんだろ」
「うん。いつからここに」
「昨日着いたんだけど、バスが混んでいて、乗れなくて。やつら、むちゃくちゃに値をつりあげてるしな」
「僕はゼニもあんまりないから、トラックの荷台にでも乗って行こうかと考えてたんだけど、一緒に行く」
「そうしようか」

 タバコを吸いながら圧倒的なヒマーラヤの光景を眺めていると、床几の傍らに座って写真を撮っていた北村氏がいった。
「すごい眺めだね、それにしても。トラックの荷台で尻がやたら痛かったけど、この景色見てたら忘れちゃうよ」
「まったくだね。しばらくここにいたいね。ところで、もう6時間は走ったけど、あとどれくらいかかるんかなあ、カトマンズまで。やつらは10時間っていってたけど」
 わたしがこういったとき、チャイ屋のおばさんと話をしていたわれわれのトラックの運転手が、「チャロー」とわれわれに出発を告げた。(つづく)

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