マンディ・スニ・サマサマよれよれ日記 2008年5月23日 (金)  

日記もくじ ▶次の日

関空

 前夜の知恩院コンサート「響流十方(こうるじっぽう)」の興奮と疲労を残しつつ午前7時前に起床し、排出方面作業をきびきびとこなして家を出た。ポートライナー「市民病院前駅」から10分の神戸空港で神戸関空ベイシャトルの船に乗り換えると30分で関空に着く。長いロビーの最も端っこにあるガルーダ航空のチェックインカウンター付近に着いたのは、約束の9時より15分ほど早かった。

mandisunisamasama
photo by HOMMA Naoki


 近くの待ち合いスペースの椅子にはすでにSATOYAこと佐藤高仁が座っていた。鼻ヒゲ、メガネ、灰緑Tシャツ、薄茶のチェックのシャツの上に明るい灰色の長袖ジャージーに、ジーンズ。47歳中年真っ盛りのひょうひょうとしたSATOYAは西宮に住むコピーライター。隣に引っ越してきた女性と仲良くなって結婚したらしい。趣味のレゲエバンドでギターを弾いている。大のインドネシア好きで、愛知県で2軒のインドネシア料理店を経営している。もっとも主にトヨタなどで働く在日インドネシア人相手の店は、最近のリストラのせいで客が減少しむしろ赤字だとか。
 しばらくして、ジョクジャカルタ市内に立派な住居をもつISI留学組ジャワ舞踊家の佐久間新、新が留学中に知り合い結婚した佐久間ウィヤンタリ(以下イウィン)、彼らの息子である4歳の佐久間ブナ、遠い岐阜からやってきた染織家の林紕さ子、ガムラン・グループ「ダルマブダヤ」のリーダーで今回の訪問団の会計係の山崎晃男、佐久間新にジャワ舞踊を習っている臨時随行者の中谷しのぶ(以下シシー)、ガムラン・グループ「マルガ・サリ」の代表であり「ガムランを救えプロジェクト」代表の中川真(以下タマゴ、57歳)、インドネシア在住時にバリ舞踊を習っていた青木恵理子(以下団長エリー、50歳代)、新と同様ISI留学組で現在HANA・JOSSという名でワヤン公演活動を行っている佐々木宏実(以下ヒロミ)、ヒロミがISI留学中に知り合い結婚したロフィット・イブラヒム、彼らの娘で1歳の佐々木アルム、インドネシアでも個展を開くなど糸を巡らせ蜘蛛の巣を作るユニークなアート作家の池上純子、「マルガ・サリ」メンバーで今回の記録係の哲学者本間直樹が約束時間に集まってきた。ミーティングのときなど「いっつも遅れてくるんだよ、タマゴはあ」といっていたバリ舞踊家の小林江美(以下エミー)が20分ほど遅れて到着したためタマゴに逆襲される。これで今回の渡航者全員が揃った。
「デンパサールでいったん荷物を引き取り、国内空港でもう一度チェックインせよ」とカウンターの女性が申し述べる。到着地まで荷物を持って行ってくれるわけではなかった。
 おもちゃのような景品時計欲しさに免税店でマイルドセブンを2カートン購入。1カートンはお土産用として佐久間に渡す。以前の景品時計はけっこう役に立つものだったが、今回のものはあまりにチャチだ。JTも喫煙者が減ってきて節約したようだ。焼酎などのアルコール類も購入すべきだったが、そこまで気が回らず後で後悔することになった。
 われわれのGA338は予定通り午前11時に飛び立った。ワダスは中央4席の右端。左に団長エリー、エミー、林、通路を挟んでSATOYA、山崎が座る。エミーを中心としたおしゃべりが盛り上がる。通路天井の小さなテレビ画像の一部が歪んでいて見にくい。しばらくして出てきた機内食は牛丼。なかなかにおいしいが、どんな機内食にも感動していたのはいつのことだったのか、とふと思った。長年の喘息をそれで克服したという痩身短躯の林は完全ベジタリアンの機内食。周辺に他にベジタリアンがいないため特別扱いを受けている感じがする。

デンパサール空港

 現地時間16時40分(日本時間17時40分)にデンパサール空港到着。乾期のはずなのに曇っていて湿度が高い。ビザ代、空港使用料など支払いはすべて山崎が担当なのでわれわれは彼を先頭にして固まり入国した。出口には客やホテルの名前が書かれたボール紙をかざした人々やホテル、タクシー勧誘員で溢れていた。空港内外の広告看板には携帯電話のものが目につく。パスポート・コントロールを出たところで両替した。4000円と5ユーロで490,000ルピアだったように思う。49万と数字だけ聞くとものすごい金額のようだが、実際の価値はその百分の一くらいである。
 バリ島に初めて来たのは1989年なので、空港も実に20年弱ぶりということになる。20年前の空港がどんなだったのかもう思い出せないが、今よりもずっとシンプルだったと思う。空港の外に出たとき、ワダスのボンベイ・バンコク経由よりも1日早く日本から直接飛んできていた短パン姿の配偶者と落ち合いタクシーに乗った。ホテルまでの料金が3500ルピアと聞いてあまりの数字にたまげたのを覚えている。たしか雨季の2月だった。フルオープンカーを借りて動き回ったが、いきなりやってくるスコールで服も車もびしょびしょになった。こんなことも覚えてはいるが、本当にあったことなのかどうかもアヤシイほど遠い昔のこと。30代の終わりはすべてが明るかった、ような気がする。
 国際空港から国内空港へは徒歩で数分。荷物を転がしてドメスティックへ。ここでタマゴが「ハラ減った。なあんか食いたい」と申し述べる。
「次のフライトまでは時間的余裕があるので空港の外で食べることもできますけど、どうしますか」
 インドネシア生活経験が長くかつ現地語に通じていることで徐々にツアコン意識に目覚めてきた気配り舞踊家佐久間がいう。参加者全員の間には,そこまではいいのではないか、という雰囲気が支配的だったので空港2階の食堂エリアで夕食をとることになった。今回はゼニの管理はすべて山崎が担当している。
「ええ、食費は一人あたり3万です。3人1組に10万ずつお渡ししますので後で釣り銭を返してほしい」
 こう申し述べた山崎からゼニをもらったわれわれはそれぞれに散らばっていった。ワダスはタマゴと本間の組になり、チキンの煮込みぶっかけメシSOTO AYAMを食べた。30,000ルピア。日本円だと300円くらいなので安いといえば安いが、町中の食堂に比べるとかなり高いのだ、とタマゴが解説した。食後、タマゴと細目長髪痩身哲学者本間がほぼ同時にかばんから最新超薄型MacBook Airを取り出してパカンと広げた。うらやましいなあ。
「おおっ、ここ、インターネット通じるやん」タマゴ
「ホンマですね」本間
「あっ、でもあかん。ゼニ払ってパスワードもらわなあかんみたいやわ。日本の空港やったらただやのになあ」タマゴ
「ホンマですね」本間

デンパサールからジョクジャカルタへ

 予定通り7時55分発の国内便GA255便に乗りこむ。進行方向右手の窓側からSATOYA、ワダス、そしてスカーフを巻いた小柄なインドネシア女性が座った。20代後半だろうか。小さな顔、比較的大きな横広がりの鼻を中心にくりっとした目と形のいい口が全体にすぼまって配置されている。
 飛び立って間もなく、肉まんのようなものとゼリーの軽食が与えられた。
 空港でぶっかけメシを食べた後だったので食欲はなかったが、隣のSATOYAと半分こにして食べた。なかなかにおいしい。ついで毒々しく赤いゼリーに取りかかろうと表面の薄いカバーを引きはがすと勢い余って中の汁がジーンズに飛び散った。セロファン・カバーの接着強度が強すぎるのだ。それを横で見ていたインドネシア女性が英語で「おお、気をつけなきゃ」とつぶやく。腰の弱い透明なプラスチックのスプーンをゼリーの表面に突き刺すと頑強な抵抗があった。ゼリーそのものもかなりの粘度だが、ナタデココが埋設してあるので思うようにすくえない。汁の飛び跳ねを警戒しつつなんとか食べきったが、レストランなんかでこんな風にして食べていたら相当に品性を疑われるところだろう。いったいに機内食の摂食作法は、口と食品の距離を品よく保つことができなくて浅ましく映る。
 隣のインドネシア女性もゼリーには悪戦苦闘していた。
「これは、食べにくいよね」HIROS
「まったく」イネ女
 というような会話から次第に話が弾み、結局、ジョクジャカルタに着陸するまでおしゃべりをした。
「この便はよく利用するんですか」
「いいえ、めったに乗りません。新婚旅行で夫とボロブドールへ行くつもりなんです」
「新婚とは、おめでたい。でも夫はどこに?」
「ずっと前のほう。予約しないでチケットを買ったものだから席が別々になっちゃったんです」
 聞けば、彼女も夫もスマトラ出身。スマトラで3日間続いた結婚式を終えて新婚旅行の途中だった。彼女はバリ島に、夫はジャカルタに事務所を持つ弁護士だという。父親は元軍人の警察官で、日本語の歌を歌えるのよと自慢した。姉も弁護士。ジョクジャカルタの名門ガジャマダ大学を卒業して弁護士になった。現在は主に企業の法律業務を請け負っているが、ちょっと前までは刑事事件も扱っていた。扱った刑事事件で印象的だったのがコルビー事件。CNNでも報道された大きな事件だったので彼女は一躍有名人になった。コルビーというオーストラリアの若い女性が、4キロ以上の精製マリファナを持ち込んだとして裁判になった。本人は、マリファナの入った入れ物は自分の持ち物ではなく何者かがスーツケースに入れたのだと主張したが、結局、有罪となり20年の懲役刑を受け現在も収監されている。出国時の持ち物の証明、家族、友人の証言、国家間の問題のため何度もオーストラリアに飛んだ。彼女が本当に運び屋だったのか、単に何者かに利用されたのかの証明は難しく、今でも本当のところはだれも分からないという。
「今後のことはまだ決めていないけど、多分、結婚後もバリ島の事務所で仕事すると思う。夫はジャカルタだからきっと何度も往復することになるでしょうね。バリ島で何か問題が起きたら相談してね。弁護士リリーといえば分かるから」
 彼女はこういってGA255便が着陸したところで起ち上がった。バゲージ・コレクト・エリアへ行く途中で彼女の夫を紹介された。丸顔で知的な表情、赤シャツを着た小柄な男だった。

ジョクジャカルタ着

 8時5分、ジョクジャカルタ空港着。「ちょっと外を見てきます」という佐久間を待ってわれわれは出口付近に固まって待つ。
「どうもジョハンは来ていないようです」
 ジョハンとは、「ガムランを救えプロジェクト」の現地でのパートナー・グループ「フォーラム7」の代表で、今回のプログラムや日程について連絡し合っていた人である。昨年のCAP HOUSEでの「マンディ・サマサマ」にも参加したのでわれわれの事情を最もよく知る人なので、みんなは当然空港に迎えにきているものと思っていた。
 佐久間の報告を受けてめいめいがつぶやく。
「えーっ、どないなっとんの」
「フランスではみんな抱きついて歓迎してくれたけどなあ」
「ジョハンには、今日の到着時間も知らせたから当然迎えにきていると思ってた」
 とはタマゴの感想。
 イウィンの妹テラと弟のころんとしたアンバールが迎えにきていたのでなんとなく安心はしたものの、のっけから肩すかしをくった感じだった。テラの携帯でジョハンに電話すると、自宅でテレビを見ていたところだという。うーむ、明日からのプログラムは大丈夫だろうかと、ちらっと不安がよぎる。
 タクシーに分乗してホテルへ行くことになった。ワダスと同乗したのは佐久間とシシー。メガネをかけたおとなしい感じのシシーは今回のジョクジャカルタ訪問団に急遽参加することになった新潟出身の女性。学生のように見えたが30歳の人妻。後でこのことを知った山崎はちょっとした失望を味わった、と申し述べた。「ガムランを救えプロジェクト」のメンバーではないが、佐久間の弟子ということもあり、ほとんどの行動をともにした。上越教育大学大学院生のときに偶然インドネシアと縁ができ、中学校教師である夫の住む滋賀に嫁いできた。海外旅行は2度目で、インドネシアは初めてだという。そんな話を聞きながらタクシーはジョクジャカルタ市街を走る。夜なので街の様子ははっきりしない。低層のごちゃごちゃとした建物が続き、食い物屋や雑貨を売る屋台などを見るとインドの街と似ていなくもないが、野良犬や牛などの動物の姿はない。ひっきりなしにバイクとすれ違う。

WISMA ARY'Sホテル

mandisunisamasama mandisunisamasama
イウィンのお母さんと妹
ホテルの部屋

 30分ほどでWISMA ARY'Sホテルに着いた。さまざまな植物が生い茂る中庭を2階建ての客室がコの字型に囲んでいる。実家に滞在することになっている佐々木宏実、ロフィット、アルムをのぞいたわれわれは、入って右手の食堂に集合し部屋割りの後、めいめいが部屋に入った。ワダスは山崎と同室の2階15号室。左隣が佐久間、イウィン、ブナの部屋だ。佐久間の部屋の前の廊下に年配の女性、若い女性、アンバール、テラがいた。年配の女性はイウィンの母親(イブ)。若い女性はイウィンの妹とのこと。イウィンとそっくりの顔だった。
 割と広々とした部屋には赤い毛布つきのシングルベッドが2つ、小さなテレビ、背の低いテーブル2個、洋服棚、藤で編んだ洗濯物入れがあった。
 奥のバストイレのデザインには度肝を抜かれた。どぎつくカラフルなレリーフを施したセメント壁とカボチャを模したシャワースペース。表面の滑らかな小さい石の階段が滑りやすい。mandisunisamasama
 シャワーを浴びて日記を書こうと、持参してきたコンピュータに電源をつないだところ、バッテリーが完全にいかれていて使い物にならないことが判明。こんなことだったら持ってくるんじゃなかった。テレビのコンセントを外してつないだ変圧器はもっぱら山崎のコンピュータの充電に使用されることになった。
 すぐには眠れないので、廊下に出て山崎とビールを飲んでいると佐久間が紙パックの薩摩白波を持ってきた。ここから車で5分ほどの自宅からもってきたという。彼はジョグジャカルタに車と家があるのだ。したがって、佐久間家は自宅に滞在してもよかったのだが、ツアコン状況なので同じホテルに泊まっていた。
「明日からガソリンの値段が上がるのでスタンドに並んだけど、長い列ができていて」
 後で新聞で知ったことだが、政府は翌日からガソリン1リッターあたり4,500ルピアから6,000ルピアに値上げすると発表した。20日にはジャカルタで大きな抗議デモがあったとも報じられていた。ジョクジャカルタ市内ではそうしたデモを見ることはなかったが、原油価格の高騰によって人々の暮らしが苦しくなってきているのは世界中どこでも同じだ。
 アル中ではないけど毎日焼酎を2、3杯飲んで寝る、という山崎と、音楽心理学とはなんぞや、などという話をした後、1時過ぎに就寝。長い1日だった。

日記もくじ ▷次の日