メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

4月20日(土)  前日  翌々日

 夜中2時頃、下痢で起きる。朝まで数回トイレ。苦素。釈迦は膨満だった。起きたら10過ぎだが、隣の久代さんもまだ寝ている。夜昼逆転しそうだ。体全体が重くて力が出ない。
 一日中家にこもり、ビデオニュースとかYoutubeの音声をうつらうつら聴きながら過ごす。

イサ (with H) のやれやれ日記---
午後5時。
私は朝、といっても10時半頃、起きて、牛乳とコーヒーを飲んで、それから何も食べていない。お腹がすいたので、昨日スーパーマーケットで買ったソーセージを焼いて食べようと思った。
イロス (with H) はずっとソファで寝ている。ビデオニュースドットコムを聞きながらそのまま眠ってしまっていた。ソーセージを焼く匂いで起きてくるかもしれないと思ったら、やっぱり、むっくり起き上がった。そしてバナナを1本、食べた。昨夜、下痢で、何度も起き、へたっている。
さてソーセージは七面鳥のソーセージらしかった。適当に買ったのだったけれど、Pavo とあって、辞書で調べた。そして、缶ビールを1本。
10時半。イロスはしばらく前に寝入った。落語の地獄百景を聞きながら。私は少しだけスペイン語の勉強。こんなふうだとビールのペースが日本にいるのと変わらなくなってしまう。困った。

臨時我が家
臨時我が家に隣接する門
大家のバチェとマルタの住む母屋

4月21日(日)
 6時起床。食パン2枚、ソーセージ2本、コーヒー。ミルクがどうも変になっている。下痢の原因かもしれない。
 練習の後は昼過ぎまでダラダラ過ごす。今日はパツクアロの中心部セントロで咲子さんの紙芝居があるというので街に出かけることにした。バチェたちも行くから一緒に車で行くかと聞かれたが断り、2時半にミニバスに乗りセントロへ。料金は一人9ペソ。近くでもセントロまで行くのも同じ料金のようだ。途中他の乗客を降ろしたので最後は我々二人だけになった。

中央広場の風景。ここの伝統の爺さん踊りもあった。


 中央広場を抜けてカフェ・ハカランダの前を通ると、パブロがいた。彼に今日の咲子の紙芝居の会場の場所を聞く。17日に行って気に入ったレストラン、Gardenianへ行ったが閉まっていた。二人で目指すところへ行くと閉まっている、というジンクスがまたも的中してしまった。仕方がないので近くの別のレストランEl Curvo Erranteへ。パブロが「ちょこちょこっと料理が出る」と言っていた店だ。テント張りの中庭でビール、前菜3種65ペソ、いちごとレタスのサラダ35ペソを頼む。店員の誠実そうな青年はちょっと英語を話し、まだ色々料理はあるけどどうだと促す。パブロの言うように量が少なくその割に値段が高い。暑くなってきたので中に入り、食べ終えて店を出る。全部で230ペソ。Gardenianに比べてコストパフォーマンスが悪い。もう来ることはないだろう。


 お腹が中途半端なので広場周辺の屋台ハンバーガー店でワダスがハンバーガー、久代さんがホットドッグを食べた。二人で50ペソ。安い。広場に面したOXXOで水を買い、広場を眺めながら頬張る。
 修道院跡である観光名所のCasa de los 11 Patiosをぶらつく。ここは先日訪れた民芸品工房のすぐ上。広場からは少し勾配のある高台の中間にあった。

Casa de los 11 Patios


 中央に噴水だか泉だかのある小さな中庭を挟んで細い石の柱のある廊下が取り囲む。廊下に面した部屋が修道者たちの住まいだったのだろう。現在、部屋は民芸品の工房と店舗を兼ねた観光名所になっている。2階の角にある部屋では、年配の女性が椅子に座っていた。売られているのは全て彼女の手製の刺繍の入った布製品。手の込んだ刺繍のあるシャツの値段を聞いた。1000ペソだと言う。彼女の写真を撮った。目をつぶったものを最初に撮ったのを店員の若い女性に見せると、これじゃダメだからきちんと撮った方がいいと言うのでもう一枚。本人も店員も納得していた。隣の部屋では若い女性がジーンズにやはり刺繍をしていた。別の店では精密な漆塗りの皿や装飾品などが売られていた。漆塗りはこの地方の特産のようだ。日本の漆とは違うというラッカーはパツクアロで取れる、と店主らしいおっさんの説明だった。これ綺麗だよ、とショーケースの中にあった白い卵を取り出して見せてくれた。金で彩色してある。値段は1600ペソ?とかなり高価だ。ときおり観光客らしい人々が店に入ったり中庭のベンチで休んでいたりした。
 メスカルを売っているかもしれないとOXXOと、先日行ったスーパーへ行ってみた。が、OXXOにはなかった。スーパーでは高そうなテキーラの瓶が並んでいたが、地元のメスカルはないようで、買えず。
 広場の一部に舞台が作られていた。音楽の演奏が始まるようだ。今日はイースターなので特別な催しなのかもしれない。舞台の司会がアナウンスをしていた。ふと、聞き知ったバンド名の名前が紹介された。去年、タカンバロでワークショップをしてもらったバンドだった。思わず舞台に向かうと、ウリセとアレリの姿が見えた。向こうもワダスに気が付いて抱きついてきた。なんという偶然。

久代、ワダス、アレリ、ウリセ


 そうこうしているうちに咲子さんの紙芝居の時間である6時近くなったので会場のカフェLa Cabrona: galería de arteへ。小さな中庭を囲んだカフェ。中庭の中央に縁台が設置してあった。両サイドには大きなスピーカーもあり、ジャズがかかっていた。
 ビールとコーヒーを注文してしばらくすると、地下足袋に青い上下のコスチュームをした咲子さん、さらにバチェとマルタも現れた。他の客席に若い人たちがいて談笑していた。


 しばらくして、マネージャーらしい若い女性が演台に進んでマイクを取り、咲子さんと紙芝居の絵を描いた男性の画家アンヘル・パウアンドを紹介した。色黒のアンヘルは一見ベンガル人のようにも見える。咲子さんによればこの辺りでは有名な画家という。
 咲子さんの紙芝居やお話の解説が始まった。まず、絵がよく見えるように客の座る場所を指示し、それに連れて客は移動する。解説は当然スペイン語なので理解できないが、時折客席から笑いを取っている。咲子さんのスペイン語は相当なレベルなのだ。

紙芝居の原画が画家のアンヘルから咲子さんに贈呈される


 お話は、パンチョ・ビジャの率いた革命軍の軍医として活躍した日本人、野中金吾の物語。1906年、16歳のときメキシコにやってきた福岡出身の野中氏が偶然にのちのち大統領になるフランシスコ・マデロの治療をしたことからビジャに認められ、軍の負傷者治療に活躍し、メキシコ政府から功労賞を授与されたと。こんな話は知らなかったなあ。紙芝居の絵はちょっとごちゃごちゃしていたが、咲子さんの語りは堂に入っていて、客は引き込まれていた。パフォーマンスは投げゼニ方式。普通は50から100ペソほどを払うと咲子さん。バチェみたいな人はもっと入れるけど。
 芝居が終わり、メスカルを飲みながらバチェ、マルタ、小太りおばさんのアデーラ(全くそれらしく見えないがフランス人だと言う)、アンヘル、アンヘルの若い綺麗な奥さん、咲子さんたちとしばらく歓談。咲子さんは今日の紙芝居の原画をアンヘルから贈呈された。
 トイレに行くため上がった中二階で、背が高く顎鬚の長い細身の男と話す。「11年前、東京でバーテンダーしてたよ」と日本語で話す彼は、ヤコというフランス人だった。8年前にパツクアロに来たという。ここのカフェのマネージメントをしていて、ライブのブッキングもしているというので6月頃できるかどうか聞いてみた。
 レジでタバコを吸っていた男からタバコを1本もらう。彼も日本語を話した。「熊本にいた」という。彼はヤコのいとこでジェレミーという。
 咲子さんと我々はバチェとマルタの車で帰ることになった。駐車してある場所まで坂道と急な階段をのぼる。「きっとここもピラミッドだったはずだ」と休み休み階段を上がるバチェ。丘の頂上からは薄暗くなったパツクアロの街が見下ろせた。登りきったところにも住宅が立ち並んでいた。「この辺はアメリカ人が改修して家を作っているんだ」とバチェ。


 咲子さんを自宅前で降ろして帰宅。9時過ぎだった。久代さんはビールとソーセージ、ワダスはりんごを食べる。
 11時前にベッドへ。桂文珍の地獄百景を途中まで聞いて就寝。 

前日  翌々日