メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

5月4日(土)  前日  翌日
 何となく復習をしたり日記を書いてダラダラと午前中を過ごした後、パツクアロのセントロへ行くことにした。
 セントロの中心地の広場は前回来た時にはあった屋台がないので開放感にあふれていた。自作の絵を並べるおっさんたちや、何気なくベンチに座る老人たち。広場ではどこからともなく音楽が聞こえてくる。どこに移動しても音量と音質が変わらない。どこかに大きなスピーカーでもあるのかと見回しても見当たらない。ふと、芝生にある緑の鉄枠から音が出ていると気がついた。見渡すとそれが広場全体に等間隔で設置されていた。まるで地雷のように見える灰色の本体の上にBOSEとあった。そうか、BOSEならいい音が出るはずだ。


 カフェ・ハカランダをのぞいてみた。入口の掲示ボードにワダスのライブの告知もあった。5月11日にここで演奏することになっているのだ。中に入って、アグア・ミエルを注文。去年飲んだ、サボテンを発酵させてできた飲み物。わずかにアルコールが入った白濁したもの。チップともで2人で100ペソ。うーむ、昨日のケサディーヤに比べたら、けっこう高い。文化人が集まるというこのカフェはちょっと気取っていて、天井が覆われた中庭の周りにある作家ものを扱う店の商品は値段も高い。

ハカランダの店内とキツィア


 短い黒髪の、英語を話す女性スタッフ、エステラがサービスしていた。3歳になる娘のユリエタが周りで遊んでいた。後からキツィアが来た。ワダスのジョークを押し売り披露しながら、おしゃべり。キツィアは実は咲子さん宅で会ったアナイの妹だった。黒髪を後ろにたばね、水色の枠のメガネをかけている。アナイは今、太平洋岸の町に出かけているという。


 夕食の材料を買いに市場へ行った。屋台村のような飲み食いする店が奥まで連なり、多くの人が飲み食いしていた。きっと安いんだろうなあ。なかなかいい感じだ。いつか来よう。屋台村と並行して野菜や果物を売る店が並ぶ。そこで、白菜 (シロナ) のような菜っ葉、キュウリ、キノコを買って、コンビに乗った。当初はセントロから坂道を下って我が家まで歩くつもりだったが、ワダスの尻にツンツンと排便信号が現れたのでコンビで帰ることにしたのだ。
 帰宅して夕食の準備。買ってきた菜っ葉を刻んで茹で、油で炒めた。マルタが窓から差し入れてくれたパン、キノコとトマト、ソーセージの炒め物、アボカド刺身の夕食だった。


 食べているとバチェがやってきて「友人が来るので来ないか」との誘い。久代さんは手紙を書いているのでワダスだけ母屋に行った。居間に入ると、独特の匂いがする。マリワナの匂いだとすぐ分かった。古い友達だというお客さんは、サンディとその夫 (名前失念) の夫婦だった。名前失念夫は長髪のメガネをかけた知的に見える老人。車椅子でやってきたサンディは流暢な美しい英語を喋る。聞けば彼女はロンドン出身のイギリス人だった。「78年にイギリスに見切りをつけてメキシコにやって来て、この人と結婚し、英語を教えているうちにもうこんな歳になっちゃった」という。バチェ、サンディとは英語で話したので、英語が得意ではないマルタは名前失念夫と話していた。政治の話になり、バチェはアルメニアの虐殺について話し出した。
「虐殺に関する記録があちこちに散らばり、今ではなかったことになっている。ある神父によって書かれた記録はエルサレムに渡り、さらにマルセイユで筆写され、それがニューヨークに渡った。死者は100万にのぼる。俺の曾祖父さんたちも徒歩でシリアまで逃れたんだ。愛国主義というのはどうも好かん。だからあまり政治には関心がない。文化芸術こそ大事なんだ」
 ワダスが「インターネットの時代になって国民を統合するということが難しくなっているので国対国の戦争はもうできないんじゃないか。そんなことがユヴァル・ハラリの本に書いてある」
「ユヴァル・ハラリ? それ誰?」
「サピエンス全史という本を書いたイスラエル人ですよ」
 サンディが即座に「あーあ、私もその本知ってる。なかなか進まないけど読んでいるわ」
「知らなかったなあ。その著者について後で教えてよ」とバチェ。
 たまたまワダスはHomo Deusの英語版をKindleに入れていたので、バチェに貸してあげた。
 バチェが「吸うか」というので一服し、部屋に戻ると急に頭がクラクラしてきた。そのままソファに横になったが、立ち上がれない。どうもワダスには効きすぎるみたいだ。よろよろとベッドに入って寝てしまった。

---やれやれ日記
メキシコシティに着いて飛行機から降りるとき、 キャビンアテンダントの女性に Buenas tardes ! と声をかけられて、あっ挨拶の言葉を返さなきゃ…でも…なんて言われたのかも、なんて返すべきかもわからず、あせって思わずブエノス・アイレス!と言ってしまった私でした。
しかし、しかし。
スペイン語のレッスンは大して成果が上がっていないとはいえ、l、ll、r、rrその他の発音には依然、問題ありとはいえ、なんとタブラーダの詩文に挑戦しようとしている!
ネットで意外にすんなり俳句集の全文が見つかった。とりあえず辞書を引き引き、序文の解剖に取りかかった。序文とはいえ、詩であった。手ごわいが、こんなふうに言葉をコネコネいじくりまわすのが大好きな私であった。
タブラーダのハイクはそんなに数は多くない。でもタブラーダの影響を受けたかのボルヘスもハイクをつくっていたことがわかったし、よ〜し全部スペイン語で読んでやる、と意気込む夜でした。

ブエノスアイレスの
青き夜明けよ
ハカランダの花

Carlos A. Adrian Ramosというアルゼンチンの現代の作家の作品ということです。
(国際俳句交流協会ホームページ、井尻香代子さんの記事から許可なく紹介させていただきました)
メキシコに着いて以来どこでも見かけた青い美しい花がハカランダだということを今になって知りました。

ハカランダの木。紫の花が桜のように散る。

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