メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

5月7日(火)  前日  翌日
 今日から20日までレッスンがないので、何をすべきか。午前中は練習と日記を書いてアップロードするという定番の作業。続いてスペイン語の復習でもすれば良いのだが、家の中は寒い。というわけで、今日も小旅行することにした。目的は、ツィンツンツァンとキロガ。
 12時過ぎに家を出た。エスタシオンまで歩いて、コンビに乗ろうとしたら、タクシーの運ちゃんが二人で50ペソ(300円)でいいというので乗り込んだ。助手席に子連れの母親、後部に我々と金髪に近い髪のオネエチャンというか中年差し掛かりの女性が同乗した。
 タクシーが走り出すとその女性が話しかけて来た。応答にきょとんとしていると「ああ、スペイン語がわからないみたいだよ、彼ら」と運転手に話しかける。「中国人? あ、日本人ですか。私はキロガの近くに住んでるの。どこまで? ツィンツァンツン。ああ、あそこにはヤカタがあるよ」
 ヤカタというのはピラミッド遺跡のことだ。ツィンツンツァンというなんとも発音しにくい町の名前は、プレペチャ語で「ハチドリの場所」という意味。ネットの「コトバンク」に次のような記述があった。
「メキシコ中部,ミチョアカン州パツクアロ湖岸の丘陵部にあるタラスコ文化の遺跡。15世紀からスペインによる征服までタラスコ王国の都として栄えた。円形と方形を組み合わせた〈ヤカタ〉と称する5基の基壇が知られている。また発達した冶金術,この文化の感性と高度の技術を示す多彩色土器や装身具類も大きな特徴である。タラスコはメシカ王国の征服を退けたことでも知られる」


 15分ほど走るとツィンツンツァンに着いてしまった。街角の建物の壁に「ツィンツンツァン、ハチドリの場所、標高1998m、年平均気温18度」と書いてあった。
 街をぶらぶらして広場に出る。こんもりとした数本の木が照りつける日差しを遮っていた。広場は二辺しか建物に囲まれていないので街の中心という感じがしない。それに人もほとんど見えない。広場が一人だけ日向ぼっこをしているようだ。


 近くに古い教会の尖塔が見えた。荒っぽい石組みの壁の端に門があったので中に入ってみると、公園のようになっている広い敷地を持つ教会だった。広い庭園にオリーブの大木が一定の間隔をおいて繁っていた。たしかエリカが「スペイン人が苗を持ち込んで植えた木がある」と言っていた。きっとそれだろう。だとすれば樹齢500年くらいか。


 などという話をしていると、野球帽をかぶった四十くらいの男が「何してるの?」と英語で聞いてきた。シカゴから来たというアメリカ人だった。「韓国語は? そう、分からない。中国語は? それも分からない。英語わかる? あそう。アメリカに住んでるの? 日本から。なるほど。さいなら」と去っていった。
 鐘つき塔のある教会の中へ。キリストにまつわる絵が並ぶ壁、中央祭壇で磔のキリスト像が見下ろしている。中にいたのは我々とメキシコ人夫婦らしい二人だけだった。出口に絵葉書などを売る小さな店があった。

 


 中が博物館になっている修道院のような建物に入る。受付のおばさんに20ペソ払ってワダスだけぐるっと見て回った。小ぶりのパティオに4本の木が等間隔に植えられていて、美しい眺めだ。中は先スペイン期の陶器や台所用品、家具など生活の様子を伝える物、キリスト教の伝道の記録などが展示されていた。見学客はワダス以外には二人の若い女の子だけだった。

 


 教会を出たところにお土産屋が固まって並んでいた。コップ、木製の柄杓やおたま、お面、麦わら細工の飾り物、Tシャツなどなど。店がちがっても同じような商品が並べられていた。客らしいのは我々だけだ。
  教会の街道筋側の門越しにヤカタが見えた。ゆるい坂道を登り見上げると石組みの遺跡が横に広がっていた。一人の男がその上を歩いている。街の方を見下ろすと小さな街が広がり、その先にパツクアロ湖が見えた。なんだか街全体が真っ青な空の下で昼寝をしているようだった。

 そこで浮かんだ冗談のような下手な句。

 ヤカタ盛り 日向の夢の ツィンツンツァン
 昼寝する 湖畔の村の タラスコ都
 神父より オリーブ生きる 500年 
 紫が ハラハラと散る ハカランダ


 キロガへ向かう。幸いコンビがやって来たので飛び乗った。人家のないなだらかにうねる道を10分ほど走ってキロガに到着。
 両側に商店や市場のある緩やかな坂を上がるとセントロの広場に突き当たる。広場に入ろうとした途端、肉を焼いている小太りおっさんに「どうだ、これ食ってみろ。うまいぞお」と肉片を渡された。豚肉料理のカルニタスだ。確かにうまい。頷くと、これと一緒に食べな、てな感じでトルティーヤを一枚くれた。「どうだ。どれくらい欲しい。今食べる?」と営業の追い討ちをかけて来た。「広場をぐるっとしてから来るよ」と言って振り切る。


 それほど広くないキロガの広場を一周し、ビール2本15ペソ(90円)を買ってテント張りの食堂へ。通りに面して数人の男たちがカルニタスを商い、中では別のタコス屋やジュースやタバコなどを売る店が同居した屋台村のような感じだ。先のおっさんが「おっ」とやって来て「カルニタスだよね。OK。他には?」という。座ったテーブルに近いタコス屋のお姉さんも注文取りに加わる。結局、カルニタス1皿、牛肉のビーリアのせタコス2皿を注文。料金は、カルニタスが40ペソ、タコスが2つで50ペソで、しめて90ペソ(540円)。一人270円のランチでした。


 量が多かったが、カルニタスもタコスもとても美味しいので全部食べて腹一杯になった。妻らしい女性と隣に座った中年の男が英語で話しかけてきた。
「メキシコにようこそ。旅行なの? そう。どこから? 日本。あっそう。サルー(乾杯)!」
 食堂には多くの人たちが出入りし、どんぶりのスープにトルティーヤをつけて食べたり、タコスをかぶりつきつつ談笑していた。食べることの好きな人たちだ。
 一歩裏道に入るとひっそりとしているキロガの街は、広場だけが食い物の熱気にあふれていた。そこで一句。

 食うや食え 広場の勢い カルニタス 
    
 教会門前の土産物売り場には店が密集して軒を並べていた。閉まっている店も多い。ほとんどが陶製の食器や麦わら細工の飾り物、網かご、人形、面などを売っているが、客らしいのは我々だけだ。店先の椅子に座って居眠りしている人も見かけた。通りに便所の幟があるのがちょっとおかしい。

メキシコではBAÑOSが便所


 帰途につくためにコンビを降りた場所まで戻った。道路の向こう側に止まっていたコンビを見ていると、初老に近いほっそりとしたおっさんが話しかけてきた。「パツクアロまでか。一人30ペソでいいよ」とタクシーを示した。2人で60ペソ(360円)か。コンビとそれほど変わらないのでタクシーに乗り込んだ。やはり相乗りだった。助手席におばあさん、我々の横にはスマホをずっと離さなかった黄色のマニュキアをした若い女の子が座っていた。


 スピードメーターがゼロを示したままのタクシーは途中何台か追い越ししながらかなりのスピードで走り、ほぼ30分でパツクアロのエスタシオンに着いた。そこから例によって徒歩で5時頃に帰宅。
 ワダスが日記を書き、久代さんはスペイン語のテキストを見ながら発音の練習。室内にいると寒いので外に出て庭の水撒きをする。あとはメスカルを飲んで寝るだけだ。こうして今日も終わるのでした。

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