メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

5月11日(土)  前日  翌日
 お昼過ぎ、例によって暖をとるために近所を散歩。まず我々の散歩コースになったムエヨ・サン・ペドリト。ムエヨとは波止場とか桟橋という意味。なのでここはサン・ペドリト波止場ということか。 


 8日に来た時は閑散としていたが、今日はそれなりに観光客らしい人々がたむろしていた。しかし、湖の中の島への発着場となっている割には、停泊している平たい客船ランチャはじっと繋留されたままで動く気配がない。入江の左の先にも数隻ロープにつながっていて、水路をふさぐ形になっている。この湖岸港は繁忙期にしか稼働していないようだ。
 ここも散歩コースになった別の発着場へ足を伸ばした。雲ひとつない快晴で、日差しが強かった。しかし、ときおり風があるので歩くのは実に気持ちがいい。


 この間と同じように楽器を持った地元ミュージシャンが演奏するでもなくたむろしていた。その一人に尋ねるとこの発着場はムエヨ・ヘネラルだとのこと。つまり将軍波止場。と思い込んでいたら、ヘネラルは将軍の意味もあるが、一般の、と言う意味でもある。ここも先日来た時よりも賑わっていた。週末ということもあるのだろうか。土産物売り場もどことなく活気を取り戻したように見える。それにしても帽子屋が多いなあ。小さな女の子が帽子を買ってもらって喜んでいた。


 帰途、いつも寄る小さな店のすぐ横の屋台で大きな透明プラスチックのボトルに入った酢漬けらしいものが売られていたで、つい買ってしまった。「これはなんというの?」と訊いたが、二人のおばさんが早口で返答するので覚えられない。ピーマン、ニンジン、ブロッコリー、玉ねぎなどの野菜に豚足が入ったものだ。40ペソ(240円)。
 家に持ち帰って食べた豚足はほんのちょっと肉身がへばりついていてほとんど骨だったが、酸味が効いて悪くない味だ。


 3時半頃、楽器を持ってコンビでセントロへ。小広場の屋台でランチ。先日と同じ、料理の写真と文字がそこら中に貼り付けてある店だ。狭い調理場には店名らしいTaquería Santa Cruzと背中にプリントされたTシャツ姿のアンチャンたちが忙しそうに調理と客の対応をしていた。赤いTシャツのオネーチャンが我々を覚えていたらしく「なんにするの?」という感じで注文を聞いた。


 久代さんが牛肉入りケサディーヤとビール、ワダスが牛肉入りサンドイッチのトルタを頼んだ。勘定は76ペソ(456円)。「はなまるうどん」のかけうどん2杯分くらいの金額だ。
 パンの上ぶたを持ち上げ、トマト、玉ねぎ、唐辛子の入ったサルサ・メヒカーナ、緑のサルサ・ベルデ、赤いサルサ・ロハ、ワカモーレをドバッと乗せ、上から絞ったライム汁をかけて蓋をし、かぶりつく。サルサを入れすぎて身がこぼれ落ち、カウンターに散らばる。これも美味しいなあ。


 マーケットに隣接した、一般に小広場(正式にはサンフランシスコ広場)と呼ばれている広場の石のベンチに座り、久代さんがOXXOで買ってきたアイスクリーム(37ペソ、222円)をかじりつつ、人々を眺めた。向かいのベンチにはギターを持った老人やその知り合いらしい老人が座っていた。よれよれシャツに、ジーンズではなく普通のズボンをはいている。この広場にたむろする人々の服装や顔つきは、大広場(正式にはバスコ・デ・キロガ広場)に集まる人たちとは違い、あまり豊かでない人が多いように思える。我々の隣のベンチには、誰にともなく大声でつぶやく男が座っていた。手にはコーラの瓶を持っていたので酔っ払いではなさそうだ。
 今日のライブ会場であるカフェ・ハカランダで楽器とリュックを預かってもらい、周辺を散策。
 広場から坂道を上がり、先日ジャズコンサートのあった文化センターに隣接した教会Templo de la Compañíaに入ってみた。中はガランとして薄暗くひんやりとしている。長椅子に座っていたら、先日咲子さんの紙芝居の時に会ったアメリカ人のロナルド・グラニッチが「やあ、今夜のコンサート行くからね」と声をかけてきた。彼は日本語の翻訳をやっているという。日本語で書かれた彼の名刺には、和英翻訳、英文編集、多国籍研究とある。


 さらに通りを隔てて隣接した別の教会Templo del Sagrarioへ。ここもさっきの教会のようにシンプルな半円形の天井だが、小さめのパイプオルガンが設置されているところが違う。教会入り口に、卒業ガウンを着た若者たちが集まっていた。
アリシアに連れられて訪れた民芸博物館を横目で見ながらもう1つ別の教会にも行ってみた。テント張りの土産物屋の並ぶ広場の奥にあるパツクアロで一番大きな教会だった。Basílica de Nuestra Señora de la Salud。エキサイト翻訳によれば「健康の聖母大聖堂」。これまでの教会とは違い一段と豪華な造りだった。


 途中の土産物屋をぶらぶらと見て回って大広場へ。一角で名物の老人踊りの衣装をつけた少年たちを見たのでベンチに座ったが、どうやら踊りは終わっていたようだった。


 6時過ぎにカフェ・ハカランダへ。入り口の店先にはワダスのライブのポスターが貼ってあった。

ディエゴ


 ここを運営しているディエゴに初めて会った。長いヒゲを伸ばした彼(38歳)は、先日咲子さん宅で会った日本語を習っているアナイや、数日前にこの店で喋ったキツィアの兄だ。コンサートの開始時間をいつも変な時間に設定するのが彼だった。アナイやキツィアほど流暢ではないが英語を喋る。
 しばらくして咲子さんが現れ、進行、舞台の設営やマイクのセッティングなどの準備をする。板敷の上に真っ赤な床几を乗せた上であぐらをかいて演奏することになった。竹やつる草の葉が舞台背景になり、質素だが雰囲気のある舞台になった。ディエゴが簡単なPAセットを準備。


 7時すぎ、まずバチェとマルタがやってきた。「帰りは車で送るからね」と言ってくれた。舞台に向かって椅子が並べられている頃、なんと去年自宅を訪ねたことのあるタカンバロのアリが娘のマリアン、夫のセルヒヨ、アリの弟のヘラと共に現れ、再会のハグをした。マリアンは去年よりも背が伸び、ワダスとほとんど変わらなくなっていた。隣町とはいえ車で1時間以上かかるタカンバロからわざわざ来てくれたのは嬉しい。

タカンバロのアリ、マリアン


  記念写真を撮ったり、CAPの小冊子にサインしたり、マリアンが次々に見せるスマホの写真を見たりしているうちに、次第に客が集まってきた。エリカの母親アリシアとリナもやって来た。
 公演は8時13分開始ということだったが、ぼちぼちとやって来る客や飲み物の注文やらで、演奏を始めたのは8時半だった。客は数十人になっていた。比較的高年齢層の客が多かった。あとで聞くと80人ほどだったらしい。
 まず最上川舟唄を吹き、水色の浴衣姿に着替えて涼しげな咲子さんが簡単な解説を通訳してくれた。
 ついで、ここ数日何度も読む練習をしたインド音楽解説スペイン語版をiPadの原稿を見ながら読んだ。あとでアナイが「全部理解できたよ」と言ってくれた。
 演奏したのはキルヴァーニーを約40分。タブラーがないのでアーラープのみだった。出だしの音がちょっと掠れた。普段よりも唇が乾燥していた。ざわつきもなく皆静かに聞いてくれていたので安心。終わると大きな拍手が来たので嬉しいなあ。
 ついで、iPod Touchに入っているiTablaProのタブラーを鳴らしつつ、ベンガルの舟歌バティヤーリー。小さいバーンスリーの音がかすれたが、無事に終わった。全体の演奏はちょうど1時間。ディエゴの閉会挨拶後、楽器をケースにしまう準備をしていたら、拍手が起こったので、アンコールで「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」を吹いた。

久代、マルタ、HIROS、バチェ、咲子さんと


 席を立った客に次々と記念写真をねだられた。浴衣姿の咲子さんの周りにも人が集まる。知り合いも多いので彼女は記念写真攻勢と会話に忙しい。「1回10ペソとか取ろうかしら」と冗談を言う。ディエゴは「また8月くらいにやろう」と言ってくれた。
 久代さんとワインを飲んでいるところへアナイと咲子さんが合流。歌手のアナイに「いつも何度でも」を今度は一緒にやろうと言うと「もっと練習するわ。日本語も難しい」と応えた。彼女の母親と父親を紹介された。父親は、咲子さんによれば「パツクアロのダビンチ」だそうだ。絵を描き、木工のオブジェを造り、ちょっとした電気器具の修理もやるからと。
 ここでのライブは投げゼニ方式で出演者に支払われると言うことだが、それが結構な金額だった。期待していなかっただけに何ともありがたい。
 マルタの運転する車でバチェ、咲子さんと一緒に帰途についた。途中で咲子さんを下ろし、帰宅したのは普段ならとっくに寝ているはずの12時過ぎだった。

---やれやれ日記
メキシコに来てちょうど1か月が過ぎた今日。ハカランダ・カフェでヒロス氏のライブがありました。(大きな)ホッ! ヤレヤレ‼︎ たくさんの方々の温かさに、そしてメキシコに、感謝します。ありがとうございました。Muchas gracias !!!

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