メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

5月12日(日)  前日  翌日
 昨日は寝る時間が遅かったので起きたのは8時すぎ。練習も休み、日記を書く。
 お昼頃、アトリエにいたバチェとマルタに挨拶。
「昨日の音楽は瞑想的で素晴らしかった。胸に染み込んできた。あなた方にここにいてもらって誇りに思うよ」
「ありがとう。今日は練習も休み。ぼんやりリラックスして過ごそうかと思っています。ところで、近所でケサディーヤの美味しいとこ知ってる?」
「うーん、そうねえ。あっ、今日これから魚の美味しいレストランで一緒に食事しない? あなたたちを食事に招待しようと思っていたけど、ここんところ忙しくてねえ。ちょうどいい機会だからどうだろう」
「願ってもないです。ぜひご一緒したい」
「OK。じゃあ30分後に」
 というわけでいきなり今日の予定が決まった。当初は、昨日の投げゼニ収入があったのでちょっと贅沢なランチに行こうと思っていたのだ。
 2時半頃、バチェの運転する車で出発した。エロンガへ向かう道々、バチェが話す。
「あの教会はとても古いんだ。おっ、今通った教会は死者を神とするカルト教団のもの。この辺りはほとんど湖だったけど、橋が架けられて大きく環境が変わっちゃった。僕が移住して来た頃は人口も二、三万だったけど、今では何倍もなっているから汚染もひどい。85年のメキシコシティの地震で多くの人が移住して来たし・・」
 マルタがうなづいて英語で補足しようとするがなかなか単語が出てこない。
「最初、僕のスペイン語はひどかったけど、マルタに教わったんだ。だから彼女は僕の先生だ。おおっと、トペだった。しまった。ごめん」
 トペは人家に近い道路に設置されたスピード・ブレーカー。アスファルトの出っ張りが道路に盛り上がっている。見落としてそのままに走ると車が跳ね上がる。
 街道筋はエロンガへ行った時に通ったので何となく風景は覚えている。バチェとマルタの話を聞いているうちに、目的のレストランに着いた。家を出てから20分ほど走ったアロクティンという地区にある。あたりにはほとんど人家がなく、そのレストランだけがいきなり現れた感じだ。駐車場は多くの車でいっぱいだった。


 店の名前はカンペストレ・アレマンCampestre Alemán。そのまま訳すと「ドイツ食堂」か。インターネットで検索すると名前がたくさん出てくるので有名なレストランに違いない。
「ドイツから移住して来た男が作ったんだ。メキシコ女性と結婚したんだが、その彼女が病気になったので病院も併設した。でも、離婚しちゃったので結局病院は使われず、そのままそこにある。創業者の彼は亡くなったけど、今は子供たちが経営している」とバチェとマルタ。
 ヒメマスの養殖場を兼ねた池を挟み、客席がL字形に配置されていた。どの席も食事をする人でいっぱいだった。バチェとマルタは馴染みらしく、給仕人が親しそうに声をかけた。案内された客席からは、真ん中に小さな水車の回る養殖池と湖まで広がる農地、その向こうに山が見えた。
 まず出てきたのは、ドイツ風の小さな丸いパンと、皿に盛られたチーズ。バチェが早速チーズをパンにのせて食べた。マルタは丸いパンの中身をほじってくぼみを作り、そこへチーズをのせ、ふふっ、と笑顔を見せて口に入れる。
「ワイン頼もうか。赤、白どっちがいい? 白。OK」
 というわけでチリ産の冷えた白ワインでまず乾杯。悪くないワインだ。


 強い風が吹きテーブルの上の日覆いの傘が浮き上がった瞬間、マルタが支柱をつかんだので飛び去らずにすんだ。掴むタイミングが見事だったので皆笑った。
 注文した料理がやって来た。Tipo Aleman。メニューには「植物や香りの調味料でマリネし、オーク材でスモークしたヒメマス」とある。包んであったアルミフォイルを除き、皿に乗せたヒメマスは体長20センチほど。それに米、ちょっと甘い人参、じゃがいものつけ合わせ。ヒメマスも、付け合わせも上品で美味かった。
 食事をしながらバチェ、マルタとのおしゃべりもなかなかに楽しい。
 バチェの家族の話は相変わらず変化に富んでいる。彼は両親とトロントに長く住んでいたので、現在もカナダ国籍だという。
「生物学を学んでいる息子のハイクはいい男だ。ちょっと怠け者だけどね。娘のニルヴァーナは、チリ人の男と結婚した。えっ、ニルヴァーナって名前? ははは、昔はヒッピーだったからね。
 マルタはグアダラハラに妹がいる。交通事故で両親を亡くしたけど、その時の両親はまだ40歳だったんだ。・・以前は僕もロスアンゼルスへ通って絵を売っていたけど、今はもういいな。有名な絵描きにならなくても、ここではマルタと一緒に暮らして十分に幸せだからね・・君たちはオルハン・パムク知ってる。お、知ってると。いい作家だよね。『私の名は「紅」』は面白かった。そう、細密画のグルを殺したの誰か、という話・・サルマン・ラシュディの『恥』や『真夜中の子供達』も面白い。日本人だと三島由紀夫に興味がある」
 などなど、次々に我々もよく知っている作家の名前が出てきた。バチェはなかなかの読書家だった。他に、彼の先祖も属していたオスマン・トルコの話、スターリングラードやベルリンで最前線で戦ったのはアルメニア人だったとか、話題に切れ目がない。途中、ワダスもスペイン語のジョークで対抗した。
 デザートにケーキとエスプレッソ。ケーキはどれも美味しいが、ドイツっぽく濃厚だった。マルタが「私はたくさんは食べないで、ちょこちょこっとつまむのが好き。ネズミみたいに」と言うとバチェが笑う。


 贅沢な食事をご馳走になってレストランを出たのは5時すぎだった。山の中腹から煙が出ているのが見えた。山火事だ。この辺ではちょくちょく山火事があるという。昨晩起こったという民家の火事の煙もたなびいていた。
 バチェは水曜日にモレーリアへ、そしてマルタは火曜日にクアダラハラへ出かけるという。
 モレーリアに行く理由は、心理学療法を受けるためと。一度は治ったガンが再発しないかと眠れない夜もあるらしい。マルタは、車の名義替えのために妹のいるグアダラハラへ行き、土曜日に戻る予定と。
 6時、買い物がてらグロリエタのスーパーマーケットまで散歩した。果物、アボカド、ベーコン、マッシュルーム、ミルク、唐辛子、コーヒーフィルター、テキーラ、特売ビール1ダース(102ペソ)など、500ペソ(3000円)近い買い物。昨日の喜捨で気が大きくなり、タクシーに乗って帰宅。40ペソ(240円)だった。コンビの倍だけど、安い。
 長々と書いた昨日の日記をウェブにアップロードし、サンドウィッチマンの漫才を聞いて、11時ころベッドに入る。

---やれやれ日記
昨夜、ライブ終演後に飲んだ赤。そして今日の白…甘美ではあった。

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