メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

5月18日(土)  前日  翌日
 11時半に家を出てコンビを拾い、バスターミナルへ。


  タカンバロまでのバス代は二人で144ペソ。バスは12:15に出るとのこと。待合所に行くと、なんとマルタがちょうどバスから降りてきたところだった。グアダラハラから帰ってきたところだった。そして彼女が降りたバスがそのままタカンバロ行きの直行バスだった。リクライニング座席で後部にトイレもあり、テレビからハリウッド映画が流れていた。


 バスは松林を抜けどんどん高度を下げていく。途中からアボカド農園が目立つようになった。
 1時半すぎ、バスターミナルに着いた。ターミナルといってもバスが二、三台しか停まっていない。ターミナルのビルを出るが、タクシーは一台も見当たらない。タクシーという表示のところに電話ボックスがあったが、中に電話機はなかった。近くにいたオッサンが「セントロへいくんだったらあそこでコンビを拾え」と教えてくれた。


 しばらく待ってコンビがやってきた。セントロまで一人8ペソだった。10分もかからずセントロの広場に着いた。広場からタクシーでEl Molinoへ上がった。40ペソ(240円)。
 レストランに入ると、シェフのシンシアに会った。懐かしい。去年は、ちらし寿司の手伝いやフェアウエルパーティーで最後までジョークを交しあったので印象に残っている。ウエイターはおじいさんに近い男だった。最近雇われたに違いない。ランチを注文し終わった頃、マリナが現れた。


「ようこそ、再びタカンバロへ。3時からメークアップや着替えやで忙しいの。ファッションショーの共同主催者なので大変。7時になったら広場に見に来てね」


 料理が運ばれてきた。最初にSopecitos con frijoles。トウモロコシの粉にインゲン豆を混ぜて焼いた土台の丸い生地にトマトとチーズが乗っているもの。次にワダスのがPechuga Cordon Bleu。ハムとチーズを鶏肉で巻いて焼いたもののアボカドソースがけと、人参、ズッキーニ、ご飯の付け合わせ。久代さんがPechuga a la plancha。グリルした薄切りのチキン胸肉に人参、ズッキーニ、マッシュポテトの付け合わせ。食後にアメリカン・コーヒー。といってもここのはフィルターで濾されていないコーヒーだ。コーヒーの粉を沈殿させてから飲むもので、アメリカンというよりもトルコ・コーヒー。どれもなかなか美味しいのだが、我々にすれば贅沢なランチになった。チップを入れて350ペソ(2100円)。ま、例によってサイゼリア並みではあるが。


 3時に坂を下って、マリナが予約してくれたHotel Tzintzuniにチェックインした。ちょうどプリシリアーノの自宅の正面にある。1泊450ペソ(2700円)。ちょっとぷっくらした無愛想な若い女性に名前を告げると、パスポートの提示も宿帳に書き込むこともなく部屋に案内された。2階から短い階段で上がった11号室INCHATIRO(この辺りの原住民プレペチャ族の伝説の王女の名前らしい)の間。シングルベッド2台、テレビ、クローゼット、ミニ扇風機、小さな丸い鉄製のテーブルと椅子、最小面積シャワー室とトイレ、洗面台。通路から見下ろすと庭に円形のプールがある。タカンバロの教会も間近に見えた。タカンバロの広場まで歩いて5分かからないので立地はいい。
 久しぶりにテレビを見た。綺麗に写るチャンネルは少なく、ハリウッド映画はスペイン語の吹き替えだ。
 6時半にホテルを出てカフェ・アシエンダをのぞいてみた。ここはプリシリアーノの経営するカフェで、去年訪れた時はほぼ毎日通った。ワダスの日本音楽講義もここで行った。店にはプリシリアーノも客の姿もなく、若い女性スタッフが二人パソコンを眺めて喋っていた。「プリシリアーノは?」と聞くと「どこにいるかわからない」というような意味の早口のスペイン語が返ってきた。


 ファッションショーの開始予定時刻までは間があったので、広場のベンチに座って人々を眺めた。隣にお腹の突き出た男が座り、何かしゃべりかけてきたが、当然ながら意味がわからない。「チノ?」と言ったので「日本からだ」と答えるとうなずいていた。年齢を聞くと我々と同じ69歳で、8月に70になるという。
 去年盆踊りをした広場には黒いテントがかけられ、音響、照明の設置などショーの準備が進んでいた。噴水を囲んで青い光の点滅するランウェイをモデルたちが歩いたり整列したりを繰り返していた。その周りに観客用のパイプ椅子も並べられた。広場にいる人たちも遠巻きに準備作業を見ていた。


 予定の7時になり、数字が振られた観客席の椅子にはちらほら観客の姿が見えた。しかしショーが始まる様子は全くない。まだまだ空は明るい。
 マリナの姿が見えた。白いドレスにハイヒール、髪型を変えてメークアップしていて別人のようだ。彼女は入場者の印であるリボンの腕輪を差し出し、我々の席を用意してくれた。ショーが始まるのを待つが、30分過ぎても何も起こらない。客席がぼちぼち埋まっていく。去年世話になった長身金髪インテリアデザイナーのマルガリータと建築家の夫ハイメを見かけたので挨拶とハグ。

そのうちプリシリアーノ(すぐ上の写真、ひとり置いてハイメ。写真をクリックすると拡大します)とテレ夫妻もやって来たのでハグ。彼らはプエブロ・マヒコの主要メンバーで正面の最前席に並んで座る。ミス・メキシコだったという西洋風顔立ちの美女もいた。有料席に座っているのは、それを取り巻く広場にたむろする人々とは顔つきや服装も違い、社会階層の違いを感じる。
 離れた場所に座るプリシリアーノに腕時計を指差し「いつ始まるのかな」とサインを送ると、両手を広げて「ま、こんなもんだ」みたいなサインが帰ってきた。
 あたりが暗くなった8時30分頃、司会者(マリナに紹介してもらったが名前を失念。確か、タカンバロ市のプエブロ・マヒコ担当)が挨拶して始まった。噴水面の花びらがさまざまな色の照明によって変化し美しい。

 


 モデルたちはどれも西洋風顔立ちのプロポーションのいい女性たちだった。笑顔を見せるもの、表情を全く見せずに早く歩くもの、歩き方がぎこちなく全身を微妙に上下させるものなど、テレビなどで見慣れたプロのモデルとは違い、なんとなく田舎っぽい雰囲気ではあったが。発表された服も、ほとんどが地元タカンバロやモレーリアのデザイナーたちの作品だった。おっと思わせる色合わせやデザインのものもあったが、最新ファッションとしてはイマイチだ。
 後ろから肩を叩かれ後ろを振り向くと、マリアンだった。「もう帰ります。アリ? いるわよ、ほら後ろに」振り返るとアリが目で挨拶した。そういえば先ほどアリの母親のルピタと夫にも会ってハグした。
 10時すぎに司会者がマリナを紹介し、マリナが挨拶。こうしたショーを企画して実行するのは大変だ。タカンバロの文化状況をなんとか改善したいというマリナの企画力と実行力があって初めて実現したものだろう。
 これで終わりかと思ったが、シヨーはまだ続くようだった。挨拶を終えたマリナと客席のプリシリアーノに先に帰ると告げた。「じゃあ、明日の朝、モリノで朝食の時に会いましょう」
 マリナには打ち上げパーティーにも誘われたのだが、ドロドロになりそうだったし、いつもならもう寝る時間なのでホテルに戻ることにしたのだ。
 タカンバロの象徴である教会の上に満月が浮かんでいた。


 去年の夏はタカンバロの人たちと毎日遊ぶのに忙しいほどだった。町を歩いていても記念写真をせがまれたり、誰かの招待を受けたりの日々だった。我々はタカンバロの人たちの日常にさざ波を立てたのだった。しかし、こうしてなんの目的もなくぶらりと再訪してみると、あれほど「また来てね」と言われたけど、一緒に時間を共有した人々と街でばったり会うこともなく、今の我々は単なる旅行者であることを自覚してしまう。少なくとも何人かに再会できたことは良かったが。
 ホテルにはWiFiがあったのでパスワードを教えてもらったのだが、繋がり方が断続的だった。ボクシングの井上尚弥の試合は観れた。強いなあ、彼は。

--やれやれ日記
ほぼスペイン語限定世界への一泊旅行。町でのやり取り、ファッションショーのやたら長い司会者の話、テレビの映画やCMで流れてくる言葉…まったく、100パーセントわからなかった。たまに何か伝えようとしても全然伝わらなかった。ま、当然とはいえ、困ったなあ。メキシコに来て5週間過ぎてこのありさま。

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