メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

5月19日(日)  前日  翌日
 6時半起床。いつもはすぐに朝食をとるが、部屋には水も食べ物もない。どこか開いている店はないかと外に出ようとした。ところが、3台の車が隙間なく停められたガレージやレセプションの扉が閉まっていて外出できない。レセプションに冷えた飲料水の飲める給水器はあったが、コップがない。


 ようやく起きてきた久代さんとどうしようかと話す。8時ころ無人のレセプションの、街路に出るドアの鍵が開けられないかと部屋の鍵を差し込んだ。鍵は入ったが何度回しても開かない。悪いことにその鍵が抜けなくなった。焦る。なんとか鍵が抜けたので一安心。何度もベルを鳴らしたりしているとガレージの扉が音を立てて開いた。
 外に出て息を切らしながら坂を上りモリノへ行った。レストランは閉まっているし、人の姿も見えない。オッサンが玄関の外で電話しているだけだ。これではどうしようもない。
 同じ道を下り、去年よく利用した食堂ドーニャ・マルシェへ。幸い店は開いていた。女性スタッフ3人がすでに中で働いていた。ハム入りスクランブルエッグ、コーヒー、オレンジジュース、久代さんには冷たいミルクとコーヒーを注文。大きめのパンが2個ついてきた。120ペソ(チップを入れて130ペソ=780円)。パンをちぎって広場にたむろする鳩に投げ、浅ましい取り合いの様子を眺める。


 ホテルに戻ったとき、向かいの上の窓で二人の子供が遊んでいた。よく見たらプリシリアーノの息子と娘だった。「サビノ」と声を掛けると、覚えていたのか手を振って応えた。   
 部屋に戻りなんとか用事を済ませようとした。ところが今度はトイレのロータンクに水がたまらないことが判明。ロータンクのカバーを外して見ると、細い給水口からほとんど水が供給されていない。最初に使った久代さんが「一度流したらその後全く水がたまらない。どうしよう」と困り切った様子。仕方がないので洗面台の水を部屋のゴミ箱に貯めて流した。いくら安宿とはいえトイレくらいはしっかり機能して欲しい。
 狭い空間でシャワーを浴びた後、断続して繋がるインターネットでニュースを見たりVideo Newsを見たりして過ごす。
 11時にチェックアウト。宿代450ペソはクレジットカードで払った。インターネットでバスの予約をしようとしたとき、カード番号を入力して跳ね返されたのでちょっと不安だったが、使えることがわかってよかった。
 通りを歩いていると、何日か前パツクアロの広場で演奏していたウリセとアレリに再び出会った。アレリの弟のケビン少年も一緒だった。ルーフにコントラバスを乗っけた車の後部座席のケビンがワダスを見て思い出したのか笑顔で応えた。アレリとケビンは、去年我々がずっと宿泊していたホテル、マンション・デ・モリノの女性従業員の娘と息子で、ホテルでも度々会ったし、アレリとウリセの音楽と踊りのワークショプにも参加したのでよく覚えている。田舎道を走って泉に小旅行したとき一緒について来たケビン少年は、日本人女性に大モテだった。彼らはパツクアロへ向かうところだった。今日の2時からパツクアロの小広場で演奏するという。

ウリセ、アレリ、ケヴィンと


 ひょっとしてプリシリアーノがいるかとアシエンダ・カフェに立ち寄ったが、女性スタッフ2人がいるだけだった。250gのコーヒー豆を挽いてもらい、袋に入れてもらう。50ペソ。
 広場でコンビを拾い、バスターミナルへ。パツクアロ行きの切符を買う。一人60ペソ(360円)。
 待ち時間にターミナルの外の景色を眺めた。マリナが「あそこは砂漠ね」と言っていたが、こんもりした禿山の中腹に建物が散見されたものの本当に何もない。売店の陳列ケースも投げやりだ。照りつける太陽と乾燥した空気と人気のなさ、ときおり発着するバスの音だけ。久代さんは「ロードムービーっぽくて好き」と申し述べる。


 12時10分にバスがやって来た。OCCIDENTEという会社の、前部がちょっと出っ張った寸詰まりのバス。パツクアロ直行ではなくローカルバスだ。一応、ふかふかの座席で悪くはないが、窓ガラスに濃い青のフィルムが貼ってあって外の景色が暗く見える。前がよく見えるように最前席に座った。ところが若い小太りの運転手が乗降扉を開けたまま走るので、窓際に座ったワダスはそれが邪魔になって視界を遮られる。運転手は、地元の音楽をガンガンかけながらエンジン室から飛び出た長いギアレバーを何度も変えてひたすら坂道を走る。フロントガラスには停まる場所と料金表が貼ってあった。


 出発してほどなく、モリノに近い場所でバスが停まった。運転手もどこかへ行ってしまった。外にはタクシーが何台も停まっており、屋台のタコス屋ではたくさんの人が口を動かしていた。ときおり乗客が乗り込んできた。
 コーラ缶を手に持って運転手が戻った。目の上にあるスイッチを入れて再び音楽が流れ出しバスが発車した。バスは、路肩に立つ人々を拾いながら快調に走った。いつの間にかほとんどの座席が埋まっていた。音楽と深く沈み込むシートのせいか、眠気がやってきた。
 2時頃、パツクアロのバスターミナルに到着。タカンバロからは1時間半だった。
 ターミナルから徒歩でセントロへ。小広場に作られたテント張りの舞台では、ウリセたちのバンドが演奏していた。彼らの演奏に間に合ったのだ。


 我々を認めたウリセは、コードとリズムを弾く小型ギターのビウエラを激しく上下させながら目で返答した。バンドは、ヴァイオリン、ビウエラ2台、コントラバスという楽器編成。最前列にはアレリとケビン少年もいた。パイプ椅子に座った観客は数十人ほどか。広場に集まった人たちも遠巻きに眺めている。
 アレリとケビン少年がバンドの前で踊った。まだ背の低いケビンが堂々としたアレリの背を手で支えて踊るのが微笑ましい。アレリは、バンドの前に置かれた板に載りステップ踊りをしながら客を呼び込む。ワダスも誘われたが、去年習ったあのダンスは足にくるので断った。観客の一人のオッサンや小太りのオバハンがアレリと合わせてステップを踏んでいた。
 ウリセたちに挨拶して途中で抜け出し、大広場のカフェでビールを飲む。2本で68ペソ(408円)。WiFiがあったのでパソコンを開いた。


 日曜日だからか広場にはアクセサリーなどを売る路上店が並び、いつにない賑やかさだった。我々の前を何台もの車が通っていく。高級車も少なくない。車中の人々はほとんどが西洋系の顔立ちだ。我々に壺なんかを物売りに来た女や、歩きながらスナックを売っている女子供たちとは明らかに違う。大きな格差があることがわかる。長く繋がった自転車に乗った集団が掛け声をあげながら通り過ぎた。
 歩いてグロリエタのスーパーへ向かった。途中、見慣れた車が登ってきた。エスパルタと子供達だったので手を振り合う。
 スーパーで特売ビール6本、バナナ、みかん、すもも、牛肉、卵を購入。158ペソ(948円)の買い物をし、コンビをつかまえウエコリオに帰宅。ちょうど5時だった。
 日記を書いたり、YouTubeでお笑いを見たりしてダラダラと過ごす。FaceBookにマリナからメッセージが入っていた。
「今朝はレストランが遅かったの。ごめんね。あなたのメッセージのように、もうくたびれちゃって。店を閉めたのが朝の4時だったの。ところで、あなたのタカンバロでのコンサートだけど、26日か6月1日はどうですか。ギャラはいくら払えばいいかしら」
「きっとそうだと思ったので、気にしないよ。コンサートは、あなたの都合のよい日を選んでください。ギャラ? なくてもいいけど足代と宿泊費が出たらハッピーだよ」と返答した。
 11時前、ベッドに入る。

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