メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

5月22日(水)  前日  翌日
 今日の朝食は、焼きそばUFOとインスタント味噌汁。ガスコンロに火を入れ、フライパンを熱して食パンをトーストするというのがここでの定番朝食だったが、たまに別なものにしたかったので、日本ではほぼ絶対食べない朝UFO。久代さんは朝食は食べず、ミルクと出がらしコーヒーのみ。
 こうして朝食、日記、練習の定例の午前が瞬く間に過ぎた。
 12時、定刻にエリカがやって来た。ちょうどその時バッハのフルート・パルティータをちょっと吹いていたら「お婆ちゃんはよくバッハを弾いていた」と家族の話になり、家族の呼び名を教わる。
 お婆さんはアブエラAbuela、叔母がティアTía、妹がエルマーナhermanaなどなど。父はパードレpadreまたはパパpapaだが、パパには同音 (同綴) 異義語が3つある。父親、法皇、ジャガイモ。これらは定冠詞で区別できる。父親El papá、法皇El Papa、ジャガイモLa papa。語尾がaであればほとんどは女性名詞になるが、このpapaはジャガイモ以外は男性。うーむ、厄介だ。
 レッスンはこんなふうに始まり、テキストに移る。単複不定冠詞による名詞と形容詞の語尾変化、例外、色の名前などなど。説明の時にも新たな単語が加わるのでその都度聞いてノートに書く。
 雑談で教師の話になった。かつてエリカはモレーリアの公立学校で教師をしていたが、州政府が9ヶ月も給料を払わなかった。最近でも給料不払いや遅滞があり、それが大問題だと。だから大抵の人は本業の他に副業を持っている。教師の9割が女性だ。
「来週と再来週はレッスンの時間を2時15分から4時15分に変更したい」とエリカ。学校で午前中に授業をやらざるを得なくなったのでと言う。午後も5時から授業があるので、我々のレッスンが終わったらすぐに帰宅して準備するとのことだ。
 宿題が出たのでちゃんとやらなきゃ。
 2時半、例によって散歩がてらランチへ。


 街道から横道に入ると静かな住宅街になるが、目につくのが間口の狭い小商店の多さだ。スナック類、果物、コーラなどのソーダ飲料と、どの店もほとんど同じような商品を扱っている。こんなに多く似たような商店があるのに経営が成り立っているんだろうか。あるいは本業ではなく小遣い銭程度の売り上げでよしとしているのか。どこにでもある日本のコンビニのような役割を担っているともいえるが、それにしても数が多い。我々のよく利用するBodegaのような規模の大きな会社組織のスーパーかコンビニが増えてくれば真っ先に淘汰されるに違いない。広場には簡単なテーブルを1つ置いただけの店もあった。こうした「商店」も結構見かける。まな板があったので、タコスを売っていたのだろうか。

  
 ドン・チュチョで買った冷たいビール(2本で30ペソ、180円)を手に、一昨日行ったトルタ屋「ラ・エスタシオン」へ。向かいの道端のタコス屋や隣の魚料理屋台には客が一人も見えないのに、ここだけはよく客がやって来る。ワダスはミラネーセ、久代さんはハムのトルタを食べた。ミラネーセには具としてビーフカツレツが入る。これがボリューム満点だった。値段はどちらも30ペソ(180円)。
 トルタ屋からすぐ近くにある果物・野菜の露店で、スイカ、マンゴ、ナス、玉ねぎを購入。全部で45ペソ(270円)。


 4時過ぎに帰宅。パパイヤを食べてアマゾン・プライムのドキュメントを眺めていたら睡魔がやってきた。ハリジーを聴きながら横になりしばし昼寝。
 昼寝から起きてYouTubeのメキシコ映画を見た。自己中で傲慢な富豪の夫の愛情が自分から離れ浮気をしていることを薄々感じた妻が、精神分析医の催眠術によって突然「自分はバスクの王女なのだ」と言いだす。慌てた夫はバスク語が理解できないので知り合いのレストランのシェフを通訳にして、豹変した妻とのコミュニケーションを図る。夫は、別荘を妻の生きる10世紀の環境にしてなんとか回復を試みるがうまくいかない。結局、バスクに今も残るお城に連れて行く。そこで夫とダンスを始めた途端、昔の妻に戻る。夫は忘れていた妻への愛情に気づく。実は全て妻の仕組んだ芝居だったが、夫はそれを知っても妻への愛は変わらないことを告げる、という話。かなりB級のラブ・コメディーだ。スペイン語の勉強の足しになるかと見始めたけど、早口のセリフはほとんど理解できず、速いスピードで切り替わる英語の字幕についていくのがやっとだった。

---やれやれ日記
私は私のペースで行くしかないと思い直し、レッスンも楽しく進んで、やけ食い、やけ飲みは1日で終わってヤレヤレ。

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