メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

6月1日(土)  前日  翌日
 11時半に家を出てコンビでバスターミナルへ。Autoviasカウンターで144ペソ(864円)支払い、12:15発のタカンバロ行きのバスに乗った。最前列の座席番号をもらったが、おばさんがすでに座っていた。「あれ、我々の席なんだけど」「ああ、そう。でもガラガラだから適当に空いているとこに座ったら?」みたいな返答。ええ? でもお、という顔をするとおばさんは渋々隣の席に移った。


 エアコン、テレビモニターのあるデラックスのバスは快適だ。若い運転手は、ハンドル横についた小さなギアレバーを切り替えてエンジンブレーキの調整をしていた。タカンバロへの道はほとんど下りなのでずっとアクセルから足を離したままで、時にアクセルを踏み込むとすごいパワーで大型バスを走らせる。どのメーカーなのかと後で車体を見ると「SCANIA」とあった。スエーデンの有名なメーカーだった。
 高速に入ると時速100キロを超える猛烈なスピードで走ったが、途中のうねうねとした登り道で前を行くトラックをかわせず、ノロノロ運転になった。
 1時半、タカンバロのバスターミナルに到着。前回はコンビを拾ったが今回はセントロまで歩くことにした。汗ばむ陽気の中、急な坂道を歩くこと20分ほどでセントロへたどり着いた。セントロを歩いていたら対岸から「コンニチワ」と見知らぬ青年に声をかけられた。「今日、あなたのコンサートあるんだよね」と言う。今夜のコンサートにどれくらいの人が来るのか見当がつかなかったが、こんな挨拶があるということは聴衆は多いのか、とちょっと期待した。


 セントロの食堂で買ったケサディーヤ3枚40ペソ(240円)を公園の石のベンチで食べた。ここのケサディーヤは薄い。小さな店でビールも買ったが、コロナ・ライトが19ペソだった。パツクアロだとたいてい13から15ペソくらいで売られている。タカンバロは物価が高いのか。
 カフェ・アシエンダに寄ってみたが、プリシリアーノの姿はなかった。きつい坂道を登る途中の床屋に寄った。去年我々の食事のスポンサーになった床屋だ。ワダスを認めて「やあ。今日コンサートあるんだよね」と言ってくれた。
 坂を登りきりホテル・モリノに着いた。マリナに迎えられて部屋に案内された。今日の宿泊について彼女のコメントがなかったのでちと不安のままやってきたけど、杞憂だった。ちゃんと用意してくれていたのだ。部屋は、去年、象くんと角さんの泊まっていた部屋の真上の304号室。壁に大きなテレビ、照明器具もスイッチもピカピカだし天井扇風機も汚れひとつない。濡れた裸足だと滑りそうなツルツルの石床も新しい。改修したばかりのような感じだった。久代さんは早速シャワーを浴びていた。
「下でマーケットやってるのよ。プリシリアーノとテレもいるわよ」という彼女についてレストランの螺旋階段を降りた。マーケットといっても出店しているのは4軒しかない。庭には空気で膨らます大きな滑り台が用意されていた。電話中のプリシリアーノがワダスを確認して手を挙げた。彼はコーヒーを売るコーナーを担当していた。奥さんのテレも姿を見せた。別の店の前に、レストランのシェフのシンシアと手伝いをしているルビがいたので4人で記念写真。

プリシリアーノ、マリナ、シンシア、ルビ


 部屋に戻り、でかいテレビをつけてみた。インターネットと連動したサムスンの最新型だ。あれこれリモコンをいじってディズニー映画を見た。スペイン語吹き替えの「チャーリーとチョコレート工場 」だった。ベッドに横になって見ていたら眠くなった。
 途中空が暗くなり、大粒の雨が激しく降ってきた。眼下のセントロの教会ドームが煙り、ついには見えなくなるほどだった。


 去年と同じように部屋ではインターネットが繋がらない。透明な屋根のあるラウンジへPCを持って移動した。カルメン、ノエ、カルメンの息子マテオ、アレヘンドラ、アレヘンドラの息子(名前失念、ケビン少年の弟)が食事中だった。


  しばらくして、レセプション横の応接空間にナタリーが来た。ナタリーは15歳。このホテルのオーナー、アレヘンドラの娘だ。去年いろんなワークショップに友達と一緒に参加した女の子だった。アメリカに40日ほど行ったことがあるというのでちょっと英語を話すがほとんど片言だ。何か言いたいのだがもどかしそう。後で加わった12歳のフアン少年の方がずっと英語ができた。そこへ、黄色のワンピースを着たカルラが友人と現れた。新しいボーイフレンドだというイケメンのエドガルドと女友達のツェルツィンを紹介。カルラは去年、市役所の関係者として我々の活動にずっと付き従ったり、自宅にも招待してくれた可愛い女性だ。

フアンとナタリー
カルラ、エドガルド、ツェルツィンと


 今日のワダスのコンサートは8時からとなっていた。7時頃、マリナに「いつ会場へ?」と聞くと「ここは例によってメキシコだから8時頃に行くべし」。屋上テラスの会場にテーブル、椅子がセットされていた。舞台にマイクとマイクスタンドがゴロンと横に置かれていたが、スピーカーは見当たらない。舞台には敷物もないので用意するようマリナに頼んだ。
 食堂で食事に来たロシオと会った。去年の活動後Facebookにやたらと登場する女性だった。てっきり商工会議所代表の洋服屋のロシオだとばかり思っていたが別人だった。実際に会うのは初めてかもしれない。「今日あるんだよね」とその時は言ってくれたが、結局コンサートには現れなかった。そこへアルマとオルレンダ(プレペチャ夫人)も現れてハグ。二人とも熱心にワークショップに参加していた女性だ。オルレンダに関しては、象くんと夕紀の招待勘違い事件などということもあった。彼女に招待され、肉じゃがの材料を持ち込んで約束の時間に自宅へ行ったが、自宅は閉まっていて結局ホテルに戻ってきたという「事件」。コミュニケーションの齟齬があったらしい。

アルマとオルレンダ


 8時に会場へ行ってみたが、誰もいない。大きなアンプ付きスピーカー1台が舞台横に置かれ、大音量のBGMが鳴っていた。マイクとつないでチェックしようとしたけど、出力の切り替えがいまいち飲み込めず、マリナもよくわからないと言うので、あれやこれやいじってなんとか接続できた。
 去年下田さんにギターを貸してくれたシンガーソングライターのガブリエル、プリシリアーノ、息子のサビノ、プリシリアーノの父のプリシリアーノ、アルマとオルレンダ、カルラと二人の友人、カルラの母親と友人、遅れてエステバンが客席に座った。予定を1時間過ぎた9時になっても客は増えそうにない。9時15分になり、マリナの挨拶でコンサートが始まった。

プリシリアーノ、父のプリシリアーノ、サビノ
ガブリエル


 雨はあがっていたが湿気があり、バーンスリーの指穴がべとついた。ベビーパウダーが欲しかったが間に合わない。舞台の写真はガブリエルが撮影したもの。
 iPadのスペイン語挨拶を読んだ後、演奏開始。五木の子守唄と秋田長持唄の後、ラーガ・チャンドラ・カウンスのアーラープを演奏。気持ち良く演奏できたが、数える程の、ほとんどが去年知り合った人たちの反応はどうだったのか。ついでバティヤーリーの後「千と千尋の神隠し」の挿入歌「いつも何度でも」を演奏した。宮崎駿のDVDをコレクションしているというプリシリアーノの息子サビノは喜んでくれたようだ。


 持ってきていたCD1枚を抽選でプレゼントした。名前を書いた紙を適当に選び取り、三番目に読み上げた人が当たるというもの。当たったのはサビノだった。
 終わってからしばし歓談。去年自宅に招待し、ピアノを聞かせてくれたエステバンは、4月頃に日本に行くと言っていたのでてっきり入れ違いかと思っていたのだが、結局日本には行かなかったらしい。「金曜日にモレーリア音楽院を案内したい。フルート科の生徒たちにも紹介するよ」と言う。願ってもない申し出なので承諾した。
 プリシリアーノはパツクアロ文化センターに開店する新しいカフェのオープニングで演奏してほしいとのこと。開店は6月15日の予定。パツクアロ文化センターの中にある仮面の展示会場にカフェをオープンすると言っていた。彼の話によれば、政権が変わって文化活動支援が打ち切られたらしい。維持管理する職員の給料は払われているが、活動の支援はゼロになった。所蔵する貴重な仮面は虫に食われ悲惨な状態らしい。キュレターもいないので管理が行き届かない。多分、モレーリアのどこかで管理することになるだろうとのこと。今月日本に行くのでお土産用にと咲子さんに頼まれた4キロのコーヒーを預かった。2つのリュックに詰め込んでギリギリの量だ。「明日、カフェで11時に会いましょう。テレもその時にくるはずだし」と言ってプリシリアーノと別れた。
 お昼に薄いケサディーヤを食べただけなので、マリナに食事を用意してもらった。部屋で待っていると、ビール、メスカル、煮豆付きコメ料理、トウモロコシの粉にインゲン豆を混ぜて焼いた丸い土台にトマトとチーズが乗っているSopecitos con frijolesが運ばれてきた。部屋には椅子が1個しかないので、バルコニーで食べた。


 コンサートには、去年会った人たちが詰めかけてくれるかと期待していたけど、ちょっと肩透かしを食った感じだ。マリナは「去年のプエブロ・マヒコの関係者たちも含め来月か8月にパーティーをするつもりなので、その時にまたなんかやりましょう」と言ってくれたが、どうなるか。今回の入場料は50ペソ(300円)と安いものだったが、パツクアロのカフェ・ハカランダのように投げ銭方式だともっと人は来たかもしれない。去年あれほど熱狂的な歓迎を受けたタカンバロだが、なんだかものすごい田舎町に来てしまったという感じがした。

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