メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

5月31日(金)  前日  翌日
 今日は予定通り、久しぶりの小旅行。
 午前10時半、家の前の通りでコンビを拾い、まずエロンガへ。前回はコンビを拾うのに手こずったが、今回はすんなり拾えた。猛スピードのコンビは、12日にバチェとマルタの招待でご馳走になったアロクティン地区のカンペストレ・アレマンをあっという間に走りすぎ、20分でエロンガに着いた。コンビ代は二人で28ペソ(168円)。安いなあ。

 


 以前ケサディーヤを食べた店の広場側に、大きな白いテント小屋が見えた。間口が20mほど、高さは数mはあった。テントの正面にドン・キホーテの一場面の墨絵と、その上にドン・キホーテが乗る駄馬の名前を冠した劇団名「TEATRO ROCINANTE」の文字。テント小屋の右隅の劇場入り口の前に、付き添いの教師たちと小学生高学年か中学生の数十人の一団が入場を待ちながらガヤガヤしていた。回廊の下にある数件のタコス屋は、この前来た時よりも賑わっていた。食事をしている人たちを見ると地元の人たちが中心で、突然現れたテント劇場が集客の理由ではなさそうに見える。
 ちょうど11時、小屋の入り口が開き、子供達の後について劇場の中に入った。中は舞台に向かって階段状の100席ほどの客席が作られていた。けっこう本格的な劇場のように見える。演出かどうかわからないが、劇場を覆うテントの小さな穴から外光が差し込み星空のように見えた。意識的だとすれば、いい演出だ。
 芝居が始まった。俳優たちはみな20代か30代の若い人たちだった。前列に座った我々は、もちろん早口のセリフがわからないのでどういう芝居か見当もつかない。舞台の転換は椅子と床几の出入りだけなので、どういう場面かもわからない。しかも、一人一人のセリフが長く、いちいちの動作が大げさでいかにも「芝居」がかっている。主人公らしい女に別の女が話しかける。時には接するほど近くで声をあらげ、舞台隅に移動し観客に向かって両手をあげて叫ぶように話す。さらに舞台の中央に歩き、手や足を大きく動かしながら長いセリフが続く。登場人物は9人だったが、それぞれが同じように小さな舞台を移動し大きな動きを加えながら長セリフを言う。男優は二人だけだが、男役の女性が三人。中世ヨーロッパのどこかを思わせる衣装を見ていると、なんとなく宝塚歌劇を思い出した。
 女性の声質が似ていてほとんど叫ぶようなセリフの口調なので、一人一人の性格とか心情を推測するのが難しい。もちろん、セリフを理解すればそんなことはないと思うが。咲子さんによれば、俳優はエスパルタや咲子さんの生徒たちという。
 あとでネットを調べてわかったが、17世紀フランスの劇作家モリエールの「女学者」という芝居だった。劇場入り口にスペイン語で「Las Mujeres Sabias De Moliere」と書いてあったのだ。それを読まずにいきなり芝居を見たせいもあり、何が何だか理解できぬままずっと見ていたのだ。もっとも、ワダスはモリエールなんて読んだことがないので全くチンプカンプン。仏文出身の久代さんはもちろんモリエールは知っていて、学生たちによるモリエールの芝居もやっていたという。でもこの作品は知らなかった。
 始まってから1時間40分で芝居が終わった。子供達は1時間がすぎた頃から集中力が途切れ私語も聞こえたが、おかしなセリフには反応して笑っている子もいた。
 長い時間暗い閉空間にいたせいか、息苦しい。外に出るとかんかん照りの広場が眩しい。久代さんが何か飲み物が欲しいと言うので、近くの店でオレンジジュースを買って飲んだ。20ペソ(120円)。
 しばらくすると、キロガ行きのコンビがやって来たので乗り込んだ。以前カルニタスを食べたキロガは湖の対岸だ。コンビは湖を半周するルートで走っているようだ。
 次の目的地オポンギオには約20分で着いた。コンビ代は一人15ペソで合計30ペソ(180円)。着いたといっても、エロンガのように中心に広場があるわけでもなく、街道沿いの坂なりに住宅が散在する集落だった。遠くには湖と囲繞する山々、手前の島の向こうにはハニツィオ島の先端が見えた。


 降りた場所から歩いて小高い商店に向かう。商店から下りてきた少女に「中心はどこなの?」と聞いた。少女は「ここよ」と言う。
 エリカは「オポンギオには何軒かのレストランがあり、美味しい白味魚が食べられる。テーブルに着くと黙ってメスカルが出てくる。ただし、空腹で行ったらダメよ。料理が出てくるまで時間がかかるから」と言っていた。でも、そのレストランというのはどこにあるのか。街道筋にそれらしい建物はあったが、通り過ぎてしまったようだし。
 湖岸がすぐだったので下りてみた。岩だらけの道を降りるとすぐに湖に出た。左手の岸では一人の女の子が半身を水に浸けペットボトルの水を頭から注いでいた。右手には少年二人。魚を取っているのか、単に遊んでいるのか。からりと晴れた空の下のとても静かな湖岸の昼下がり。
 小高い商店まで戻った。よく見るとその商店の後ろに「ハプンダルJaphúndaru」とレストランの看板があった。建物の一部が改修工事中のように見えたが、横の階段を上るとなんと周辺がガラス張りの立派な食堂があった。かなり大きなレストランでBGMもかかっていたが、客は誰もいない。気さくそうな青年が現れたので「ここ、やってるの」と聞いた。「やってますよ。どうぞお好きな席へ」という。
 湖と集落が見渡せる隅の席に着いた。大きなガラス張りの窓に囲まれた眺めが抜群の席だ。屋根のない広いテラスもあった。テラスからは集落全体が見下ろせた。ほとんど真下にはプール付きの住宅もあった。背後の斜面にも立派な住宅が何軒か見えたので、ここは高級な別荘地のようにも見える。

左はウィリー  


 久代さんがシュリンプカクテルの小70ペソ(420円)とビール、ワダスは白身魚のカツレツFilete Empanizada(90ペソ=540円)とメスカルを注文。まずビールとメスカルが来た。メスカル用には半分に切ったライムとオレンジも添えられた。客は我々だけかと思ったら、いつの間にか何組かの客が座っていた。
 テラスで写真を取っていると、胸にシアトル・タワーの模様のある青いTシャツを着た渋い男が近づいてきた。流暢な英語で「どこから? 英語は話すか?」と聞かれた。「ここからキロガまでの間にある村の出身なんだ。現在はテキサスのヒューストンに住んでいる。歳? 66歳だ。もう定年なんだ。グリーンカードは持ってるけどアメリカのパスポートはない。年に1回か2回は帰省する。あのテーブルに座っているのはこっちの親戚たち。名前? ウィリーだ。ウィリー・モレーロス」。ハニツィオ島の先端に立つモレーロス像を指差して「あのモレーロスと関係あるの?」と聞くと「はははは、それはない。んー、でも、そうかもな」と笑った。
 エリカの言ったほど待つこともなく料理が運ばれてきた。ほぼ一匹分の魚のカツレツだった。それにコメ、薄切りオレンジ、レタスを下敷きにしてトマト、玉ねぎ、マンゴーが乗っかっている。魚のカツが美味しい。シュリンプカクテルのてっぺんには刻んだアボカドが山盛りで、中のエビも大きかった。味は、普通。途中で青年がきたのでメスカルをもう一杯頼んだ。メスカルのボトル230ペソ(1380円)も売っていたのでそれも購入した。チップも入れて全部で500ペソ(3000円)の大散在だった。
 自動小銃を持った警察官が検問している道路に出て帰りのコンビを待つ。バス停のような東屋には男が二人、警察官を眺めたり彼らと声を交わしたりていた。彼らに「パツクアロへはここで待ってたらいいんだよね」と尋ねると「そうだ。そうだ」とうなづいた。


 程なくコンビが来たので乗り込む。途中乗客を乗せたり降ろしたりしながら、エロンガを通過し、無事我が家の前で停まった。コンビ代は一人33ペソ、合計66ペソ(396円)。来るときは合計58ペソ(348円)だったので微妙に料金が違う。
 帰宅したのは4時過ぎ。6時間の小旅行はなかなかに楽しくも、ちとくたびれた。
 さて、明日はタカンバロだ。ワダスのコンサートは8時開始なので一泊する必要があるが、マリナからは宿についてはコメントがない。おそらく去年泊まったホテル・モリナか。

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