メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

6月7日(金)  前日  翌日
 11時、バチェの運転する車で彼らのギャラリー兼貸し家へ。場所はエスタシオンとセントロを結ぶ街道沿いにあった。セントロまで歩いて10分くらいだろう。道路から屋根は見えず、真っ白い壁に2箇所の黒の鉄枠の玄関扉が見えるだけだ。平家だということはわかるが中がどうなっているか表からはわからない。


 まず案内されたのはギャラリースペース。それぞれがかなり広い二間続きになっていた。奥のスペースには、2点の彫刻作品が白い箱台の上に置かれていた。壁、天井は真っ白に塗装され、壁面の作品を照らす新しい照明器具が天井についていた。天井近くの壁の上部を作品を吊るすための白いバーが囲んでいる。奥のギャラリースペースのガラス張りの扉の向こうは中庭だった。屋根までの高さの1本の木と芝生の緑が壁や塀のベージュ色とマッチしている。自動車が出入りできる頑丈な黒い鉄扉が裏口になっていた。その鉄扉を回り込むと細長い芝生だけの中庭に面して大きな部屋があった。入ってすぐ広いベッドルームになっている。同じスペースに小さめのキッチン、丸テーブルと椅子。横のドアを開けると洗面台、ガラス張りのシャワースペース、トイレがあった。広いワンルームマンションといった感じだ。バチェは「ヴァン・ゴッホの間」と言っていた。バチェ自身の絵が何点かと、ベッドサイドの壁にゴッホの絵の写真が飾ってあった。中長期滞在者用エアBBで、日本にいる時に咲子さんに送ってもらった写真にある部屋だった。友人価格でどうかということだったが、我々には贅沢すぎるので現在の離れを借りることになったのだった。
 隣は2ベッドルームの家族向けの部屋だった。ここもとてもスッキリした内装だ。新しいドアのニスの匂いが漂っていた。
 ギャラリースペースの横は事務所スペース。大きな机の上にはコンピュータが載っている。
「1945年頃に建てられたこの家を買った時は中はボロボロだった。相当大きな家だったけど。前の持ち主が食料配達の仕事をしていたのでキッチンやトイレの汚れはすごかった。マルタと話し合いながら今のようにデザインして改修するのに2年かかった。かなりの投資。今月22日に友達を招待してギャラリーをオープンするんだ。その時は演奏してくれるよね」とバチェ。
「雨漏りが心配。この間大雨の時には天井から漏れてきたのよ。これから雨季本番になるので心配だわ」マルタが引き継いだ。
 バチェが、友人の女性画家の絵を壁にかけるため脚立に乗り、天井ぎわのバーにテグスをかけようとしていた。ワダスは下で絵を持って支える。あれこれやったが途中でやめた。どの高さがいいのか、作品の並び順など、作家と相談しようということになったのだ。手伝いするつもりが、結局何もせず、ゴッホの間で紅茶をご馳走になっただけだった。
 メキシコシティからだという親子連れが部屋を借りるためにやってきて、バチェが対応。二日間泊まるという。
「ここは明日息子のハイクが来て手伝うことになっている。切り上げてランチでもどうか。何か予定はある?」
 なんの予定もない我々には、バチェのこの誘いはありがたい。
 セントロの大広場を抜け、車はガタガタ道をどんどん登っていく。
「この辺は数年前までは林だったんだ。どんどん新しい家が建ったので今はこんな感じだけど」運転しながらバチェが言う。
 着いたのはパツクアロの湖と街を見下ろせる丘のてっぺんのレストラン「Rancho La Mesa」。丘全体が個人の所有だという。湖と街に向かって開放された客席からの眺めは素晴らしい。


「妹や息子が来た時とか、たまに来るんだ」とバチェ。
 ワイン、ビールでまずは乾杯。マルタは喉の痛みで抗生物質を飲んでいるからとレモネードだ。ついで出てきたのはパリパリのトルティーヤのトスターダにアボカドのワカモレソース。バチェがチキンのモレソースかけ、マルタはチキンのハンバーガー、久代さんはチキンのグリル、ワダスはビーフステーキを注文。料理が陶器の皿ではなく厚い木の板の上に載せられて出てきたのが変わっている。ウェルダンの固いビフテキは噛みごたえがあったが、分量も味も悪くない。

   


「パツクアロのほとんどの土地は11家族の独占されていた。彼らは大金持ちだよ、今でも。貧富の差が大きいのは問題だな、ここでは。あと、文化に対する認識が低い。文化センターの前の所長はいろんな活動に熱心だったが、今の所長はほとんど文化には関心がない」
 というような話を聞きつつ、素晴らしく贅沢なランチをご馳走になった。
 大広場のカフェでコーヒー。今にも雨が落ちそうな空だった。バチェとマルタの知人たちが時折通りかかり、挨拶する。アメリカ人コミュニティーの婦人たちや写真家など。
「マルタ、外国旅行はどこどこ行きましたか」
「うーん、ホンジュラスとかニカラグア、グアテマラに住んだこともあった。あとはバチェに連れられていったベイルート。メキシコとは全く違っていて興味深かったわ」
 大広場でバチェたちと別れ、セントロから歩いた。途中のスーパーでビール、パパイヤ、プリン、ミルク、カップヌードル、焼きそばUFOを買う。コンビを拾ってもよかったが、重い荷物をリュックに担いで家まで歩くことにした。ドン・チュチョ界隈のタコス屋、肉屋も全て閉まっていた。ドン・チュチョで、ケソ・チワワタイプのオリジナルのチーズ65ペソを買う。やはり暇そうな、昨日行った線路ぎわのタコス屋三姉妹に挨拶して、6時頃帰宅。

---やれやれ日記
「ワダス」という山形語一人称単数代名詞がグーグル翻訳ではスペイン語に変換されないようで「ワダスってどういう意味か?」とエリカ先生に質問された。その山形県人「ワダス」はこっちに来てからずいぶん体重を落としてジーパンのお腹回りがスカスカになっている。病気は特にしていないし、膨満感は相変わらずらしいから、食生活と散歩のせいと思う。…と、ここまで書いたところで外出。ごちそうランチの後、帰りに寄ったスーパーで体重測定の機械を見つけた「ワダス」が体重計に乗った(5ペソ)。3kg減くらい。かなりのダイエットではある。

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