メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

6月13日(木)  前日  翌日
 7時起床。深夜、激しい雷雨があった。どこか近くで雷も落ちたのか、轟音がした。
 ベッドから起きて居間の電気をつけようとしたが、つかない。停電だった。まだ暗い中、キッチンで手探りでフライパンを熱くしてトーストを作りバターとジャムを塗って朝食。
 雨が止み、薄明かりになってからMacBook Airを開いた。やばい。22%の電池残量だ。停電では充電できない。iPadは50%なのでしばらくはもつ。しかし、母屋のルーターも稼働しないのでインターネットに繋げない。昨日の夜寝る前にラジオを聴いていたので、iPod Touchもほとんど電池残量がなかった。トイレに行き、Kindleで坂口安吾を読んだ。暗いので懐中電灯を照らして読んだ。ところがKindleの電池残量も少なくなっていて「チャージしろ」とメッセージが出た。うーむ、こういう時に限ってほとんどのデバイスがパワー不足になる。困った。
 ようやく明るくなり表に出てみると、バチェが街道から戻ってきた。「インターネットに繋がらなくて。ま、メキシコではよくあることだけどね。高い木の枝が折れて電線が切れたようだ。今治しているので復旧は時間の問題だ。近所の男が落ちてきた木の枝をまとめて家に持っていったよ。薪にするんだろう」と話しかけてきた。「我々がいかに電気に依存しているかがわかるよね」「そうだね。全くだ」
 バチェがゲートを開けたままにしていたのでワダスも外に出て見た。ゲートの足元にはたくさんの松の葉が溜まっていた。
 停電の原因は、2軒隣の家の前の大木の枝が途中で折れ、それが街道を挟んだ向かいの電柱に張られた電線を切断したためのようだ。落雷であればどこか焦げ付いているはずだが、その様子はなかった。激しい雨のせいか、あるいは風が強かったのか。

 大木の下に停まっていたトラックの高所作業用のゴンドラに乗った作業員が折れた枝をチェーンソーで払っていた。電柱から伸びた電線の何本かが外れてダラリと垂れ下がっていたが、まずは障害になる枝を切り落とすことを優先しているようだ。西隣にも白い復旧車が来てやはり枝を払っていた。ともあれ、意外と迅速に作業が行われているので復旧にそれほど時間はかからないだろう。バチェは「ま、1、2時間で終わるよ」と楽観的だ。
 冷蔵庫は機能しないし、コーヒーメーカーも使えない。日記も書けないのでぼんやり外を眺めたり、いつもよりも長めに練習したりした。
 そうこうしているうちにレッスン時間の12時になった。バチェがアトリエで絵を描いていたのでのぞいて見た。マルタが案じていたように、ギャラリーでは雨漏りしたという。「ま、資産を持つというのはこういうことだね。仕方がない。これは今描いている絵。最近はほとんど抽象画なんだ。そうそう、これ君達にあげるよ。メキシコに住むクレージーなアルメニア人の描いた絵ってことで思い出になるんじゃない」とバチェが小さめの絵を差し出した。「タイトル? ないよ。君たちでつけてくれる?」


 12時ちょっと過ぎてエリカがやって来た。
「停電しているんだ。昨日の雷雨のせいで」とワダス。
「すごかったよね。うちの電気はついたりつかなかったり。それよりも雨漏りが大変だった。両親はぐっすり寝ていたけど、私は雨漏りの下にバケツとか皿とか置いたりして」
 昨日のレッスンでワダスが「赤ずきんちゃん」現代バージョンの文法や新しい言い回しについてしつこく質問したせいか、エリカは「この本、隠しておいたほうがいいようね」と言った。彼女は、急な進み方とそれに戸惑う我々を見て考え直したのかもしれない。
 これまで出てきた動詞や、言い回しの復習を中心にレッスンが進んだころ、電気が復旧した。テキストのすでに終わったページから復習し、途中飛ばしていた電話での会話のページも含め、かなりの速度で進めた。新しい単語も出てきたが「赤ずきんちゃん」ほどの戸惑いはなかった。
「今日は、6時からCrefalの隣にあるCedramで演劇があります。もし興味があればどうですか。咲子さんやエスパルタも関係している演劇団体なの。そうそう、あなた方がエロンガで観たモリエールの『女学者』は私もCedramで見たよ。男装した詩人役の女性は私の友人なの。でも地元の人たちは演劇にはあまり関心がないし、宣伝もきちんとしないので客は少ないし。二人しかいない、なんということもある。もっとエンタテインメントの要素がないとね。何年か前の日本人グループのはとても良かったのでまた見たいなあ」
 こう言いつつ、割と大量の3日間の宿題を課してエリカが帰った。
 電気が通ったので書けなかった日記を書き終え、ウェブサイトにアップロードした。久代さんは洗濯(といっても、全自動洗濯機に放り込む、だけ=久代注)。
 4時半ころ、散歩に出た。雲の切れ目から差し込む強い陽光に当たると暑く感じるが、時々雲が光を遮ったり風が吹くので涼しくもあった。街道筋には昨晩の雷雨で枝が落ちそうになった木が何本かあった。
 街道筋のエステサロンに立ち寄ったが店は開いていなかった。伸びてきた髪を切ってもらおうと思っていたのだ。実は昨日そこを訪ねて散髪代を聞いた。「40ペソだよ」と聞いたので「明日来るよ」と言っていたのだ。エステサロンとは中でつながっている、何を商売にしているかわからないが常に何人かがテーブルに座っている隣の家の女性に聞くと「5時半からだ」とのことだった。
 ドン・チュチョでビールを買ってすぐ近くの「ラ・エスタシオン」というトルタ屋へ。これまで2回ここで食べている。相変わらず客が次々と入ってくる。ワダスは豚肉とチーズの入ったケソ・デ・プエルコQueso de puerco、久代さんは黄色いチーズのケソ・アマリーヨQueso Amarilloを食べた。一つ30ペソで合計60ペソ。ビールが30ペソなので90ペソ(540円)のランチだった。


 5時半に、Crefalの横にある入り口からCedramの構内に入った。入り口付近は宿舎のようになっていた。駐車場にはエスパルタの車「白クジラ」が見えたのでひょっとしたら彼も来ているかもしれないと思った。坂を上がると仮設劇場が右手に見えたが、本体の劇場はさらに上にあった。建物の壁には裸の女性のレリーフ。劇場内の壁には、過去の公演のポスターなどが貼ってあった。舞台ではまだ準備中のようだった。青年が出てきて我々に言った。部分的に理解するとこうなると思う。「6時からなのでこの辺で待っていてください」。特に見たいわけでもなく、見たとしても理解できないだろうということで、観劇はやめて出ることにした。


 上の出入り口で若者が我々に尋ねた。「劇場はどこですか」「ああ、あっちだよ」なんと我々が場所を尋ねられるとは。
 警官詰所から緑食堂La Tiendita Verdeを横目に見て船着場を通過し、エステサロンへ。店は開いていた。昨日値段を尋ねた40代くらいの女性が我々を見て「いらっしゃい。今大丈夫よ」と言った。洗髪台も理髪椅子もなく、普通の椅子と正面に鏡があるだけだ。右手の道具棚に各種のバリカンと電話機、カミソリなどが置いてあった。えっ、と思ったのはコーヒーメーカーがあったこと。後でわかったのだが、石鹸を溶くお湯を沸かすためだった。いいアイデアだが、見た目は意表をつく。


「全体に最も短く」と注文した。彼女は、バリカンのアタッチメントを見せて「これでいいか」と聞くのでうなずいた。てっぺんは残して左右の鬢のあたりから刈り始めた。途中で「Todo? 上も全部か」と念を押して、全体を均一に刈り上げた。「後ろの生え際は丸くするか四角くするか」「うーん、そのまんま」「OK」てな感じで散髪終了し40ペソ(240円)支払った。安いなあ。
 散髪が終わった途端、激しく雨が降ってきた。久代さんが「洗濯物が」と申し述べたが時すでに遅し。濡れながら向かいのホルヘの店へ行きビール6本90ペソとハーシーのチョコレート7ペソを買い、傘をさして帰宅。雨は途中で小降りになった。
 帰宅してチョリソーを食べつつ日記を書く。久代さんは今日の宿題を真面目にやっている。雨は降ったり止んだりを繰り返し、ベッドの上の明かりとりのビニールに雨の当たる音を聞きつつ、10時過ぎに就寝。

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