メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

6月15日(土)  前日  翌日
 今日の行動予定を立てた。まず、以前見たポスターのボクシングの試合を見ること。久代さんの願望は、大広場と小広場の間の通りにあるカルニタスの店でタコスを食べること。彼女によれば、この専門店Carnitas "Las Plazas"のカルニタスはミチョワカン州で一番美味しいらしい。
 12時半、家を出た。坂道をひたすら上がりセントロへ向かう。途中のバチェの新しいギャラリーの前にはバチェの車があった。22日の開設準備とおそらく雨漏り対策をしているのだろう。男が屋根に登ってチェックしていた。
 ほぼ1時間でセントロの大広場に着いた。しかし大広場のどこを見渡してもボクシングの特設リングらしいものはなく、通常の広場の風景だった。


 ポスターには「6月15日土曜日、メインイベント、6月14日、大広場にて」とあったのでてっきり大広場のどこかに特設リングが作られ、そこで試合があるものと思い込んでいた。しかし、後でよく読んでみると14日大広場で行われるのは計量で、試合会場はポスターの一番下に書いてあったのだ。が、町の人に聞いてもよくわからなかった。
 観光案内所の受付の女性に聞いてみた。彼女は英語を話す。
「あっ、それならリエンソ・チャロLienzo Charoという場所です。多分、この辺りですよ。あ、こっちだったかな。タクシーの運転手だったら会場も知っているはずだから10分くらいで連れてってくれますよ。えっ、歩いて? うーん、ちょっとかかりますね。ウエコリオから歩いて来たったって? だったらそれほどでもないですけど。試合ですか? 7時からですよ」と言って自信なげに場所を地図に書き込んでくれた。
 7時までたっぷり時間があったので、行動第2計画であるカルニタス屋でタコスとカルニタスを買って大広場のベンチで食べることにした。以前も食べたことがある店なのでなんとなく場所は覚えているつもりだったが、地図を頼りに歩いても見当たらない。行列のできる店としても有名なので近づいたらすぐにわかるはずだった。3本しかない大広場と小広場をつなぐ道を何度か歩いた。地図上ではここでしかありえないという道をうろうろしていてついに見つけた。まだ3時前だったが、なんと閉まっている。またもや肩透かしだ。隣の店の女性によれば、12時頃に開店だが2時頃には店を閉めるとのこと。これで第2の計画にも狂いが生じた。
 大広場の隅で老人踊りをやっていたのでしばらく見た。前に見たグループとは違うようだ。少年3人とギターで調子を取る男の組み合わせだった。帽子をひっくり返して取り囲む見物客にチップをねだる小さな少年が可愛らしい。一緒に記念写真を撮らせてもらった。


 先日食事をした「La Sultidora」の回廊にあるテーブルでビールとコーヒーを飲みつつ、広場を眺めて時間を潰した。我々と隣のテーブルの間に、エレキギターと小さなスピーカーを持った初老のミュージシャンがやって来て演奏を始めたが、これが聞くに耐えない。ギターのチューニングは合ってないし、スピーカーの音質が酷く割れた音が大きい。歌の音程も外れている。隣のテーブルの客たちは拍手をしたりチップをあげたりしていたが、我々は早々にテーブルを離れた。コーヒーとビールで51ペソ(306円)。
 小広場の屋台食堂街へ。以前にも食べたことがあるDon Prisciに入って大タコス一個ずつと牛肉入りスープのビーリア・デ・レスを食べた。勘定は90ペソ(540円)。ここの料理は安くて安定感がある。


 7時まではまだまだ3時間くらいある。プリシリアーノが開店準備をしているはずの文化センターに様子を見に行くことにした。大聖堂バシリカに向かう坂道を登る。バシリカ周辺の土産物屋の間を通り文化センターに行ってみたが玄関が閉まっていた。どうも何をするにも肩透かしの日のようだ。しかも雨がいつ降ってもおかしくない空模様でどんよりしている。
 前に咲子さんの紙芝居を見たカフェ・グラン・カラベラEl Gran Calavera(大骸骨の意味)をのぞいてみた。背の高いフランス人のヴィンセントが覚えてくれていたようで「やあ、こんにちわ」と日本語で迎えてくれた。中庭を見下ろす壁際のテーブル席に座り、久代さんがビール、ワダスがココアを飲んだ。壁にたくさんの絵が飾ってあった。ヴィンセントが「アンヘルの生徒たちの展覧会が昨日から始まったんだ。ここにあるのはみんな生徒たちの作品。昨日はパーティーだった」と言っていると、横の展覧室からアンヘル本人が現れた。彼も我々を覚えていたようで「やあ。いらっしゃい」と言う。彼の奥さんの姿も見えた。ヴィンセントを含めたカフェのスタッフたちは絵の下に作家名と値段を書いたプレートを貼り付ける作業で忙しそうだ。主展覧会場の別室にも高い天井いっぱいまで多くの絵がかけられていた。天井に近いスペースにあったのは全てアンヘルの作品だった。

El Gran Calavera アンヘルと奥様


 ヴィンセントが「あなたのライブを計画しよう。いつまでパツクアロにいるの? 8月末までいると。OK。じゃあ来月で調整してみるね」と帰り際に言ってくれた。来月はここで演奏できるかもしれない。

ヴィンセント


 5時半にグラン・カラベラを出た。バスターミナルのあるバイパス幹線に沿って歩く。途中、よく利用するドン・チュチョ近くのトルタ屋の名前が書かれた建物があった。本店なのかもしれない。


 観光案内所の女性がパンフレットの地図に書いてくれたボクシング会場であるはずのリエンソ・チャロLienzo Charoの近くまで来た。自動車部品屋で尋ねると「ああ、ここの後ろだよ」とカウンターの後ろにいた女性が教えてくれた。店の横の道に入ると凸凹の坂道になっていた。坂の途中には階段状の観客席の一部が見えた。野外劇場か何かの競技場のようだが、入り口には鍵がかかっていて、周辺には誰も人がいない。開始1時間前のボクシング会場とはとても思えない。ひょっとしたら奥に何かあるかもしれない。競技場のような建物の高い塀に沿った細い道に入りこむと急に視界が開けた。急角度の崖の向こうにパツクアロ湖が見えた。知らぬままパツクアロ市街の外れに来ていたのだ。


 どう考えてもこのような場所に会場があるはずがない。片側が高い煉瓦塀の続く急角度の凸凹道を降りていった。崖側にはスラム街のような小さく粗末な住居が続き、ときおり犬が吠えたり、汚れた服を着た子供たちが遊んでいたりした。このままだとどこへ向かうかわからないので右折した。人も車も多くなり塀の中からブラスバンドの音が聞こえてきた。門からのぞいてみると大きなサッカーグランドだった。観光案内所の女性は間違っていて、ボクシング会場は全く別の場所なのではないか、と諦めかけつつバイパス街道に戻った。そこから観光案内所女性の言っていたスーパーマーケットSarianaが見えたので、念のためもう一度確かめてから帰ろうと思った。スーパーを右手に見て再び坂なりの幹線道路を歩いていくと、リエンソ・チャロの場所を尋ねた自動車部品屋に戻ってしまった。タコス屋にいた女性に聞いた。
「この辺にボクシング会場があると聞いたが、どこか知ってますか」「ああ、それだったらここからずっと降ったところだよ。あのタクシーで行けばいい」
 かなり歩き疲れたのでタクシーに乗った。程なく走ったところでタクシーの運転手が「ほら、あそこだ」と指差した。あった。ポスターもあった。ところがタクシーが走っている車線とは逆なのでどこかでUターンする必要がある。かなり走ったところでUターンし、ようやく会場にたどり着いた。タクシー代は40ペソ。リエンソ・チャロとは関係なかったのだ。後で調べると、リエンソ・チャロとは闘牛場かロディオみたいな競技会場のことのようだ。
 ボクシング会場は、縦長の長い倉庫のような場所だった。入り口の女性に二人分300ペソ(1800円)支払い、会場の中へ進むと、すでに試合が行われていた。観光案内所の女性は7時試合開始と言っていたが、これも間違いだった。もう一度ポスターを見ると5時開場、6時開演と書いてあった。我々が入った6時半は割といいタイミングだったことになる。


 それほど高くない半円形の大屋根の下に特設リングがあった。リングは天井から吊り下げられた可動式の照明で明るく照らされていた。壁の1面の大スクリーンには試合の映像が映し出されていた。スクリーン側の狭い部分を別として、階段状の客席がリングを三方から囲むように臨時に作られていた。リングサイドの鉄柵で区切られた客席はまばらだったが、階段状の客席はそれなりに人で埋まっていた。500人ほどだろうか。女性客も多い。我々はリングに最も近い一般席の階段席に座った。リングまでは20mも離れていないし、リングの床面が見える程度の高さだ。
 4ラウンドで終わる試合が何試合か続いた。メインマッチの前座だ。出てくるのは小柄な選手が多い。ほとんどが判定試合でKOシーンは一度だけだった。地元の選手が登場すると会場は大変な騒ぎだ。若者たちは声援しつつ強烈な音量の木製の鳴らし物を鳴らす。我々の真下に座ったオッサンはビールとタバコを絶やすことなく、実にいいタイミングでヤジを飛ばし、客席から笑いをとっていた。
 外がすっかり暗くなる頃、階段席はほとんど人で埋まっていた。1000人はいたかもしれない。前の戦いで勝ったパツクアロ出身の猫背気味の青年が我々の客席近くに現れて熱心に応援していた一団に挨拶すると、すごい声援が湧いた。
 試合ごとにスーツ姿の小太りのオッサンリングアナウンサーが登場し、名前の一部を長く伸ばして次の試合の選手を紹介した。登場まで時間がある場合は、青タイツ姿のラウンドガールがプレゼントのTシャツを客席に投げる。その度に客席は興奮しTシャツを取り合う。会場の雰囲気は実に田舎っぽい。
 3分間の試合中以外は、スーピーカーからの強烈なビートの音楽がその都度会場を満たす。試合は、小柄なフライ級から次第にバンタム級の大柄な選手に進んだ。ボティーを打つバシッという音が生ならではの迫力だ。ときおりKOシーンもあったが、完全に伸びて動けなくなるようなことはなかった。
 二人とも小柄な女性同士の8ラウンドマッチが始まったのが10時近かった。一人はナショナル・チャンピオンだった。ポスターの一番上の写真にあったメインマッチがいつなのか見当がつかない。階段席の下は外気が入り込んでいるので、かなり寒かった。短パン姿の久代さんは「寒いのでポップコーンを食べたい」というので買ってきた。階段客席の上のテントの隙間から満月が見えた。
 メインイベント10ラウンドマッチが始まったのは11時頃だった。元世界チャンピオンと書かれた地元出身のキング・C・モリナ "KING" C. MOLINAとメキシコ市出身のルイス・デサルマドール・ピーニャLuis "Desarmador" Piña(「ルイス"武装解除"パイナップル」という変なリングネーム)の試合だった。あとでネットで調べるとキング・C・モリナはカルロス・モリナ(Carlos Molina)として選手名鑑に載っていた。2013年にIBFスーパーウェルター級のチャンピオンだったようだ。 
 ワダスは日本ではテレビのボクシング中継をよく見るが、生の試合を見るのは初めてだった。久代さんももちろん初体験。こうして生まれて初めての生のボクシングをメキシコの田舎で体験したのだった。
 どんどん寒くなるし、時間も時間なので2ラウンド終わったところで会場を出た。バイパス街道でこの時間に流しのタクシーを拾うのは難しい。結局エスタシオンまで夜道を歩いた。
 ドン・チュチョの前のタコス屋がまだ開いていた。客も数人いた。ぽっちゃりネーチャンが我々を認めてすぐに「何にする?」と聞いてきた。食べようと思っていたわけではないが、彼女の一言は効果的だった。寒かったし、長時間歩いたので腹も空いていた。ワダスが牛入りケサディーヤ、久代さんが牛入りタコスを食べた。店じまいが近いせいでサルサ・メヒカーナはもうなかった。勘定は40ペソ(240円)。


 Crefalまで歩きタクシーを捕まえて10分もかからず帰宅。12時過ぎていた。タクシー料金は50ペソ(300円)。昼だとスーパーのあるグロリエッタからでも40ペソ出せば家まで来れるので、深夜料金になっていたのか。
 お湯を沸かして味噌汁を飲み、ベッドへダウン。歩き疲れた1日だった。

---やれやれ日記
 老夫婦の無謀な珍冒険の1日。おぼろげな情報といい加減な理解、装備不足…日没後、なにしろ寒かったし、ルートも不案内な深夜の徒歩は心細かった。遭難寸前 (ちょっと大げさ。しかしここは標高2000mの高地である) 街道筋のドンチュチョ前のタコス屋さんの灯りが見えてホッとした。鉄板の熱気がうれしかった。

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