メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

6月22日(土)  前日  翌日
 今日はギャラリーのオープニング。バチェの息子ハイクも昨晩モレーリアから来て泊まり込んでいて、みんな朝から忙しそうだ。彼らが外出した後、オミが庭の手入れに来ていた。
 我々は午前中はダラダラと日記を書いたり練習したりして過ごす。ギャラリーへは4時過ぎに行けばよいと言われていたので、とりあえずセントロで食事をしてから向かうことにした。
 コンビ(18ペソ=108円)でセントロへ。途中、長身痩躯のハイクがセントロ方面に歩いていた。コンビの窓から手を振る我々に気がつき、手を振り返す。


 2時半頃、先日閉まっていた人気のカルニタス屋へ行ってみた。店は開いていた。早速店内でタコスを4つ注文してカウンターで食べた。ここのタコスは1つ11ペソで合計44ペソ(264円)。美味いし安い。とはいえタコスだけではいまいち満腹感が乏しい。小広場でさらにケサディーヤを食べることにした。
 その前に路上の時計屋に寄った。電池切れで止まってしまった時計を店主の女性に見せ「電池交換できるか」尋ねた。「どれどれ」と言いつつあっという間に裏蓋を外した。慌てて「値段は?」と聞いた。「35ペソ(210円)」と彼女がぶっきらぼうに答え、たちまち新しい電池に交換してくれた。防水機能など一切ない安物の時計だったので入れ替えが簡単だったのかもしれない。というわけで、諦めかけていたダイソーの安時計は生き返った。

電池交換した店の隣の時計屋。交換した店は閉まっていた。


 小広場の食堂街へ。何度か食べた事のあるトルタ屋Santa Cruzで追いランチのケサディーヤ。ワダスはチョリソー、久代さんはビステク(牛肉)。会計は50ペソ(300円)。うーん、ここもなかなか美味くて安い。


  時間はまだたっぷりあったので小広場に面したホテルのカフェで休憩。ワダスは演奏を控えているのでコーヒー、久代さんは黒ビール。チップ込みで71ペソ(426円)。カラッと晴れた空模様ではなかったが、まだ雨は来そうでなかった。小広場は相変わらず多くの人がたむろし行き来していた。
 4時近くにセントロを離れ、歩いてギャラリーへ。玄関の呼び鈴を押すとハイクが開けてくれた。中では美容室へ行って来たばかりの化粧したマルタがカラフルな衣装を着て忙しく動き回る。灰色のシャツを着たバチェも、キッチンで飲み物を作ったり、ワインの用意をしたりと休む暇もない。

左/右から咲子さん、アナイ、アナイ両親


 5時になるとぼちぼち人が集まりだした。結構時間どおりに人が来る。今回最も多く出品しているアイダが、我々が座っていた事務所に顔を見せた。彼女は86歳で現役の画家。英語を喋るので我々には助かる。
 モレーリアの大学で生物学を学ぶハイクと話す。彼は英語ができる。ハイクは学生の時に大恋愛と大失恋をして落ち込み、数年間大学から離れたが、ふたたび大学に戻って卒業となった。なので学生ではあるが年齢は32歳。「卒業と聞いたけど」「そう。卒論も提出したんだけど、ペーパーワークが面倒。でもそれももうじき終わるはず」
 そこへバチェが加わる。「ハイクとは子供時代は英語で話していたから彼はバイリンガルなんだ」

バチェの息子ハイクと


 そうこうするうちにどんどん人がやって来て各所で会話の島ができる。日本から戻ったばかりの咲子さんもやって来た。ちょっと変わったデザインのフード付きの服を着て元気そうだ。築地本願寺での研修や仏教伝道協会の関係者たち、同級生たち、麿赤兒さんと会ったりと、充実した帰国だったようだった。

バチェと マルタ、バチェ、マルタの妹 外にも人が
左/お手伝いのフアナ


「メキシコ大使館で、近くの日比谷高校の生徒たちの前で紙芝居をやった。今の大使はとても素敵な女性。前任のインド大使の時はリキシャを公用車にしたり、今回の紙芝居の後は生徒たち一人一人に声をかけたりしていた。生徒たちはその場では誰も質問しなかったけど、後で色々と話しかけられた。不思議なことにそれが全部女の子。男の子は一人も質問しない。今エスパルタはメキシコシティで舞台の仕事なの。家に子供たちを置いて来たのよ。だからしばらくしたら帰らないと」
 咲子さん宅やカフェ・ハカランダで何度も会ったアナイも両親と一緒にやって来た。彼女はなんと8月から1年間の予定でブータンへ行くことになったというので驚いた。両国の学校間で決まったことだという。メキシコ人の前任者が帰国することになり、その交代要員として行くのだそうだ。向こうでは音楽を教える。ブータン在住のメキシコ人は二人だけとのこと。ブータン大使館はメキシコにはなく、ビザなどの事務手続きは知り合いを通して進んでいるがなかなか厄介なようだ。ともあれ、彼女にとっては全く新しい世界への期待のせいか、ちょっと輝いて見えた。
 屋外の芝生にも人がたむろしていた。バリッとした上着で決めたオミが、娘アンドロメダ、息子タオ、奥さんを紹介した。絵を描き、詩も書く芸術家肌のオミの本職は庭師なのだという。「あんたが練習している時に『千と千尋』の曲やってただろう。僕は宮崎駿の映画はほとんど見ているのであの曲も知っている。嬉しかったなあ」

右端がオミと子供のアンドロメダ、タオ


 わずかに降っただけでこの日は幸いにも雨が降らなかった。やって来る人々の数が増え、会場は華やかで賑やかになってきた。バチェがワダスに合図をしたので笛を持ってギャラリーの角へ。彼の挨拶みたいのものがあるのかと思っていたが、バチェは「もう始めていいよ。音を聞いたら人も集まるだろう」と言う。というわけで前触れもなく演奏を始めた。まず、さっきオミが触れていた『千と千尋の神隠し』の挿入歌「いつも何度でも」。この曲はメキシコに来てから覚えたけど、何度も吹いているのでワダスのレパートリーの一つになった感がある。人が集まり出し熱心に聴いてくれた。真剣な表情のオミが娘と一緒に真ん前で聴く。ついで、赤トンボ、五木の子守唄。続いて今週練習したアルメニアのラブソング「デレ・ヤマン」を吹いた。バチェが感激するかもしれないとこの曲を選んだが、聴衆には彼の姿が見えない。客の対応に忙しいに違いない。演奏は15分くらいか。
 再び客がばらけ、会話の島々ができ、会場はバチェたちの知り合いの社交場となった。演奏が終わったのでキッチンでワインとピザをもらい芝生へ。キッチンではお手伝いのフアナが忙しそうに働いていた。キッチンには、マルタの妹やその娘夫婦もいた。見違えるほど生き生きとしたマルタも始終キッチンに出入りし応対に忙しそうだ。
 アリシアとエリカが遅れてやって来た。アリシアと話す。彼女の学校はこの近くにあり、28日は学期の終わりになるので集まりがあり、そこへ招待したいという。「朝の9時だけど、来てね。・・・あなた方を食事に招待したいと思っていたけど、試験とか事故とか色々あってなかなか時間が取れなかった」と彼女。エリカは「またあなたの演奏を聞きそびれちゃった。今日の夜はハカランダでジャズのコンサートがあるのよ。行く?」と会話に合流した。
 東洋系の顔も見えた。4歳の時にマレーシアからアメリカに来た華僑の40歳くらいの男だった。名前は確かパット。現在は彫刻家、木版画家としてニューオーリンズに住んでいる。アメリカで知り合ったメキシコ女性ベロニカと結婚した。彼女の出身地パツクアロにも家があるので時々来ると言う。背の高い彼の息子セバスティアンを見たアリシアは「昔はこんなだったのにね」とかつての生徒の成長ぶりに感慨深げだ。我々とは英語で話したがスペイン語も堪能だ。彼らにはもう一人のホアキンと言う名の小さい息子がいた。
 8時過ぎになり、帰る人たちも出てきた。咲子さんはすでに帰っていた。キッチンにいた女性にせがまれたのでもう一度「いつも何度でも」を吹いた。エリカとアリシアが喜んでいた。


 ハカランダへジャズを聴きに行くという選択肢もあったが、バチェたちと別れ、徒歩で帰宅についた。前方を歩く二人連れがあった。アリシアとエリカだった。追いついてしばらく話をした。「パブロ(アリシアの夫、エリカの父)? 彼は家でテレビ見てるよ」
 ボデガ・スーパーのところで彼らと別れた。ついでに、ということでボデガで特売ビール12本(122ペソ=732円)とチョコレート(13ペソ=78円)を購入し、懐中電灯を照らしながら暗い夜道を歩いて帰宅。


 11時頃バチェたちが戻って来た。「もうくたびれちゃったよ」
 我々も結構くたびれた。

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