メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

6月27日(木)  前日  翌日
 レッスンは今日で29回目。日数にすればほぼ1ヶ月授業を受けたことになる。最初期のABCの読みから比べれば「格段の進歩」といえなくはない。とはいえ実用には程遠い。習ったことを全て記憶したとすればかなり実用に近くなっているはずだが、我々の頭は目の粗い網のようなもので、補足するより素通りしていく方がずっと多い。実習や予習復習をこまめにやれば網目をより細かくできることは分かっている。しかし、今ある網の端っこを引っ張ったり網の糸を増やして目の間隔を縮めることは、年のせいか難しくなっているような気がする。
「これ朝食なの」とリンゴをかじりながらやってきたエリカのレッスンは、宿題の答え合せに始まり、図書館での会話の例題から話が広がった。どんな本を読むかとか、パツクアロにまともな図書館はなかったがCREFALの図書館は充実しているとか、そのCREFALの活動が以前はいかに素晴らしいものだったかの話になった。我が家から歩いて15分のCREFALは、 Centro de Cooperación Regional para la Educación de Adultos en América Latina y El Caribeの頭文字。日本語にすれば「ラテンアメリカとカリブ海地域の成人教育地域協力センター」という国際的なNGO組織だ。ウェブページには「国の最も恵まれない人たちの社会的ニーズにコミットし、地域社会の生存と持続可能性がもたらす問題に関する知識を持つ、公共の意味を理解する専門家を訓練することを目的としています」(google翻訳)とある。


 エリカは奨学金を受けて大学に行った。日本だと就職してから奨学金を返済していくことになっているが、彼女の受けたプログラムでは、一定期間、恵まれない地域の学校や現場で教壇に立つことが「返済」になる。このプログラムは、彼女のように大学生対象だけではなく、下位の学校にも順次適用される。つまり、例えば、無償で高校教育を受けたものがその下位の中学校で教え、無償で農業訓練を受けたものが一般農家に指導に行く。こうした無償の連鎖で教育を充実したものにするというプログラムだという。エリカがパツクアロ近郊の原住部族の比率の高い地域の学校で英語を教えたのもこのプログラムの一環だった。
「プレペチャ語で話す人たちがほとんどの地域だったけど、子供達は皆とても優秀で英語はよくできたのよ」とエリカ。
 このプログラムは、セシリア・カルデロンという一人の女性の企画で始まったという。セシリアがCREFALでこのプログラムを始めると、それまでの象牙の塔のような組織に、研究者だけではなくプログラムに参加する様々な人が出入りし、広大な敷地に点在する建物も頻繁に活用されるようになった。しかし安定した仕事を望む事務職にとっては、このプログラムは仕事の種類と量が煩雑で多くなる。彼らの画策によるかどうかは分からないが、結局セシリア女史は追い出されプログラムは終わったという。
 トップが変わっても終身雇用の役人がそのまま居続ける日本とは異なり、メキシコでは公共ないし半公共の行政組織のトップが変わるとスタッフも事業内容もほとんど変わってしまうとのこと。公共事業の継続性を維持するには大きな難点だ。反面、それまでにない新しいアイデアで事業を進められるという利点もある。終身雇用というぬくぬくとした環境下で、役人たちが本来持っていたはずの公共性より自身の損得を優先していくようになる日本の状況とは違う。どちらがベターなのかなんともいえないが、エリカの話を聞くと教育という継続性の求められる事業にとってはマイナスの方が大きいといえる。
 スペイン語のレッスンとは離れた話題だったが、エリカはときおりスペイン語も交えて話してくれるので勉強にはなる。もちろんややこしい単語や言い回しは目の粗い我々の脳を通り抜けてしまうのだが。とはいえ、テキストもほとんど終わりに近づいた。先週に続いてどっさり宿題を課してエリカが帰った。7月に入ると別の学校の授業が終わり、彼女の授業は我々だけになるのでよりフレキシブルにやろうとのこと。
 相変わらず雲が立ち込めていたがまだ雨は来そうになかった。そこで、オポンギヨへメスカルを買いに行くことにした。
 家の前ではなかなか捕まらないので、いったんトペ(スピードブレーカー)のあるホルヘの店の前まで歩きコンビを待った。ほどなくキロガ行きのコンビが来たので乗り込む。

コンビの窓からの風景


 途中のエロンガを通過し30分ほどでオポンギヨへ着いた。料金は二人で56ペソ(336円)。早速、以前に行ったレストラン・ハフンダルJaphúndaruへ入り食事。曇り空でコンビを降りたあたりに人影はあまりないが、店内はほとんどの席が埋まり店員は忙しそうに動き回っていた。子供づれも多く、女性たちは着飾っている。何か特別な催しがあったのか。団体のようにも見えた。テラスからの湖、島、山々の眺めが素晴らしい。

 


 我々の座った席の近くに男女4人の学生がやってきて、我々のテーブルにくっついていたテーブルと椅子を動かした。休みになったのでここに来たという。日本からだというと「へええ、日本のどこ? 神戸。知ってるかって? 知らないなあ」
 しばらくして若い女性が注文を聞きに来た。前に来た時にいた青年は今日はいないようだ。まずビールを頼み、料理を待った。注文したのは、ワダスが魚の切り身のニンニク炒めFilete de ajo、久代さんは魚の切り身のアヒージョFilete de ajillo。両方とも同じ値段の90ペソ(540円)で付け合わせも同じ、トマト、レタス、スターフルーツの生野菜、ご飯、ジャガイモとニンジンのマヨネーズ和え。どれも美味しい。

Filete de ajo Filete de ajillo

勘定は全部で240ペソ+チップで265ペソ(1590円)。会計でさらにメスカルを購入。前回と同様、230ペソ(1380円)。
 店を降りたところにある屋根とベンチのあるバス停paradaでコンビを待っていると、雨が降ってきた。地元の人らしいリッュクを担いだ男、夫婦と子供もコンビを待っていた。ところがコンビは滅多に通らない。向かいの空き地には小さなサーカス小屋があったが営業しているようには見えない。しばらく待ってキロガ行きのコンビがやってきたので乗り込む。


 人家の少ないオポンギヨからの景色は美しい。小さな集落のところで、ブラスバンドを先頭にした行列があった。何かのお祭りらしかった。コンビに同乗した爺さんになんのお祭りか聞いたが、忘れてしまった。途中にサン・ヘロニモ・プレンチェクアロSan Jerónimo Purenchécuaroという比較的大きな町があった。キロガに近づくと、コップや皿を売る店が続いた。陶器の産地なのかもしれない。


 30分ほどでキロガに着いた。コンビ料金は、38ペソ(228円)。30分も走って一人114円というのは安いなあ。これまでパツクアロ湖畔の町を訪れたのは左回りがオポンギヨまで、右回りがキロガまでだった。今回キロガまで行ったので、湖を一周したことになる。


 しばらく歩いてキロガのセントロの広場。前回来た時カルニタスを食べたところだ。坂なりの広場の下端にはテント張りの食堂が出ていた。並んでいたのはカルニタスではなく、牛肉や豚肉を焼く屋台だった。牛肉を炒めていたオヤジが味見だと言って切れ端をくれた。前回もこんな風に味見をして結局食堂に入った。カルニタスを期待していたのでオヤジには悪いけど「カルニタスはないのかなあ」と尋ねると「あっちだよ」と指差した。広場から外れた一角で若者がカルニタスを焼いていたので近づく。眺めているとトルティーヤに挟んだカルニタスを手渡してくれた。本格的に食べるにはすでに満腹なのでお礼だけ言って離れ、広場を一周した。


 教会やマーケットを左に見ながら広場からコンビの出る場所まで歩く。コンビはあったが客待ちをしているらしくしばらく動く気配がない。そこへタクシー運転手が「パツクアロ」と叫んでいたので値段を聞いた。一人30ペソだという。コンビと変わらないのでタクシーに乗ることにした。前回もそうして戻ってきたのを思い出す。他の乗合客を車内でしばらく待っていると、若い女性が助手席に乗り込んできた。運転手は外で何度か叫んでいたが、乗客は見つからないので発車した。女性はツィンツンツァンで降りた。さらに途中で年配の女性が乗り込んできたが、それほど走らないうちに降りたので乗客は我々だけになった。運転手には「エスタシオンまで」と言っていたが、そのまま家の前まで走ってもらい100ペソ(600円)支払う。7時過ぎだった。


 帰宅して間も無く微かに悪寒を感じたのでワダスはベッドに入りiPodの音楽を聞いた。11時頃一旦起きて久代さんが作ったスープを飲んで再びベッドへ。なかなか眠気が来なく、朝までもんもんとした。

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