メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

7月5日(金) 前日 翌日
 午前中は定例の練習、宿題、日記。室内にじっとしていると寒い。外は明るく雲も少ない。
 1時過ぎに散歩に出た。数軒隣にいきなり「ポヨ(チキン)」の看板が出ていた。これまでずっと普通の民家だったが、新しく商売を始めたようだ。テーブルと椅子もトタン屋根の下に並べられ、一見食堂のように見える。夫らしい男が椅子に座り、焼いたチキンを机の上で切っていた。メガネをかけた気さくそうなエプロン姿の女性が明るい声で挨拶した。


「食堂を始めたの?」
「チキンを焼いて売るの。今日から」と道端に作られた焼き場を示した。四角いコンクリート枠の底の炭火の周りで、その辺の棒切れのようなもので突き刺したチキンとチョリソーを焼いていた。うーむ、公道にこんなのを作ってしまって問題ないのか。
「今からボデガ・スーパーへ買い物と散歩なんです。後で寄って買うね。1羽分のそれ、いくら?」
「100ペソよ。じゃ、後でね」
 以前に書いたように、この辺にはジュース、コーラ、駄菓子、果物などを売る似たような小商店が多い。いつ見ても客らしい姿が見えない。あれで商売が成り立っているんだろうかと心配になる。こうした店と同じように、食べ物屋もやたらに目に付く。エスタシオン界隈にはちゃんとしたレストランが何軒も並んでいるし、屋台のタコス屋やトルタ屋も10mごとにある。いつも行くトルタ屋や「界隈一」のタコス屋のように流行っている店もあれば、誰もいないテントの下で魚や肉を焼くおばさんがぽつねんと客を待っている店もある。しかも同じ時間帯で空いていたり閉まっていたりする。こんなに多く、かつ開閉店もテキトーでは売り上げだって安定しないだろう。そんな状況なのに、すぐ隣に新しいチキンの店ができた。これはどういうことか。
 日本だと役所から衛生面などのチェックを受けて開店となるが、ここでも同じなのだろうか。テント張りの屋台食堂はどう見ても厳密な衛生管理をしているように見えないし、もちろん開店許可証みたいなものを見たこともない。ほとんどがゲリラ的開店としか思えない。それでも営業が成り立っているのであれば、それだけ需要があるということになるが、果たしてどうか。富を生む産業といえば観光くらいしかないパツクアロでは、オフシーズンには外からの客は期待できない。現に散歩コースになっている船着場でもたいてい閑古鳥が鳴いている。ということは、本業としてちゃんとした収入を当てにするのではなく、設備投資は最小限に抑えて店を開きわずかな家計の足しにするような感覚ではないかと思う。開店閉店が安易に行われているような印象を受ける。我々にとっては安い食べ物屋が多いのはありがたいが、商売のあまりの規模の小ささを心配してしまう。
 人や車の少ない馴染みの裏道を通りドン・チュチョまで歩いた。そこからは急な坂と時折車も通るゆるい坂に分かれる。ゆるい坂は目的地のボデガ・スーパーに直結しているので今日はそちらを歩いた。途中で集落と湖が見下ろせる。ものすごく急な階段の向こうにゴルフ練習場のようなものが見えた。


 ボデガ・スーパーで買い物。ビール12本、桃、洋ナシ、ブロッコリ、ティーバッグ、バナナ、ガスコンロ点火用ライターなど254ペソ(1524円)をクレジットカードで支払う。エリカが「男は夜になると菓子パンを食べる。女性は塩気のものを食べる」などと言っていたせいか、菓子パンを食べたいと思って手に取ったが、カウンターの女性がひどくモタモタしていたので断念した。
 途中に菓子パンの店があるかと注意しながらドン・チュチョまで戻った。「菓子パンってある?」と聞くと「あると思うよ。奥に行って見て来てくれ」と店主が言うのでカウンターの中から奥の棚まで行って見たが、全てパックされたものだったので断念。パパイヤとインスタントコーヒー38ペソ(228円)を買った。


 さて、さっきのポヨ屋には1組の男女がチキンをつまんで食事をしていた。我々を見た店主らしい男がすぐに近づいて来た。1羽分欲しいと申し述べると、コンクリートで囲った焼き場から取り出し机の上でカットしてくれた。二人分としてはかなりの量だ。それを、別に頼んだトルティーヤと一緒に発泡スチロールのケースに入れて手渡してくれた。勘定は120ペソ(720円)。最初に聞いたときは100ペソと言っていたので、トルティーヤ8枚分とソース代も含んでの値段なのか。日本ではとてもこの値段では買えないだろうが、ムッチャ安いとは言えない。
 帰宅して早速熱々のチキンでランチ。1羽分あったので大満腹になった。
 7時頃、再び近所を散歩。我が家からすぐのツィペクワの側道に入った。崩れたゲートを通ると大木の密生したジャングルのようになる。鮮やかな色のユリや、下を向いて垂れ下がった花が珍しい。途中の坂を登っていくとてっぺんに邸宅が立っていた。バチェが言っていたかつての将軍の家だろうか。


 坂をおりて湖方向の道を進むと、数件の建物が並ぶ集落のようになっていた。塀を巡らせた1軒の中から大音響のダンス音楽が漏れて来たのでのぞいてみると、東屋のような場所で多くの男女が踊ったり飲んだりしていた。何かのパーティーだった。さらに湖方面に進んだどん詰まりは、ところどころに馬のいる広い牧場になっていた。廃屋のような朽ちた家や人気のない建物が空き地を隔てて立ち並んでいた。我が家の近所も探索すればいろんな場所があるものだ。雨が落ちて来始めたので急いで帰宅した。
 食べ終わったチキンの骨を鍋に入れ、ニンニク、玉ねぎ、水を加えてスープを作った。明日の朝食用だ。山本太郎の街頭演説を聞きつつ、久代さんは宿題に余念がない。
 10時過ぎにベッドに入り、志の輔の落語を聞いているうちに意識が遠のいた。

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