メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

7月10日(水) 前日 翌日
 エリカがこの日母親とメキシコシティへ行くので今週のレッスンは今日で終わる。シティのタコス・アル・パストールは美味しいので楽しみだという。彼女の好みは他に、タマルを挟み込んだトルタだと。タマルというのはトウモロコシの粉を蒸したもの。それをパンに挟んで食べるとタマルのしっとり感と相まってたまらないという。デンプンとデンプンということは、お好み焼きとか焼き飯をおかずにご飯を食べるようなものだ。
 今日のレッスンは過去形と現在形をセットで使う表現の練習。過去形の変化を覚えようとしているうちに現在形の変化を忘れてしまい立ち往生だった。練習問題も意地悪いもので間違えやすいように設定してある。久代さんは予習しているのでノートを見て答えるが、ワダスは全くやっていないので答えるのに時間がかかった。
 エリカの警察の話が興味深かった。現在、今の大統領によって警察組織の大変革が進められているという。旧来の警察は賄賂が横行しほとんど機能していない。それに代わる組織として「国家警備隊」のような組織を立ち上げつつあり、既得権益を持つ富裕層が猛反対している。「国家警備隊」は公共意識が高く給料が支払われる。こうなると現在の警察官は警備隊に吸収されるか仕事を失うことになる。エリカは現大統領に期待しているらしく好意的な評価だった。大統領は政府専用機を売却した資金を、路上生活を強いられている子供達の生活と学習支援に使った。また官邸ではなく、一般市民と同じような普通のアパートに住んでいることも好ましいという。この改革がどこまで進むかはなんとも言えないとしても期待していると、エリカ。
 今日は3時から、今月26日にブータンに出発するアナイの送別パーティに呼ばれていたのでレッスン後すぐに準備して家を出た。アナイの家はバチェのギャラリーに近く、途中にボデガ・スーパーがあるので、歩いて行くことにした。そのボデガ・スーパーでワインを1本135ペソ(810円)購入し坂道を歩く。街道を左に折れ山へ向かう道をしばらく行くと途中から急な坂道になった。ここらあたりかなと見当つけて歩くが見つからない。小さな窓の奥で何か仕事をしていた男に尋ねると「アナイ? ああ、このまま坂を登って行くと途中にあるよ」と教えてくれた。
 このように人に家の場所を聞く時、この辺の人たちはどうのように聞くんだろうか。というのは、メキシコ人の名前は与えられた名前の後に母親と父親の名前が来るので「中川さんちはどこですか?」みたいに聞き方はできない。「中川」みたいにファミリーネームを表示している家も見たことがない。ま、近所の見知った人であればすぐに見当はつく。郵便配達人が簡単に住所を特定できる日本とは違う。この辺も郵便が信頼されていない結果か原因か。


 坂道をかなり登ったところが自宅だった。紐付きの呼び鈴を鳴らし金網のゲートで待っていると、いつも伝統服をきている白髪の母親と4匹の小さな犬が出迎えてくれた。両側が急な谷底になっている場所に、まるで西洋のおとぎ話に出てくるような2階建の家があった。母親が叱っても犬がまとわりついてくる。
 アナイも出てきて家に案内された。入ってすぐ2階へ登る緑色の螺旋階段、その奥がキッチン、右手の暖炉のところに椅子とテーブルが並べてあった。家の中は壊れたハープ、アップライトピアノ、ビデオプレーヤーなど細々としたものがそこら中に置いてあった。
 アナイはキッチンで料理の準備中だった。調理中だったからだろうか、なんとなく慌てた感じで動き回る。久代さんが彼女の手伝いを始めた。ワダスは外に出て家の周りを探索。家の裏にはテントを張った道具小屋、崖の上には別の建物が建っていた。後で聞くとそこには妹のキッツィアが住んでいるとのこと。
 程なく咲子ファリーも到着。ミヤビは早速一人で外に出て犬と遊ぶ。バチェとマルタも合流した。これで今日の参加者が揃った。全員座るには暖炉脇のテーブルには収まりきらない。シズは父親のエスパルタの膝に乗り、ジゲンも後ろからまとわりつく。
 子供達と咲子さんは暖炉脇のテーブルに座り、残った我々が一番奥の明るい部屋に椅子を動かして場所を作った。後ろ髪束ねと長いあごひげの痩身の父親も加わり、なんとなくパーティーが始まった。


 まず、野菜スープ。ついでビフテキ、サラダ、ズッキーニ、煮豆のペーストとパン、トルティーヤ。用意してくれたアナイには大変だったに違いない。父親の持ってきたビールで乾杯の後、バチェや我々が持っていったワインを飲んでおしゃべり。
 父親が誘ったので2階へ上ってみた。2階も1階と同じように一部壊れたハープやコンピュータ、本棚などが雑然と置かれていた。寝室らしいものは見当たらなかったが、どこで寝るんだろう。

 1階に戻るとキッツィアが一人でたばこを吸っていたので話を聞いた。彼女は流暢な英語を話す。高校生の時に奨学金をもらってイタリアのトリエステで2年間勉強したという。全メキシコから500人ほど応募があり、最終10人に選ばれた。優秀なのだろう。イタリアの他にドイツにも行っていたのでイタリア語の他にちょっとドイツ語もできる。数学は得意だったが、水準がメキシコとは段違いに高く授業を受けなかった。両親がメキシコシティからパツクアロに移住してきたのは80年代はじめだったという。彼女はここで生まれた。家族は両親、カフェ・ハカランダを運営しているディエゴ、アナイ、キッツィア。皆近くに住んでいるという。
 キッツィアが自分の住んでいる崖の上を案内してくれた。彼女の住居の下に建っている別棟はAirBBにしているという。パツクアロ湖が下方に見える高台だ。


 奥のテーブルではスペイン語会話が中心で我々は意味が取れないが楽しそうだ。バチェは話を聞きながら絶妙のタイミングで笑いを取る。


 アナイがブータンへの土産物を見せてくれた。刺繍のある小さな布や木製のしおりなどの小物だった。26日にメキシコを発ち、バンクーバー、成田、バンコク経由でブータンに入る。メキシコからバンコクまでの航空便は往復800ドル程度で安いが、バンコクからブータンは片道で450ドルするという。1年後に帰国するときは途中で再び日本に寄るので日本を見たいという。彼女の表情は期待にあふれていた。
 8時半頃、小雨の中、バチェの運転する車で帰宅。

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