メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

7月18日(木) 前日 翌日
 これを書き終わった時点で、これまでに書いた日記の総文字数が20万字を超えた。ただただその日その日にしたことや見たもの聞いたものを書き綴っているだけだが、書いた本人でも読み返すのは苦痛に近い。毎日の積み重ねというのは大きいなあ。
 今日は、レッスン前に一仕事した。20日土曜日にバチェ・ギャラリーの展覧会クロージング・パーティーで予定している「耳なし芳一」のリハーサルだ。
 10時、咲子さんが来宅。ところが一緒に来るはずだったエスパルタから咲子さんに「今、着いた」と連絡があった。どうやら彼はギャリーへ行ったようだった。ギャラリーはバチェが行かないと鍵が開かない。咲子さんがバチェと交渉し、結局バチェの車でギャラリーへ。車に乗り込んだのは、バチェの整体をしているタニヤ、咲子さんとワダス。久代さんは家で宿題するというので残る。
 ギャラリーの外の壁にエスパルタが身を預けて待っていた。


 彫刻作品が置かれていた部屋でリハーサル。まず笛で客引きの後、咲子さんの「耳なし芳一」の紙芝居、それが終わると怪しい笛の音とともにエスパルタが庭から会場に入り、平家の亡者たちの前で平家琵琶の語りを動きで表現し、ついに亡者たちのいる暖炉の狭い隙間に入る。それに気づいた咲子和尚が亡者払いのために全身にお経を書く。亡者が再びやって来て連れて行こうとするが見えるのは和尚が経を書き忘れた耳だけ。仕方ないので芳一の耳を引っこ抜いて持ち帰る。耳を取られた芳一つまりエスパルタが退場し、入れ替わりに新たに芳一となった笛吹きが生の喜びを吹き鳴らす、てな感じで進行する。この「耳なし芳一」のパフォーマンスは、9月6日にメキシコシティでもやる予定なのでその練習も兼ねたリハーサルだった。


  11時にはリハーサルも終わり、12時からのレッスンに間に合うようにワダスはギャラリーからコンビで帰宅。
 門まで来たけれど鍵がない。何度か門を叩くも誰も出てこない。呼び鈴のスイッチを押してみたが母屋からも応答がない。20分ほど叩き続けてようやく久代さんが現れた。「全く聞こえなかった」らしい。
 エリカが時間通りにやって来てレッスン。用法が理解できていない再帰動詞の使い方の例をいろいろ教わった。とはいえ使いこなせるには程遠い。彼女は明日はモレーリアへ「マリワナ・フェスティバル」のコンサートを見に行くという。宿題はテキスト前半のページの会話の復習とビデオを見ての会話。
 晴れ間の隙をついて散歩しようと思ったが、いつ雨が来てもおかしくない空模様だ。家にある食材でランチを作る。ベーコン、緑トマト、玉ねぎ、ジャガイモ、トマトチキン固形スープでリゾットに、ツナ缶とほうれん草炒め(実際はツナ缶が汁だらけなので煮物に近い)の付け合わせ。


 食べ終わっても暗い空に変化がないので散歩のタイミングが取れない。仕方ない。今日もずっと家にいるしかない。
 Amazon PrimeでNew Yorkerのドキュメントを見る。ひどい家庭環境から立ち直り、独自の発想でレストランを始めて評判になった青年の話がなかなかに面白かった。
 バチェとマルタが帰ってきた。車に同乗していたのは60代の男だった。名前はハイメ。しばらく庭で彼らと立ち話をしていたが、母屋に招かれ、おしゃべりした。ハイメは詩人、作家でモレーリアに住んでいる。バチェとは30年来の友人という。


「ムラカミは知ってるか?」
「うーん、日本にはたくさんムラカミがいるけど誰のことかな」
「ハルキ。海辺のカフカの。他に映画監督にもムラカミがいるだろ」
「ハルキは知っているし作品はほとんど読んだ。けど、映画監督、いたかなあ」
 ハイメはアメリカ人のような発音の英語を話したが、ややこしくなるとスペイン語になり、バチェがそれを通訳してくれる。それほど英語が得意ではなさそうだった。
 バチェ「パツクアロに住んで30年になるけど、その間すごい変化だ。来た当初は車も少なく、電話だって街に公衆電話が1台あるだけだった。それが今ではものすごい車だし、インターネットだ。・・・レバノンに親父から引き継いだ資産があり、ある程度の収入になっている。レバノンの資産は全部売り払って現金にしたいけど、それが難しい。親父は難民としてレバノンに渡り、ある貴族の娘と結婚したんだ。かなりの年の差だった。そして、僕はエチオピアのアジスアベバで生まれた。当時の皇帝がアルメニア難民に便宜を図ってくれた。だから僕はエチオピア語が喋れる。・・・がん治療はきつかった。首にでかい腫れ物ができ、それをホモオパシーの医者に診てもらったんだけど、腫れ物が破れちゃった。慌てて病院へ行くと、もう何もできないと言うんだ。そこで別の医者に組織検査をしてもらった。進行したガンで手の施しようがないとそこでも言われた。でも薬が効いて腫れが引いた。そしたら今度はガンが肺に転移したという。それからがきつかった。治療で放射線を当てられた。痛いというわけではなく、もうこれ以上生きていたくないという気分になるんだ。抗がん剤もきつかった。髪は全部抜けるし。・・・今のギャラリーの土地建物は2000万円くらいで買ったけど、修理をしたのでトータルで4000万くらいかかったはずだ。金がなくなればその時はその時だけど、ま、ここを誰かに貸して今あなたたちのいるところで寝てもいい。別にこだわりはないよ・・・」
 メスカル、ビール、メロンとチーズなどで11時頃までおしゃべりが続いた。

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