メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

7月19日(金) 前日 翌日
 エリカから「お昼は家にいますか? モレーリアへ行く前にそちらに寄りたいので」とメッセージ。エリカの家にたくさんあった「皮の薄いアボカドをあげる」ということだったので、持ってきてくれるつもりだったのだろう。ところが1時前になっても現れないので、セントロへ出かけることにした。昨日の日記を書いたり食事のためもあったが、なんといっても今日から始まるカントーヤ祭を見に行くことが目的だった。
 カントーヤとは、おそらく台湾十分(シーフェン)のランタン祭が発祥かもしれない。今ではメキシコ中で行われているらしい。パペル・チノという薄い紙で作った風船の底の穴から、油を染み込ませた木片を入れて燃やし飛ばす。カントーヤという言葉は「1863年メキシコで最初に公開展示飛行させたホアキン・カントーヤの名前に因んだもの」(インターネット情報)らしいが真偽のほどは定かでない。写真を見ると、巨大なものから手で抱えられる程度のものまで様々なデザインとサイズのものが空中に上げられるらしい。去年のパツクアロのものを含めYouTubeにもたくさんあった。
 まず先週行った食堂「El Trancazo」へ。この店名の意味がわからなかった。グーグル翻訳では「強打」と出てくるが、変な名前だ。店主らしいおばさんに「そうなの?」と聞くと、腕を前に突き出して「そう強打よ」とのこと。「隣のカフェ・スルティドーラを強打するって意味?」とさらに聞くと「ははははは、そういう事ね」と笑った。スルティドーラはセントロの一等地にある高級レストラン。パツクアロの金持ち家族が経営しているという。その支店のカフェが強打食堂の隣にあるのだ。その支店は先週そうだったように今日も閉まっていた。強打されて閉店したのだろうか。


 ガラスケースの料理を何種類か選ぶ定食を頼んだ。閉店時間の3時に近かったせいか、ケースのおかず類は少なくなっていた。久代さんがミートボールとスパゲティ、ワダスが緑サルサで煮込んだ牛の臓物、赤サルサを絡めたジャガイモ炒め、スパゲティ、それにトルティーヤが付いてくる。どれもとびきり美味しいというわけではないが、1皿40ペソ(240円)とコスパがいい。ビールは売っていないというので水を頼んだ。食後のコーヒー10ペソを飲みつつ日記を書いた。


 相変わらず人出のある小広場ではテントを張った本屋が出ていた。ドスエフスキー、ニーチェ、シェークスピア、スティーヴン・キングなどなど、世界中の古今の人気小説のスペイン語訳が並んでいた。ガルシア・マルケスの「百年の孤独」もあり、ふと購買意欲が沸き起こったが、荷物のことを考えて断念。背中に鳥かごを背負った男が警察の尋問を受けていた。何を聞かれていたのだろうか。
 カルニタス屋のある通りを抜けて大広場へ行った。ここも人がいっぱいだった。今日から3日間のカントーヤ祭のための特設ステージも作られていた。ロックバンドの大音響のもとで若者たちが踊っていた。大広場を囲む建物には大小の「カントーヤ祭」ポスターが垂れ下がり、お祭り気分を出していた。名物の老人踊りのグループも見えた。また、ハリボテの巨人も現れて広場を練り歩き、それを人々が追いかけたり記念写真を撮ったりしていた。広場地域には車が入れないようになっていた。
 大広場の裏のサンフランシスコ広場へも行く途中、先日送別会のためにお宅へ伺ったアナイの母親カルメンに出会ったので久代さんと記念写真。


 サンフランシスコ広場は普段は出店も少ない広場だが、この日は祭関係のTシャツやマグカップなんかを売るショップ、タコス、チーズ屋など臨時食堂、陶器の器などを売る店がずらっと並んでいた。


 ウェブサイトにあった今年のプログラムを見ると、4時から映画館の建物でワークショップ、6時からこのサンフランシスコ広場でカントーヤ飛ばしがあるとなっていた。
 4時近くなったので小広場に戻り、ワークショップ会場に戻った。しかし会場の扉は閉まっている。スタッフらしい女性が中に入ったが、すぐに閉めてしまった。その彼女に聞くと「5時から」という。ここでは時間通りに何かが始まることは少ほぼない。
 小広場のベンチに座って人々を眺めた。小広場に集う人々は明らかに大広場とはカーストが違うようだ。プレペチャ系で背の小さい人たちが多い。服装も、出かける前にその辺にある服を適当に選んでやって来たとしか見えない人も多い。スカートをはいているのはプレペチャ系の年配の女性たちだが、他はほとんどジーンズか、ぴっちりしたスパッツのようなものをはいている。あんなにピチピチだと着脱が大変だろう。


 5時過ぎにワークショップ会場の扉が開いたので入ってみた。普段は図書館として使われている空間に、すでに出来上がった大小の風船が並んでいた。当然火をつけるわけにはいかないので風船の底から小さな扇風機が空気を送っている。ウェブサイトにワークショップとあったが単に出来上がったものを展示しているだけだった。
 6時から飛ばすと書いてあったサンフランシスコ広場へ向かう。先ほど来た時より人の数が多い。歩道のへりに腰掛けて待っているのだ。空は分厚い雲で薄暗いがまだ雨は降りそうになかった。
 数人が風船を持って上げ始めた。観衆が「おっ」と注目する間を、ポテトチップ売りや綿菓子を売るおっさんおばさんが掛け声をかけて通る。子供達にせがまれた親が買い与えるので商売繁盛のようだ。最初の風船が空を登っていった。ついで別のグループも上げ始めた。いったん空中に浮かぶがすぐに落ちてくるものや、街路樹に引っかかりそうになった風船を見上げている人々が「おおー」と歓声をあげる。風船を追いかけて浮かんだドローンも見えた。撮影しているのかもしれない。風船そのものは決して派手ではないが、空へ昇っていくのを見るのはなんとなくワクワクした気分になる。この広場で上げられた風船は10個ほどだった。何十個も一度に夜空に上がったらさぞ壮観だろう。浮き上がった数個の風船は風に乗って山の方へ消えた。


 風船の数は少なかったが、歩道にぎっしり座って見上げる人々は何かしら日常にはない気分を味わっていた。我々の隣に家族連れが座った。キリッとした表情の父親らしい中年男が「どこから?」と聞いてきた。日本だと答えると「そうか。僕は今休暇でここに来たんだ。アメリカのワシントンで働いている。出身? ウルアパンに近い町」と応えた。警察の車があったが人々にあれこれと口を出すことがなく、警官たち自身も祭を楽しんでいるようだった。この辺が、規則でガチガチの日本とは違う風景と言えるだろう。
 小降りだが雨が落ちてきた。風船上げが終わったと見え、人々が大広場へ向かって動き出した。我々もそこを離れ、小広場を抜けて坂道を降りた。小雨でずぶ濡れになるほどではなかった。バチェのギャリーに近くまで来ると、中からマルタが手を振ったので中に入った。マルタとアイダの二人がテーブルで作業していたようだ。二人とも帰るところだという。「今帰るところだから乗って」とマルタが言ってくれた。
「ボデガで買い物があるんです」
「あら、私も明日のために買うものがあるのよ。一緒に行きましょう」
 アイダは小さな車に乗り込んで「また明日ね」と出ていった。86歳になるアイダはまだ運転しているのだ。元気な婆さんだ。
 雨の中、車に乗り込み、ボデガへ。マルタは、明日の飲み物サングリアの準備のために果物を買った。りんご、みかん、ミネラル水など。我々は例によって特売ビール、ワイン、ミルクを購入。
 帰宅すると、バチェとハイメがちょうど家が出てきたところだった。ハイメのタバコを買いに行くという。門の外に車を停めていたマルタがそのままハイメを乗せて出ていった。


 部屋に戻って二日分の日記の残りを書き終えアップロード。久代さんはアステカ神話の絵本で勉強。うーん勉強の集中力はかなわないなあ。

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