メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

7月20日(土) 前日 翌日
 今日は、咲子さん・エスパルタと3時にギャラリーで待ち合わせ、その後5時からパフォーマンスなので、それまでに食事を済ませておく必要があった。
 1時過ぎ、怪しい空模様だがとりあえずセントロへ。開いていれば日記書きと食事が同時にできるだろうということで、市役所向かいの「スルティドーラ」へ行くと隣の「強打」食堂ともども閉まっていた。土曜日かつカントーヤ祭期間中のせいか。「スルティドーラ」はこのところずっと閉まっているのでひょっとして本当に「強打」されて閉店したのかもしれない。となると我々の頭には(特に肉好きの久代には)「食事はカルニタス屋しかない」という想念が次の選択肢として俎上に浮上した。店の前に行くと果たして営業していたので早速注文した。今回はタコスではなく、カルニタス250gとトルティーヤ4枚。合計で60ペソ(360円)。注文するとオヤジが肉の切れ端を味見させてくれた。こういうちょっとしたサービスが、味のせいばかりでない人気の秘訣なのだろう。特に久代さんは喜んだのだった。アルミフォイルの肉とトルティーヤ、大瓶からつまんだ唐辛子の酢漬け1本を持って大広場のベンチで食べた。


 曇り空で肌寒かったが特設ステージでバンド演奏があったり、老人踊りのパフォーマンスが2か所同時に進行していたりでお祭りらしい晴れやかな雰囲気が漂っていた。カルニタスは絶妙の塩加減で美味しい。久代さんはトルティーヤにはほとんど手をつけず肉だけに特化して口に入れる。
 3時まで1時間以上あるのでカフェ・グラン・カラベラで日記を書くことにした。実は昨日、店の前を通りかかったとき、ヤコのガールフレンドで一緒に店を運営しているエリサと目が合い挨拶だけして通り過ぎたのでちょっと気が引けていたのだ。
 久代さんはビール、ワダスはコーヒーを頼んで日記を書いた。ヤコも現れて握手。
「そうだ、今日はあなた方のパフォーマンスがあるのよね。頑張ってね。カントーヤねえ? こんな天気だとどうなるかわからないけど、大きなものは深夜12時過ぎにサンフランシスコ広場から飛ばすのよ。今日ここで? そうそう、ブルースのライブ。だから店は12時までやっています」とエリサ。薄暗い空を見上げると2個のカントーヤが空中を漂っていた。
 2時45分に店を出てギャラリーへ。小雨だったが本格的な降りではないので濡れずにギャラリーに着いた。ちょうどアイダが車から下りてきたところだった。可愛い86歳だ。彼女の作品展示は今日までだった。


 ギャラリーではバチェ、マルタ、お手伝いのフアナが準備に忙しそうだった。久代さんは、まるでインタビューするかのようにアイダと向かい合って座り何か喋っている。あとで聞くとこんなことを聞いていたらしい。彼女にはスペインに住む娘とアメリカに住む息子がいる。今回、娘家族がスペインからメキシコシティにやって来たので、これから合流し一緒に旅行するのだと楽しみにしつつ、1人住まいの静かな生活を愛しているようだ。
 3時過ぎにエスパルタ・咲子さんがやって来たので通しのリハーサル。簡単な流れを確認して終わる。そのうち雨が激しくなってきた。祭の主体であるカントーヤを浮上させるにも最悪だが、この雨ではお客さんたちがクロージング・パーティーへ来るかどうかも心配になる。一応、4時開始という予定だったが、その4時になっても我々関係者以外誰もいない。しかし、ぼちぼちと集まりだした。
 一昨日からバチェ宅に泊まっていたハイメは「もう帰らなきゃ」と言う。一昨日のバチェ宅母屋の宴会後、酔っ払って階段から転げ落ちて背中と肘を打ったらしい。「怪我はしてないけど、背中が痛い」と言いつつハイメは雨の中モレーリアへ帰っていった。


 バチェの合図で賑やかしの祭囃子もどきを吹き始め、咲子さんとエスパルタが待機している別の部屋へ人々を誘導した。その時点で観客は20名ほど。来週にはブータンへ行く予定のアナイ、先日彼らの邸宅を訪問したパトリック、ヴェロニカ、息子のホアキンなど見知った顔も見えた。
 持ち替えた長い笛の音に合わせて咲子さんが登場し「耳なし芳一」の紙芝居が始まった。墨だけの絵もセリフも急遽、彼女自身が作ったという。声色を変えながらスペイン語で日本の怪談話をするのをじっと見ていた子供が恐々と反応していた。聴衆を掴めている証拠だ。


 咲子さんの退場と同時に再び笛を吹き、全身白塗りふんどし姿のエスパルタが登場。亡者の世界である暖炉に入り込むエスパルタ。おどろおどろした亡者たちの世界を能の掛け声と笛の音で表現しようとした。うまくいったかどうかなんとも言えなかったが、後で聞くと概ね好評だったようだ。エスパルタ芳一は壁に向かい、そこへ咲子和尚が筆と墨を持って登場し、般若心経の文字を体全体に書き込んでいく。ワダスはホーミーもどきで音をつけた。ついで、お経の文字の書かれていない耳を引っこ抜かれて絶叫する芳一エスパルタが生者の世界に戻る。そこへワダスが笛を吹きながら静かに彼の後ろに周り込む。新たな芳一となったワダスが生者の喜びを笛で表現するなか、エスパルタが退場しパフォーマンスが終わった。途中から増えた観衆から拍手をもらった。バチェとマルタが集まった人々と我々に感謝の挨拶した。二人はギャラリーのオープンからこの日まで忙しい日々だったので開放感もひときわだったに違いない。
 ワイン、サングリアなどを手にした参加者たちは方々で会話の島を作る。皆我々のパフオーマンスを褒めてくれた。パトリックは「あのモンゴルかチベットの声はどうやってやったの?」と聞いてきた。アイダも「心に響いた」という。他の客たちも口々に良かったと言ってくれたのは嬉しい。

左からシリ、アイダ、ひとり置いてカレン リチャードと記録係のエドゥアルド 中央市の文化職員、右キュレーター


 LAからここに住んで12年になるといういかにもアメリカ人のリチャード、パトリックとヴェロニカ、ベルギーからやって来て味噌作りを挑戦しているというベルギー人のシリとカレンのカップルなどと話した。リチャードは「ここは天国だ」と。ヴェロニカは「あの子(ホアキン)が大学へ入る頃になったらここの家にもっと長い時間住むことになるわ。もっとも、パトリックの両親のように半分マレーシア、半分マイアミみたいに生活もいいけどね。私たちは8月9日にはニューオーリンズに戻る」と言う。他にも、エロンガの家の庭が素晴らしいと皆が言う男が、マリワナのせいか目をトロンとさせてフランス語で喋り始めたり、咲子さんたちに依頼されてパフォーマンスの録画を撮ったエドゥアルド、「あなたたちを家に招待したい」と言ってくれたフリーのキュレーター女性などなど、とても名前も覚えきれない人々との会話がなかなかに楽しい。
 次第に人が引け、最後は主催者バチェとマルタ、咲子さん・エスパルタ、我々が残ってしばらく歓談。咲子さん・エスパルタが帰り、我々もバチェの車に乗り込んで帰宅。二人は「ああ、くたびれた。あとは寝るだけ」と母屋へ引っ込んだ。
 お昼にカルニタスだけしか食べていない我々は、残っていたマルちゃん即席ラーメンにベーコン、玉ねぎ、唐辛子をぶち込んで夜食だった。

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