メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

7月26日(金) 前日 翌日
「ギターの町パラチョへカントーヤを見にいくけど一緒に行く?」とベルギー人のスィリに誘われていたが、その後メールへの返事がないので中止かなと思っていたら、朝いきなり「ちょっと遅れるけど11時40分に迎えに行くよ」とメールが届いた。今日も雨季モードで寒い部屋で1日かなあと思っていたので嬉しい驚きだった。
 時間通りバチェ宅の門の外でスィリが現れ、早速車に乗り込んだ。車はフォルクスワーゲンのバンだった。カレンと娘も一緒かと思っていたが一人だった。

スィリ


 道中、スィリはものすごい早口の英語で切れ目なく喋る。
「僕は38歳。1928年生まれの親父が50を超えてからの子供なんだ。70歳の母は元気。95年にベルギーのあるプロジェクトでメキシコ人と知り合いになった。それでカレンとも知り合った。今住んでいるエロンガの家は、伝統的な木造でとても居心地がいい。最近このあたりの人たちはレンガとコンクリートの家を建てたがるけど、木造がいいな。・・・今から行くパラチョやチェランにはまだ木造の家が残っていていい感じだよ。月に2回ほど出かけて木工職人に会ったり、材料なんかを見に行く。カレンの作っている木製おもちゃも彼らの仕事に触発されて始めた。・・・味噌作りは難しい。納豆? うん食べたことあるよ。でも味噌作りには大敵だ。納豆菌はパワフルだからね。今の家はアメリカ人女性がオーナーで、彼女は売りに出しているけど、売れるかなあ」


 車はウルアパンとの分岐点を右折し、山と農地が広がる美しい風景の中を走る。
「この辺はアボカド農園だらけになりつつある。ほら、あそこもだ。アボカドは肥料をたくさん使うし、大量の水も要る。環境に良くないんだけど増えている。なぜこんなに増えるかというと、一種のマネーロンダリングになっているんだ。マフィアはドラッグで儲けた金を土地に投資する。収穫量とか品質なんか気にしないでどんどんアボカド畑が増え、土地代も値上がりしてる。今通ったチェランは腐敗した政治家を追放してコミュニティーで管理している町。壁画がいっぱいあって楽しいよね。ほら自転車専用道路が見える? 珍しいだろ。できて2年しか経った。おっ、あの木造の家いいよね。でも少なくなっている」
「昔は酒もタバコも飲んでたけど今はやってない。マリワナも昔吸ってた。パツクアロに有名なおばあさんがいる。80過ぎのおばあちゃんで、家を一軒一軒回ってトルティーヤを売ってるんだ。ところがトルティーヤの入れ物の下にマリワナを入れて売る。自宅で栽培してる。外からは見えないしね、はははは」
 などという話を聞いているうちにパラチョに着いた。ウエコリオから約2時間だった。セントロ付近は車の乗り入れが禁止され、交差点では警官が車を誘導していた。スィリは顔見知りが多いらしく簡単に駐車できた。チェランよりもずっと整った街並みだ。ギターの町というようにギターを売る店がやたら多い。屋内商店街のような場所でも木工土産品とともにギター屋が軒を並べている。天井や壁のポスターもギターだらけだ。


 割とモダンなデザインの教会の前が中央広場だった。ギターを持った男を始めとする像が方々に設置されている。広場の一角に仮設舞台が設けられ、そこで大音量のバンドが演奏していた。


 かつては学校で今は文化センターになっている広場がカントーヤ打ち上げの会場になっていた。広場を囲むようにタコス、ジュース、果物、伝統衣装、お菓子、土産物などを売る店が並ぶ。土産物は小さな木工品が多い。伝統菓子を売っている店の前に立ったら美しい女性が「味見どう?」と小さなプラスチックのスプーンを差し出したので思わず手にとって舐めた。液状のキャラメルだった。うーん、美人に弱いワダスはふらふらと「じ、じゃあ、ひ、一つ下さい」と言ってしまったのでした。横にいた久代さんは「んもー、美人に弱いんだから」と申し述べる。プラスチック容器入りで25ペソ(150円)。その美人にカントーヤは何時にどこで上がるのかと聞くと「文化センターで4時からよ」とパンフレットを差し出した。隣の土産物屋で木製の小さなギターのついたキーホルダーも買ってしまった。下田さんに一つあげよう。

 


 スィリが「お腹空いてる?」というので彼の後をついていった。まるで屋台村のように一つ屋根の下に食堂が並んでいた。うーん、カルニタスがあるわ、チレがあるわ、タコスがあるわ。どこもそれなりに流行っていた。スィリがタコス屋のベンチに座った。

 


「タコスだけど、ここはマトンなんだ。カルニタスや牛肉もいいけど、どこから来た肉か分からないから僕はマトンを食べる。マトンだと間違いなくこの町のものだと分かるし、美味しいから。家ではほとんどベジタリアンだけどね」
 というわけで彼に倣ってマトンのタコスをそれぞれ3個ずつ食べた。3人分9個のタコスで150ペソ(900円)だった。最初は2個ずつ頼んだ我々はあっという間に食べてしまったが、スィリはゆっくり食べる。見ているのもなんなのでもう1個ずつ注文した。マトンのタコスは特有の臭みもなくなかなかに美味しかった。屋台村の裏手は果物や野菜を売る店が連なっていた。
「用事を済ませてくるので3時半に教会の前で会おう」と言うスィリと別れた。我々はいったん外に出たが、久代さんが「チレ食べたい」ということで再び屋台村へ。先ほどのマトン・タコスのすぐ近くの店に座ったら、そのマトン・タコス屋の兄ちゃんと目が合ってしまった。チレだけ頼んで食べた。うまい。勘定は?と聞くと、老婦人がしばらく考えてから「80ペソ(480円)」という。うーん、あの間はなんだったのか。ぼられたわけではないと思うけど、普通はチレにご飯や豆煮のセットを頼むわけで、チレだけの注文というので計算したんだろうなあ。

   


 通りを散策した。小さなカントーヤをあげる人、それを見る人、ドローンを飛ばしている人などでごった返した人混みを抜け、商店街を歩いた。圧倒的にギター屋が多い。次に目につくのが靴屋だ。街並みは、パツクアロのようなある程度統一されたデザインの建物ではないがそれぞれは小ぎれいな作りだった。歩道もよく整備されている。
 店の奥でギターを抱えてチューニングしていた爺さんを見たので、お断りして写真に撮った。持っていたのは手の込んだ装飾のダブルストリング・ギターだった。別の店に入ると、中年のおっさんが「親父がやってた店だ。ほら、ギターを抱えてここに写ってるのが爺さん」と言う。思いがけず老舗の店に入ったようだ。


 広場を取り巻く通りを一周し再び文化センターへ。途中の路上ではエクアドルからだという3人の青年がごついスピーカーを使ってケーナを演奏していた。ベースやキーボードの伴奏はカラオケだった。物々しく武装した警察官の一団が広い文化センターの中庭に集まり、しばらくして出ていった。
 スィリが戻って来た。手にはカレンの作っている木製おもちゃの参考にするというカラフルな円錐形の木片を持っていた。


 4時からの熱紙風船打ち上げを見るために多くの人たちが文化センターの中庭に集まってきた。カントーヤ祭や「第46回国際ギター祭」のポスターが周囲に垂れ下がる広い中庭の一部が柵で区切られ、スピーカーからは大音量のポップスが流れていた。「ギターの町なのにこの音楽はないよな」とスィリ。次第に集まってきた人々が柵を囲み打ち上げを待っていた。


 司会の男が登場し、開会の辞らしい挨拶を始めた。そしてマイクを持って柵を囲む人々に「どこから来たの?」と一人一人に尋ねた。地元の他にモレーリア、メキシコシティ、ウルアパン、遠いところではコスタ・リカから来たというグループもいた。一通り終わり、いよいよかと思ったとき、雨が降ってきた。屋根越しに見えていた山が分厚い雲に覆われて見えなくなり、雨が激しくなった。柵を囲んでいた人々が屋根のある回廊に移動する。中庭と回廊の段差に座っていた我々も軒下に移動した。回廊の下が混み合ってきた。スナックを売るテーブルでは、トイレ用の紙を丸める女性たちが忙しそうだ。予定の時間はとっくに過ぎ、時計を見るとすでに5時を回っている。雨は止みそうにない。
 スィリと話す。「どうしよう。このまま待つか退散するかだけど」「悩ましいなあ」「こういう時って、退散した後に雨が上がったりするんだよね」「でもこの感じだと当分止みそうにないね。帰ろうか」ということで我々は中庭を離れた。激しい雨の中、広場の売店の人たちはテントを張り直したり商品にカバーをかけたりしていた。
「ここで待ってて。車を取ってくるよ」というスィリを通りの軒下で待つ。石畳の街路に川のように勢いよく水が流れ、車が水しぶきをあげて通り過ぎる。スニーカーがすっかり水浸しになり足が冷たい。
 しばらくして戻ってきたスィリの車に乗り街を離れた。チェランのあたりまでくると雨は上がった。路肩の果物屋でリンゴ、梨、桃を買った。スィリはリンゴをかじりながら運転し、猛烈な早口で話す。
「パツクアロの産業はほとんど出稼ぎの仕送りで成り立っている。アメリカで稼いだ人たちが村に戻って家を建てる。メキシコの基準からすれば出稼ぎで得られるのは大金だからね。しかし家を建てたはいいが、住む人が少なく空洞化している。第二は観光かな。・・・メキシコの大学教授の給料? そうね、公立大学は安いけど、私立は結構いいよ。学校の教師の月給は数千ペソだけど、4万から6万ペソもらっている人もいる。・・・ベルギーでは社会福祉が進んでいて額は少ないけど年金で十分。70になる母の年金は1500ユーロくらいで多くないけど、問題なく暮らしている・・・」


 そんなこんなの話を聞いているうちに我が家に着いた。7時すぎだった。「また会いましょう」と言ってスィリが去っていった。有名な熱紙風船は見れなかったが、楽しいパラチョ小旅行だった。たった2回あっただけのスィリの親切がありがたかった。8月3日から始まる「国際ギター祭」に出かけてみようかなあ。

 前日 翌日