メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

7月27日(土) 前日 翌日
 お昼にタカンバロでミーティングあるので早めに起き、9時40分に家を出た。コンビでバスターミナルまで。10時のバスにちょうど間に合った。ミーティングは、プエブロ・マヒコ委員会を始め、去年のタカンバロ日本祭の関係者に集まってもらい、下田さんから送られてきた冊子を配るのが目的だ。
 いつもはバスターミナルまで乗るのだが、今日は途中で降りてレストラン「エル・モリノ」へ行った。「エル・モリノ」に着いたのが12時前。真っ赤なシャツを着た建築家のハイメとマルガリータが上からちょうど下りてきたところだった。マリナはちょっと目を潤ませて出迎えてくれた。彼女の様子がなんだかしどろもどろで、いつものクールな感じではなかった。どうしたんだろう。


 階上のテラスへ行くと、小さな机に商品を乗せたプリシリアーノの妻テレや見知らぬ若い女性がいた。今日はマリナが企画した「土曜市」だったのだ。PCとプロジェクターを持ってきたハイメがセッティングを始めたので持ってきたUSBメモリを渡す。しかしWindowsPCでは下田さんのビデオ・メッセージを読み込んで映像を出力することができない。マリナにも同じデータが届いていて「PCもコネクタも不要。バックアップ用としてUSBデータは持ってきてほしい」とのことだったが、ダウンロードできなかったらしい。となるとせっかく下田さんが「死に物狂い」でスペイン語にしたメッセージ映像を披露できない。この辺の準備不足というか確認不足がいかにもメキシコっぽい。もっともマリナが後でMacBookを用意し、参加者に見てもらうことはできた。が、プロジェクタにつなぐアダプタがないためマックの小さな画面で見ることになった。ないよりはマシだったが迫力に欠けた。下田さん、ごめんね、せっかく苦労して作ってくれたのに。


 象くん(岩本象一さん)作詞、HIROS作曲のCAP音頭スペイン語バージョンを歌ってくれたドゥルセ、森田由希子さんの誕生パーティーを自宅で開いてくれた当時の市役所担当者のカルラ、商工会議所会頭のロシオ女史と一緒に来たヒゲの紳士フアン、プリシリアーノ、先ほどのハイメとマルガリータ、ピアニストのエステバンと母のラウル、レストラン「バーガー」のベニートおっさん、サカテカス出身で最近タカンバロに引っ越してきたという眼科医(名前失念)と大きなお腹を抱えた妻、会期中ずっとお世話になったマリナの友達のルビの他に、ミニ市場に出店していた3人の女性が参加。プエブロ・マヒコ委員会のユニフォームである赤いシャツを着ていたのはプリシリアーノ、ハイメ、マルガリータ、眼科医の妻の4人。眼科医の妻がきっと新しく委員会に加わったのだろう。

ドゥルセ ハイメ マルガリータ
マリナ 左からロシオ、フアン、ベニート 右がルビ
   
カルラ    


 ハイメ、マルガリータ、マリナ、プリシリアーノが参加者に向かって立ち「儀式」開始。まずハイメが挨拶した。後ろからエステバンが英語に直して説明してくれた。眼科医も久代さんに通訳していた。今日のミーティングの趣旨の説明の後、マリナが去年のプロジェクトに至るまでの経緯を紹介。いつもはとてもキビキビしたマリナだが、今日は頭の回線の一部が少しはずれている感じだった。それをプリシリアーノが引き継ぎ、ワダスの挨拶の番が回ってきた。何も用意せずに参加したので英語での挨拶はまとまりがなくしどろもどろだった。スペイン語も交えようと思っていたが、全くだめだった。


 ハイメの「何か質問は?」にエステバンの母親ラウルが手を挙げた。
「タカンバロを文化的に活性化するにはどうしたらいいんでしょう」
 うーん、困った。「私がタカンバロ市長に立候補してあなたが1票を投じてくれたら話しましょう」と冗談で返すしかなかった。パツクアロのように周辺の町を含め観光地として知られているわけでないし、外からの観光客を惹きつける遺跡やすごい目玉があるわけでも、ここにしかない特別に美味いものがあるわけでもない。誰にとっても難題だ。まして完全なアウトサイダーであるワダスに答えようがない。
 ハイメが参加者一人一人に冊子を配ると宣言し、ワダスにサインをしてほしいとリクエスト。名前を呼ばれた人はハイメから冊子を受け取り、それにサインする。なんだかワダスのサイン会みたいな感じになった。それぞれに対する的確なメッセージも思いつかない。仕方ないので相手の名前もメッセージも全て日本語で書いた。もらった本人が「なあんだ、大したこと書いてないな」と気がつくまでに時間がかかるはずだ。一通り全員に渡った後、ハイメはこの日来れなかった人の名前を言ってワダスに冊子を手渡すので、ひたすら書き続ける。最後に全員で記念写真。


 2時すぎ、散会。エステバンと話した。前回タカンバロにきた時エステバンからモレーリアを案内したいと申し出があったのだが、その後連絡が途絶えていた。
「この間はピアノ・コンクールでコスタリカに行ってた。優勝ではなかったけど。ところでFacebookのアカウントがどういうわけが消えてしまったのでアクセスできなかった。ごめん連絡できなくて。水曜日にモレーリアへ行くって? だったら僕のアパートに泊まっていってよ。実は最近モレーリアのアパートに引っ越したんだ。案内するよ」ということで、来週モレーリアに行く予定だ。


 マリナとプリシリアーノとランチに行くことになり、ホテルの玄関でタバコを吸いながら待っていると、久しぶりにアレヘンドラと再会した。アレヘンドラはこのホテルのオーナー経営者で、マリナのおばさん。昨年は日本人7人がほぼ20日間このホテルに泊まったのですっかり馴染みになった。前回タカンバロを訪れた時に会ったナタリーの母親でもある。現在モレーリアに近い町とここと半分ずつ生活しているという。「ナタリーがヒロシと話したいって」とアレヘンドラがいきなりスマホをワダスに差し出した。「もしもし、あ、ナタリー、元気? OK。どう最近は? ん?」ナタリーはほとんど英語ができないし、ワダスのスペイン語は電話で話すのは不可能だし、10代の彼女に何を話したらいいかも分からない。「・・」が続いたのでアレヘンドラにスマホを返した。
 プリシリアーノ、テレ、マリナと合流し、泥のついたトラックに乗り込んだ。マリナとテレが荷台に座り、我々は助手席だ。座席にも泥がついていた。「ごめん、農作業用のトラックなんで」とプリシリアーノ。荷物を抱えたテレは自宅前で降り、マリナと我々はレストラン「ドーニャ・マルセ」の前で降りた。プリシリアーノはトラックを駐車してから落ち合うことに。食事しつつマリナの話を聞いた。

 


「今日はなんか変だけど、大丈夫?」
「昨夜一睡もしてないの。レゲエのコンサートだったのよ。それに、あのレストランを閉める。叔母に頼まれてやってたけど、経営者として私はダメだったということね。パツクアロのCedramの仕事でもらったお金はスタッフの給料、電気代、ガス代などの支払いに充てたので一銭も手元に残らなかった。これから? 演劇の勉強をやり直すつもり。演劇学校は19歳の時に父親が亡くなったこともあり2年でやめた。だから途中までしか勉強していないの。Cedramのスタッフをしながら同時に学生になる。8月1日から15日までは缶詰授業。外出も無駄口も許されない厳しい合宿です。エロンガの芝居見たんですって? あれ私の仕事だったの。演劇とかアートに触れたことのない町に出向いて見てもらうというプロジェクト。とりあえずはそういう仕事を続けるわ」
 こう話すマリナは、常に冷静にテキパキと物事を進めるオーガナイザーとしての一面と、大きな変化に戸惑いつつ希望を見出そうとする一人の女性の表情を見せた。
 トラックを停めてきたプリシリアーノが合流した。彼は食事はとらず我々の会話を聞いていた。

 そこへロドリゴ、妻、息子が通りかかった。親戚が近くのホテルに泊まっているのだという。流暢な英語を話すロドリゴはかつて主に英語話者の観光案内をしていた男だ。去年の最後のパーティで息子がピアノを披露した。しばらく去年の話で盛り上がった。さらに真っ赤なTシャツとエプロン姿の恰幅のいい店主のマルセが現れ、ワダスを見て「覚えているわよ」といって笑顔を見せた。
 プリシリアーノはワダスの支払い申し出を断り、勘定を支払った。3人分で420ペソだった。結構するなあ。
 2人と別れ、急な坂を降りてバスターミナルまで歩いた。天気がよく汗ばむほどだった。
 ほとんど待つことなくちょうど5時に出るバスに乗れた。2人でバス代は120ペソ(720円)。

 途中で居眠りしつつ7時ころパツクアロに着いた。広場では世界物産展のような屋台が出て賑わっていた。


 小広場の映画館の前を通りかかると大きなポスターが目に入った。中で舞踊祭が行われるとあった。普段は閉まっている映画館の扉が開いており、中がちょっと見えた。入り口のおっさんに促されて中に入った。コンサートホールのような、天井が高く広い空間だった。緩やかな階段状になった客席。正面舞台に下から照明の当てられた紫色のカーテンが下がっている。三方の壁面には帯状に壁画、その上に地元の塗り皿のような円形の照明器具が並んでいる。天井にも巨大な円形の塗り皿をかたどったオブジェ。中の装飾は見る価値ありとエリカが言っていたが、確かになかなかだった。数百人は入る客席は空席が目立つもののそこそこの入りだった。前席の関係者席に、先日バチェのギャラリーのクロージング・パーティーに来ていた市の文化担当の女性の姿が見えた。あの時もそうだったが男装風だった。

 


 しばらくすると、民族衣装の女性司会者が現れカーテンが開いた。奥行きのある舞台の奥の段にミュージシャンが登壇し演奏が始まった。バイオリン2台、ギター、小型ギターのハラナ、コントラバスという編成だった。ハラナをかき鳴らしながら歌うのは女性だ。伸びのある声でいい歌い手だ。スカートとハイヒールを履いた女性がゆったりと動きながら登場し、続いてひらひらの多いカラフルな衣装の数名の踊り手が、音楽に合わせてステップ中心に踊る。踊り手はみな月光仮面のように覆面をしている。音楽の音量が大きすぎてステップの音があまり聞こえてこないが、見ていてなかなか楽しい。


 次に登場したのが「老人踊り」のグループ。緑色のポンチョを着た男たちの音楽隊と、子供を含む4人の老人踊り。老人踊りは大広場で何回も見ている。しかし今日の踊りの完成度は広場のものよりもずっと高く、音楽ともピッタリと合っていた。老人踊りにもいろんなバリエーションがあるのだ。老人の面をつけ杖を持って前かがみになった姿勢は老人だが、リズムに合わせて激しくステップする躍動感とのギャップが面白い。終わると客席からは大きな完成と拍手が上がった。
 次はカラフルな衣装をつけた一団。音楽はカラオケだった。やはりステップ中心の踊りだった。中東を思わせるカラフルな衣装がド派手だ。足元の飾りはインドのグングルーのようで、踊り合わせてかすかに鈴のような音がした。派手な衣装の割には動きが単調だった。
 9時近くに公演が終わり、壇上で出演者たちが何か賞状のようなものをもらっているのを眺めつつ会場を出た。コンビの時間は過ぎているので歩いて帰ることにした。
 ところどころ明かりのついたタコス屋を見つつ夜のパツクアロの街を歩き10時ころ帰宅。長い一日だった。

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