メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

7月30日(火) 前日 翌日
 今日も特に用事はないが3時にマリナと食事することになった。場所はエスタシオンに近いレストラン「ドン・プリスィDin Prisci」の海鮮食堂。
 日が照っていたので早めに家を出て船着場経由でレストランに着いた。ビールを飲んで待っているとマリナもほぼ時間通りに現れた。
 マリナとは土曜日にタカンバロで会ったばかりだ。その日は前夜のレゲエ・コンサートで徹夜したとかでなんとなく酔っ払っているようなハイな感じだったが、今日はシャキッとしていた。「バッチリ寝たからもう元気よ」


 彼女の勤めるCedram(Centro Dramático de Michoacán)からレストランは目と鼻の先だ。タカンバロのレストラン経営から離れた彼女はこの4月から専従職員として働いている。
「今の私の家はあそこよ。ちょうど角の。Cedramはメキシコシティに本部があり、そこから予算が下りてくる。私の仕事は30km内の学校やコミュニティーに移動劇団を派遣すること。受け入れ先や他の演劇集団、俳優の招聘、本部との調整や費用の計算、寄付金集め。あなたたちがエロンガで見たシアター・ロシナンテがそう。劇団員には一定の給与が支払われるが、受け入れ先や見にくる人たちには無償で演劇を提供する」
 どんな風に劇団を派遣して上演しているかはドキュメントで見ることができる。スペイン語ですけど。
 色々と聞きたいことがあったが、とりあえず料理を注文した。マリナが白身魚のフライ定食Filete al mojo de ajo(80ペソ)、久代さんがエビのアヒージョCamaron al ajillo(100ペソ)、ワダスがタイに似たモハラの唐揚げ定食Mojarra según tamaño(80ペソ)。有名な店なので期待していたが料理はそれほど感動的ではなかった。


 食事をしながらマリナの話を聞いた。
「ここはシティにある私立の演劇学校の一部。シティの学生たちもここに送られ、修道院のような厳しい生活をしながら勉強する。内容は古典と現代の演劇。古典では古代ギリシアの悲劇から、シェイクスピア、モリエール、ニーチェ、チェーホフ、ドストエフスキー、ブレヒト、スタニフラフスキーなど。今のボスはブレヒトが好きでよく取り上げる。私自身は特にロルカが好き。私はここのスタッフだけど8月1日から15日までは学生なんです。もちろん舞台に立つことも望みだけど、勉強はいろんな意味で役立つと思う。家族の勧めもあって最初は経済学を学んだ。でもアート系が好きだったので演劇学校へ入ったけど、この間も話したように父が亡くなったので2年で退学しホテルに努めた。その時の英語が役に立って英語の先生もしていたの」
「この間ラウルにタカンバロの活性化はどうしたらいいかって聞かれて、市長に立候補したら話すと冗談で答えたけど、難しいよね」
「ははは。時間かかるわね。パツクアロはプレペチャ文化が濃厚で遺跡もあるので観光客を惹きつけているけど、タカンバロにはプレペチャの人はいない。でも最近アルベルカ湖近くのラグーナでプレペチャ以前の遺跡が見つかったの。町の人はそんなことを気にしないで何か出てきたら家に持って帰って飾ってるけど。コヨーテの像なんかも出てきた。ある家に置いていて、掃除人が壊してしまった。3つになっちゃってそれを接着剤でくっつけたらしいけど。そんな感じで私蔵している遺物もある。その辺はプリシリアーノが詳しい。現在発掘中の遺物や遺跡を学問的に整理して博物館ができたらいいわね。いずれにせよ町民がもっと地元のことを知る必要がある」
「外国人向けのいいスペイン語学校があればいいよね。そしたら去年来た日本人たちも学生に進めることができるし。語学と同時に地元文化のワークショップをセットにするとか」
「そうねえ、いいわね。ラウラのように年配の人も含め危機感を抱いている仲間がいるからこれからいいアイデアが出てきたらいいね」
「レストラン閉めたらホテルが困るよね。どうなるのかな」
「そう。いとこのアレハンドラと一緒に誰かに依頼して続けることを考えている。あのレストランは祖父が40年前に始めたの。子供の時はあのレストランのテーブルにもぐったりして遊んでた。それを父が引き継いだけど、私が19歳の時に亡くなった。ホテルはレストランの後にできたの。アレハンドラの母親が父の姉妹だったことで2年前から彼女が経営に参加するようになった」
「来年3月くらいにルビと一緒に日本に来るって言ってたけど。日本の物価は高いけど、友達のネットワークをうまく使えばそんなにお金も必要ないし。我が家で寝泊まりしてもいいし」
「ありがとう。そうねえ、行きたいわ、とても。でも、今の仕事の関係もあるからまだはっきりしない。多分ちょっと遅れるかもね」
「タカンバロでしか味わえない食べ物とかあるの」
「うーん、カルニタスは有名だけど、別の町もうちが一番とか言っているから無理かな。11月には広場でカルニタス祭があるけど。でも豚肉は重いよね」
 というような感じで色々と話を聞いた。他にも話題はあったがメモを取っているわけではないので忘れてしまった。
 ワダスだけアイスクリームのデザートを頼んで食べた。大きめのコップにぎっしり詰まっていて量が多い。これが結構高かったかもしれない。勘定はワダスが払ったが、合計420ペソ(2520円)だつた。料理は260ペソとビール90ペソで合計350ペソだから残りがアイスクリームという計算になる。となるとアイスクリームが70ペソもしたことになる。あるいはチップ込みの代金だったかもしれない。とすれば釣り銭でもらった小銭をチップにしたので二重のチップになったのか。なんとなく腑に落ちない。
 5時過ぎにマリナと別れボデガ・スーパーまで歩いた。スーパーで特売ビール、ウエハース、チョコレート、チーズ、ワイン、菓子パンを購入(197ペソ=1182円)。再び歩いてドン・チュチョのところまで来たら「界隈一」のタコス屋が開店準備中だった。

 何度も食べているので我々を知っている小太りのお姉さんが「15分待って」と言うので、準備作業を眺めながら待った。やがてやってきたビステク(牛肉)とチョリソのタコスを2つずつ、目の前のサルサをドバドバ加えて食べた。美味しい。けど腹ぱんぱんだ。勘定は40ペソ(240円)。安い。途中雨が降ってきたが食べ終わる頃には止んでいた。
 途中で小降りの雨になったが、我が家まであと100mくらいのところで本格的に降り出した。幸いずぶ濡れにならずに済んでよかった。ロードし、今日の仕事は終わり。

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