メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

7月31日(水) 前日 翌日
 バチェが水曜日にモレーリアの精神分析医に通っているのに便乗してモレーリアに出かけた。11時出発と聞いていたのでゆっくりしていたら10分前にマルタが「さあ、出るわよ。医者との約束時間の12時に間に合わないとダメなの」と言ってきたので慌てて車に乗り込んだ。

 すぐに高速道路に入った。バチェは時速120kmくらいの猛スピードで走る。よほど気が急いていたのか。途中から異臭がしてきた。「製紙工場があるんだ」とバチェ。
「ここまでだけど、いい? 歩いてセントロまで行く? ま不可能じゃないけど。じゃあね」
 彼らと別れ広い通りを歩き出したが、まもなくセントロと書いたコンビがやってきたので乗った。料金は二人で18ペソ。天気も良く、パツクアロに比べてずっと暖かかった。


 セントロの手前の水道橋のところで降りてカテドラルに向かった。中南米一の高さを誇るカテドラルはモレーリアのシンボル。どこからでも見えるので迷わずに行ける。石造りの堂々とした周辺の街並みはヨーロッパを思わせる。商店も街を歩く人々も洗練され、パツクアロが田舎に思える。
 どこかWiFiのあるカフェに座ってエステバンに連絡する必要があった。それがなかなか見つからない。仕方ないのでWiFiが使えるマクドナルドに入った。メッセンジャーを使ってなんとか連絡が取れ、まもなくエステバンが現れた。土曜日にタカンバロで会った時「ぜひモレーリアに来てください。僕の通った音楽院とか町を案内したい。僕の新しいアパートに泊まれるし」と言ってくれていたのだ。


「ここは意識的にスペインの町のようなデザインにしたんだ。教会がたくさんある。どのコーナーからも必ず教会が見える。ほら前にもあるし、横の通りの奥にも見えるだろ」
 エステバンは歩きながらいろんな建物や教会を示して説明してくれた。
「ここはチョコレート博物館。いろんなチョコレートがあるよ。あ、そうそう、瓶に入っているのは名物の甘い飲み物。試飲できる」。試飲してみた。まったりと甘くちょっとアルコールが入っている。
「アイリッシュ・コーヒーのようだって? そう、そんな感じ」というわけで小さな瓶を買った。35ペソ。バチェへのお土産にしよう。
「ここはお茶の専門店。抹茶も並んでいるだろ。奥がカフェになっている」と案内された店の展示が実に洗練されている。そこから水道橋へ。
「この町を作った時、水がないことが問題だった。それで山から長い水道橋を作った。ほら、あそこに蛇口があるでしょう。あそこで人は水を汲んだり、家畜に水を与えた。この水道橋のところまでがかつてのモレーリアの町の境界だ」
 水道橋とほぼ平行した石畳の道はメキシコシティへ続いているという。高い並木が両側に並び、美しい日陰を作っている。
「ここは12月になると、向こうに見えるグアダルーペの処女マリアの教会Santuario de Nuestra Señora de Guadalupeへ向かって人々が膝を折って祈りながら進むんだ。その横に見えるのがメキシコ国立自治大学UNAM(Universidad Nacional Autónoma de México)の文化センター。グアダルーペの処女マリア教会の中に入りますか? 中は金で装飾されている。その横は今は法律学校になっている」


 確かに豪華絢爛だった。壁も天井も細かな金色に彩色された花模様の出っ張りで縁取られている。おそらく200年から300年前これが作られた当時はもっとギラギラと輝いていたに違いない。パツクアロや周辺の町で見た教会とは比べ物にならないほど装飾の豊かな教会だった。
 グアダルーペの処女マリア教会の前の広場に面した広場には、細い鉄柱の上に石を乗せた美術作品が展示中だった。広場の角にあるカフェ・オリゴOrigoでビールを飲みつつ一服した後、エステバンのアパートへ。


 アパートはセントロからゆるい坂を下った通りの角にあった。カテドラルから歩いて5分ほどだ。住み始めてまだ2ヶ月という。真新しい白い壁の2階建の上が彼の住居になっている。木製の頑丈なシャッターの出入口から入ると、職人が作業中だった。「まだ色々手直しが必要なんだ。雨漏りも直さなきゃダメだし」とエステバン。
 入ってすぐが3m四方程度の中庭になっていた。その横にボルボのバンが停まっていた。「母のなんだ」
 車の横から階段を登って上階に上がる。壁も玄関のドアも真新しい。玄関ドアを入ってすぐが大きなテレビとソファのある居間。角には暖炉があった。その暖炉の横にダイニングテーブル、続いてキッチン。キッチンもまだ一度も使われていないようにピカピカの新品だった。


 居間の左手の小さな部屋にはYAMAHAのグランドピアノ。ここが彼の練習兼ピアノ教室。今は生徒の募集中という。扉を開け放ちピアノの屋根をあげると居間からでもいい音で音楽を聴くことができる。
 ピアノ室の横の廊下の奥が寝室だった。カバーが掛けられたダブルベッドの奥が洗面、トイレ、シャワー室だった。まるでホテルのようだ。「今日はここで寝てください。僕は適当にソファかピアノ室で寝るから」とのこと。寝室を空けてもらうなんて、なんか悪い気分だ。大都市のほぼ中心に位置し、独身の30歳男が住むにしてはシンプルだが調度も豪華な造りを見ると、二人とも生物学者、化学者だという両親の財政的豊かさが伺える。
 一旦荷物を置いて、街の散策に出た。彼が言うように堂々とした石造りの教会がいたるところにある。広い中庭にテントを張った土産物の店があったりする。


 まず案内してくれたのは、彼が少年時代から通ったラス・ロサス音楽院Conservatorio de las Rosasだった。1743年に設立された女子校が前身の、メキシコでも有数の由緒のある音楽院。メキシコ中からの学生が数百人学んでいるという。中庭に入ると方々からピアノやバイオリンの練習の音が聞こえてくる。優秀な教授陣の中にはエステバンの先生のロシア人ピアニストもいるとのこと。ウェブサイトによると、ピアノ、オルガン、吹奏楽、打楽器、ギター、作曲、バイオリン、指揮、音楽学、声楽といった学科に分かれている。
 道々エステバンの話を聞いた。ピアノを弾き始めたのはまだ4歳の頃だという。ドイツの大使館に勤めていた叔父からピアノが送られてきたのがきっかけだ。「音楽の前にピアノが届いた」。なんとなくピアノを弾き始め、だんだん熱中するようになった。両親には反対されたが音楽院に入る。そこでロシア人の教授に教わり、本格的なピアニストとしての道を歩み始めた。22歳の時はモスクワを始めとしてヨーロッパを旅行した。訪れたのは、ベートーベン、モーツァルト、バッハ、ショパンなどの大作曲家にゆかりの土地。ごく最近も2等賞をとったというコスタリカの音楽祭に参加してコンサートも行っている。来月はコロンビアへ旅行する予定だ。目的は音楽ではなくアマゾンの自然を見ることだという。


 こんな話を聞きながら、図書館として利用されている元教会、展覧会をやっていた文化センター、日除け傘の下にずらっと並んだテーブルのあるレストラン通り、メキシコ独立に関わったイダルゴ神父のいた学校など、エステバンの説明を聞きながらいろんな建物をのぞいたりしたが、とても覚えきれない。


「食事に行きましょう」ということで、カテドラルに面した高級そうなレストランLU Cocina Michoacanaに入った。英語版メニューに「100%Traditional」とあった料理をそれぞれ頼んだ。エステバンがエンチラーダ、久代さんがチレ、ワダスが牛の干し肉と卵のアポレアディーヨApporeadillo。ビールも頼んだのでチップ込みの勘定は547.4ペソ(3284円)。メキシコ基準では結構な食事代だといえるが、高級レストランで食事をして3人でこれくらいとは日本で考えられない。


 食事後MAKISとある日本食レストランの通りから北へ歩く。途中でエステバンが「中がとても素敵なホテルがあるんだ。食事をするふりして入れば咎められないから見に行こう」と門番のいる入り口を抜けて中に入った。中庭のテーブルで食事をしていた家族づれがエステバンに気がついて声をかけた。なんとエステバンの母親ラウラの妹の家族が食事中だった。「参ったなあ、偶然だよ」。エステバンは従姉妹たちや叔母のハグを受けて照れくさそうだ。モレーリア1番の高級ホテルHotel de la Soledadだった。我々も記念写真をせがまれてしまった。


 ホテルを出てカテドラルが背景にそびえ立つ歩行者専用の通りで制服姿の女子学生集団が記念写真を撮っていた。その様子を写真に撮ると歓声をあげた。


 さらに下って重厚な造りの大教会に出た。「カルメン聖母の食堂Rectoría de Nuestra Señora del Carmen」という名だった。その横の通りで民族衣装をつけた男女が踊りながら行進しているのが見えた。後ろから手に花を持った男女が続く。先頭の男たちがクアダルーペ聖処女の像を神輿のように担いでいた。彼らが教会の門から敷地に入って行くのを我々もついていった。彼らは教会入り口の広場でスピーカーからの音楽に合わせて踊る。白の上下に真っ赤な帯を巻き背中にカゴのようなものをつけた男たち、赤い刺繍の入った白いエプロンと濃紺のショールを巻いた女たちがリズムに合わせて踊り、取り巻く人たちが拍手を送る。中央に聖母像のプリントされた貫頭衣姿の短髪年配の男が動きながら踊りを見る。


「グアダルーペ聖母はメキシコでは特別な存在。スペイン人の搾取と強権に苦しむ、キリスト教のような神というものを持っていなかった原住民原住民の1人が、ある時、山でグアダルーペのマリアに出会う。そして『争うのは止めなさい』と言われたんだ。それを村人に伝えたが誰も信じない。再びその男がグアダルーペのマリアに告げると、帰ってあなたの服を見せなさいと言った。服には聖母像が描かれていた。それを見た村人が平和の象徴としてグアダルーペを崇拝するようになったんだ」とエステバン。


「カルメン聖母の食堂」は元は巨大な建物だったが、現在は「カルメンの旧修道院antiguo convent del carmen」文化センターとして使われている。広い中庭を見ると、鉄くずを組み合わせたドンキホーテ、サンチョパンサといった像が展示されていた。建物の内部は市民に無料で開放され、様々なアートに関する活動が行われている。ヨーガ道場や民族舞踊教室もあった。空を見ると、夕焼けを背景にくっきりとした虹が見えた。


「あの建物の屋上からカテドラルを見たら夕焼けが綺麗だよ」と言うエステバンの後をついて行く。古い建物の中にあるモダンなエレベーターでHotel Los Juaninos屋上のカフェへ。彼の言う通り、屹立するカテドラルの鐘楼の先にある山が夕日で赤く染まり、幻想的な風景だった。エスプレッソを頼んだ給仕の男が何度も「もう注文はないか」と聞きに来るのを断りつつ、照明の当たった鐘楼を眺めた。それを見ながらエステバンが「こんな話がある。この壮麗な教会はもともとメキシコシティにあるべきものが間違ってモレーリアに建ってしまったんだ、と」と言う。


 まだ明るい9時頃、エステバンのアパートに戻った。「さて何しよう」というので「COCOを見たい」とリクエストした。居間にある55型のサムスン製テレビは無線LANでネットに繋がっていてYouTubeなども簡単に見れる優れものだ。「まだ慣れてなくて」と言いつつエステバンがディズニー映画を探し当てた。COCOという映画は日本では「リメンバー・ミー」として公開されたもの。我々はメキシコに来て初めて知ったのだが、メキシコのある村の少年の話。ギターの町パラチョへ行った時、連れていってくれたベルギー人のスィリが「一部はパラチョが舞台だろう」と言っていたものだ。パツクアロには「あれはパツクアロの死者の日を描いたものだ」と言う人もいた。背景や人物の表情が詳細に描かれ、何よりも色が美しい。よくできたアニメーションだが、セリフの英語にスペイン語の字幕の、英語がイマイチ聞き取れない。今日の案内で疲れてしまったらしいエステバンがうつらうつらしていたので半分ほど見て切り上げ、ベッドに入った。ちょっと寝苦しかったが、いつしか寝てしまっていた。

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