メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

8月1日(木) 前日 翌日
 8時起床。薄い布団とブランケットで暑いくらいだった。キッチンで湯を沸かしコーヒーを作っているとエステバンも起きてきた。ピアノ室に寝具が見えたのでそこで彼は寝たのかもしれない。昨夜の帰り道で買ったパンと我々が持っていったインスタントコーヒーの朝食。久代さんはベッドを直してからテーブルについた。
僕の演奏がYoutubeにあるよ
 エステバンが大画面のテレビにスマホから飛ばした映像を見せてくれた。痩身で長い縮毛のハンサムな顔のエステバンがピアノを弾く姿には本格的ピアニストの風格があった。譜面台に楽譜はなく暗譜で弾いている。さらにロシア人ピアニストの映像もあった。チャイコフスキーのピアノコンチェルトだった。
「僕の先生。世界でも有数のピアニストです。僕はもっと彼に習いたいんだけど、先生に『君にはもう教える必要がない』と言われたんだ。この間コスタリカではスペイン人の有名なピアノ教授が習いに来なさいと言ってくれたけど、スペインだしねえ」
 今はブラームスのクラリネット二重奏を練習しているという。
「今日は11時から調律師が来るんだ。雨が続いたりするとどうしても調律する必要がある。乾季だと半年くらいは安定するんだけど。で、立ち会っていないとダメなのでここにいる必要がある。君たちはどうする」
「モレーロスの博物館、動物園とか考えているんだけど。あとパツクアロに帰るバスターミナルまでどう行くか、だけど」
「ああ、モレーロスだったらこのすぐ近くだ。ここからカテドラル方向に4ブロック、右に2ブロック行ったところが生家博物館Museo Casa Natal de Morelos、さらに1ブロック行くとモレーロス博物館Museo y Archivo Histórico Casa de Morelos。多分2時間ほどで戻るよね。僕はずっとここにいるから戻ってきて」と言いつつ地図を描いてくれた。
「動物園もいいよね。ともあれ、あなた方が戻ったらパツクアロへ行く乗合タクシーのいる場所まで案内するよ」
 10時、彼の地図に従ってまずモレーロスの生家へ。ホセ・マリア・モレーロス(1765-1815)は独立の英雄としてメキシコではよく知られた人物だが、日本人にはピンとこないかもしれない。ワダスも本で名前を知っただけで、どういうことをしたのか、彼の生涯がどんなものだったのか、ほとんど知らなかった。モレーリアという町の名前も、独立前はバヤドリードだったものが彼の名前にちなんで現在のように代わった。50ペソ紙幣には彼の顔が印刷されている。アフリカ系、先住民系、スペイン系の混血らしくいかにも人種の混ざった複雑な顔だ。パツクアロ湖のハニツィオ島のてっぺんに屹立する像もモレーロスだ。


 平家の生家には、もう一人の独立の英雄ミゲル・イダルゴ神父(1753-1811)がモレーロスに何かを指示しているものなどの大きな絵が数枚、所持品、サインした文書、調度、意外と小さいデスマスクなどが整然と展示されていた。モレーロスを研究している人には貴重だろう。しかしメキシコの歴史に疎い我々には「へええ、あっそう」とただ眺めるしかなかったが、歴史への興味がじゃっかん湧いた。


 モレーロス博物館もすぐに分かった。堂々とした2階建の入り口を入り、頭をぶつけそうな小さな開口部から受付に行くと、中年の男が我々を見て早口で説明した。要約すると入館料が一人55ペソ、訪問帳にサインしろということらしかった。
 ここは生地博物館と違い、モレーロスの独立革命運動の軌跡を時代ごとに説明する形になっていた。縦長のガラス板には英西語併記の解説が書いてある。各地でスペイン軍と戦いながら次第に勢力を伸ばしたが、もう一歩で独立を果たせず処刑された。Panasonicの大画面ディスプレイでは戦いの歴史と地図を解説した映像があったが我々のスペイン語レベルではついていけなかった。博物館を出たのは11時半頃。


 ついでに、昨日セントロの案内所みたいなところで警察官にもらった地図にあった「お菓子と民芸品市場mercado de dulces y artesanias」へ行ってみた。小さな広場に面した建物の緑の日覆いに案内文字があったのですぐに分かった。その名の通り、中は伝統菓子と各地の民芸品やTシャツなどを売る間口の狭い店舗がずっと奥まで続いていた。三宮の高架下商店街のような感じだ。どの店も似たような商品を並べている。通路が狭いので客とすれ違うのも一苦労だ。一通り見て回ったが、あまり買いたいものはなかった。
 エステバンの家に戻る道すがらこれからの予定について話した。
「昨日結構歩いてくたびれたので動物園はやめにしようか」
「そうだね。じゃあどうしようか」
「家に戻って、昨日見たCOCOを最後まで見るというのはどうかな」
「いいかも。でそのあと食事をしてバスかタクシー乗り場までの行き方を教えてもらって帰る」
「よし、そうしよう」


 途中にガスパチョGaspachoの店があった。ガスパチョはスペインの冷たいスープとして知られているが、ここでは細かく刻んだマンゴーなどの果物にライム、オレンジジュース、細断されたタマネギ、チーズやサルサをふりかけて食べる。我々のスペイン語のエリカ先生が「モレーリアのガスパチョは有名。パツクアロにもあるけどなんと言ってもあそこが本場なの。モレーリアに行ったらぜひ食べてみてね」と言っていたのを思い出し、注文した。出てきたのは今にもこぼれそうなてんこ盛りのガスパチョだった。30ペソ(180円)。
 そのガスパチョを持ってエステバンの家に戻った。玄関からピアノの音が聞こえ、帽子をかぶったかなり年配の男がピアノの前に座って作業していた。エステバンの頼んだ調律師だった。彼はモレーリア唯一のYAMAHA代理店の社長だという。日本にも行ったことがあり、我々を見て「ハママツ、トキョー、サッポロ」などと地名を言った。終わるまでまだ1時間ほどかかるという。COCOの残りを見ると彼の邪魔になるので諦めた。調律が終わるまでの間、食事に行くことにした。


 家から近いMarceva Fondaというレストラン。中庭のテーブルで、ワダスの希望で簡単なスープのランチにした。スープが来る前にエステバンは、トウモロコシの粉を練って焼いた円盤状のパンケーキのような食べ物を注文。その上にチーズ、クリームやサルサをかけて食べた。そのパンケーキ状の名前がどうしても思い出せない。ネットで調べてようやく分かった。トケラスtoquerasというものらしい。
 ついで、ワダスがスパゲティが底に沈んだチキンスープ、エステバンと久代さんは野菜スープ。特に美味しいというわけではなくまあまあの味。勘定はエステバンが払ったが、250ペソくらいだったので結構高い。
 食事しながら、エステバンの好きなクロサワ映画や日本人とメキシコ人の共通点などについて話した。エステバンは、メキシコ人と日本人は性格的に似ているという。
「フランス人やアメリカ人、ドイツ人は物事を常にはっきり言うが、メキシコ人は一旦相手の立場に立って考えるので返答が曖昧になる。その辺が日本人と似ているかもしれない。僕たちは誰かから何かを頼まれるとすぐに拒絶しないんだ」


「そうかな。ま色んな人がいるから一概には言えないけど。ところで、日本に来るのはいつになる。ベストは5月とか10月だけど、3月下旬だと桜が見れるのでそのころもいいかも。でも来年はオリンピックがあるから混雑するかもしれない」
「今はなんともいえないけど、行きたいなあ、日本に。ところで、あなた方はこれからどうするの。動物園はやめたって? そうだね。かなり広いしね。あと、テポストランへ行くって言ってたよね。あそこは素晴らしいところですよ。僕の音楽院時代の親友が住んでいるんだ。バイオリンを演奏する。よかったら訪ねて行って一緒に演奏するのも楽しいよ。えっ? 24日に演奏するって? 僕も行けたら行ってみたいな」
 その食堂の入り口付近には、背中にフリーダ・カーロの絵のある椅子、骸骨など置いてあった。まったく、どこに行ってもフリーダだ。「メキシコのアイコンだからね」とエステバン。


 家に戻ると、調律師がまだ作業中だったが、程なく終わった。エステバンが早速ピアノを弾いて出来上がりを確認していた。調律師は足腰が覚束ない感じで階段を降りていった。
 エステバンにパツクアロへ帰るバスかタクシー乗り場までの行き方を尋ねると「僕も一緒に行くよ。ちゃんと車に乗りまで見届けないと心配だから」と言う。
「Uberを頼んだ。もうじき来るはずだ。その車でチャンガリXangariまで行こう」
 すぐにやってきたUberの小さな車に乗り込み家を出た。チャンガリまで15分ほどだった。大きな街道に面したタクシーだまりでパツクアロ行きの乗合タクシーがすぐに見つかった。若い運転手のタクシーだ。パツクアロまでは一人55ペソだと言う。バスと変わらないので乗り込んだ。エステバンはそれを確認すると乗ってきたUber車で帰っていった。


 助手席には若い大男が膝を曲げて乗っていた。客なのか同僚なのかよく分からない。高速で走りながら若い運転手がその男と喋りながら時々横を向くので後ろにいる我々は気が気でない。


 タクシーは40分ほどでエスタシオンのCREFALに着いた。5時頃だった。エステバンに言われたように早速「着いたよ」とメッセージを送ると「よかった。いつでもモレーリアに来たら寄って下さい。部屋はいつでも空けるので泊まって。僕がいなくともあらかじめわかっていたら鍵を預けるので」とすぐに返答がきた。
 雲の多い空だったが雨の気配はまだなかった。エスタシオンから徒歩で帰宅。昨日からの出来事があまりに多いので忘れないうちに日記を書いた。

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