メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

8月4日(日) 前日 翌日
 今日はいつにも増して膨満感がきつい。久代さんは「今日が最後のチャンスだからツルムタロのおばさん食堂へ行くのだ」と決意しているが、ワダスはほとんど食欲がない。彼女の丈夫な消化器官が羨ましい。


 前日バチェ宅の庭仕事で来ていたオミと約束していたので、9時半にセントロのスルティドーラへ行きそこでコーヒーを飲んでいたら、まもなくオミが現れた。時計を見ると約束の10時にはまだ30分ある。オミが自分のスマホの時間とワダスの腕時計を見比べて言った。彼のスペイン語混じりの英語はぶっきらぼうで断片的なので分かりにくい。「その時計は30分遅れている」と言っているらしかった。ワダスのiPodを見るとすでに10時を過ぎていた。確かに腕時計が狂っていたのだ。この間電池を換えたばかりなのになあ。安物の時計だから仕方ないが、帰国までなんとか保ってくれたらいいけどなあ。
 オミの後について我々がまだ踏み入れていないLa loma地区へ行った。その地区は川を挟んだ上り坂に広がっていた。ほとんど平屋の、間に合わせの材料でできたような家が立ち並んでいる。貧困地区と言ってもいいかもしれない。雨の後ではないのに、ごつごつした石畳から水が滲み出てきていた。


 オミは1軒の黒い扉をノックしたが、反応がない。何度かノックした後、中から女性が現れて扉を開け、奥から若い男が現れた。名前はヘスス・セト・ガルシアJesus Zet Garcia。普段はエスタシオンの有名レストラン「ドン・プリスィ」タコス部門に夕方4時から深夜まで勤めているのでまだ寝ていたようだ。オミが一緒に音楽を作ろうとしている男だった。
 玄関から暗い廊下を出た奥に中庭があった。小猫が数匹、じっとこちらを見ていた。写真を取ろうとしたら散り散りに逃げていった。狭い中庭は緑がなく、取り囲む部屋も飾りがなく簡素でゴミゴミした感じだった。後から建て増しされたらしい中二階に案内された。畳2枚ほどの狭い「スタジオ」の奥がヘススの寝室。スタジオにはPC、簡単なキーボード、スピーカー、マイクスタンド、椅子、録音機材などが雑然と置かれ、すれ違うのに一苦労するほどの狭さだ。


 スタンドに割と高そうなマイクをセットした後、ヘッドフォンを渡され待機するがなかなか準備ができない。「このシーケンサーを使って録音するのは初めてなんだ。まだ慣れていなくてごめん」とディスプレイをにらみながらヘススが申し訳なさそうに英語で言う。ようやく準備が整いヘッドフォン・モニターから音が聞こえてきた。一定のパターンで繰り返されるピアノに続いてパーカッションが被せられていた。マイクを使った録音は初めてということは、バックの音楽は打ち込みで作ったものだろう。2種類のパターンのトニック音がEとFだったので持ってきたバーンスリーで演奏するのは難しくなかった。即興で適当に吹いたらオミもヘススも「素晴らしい」と言う。将来はさらに録音する楽器を増やし、最終的にはオミのヒップホップ風のラップが加わるという。どんなものになるか、ちょっと楽しみだ。オミは狭い部屋でタバコを吸いながら録音を見守っていた。彼は「素晴らしい」を連発するし、ヘススは「言葉にならない」などと言ってくれたが、ワダスにすればもうちょっと時間をかけてメロディーを作った方が良かったと思う。
 1時過ぎ、遠くにトラックを停めているというオミと小広場で別れ、徒歩で帰宅。
 2時過ぎ、ツルムタロへ向かった。エスタシオンでコンビを拾う。イウアツィオやキロガ方面との分岐点で降り、広場に面した「おばさん食堂」へ。入り口付近には3台の車が駐車していた。横になった2匹の犬を避けて中庭に入った。すでに3組の客が食事をしていた。キッチンで食べる料理を選ぼうとしていると、客の1人の女性が「これはこの辺の代表的な伝統料理よ。これを食べなきゃ。こっちがチレ、豆の似たものもいいわよ」と英語でアドバイス。我々をたまたまやってきた旅行者だと思ったのだろう。
 食べたのはチレ、豚肉のサルサ・ベルデ煮込み、タマル。一皿食べたワダスの膨満感は絶頂期にあった。苦しい。


 コンビでエスタシオンまで帰った。渋滞でのろのろとしか進まない。エスタシオンから歩いていたら小降りの雨。傘をさして帰宅。その後は本格的な雨になった。あまりに腹が張るので何もする気にならない。ソファに横たわった。気がつくと8時過ぎだった。ベッドに入ったのは10時前。今日はンコもしていないのでいつになく苦しかったが、Video NewsのMMT理論がどうのこうのとかを聞いているうちにいつしか寝てしまっていた。

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