メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

8月18日(日) 前日 翌日
 7時頃起床。起きてすぐに近所のセブンイレブンでコーヒー18ペソ2杯を購入し、部屋に戻ってドーナツとともに朝食。
 12時、ホテルを出て人混みをかき分け地下鉄のPino Suarez駅へ。駅からソカロ方面に向かう人が大群となって進路を阻む。駅前の広場も人でいっぱいだ。駅構内には、地下鉄工事中に出土された先住民文化の遺物が展示してあった。


 地下鉄2号線で終着のタスケーニョTasqueño駅まで行く。南方面バスターミナルは駅を出てゴチャゴチャした市場を抜けたところにあった。大きなターミナルビルにバス会社のカウンターが並んでいる。人に聞いてテポストラン方面の予約カウンターを探し当てた。列を作って待っていて、ちょうどワダスの番になった時、窓口の女性が「締め切り」と書かれた表示を出し、隣のカウンターに移ってしまった。うーむ、インドみたいだ。男性の係員のいる隣のカウンターで、明日のバスの予約と支払いを済ませた。14時22分テポストラン行き、1人140ペソ(840円)。
 久代さんの調べによれば、タスケーニョ駅で路面電車に乗り換えると、フリーダ・カーロとディエゴ・リベラの大スポンサーかつコレクターだったドローレス・オルメドの元屋敷の美術館に25分で行けるはずだった。ところが路面電車は見えないし、駅がどこか分からない。地下鉄駅に戻ると確かに電車の表示がある。ところが入口はシャッターが閉まっており、その前に陣取った男2人が「3ヶ月前から走っていない」と言う。「バスで行ける。向こうのバス停へ行け」との指示だ。言われた通りそのバス停で待つと程なくバスがやって来た。料金は1人2ペソと嘘みたいな値段だった。


 バスは旧線路沿いに走った。今は博物館になっているフリーダ・カーロの家のあるコヨアカン地区を通り過ぎたところで乗客全員が降りた。前を行くカツラのおっさんが「ここで降りるんだ」と言ってくれたので彼の後を追って下車。ほとんどの乗客が路面電車の駅に向かう。この先はまだ路面電車が走っていたのだ。つまりかつての路面電車の始発からここまでの区間が廃線になっていたようだ。路面電車というよりも日本の普通の電車に近い車内の乗客の普段着の服装や雰囲気は、琵琶湖周辺を走る京阪電車のそれに近い生活感がある。


 電車はノリアLa Noriya駅に着いた。駅に隣接した変なデザインのタコス屋を通り過ぎたところで若い男女に美術館の場所を聞く。「向こうの道をまっすぐ行ったところ。方角的にはこっちだけど」と教えてくれた。
 ドローレス・オルメド美術館Museo Dolores Olmedoが見えてきた。電車内で見た人々とは明らかに雰囲気の違う人々が門のあたりにたむろしていた。チケット売り場で500ペソ札を差し出すとチケットとともにお札も戻ってきた。「あのお2人分で200ですよね」と言うと、窓口から手が出てきて「表示を見よ」と言う。表示には「8月6日から9月6日まで作品の整理のため展示は一部のみ、入場料は不要」とあった。お札が戻ってきたのはそのためだったのだ。


 リュックをクロークに預けて見事な庭園に入った。孔雀がそこらじゅうにいた。さらに濃い灰色の毛のないつるんとした犬が十数匹動き回っていた。犬を見ていた女性に「これってコヨーテ? それとも犬?」と聞くと「犬よ。フリーダとディエゴが飼っていた犬の子孫なの」と言う。案内板によれば、有史以前からメキシコに生息していた絶滅危惧種の無毛かつ一部の歯のない犬とのこと。その1匹が、彫刻の犬の横でポーズをとっていたのがおかしい。
 旧屋敷の中の展示室は何部屋かに分かれていて、女性係員が「写真撮影は禁止、帽子も脱いで」と言う。晩年のディエゴがソ連へ行った時の絵、大富豪だった屋敷の持ち主ドローレス・オルメドをモデルにしたものや彼女自身の作品、フリーダの作品をモチーフにした小品、「私の人生」というタイトルの有名な絵の大きな複製画とそれに関連した小さな作品などが展示されていたが、図版にあるような実物の作品は見れなかった。


 金属枠にガラスをはめ込んだ東屋(イギリスで言うコンザーヴァティヴ)カフェでビール35ペソとスープ25ペソ。500ペソ札払って釣りがきたので安心。メキシコでは500ペソが最高額の紙幣だが、大抵の小商店ではお釣りがないのだ。
 ミュージアム・ショップをざっと眺めた後、セントロ方面へ帰る方法を近くにいた青年と門衛の警察官に尋ねた。青年は「来た道を辿ってタスケーニャ駅まで戻りそこから地下鉄」と言う。警官は「どこまで行くの? ピノ・スアレス? あーあ、だったら、ほら今走っていったバスがあるだろ。あれに乗ればいい。1人4ペソだし」と言う。
 警官が教えてくれたバスがすぐにまたやって来た。運転席横の円筒形の機械に10ペソ放り込む。8ペソでよかったのだが釣りの出ない機械なので仕方がない。それにしても1人5ペソ(30円)だ。
 バスは1時間かけてピノ・スアレス駅に着いた。バスはそのままソカロ方面に向かったので乗り続けていてもよかったかもしれない。
 久代さんがネットで探した有名店La Pagodaを探す。地図では「5月5日通り」に面している。大聖堂とビジャス・アルテスをつなぐ道だ。途中で道を聞いたがそれが間違いだったようだ。「2月5日通り」を歩いていて「5月5日通りはどこ?」と聞いたのだが「そんな道はないよ」と言う。ワダスは「5月5日通り」を「2月5日通り」と久代さんが間違えたのかもしれないと思った。「5月5日通り」は以前にも通っているのでなんとなく方向の見当はついていたつもりだった。ところが先に進むと商店街からはどんどん外れる。途中で道路の両側に洒落た食堂街があった。かなり歩き別の人に尋ねると「5月5日通り」は存在し「2月5日通り」とは別だった。歩いているうちに方向感覚がわからなくなってきた。昨日と同じように久代さんの地図は目的地のラフな行き方だけなので詰めが甘い。周辺の目印とか迷った時の代替案があればよかったのにと、ブツブツ言いながら歩く。歩行者専用道路の端っこでは大音量のロックバンドがスタンダードを演奏し、それに合わせて人々が踊ったり遠巻きに見たりしていた。町中に壁画が目に付く。


 ようやくLa Pagodaを探し当てた。タコス屋ではなくカフェとなっていた。「タコスもあるはず」と久代さんが言うので入ることにした。入り口では客が並んでいる。
 店内は普通のレストランのようだった。歩きくたびれたのと膨満感と空腹感で全く頭が働かないし食欲がほとんどない。久代さんは食欲満点で渡されたメニューをあれこれ検討している。この食欲が羨ましい。結局、ワダスはツナサラダ、久代さんがビーフ、チョリソー、豚肉の焼いたものにワカモレソース、サルサ・メヒカーナの豪華肉料理だった。130ペソ(780円)。ちょこっとつまんだが味は悪くない。しかし、こちらは腹ぱんぱんなのだ。ツナサラダは下敷きのレタスの上にツナが乗っかっているだけの簡単な料理。それが80ペソ(480円)と高い。
 帰りに、明日の朝食用の菓子パン2つを買って、勘定が330ペソ(1980円)。「メキシコシティではタコス三昧だあ」と宣言していた久代さんなのに結局豪華食事になってしまった。


「5月5日通り」と並行するマデロ通りを歩いてソカロへ向かう。マデロ通りは車乗り入れ禁止の通りで、両側に立ち並ぶブランド店を眺めながら人々が行き交う。客を呼び込む声や救世軍らしい男の手回しオルガンなどで騒々しい。東京であれば銀座通りだ。
 ソカロに突き当たった。広い広場が白い大テントで埋め尽くされていた。先住民民芸品展示即売会のような催しが開かれていた。中に入ると、屋根のある舞台で生バンドが演奏している。そこへ地方の民族舞踊の一団が勢いよく登場し踊る。観衆から拍手が湧く。大テントの中は民芸品や伝統食品などを売るブースが何列にもなって連なり、肩がぶつかるほどの入場者で賑わっている。オアハカのメスカル売りで値段を聞いた。なんと600とか700ペソとバカ高い。木の柵で囲われたテントの中ではシンポジウムのようなものが進行中だった。その隣が伝統治療やマッサージのコーナー。腹ばいになってマッサージを受けている人たちやそれを見守る人たち。


 ソカロから、セブンイレブンでコーヒーを買ってホテルに戻ろうとするが、なかなか探し当てることができない。かなり迷ってホテルに着いた。
 508号室のカードキーを差し込んだが開かない。レセプションへ行くと「部屋代の支払いをしてくれ」と言われた。カードで1500ペソ支払い、数字を入力したカードキーをもらって部屋へ。

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