メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

8月19日(月) 前日 翌日
 11時、荷物をレセプションで預かってもらってソカロまで歩く。目的は教育省の建物だ。記憶では以前よく使ったバス停の横にある重厚な建物のはずだが、そこは医学関連の政府の建物だった。中に入れたが、展示してあるのは医学器具や化学実験装置などで、肝心のディエゴ・リヴェラの壁画はない。建物を間違ったようだ。
 警官に訊いて教育省の建物にたどり着く。入り口でパスポートを預けると首から下げるタグを渡された。あった。壁画だらけだ。二つの大きな中庭を囲む3階建の建物の壁面は全て壁画で飾られていた。他の作家のものもあったがほとんどがディエゴ・リヴェラの作品だ。2階へ上がる階段室とその天井にも壁画が描かれていた。見学客は多くはなく、掃除人や役人らしい男女が動き回っていた。奥の中庭に面した最上階の一部には仏陀のレリーフ。ちょっと意外な感じがする。


 12時半に教育省を出てホテルに戻る。ソカロには日産の電気自動車タクシーが充電中だった。


  荷物を持って地下鉄へ。地上に飛び出た一基だけのエレベーターで降りると改札を経ずにプラットホームに出た。エレベーターの乗り口で改札する必要があったらしいがそのまま電車に乗った。車内は混んでいたがドア付近の男が立って久代さんに席を譲った。こういう親切な人がよくいる。電車の発車と停車が乱暴だし、ドアは10秒くらいしか開かないので、乗り降りには神経を使う。
 タスケーニョ駅からタコス屋や土産物店を通ってバスターミナルへ。出発まで時間があるので外のベンチに座って日記を書いた。ベンチでは若い男がトルタを食べ、おっさんがダンボールの梱包を何度も試していた。
 まるで空港のようなセキュリティ・チェックを受けて、何列も並ぶバスの発着場でテポストラン行きの乗り場を探した。切符にはM50とあったが車列は30番台しかない。うろうろしていると係員らしい男が我々を見つけて「こっちだ」と言いつつスーツケースを転がして行く。彼はスーツケースを停車したバスの荷物室に入れて預かり証をくれた。テポストラン行きのバスは17番からだった。乗車を待っていたおっさんにこのバスが間違いなくテポストラン行きかを確認。


 バスは豪華なボルボだった。ディスプレーが真上にある最前列に座りしばらく待つと定刻の14時22分にバスが発車した。廃線になった路面電車沿いにしばらく走ってから市街地を抜け高速道路に出た。高速道路は蛇行しながら高度を上げていく。集落を見下して進むうち、周囲の景色は農場や牧場、森林、山に変わリ、霧によって次第に視界がぼやけた。峠を越えると蛇行した道を降り始める。岩肌がむき出しになった断崖のある山々が見えたと思ったらテポストランTepoztlánのバスターミナルに到着した。ガソリンスタンドとカフェや雑貨屋のある建物があるだけの場所だった。雑貨屋でビール、タバコ、ミルクを買ってしばらく待つと家住さんが現れた。4時頃に着くと連絡していたが、実際着いたのは3時半頃だった。カフェでコーヒー豆を買った家住さんの車に乗ってセントロへ。


 坂道の多い町だ。途中にアステカのピラミッドがあるという切り立った断崖が町のどこからでも見える。坂道を登った住宅街に車を停め、家住さんの後からセントロまで歩く。「今日はカレーを作るので」とチキンや野菜などを買う家住氏の後をついていった。中央広場の下に屋根のある市場に入った。中は野菜、果物、肉、装飾品などの店や飲食店が混在しかなり広い。

 


「家はあの山の向こうのサン・フアンにある。かつてはセントロ近くに住んでいたけど、10年ほど前にサン・フアンに家を建てたんだ。サン・フアンは貧乏人が住む地域なんだけど」
 こう言いつつ家住氏は蛇行した山道をどんどん上に向かって走る。「5km」と小さな板に書かれた標識を越えたところから側道を右折し100mほど入った斜面に家住宅があった。私道に2列の舗石が敷かれ、真ん中に草が生えている。周りは鬱蒼とした山林だ。車を母屋のガレージに停めた家住氏が言う。


「前に来た客は、ここはメキシコじゃなくて信州みたいだと言ってた」
「かつてこの辺には単線の鉄道が走っていた。1時間毎に走っているバスで来る場合はサン・フアンの第一駅跡で降りるんだ。ややこしいんだけど、町からだと第一駅跡で、サン・フアンからだと第二駅跡になる」
 我々が泊めてもらうのは、アトリエのある母屋の離れだった。
「母屋は片付いていないけど、離れは掃除してあるよ。最近はキッチンも離れに作った。こうすると客人が来た時に勝手に出入りできる」と家住氏。
 離れは、下がレンガの壁で東面と北面がガラス窓の開放的な部屋だった。東面のガラス窓からは街道と山林、山々が見える。北面に机と椅子、ステレオ、ミシンなどが置かれ、西面の角が入り口のドア、ドアを開けると寝具の入ったタンス、本棚、その奥がトイレとシャワー室、南面は上に丸められた作品、下が先窄まりの作り付けのベッドになっていてその下にも引き出しがある。15畳余りの広さか。床は合板敷き。北面の窓から母屋のアトリエが見える。
「ええと、ここに布団類があるので適当に使って下さい」と寝具を引き出して家住氏が言う。とりあえず荷物を置いて、離れのキッチンへ。
 キッチンは冷蔵庫、流し台、ガスコンロ、食器棚、ダイニングテーブルがあるシンプルな作りだ。流し台の前がガラス窓になっていて、やはり見えるのは鬱蒼とした木々。男の一人暮らしらしく、それなりに片付いているものの、果物や調味料などが雑然と置かれていた。


 家住氏は買ってきた鶏肉、ジャガイモ、人参でカレーを作り始めた。油を熱しニンニクを入れそこに材料を投入して煮、その間にフライパンでカレー粉と小麦粉を炒め、煮汁を入れてペースト状にする。そのペーストを鍋に入れて煮込む、という日本式(英国式?)のカレーだった。懐かしい味だ。ご飯はカリフォルニア米を圧力鍋で煮る。味噌汁も作ってテーブルを囲んでメスカルやビールを飲みつつ10時過ぎまでおしゃべり。話題はドフトエスキー、レヴィナス、内田樹、坂口安吾、ゴッホ、テオ、ゴーギャン、オクタビオ・パスなどなど。

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