メキシコよれよれ日記 (2019年4月12日〜9月10日)

8月22日(木) 前日 翌日
 昨日のポソレの残りとタコスの朝食。朝から曇り空が続いていた。テポストランは半年雨季で、その間は湿気もひどい。一方、乾季になると一滴も雨が降らない。独特の景観が観光客を呼び寄せる村。そのため最近は家賃や土地代が値上がりしている。家住氏が今の100坪ほどの土地を買った時は1m2が40ペソだったが、金宅は600ペソだったという。
 2時、クエルナバカCurnavacaに向かって出発。高速道路を走り町に入る。坂道の多い町だ。車は坂道をどんどん登り、3時過ぎに新倉慶子さん宅に着いた。坂なりの広い道路の両側に住宅が続く。


 慶子さん宅は、門を入るとすぐに巨大なバナナの葉が四方に広がる2階建。玄関で靴を脱ぎ、広い居間に案内された。慶子さん、夫のラウルさん、息子の陽一君の3人暮らし。慶子さんがジャズ系のピアノ、ラウルはケーナやサンポーニャなどを演奏するミュージシャンだ。


 慶子さんはアフリカっぽい木綿の上下を着た静岡出身の女性。芯のある表情と話し方に、外国暮らしの様々な試練をくぐり抜けてきたたくましさがあった。海外青年協力隊に応募し、最初の任地がボリビアだった。アフリカで数学を教えるのが元々の希望だったが、ボリビアが好きになった。その後メキシコに移って25年になる。ミュージシャンとしてメキシコ国内や中南米に演奏旅行をしていたが、陽一君の学校の関係でツアーも難しくなった。パツクアロにも何度か行って演奏した。パツクアロはお気に入りの町だという。
 今は両親ともに亡くなったが、父親の援助で現在の家を14年前に建てた。ラウルと相談しながら家をデザインした。パツクアロのアメリカ人女性の家を見て参考にした。父親はメキシコが気に入り、8回も訪れた。70過ぎてからクエルナバカのスペイン語学校にも通った。学生たちが若いアメリカ女性たちで、楽しく通ったという。
 頭に青いバンダナを巻いたラウルは今年50歳。メキシコシティで生まれた。精悍な顔だが応答がほんわりしている。日本にはこれまで5回行っているので、ゆっくり話せば日本語は半分は理解できる。ケーナやサンポーニャが専門で、メキシコよりもアンデスの音楽が好きなようだ。
 13歳の陽一君はちょっと投げやりな大人しい少年。前髪の一部を水色に染め、ナイキのTシャツと半ズボン姿だ。現在シュタイナー学校に通っている。
 慶子さんが出かけるので我々も町に出ることにした。慶子さんは自宅からの地図を書いて「この食堂は安くて美味しいのでお勧めです。あとブレイディのコレクションもいいわよ。それは、ここ」と教えてくれた。

 セントロ近くの駐車場に車を停め、3人で街を歩く。映画館には草間彌生のドキュメント上映のポスターが張られていた。映画館横の角にあるお勧めのレストランに入った。数組のテーブルが客で埋まっていたが、1つだけ空いていた。久代さんと家住氏がチレ、ワダスはビステクの定食。ビールも頼んだ。定食が47ペソと安い。まずチキンスープとニンニクで炒めたご飯、ついでメインの料理がトルティーヤとともに運ばれてきた。味はまあまあだが値段が魅力的だった。


 次に訪れたのがロバート・ブレイディ美術館Museo Robert Brady。一人50ペソの入館料を支払い美術館に入った。ここはアメリカ人アーティストでコレクターのロバート・ブレイディの自宅だった建物にインド、アフリカ、日本、中東など世界各地の彼の収集品を展示した美術館だ。フリーダ・カーロやディエゴ・リヴェラと親しかったため、二人の作品もわずかに展示されている。図版などでよくみるフリーダの絵があった。横に猿の描かれた自画像だ。広重の版画、屏風絵の一部を切り取ったような親鸞聖人の絵もあった。かつては住宅だったため、浴室やキッチンなどにも収集品が展示されていた。浴室の横のトイレにおしっこしたが、水が流れない。ひょっとして展示用の使えないトイレだったのかもしれない。すみません。


 買い物があるという家住氏と別れ、セントロ付近をぶらぶらと歩いた。大きな歴史建造物があるわけでもなく、古い特徴的な街並みでもない。ビルの1階を丸ごと使った広い空間で行われていた美術展を見た。「建築と革命」というようなタイトルだった。現代的な作品がたっぷり場所をとって展示されていた。

 


 セントロの広場へ。たむろする人々の顔つきがミチョアカンとは明らかに違う。隣接した広場の東屋ではブラスバンドが演奏していた。メキシコの曲ではないポピュラー音楽が周辺に響き、それを聴くともなく人々がベンチに座っている。久代さんは近くのセブンイレブンへワインを探しに行く。結局そこで130ペソのチリ産ワインとミルクを購入。
 待ち合わせの駐車場へ行くとすでに家住氏がタバコを燻らせながら待っていた。「僕はメキシコ人と違って時間には正確なの。たいてい5分くらい前にさ、着いているの」
 6時、慶子さん宅へ戻る。慶子さんが今日の晩御飯だと言って餃子を作っていた。大豆の肉もどきを使った菜食餃子と鶏肉の餃子。ラウルと慶子さん、久代さんが皮に具を詰め込むのを眺める。すでにランチを食べているので食欲はあまりなかったが、結局ワインを飲みつつ何個か食べた。


 10時過ぎまでおしゃべりし、家住氏が帰っていった。我々の泊まる2階の部屋は、玄関の横にある階段から上がり広いテラスの奥にある。1階の母屋とは独立した階段、キッチン、バストイレがある。広い1間の部屋の壁際にはサンポーニャ、ケーナ、尺八、鳴り物などの楽器が立てかけてあった。角に白いカバーのあるベッドがあり、そこが今夜の我々の寝床だった。11時頃、就寝。

 前日 翌日